表紙 年表 夢遊の人々 ウエルギリウスの帰郷 ウエルギリウスの死 知られざる偉大さ 罪なき人々 魅惑




ウェルギリウスの死

Der Tod des Vergil





原文へ




      水--到着

鋼のように青く軽やかに、それと知られぬほどかすかな逆風にゆり動かされて、アドリア海の波は皇帝の船団にむかってうちよせた。しだいに近まるカラブリア海岸のなだらかな丘を左手にのぞみながら、船団はブルンディシウムの港をさして進んでいた。きらめく陽ざしをあびながらしかも死の予感にみちみちた海のわびしさは、一転して、人間のいとなみのかもしだす平和なほがらかさへとすがたを変え、間近な人間の生活からあまねい光をうけておだやかにかがやく潮は、船団と同様に港をめざすもの、あるいは逆に港から出航するもの、それらさまざまの出船入り船をおのが上に群れつどわせ、褐色の帆をかかげた漁船はすでにいたるところで、夕べの獲物をもとめて、白い波しぶきをあげる岸辺に沿うてつらなるおびただしい村落や移住地の小さな防波堤をはなれた今このとき、海は鏡をのべたように平らかになっていた。その上には真珠母の色に照りはえて、大空の貝が口をひらいていた。たそがれはせまり、槌うつ音や叫び声など、生活の物音が風にはこばれただようてくるたびごとに、かまどにもえる木のにおいがあたりにたちこめた。
集英社世界文学全集7 
「ヘルマン・ブロッホ」
昭和41年5月28日発行 
訳者 川村 二郎   
より




    火 -- 下降


悲        歌

      1

掟と時は
あいわかれて生まれ
ほろぼしあいながらたえず新たに誕生へとみちびき
たがいに映しあい その反映ばかりを眼に投げかける
影像とその照影の連鎖は
時をかこみ 原初の像をかこみ
そのいずれをも全体としてとらえはせず しかも
いよいよ時をはなれ 時をこえ
やがて その共鳴の最後のこだまの中に
いやはてのひとつの象徴の中に
死の象徴は 一切の生の象徴と結合する
それこそは魂の現実の像
そのすみか 時をこえたその今の時
魂の中に成就した掟
その必然。


      2

なぜなら恐怖の最初の門を後にしたものは
現実の前庭に歩み入るのだから。
みずからを見いだし さながらこれがはじめてのように
みずからをめざす彼の認識は
万有の必然 ありとある事象の必然を
わが魂の必然として理解しはじめる。
このような経験を経たものは
存在の統一へかかげ入れられる
万有と人間に共通の 純粋な現在の中へ。
それはかけがえのない魂の富
その力を借りて魂はただよう 必然にみちびかれ
おびやかす口をひらいた無の奈落をこえ
人問の盲〈めし〉いたおろかさをこえてただよう。
永遠につづく問いにひそむ現在の中へ
永遠につづく無知の知 人間の神聖な予知の中へ彼はかかげ
 入れられる。
問いかつ問わねばならぬゆえの無知
すべての問いに先だつゆえの知
最奥の人間にふさわしい必然として
はじめから人間のみにさずけられた神聖な賜。
この必然のために
彼はたえず認識への問いをくりかえさねばならず
たえず認識から問いかけをうける。
答えにおののく人間 答えにおののく認識
認識にしばられた人間 人間にしばられた認識
かたくむすびあったどちらもが 答えを恐れ
予知にひそむ神の現実に
知りつつ投げかける問いの現実のひろがりに うちひしがれ
 ている。
この問いに答えることは いかなる地上の答えにも
いかなる地上の認識にもかなわない しかもそれは
ただこの地上においてのみ答えを得ることができ 答えを
 得なくてはならぬ。
魂のしたがう命令のままに
現実は真実に変じ真実は現実に変ずる
二重の世界形成の変動と化して
この問いの必然は
この地上に成就されるのだ。
緊張して問いかける魂は
真実の幸福の中にかかげ入れられる
認識と間いと形成の命ずるままに
確実な知覚と認識力のあいだに張りわたされ
現実をもとめる真実の中に。
それと同じく
原初の知覚に呼ばれ 知りつつ投げかけるその問いに呼ばれ
偶然を脱した存在の統一を知るその問いに呼ばれ
認識から生まれた知覚へ
その実現へ
偶然をふり捨てた掟の認識へと呼ばれ
魂はたえず出発の用意をしている
みずからの本質にむかって
掟の認識の中で偶然をふり捨てた
おのが被造物の特性 その枠をこえた特性にむかって。
魂の起点と終点はひとつにむすばれ
そこにはじめて人間は人間となる。
なぜなら知覚する魂の認識の奥底に
行為と探索 意志と思考 夢想の
認識の奥底に
人間はかかげ入れられるのだから。
偶然を放棄した無限の現実に
かぎりなく包括的な強大な
青鋼のように堅く しかもやさしく かぎりなく真実な
彼みずからの現実の象徴に
人間はうちひらけ
この象徴のさなかへの
永遠の帰還をのぞみ 帰還を成就する。
みずからの象徴の現在にかかげ入れられ
それが恒常の現実とならんことを願う。
なぜなら人間がかかげ入れられた世界は
「しかもなお」と呼ぶ彼の叫びなのだから
幽閉されたものの叫び
消しがたい自由の叫び
消しがたい認識への意志の叫び
この不屈の意志は
十全に到りえない地上の運命より大きく
みずからをこえてさらに生いたち
人間性の奥底から 巨人のように「しかもなお」と呼ぶ。
まことに 人間はおのが認識の使命へとかかげ入れられ
このとき何ものも 彼を拉致〈らち〉することはできない
まぬがれがたい錯誤にさえその力はなく
錯誤のはらむ偶然は 偶然を脱した
使命の前にはかなく消えうせる。


      3

なぜなら のがれるすべもなく閉じこめられた
錯誤のうちにおいてのみ 錯誤の力を借りてのみ
人間はもとめる存在になるのだから
その本来のすがた
もとめる人間に。
人間は徒労を認識しなければならぬ
その認識の恐怖 一切の錯誤の恐怖を
甘受して 認識しながら滓〈おり〉までのみほさねばならぬ。
彼は恐怖を知覚せねばならぬ
みずからをさいなむためではなく
ただその認知においてのみ
恐怖の超克がはたされるゆえに
恐怖の甲角の門をくぐって
存在に到りつくのは
ただそのときにのみ はたされることであるゆえに。
それゆえにこそ人間は かぎりなく不安定な空間に
かかげ入れられている たゆとう小舟にゆられながら
いかなる船ももはや彼を載せてはいないかのように。
それゆえにこそ人間は おのが知覚の
数かぎりない空間に
知覚する自我の空間に かかげ入れられている。
それこそは人間の魂の運命
だが おのが背後に
恐怖の門の重い扉を閉ざしたものは
すでに現実の前庭に到達している。
彼をかき載せただよわせ 認識のよすがもなくながれるもの
認識の不在 それが彼の知覚の基盤となる。
それはながれにしたがう魂の成育
成就するすべもなく未完の人間の本質。
しかも 自我がみずからを知覚するとき
たちまちゆたかにひろがり 統一と化し
移ろいを知らぬ成育のうちに ながれる万有の統一が
彼に知覚される 同時の生起となって
眼にうつる その現在の力によって
彼をささえる一切の空間を ただひとつの空間と化する
唯一の根源の空間と化する同時性のさなかに。
それはまたこの空間とともに
自我をもみずからのうちにひそめ しかも自我によってささ
 えられ
魂にいだかれしかも魂をいだき
時のうちにやすらいながら時代を規定し
認識の掟にとらわれながら認識を創造し
ながれ行くその成育とともにただよい
たゆたい成育するその生成とともにただよう。
この生成こそは現実の根源
融けあう内と外とのはなつ光は きわみない彼岸の大いさを
 宿し
たゆたいと拘束 解放と幽囚は
弁別しがたくひとつに溶けて澄みとおる。
おお 移ろいを知らぬその必然
おお かぎりないその透明なかがやき
視線と時とこのふたつに知られ
このふたつにすがたを映し 青銅のように堅くしかもやさし
 い手に
大空へとふりむけられた人間のうちひらけた面輪にすがたを
 映し
視線と時と ただそればかりがたどりつく
閉ざされたかしこの上界に
運命につつまれ
星々につつまれ
かねて約束された賜が いとなみの無効をいなむ確証がもえ
 かがやく。
偶然から解きはなたれた 永遠の賜の時
認識にひらけた地上の慰め−−


      4

なぜなら
かぎりなくはるかな境に美はかがやきでるのだから
かぎりないはるけさから 人間にかがやきをおくるのだか
 ら。
認識を遠ざかり 問いを遠ざかり
いともたやすく
美によってきずかれる世界の統一
辛うじて視線のとらえるにすぎない
はるけさのきわみの美しい平衡に 基盤を据えた統一。
それは空間の一切の点に滲透し はるけさでみたし
さながら魔霊のように 最大の矛盾をも
ひとしい序階と意味のうちに溶かしこみ
さらには いよいよ魔霊めいて 点という点の空間のはるけ
 さを 時間のはるけさでみちあふれさす。
時の潮の秤はすべての点で静止する
またしてもおとずれた サトゥルヌスの御世の静謐〈せいひつ〉
消えうせぬ時の 永劫につづく現在
美の現在 そのさまをながめるとき
人間は 直立と成育のさだめを負いつつ しかも
薄明に身を横たえた待機のうちに
ふたたび沈みさることができるかのよう。
上と下との深みのあいだにふたたび横臥し
みずからがおくる待機の視線と ふたたびひとつになり
さながら 認識と問いからまぬがれ
劫初のかなたそのままに 認識と問いを放棄することのでき
 る新たな参与が 深みから許されたとでもいうように
善と悪との弁別を放棄し
課せられた認識の義務をのがれ
新たな それゆえにいつわりの無垢へのがれ
捨てるべきものとはたすべきもの 禍と幸福
残虐と慈愛 生と死
理解を絶するものと明白なもの
それらがわかちがたい唯一の連帯をかたちづくり
統一をきずく美のきずなにからめられ
いとやすらかに とらえる視線にかがやき入ることを 人間
 は期待する。
さればこそあの惑わし−−惑わし惑わされながら
美は魔霊めいた力で一切を摂取する
サトゥルヌスの御世の美の平衡は一切を包容する。
しかしまたそれゆえにこそ 神の生まれ出る前の世への退行
それゆえにこそ人間の記憶は 知ることもかなわぬ
そのかみの生起にさかのぼる。
神より古い創造の生成期の記憶
誓約も知らねば成育も改新も知らぬ
わかちがたい中間の薄明のうちにいとなまれた創造の記憶。
とはいえそれもまた記憶 そして記憶の性〈さが〉として
よし誓約も生育も はたまた改新も知らぬにせよいたく敬
 虔な
はるかに遠い美の魔霊めいた敬虔さ。
いやはての境に遠ざかり
しかも境をふみこえようとはせず
そのかみの始原への帰還をのぞむ
神の生まれ出る前の世の神聖な形相
 美。


      5

悲哀のうちに
美は人間にすがたを現わす。
象徴と平衡との
きびしい完結のうちにすがたを現わし
美を見る自我と 美にみちた世界との
対立のうちにただよいながら魅惑し
そのおのおのを それみずからの空間に局限し
おのおのを みずからの平衡のうちに閉じこめ まさしくそ
 れゆえに
両者を相互の平衡に保ち 共通の空間にやどらせる。
人間にまざまざとすがたを示す
美しい地上の完結性
時にになわれ時に凝結され ただよいながらひろがる
魔法めいた美の空間の完結性 それはもはやいかなる問いに
 くりかえされもせず いかなる認識にひろがりもしない。
うちにはたらく美の平衡に支えられた
反復も拡大も不可能な 恒常の空間の全体性
空間のこの閉じられた全体が そのありとある部分に
そのありとある地点に顕示する さながらそのおのおのが
空間の内奥の境界ででもあるかのように。
すべての形姿 すべての事物 すべての人間のいとなみに
みずからの空間性の象徴となり
すべての実在を止揚するその内奥の境界となって それは顕
 示する。
空間を止揚する象徴 空間を止揚する美
内部と外部の境界のあいだに美が樹立した統一によって
かぎりない有限性の完結によって 空間を止揚する
有限の無限性 人間の悲哀。
境界に生起する事象となって 美は人間にすがたを現わす。
そして内部と外部の境界は
もっともはるかな地平のそれも ただひとつの地点のそれも
無限と有限とのあいだにはりわたされ
はてなく遠く しかもなお地上に しかもなお
地上の時のうちにとどまり 時を局限し停滞させる
空間の境界に曇如〈あんじよ〉たる時間の停滞をひきおこす。
とはいえそれは時を止揚することのない
単なる象徴にすぎぬ 時の止揚を地上にうつす象徴
真実に死をしのぐことたえてない 死の止揚の単なる象徴に
 すぎぬ。
いまだ自己超克にいたらぬ人間性の それは境界
したがってまた 非人間性の境界。
人間の前に現われるのは その本来のすがたにおける
美の生起
有限のうちなる無限
地上にやどる仮象の無限
したがってたわむれ
地上の特性を負うた地上の人間の 無限のたわむれ
地上の窮極の境界に演ぜられる 象徴のたわむれ。
美とはたわむれそのもの
孤独の不安から象徴の助けを借りて−−ほかに成就の見こ
 みはない−−のがれるために
われとわが象徴と 人間の演ずるたわむれ
たえずくりかえされる 美しい自己欺瞞
美への逃亡 逃亡のたわむれ。
そのとき人間の前に現われる 美化された世界の硬直
いかなる成長の力もなく ただ恒常に
反復しつづけるばかりの 局限された美の完壁
仮象の完壁をかたちづくるために たえず新たにもとめられ
 る美の局限。
さらには 美につかえる芸術のたわむれ
その絶望 無常の存在から恒常なるものを生もうとする
その絶望的なこころみ
ことば 音 石 色彩それらを用いて
形成された空間が
後裔〈こうえい〉たちのために美を示す標柱となって
時代を超越することをのぞむこころみ。
あらゆる影像の中に空間をきずく 芸術
人間のうちにではなく 空間のうちにひそみそれゆえに成長
 を知らぬ 不易なるもの。
ただ反復するばかりで成長を知らぬ完壁 けっしてみずから
 に到達することなく 完壁の度を加えるにつれいよいよ絶
 望的となる その完壁性につながれ
発端への永劫の回帰のうちに幽閉され
それゆえに酷薄な
人間の苦悩に対して酷薄な 芸術
というのも 苦悩は芸術にとっては
無常の存在にすぎないのだから
たえざる反復のうちに
美の探索と美の発見のために用いられる
ことば 石 音 色彩以上の意味はもたないのだから。
そして人間にすがたを現わす美の残酷さ
放恣〈ほうし〉なたわむれのうちにたかまる残酷さ。
そのたわむれとは 象徴のうちに無限性の享受を約束するも
 の
認識をあなどる放埒〈ほうらつ〉な享受
地上における仮象の無限性の享受を約束し
それゆえに たちまち苦悩と死とをもたらすもの
なぜなら このことが起きるのははるかな境界の美の領域
わずかに視線と時とはおよびえても
もはや人間性と人間の義務には 到達しえない領域なのだか
 ら。
かくして人間にすがたを現わす 認識なき掟としての美
みずからのために
ひしと閉じ 新たにひろがり展開するすべもなく
わが身を掟とさだめた美の背徳
放埒な欲情にみちた淫奔な
美のたわむれの錠としての享受
美にあふれ 美をあふれさす不変のたわむれ それはみずか
 ら美に酔いしれて
現実の境界を擦過し
時をまぎらせながら しかもそれを止揚することはなく
偶然をもてあそびながら しかもそれを支配することはなく
かぎりなく反復し持続しながら しかも
そもそものはじめから 中絶の運命を負うている
というのも ただ人間的なもののみが神聖なのだから。
かくして人間にすがたを現わす 美の陶酔のあらかじめ敗北
 の運命を負うた賭〈かけ〉
賭の世界の移ろわぬ平衡にもかかわらず
そのたえざる反復の必然にもかかわらず
敗北は避けられない というのも 反復の必然は
同時に敗北の必然でもあるのだから。
避けがたい必然のうちにたがいにとらえあう
反復の陶酔と賭〈かけ〉の陶酔
そのいずれもが 時の持続に隷従し
いずれも薄明のうちにひそみ
成長を知らず その残酷さにおいてはいよいよ昂揚する。
だが 真の成長とは
認識する人間の知覚の成長とは
時の持続の制約も知らず反復からもまぬがれて 時間のうち
 にひろがりながら
時間を無時間へと展開するもの その結果
すべての持続を蚕食〈さんしよく〉しながら 時間はいよいよ現実性をまし
内と外との境界をつぎつぎに引きあけふみやぶり
象徴という象徴を背後に捨てさる そしてたとえ
美の最後の象徴性がそのために破棄されることはなくとも
美の最後の均斉のもつ必然性がそこなわれることはなくとも
それに劣らぬ必然性をもって 美のたわむれにひそむ地上的
 な宿命が
地上の象徴のいたらなさが 暴露される。
美の悲哀と絶望が 白日のもとにさらされ
美の陶酔ははかなくさめ
認識をうしない 認識の喪失のうちに呆然とする
陶酔からさめた自我
その貧しさ−−


     6

なぜなら
神々と人間の特権は笑いなのだから。
蒼古の世にそれは みずからを認識した神から生まれた
沈黙の予感のうちに 神の予知から
みずからの亡びにまつわり
被造物の亡びにまつわる神の予知から それは生まれた。
創られつつ創るいとなみに関与して生きながら
神は世界認識から自己認識へと成育し さらにこれをこえ
笑いのわきでる源
予知の領域へと回帰する。
おお 神々の生誕と人問の生誕 おお 神々の死と人間の死
おお 永遠にもつれからみあう両者の始原と終末
おお 神々すらも神聖ではないと知る
神と人間のひとしくいだく知覚から
彼岸と此岸のあいだに張りわたされた
不穏な 不気味に透明な 魔霊めいた両者の提携から
生まれでる笑い
その提携の おぼろげな魔霊の領域で
神と人間はめぐりあいをはたす あるいはめぐりあいをのぞ
 む。
そして 男神たちのまどいでまず笑いはじめるのがゼウスな
 らば 神々の笑いをひきおこすのはほかならぬ人間
それはさながら
諧謔と厳粛にみちた再認識のたえまない循環のさなかで
動物の挙措が人間の笑いをひきおこすのにひとしく
神が人間のうちに 人間が動物のうちにふたたびわが身を見
 いだす
その消息にひとしい。
かくて動物は 人間によって神へとたかめられ
神は動物を通じて人間へと回帰し
神と人間は悲哀のうちに合一し しかも笑いに打ちひしがれ
 ている というのも
笑いとはすべての圏を倏忽の問に混和するたわむれなのだか
 ら。
その運命の法則によって
神と人間とをあいともに規制し
倏忽の間に露呈する根源の親近性のたわむれ
諸圏を一丸とする大いなるたわむれ
美を破壊し秩序を廃棄し
創造する神性と被造物の性を汞和<こうわ>し
愉しげに両者を偶然にゆだねる 神々のたわむれ。
知覚を統〈す〉べる母神の恐怖と怒り
認識から解きはなたれ認識をあなどる神の嬉戯と冒険
その上にひたひたとあふれる笑い
というのも たちどころに諸圏を結合するこのような嬉戯は
認識と問いのほんのわずかな影もやどさず
そのほかいかなるいとなみも必要とすることなしに
ただ自己放棄のかたちにおいて成就されるのだから。
晴れやかに軽率な
偶然への 時への捨身<しやしん>
思いもかけず予知されたもの 予知された思いもかけぬもの
 へ
欲情にはやる唐突な予知へ
ことと次第によってはまた
死へさえ 身をゆだねて悔いない嬉戯。
きわめがたい領界から生まれる嬉戯 そのあまりの大いさゆ
 えに
掟の最後の残滓はくだけ散り
秩序は失われ 境界もそこにかかる橋も消え
硬直した空間とその美は崩落し
美の空間は崩落し
本源かつ窮極の転回がそこに示現する
認識ははてしない無に帰し 名状するすべもなく言語は消
 え
かけわたす橋もない空間の虚無への転回が。
へだてられかけはなれた 神の予知と人間の予知を
それはくつがえしてひとつにし
神と人間のともにいそしんだ創造を崩壊させそれにかわって
至近の距離に落ちかかる永劫のはるけさを切りひらく。
創造以前の永劫のはるけさの発現
神の予知にさえとらえがたい
記憶ならぬ記憶にやどる創造以前の像の発現
そのはては 現実と非現実
生あるものと生なきもの
意味深いものと忌まわしいものを
むすびあわせて 一様の無思慮と化する
無差別の混沌−−
うかがうよしもない無何有郷<ニルゲントヴオー>の発現
星々は茫洋たる水の底ひにただよい
層々とたたみ重なることもかなわぬほど
遠くはなれたものは何ひとつなく
すべてが滑稽な宙返り はねあがると見れば顛落し
偶然の命ずるままにひとつになるかと思えば散乱して躍りで
 る。
見るも笑止な
時の経過の無差別な偶然にもてあそばれるくさぐさの実体
たがいのうちにひそみ入る
神々の群れ 人問の群れ 動物の群れ 植物の群れ 星の群
 れ。
哄笑の無何有郷の発現
笑いのうちにたちまち顛落する世界
さながら 創造の誓約はかつて存在しなかったかのよう
神と人間がたがいにとりかわす
認識と 現実を生みだす秩序のための誓約
相互の責務をまことの責務と化する助力のための誓約が
かつて存在しなかったかのよう。
おお それこそは叛逆の笑い
いとも心やすげな不信義の笑い
創造以前の邪悪な放逸
それこそは
邪悪な伝来の遺産 激発する哄笑を内にひそめた萌芽
すべての世界創造に その端初からはらまれていた
根絶やしにするすべもない萌芽 それはすでに
創造以前のやさしい優美さをたたえた
晴れやかな 意味ありげな微笑のうちに現われ
創造以前の仮借なさにみちた知覚のうちに現われる。
この知覚の統べるところ 身の毛もよだつものさえ美に酔い
 しれて
同情も凝固し消えさるはるけさへと変容し
さらにはすべてのはるけさをこえ 内外の極限をひとつにむ
 すぶ−−
そしてまた笑いの萌芽は 道化てしかも恐ろしい 無の空間
 の表層に現われる。
時の限界に到達して 美はこの表層にくつがえり
みずからの最深の奥処に横たわるもの
くりかえし美から生まれる 美に生来の
形成するよしもなく 創造にさからう異形<いぎよう>のものを躍りあが
 らす。
美から生まれ 美から躍りたち 美から奔出する
笑い
創造以前の言語−−






運 命 悲 歌
      1

運命よ おまえはすべての神々に先んじて歩む
一切の創造より早く作られた
原初の裸形がおまえだ ただみずからにのみ忠実な
万有に滲透する冷ややかな形体だ。
身ひとつに被造物と創造者を兼ね
行為にしてかつ知覚 かつ解釈
おまえの露〈あらわ〉さは神と人間に滲みとおり
創造された事物に下知をあたえる。
そしておまえが下知したとき 神はみずからの
非在を脱し 父となり
沈黙のさなかから 根源の夜の
母の胎から 光の名を呼ばわり
弁別しがたいものに名をあたえ
形姿なきものを 形姿にもたらしたのだ。
根源の沈黙はその時言語となり 根源の騒擾〈そうじよう〉をうたいながら
諸圏がうたうのは おまえのことばなのだ。
だが夢の中では おお運命よ おまえはそのことばを
ふたたび撤回する 裸形の沈黙のうちにそれを撤回する
おまえの露さのうちに万有を怖ろしくつつみ隠しながら。
そして神は水晶の薄片と化し
光に溶けながら 夢のうつろな穹窿に沈み行く。


      2

夢にひたされ夢のように冷ややかな運命よ おまえは
夢の中でみずからを啓示し その夢を
現実のやすらう往昔の偉大にたかめ
創造の器〈うつわ〉とする そして夢はおまえの力を力とし おまえと
 ともに
時を超えるのだ。なぜならおまえは既往も向後も知らぬ
現実そのものなのだから。−−
おまえの行為は潮のようにただよう おお根源の形体よ 分
 岐しながら
実体をはらみながら 黙然たる巨大な総体の雷雲のあいだを
 縫い おまえの下知のもとにおこなわれた
創造の夜と光のあいだを縫ってそれはただよう しかしおま
 えは
おまえのただよいの錯綜した潮とともに
さまざまにすがたを変える 光へむかって
おまえはながれようとする−−その望みははたされるのか?
−−だが
数多の潮流が目標をめざして交錯し
たがいに制御しあうとき おまえがそこにのべひろげるのは
静止して一体となった 現世の真実に属する物と名ばかり
おまえのすがたを映すため 一体となれよと命ぜられた物と
 名ばかり。
それこそは 運命に刻印された存在の原形
真実の原形。
夢の形は夢の形から生まれ 交叉し展開する
夢の中でおまえはわたしだ わたしの認識だ
未生の天使としてわたしとともに生まれ
偶然の彼岸にあって みずからを認識しつつ生成する
本質と秩序のかがやかしい至上の形姿
わたし自身の形姿 わたしの知覚だ。
神々から解放され 神々を破滅にみちびく運命よ
無限の現実よ わたしもおまえとともに無限だ
死すべきものなるこのわたしも 夢の中で神々を破滅させる
 のだ
なぜならば おまえのうちに移り行き おまえのはなつ光の
 中にただよい消えながら
幼時につつまれて みずから神々の空間と化すのだから。


      3

のがれがたいものよ! わたしはおまえのもとへ昇ったのか
 それとも
おまえの深みへまろび落ちたのか?
形体の深淵
土と下との深淵 夢の深淵よ!
だれも夢の中で笑うことはできない しかしまた
夢の中で死ぬこともかなわない おお それほどまでに
笑いは死に近いのだ おお それほどまでに
笑いと死とは 運命からはるかなのだ だからこそ
この純粋な形体を前にして 死が笑いを教えたことはないの
 だ−−
運命よ しかしそれはおまえの自己欺瞞だ。
死すべきものなるわたし 死に慣れむつび
死によって笑いへと強いられるこのわたしは
おまえに抗い おまえに信をおかない。夢のうちに盲いつつ
 知覚する
このわたしは知っている おまえの死を おまえにおかれた
 限界を
おまえみずからは否認する 夢の限界を。
それを知っているのかおまえは? みずからそれを欲してい
 るのか?
おまえの行為はみずからの下知によって阻止されるのか?
 それとも
おまえの行為はさらに強い意志に従っているのか? おまえ
 の背後に
さらに巨大な のがれがたく見きわめがたい
別の運命が立っているのではなかろうか そしてさらにその
 背後には
おびただしい運命が 空しい形体が
たえて到達するよすがもない無が わずかに偶然とのみ
照応する多産な死が 相つらなりひしめいているのではなか
 ろうか?
すべての掟は偶然と化し 深淵への落下にゆだねられる
おまえさえも おお運命よ おまえの領域でほしいままに荒
 れ狂う
終極の偶然の力によって 偶然へと引きさらわれてしまうの
 だ。
成育はにわかに阻止され 枝から枝と生いたった
認識の枝群はたちどころに砕け落ち 物とことばのうちに散
 乱した
言語の残骸と化する 秩序は崩落し
真実は崩落し 連帯と統一は
漠たる半成状態のうちに 仮象の現実の
存在の茂みのうちに硬直する。
満ちたらぬものを作りなしつつ 運命よ おまえは偶然に甘
 んじ
さらに忍ばねばならぬ 災厄を 漠たる半成を 欺瞞を。
そのときおまえの現実性も失われ 形体の硬直も
もはや無限ではなく 運命の運命よ おまえはわたしといっ
 しょに
水晶の中に封じこめられて 災厄の死に落ちて行くのだ。


      4

たとえ原初のものであろうと 形体は人間にとっては亡び行
 くもの
神にとっても亡び行くもの 非現実のさなかに死滅しながら
紛糾に仮象の統一をあたえる 亡び行くもの。
おお救いがたい形体よ! よし半ばが全体をいつわり装おう
 とも
よしそれが 母たちにも似たかつての根源の夜の
胎にのがれ帰ろうとこころみようと さらにはなお
声高に名乗りをあげて みずから全体を詐称しようとも
呼ばわる父の威をみずから僣しようとも
運命よ おまえを無への帰入から救うものは何ひとつとして
 ないのだ。
われとわが運命に酔いしれて おまえは空しく方角を転ずる
そして世界は 踏みこえがたくとめどなく美のうちに
空しく循環しながら おまえに酔いしれ
死に酔いしれている
なぜなら 創造とは形体以上のものなのだから 区別なのだ
 から
悪を善から分つ力なのだから おお 区別する力こそ
まことに不死の力なのだ。
だが 形体にすぎぬおまえは はたして神と人間を呼びおこ
 し
真実をもとめさせ おまえにかわって
区別する力をゆだねられ 永遠に世界の形体を満たすよう促
 したのか?
この使命をおまえはわたしに課し 創造へ組み入れたのか?
おまえにはその力はない おまえは悪の道具にすぎぬ
災厄を生みだしながら おまえみずからが災厄となり その
 もとに圧しひしがれるのだ。
おお 神はいたずきやつれ 人間はそのひ弱さを
まぬがれんよすがもさらにない−−おまえの手になるこの両
 者とも
おまえとともに より大いな運命につつまれた偶然なのだ
 そして呼びかけられた存在は
おまえにひとしく名を失い 形体にすぎぬその存在は
到達しがたい 見返りもせず進むその存在は
消え行く夢の中で もはやいかなる呼び声も聞かない。


      5

いつ おお いつ?
いつ形体から解放された創造が存在していたのか?
おお いつ創造は運命をまぬがれていたのか? おお 運命
 を知らぬ創造
それは夢もなく 覚醒でも眠りでもなく
ただひとつの瞬間だった 歌だった 一回かぎりの
声 呼びかけるすべもない微笑の呼び声−−
かつて少年がいた
かつて創造があった いつかまたそれは成就されるだろう
偶然から解きはなたれた奇蹟が。


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表紙 年表 夢遊の人々 ウエルギリウスの帰郷 ウエルギリウスの死 知られざる偉大さ 罪なき人々 魅惑