源氏(他12流)

嵯峨源氏
仁明源氏
文徳源氏
清和源氏
陽成源氏
光孝源氏
宇多源氏
醍醐源氏
村上源氏
花山源氏
三条源氏
後三条源氏
順徳源氏
後嵯峨源氏
後深草源氏
 
源氏には21流あるが、上述の血脈から公卿を輩出している。
この他の源氏に、
冷泉源氏(第63代)。
後白河源氏(第77代)。
亀山源氏(第90代。※臣籍降下の例はないが、尊卑分脈に項目がある)。
後二条源氏(第94代。※臣籍降下の例はないが、尊卑分脈に項目がある)。
後醍醐源氏(第96代)。
正親町源氏(第106代)⇒ 正親町天皇・  広幡家。
が、ある。
このような、臣籍降下の理由に天皇家の財政難が指摘される。
文徳源氏 このページの最初へ戻る
第54代

文徳天皇

生年 天長4(827)年8月〔本朝皇胤紹運録・皇代畧記〕
没年 天安2年8月27日(ユリウス暦:858年10月7日)〔本朝皇胤紹運録・皇代畧記〕
崩於冷然院親成殿〔日本三代実録〕
異称 道康〔本朝皇胤紹運録・皇代畧記〕。田邑帝〔本朝皇胤紹運録・皇代畧記〕
仁明天皇。
藤原冬嗣女順子〔本朝皇胤紹運録・皇代畧記〕
配偶者
中宮
〔尊卑分脈〕
藤原明子 藤原良房女。母嵯峨天皇皇女正三位潔姫〔皇親系作贈正一位〕。従一位。号染殿太后
天長6(829)年生〔皇親系〕
天安2年11月25日(ユリウス暦:859年1月2日)為中宮〔尊卑分脈〕
貞観6年正月7日(ユリウス暦:864年2月17日)為皇太后宮〔大鏡裏書〕
元慶元(貞観19)年正月7日(ユリウス暦:877年1月24日)為太皇太后〔尊卑分脈による。大鏡裏書作元慶6年正月7日(ユリウス暦:882年1月29日)〕
昌泰3年5月23日(ユリウス暦:900年6月22日)崩御〔大鏡裏書・皇親系〕
女御 藤原古子 藤原冬嗣女。順子妹。
嘉祥3(850)年為女御。叙従三位下。進従一位。
貞観3(861)年落飾。
女御 東子女王 父不詳。
嘉祥3(850)年為女御。叙従四位下。
貞観7年6月10日(ユリウス暦:865年7月6日)卒。
女御 藤原年子 父不詳。
嘉祥3(850)年為女御。
女御 藤原多可幾子 ※尊卑分脈多賀幾子。藤原良相女。
嘉祥3(850)年為女御。叙正五位下。進従四位下。
天安2年11月14日(ユリウス暦:858年12月22日)卒〔系図纂要・皇親系〕。
女御 藤原是子 父不詳。
嘉祥3(850)年為女御。
更衣 紀静子 紀名虎女。従四位上。号三条町〔尊卑分脈〕。
貞観8(866)年2月卒〔皇親系〕。
滋野岑子 滋野貞雄女。従五位上。
滋野奥子 滋野貞主女。
藤原今子 藤原貞守女。
藤原列子 藤原是雄女。
伴氏。 父不詳。
多治氏 父不詳。
清原氏 父不詳。
菅原氏 父不詳。
布勢氏 父不詳。
在位 嘉祥3年3月21日(ユリウス暦:850年5月6日)〜天安2年8月27日(ユリウス暦:858年10月7日)
皇居 平安宮。
陵名 田邑山陵〔本朝皇胤紹運録。皇代畧記作9月6日葬。日本三代実録作葬於真原山陵〕

文徳源氏系図

文徳天皇 ┳ 惟喬親王 ┳ 兼覧王 ━ 王女(※皇親系による)
  ┃   ┗ 三国町(古今作者。或紀名虎女種子)
  ┣ 惟條親王 ┳ 景式王(従四位下)
  ┃   ┗ 直子女王(斎院。為惟彦子)
  ┣ 惟彦親王 ┳ 惟世王 ━ 平 寧幹〔文徳平氏
  ┃   ┗ 直子女王(実惟條親王女。斎院。仁和5(889)年卜定)
  ┣ 清和天皇
  ┣ 惟恒親王(母藤原貞守女今子。三品。兵部卿。延喜4年4月8日(ユリウス暦:904年5月25日)薨)
  ┣ 儀子内親王(一品。斎院。859〔貞観元〕年10月5日卜定。母藤原良房女明子。
  ┃   天慶3年閏6月5日薨〔※皇親系作閏10月5日だが、天慶3年は平年〕)
  ┣ 恬子内親王(斎宮。859〔貞観元〕年10月5日卜定。母紀名虎女静子。
  ┃   延喜13年6月18日(ユリウス暦:913年7月24日)薨)
  ┣ 述子内親王(斎院。857〔天安元〕年2月28日卜定。母紀名虎女静子。
  ┃   寛平9年11月21日(ユリウス暦:897年12月18日)薨)
  ┣ 濃子内親王(母滋野貞主女奥子。
  ┃   延喜3年9月10日(ユリウス暦:903年10月3日)薨)
  ┣ 勝子内親王(無品。母滋野貞主女奥子。貞観13年7月28日(ユリウス暦:871年8月17日)薨)
  ┣ 礼子内親王(母藤原貞守女今子。昌泰2年10月7日(ユリウス暦:899年11月13日)薨)
  ┣ 掲子内親王(本朝皇胤紹運録作楊子。斎宮。882〔元慶6〕年4月7日卜定。
  ┃   母藤原貞守女今子。延喜14年2月23日(ユリウス暦:914年3月22日)薨)
  ┣ 晏子内親王(母藤原是雄女列子〔本朝皇胤紹運録作則子〕。斎宮。
  ┃   850〔嘉祥3〕年7月9日卜定。昌泰3年7月20日(ユリウス暦:900年8月17日)薨)
  ┣ 慧子内親王(無品。斎院。850〔嘉祥3〕年7月9日卜定。母藤原是雄女列子。
  ┃   元慶5年正月6日(ユリウス暦:881年2月8日)薨)
  ┣ 珍子内親王(無品。母紀名虎女静子。貞観19年正月24日(ユリウス暦:877年2月10日)薨〔
  ┃   皇親系作元慶元年4月24日(ユリウス暦:877年6月9日)〕)
  ┣ 源 能有 ⇒ 〔 能有孫 〕
  ┣ 源 毎有(母多治氏。仁寿3(853)年賜姓。従四位下。天安2(858)年落飾)
  ┣ 源 時有(母清原氏。仁寿3(853)年賜姓。天安2(858)年落飾)
  ┣ 源 本有 ━ 綏之(従四位下。因幡守)
  ┣ 源 定有 ┳ 雅固 ━ 実時 ┳ 惟信(或雅信)
  ┃   ┃   ┣ 能信
  ┃   ┃   ┗ 景日(僧)
  ┃   ┣ 雅胤(従五位下。摂津守)
  ┃   ┗ 女子(藤原恒佐妾。有相卿母)
  ┣ 源 載有 ┳ 邦紀 ┳ 仲文
  ┃   ┃   ┗ 千恵(僧)
  ┃   ┗ 清廉 ┳ 行方
  ┃   ┣ 行義
  ┃   ┗ 忠全
  ┣ 源 行有 ━ 清雅 ━ 三総
  ┣ 源 富有(仁和3〔887〕年卒)
  ┣ 源 憑子(従四位上。仁寿3(853)年賜姓)
  ┣ 源 謙子(仁寿3(853)年賜姓)
  ┣ 源 奥子(仁寿3(853)年賜姓)
  ┣ 源 列子(仁寿3(853)年賜姓)
  ┣ 源 済子(仁寿3(853)年賜姓。清和天皇女御。従四位上)
  ┣ 源 富子(母菅原氏。貞観3(861)年賜姓)
  ┣ 源 淵子(本朝皇胤紹運録作滋子。母滋野貞雄女岑子。貞観3(861)年賜姓。
  ┃   延喜11年4月12日(ユリウス暦:911年5月13日)卒)
  ┗ 源 修子(※皇親系による)

能有孫

  源 能有 ┳ 当元 ━ 人鑑 ━ 兼遠 ┳ 崇年
  ┃   ┣ 慶助(僧)
  ┃   ┗ 暹清(僧)
  ┣ 当時 ┳ 忠相 ┳ 為泰
  ┃   ┃   ┗ 為国
  ┃   ┣ 相平(左近将監)
  ┃   ┣ 相職 ┳ 惟繇
  ┃   ┃   ┣ 惟正 ┳ 遠古 ┳ 匡輔(従五位下。
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   母豊前守輔近女)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 匡斎(所雑色。出家)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 遠節(従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 遠理(右〔尊卑分脈作左〕将監。
  ┃   ┃   ┃   ┃   出家惟円)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 兼宣 ━ 章経 ━ 公則
  ┃   ┃   ┃   ┣ 惟章(左兵佐。左少将。従五位上。
  ┃   ┃   ┃   ┃   母藤原国章女)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 兼業 ━ 懐信 ━ 定懐(山。権律師)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 兼資 ┳ 頼仲(山城守。正五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 頼兼(伊勢守。従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┃   ┃   ┗ 兼相(本名遠相。蔵人。紀伊守)
  ┃   ┃   ┣ 惟長
  ┃   ┃   ┗ 惟光
  ┃   ┣ 当相(蔵人)
  ┃   ┣ 相明
  ┃   ┣ 相国 ┳ 忠直 ━ 弘重(蔵人。因幡守)
  ┃   ┃   ┣ 忠教
  ┃   ┃   ┣ 忠信 ━ 行成
  ┃   ┃   ┣ 弘景(従五位下。因幡守)
  ┃   ┃   ┣ 忠直 ┳ 弘景
  ┃   ┃   ┃   ┣ 永静(僧)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 覚叡
  ┃   ┃   ┣ 忠光(左衛門尉)
  ┃   ┃   ┣ 忠義 ━ 嘉範
  ┃   ┃   ┣ 忠清
  ┃   ┃   ┗ 忠敏 ┳ 遠光
  ┃   ┃   ┣ 重光
  ┃   ┃   ┗ 仁玄
  ┃   ┣ 中明 ━ 方光(従五位下。筑前守)
  ┃   ┗ 寛延(権律師〔尊卑分脈作律師〕)
  ┣ 当鑑(従五位下。陽成院御給)
  ┣ 当方 ┳ 純忠 ━ 憲章
  ┃   ┗ 紀仁 ━ 宗利
  ┣ 当年 ┳ 中正 ┳ 国頼 ┳ 忠信(五位)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 忠臣
  ┃   ┃   ┃   ┗ 忠節
  ┃   ┃   ┗ 国光 ┳ 致書 ┳ 著信(肥後守源為親子云々。
  ┃   ┃   ┃   ┃   上総介。従五位上)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 光清(伊賀守。従五位上)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 光成 ━ 兼成
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(或国光子云々。
  ┃   ┃   ┃   後朱雀院梅壺女御乳母。
  ┃   ┃   ┃   号上総乳母)
  ┃   ┃   ┣ 致遠 ┳ 致道(致書為子。内匠頭。従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 安道(遠江守。従五位上)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 桓舜(或和気兼信子。延暦寺。
  ┃   ┃   ┃   天王寺別当。法性院座主)
  ┃   ┃   ┣ 致治 ━ 忠貞(蔵。因幡守。平惟仲為子)
  ┃   ┃   ┣ 致時 ┳ 頼任(式。従五位下。伊勢守)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 頼仲(山城守。造酒正。正五位上)
  ┃   ┃   ┗ 遠瞻
  ┃   ┗ 中理
  ┣ 当純 ┳ 安直 ━ 惟信
  ┃   ┗ 世似(或安直子。内匠允)
  ┣ 当季 ┳ 仲舒 ┳ 致明(従五位上。土佐守。和泉守。母紀有守女)
  ┃   ┃   ┣ 時明 ┳ 方基(実致明男。従五位下。伊賀守)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 方弘(文。蔵。阿波守。為致明子)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(歌人)
  ┃   ┃   ┣ 致節
  ┃   ┃   ┗ 増ト(僧)
  ┃   ┣ 仲堪(木工允)
  ┃   ┣ 仲連 ━ 忠良(下総守)
  ┃   ┗ 輔増(僧。正五位下)
  ┣ 厳子女王(清和天皇女御。藤原滋子)
  ┣ 柄子女王(清和御息〔貞純親王〕室)
  ┗ 照子女王(正五位下昭子。母藤原基経女。藤原忠平室。
  師輔等母)
■色の名前は公卿。
源 能有[ 承和12(845)年 〜 寛平9年6月8日(ユリウス暦:897年7月11日) ]
文徳天皇第一皇子。母伴氏。号・近院大臣。
貞観14年8月25日(ユリウス暦:872年10月1日)任参議。
正三位・右大臣〔寛平9年6月16日(ユリウス暦:897年7月19日)贈正一位〕。
源 当時[ 承和14(847)年 〜 延喜21年5月4日(ユリウス暦:921年6月12日) ]
能有一男。
延喜11年9月13日(ユリウス暦:911年10月7日)任参議。
従三位・中納言。
※生年は、没年齢を75歳(尊卑分脈・公卿補任の最終年条)として、逆算。没年齢は、65歳、54歳とも。
源 惟正 [ 延喜6(906)〔929?〕年 〜 天元3年4月29日(ユリウス暦:980年6月14日) ]
左大弁従四位下相職男。源当時孫。母従五位上源当平女。
天延2年2月7日(ユリウス暦:974年3月3日)任参議。
従三位・参議。
※生年は延喜6となっているが、各年に記載された年齢から逆算すると、延長7(929)年となる。
尊卑分脈も延長7(929)年生。

陽成源氏 このページの最初へ戻る
清和源氏の陽成出自説によれば、源経基は、陽成天皇の子元平親王の子となるが、尊卑分脈等の従来の説に従う。陽成天皇の譲位についても、日本三代実録による病弱説と、愚管抄による暴君であった為、陽成天皇の母高子の兄の摂政藤原基経(藤原良房養子)らが、譲位を迫ったとする説がある。
第57代

陽成天皇

生没年 貞観10年12月16日(ユリウス暦:869年1月2日)〜天暦3年9月29日(ユリウス暦:949年10月23日)
異称 貞明。
清和天皇。
藤原長良女高子。
配偶者
綏子内親王 光孝天皇皇女。
姣子女王 是忠親王女。※本朝皇胤紹運録・系図纂要作母姊子女王。父不詳。
藤原氏 主殿頭藤原遠長女。
紀氏 父不詳。号紀君。
伴氏 父不詳。※一説伴保平女。
佐伯氏 父不詳。
在位 貞観18年11月29日(ユリウス暦:876年12月18日)〜元慶8年2月4日(ユリウス暦:884年3月4日)
皇居 平安宮。
陵名 神楽岡東陵。

陽成源氏系図

陽成天皇 ┳ 元良親王 ┳ 佐材王(或佐村王。従五位上)
  ┃   ┣ 佐時王(中務大輔。従四位上、或従五位上。母神祇伯藤原邦隆女)
  ┃   ┣ 佐頼王 ━ 良子女王(※皇親系による)
  ┃   ┣ 佐兼王(従五位上、或従五位下)
  ┃   ┣ 源佐芸(宮内卿。従四位下〔皇親系作従四位上〕。
  ┃   ┃   母宇多天皇第七内親王誨子)
  ┃   ┣ 源佐平(刑部卿、本朝皇胤紹運録作中務大輔。従五位上)
  ┃   ┗ 源佐親
  ┣ 元平親王 ┳ 女子(後撰作者。※皇親系によれば藤原兼通室)
  ┃   ┣ 源兼名(従四位下)
  ┃   ┗ 〔経基※1
  ┣ 元長親王 ━ 源兼明(侍従。従四位上。中務少輔)
  ┣ 元利親王 ┳ 源忠時(従五位上・中務権大輔、紹運録作従四位上・中務大輔)
  ┃   ┗ 平子女王(※皇親系による)
  ┣ 長子内親王(母同元長。無品。延喜22年11月4日(ユリウス暦:922年11月25日)薨)
  ┣ 儼子内親王(母同元長。無品。延喜8年3月9日(ユリウス暦:908年4月12日)薨)
  ┣ 源清蔭 ┳ 兼房 ┳ 延幹※2 ┳ 兼行 ━ 兼任(書博士)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 祐頼(石見守従五位下。
  ┃   ┃   ┃   改姓於安倍云々)
  ┃   ┃   ┗ 相奉※3 ━ 良任
  ┃   ┣ 忘江 ━ 真頼(従五位下)
  ┃   ┣ 兼材 ━ 高雅(治部少輔。従五位下)
  ┃   ┗ 兼基(左衛門佐。従五位上)
  ┣ 源清鑑 ┳ 公貞(従五位下)
  ┃   ┣ 公輔
  ┃   ┗ 公雅(従五位下。太宰少弐)
  ┗ 源清遠 ┳ 景明(周防介。従五位上)
  ┗ 有忠(長門守。従五位上)
※1 源頼信告文による。
※2・※3 本朝皇胤紹運録作真頼子。
■色の名前は公卿。
源 清蔭[ 元慶8(884)年 〜 天暦4年7月3日(ユリウス暦:950年8月18日) ]
陽成天皇皇子。母紀氏(号紀君)。
延長3年正月30日(ユリウス暦:925年2月25日)任参議。
正三位・大納言。
 
花山源氏 このページの最初へ戻る
半家・ 白川家を参照。
源 資顕⇒白川家
源 康仲⇒白川家
源 定兼⇒白川家
後三条源氏 このページの最初へ戻る
第71代

後三条天皇

生没年 長元7年7月18日(ユリウス暦:1034年9月3日)〜延久5年5月7日(ユリウス暦:1073年6月15日)
異称 尊仁。金剛行。延久帝。
後朱雀天皇
禎子内親王(陽明門院)。
配偶者
皇后 馨子内親王 後一条天皇第二皇女。
藤原茂子 藤原公成女。藤原能信為子。母藤原知光女。 康平5年6月22日(ユリウス暦:1062年7月30日)卒〔皇親系〕。贈従二位。延久5年5月6日(ユリウス暦:1073年6月14日)贈皇太后。
女御 源基子 源基平女。従五位下。准三宮。永承2(1047)年生。長承3年7月2日(ユリウス暦:1134年7月24日)薨。
女御 藤原昭子 藤原頼宗女。母藤原伊周女。従三位。
藤原氏 近江守藤原実経女。
在位 治暦4年4月19日(ユリウス暦:1068年5月22日)〜延久4年12月8日(ユリウス暦:1073年1月18日)
皇居 平安宮。
陵名 円宗寺陵。

後三条源氏系図

後三条天皇 ┳ 白河天皇
  ┣ 実仁親王(母源基平女基子。延久3(1071)年生〔皇親系作2月10日〕。
  ┃   応徳2年11月8日(ユリウス暦:1085年11月27日)薨)
  ┣ 輔仁親王 ┳ 源有仁
  ┃   ┣ 守子女王(号伏見斎宮。母同有仁。天永2(1111)年生。
  ┃   ┃   久寿3年3月29日(ユリウス暦:1156年4月20日)薨。
  ┃   ┃   白河院猶子〔皇親系〕)
  ┃   ┣ 怡子女王(斎院。号北小路。母大蔵卿源行宗女。白河院猶子〔皇親系〕)
  ┃   ┣ 信証(仁和寺。法務。僧正。東寺一長者。母備中守源政長女。
  ┃   ┃
西院。世号堀池。号宮僧正。法浄院〔皇親御事蹟作宝浄院〕。
  ┃   ┃
承徳2(1098)年生。永治2年4月8日(ユリウス暦:1142年5月5日)卒)
  ┃   ┣ 仁操(延暦寺。法眼〔皇親系〕。少僧都。号応仁。住浄土寺〔皇親系〕)
  ┃   ┗ 行恵 ┳ 円暁(園城寺。号宮法眼。母源為義女。久安元(1145)年生。
  ┃   ┃   正治2年10月26日(ユリウス暦:1200年12月4日)入)
  ┃   ┗ 尊暁(号浜別当。阿闍梨。鶴岡八幡宮寺社務職次第による)
  ┣ 聡子内親王(一品准三后。母藤原茂子。永承5(1050)年生。
  ┃   治暦4(1068)年為内親王〔皇親系〕。
  ┃   延久5(1073)年落飾為尼住仁和寺〔皇親系〕。
  ┃   天承元年9月4日(ユリウス暦:1131年9月26日)薨)
  ┣ 俊子内親王(斎宮。号樋口。二品〔皇親系〕。母同。天喜4(1056)年生。
  ┃   治暦4(1068)年為内親王〔皇親系〕。
  ┃   天承2年閏4月6日(ユリウス暦:1132年5月22日)薨〔皇親系5日〕)
  ┣ 佳子内親王(斎院。三品〔本朝皇胤紹運録作二品〕。号富小路。母同。
  ┃   大治5年7月25日(ユリウス暦:1130年8月30日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 篤子内親王(三品〔皇親系〕。賀茂斎院〔皇親系〕。堀河院中宮。
  ┃   母同。或藤原師実養女。
  ┃   康平3(1060)年生〔皇親系〕。治暦4(1068)年為内親王〔皇親系〕。
  ┃   嘉承2(1107)年落飾〔皇親系〕。
  ┃   永久2年10月1日(ユリウス暦:1114年10月30日)崩御〔皇親系〕)
  ┣ 皇子(※纂輯御系図による。母近江守藤原実経女行子。康平3(1060)年生、夭〔皇親系〕)
  ┣ 皇子(※纂輯御系図による。母後一条天皇皇女馨子内親王。
  ┃   康平5年9月5日(ユリウス暦:1062年10月10日)生、即日夭〔皇親系〕)
  ┣ 皇子(※纂輯御系図による。母同)
  ┗ 皇女(※纂輯御系図による。母同。※皇親系作第二子。
      永承7(1052)年正月生。6月4日夭)
■色の名前は公卿。
※系図纂要によれば、有仁の後、良仁 - 遠景と続く。
源 有仁[ 康和5(1103)年 〜 久安3年2月13日(ユリウス暦:1147年3月16日) ]
輔仁親王男。母源師忠女。号・花園左大臣。法名・成覚。
元永2年8月14日(ユリウス暦:1119年9月20日)叙従三位。
久安3年2月3日(ユリウス暦:1147年3月6日)出家。
従一位・左大臣。
順徳源氏 このページの最初へ戻る
第84代

順徳天皇

生没年 建久8年9月10日(ユリウス暦:1197年10月22日)〜仁治3年9月12日(ユリウス暦:1242年10月7日)
異称 守成。佐渡院。
後鳥羽天皇。
藤原範季女重子〔修明門院〕。
配偶者
皇后 藤原立子 東一条院。九条良経女。母藤原能保女。
承安3(1173)年生〔女院記作建久3(1192)年。皇親系作建久2(1191)年〕。
承元4年12月14日(ユリウス暦:1210年12月31日)叙従三位〔女院小伝。女院記作12日〕。
同19日為女御〔女院記作29日〕。承元5年正月22日(ユリウス暦:1211年2月7日)為中宮。
貞応元年6月25日(ユリウス暦:1222年8月4日)院号〔女院記・本朝女后名字抄作承久4年3月25日(ユリウス暦:1222年5月7日)〕。
嘉禄2年8月7日(ユリウス暦:1226年8月31日)為尼清浄観、戒師良快僧正〔女院小伝。※女院記作安貞元(1227)年〕。
宝治元年12月21日(ユリウス暦:1248年1月18日)崩〔女院小伝・皇親系・系図纂要〕。
藤原氏 坊門信清女。
藤原氏 藤原範光女。
藤原氏 藤原清季女。
源氏 法印公雅女。称宰相局。
在位 承元4年11月25日(ユリウス暦:1210年12月12日)〜承久3年4月20日(ユリウス暦:1221年5月13日)
皇居 平安宮。
陵名 大原陵。

順徳源氏系図

順徳天皇 ┳ 仲恭天皇
  ┣ 忠成王 ┳ 彦豊王(王子加々。母藤原範能女)
  ┃   ┣ 源彦仁 ┳ 忠房 ━ 彦良 ━ 彦忠(従四位上。左中将)
  ┃   ┃   ┣ 承鎮法親王
  ┃   ┃   ┗ 守子内親王
  ┃   ┣ 王女(※皇親系による。称北白川宮)
  ┃   ┣ 尊忠(延暦寺。僧正。梶井。入江。母藤原範能女〔諸門跡譜〕)
  ┃   ┣ 益助(仁和寺。大僧正。上乗院。慈雲寺。母藤原範茂女)
  ┃   ┗ 承恵(延暦寺。僧正。小川)
  ┣ 彦成王(母藤原範光女)
  ┣ 善統親王 ┳ 尊雅王 ┳ 志玄(※皇親系による。落飾為僧。住天龍寺。創建慈済院。
  ┃   ┃   ┃   弘安5(1282)年生。
  ┃   ┃   ┃   延文4/正平14年2月16日(ユリウス暦:1359年3月15日)卒。
  ┃   ┃   ┃   謚仏慈禅師)
  ┃   ┃   ┣ 聖通(※皇親系による。初適法印善法寺了性〔了清(通清)〕。
  ┃   ┃   ┃   後落飾為尼創営瑞雲山通玄寺。居曇華院。延慶2(1309)年生。
  ┃   ┃   ┃   嘉慶2/元中5年11月25日(ユリウス暦:1388年12月24日)卒。
  ┃   ┃   ┃   ※系図纂要・謚号考によれば善成女。紫陽智泉聖通)
  ┃   ┃   ┗ 善成〔 四辻 〕
  ┃   ┣ 深恵(東寺。僧正。一音院。皇親系作深慧)
  ┃   ┣ 行助(※皇親系による。落飾為僧)
  ┃   ┗ 仁昭(※皇親系による)
  ┣ 尊覚法親王(母従三位藤原清季女。天台座主。梶井。号中山宮。二品〔梶井門跡略系譜。
  ┃   天台座主記作無品〕。牛車。建保3(1215)年生〔皇親系作7月〕。
  ┃   文永元年10月27日(ユリウス暦:1264年11月17日)薨)
  ┣ 覚恵法親王(園城寺長吏。聖護院。真如院。母同)
  ┣ 諦子内親王(明義門院。准三宮。母藤原良経女立子〔東一条院〕。建保5(1217)年生〔女院小伝の
  ┃   没年齢27歳から計算。没年齢は或29歳。
  ┃   皇親系作建保5年3月22日(ユリウス暦:1217年4月29日)生〕。
  ┃   寛元元年3月29日(ユリウス暦:1243年4月19日)薨)
  ┣ 穠子内親王(永安門院。理智覚〔皇親系作理知覚〕。准三宮。母坊門信清女。
  ┃   建保4(1216)年生。弘安2年11月21日(ユリウス暦:1279年12月25日)薨)
  ┗ 皇子(※纂輯御系図による。母法印公雅女。建保5年2月30日(ユリウス暦:1217年4月7日)生〔皇親系〕)
■色の名前は公卿。
源 彦仁[ ? 〜 永仁6年3月23日(ユリウス暦:1298年5月5日) ]
忠成王男。母藤原範能女。
永仁5年6月25日(ユリウス暦:1297年7月15日)叙従三位。
正三位・非参議。
源 忠房[ 弘安8(1285)年 〜 貞和3/正平2(1347)年7月 ]
彦仁男。母二条良実女。二条兼基猶子。後宇多天皇養子。
法名・禅恵〔皇親系作禅意〕。
正安4年7月21日(ユリウス暦:1302年8月15日)叙従三位(越階)。
元応元(文保3)年2月28日(ユリウス暦:1319年3月20日)為無品親王。
従二位・権中納言。
※生年は、皇親系の没年齢63歳から計算。
※母名は公卿補任・本朝皇胤紹運録による。尊卑分脈二条系図項作二条師忠女。
※没年は、系図纂要・公卿補任の彦良の喪父日によるが、皇親系作貞和3/正平2年6月2日(ユリウス暦:1347年7月10日)。
源 彦良[ 生没年不明 ]
忠房男。母小倉実教女。
建武元年7月9日(ユリウス暦:1334年8月9日)叙従三位。
永和3/天授3(1377)年出家。
従二位・参議。
四辻 善成[ 嘉暦元(1326)年 〜 応永9年9月3日(ユリウス暦:1402年9月29日) ]
順徳天皇三世尊雅王男。善統親王孫。号四辻。又号清閑寺〔本朝皇胤紹運録〕
号松岩寺左大臣〔謚号考〕。法名・常勝。
延文元(文和5)/正平11年正月6日(ユリウス暦:1356年2月7日)叙従三位。
応永2年8月29日(ユリウス暦:1395年10月12日)出家。
従一位・左大臣。
後嵯峨源氏 このページの最初へ戻る
第88代

後嵯峨天皇

生没年 承久2年2月26日(ユリウス暦:1220年4月1日)〜文永9年2月17日(ユリウス暦:1272年3月17日)
異称 邦仁。素覚。
土御門天皇。
源通宗女通子。
配偶者
皇后 藤原姞子 大宮院。西園寺実氏女。母四条隆衡女従一位貞子。
嘉禄元(1225)年生。
仁治3年4月28日(ユリウス暦:1242年5月29日)叙従三位。6月3日入内。
6月10日女御。8月9日中宮。
宝治2年6月18日(ユリウス暦:1248年7月10日)院号。
文永9年2月23日(ユリウス暦:1272年3月23日)為尼遍智覚。
正応5年9月9日(ユリウス暦:1292年10月20日)薨
典侍 平棟子 平棟基女。初四条天皇掌侍。称兵衛内侍。従一位。准三宮。称大納言二位局。
更衣 藤原氏 大炊助藤原俊盛女。称二条局。
藤原氏 三条公房女。御匣殿。
藤原氏 九条良平女。
典侍 源氏 中院通方女。称大納言典侍。
典侍 藤原氏 四条隆衡女。称勾当内侍。又、按察三位局。
藤原公子 西園寺公経女。称大納言三位局。従三位。
藤原氏 藤原孝時女。掌侍。称勾当内侍。又、刑部卿局。又、坊門局。
藤原氏 法眼証円女。九条兼良養女。
藤原氏 藤原実世女。
藤原氏 藤原能保女。称左衛門督局。※円助法親王の母は、増鏡によれば中将公宗女。
源氏 父不詳。源頼政曾孫。
在位 仁治3年正月20日(ユリウス暦:1242年2月21日)〜寛元4年正月29日(ユリウス暦:1246年2月16日)
皇居 平安宮。
陵名 嵯峨南陵。

後嵯峨天皇系図

後嵯峨天皇 ┳ 宗尊親王 ┳ 惟康 ┳ 仁澄(日光山別当・天台座主。本覚院。大僧正。源恵僧正弟子)
  ┃   ┃   ┣ 増恵(園城寺。法住寺。道瑜僧正資)
  ┃   ┃   ┣ 聖恵(※皇親系无。或久明親王子。天台座主)
  ┃   ┃   ┣ 増珍(園城寺。法住寺。大僧正)
  ┃   ┃   ┗ 女子(久明親王御息所。守邦親王母。
  ┃   ┃     嘉元4年7月20日(ユリウス暦:1306年8月29日)薨〔皇親系〕)
  ┃   ┣ 真覚 ┳ 宗治
  ┃   ┃   ┗ 王女(※皇親系による。侍後醍醐天皇宮後賜塩谷高貞)
  ┃   ┣ 瑞子(永嘉門院。法名妙法智。母源〔堀川〕通具孫女〔具教女〕。亀山天皇養女。
  ┃   ┃   文永9(1272)年生。正安4年正月20日(ユリウス暦:1302年2月18日)准三宮。同日院号。
  ┃   ┃   元徳元年8月29日(ユリウス暦:1329年9月22日)薨)
  ┃   ┗ 掄子(後宇多天皇後宮。准三后)
  ┣ 後深草天皇
  ┣ 皇子(※皇親系による。母中院通方女大納言局。寛元元年11月21日(ユリウス暦:1244年1月2日)生。即日夭)
  ┣ 恒尊親王(無品。母西園寺実氏女大宮院)
  ┣ 亀山天皇
  ┣ 雅尊親王(母西園寺実氏女大宮院。建長6年閏5月28日(ユリウス暦:1254年7月14日)生〔皇親系〕。
  ┃   建長8年9月25日(ユリウス暦:1256年10月14日)薨)
  ┣ 貞良親王(母同。建長8年4月10日(ユリウス暦:1256年5月6日)生〔皇親系〕。
  ┃   正元2年3月7日(ユリウス暦:1260年4月18日)薨)
  ┣ 円助法親王(二品。天王寺別当。牛車。円満院。母藤原能保女。
  ┃   嘉禎2(1236)年生。弘安5年8月13日(ユリウス暦:1282年9月16日)入滅。号金龍寺〔皇親系〕)
  ┣ 性助法親王(仁和寺。俗名省仁。二品。後中御室。高雄御室〔仁和寺御室系譜〕。
  ┃   号甘露王院〔仁和寺御室系譜・謚号考・皇親系〕。母三条公房女。
  ┃   宝治元(1247)年生〔皇親系作7月23日〕。弘安5年12月19日(ユリウス暦:1283年1月19日)入滅。
  ┃   ※本朝皇胤紹運録は浄助次、皇親系は第四子)
  ┣ 浄助法親王(無品。円満院。母藤原実世女〔京都大学電子図書館公開の
  ┃   本朝皇胤紹運録による。群書類従所収紹運録作権中納言実通女〕。
  ┃   建長7(1255)年生〔皇親系作建長5(1253)年〕。
  ┃   弘安5年11月21日(ユリウス暦:1282年12月22日)薨
  ┃   〔皇親系作弘安3年11月11日(ユリウス暦:1280年12月4日)〕)
  ┣ 覚助法親王(一品。園城寺長吏。牛車。天王寺別当。聖護院。母藤原孝時女刑部局博子。
  ┃   建長2(1250)年生〔皇親系〕。
  ┃   建武3/延元元年10月17日(ユリウス暦:1336年11月20日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 忠助法親王(無品。園城寺長吏。聖護院。母藤原良平女〔諸門跡譜作三条公房女〕。
  ┃   正応3年8月17日(ユリウス暦:1290年9月21日)入滅)
  ┣ 最助法親王(延暦寺。梶井。母四条隆衡女按察三位局。建長5(1253)年生〔皇親系〕。
  ┃   正応6年2月3日(ユリウス暦:1293年3月12日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 慈助法親王(市河宮。母西園寺実氏女東二条院公子〔※皇親系による。
  ┃   群書類従所収本朝皇胤紹運録・青蓮院門跡系譜は、公経女大納言三位。
  ┃   京都大学電子図書館公開の本朝皇胤紹運録は
  ┃   公親公女大納言三位。〕。天台座主。青蓮院。牛車。
  ┃   永仁3年7月23日(ユリウス暦:1295年9月3日)入滅
  ┃   〔京大紹運録・青蓮院門跡系譜作27日。皇親系作7日〕)
  ┣ 仁恵法親王(無品。大僧都。新熊野。検校。法住寺。双林寺。
  ┃   静仁弟子。母九条兼房女〔皇親系作九条兼良養女。実法眼証円女。一条殿局〕)
  ┣ 勝助(母源頼政曾孫。仁和寺。保寿院〔仁和寺諸院家記・皇親系・系図纂要〕。
  ┃
勝宝院〔※本朝皇胤紹運録によるが、仁和寺諸院家記勝宝院項に記載无〕)
  ┣ 綜子内親王(月華門院。一品。准三后。西園寺実氏女姞子〔大宮院〕。
  ┃   宝治元(1247)年生〔皇親系作10月9日〕。
  ┃   宝治元年11月1日(ユリウス暦:1247年11月29日)為内親王。
  ┃   弘長3年7月20日(ユリウス暦:1263年8月25日)准三宮。同日院号〔女院記27日〕。
  ┃   文永6年3月1日(ユリウス暦:1269年4月3日)崩)
  ┣ 悦子内親王(延政門院。母西園寺実氏女従三位公子。正元元(1259)年生。
  ┃   弘安7年2月19日(ユリウス暦:1284年3月7日)為内親王。28日准三宮。同日院号。
  ┃   弘安8年8月24日(ユリウス暦:1285年9月24日)為尼
  ┃   〔女院記弘安7年8月24日(ユリウス暦:1284年10月4日)〕。
  ┃   法名清浄智。改遍照覚。元徳4/元弘2年2月10日(ユリウス暦:1332年3月7日)崩)
  ┣ 懌子内親王(五条院。亀山天皇妃。母藤原孝時女博子(刑部卿局)。
  ┃   弘長2(1262)年生。正応2年12月7日(ユリウス暦:1290年1月19日)為内親王。
  ┃   10日准三宮。同日院号。永仁2年11月25日(ユリウス暦:1294年12月13日)崩)
  ┣ ト子内親王(斎宮。准三后。母藤原俊盛女。建長元(1249)年生〔皇親系・系図纂要〕。
  ┃   弘長2年12月4日(ユリウス暦:1263年1月15日)卜定〔類聚大補任〕。
  ┃   弘安7年2月15日(ユリウス暦:1284年3月3日)薨〔皇親系による。系図纂要作8月15日〕)
  ┣ 皇女(柳殿。母藤原孝時女)
  ┣ 顕日(字高峯。建長寺。母藤原氏。建長寺伝記によれば、仁治2(1241)年生。
  ┃   正和5年12月20日(ユリウス暦:1317年2月1日)薨)
  ┣ 皇女(※皇親系による。母大宮院。正元2年2月29日(ユリウス暦:1260年4月11日)生)
  ┣ 皇女(※皇親系による。母後堀河天皇女体子内親王。弘安4(1281)年薨)
  ┗ 時助(※皇親系による。僧)
■色の名前は公卿。
源 惟康[ 文永元(1264)年 〜 嘉暦元年10月30日(ユリウス暦:1326年11月25日) ]
一品中務卿宗尊親王男。母近衛兼経女宰子。
文永7年12月20日(ユリウス暦:1271年2月1日)叙従三位。
弘安10年10月4日(ユリウス暦:1287年11月10日)為二品親王。
正二位・中納言・征夷大将軍(鎌倉幕府第七代将軍)。
※生年月日は、皇親系によれば4月29日。
※没年は、常楽記による。
源 宗治[ 元応元(1319)年 〜 康永4/興国6(1345)年2月 ]
権僧正真覚男。後醍醐院猶子。
建武3年正月26日(ユリウス暦:1336年3月9日)叙従三位。
従三位・非参議。

※以下、未整理。

源 経治[ 生没年不明 ]
建武4/延元2(1337)年初見、非参議正三位。
暦応2/延元4(1339)年以降不見。
正三位・非参議。
源 盛治[ 生没年不明 ]
長禄2年10月9日(ユリウス暦:1458年11月15日)叙従三位。
長禄3(1459)年出家。
従三位・非参議。
※師郷記には、応永9年正月に将監正六位上源朝臣盛治左近衛府任の記載がある。
※歴名土代には、享徳2年正月24日(ユリウス暦:1453年3月4日)に従四位上を叙位した記載がある。
源 康俊[ 生没年不明 ]
文明2(1470)年初見、非参議従三位。
文明2年4月8日(ユリウス暦:1470年5月8日)出家。
従三位・非参議。
※従三位叙位年は、或文明元年7月18日(ユリウス暦:1469年8月25日)。尊卑分脈には、醍醐源氏に康俊・本名則俊という公卿の名がある。

(九条家諸大夫)

源 和広(元正直)
[ 宝永4年8月19日(1707年9月14日) 〜 安永4(1775)年閏12月14日 ]
季鑑養子。
安永4年後12月2日(1775年12月24日)叙従三位。
従三位・非参議。
朝山(九条家諸大夫)
元姓大伴勝部。
源 寛親(元正綱)
[ 正徳4年10月4日(1714年11月10日) 〜 安永9年9月23日(1780年10月20日) ]
茂雅朝臣男。実慈光寺仲学男。
安永9年9月22日(1780年10月19日)叙従三位。
従三位・非参議。
源 義連(元敬休又義志、或義忠)
[ 元文4年7月25日(1739年8月29日) 〜 文化3年正月19日(1806年3月8日) ]
敬長男。
文化3年正月18日(1806年3月7日)叙従三位。
従三位・非参議。
森寺(三条家諸大夫)
源 常政(元常尚)
[ 享保12年2月17日(1727年4月8日) 〜 文化6年10月12日(1809年11月19日) ]
常良男。
文化4年10月24日(1807年11月23日)叙従三位。
従三位・非参議。
上田(清和源氏・広幡家諸大夫)
源 元貞
[ 明和8(1771)年 〜 嘉永元年5月23日(1848年6月23日) ]
元珍男。
弘化5年正月27日(1848年3月2日)叙従三位。
従三位・非参議。
※生年は、地下家伝によれば、安永2年11月18日(1773年12月31日)。
第77代 後白河天皇と後白河源氏 ページを移動しました
第89代 後深草天皇と後深草源氏 ページを移動しました
第90代 亀山天皇と亀山源氏 ページを移動しました

後二条源氏

このページの最初へ戻る
第94代 後二条天皇