親鸞会の真実

10.お前が求めているのは、死んでも変わらない幸せって事なのか?


息子の大学の試験が行われた。良や可が多いような気もしたが、約束通り一つも落としたものはなかった。親鸞会の先輩に勉強を教えてもらった結果だそうだ。そして一年間の大学生活が終わろうとしていた。

親鸞会の学生サークルでは試験前になると試験対策の勉強会をするそうだ。そして試験が終わると合宿に行く。今回は冬合宿だという。やれやれ。

確かに息子は感心だった。ちゃんと10時には家に帰ってくるし、手伝いや家の掃除などきちんとやっている。試験の結果も問題ない。

しかしどうしても腑に落ちないところがあった。結局一生懸命炊事や洗濯をやっていると言っても、結局親鸞会にやらされているだけではないのか。

親鸞会も学生に会の活動を認めさせるために、学生を使ってそういうことをさせているのではないかとさえ思う。何となく嫌な気分になる。自分が一生懸命育ててきたのだ。今更親鸞会に道徳教育してもらう覚えはない。

息子は高校生の時は何となく悩んだり沈んだりすることもあったが、今はとても活き活きとしている。本来は喜ぶべき事なのだが、青年ならばもっと悩んでも良いじゃないか。人生の問題にそんなに簡単に決着がついてなるものか、と思う。

お酒を飲んだりして遊ばないのも納得いかない。若いときはもっと遊んだって良いのだ。社会に出たらそんな暇無くなるんだから。

一度息子が早く家に帰ってきたときに思い切って聞いてみることにした。
「なんで高校時代にはやらなかった家の手伝いを熱心にやるようになったんだ。親鸞会でそう教えられているからだろう。」

するとやはり、
「親鸞会で勧められていると言うよりは、仏法でそう勧められているから。」
という答えが返ってきた。そんな禅問答をしたいんじゃない。同じ事じゃないか。

「でも一番は、お父さんとお母さんに親鸞聖人の教えを聞いて幸せになってもらいたいから。」
だそうだ。だから宗教は嫌なんだ。俺の幸せなんてお前にわかるもんか。

「どうしてもっと遊ばないんだ。若いんだからコンパしたり旅行に行ったりとかしたいだろう。」

「したけれどアホくさい。コンパしたって旅行に行ったって、終わってみれば虚しいだけじゃないか。一回行って満足できないから何回も行くんでしょう?、だったら一回でも百回でも同じ事じゃないか。」

どうしてこういう生意気な事を言うようになったのだ。しかし息子の言うことは真実である。空しい心を抱えて深夜まで飲み屋をはしごした経験、サラリーマンだったら誰だってあるはずだ。

「結局若いって行ったって、十年二十年すぐに経ってしまって若くなくなる。そのうち老いて病になって死んでゆかなければならない。そうなったときに変わらない幸せってある?そういうものを求めてゆかなければならないんじゃないの?」

息子にこんなこと言われるとは思わなかった。しかしなんで生んで育てた子供に説教されなければならないのだろうか。

「じゃあお前が求めているのは、死んでも変わらない幸せって事なのか?」

「そうだよ。それを教えているものが仏教なんだよ。ちょうど良いものがあるから、よかったらこれを見て。」

そういって息子が渡してくれたのは、親鸞会の発行している仏教の冊子であった。それには釈迦の求道物語が載っていた。息子の前で読むのは嫌だったので、会社に持って行って休憩時間に読んだ。

釈迦が地位や才能、妻子に恵まれながら、老いと病と死の現実を見て、出家する話であった。そういえば仏教ではこんなことが教えられていたのだ。先代の住職から同じような話を聞いたことがある。小さい頃だったが。

問題は寺がこういったことを説かなくなったからじゃないのか。親鸞会で教えられているのは、昔は盛んに説かれていた仏教の教義なのではないか。

そう思いながら読んでいると、部下のN君が話しかけてきた。

「課長は何を読んでいらっしゃるんですか?」

「息子が大学で親鸞を聞いていて、俺にも勉強しろとよ。」

「そうですか。私も親鸞聖人のみ教えを聞いているんです。実は・・・」

話をしてみると、N君は親鸞会の会員であった。大学2年生の時に、友人から誘われて聞くようになったのだという。これには本当に驚いた。世間は意外と狭いものだ。

私は安心した。N君はすでに結婚もして子供もいる。勤務態度も真面目で、私も信頼している部下だったからだ。

 

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