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中庸(穏健、温和)

 神や、その選び給うた者達及び洞察力のある人々の眼から見れば、良い品性というものは、総てのものの内で最も優秀な賞賛に価するものである。しかし、それが放射される中心は理性と英知であり、その基礎は真の中庸にあるべきだという条件に常に基づいているのである。[1]

 中庸とは人間の行動や欲望を穏当な範囲内に保つ品性と定義されることが出来る。中庸は過度や極端を避けることを意味するが、決して平凡と混同されてはならない。中庸は我々のエネルギーを、能率、高潔及び健全の助けとなるようバランスのとれた方向に保つ導き手である。

 中庸の限界を示す範囲は、掟、法令及び神の顕示者の訓戒である。[2]これらの範囲を越す時は、罪(宗教または道徳上の罪)の深さに比例した故障を招くことになる。民法を破ると、しばしば民事当局の干渉に捲き込まれるように、顕示者によって設定された限界を踏み越えると、いつもバハイ諸機関の注意を引く。その諸機関は、」バハイ信教のよい名声保持と、信徒達の指導と教育に責任を持っている。中庸を欠いたり、不従順であったりすることが行政会の干渉の問題になろうとなるまいと、その者は自己の行動の精神的帰結を免れることはできない。

 中庸の限界を越すものは、何事によらず良い影響を及ぼさなくなるであろう。例えば自由とか文化とかいうものを考えてみよ。いかに物分りのいい人々が、それらを好意をもって見ようとも、もしやり過ぎるなら人々に有害な影響をもたらすであろう。[3]

 芸術や科学の学識ある解釈者達によって非常にしばしば吹聴される文化は、もし中庸の限度を越すならば、人々に大きな弊害をもたらすであろう。このように全知にまします神は、あなた方に忠言しておられる。もしやりすぎると文化は、それが中庸の制限内に保たれていた時に良好であったと同じように弊害の源も豊富であることを立証するであろう。・・・総ての他のことも中庸の同じ原則に従うのである。[4]

 汝等神を畏敬せよ。そして中庸の限界を乗り越えず、無茶な者達の中に数えられないよう注意せよ。[5]

 正義は中庸の限界のもう一つの決め手である。他の人達との関係において公正を実行することによって、また人が中庸の道に導かれて行く正義を管理するあの天授の制度に従うことによって。

 正義を固く守る者は、どんな状況下にあっても中庸の限界を逸脱することは出来ない。総てをお見通しになる神の御導きによって彼は万物中の真理を識別するのである。[6]

 節度ある生活を送るには管理が必要である。管理と自己修養とは、バハイ信教の掟と原則に従うことによって学ぶことが出来る。これらに熟練することは、その者の生活のあらゆる面の釣り合いを保たせ統合させることが出来、かくして中庸を実行させることが出来る。中庸の必要性は、それが欠けている時を考えると最もはっきりする。例えば、もし従順が自由とバランスがとれなければ卑屈となり、消極的となり、へつらうようになる。家族、仕事及び信教に対する責任が平衡を保たれなければ、一つあるいはそれ以上の面が無視され秩序のくるいを生じ個人的な困難が生じるであろう。

 中庸の原則は、また我々が選ぶ生活の基準に対して強い関わり合いを持っている。一方においては無節制、放縦と浪費、他方においては欲深と禁欲主義共に非難される。節約―中庸の経済的な表現―は身分相応に暮らす標準を示している。アブドル・バハは、経済的節約は必要であり、また友人達を強欲よりはむしろ満足されるように激励するものであると、説明されている。

 経済は人間繁栄の基礎である。金遣いの荒い人は、いつも問題を起す。どんな人の側における浪費も許し難い罪である。我々は宿り木(寄生植物)のように他人に頼って生活してはならない。各人は、もしそれが文筆的なものであろうと手細工であろうと職業を持たねばならない。そして、きれいな男らしい正直な生活をしなければならない。他の人にまねられるような純潔の見本とならなければならない。沢山の品数の豪華なご馳走を味わうよりは、その代金が他の人達のポケットから出るよりはむしろ日数のたった、かさかさのパンで満足しているほうが一層王者らしいのである。満足した人の心はいつも穏やかで落ち着いている。[7]

 アブドル。バハは一信徒に宛てた手紙の中でこう忠告された。

 汝の主、至高の御方以外の総ての欲望から自身を切り離すことは汝の義務である。宇宙の中の誰からも、汝の父や子供達からも救助や援助を予期しないことである。神に自身を委せよ!この世の、ほんの少しのもので汝自身を満足させよ!誠に経済は大きな宝である。[8]

 中庸は、経済面に適用される時、金銭を、その限度を逸脱して、無茶に費やすことは資源の浪費とみる。この資源の浪費は、非常に沢山のものが、ものすごく必要になる時、だらしないものとなる。それ故中庸は、金持ちであるなしに関係なく適用される原則である。もし人が多額の冨を得られたらこの富が、神の大業の進展と人類の向上に対する各人の義務を記憶し、用心と知恵をもって費やすことを中庸は指図している。


 



[1] アブドル・バハ 聖なる文明の秘訣(英)60

[2] バハオラによって定められた掟や法令は、全く明瞭であり、中庸の名の下に行われた合理化に対しては余地を残していない。例えばバハオラは医師によって処方された以外はアルコールの使用を禁じている。もし適度に飲むなら飲むことが許されると信じることを、この禁酒の掟は排除している。

[3] バハオラ 落穂集216

[4] 全書 242243

[5] 同書 251

[6] 全書 342

[7] アブドル・バハ バハオラと新時代(英)102

[8] アブドル・バハ バハイ世界信教374-375頁バハオラとアブドル・バハの項