奈良華族

奈良華族とも称され、明治維新時は、奈良興福寺の住職であったが、勅令をもって復飾した。
非藤原氏の梶野・小松・西五辻・南岩倉の4家は、一代に限り堂上に加えられ、明治2年12月19日(1870年1月20日)に終身華族、明治9(1876)年5月31日に永世華族となった。
藤原氏の22家は、明治2年3月6日(1869年4月17日)に堂上格となり、明治8(1875)年3月23日に華族となった。

【あわたぐち】
葉室顕孝の六男で興福寺養賢院住職の定孝が明治元年に復飾して、一家を創始する。明治2(1869)年3月に堂上格となり、同年5月、従五位下に叙し、粟田口を称姓する。明治8(1875)年、華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に定孝が男爵を授爵。石高50石。
粟田口定孝
[ 天保8年12月21日(1838年1月16日) 
 ? ]
 
葉室顕孝六男。夫人奥村信厚女孝子。
【いまぞの】
芝山国典の養子(実坊城俊政二男)で、興福寺賢聖院住職の国映が慶応4(1868)年4月に復飾し、今園を号す。明治2(1869)年3月、堂上格となる。明治8(1875)年3月28日、華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に国映が男爵を授爵。石高50石。
今園国映
[ 嘉永4年5月25日(1851年6月24日) 
 明治26(1893)年4月12日 ]
 
土師神社祠官兼狭山神社祠官〔華族鑑〕
夫人高瀧小藤治三女セイ〔華族鑑作静子。安政6年3月3日(1859年4月5日)〕
【うずまさ】
桜井供秀の次男で、興福寺慈尊院住職の供親を祖とする。50石。 明治8年3月28日被列華族〔華族名鑑〕。明治17(1884)年7月8日に供康が男爵を授爵。
[ 文政12(1829)年 
 明治5年5月19日(1872年6月24日) ]
 
桜井供秀男。母家女房。
夫人高野保美女周子。
※生没年は太秦家譜に従った。桜井家譜は明治4(1871)年12月26日卒で、
文政12(1829)年生。 華族家系大成の生年は文政11(1828)年5月17日。
※華族家系大成によれば、実は堀河康親男。
【かじの】
石井行弘の次男で、興福寺無量寿院住職の行篤を祖とする。40石。明治17(1884)年7月8日に行篤が男爵を授爵。
[ 天保4年10月12日(1833年11月23日) 
 明治38(1905)年4月21日 ]
 
石井行弘男。母姉小路公春女。
夫人山本実城女栄子。
夫人佐野吉次三女多見。
嘉永5年10月生。
大正9年3月逝。
〔※華族鑑作多見子。明治2年8月朔日(1869年9月6日)生〕。
【かわべ】
油小路隆晃の三男で、興福寺勧修坊住職の隆次を祖とする。明治2(1869)年3月賜堂上格。50石。 明治17(1884)年7月8日に隆次が男爵を授爵するが、明治33(1900)年3月に爵位返上〔現代華族譜要〕
河辺隆次
[ 元治元(1864)年3月 
 ? ]
 
油小路隆晃三男。
夫人熊子〔華族鑑。華族家系大成によると、亀井仙吉女〕。
慶応2年5月21日(1866年7月3日)生。
※生年は、現代華族譜要によるが、華族鑑・華族家系大成は元治元[文久4]年2月13日(1864年3月20日)とある。
【きたおおじ】
二条治孝 の十九男で大乗院僧侶の隆温を祖とする。慶応4年4月29日(1868年5月21日)復飾。 阿野公誠の次男で、興福寺東北院住職の季敏を祖とする。明治3(1870)年2月賜堂上格〔北大路家譜。大日本華族大鑑・華族大系作明治2年3月〕。 21石〔現代華族譜要・華族大系〕。明治8(1875)年3月23日華族被列〔北大路家譜〕。 公久が明治17(1884)年7月8日に男爵を授爵〔現代華族譜要〕
[ ? 
 明治3年2月6日(1870年3月7日) ]
 
阿野公誠男。
慶応2(1866)年東北院相続〔北大路家譜〕
明治3(1870)年2月叙従五位下〔北大路家譜〕
北大路実慎
[ 安政4年12月(1858年) 
 ? ]
 
実滋野井実在男〔北大路家譜〕
明治2(1869)年11月家督相続〔北大路家譜〕
※生年は、華族類別譜(明治15年)によるが、平成新修旧華族家系大成作安政5年12月9日(1859年1月12日)。
北大路公久
[ 慶応元(元治2)年正月1日(1865年1月27日) 
 明治28(1895)年9月 ]
 
実高松実村三男〔現代華族譜要〕
明治12(1879)年5月承〔現代華族譜要〕
※生年は、華族名鑑による。
※没年は、現代華族譜要によるが、平成新修旧華族家系大成作明治28(1895)年8月11日。
【きたかわはら】
四辻公績の四男〔現代華族譜要によれば五男〕で、興福寺中蔵院住職の公憲を祖とする。45石。明治17(1884)年7月8日に公憲が男爵を授爵。
北河原公憲
[ 弘化2年11月15日(1845年12月13日) 
 明治25(1892)年4月 ]
 
四辻公績男。母広橋胤定女。
夫人政子。
※生年は、華族名鑑・華族家系大成による。
※没月日は、華族家系大成によれば、3月8日。
【こまつ】
石井行弘の三男で、興福寺不動院住職の行敏を祖とする。慶応4(1868)年4月30日(※慶応4年4月は、小の月)依勅命帰俗。 明治18(1885)年5月2日、行正が男爵を授かる。
小松行敏
[ 弘化3年3月16日(1846年4月11日) 
 明治14(1881)年9月27日 ]
 
石井行弘三男。母姉小路公春女。
夫人上田忠敬女田鶴。
【さがら】
富小路敬直の次男で、興福寺慈門院住職の富道を祖とする。35石。綱直が明治17(1884)年7月8日男爵となる。
相楽富道
[ 万延元年11月21日(1861年1月1日) 
 明治13(1880)年8月8日 ]
 
富小路敬直二男。母貝塚木庵女。
【さぎはら】
甘露寺勝長の四男〔鷺原家譜作三男〕で、興福寺恵海院住職の量長が、 慶応4(1868)年4月に復飾して、新家を創立。明治2(1869)年3月賜堂上格。同年11月改号鷺原〔甘露寺家譜作5月4日〕。 明治8(1875)年3月28日被列華族。明治17(1884)年7月8日男爵となるが、明治21(1888)年5月に爵位返上〔現代華族譜要。官報第1457号によると7日〕。石高40石4斗4升。
鷺原量長
[ 安政5年12月20日(1859年1月23日) 
 ? ]
 
甘露寺勝長男。母田原有信女。
夫人池田荘造女鈴(離縁)。
文久2(1862)年興福寺恵海院相続。
※生年は、華族鑑・華族家系大成による。
【しかぞの】
三条実起の七男で、興福寺喜多院住職の空晁を祖とする。50石。旧高280石〔華族鑑〕。明治17(1884)年7月8日に実博が男爵を授爵〔現代華族譜要〕
鹿園空晁
[ 文化11(1814)年2月 
 明治7(1874)年3月30日 ]
 
三条実起七男。幼名千代君〔大日本華族大鑑〕
※生年は、華族家系大成による。
鹿園実博
[ 慶応2年5月20日(1866年7月2日) 
 大正11(1922)年2月 ]
 
実戸田忠綱二男。幼名亥五郎〔大日本華族大鑑〕
明治6(1873)年6月3日為空晁養子〔大日本華族大鑑〕
明治7(1874)年6月承。
明治12(1879)年12月叙従五位〔大日本華族大鑑〕
明治31(1898)年6月叙従四位〔大日本華族大鑑〕
※生年は、華族名鑑による。
【しばこうじ】
芝山国豊の次男(芝小路家譜作三男。華族家系大成によれば、実は坊城俊明七男)で、興福寺成身院住職の豊訓が慶応4(1868)年4月に復飾し、 明治2(1869)年3月堂上格。同年11月改号芝小路。 明治8(1875)年3月28日に華族に列せられ従五位に叙す。豊俊が明治17(1884)年7月8日男爵となる。石高50石。
芝小路豊訓
[ 天保元年12月25日(1831年2月7日) 
 明治16(1883)年12月29日 ]
 
芝山国豊男。
天保8(1837)年成身院相続。
※生没年は、華族家系大成による。
【しばてい】
裏辻公愛の三男で、興福寺龍雲院住職の実忠を祖とする。40石。 明治2(1869)年3月賜堂上格。同年11月改号芝亭。明治8(1875)年3月28日被列華族。
芝亭実忠
[ 安政6年6月16日(1859年7月15日) 
 ? ]
 
裏辻公愛男。母清水谷実揖養女〔裏辻家譜〕。夫人森可造長女奈加。
慶応3(1867)年龍雲院相続。
【すぎたに】
山科言縄の三男で、興福寺妙徳院住職の言長を祖とする。50石。明治2(1869)年3月賜堂上格。 同年11月改号杉渓。明治17(1884)年7月8日に言長が男爵を授爵。
杉渓言長
[ 慶応元年閏5月13日(1865年7月5日) 
 昭和19(1944)年10月30日 ]
 
山科言縄三男。母野宮定祥女。
夫人坪野幸次郎長女(小田切重路養女)茂子。
慶応4(1868)年妙徳院相続。
【たけぞの】
甘露寺愛長の次男で、興福寺宝掌院住職の用長が明治元(1868)年に復飾。 明治2(1869)年3月賜堂上格。同年12月改号竹園。 明治8(1875)年3月23日に華族に列せられる。康長が明治17(1884)年7月8日に男爵となるが、明治32(1899)年8月に返上。石高50石。
竹園用長
[ 天保9年12月25日(1839年2月8日) 
 明治12(1879)年1月 ]
 
甘露寺愛長次男。母今城定成女。
天保15(1844)年宝掌院相続。
※生年は、平成新修旧華族家系大成による。
※没年月日は、平成新修旧華族家系大成によると、明治12(1879)年6月12日。
【ながお】
勧修寺顕彰の四男で、興福寺惣珠院住職の顕慎が復飾して、長尾を称す。 明治8(1875)年3月23日、華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に顕慎が男爵を授爵(明治20(1887)年1月爵位返上)。石高50石。
長尾顕慎
[ 嘉永4(1851)年9月 
 ? ]
 
勧修寺顕彰四男。母正四位川越前兵庫頭亡定堅女。号尊栄。
夫人押小路公亮長女息子〔平成新修旧華族家系大成〕
万延2(1861)年惣珠院相続。
※生日は、平成新修旧華族家系大成によると、1日。
【なかがわ】
甘露寺愛長の五男で、興福寺五大院住職の興長が明治元(1868)年に復飾し、中川家を興す。明治8(1875)年3月23日、華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に興長が男爵を授爵。石高50石。
[ 嘉永6(1853)年10月 
 大正9(1920)年5月 ]
 
甘露寺愛長男。母今城定成女。堯祐。
夫人楢子(安政4年2月7日(1857年3月2日))〔華族鑑〕
※生年は、華族鑑によれば、嘉永4年10月20日(1851年11月13日)。平成新修旧華族家系大成によると、嘉永6年10月20日(1853年11月20日)。
※没日は、平成新修旧華族家系大成によると、15日。
【にしいつつじ】
五辻高仲 の三男で、興福寺明王院住職の文仲を祖とする。40石 〔現代華族譜要〕。明治17(1884)年7月8日に文仲が男爵を授爵。
西五辻文仲
[ 安政6年正月7日(1859年2月9日) 
 昭和10(1935)年4月17日 ]
 
五辻高仲三男。母家女房。夫人裏松勲光女為子。
※生日は、平成新修旧華族家系大成によると、1日。
※没年月日は、平成新修旧華族家系大成による。
【ふじえ】
飛鳥井雅典 の次男で、興福寺清浄院住職の雅之を祖とする。明治2(1869)年3月堂上格。 明治2(1869)年11月改号藤枝。明治8(1875)年3月28日被列華族。明治17(1884)年7月8日に雅之が男爵を授爵。 50石 〔現代華族譜要・藤枝家譜〕
[ 安政2年11月8日(1855年12月16日) 
 大正11(1922)年3月 ]
 
飛鳥井雅典二男。母花山院家厚女。夫人伏原宣足長女民子。
※生没年は現代華族譜要による。
※母名は藤枝家譜による。
没日は、平成新修旧華族家系大成によると、17日。
【ふじおおじ】
堀河康親 の三男で、興福寺学侶延寿院住職の納親を祖とする。50石。明治17(1884)年7月8日に納親が男爵を授爵。
藤大路納親
[ 文政10年10月6日(1827年11月24日) 
 明治27(1894)年1月 ]
 
堀河康親三男。母勧修寺経逸女。夫人六条有言五女。
※生年月日は堀河家譜による。
※没年は現代華族譜要による。
※母名は堀河家譜による。
【ほづみ】
坊城俊明 の子(昭和新修華族家系大成によれば、 実は、坊城俊政男)で、興福寺玉林院住職となっていた俊弘が、 慶応4(1868)年4月に復飾。明治2(1869)年5月賜堂上格〔家譜〕。明治2(1869)年11月改号穂穙。明治8(1875)年3月28日に華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に俊香が男爵を授爵。石高50石。
穂穙俊弘
[ 弘化元(天保15)年5月15日(1844年6月30日) 
 明治9(1876)年8月 ]
 
坊城俊明男。
夫人山科言縄長女牧子〔平成新修旧華族家系大成〕
嘉永4(1851)年玉林院相続。
※生年は、平成新修旧華族家系大成による。
【まつぞの】
二条治孝 の十九男で大乗院僧侶の隆温を祖とする。慶応4年4月29日(1868年5月21日)復飾。 明治2年2月3日(1869年3月15日)改号松園。明治2年3月6日(1869年4月17日)賜堂上格。明治8(1875)年3月23日華族に列せられる。明治17(1884)年7月8日に尚嘉が男爵を授爵。
松園隆温
[ 文化8年正月1日(1811年1月25日) 
 明治8(1875)年3月16日 ]
 
二条治孝男。母家女房。知麿。
松園尚嘉
[ 天保11年4月7日(1840年5月8日) 
 明治36(1903)年6月 ]
 
隆芳。実九条尚忠三男。母家女房。夫人石野基佑長女満子。
※没日は、平成新修旧華族家系大成によると、30日。
【まつばやし】
上冷泉為則 の五男で、興福寺松林院住職の為成を祖とする。明治8(1875)年3月23日被列華族。 明治17(1884)年7月8日に為美が男爵を授爵〔現代華族譜要〕。明治29年12月爵位返上。
松林為成
[ ? 
 明治6(1873)年6月1日 ]
 
上冷泉為則男。法名・実雅。
※生年は、平成新修旧華族家系大成によると、文政8年6月15日(1825年7月30日)。
【みなみ】
広橋伊光の八〔広橋家譜による〕男で、 興福寺修南院住職の光度を祖とする。明治8(1875)年3月28日被列華族〔華族名鑑〕。 養子光利が明治17(1884)年7月8日男爵となる。
南光度
[ ? 
 明治7(1874)年4月21日 ]
 
広橋伊光男(実豊岡和資男)。母家女房。
※生年は、平成新修旧華族家系大成によると、寛政10(1798)年生。
【みやがわ】
近衛忠熈の八男で一乗院門跡法嗣となっていた忠起が明治元年に特旨を以て復飾し、水谷川姓を賜る。 明治2年堂上格となる。明治17(1884)年7月8日に忠起が男爵を授爵。
[ 嘉永元年3月17日(1848年4月20日) 
 大正12(1923)年5月 ]
 
近衛忠熈八男。母島津斉興女〔水谷川家系譜〕。幼名応照〔人事興信録3版〕
夫人・大谷光勝二女堯子。
※没日は、平成新修旧華族家系大成によると、25日。
【みなみいわくら】
岩倉具視の二男具義(興福寺正知院僧侶、明治元年復飾)が明治3(1870)年2月9日に称姓する。明治17(1884)年に具義の子具威が男爵となる。
[ 天保13年11月18日(1842年12月19日) 
 明治12(1879)年2月25日 ]
 
岩倉具視二男。母家女房。
広橋胤保女。
※華族家系大成によれば、堀河康親養子。

【きたばたけ】
久我建通の四男通城を祖とする。明治3(1870)年12月17日華族に列せられる。明治17(1884)年男爵。
[ 嘉永2年10月5日(1849年11月19日) 
 明治21(1888)年12月 ]
 
久我建通四男。母家女房。
夫人広幡忠礼女富子〔華族家系大成〕
夫人石山基正長女正子〔現代華族譜要・華族家系大成〕
※生年は、華族家系大成による。
※没年は、現代華族譜要によるが、華族家系大成作明治21(1888)年10月15日。
【たままつ】
山本公弘の次男真弘を祖とする。真弘は元、醍醐寺の僧侶。明治2年正月19日(1869年3月1日)堂上家に列される〔玉松家譜〕。 30石3人扶持。明治17(1884)年、真幸が男爵となる。
玉松真弘
[ 文化7年3月17日(1810年4月20日) 
 明治5年2月15日(1872年3月23日) ]
 
山本公弘男。母家女房。旧名・毅軒〔現代華族譜要〕、操。
明治3年10月3日(1870年10月27日)任侍読。
明治3年12月17日(1871年2月6日)家禄254石1斗永世可下賜之旨被。
明治5年2月12日(1872年3月20日)以山本実政次男永丸為養子譲家督。
葬清浄華院。
※玉松家譜を基本とした。
【つるどの】
九条尚忠の五男で、随心院住職の忠善が、明治5(1872)年5月13日復飾し、 明治22年に断絶していた殿(又号、月輪)を再興する。 「」の字は後に「鶴」に改められた。明治22年12月18日男爵を授爵〔現代華族譜要〕
[ 嘉永5年4月28日(1852年6月15日) 
 明治38(1905)年3月 ]
 
九条尚忠五男。母家女房。岡山県士族伊木忠恭養子。
夫人醍醐忠順二女親子。
※生年は、華族鑑による。
※没年・夫人名は、現代華族譜要による。
※没年は、平成新修旧華族家系大成によると、明治28(1895)年3月11日。
【にしたかつじ】
太宰府安楽寺天満宮別当家。高辻以長の子の信厳が明治元年に復飾し、西高辻を称した。明治15年に華族に列される。明治17(1884)年7月男爵。
西高辻信厳
[ 弘化3年9月20日(1846年11月8日) 
 明治32(1899)年1月 ]
 
高辻以長男。
夫人黒田諸左衛門女宗子。
※没年日は、平成新修旧華族家系大成によると、29日。
【にゃくおおじ】
山科言知の二男で、聖護院院家若王子住職の遠文が、明治元年に復飾し、明治2年に堂上格となる。 明治17(1884)年7月8日男爵授爵〔現代華族譜要〕。旧高30石三人扶持〔華族鑑〕。
[ 文政11年7月17日(1828年8月27日) 
 明治31(1898)年2月10日 ]
 
山科言知男。母家女房。法名・雄厳。
夫人持明院基政二女治子〔持明院家譜現・代華族譜要〕
※没年は、平成新修旧華族家系大成による。
【ひがしさんじょう】
三条実美の二男公美が明治15(1882)年1月に分家し、華族となる。明治17(1884)年7月8日男爵。 明治19(1886)年8月東三条に改姓。後、本家相続。
[ 明治8(1875)年5月8日 
 大正3(1914)年1月30日 ]
 
夫人松平慶永八女千代子。
※生年は、華族名鑑.明治22年版三条実美項による。
【まつがさき】
甘露寺勝長の三男(実堤哲長男)の万長が、慶応3(1867)年10月24日、堂上に列せられる。石高30石三人扶持(後、254石1斗)。版籍奉還時に華族となる。 明治29(1896)年10月爵位返上〔現代華族譜要。官報第3997号によると、22日〕
松崎万長
[ 安政5年10月13日(1858年11月18日) 
 大正10(1921)年2月3日 ]
 
甘露寺勝長男(実堤哲長男)。母田原有信女(実母山本縫殿女)。
童名・長丸、後、高丸、又、延丸。
夫人田子悦次郎長女トリ〔平成新修旧華族家系大成〕
明治17(1884)年7月8日男爵授爵〔現代華族譜要〕
※松崎家譜を基本とした。
※生年は、平成新修旧華族家系大成によると、安政6年10月13日(1859年11月7日)。
※没年月日は、平成新修旧華族家系大成による。
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※最終更新日 2015.10.23