な ん き ん だ い ぎゃ く さ つ
南京大虐殺


きな子
南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)って、ウソだったんでしょ? ウヨ(ちゅう)が言ってたよ。
あずさ
ウヨ(ちゅう)だったら、どんなことだって言うでしょう。で、どこが(うそ)だって?
きな子
あのさ、20万人しかいない所で30万人殺せるわけない とか言ってた。
あずさ
また、あの子供だましの宣伝文句ね。きな子ちゃんの生まれる前から暴かれてるのに、ホント、恥知らずなペテン師ども。
人口20万って、南京市全体の人口じゃなく、その一部にすぎない「安全区」にいた難民の推定数なの。そもそも南京事件というのは、東京都と埼玉県を合わせたほど広い地域での何ヵ月にもわたる出来事なんだから。
犠牲者数については、日本人の手でも調査されてて、いろんな説(数万〜20万)がある状況。
それなのに多くのウヨ厨が、中国側の「30万人説」にこだわり、「30万人殺されてないから、虐殺なんてウソだ」と言い張ってるわけ。
ただの馬鹿だから、もう相手にしなくていいわ。
きな子
え〜っ? きな子が生まれる前からインチキ言ってたの〜?
あずさ
ずいぶん昔に、右翼が街頭で言いふらしてたもの。 ウヨ厨の頭っていかに古いかわかるでしょ?  生まれたのは、きな子ちゃんとたいして変わらないのにね。
きな子
でも、虐殺がホントだったら、一ヶ月後に人口が20万から25万に増えてるのはおかしくない?
あずさ
前にも言ったけど、20万というのは、南京市の中で国際委員会の管理する「安全区」の難民数で、市全体の人口じゃないの。つまり外から「安全区」に逃げこんできて5万人も増えたわけだから、このこと自体、「安全区」の外がいかに危険な状態だったか裏付けてると思わなくちゃ。

それで。 ウヨ厨はほかに、どんな嘘を言ったの?
きな子
南京事件は、原爆投下の罪を誤魔化すためのでっち上げだって。
東京裁判の時まで、日本人は南京大虐殺なんて知らなかったんだってさ。
あと、国際連盟でも問題になってないらしいよ。
あずさ
ま〜だ、そんな嘘がとおると思ってる頭のおくれた人がいるのね。
知らなくて当たり前でしょ。 戦争に負けるまでは、ラジオも新聞も国の統制下にあって、軍に都合の悪いことなんて国民に知らされなかったんだから。
日本はそんなでも、南京での暴虐は欧米人に伝えられ、ニュースが世界中をかけめぐってたんだけど。
きな子
へ〜え。知らぬは国民ばかりだったのか〜。
あずさ
いいえ。南京にいた大勢の兵隊さんは当事者ですもの、知らないはずないでしょう。彼らの日誌や手紙でも、そのことは歴然。言わない人が多かっただけ。

国際連盟で問題にされなかったというのもウヨ厨らしい大嘘。
1937年秋に国連総会は、南京爆撃で日本への非難決議をしてるのよ。
でも日本は、満州国でのジサクジエンを暴かれたのに逆切れで、1933年に国連を脱退してたから、どこ吹く風。

覚えておいてね。世界から孤立状態だったのは日本のほうだって。
きな子
あははは!
ジサクジエンばれたんで逆切れって、なんか2ちゃんねるみたい。
あずさ
いい? 南京が陥落する前から、国際連盟は日本が中国に攻めこんだこと自体を問題にしてるのよ。南京事件は中国侵略という大犯罪の中での一コマにすぎないと思えばいいでしょう。

証拠写真と記録映像

きな子
なんか、証拠の写真も偽物(にせもの)ばかりだとか。
あずさ
東中野(ひがしなかの)修道(しゅうどう) という人の鑑定(かんてい) とか言わなかった?  調査そのものがインチキだってわかってるんだけど。そいつの言うことは学界からまるで相手にされてないの。ただウヨ厨が持ち上げてるだけの奴。
きな子
でもさ、当時の記録映画の『南京(なんきん)』には、虐殺の場面なんか映ってないそうよ。市内の様子も平穏なんだって。
あずさ
やれやれ。従軍記録班の映像を証拠に、「悪いことしてないでしょ」とか言われてもね……。日本軍に不利になる場面は撮影が許されない事、撮っても検閲を通らない事は、馬鹿じゃないならわかるでしょうに。

百人斬り

きな子
じゃあ、もしかして百人()りの武勇伝もホントのことなの?
あずさ
あれは戦闘でのお手柄じゃないの。 捕えた捕虜や民間人を並ばせて、 片端から斬り殺したというのが真相。
きな子
ひえ〜〜〜っ!
あずさ
だいたい、近代戦なのに、日本刀で百人も倒せると思う?
きな子
相手(むこう)が銃を撃ってきたら、一人でもむずかしいよね。
あずさ
太平洋では、機関銃の餌食となり全滅した部隊は数知れず。
いちばん大事なのは、国民がこの報道を疑念もなく信じた事じゃないかしら。
あんなインチキな武勇伝で軍全体に白刃突撃の強さを信じこませた罪は重いわね。

便衣兵と捕虜虐殺

きな子
あとさ。日本軍が殺したのは中国兵が民間人のふりした「便衣兵」だから、いくら殺しても罪にならないとか言ってたけど。これはおかしいよね。
あずさ
「いくら殺しても罪にならない」なんて、いかにもウヨ厨らしい人間味のカケラもない言い草。 ところで、虐殺自体が「東京裁判でのでっち上げ」だったら、なんでそんな細かい所で逃げ道つくるのかしら? まったく不思議な人達(笑)。

非戦闘員に成りすまして襲ってくる「便衣隊」に日本軍が神経質になってたのは確かなこと。でも中国侵攻自体、日本が国際法にそむいた大犯罪で、中国側はそれを防ごうと必死でいたわけなのに、「便衣隊は戦時法規違反!」と騒ぎ立てるとは神経を疑いたくなる恥知らずぶり。

南京での「便衣隊の処刑」だけど。 日本軍が攻めいった時、大勢の逃げおくれた中国兵が、軍服を脱ぎ、民間人にまぎれこんでいたの。日本軍は、それを引っ立てて、片っ端から殺したというのが真相。 仮に本物の便衣兵だとしても、軍事裁判もなしで死刑にするのは国際法無視。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow01_07.htm

日本軍はまた、投降した正規軍に対しても情容赦なし。
捕虜の人数が多すぎて食べさせるものがなかったというのが理由だけど、明白なジュネーブ協定の違反だし、中国人の命を犬コロ以下としか思わなければできない行為でしょう。
きな子
捕虜の処刑だけど。 釈放して対岸に逃がそうとしたら暴動をおこしたので、仕方なく発砲したって言ってる。
あずさ
そう? これが「対岸に逃がそうとした」真相なんだけど。

 『1937年12月14日,南京城北側の幕府山砲台を占領したとき、膨大な中国兵が投降してきた。各中隊はこれを武装解除すると、着のみ着のままのほかは毛布一枚だけ所持を許し、中国兵の「廠舎」だった土壁・草屋根の大型バラックのような建物の列に収容した。

 収容されてかちの捕虜たちの生活は悲惨だった。一日に、小さな支那茶碗″に飯一杯だけ。水さえ支給されないので、廠舎のまわりの排水溝の小便に口をつけて飲む捕虜の姿も見た。

 上からの「始末せよ」の命令のもと、この捕虜群を処理したのは入城式の17日であった。捕虜たちにはその日の朝「長江の長洲(川中島)へ収容所を移す」と説明した。大群の移動を警備すべく、約1コ大隊の日本軍が配置についた。

 四列縦隊で、4キロか5キロの道のりを歩いた。あるいは銃殺の気配を察してか、あるいは渇きに耐えきれずか、行列から突然とびだしてクリーク(水路か沼)にとびこんだ者が、目にした範囲では2人いた。ただちに水面で射殺された。頭を割られて水面が血に染まるのを見て、以後は逃亡をこころみる者はいなかった。

 捕虜の大群は、こうして長江の川岸に集められた。ヤナギの木が点々としている川原である。分流の彼方に川中島が見え、小型の船も二隻ほど見えた。川中島へこの大群を移送するといっても、それらしい船など見えないし、川岸にそのための準備らしい気配もないまま日が暮れようとしている。それどころか、捕虜が集められた長円形状のかたまりのまわりは、川岸を除いて半円形状に日本軍にかこまれ、たくさんの機関銃も銃口を向けている。

 捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたらしい。「刀を奪われてやられた。気をつけよ」という警告が伝えられた。うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎにされていたわけではないから、たとえば他の者が歯でほどくこともできる。

 一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。 半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。---いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な人柱≠ナある。---次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか。そんな人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。』

(山田支隊・栗原利一証言引用)
きな子
…………( 絶句 )…………
あずさ
それから、これが「仕方なく発砲した」ときの心境。

 『生きて逃亡する者があれば捕虜全員殺戮の事実が外部へもれて国際間題になるから、1人でも生かしてはならない。大隊は、それから夜明けまでかかって徹夜で「完全処理」のための作業にとりかかった。死体は厚く層をなしているので、暗やみのなかで層をくずしながら万単位の人間の生死を確認するのは大変だ。そこで思いついた方法は火をつけることだった。綿入れの厚い冬服ばかりだから、燃えだすと容易に消えず、しかも明るくて作業しやすい。着物が燃えるといくら死んだふりをしていても動きだす。

 死体の山のあちこちに放火された。よく見ていると、死体と思っていたのが熱さに耐えきれずそっと手を動かして火をもみ消そうとする。動きがあればただちに銃剣で刺し殺した。靴もゲートル(脚秤)も人間の脂と血でべとべとになっていた。

 こんなひどい「作業」も、「敵を多く殺すほど勝つのだ」「上海いらいの戦友の仇だ」「遺族へのはなむけだ」という心境であれば疑問など起こる余地もなかった。動く者を刺すときの脳裏には、「これで戦友も浮かばれる」と「生き残りに逃げられて証拠を残したくない」の二つの感情だけしかなかった。これも作戦であり、何よりも南京城内の軍司令部からの命令「捕虜は全員すみやかに処置すべし」であった。

 死体の山のあとかたづけで、この日さらに別の隊が応援に動員された。この段階でドラムカンのガソリンが使われ、死体全体が焼かれた。銃殺・刺殺のまま川に流しては、何かとかたちが残る。可能なかぎり「かたち」をかえて流すためであった。しかしこの大量の死体を、火葬のように骨にまでするほどの燃料はないので、焼かれたあとは黒こげの死体の山が残った。これを長江に流すための作業がまた大変で、とても18日のうちには終えることができない。ヤナギの枝などでカギ棒をつくり、重い死体をひっかけて川へ投げこむ作業が、あくる19日の昼ごろまでつづいた。』

(山田支隊・栗原利一証言引用)
きな子
…………( ココは、ボク? アソコは、ダアレ? )…………
あずさ
ショックさせちゃってごめんね。でも、いつか知らないといけない事だし……知るのがあんまり遅いと現実拒否しちゃって、ウヨ厨みたいになっちゃうから。
きな子
昔の日本って、ずいぶん身勝手だったんだ。これじゃ、過去を誇りにできないよ。
あずさ
そんな過去でも勇気をもって見られるきな子ちゃんを、わたしは誇りに思う。
きな子
きゃ〜ん。誇りに思われちゃうと、ゲンキでるー!
あずさ
ウヨ厨がまた変なこと言ったら、教えるのよ。 あいつらは、歴史をいくらでも自分らに都合よく捏造するんだから。だまされないよう、みんなで警戒してないと。






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