親鸞会の真実

11.マインドコントロール


N君の案内で、地元の親鸞会の法話会に参加した。最初は市民会館での法話会で、若い講師が一生懸命話をしていた。話の内容は蓮如の「白骨の御文」であった。浄土真宗の葬儀などでよく聞くもので私も知っている。話の内容は、白骨の御文の一語一語の意味を丁寧に話するものであった。

残念なことに五十年近く真宗門徒として生きてきたはずなのに、一番有名な御文の意味をほとんど私は知らなかった事に気づかされた。

また次は普通の家で法話があった。田舎の大きな家で、立派な仏壇があった。沢山の人が来ていた。畳に正座して法話を聞くのはこれが初めてである。法話には会員ではないが近所の人が沢山来ているとN君が教えてくれた。

N君からは彼の学生時代のことも色々聞かせてもらった。N君の時代はいわゆる統一教会の全盛期で、各地で問題を起こしていた。親鸞会も同じではないかと誤解を受け、学校から反対を受けることも多々あったという。

自分たちはそんなものではないのだ、といくら口で言っても信じてもらえない。だから一生懸命勉強をして良い成績を取り、その違いをわかってもらったのだという。学校当局も反対していたそうだが、そうした真摯な学生の姿を見て考え直し、ついには学校の公認となったのだそうだ。

ただ、未だに反対されている所もある。学校は学生を守るのが義務だからそれはやむを得ないことだ。しかし親鸞会の学生が、きちんと授業に出て立派な成績で卒業してゆけば、時間はかかるが必ず反対はしなくなるのだとN君は語った。

N君には色々なことを聞いたが、中でも心に残っているものがある。

私が息子があまりに純粋に親鸞の教えを求めるのを見ていると、やはり一種のマインドコントロールを受けているのではないかと不安に思う。君は一抹の不安も疑問もなしに親鸞会を続けているのか、と聞いた所、N君はこう答えた。

「人間の心である限り、100%の確信なんてあるはずありません。しかしこれだけは言えます。親鸞聖人の教えはマインドコントロール出来るものではありません。たとえば前の法話で、今日にも無くなるかも知れないのが私たちの命だとありました。説かれているのは聞けばその通り、当たり前の話ばかりです。しかしそれを聞いた私たちはどう思っているか、今日にも死ぬかも知れないなんて思えない。それどころか、今日家に帰ってどうしよう、この仕事は明日にしよう、来年はどうしようとそんなことばかり思っている。私たちの信じている幸せはいつか必ず崩れる、それはわかっているつもりなのに、自分の信じている幸せだけは崩れないと思っている。自分の妻、子供だけは死なないと思っている。聞けば聞くほどわかっていない自分が知らされる。それが仏法です。本当の仏法を聞いたら、マインドコントロールなんて指摘が如何に的はずれかわかられると思います。」

私はN君から聞いた事を全て正しいとも思わないし、親鸞会が100パーセント信頼できるとも思わない。しかしこれを聞いたときに、いわゆる世間の雑多な新興宗教と、親鸞会とは違うのかも知れない、と思った。

そして少なくとも、今まであった親鸞会の会員は、常識的で、個性的な人たちばかりであったことも、その思いを強くさせた。比べたら彼らに対して失礼かも知れないが、たとえば私の知っている創価学会の学会員などとは全く違う。彼らのような強引さはないし、明らかに普通じゃない雰囲気もない。

そして、私自身が親鸞会において道を求める事はなくとも、息子の親鸞会での活動は暖かく見守ってやろうと言う気持ちになっていた。

ちなみに、「親鸞会はマインドコントロールしているのではないか」という批判は確かにあるらしい。そういうサイトを最近読んでみたが、途中から、なんだかおかしくなって、笑い出してしまった。

ここに書かれていることが、全部事実としても、「ふーん、だからどうしたの」というしかない。問題は、教えている内容だと思うからだ。
宗教の教義だから、信じる信じないは、個人の自由だろう。

ちなみに、手持ちの電子辞書で、「洗脳」を調べた。

「一貫した徹底的な教育を行い、従来持っていた思想、信念を植えつけること。<思想改造>を意味する中国語に由来。程度の差、手法の巧拙はあれ、あらゆる教育が洗脳である」とある。

「あらゆる教育が洗脳」とは、これまた笑えた。
確かに、国家の教育、社員教育を含め、まあ、そのようなものなのだろう。

親鸞会の会員と思われる人とのやり取りを読んだが、どうも親鸞会批判者(本願寺関係者か)はマインドコントロールという言葉に とらわれている、というのか、故意にこじつけている、といったほうが適切のようだ。

文章にも、品位というものが感じられない。

親鸞会に対する悪意が前面に出ているせいか、かなり独りよがりな批判になっている。匿名で他を悪口を言うこの手の人間は、まあ、どんな社会にもいるものだ。

一般に、他者からの誘導で悪の道に入ってしまった状態を、

「マインドコントロールされている」というのであろうが、だとすれば、善を勧めるマインドコントロール、幸せになれるマインドコントロールなどというものは、本来あるはずがない。

手法そのものは、教育と同じといっていいのだから。

誤解のないように言うが、そもそも布教だからといって、違法な行為が許されないのは当然のことである。だが親鸞会を知る人から一様に聞くのは、親鸞会では、人間として基本的な善行(掃除や整理整頓、あいさつや親切など)が励行されているということだ。

おそらく、親鸞会という団体が、組織ぐるみで違法な行為をするということは、まずないだろうというのが、大方の意見である。

知り合いの本願寺の僧侶ですら、そう言っているし、この点は、息子を見ていてもうなづけることである。

どうやら親鸞会というのは、親鸞の教義を忠実に教え、実践するところのようだ。むしろ、伝統教団の失ってしまったものを現代に取り戻しているのかも知れない。となると問題の核心は、親鸞会の説いていることが、果たして本物かどうかであろう。

私はだから、根本にある親鸞会の教えが正当なものかどうかを知りたいのである。

親鸞の教えが、多くの人が讃仰するような素晴らしいものであり、それを説くのが親鸞会であるならば、それを学ぶことに、何も反対する理由はないのだから。

※参照……マインドコントロールとは何か
       「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」

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