「噂の真相」記事に若干の異議(補足)あり (…ゴールデン街にかかわってきた者のレクイエム)            

(※この稿を読まれた方から、表現におもいやりがない、まだ解決していない問題もある等のアドバイスを受けました。一部語句の訂正と、必要に応じて加筆する場合があります。ご了承ください。なお同「噂の真相」11月号グラビアページの解説文に、以下の稿の多くを要約として取り上げていただいております)

 

 

岡留安則様、西田健様。

噂の真相.9月号「地上げによる低迷から再生を始めた新宿ゴールデン街世代交代の゛新風゛」を拝読させていただきました。

ゴールデン街の現状を幅広く網羅取材され、新旧交代と時代の流れをかなり的確、爽やかなタッチで描かれていると思いました。その一方で、致し方ない事かもしれませんが、今どき蛇口をひねればお湯が出るのは当たり前、といった、いささか極楽とんぼというか…、そんな文章に感じました。

つまり、「街の再生」がテーマみたいですが、そのことに必要な、肝心この上ない2、3の事象がスッポリ抜け落ちているようでしたので、少し補完させていただきたいのです。それらのことをご存知のうえで、あまり意味をなさないと判断されたのか、ご存知なかったのか気になりますが、地味で面白くもないそれらの事柄が、なんとなく風化する前に、一度取り上げておきたいと思います。

では本題です。例えば「●新旧世代交代の進行」…(後半部分)「一時、口を開けば、閉店や立ち退きの話しばかりだったゴールデン街が、出店ラッシュを迎えた理由は単純だった。バブル時代の地上げで塩漬にされてきた物件が、不動産不況や債権処理で一斉に放出されはじめたからだ。」

…と断じておられます。煎じ詰めればそれでも可とすべきなのかもしれません。しかし、ゴールデン街に関する場合、出店ラッシュを迎えるまでの経過はそんなに単純ではなかったんです。それに、それまで不動産不況が継続している中で放出されなかったものが、何故ここに来て突然のように放出されはじめたのか、その根拠も不明瞭です。

確かに、バブル崩壊後、地上げ、立ち退き話しなど消えうせたかに見えていました。

(再び本文を引用)「●新宿ゴールデン街の移り変わり」「その後、バブル崩壊で地上げの嵐は去ったとはいえ、全盛期には200軒以上あった店は140軒近くにまで激減した。通りはネオンが消えかかり、閉鎖された建物ばかりになった。朽ち果てかけた昭和20年代の建物同様、店も、ママも、客も、ただ老いていく「終わった街」。それが90年代中期のゴールデン街シーンだった。」

…8割方、正しいと思います。ただ第三者からみて「終わった街」といえども、そこを基盤に生活を続けている人達が最低でも店の数だけ、家族、従業員などを含めればそれ以上はいたわけです。しかし街にはどうにもならない、という無力感が漂っていたという意味で、「終わりつつある街」ということはできたと思います。ご指摘のように街の何から何までがポンコツで、臨終を待つだけの老齢患者のようでもありました。つまり、率直にいって「自然崩壊を待つだけの街」であったと思います。

どういう事でしょうか。それは飲食店街としては「使えない街」と化していたからなのです。建物同様、店も、ママも、客も、ただ老いていく「終わりつつある街」。

…しかし一方、その背後には非常に重要な問題と、見えざる闘いがあったのです。実際に経験すればすぐに分かることですが、建物はもとより、飲食店街にとっての生命線はまず電気、ガス、上下水道が整っていることです。閉鎖店舗をはじめ散発的に発生していたガス漏れトラブルなら、まだ業者を呼んでの対処療法で解決可能でした。しかし排水・下水のトラブル(下水管の破損や詰まり、汚物汚水の店内への逆流など)は方々で常態化し、くりかえし繰り返し対応せざるを得ない事態は、長らく街を本拠にしてきた多くの営業者にとって頭の痛い、言うに言えぬ暗くて重い問題でした。そんなことも街全体に暗雲垂れ込める閉塞的なムードを醸し出していたのかもしれません。

しかし、その根本的な解決法は各街路(ゴールデン街内の道路は全て地権者の共有私道です)土中深くに埋設された古い下水管を取り替えることしかありませんでした。本来は商店街を所有する地主が総員でインフラ整備すべき問題であったと思いますが、あの時代あの状況はそれを許さず、地上げの嵐には「守ろう会」が結束活躍して、かなりの成果をあげたものの、その後の再生ビジョンへ踏み込むことには、色々な意味でむずかしいものがありました。

ところで地主の土地を店子が勝手に掘り起こすことは違法ということで許されませんでしたし、何千万円も掛かる工事費用など沈滞、無気力になっている街で集めらる訳もありません。仮に集まったとしても、全地主(当時、登記簿上不在地主、実態不明の地主含め約80名)の印鑑証明、承諾書が必要で、うち1人でも反対すれば工事はストップせざるを得ないとのことでした。いずれにしても街を再生し「使える街」にする為には、大掛かりなインフラ整備が必要不可欠の問題になっていたのです。

言い換えるとバブル、地上げ騒動が終息してみると、惨憺たるゴーストタウン化が進行していた訳で、今後の街づくりの話題も大方がタブー、地上げに反対した人でさえ、小さな環境改善の日常活動などでは遠く及ばない雲をつかむような話題から離れていきました。やれる訳がない、100%無理でしょう、なるようにしかならない。…しかしこの論法は地上げ、再開発を待望した人達の息を吹き返すものでもありました。何故ならば、強引な地上げ手法では失敗したものの、何のことはない黙って放置していれば街は自然崩壊する、残った店もそのうちコケていく、あと何年もつだろう、という風潮があったからです。

「一時、口を開けば、閉店や立ち退きの話しばかりだったゴールデン街が、出店ラッシュを迎えた理由は単純だった。バブル時代の地上げで塩漬にされてきた物件が、不動産不況や債権処理で一斉に放出されはじめたからだ。」

…スマートでもっともな文章です。一般論として、同じ問題を抱えた地域にはどこでも該当する便利な論理とも思います。ただ、町内の視点から文面を読んだとき、上記のような格闘を通して次の時代が来た、という意味で大きな欠落があることを指摘せざるを得ないのです。

そして、いかに不動産不況、債権処理とはいえ、「使えない街」で、さらにトラブル続きの不良物件?を、所有者だからといって、そんな単純に(無責任に)一斉放出などできるでしょうか。それにそんな「使えない街」は、少し時間がかかっても大型再開発に踏み切った方がはるかに利益が見込まれたのではないかと思います。

 

では、その後のある時期から何故多数放出されるようになったのでしょうか。

大きく分けて理由は二つあると思います。

 

@「ただ老いていく「終わった街」。それが90年代中期のゴールデン街シーンだった。」(本文より)。

その「終わった街、使えない街」に対する危機意識をバネに、不可能と言われていた下水管取り替え、等々の道路工事インフラ整備が、’95年〜’97年(まさに90年代中期)、ゴールデン街2ブロックのうち新宿S組合の、ごく一部の人が核になり、2年に及ぶ地道な活動と、表に出ぬ様々な障害、妨害などとの闘いの末、区の援助を引き出し、営業者サイドの負担を絞り込む形で実現にこぎつけたこと(※別資料)。

実現が確定的になってしばらくすると、G地主組合からこの際一緒にやりたい旨の打診があり、町内全街路をカバーする事業に発展したこと。(ただ、各街路下水本管は全取替え出来たものの、横に抜ける数十センチの抜け道下に埋設されている分や店舗と店舗が背中合わせになった隙間?に埋設されている分は相変わらず手付かずが多く、トラブルの完全解消とはなっていないようです)

いずれにせよ、このことで、ゴールデン街の基礎環境が一定の若返えりを果たし、営業上の最大のトラブルが取り除かれたことで、当面大型再開発の対象としては考えにくくなった、と言えるのでしょう。

 

A賛否両論のあった「定期借家法」が国会で成立し、2000年3月より施行されたこと。

この法律は、期間限定で賃貸借契約を結ぶことを可能にするもので、閉鎖店舗を放出しても、立ち退きにあたって明け渡し保証金が発生しない貸し手地主側のメリットがあり、借り手店子側にとっても、期間限定とはいえ物件を意外と簡単に貸してもらえるメリットがある。

 

ゴールデン街においては、それらが一斉放出の発火剤になったといえるでしょう。

そして、本で読む、話に聞くゴールデン街。直に見たこともないような、昔懐かしい廃屋だらけの長屋街が、若者たちによって、発見!されはじめた、ということなのではないでしょうか。

 

 

(付記)現役ママが呼び掛けて実現したGAW展(Golden gai Art Waves)[路地から路地へ]開催。'99・9・27〜10・10。 メディア多数が大々的に取り上げ、多数の観客、多数の若者が訪れた。

 

以上。敬具。      2002・8・23  奥山彰彦

 

 

 

(※別資料)

ゴールデン街'97

発端   ’90年代半ば、一地主さん営業のお店のお客さんが町内凸凹道に躓いて転んだという小さなアクシデント報告 / 老朽化によるトラブルの数々 / 神経戦 / 地権者全員の実印・承諾書を集めることが果たして可能か / 繰返される挫折、座礁 /

質問書・嘆願書 / 新宿区賀詞交歓会会場直訴事件 平成8年(’96)1月 / 急展開 / 工期、進捗状況

議事録 / 総会資料(概況1987〜2001年)

辞表添付書類

(奥亭姉妹店展開の契機)


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