羽林家 (清水谷)

羽林家家系別分類表
清水谷
【しみずだに】

本姓:藤原氏。
華族類別録第五十四類。

旧家
内々
一条家門流
藤原北家閑院流。西園寺公経の次男実有を祖とする。
実有は、一条を号したので、実秋までの家名を一条とすることがある。 また、西園寺実宗の子公定を祖とする流れを清水谷流といい、 尊卑分脈によれば、実秋は公定の玄孫公広の養子となっている。
家紋 割菱。
家業 書道・笙・能楽・神楽。
江戸期石高 200石。
明治期爵位 伯爵。明治17(1884)年7月7日清水谷実英が伯爵を授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 蘆山寺。
居所 新在家御門内下ル東側。

清水谷家系図

通季〔西園寺祖〕 ━ 公通 ━ 実宗
┳ 公定〔清水谷流〕
  ┗ 公経 ┳ 実氏〔⇒西園寺・今出川〕
  ┣ 実有 〔号一条〕⇒
  ┣ 実雄〔山階洞院小倉
  ┗ 実藤〔室町
┳ 公持 ┳ 実芿(仁和寺。権僧正。遁世。
  ┃   ┃   宝持院〔尊卑分脈・家譜・
  ┃   ┃   東寺長者補任作威徳寺〕。
  ┃   ┃   東寺長者。徳大寺実基猶子
  ┃   ┃   〔仁和寺諸院家記〕)
  ┃   ┗ 女子(九条忠教室〔*清水谷家譜〕)
  ┣ 公藤 ┳ 実連 ┳ 公有 ┳ 実材
  ┃   ┃   ┃   ┗ 実種 ━ 公澄
  ┃   ┃   ┣ 季有 ━ 宗季 ━ 宗成
  ┃   ┃   ┗ 公尊(園城寺。権少僧都。遁世)
  ┃   ┣ 実嗣(正四位下。
  ┃   ┃   左中将〔家譜作左少将〕。早世)
  ┃   ┣ 実昌(延暦寺。法印権大僧都)
  ┃   ┣ 女子(後宇多院女房)
  ┃   ┗ 有性(仁和寺諸院家記による。
  ┃       宝持院。号大納言僧都)
  ┣ 了遍(仁和寺。法務大僧正。東寺一長者。
  ┃   菩提院。仁和寺諸院家記によれば、
  ┃   号大納言僧正。貞応2(1223)年生。
  ┃   延慶4年3月25日
  ┃   (ユリウス暦:1311年4月14日)入滅)
  ┣ 女子(鷹司兼平室。基忠母)
  ┣ 女子(室町実藤室。公重母)
  ┣ 女子(近衛基平北室)
  ┗ 女子(滋野井公光室。実冬母)
┳ 公次(正五位下右少将。早世。母同公勝)
  ┗ 公勝 ┳ 実勝(早世)
  ┣ 季有
  ┗ 実秋
公知 (正四位下。
    左中将、尊卑分脈作右中将)
実久 ┳ 公夏(橋本公国嗣)
  ┗ 公松 ┳ 実勝(橋本公夏嗣)
  ┗ 実任 ━ 公栄 ━ 実業 ┳ 雅季
  ┣ 重雅(八幡松本坊)
  ┣ 女子(石子〔皇親系等作右子〕。中御門院
  ┃   典侍。贈正三位。皇親系によれば、
  ┃   称権典侍。又民部卿典侍。
  ┃   享保20年9月2日(1735年10月17日)卒)
  ┗ 有季(小倉熈季為子)
┳ 実栄 ┳ 公美 (正四位下。右近衛権中将。
  ┃   ┃   母吉田良延女。
  ┃   ┃   明和9年9月5日(1772年10月1日)
  ┃   ┃   卒22歳〔家譜による。
  ┃   ┃   知譜拙記作明和元年9月5日
  ┃   ┃   (1764年9月30日)22歳〕)
  ┃   ┣ 陳季(公美嗣)
  ┃   ┣ 啓実(*家譜による。近江国芦浦観音寺)
  ┃   ┣ 慈観(*家譜による。近江国芦浦観音寺)
  ┃   ┣ 女子(*家譜・公卿補任による、
  ┃   ┃   系図纂要作公美女。東久世通武室)
  ┃   ┗ 女子(押小路実茂室。
  ┃   ※清水谷家譜によるが、
  ┃   押小路家譜等によれば
  ┃   公連の母は陳季女とある)
  ┣ 従季押小路実岑嗣)
  ┣ 保季薮嗣義嗣)
  ┣ 女子(宝光院恵岳)
  ┗ 公潤(東叡山円珠院)
陳季 (実実栄男。母同公美。右少将。
    従四位下。寛延3(1750)年生。
    明和8年7月2日(1771年8月12日)卒)
公寿 ┳ 実揖
  ┗ 澄覚(近江国芦浦観音寺)
┳ 公正          
  ┣ 宝澄(近江国多賀尊勝院)
  ┣ 女子(徳川家上臈)
  ┣ 男子(早世)
  ┣ 公愛裏辻実孚嗣)
  ┗ 咸麿(実二条斉信七男)
※以下、清水谷家譜の表記に従ったが、公正の後を実睦が嗣ぎ、その後を公考が嗣いでいるようだ。
┳ 公考 (母家女房。正四位。旧侍従。
  ┃   弘化2年9月6日(1845年10月6日)生)
  ┣ 実睦 (従五位下。
  ┃   天保5年11月17日(1834年12月17日)生。
  ┃   嘉永7年3月23日(1854年4月20日)卒。
  ┃   葬于西京蘆山天台講寺。号誠孝院)
  ┣ 女子 (元徳川家上揄ヤ園。天保2年4月生)
  ┣ 女子 (鳥取県士族荒尾清妻。天保3年11月生)
  ┣ 観静 (近江国芦浦観音寺。
  ┃   天保7年4月29日(1836年6月12日)生)
  ┣ 実穆 (山科安朱村農山村為養子。
  ┃   天保13年6月生)
  ┣ 実循 (権律師東叡山勧善院附弟)
  ┣ 女子 (豊子。禁中女房隠居。嘉永2年11月生)
  ┣ 女子 (教部大輔宍戸璣妻。
  ┃   嘉永5年10月7日(1852年11月18日)生〔華族鑑〕)
  ┗ 男子 (鼎丸。明治5年2月18日(1872年3月26日)生)
実英 (積丸〔家譜〕。
    慶応2年4月5日(1866年5月19日)生〔家譜・華族名鑑〕。
    夫人橋本実梁女秀子〔現代華族譜要〕)

清水谷家公卿一覧

藤原 実有
[ 建仁3(1203)年 〜 文応元年4月17日(ユリウス暦:1260年5月28日) ]
西園寺公経二男。母権少僧都範雅女(異説母安藝権守仲経女)。
元仁2年正月5日(ユリウス暦:1225年2月13日)叙従三位。
正元2年2月15日(ユリウス暦:1260年3月28日)出家。
正二位・権大納言。
※母は尊卑分脈によれば、源雅頼女。没日は尊卑分脈によれば、28日。
藤原 公持
[ 安貞元(1227)年 〜 文永5年10月28日(ユリウス暦:1268年12月3日) ]
実有一男。母陸奥守平義時女。号柳原〔尊卑分脈〕。
仁治3年正月5日(ユリウス暦:1242年2月6日)叙従三位。
正二位・権大納言。
※生年は、公卿補任の没年齢42歳から計算したもの。 初見時の年齢から計算すると、安貞2(1228)年生。
藤原 公藤
[ 嘉禎元(1235)年 〜 弘安4年5月21日(ユリウス暦:1281年6月9日) ]
実有男。母陸奥守平義時女。
建長6年12月7日(ユリウス暦:1255年1月16日)叙従三位。
弘安4年4月28日(ユリウス暦:1281年5月17日)出家。
正二位・権大納言。
藤原 実連
[ ? 〜 正和3年3月15日(ユリウス暦:1314年3月31日) ]
公藤男。母家女房(斎藤判官宗康女)。
弘安4年3月23日(ユリウス暦:1281年4月13日)叙従三位。
正和4(1281)年以降、不見。
正二位・非参議。
※没年・母名は、尊卑分脈による。
一条 公有
[ 永仁4(1296)年 〜 観応3/正平7年正月4日(ユリウス暦:1352年1月21日) ]
実連男。
文保2年2月11日(ユリウス暦:1318年3月14日)叙従三位。
正二位・権中納言。
一条 実材(本名実勝)
[ 延慶2(1309)年 〜 ? ]
公有男。母家女房。法名・源覚。
暦応3/興国元年7月19日(ユリウス暦:1340年8月12日)叙従三位。
応安2/正平24年3月30日(ユリウス暦:1369年5月6日)出家。正二位・権大納言。
一条 公勝
[ ? 〜 康応元/元中6(1389)年 ]
実材男。母中御門経宣女。
応安7/文中3年11月1日(ユリウス暦:1374年12月4日)叙従三位。
正三位・権中納言。
一条 実秋
[ ? 〜 応永27年4月21日(ユリウス暦:1420年6月2日) ]
公勝男。
応永15年正月24日(ユリウス暦:1408年2月21日)任参議。
従二位・権大納言。
清水谷 実久
[ 永享4(1432)年 〜 明応7年12月18日(ユリウス暦:1499年1月29日) ]
左中将公知朝臣男。一条実秋孫。
長禄2年7月20日(ユリウス暦:1458年8月28日)叙従三位。
葬地播磨国広山村。〔家譜〕
正二位・権大納言。
清水谷 実任(本名忠定・忠治)
[ 天正15年6月30日(※「日本暦日原典」によると、天正15年6月は小の月) 〜 寛文4年6月7日(1664年7月29日) ]
右少将従四位上阿野季時朝臣男(実季時孫)。中絶相続。
母家女房〔系図纂要によれば、母家女房但馬住人山名宗意女〕。
号慈順院〔系図纂要作、慈順院心月祖收〕。入道素快〔家譜〕
寛永13年正月5日(1636年2月11日)叙従三位。
寛文元(1661)年月日出家。
葬于西京浄華院別松林院〔家譜〕
正二位・権大納言。
清水谷流を相続する。
※系図纂要によれば、生年は、天正14年。
※家譜によれば、従三位叙位日は、寛永18年正月5日(1641年2月14日)。
清水谷 実業
[ 慶安元年3月4日(1648年4月26日) 〜 宝永6年9月10日(1709年10月12日) ]
左中将公栄男。実三条西実条の孫。母実任女〔公卿補任作実条女。家譜作公栄女〕
号醒泉院〔系図纂要作、醒泉院芳苑唫秋〕
天和元年11月21日(1681年12月30日)任参議。
葬于西京蘆山天台講寺〔家譜〕
正二位・権大納言。
※知譜拙記には元鳴滝家相続とある〔家譜は元鳴瀧右京大夫〕。
公卿補任尻付
慶安元年3月4日(1648年4月26日)誕生。
寛文元年7月16日(1661年8月10日)叙爵。
同月18日〔家譜〕元服昇殿右京大夫(于時号鳴瀧。院参)。
寛文5年正月5日(1665年2月19日)従五位上。
寛文9年正月5日(1669年2月5日)正五位下。
寛文12年12月13日(1673年1月30日)為公栄朝臣子。
同22日左少将〔家譜作17日〕
寛文13年正月5日(1673年2月21日)従四位下。
延宝3年正月5日(1675年1月30日)従四位上。
延宝4年12月23日(1677年1月26日)左中将〔家譜作延宝5年12月23日〕
延宝6年9月16日(1678年10月31日)正四位下(去正五分)。
清水谷 雅季
[ 貞享元年9月28日(1684年11月5日) 〜 延享4年10月7日(1747年11月9日) ]
実業男。母家女房。号無量光院。
享保4年6月6日(1719年7月22日)任参議。
葬于西京蘆山天台講寺〔家譜〕
正二位・権大納言。
清水谷 家季(改名実栄)
[ 享保7年正月22日(1722年3月9日) 〜 安永6年7月3日(1777年8月5日) ]
雅季男。母阿野公緒女。号蓮華誠院〔家譜は、蓮華浄院〕
宝暦2年5月13日(1752年6月24日)任参議。
葬于西京蘆山天台講寺〔家譜〕
正二位・権大納言。
清水谷 公寿(本名兼邦)
[ 宝暦9年10月10日(1759年11月29日) 〜 享和元年7月4日(1801年8月12日) ]
実栄三男(実吉田良延末子)。母吉田良延女。号普光院〔家譜此同。系図纂要作、善光院〕
寛政6年2月6日(1794年3月7日)任参議。
葬于西京蘆山天台講寺〔家譜〕
正三位・権中納言。
※系図纂要・諸家知譜拙記よれば、右少将従四位下陳季朝臣嗣子。
※家譜・系図纂要よれば、生年日は、14日。
清水谷 実揖
[ 天明2年5月10日(1782年6月20日) 〜 嘉永4年2月20日(1851年3月22日) ]
公寿男(実徳大寺実祖次男)。母家女房(実母家女房)。号普光明院。
文化13年9月22日(1816年11月11日)任参議。
葬于西京蘆山天台講寺〔家譜〕
正二位・権大納言。
清水谷 公正
[ 文化6年2月18日(1809年4月2日) 〜 明治16(1883)年3月2日 ]
実揖男。母家女房。
萩原員維女幾久。
文久2年2月15日(1862年3月15日)任参議。
明治元年時、正三位・権中納言(60才)。
藤原北家閑院流。藤原(西園寺)実宗の子公定を祖とする一流。⇒ 清水谷流
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※最終更新日 2017.09.17


南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家