羽林家 (石山・今城・入江・岩倉・石野) 羽林家家系別分類表
石山今城入江、 岩倉、 石野  ]

岩倉

【いわくら】
本姓:源氏。華族類別録第三十二類。
新家
内々
一条家門流
村上源氏久我流。久我晴通の4男具堯を祖とする。具堯の子具起が岩倉を家号とする。 具堯は、相国寺塔頭万松院の僧侶となっていたが、還俗し、 後陽成天皇に仕えた。家名は、はじめ桜井とも号した。
岩倉公実記によれば、恒具は書に優れていた為、一条兼香の委嘱を受けて筆道をその息女に 教授し、その縁故を以って一条家の門流になったという。
家紋 笹竜胆。
家業  
江戸期石高 150石。明治2(1869)年6月、具定が永世禄三百石を賜る (戦功鳥羽伏見及奥羽役賞典表)。分家の具経も 永世禄二百石を賜る。
明治期爵位 公爵。明治17(1884)年7月8日具定が公爵を授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 山城国愛宕郡清光寺。
居所 丸太所富小路西へ入。

岩倉家系図

具堯までの系図は、久我家系図を参照。
具堯 ┳ 具起 ┳ 具詮 ┳ 具成(従五位下。延宝8〔1680〕年卒。早世)
  ┃   ┃   ┗ 乗具 ┳ 有敬(母家女房。千種有維嗣)
  ┃   ┃   ┣ 恒具 ┳ ┳
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 男子
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(嫁武家)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 男子
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 男子
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 男子
  ┃   ┃   ┃   ┣ 重恒(母同。住八幡癘{坊)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 男子(母同。早世)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 男子(母同。早世)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 男子(母同。早世)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┃   ┣ 賞雅(母同。植松雅康嗣)
  ┃   ┃   ┣ 女子(北野本光院住持。号林岳。理松尼〔謚号考〕。
  ┃   ┃   ┃   享保13年5月20日(1728年6月27日)寂〔謚号考〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(嫁武家在備前)
  ┃   ┃   ┣ 女子(嫁武家在越後)
  ┃   ┃   ┣ 女子(実松室重敦女。霊元天皇後宮。
  ┃   ┃   ┃   称柏木又伊予局後右衛門佐局。
  ┃   ┃   ┃   延享3年11月8日(1746年12月19日)卒)
  ┃   ┃   ┗ 女子(※勧修寺家譜による。林桂院英照尼〔謚号考〕。
  ┃   ┃       実勧修寺高顕女。実母家女房。本光院。
  ┃   ┃       天明6年正月2日(1786年1月31日)寂〔謚号考〕)
  ┃   ┣ 女子(北条出羽守氏重室)
  ┃   ┣ 女子(後西院典侍。称権典侍〔皇親系附録〕。
  ┃   ┃   永悟親王母。
  ┃   ┃   元禄10年8月17日(1697年10月1日)卒)
  ┃   ┗ 女子(後水尾院女房権典侍局。
  ┃       寛文2年2月24日(1662年4月12日)卒。
  ┃       法号清光院真月祖空)
  ┣ 有清 ┳ 亮有(彦山座主。権僧正。母日野輝資男忠有女)
  ┃   ┣ 禅龍(母同。大覚寺院家遍照院、後永源寺)
  ┃   ┣ 通福(母同。愛宕祖。中院通純猶子)
  ┃   ┣ 有賀(母同。号不動院。彦山政所有運養子)
  ┃   ┣ 禅巌(母同。広助。元弘遍又祖遍。仁和寺菩提院。
  ┃   ┃   定法寺。大梅山法常寺二世)
  ┃   ┣ 通統(※高千穂家譜による。改通晴〔愛宕〕。母千種有能女)
  ┃   ┣ 女子(※高千穂家譜による。母同。奉仕霊元院)
  ┃   ┣ 女子(※高千穂家譜による。母同)
  ┃   ┗ 女子(※高千穂家譜による。母同)
  ┣ 文守(号桐江一絲。法常寺等開山。謚仏頂国師)
  ┣ 有能〔千種
  ┗ 女子坊城俊完室)
具選
┳ 具集 ┳ 具満(母綾小路俊資女。従五位下。早世。
  ┃   ┃   文化7年12月17日(1811年1月11日)生。
  ┃   ┃   文化10年4月1日(1813年5月1日)卒。
  ┃   ┃   11日葬於霊源寺。号円珠院戒岩恵定)
  ┃   ┣ 具賢(実今城定成末子。実母中山愛親女。
  ┃   ┃   従五位下。
  ┃   ┃   享和2年7月11日(1802年8月8日)生。
  ┃   ┃   文政元年5月22日(1818年6月25日)卒。
  ┃   ┃   26日葬於光清寺。
  ┃   ┃   号慈芳院法池覚蓮)
  ┃   ┣ 具慶 ┳ 具視 ┳ 具綱
  ┃   ┃   ┃   ┣ 具義〔南岩倉
  ┃   ┃   ┃   ┣ 〔具定〕(*現代華族譜要・華族家系大成による。具綱嗣)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(伊豆子。母家女房。安政6年3月5日(1859年4月7日)早世。
  ┃   ┃   ┃   ┃   葬於光清寺。号曹渓院)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 具経(母家女房。八千麿〔現代華族譜要。
  ┃   ┃   ┃   ┃   *華族家系大成作八千丸〕。
  ┃   ┃   ┃   ┃   嘉永6年6月17日(1853年7月22日)生。
  ┃   ┃   ┃   ┃   明治17(1884)年7月8日男爵授爵。
  ┃   ┃   ┃   ┃   〔※明治24(1891)年4月23日具明子爵陞爵〕。
  ┃   ┃   ┃   ┃   明治23(1890)年10月17日卒〔華族家系大成〕。
  ┃   ┃   ┃   ┃   夫人大谷光勝六女梭子〔華族家系大成〕)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(極子。母同。大垣藩主戸田氏共妻。
  ┃   ┃   ┃   ┃   安政4年11月25日(1858年1月9日)生〔華族鑑〕)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(治子。母同。文久2年7月4日(1862年7月30日)早世。
  ┃   ┃   ┃   ┃   葬於霊源寺。号秋岳院)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(静子。母堀河康親女。久世通章妻、離別。
  ┃   ┃   ┃   ┃   吉田良義妻。
  ┃   ┃   ┃   ┃   文久2年9月朔(1862年10月23日)生〔華族名鑑〕)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(初め恒子。寛子。母家女房。
  ┃   ┃   ┃   ┃   久留米藩主有馬頼萬妻、離別。森有礼妻。
  ┃   ┃   ┃   ┃   元治元年3月15日(1864年4月20日)生〔華族名鑑〕)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 道倶(※華族家系大成等による。分家。男爵。
  ┃   ┃   ┃   明治14(1881)年5月29日生。
  ┃   ┃   ┃   明治29(1896)年12月3日男爵授爵。
  ┃   ┃   ┃   夫人沢宣元養女裕子。実青山寛五女)
  ┃   ┃   ┣ 直丸(母家女房)
  ┃   ┃   ┣ 女子(誠子。具視妻。堀河康親養女。*華族家系大成による)
  ┃   ┃   ┗ 女子(文子。伊東祐帰妻)
  ┃   ┣ 男子(母家女房。早世)
  ┃   ┣ 男子(母同。早世。号幻暁院)
  ┃   ┗ 女子(洗子。母綾小路俊資女。
  ┃       新朔平門院女房。薙髪号知光院)
  ┣ 女子(道子。母同。樋口家養女。
  ┃   候一橋家号花野井。後嫁松平豊後守。
  ┃   法名遠寿院)
  ┣ 男子(母同。早世)
  ┣ 女子(母家女房。早世)
  ┣ 革道(母同。初高雄山普覧院、後法常寺)
  ┣ 女子(母同。嫁西本願寺)
  ┣ 女子(母同。早世。号雪窓院)
  ┣ 乙丸(母同。為越後新潟光林寺養子。後帰京。法号釈順証)
  ┣ 女子(母同。早世。号霊巌院)
  ┣ 寿丸(母同。豊前森山教覚寺養子。後帰京)
  ┗ 男子(母家女房。住丹波常照寺号靖翁)
┳ 具定 (周丸。元具成。母家女房。
  ┃   嘉永4年12月27日(1852年1月18日)生〔
  ┃   新撰華族名鑑・華族家系大成〕。
  ┃   明治43(1910)年4月1日没〔華族家系大成〕。
  ┃   夫人沢為量七女久子〔華族家系大成〕。
  ┃   ※現代華族譜要・華族家系大成によれば、
  ┃   実具視二男)
  ┣ 女子 (恭子。母富小路政直女。
  ┃   中御門経隆妻〔華族家系大成〕。
  ┃   慶応元年5月11日(1865年6月4日)生〔華族名鑑〕)
  ┣ 女子 (昭子。母同。広幡忠朝妻〔華族家系大成〕。
  ┃   慶応3年11月29日(1867年12月24日)生〔華族名鑑〕)
  ┣ 女子 (亥尾子。母同。南岩倉具威妻〔華族家系大成・
  ┃   現代華族譜要〕 。
  ┃   明治6(1873)年8月19日生〔華族名鑑〕)
  ┣ 女子 (嬰子。母同。明治7(1874)年11月9日早世。
  ┃   葬於海晏寺)
  ┗ 具徳 (※現代華族譜要・華族家系大成による。
  分家。男爵。明治13(1880)年5月2日生。
  明治17(1884)年7月8日男爵授爵。
  夫人戸沢正実四女敬子)
岩倉 具起
[ 慶長6年6月14日(1601年7月13日) 〜 万治3年2月6日(1660年3月17日) ]
具堯男。母左中将園基継朝臣女。法名・文昇〔家譜作曹源院祖月文昇〕。
葬于大徳寺塔頭昌林院〔家譜〕
寛永19年正月5日(1642年2月4日)叙従三位。
従二位・権中納言。
※生年月日は、系図纂要による。
岩倉 具家(改名具詮)
[ 寛永7年10月27日(1630年12月1日) 〜 延宝8年4月16日(1680年5月14日) ]
具起男。母右少将小倉季藤女。
法号瑞応院雪岑文堆〔家譜〕。葬于昌林院〔家譜〕
万治2年正月5日(1659年2月26日)叙従三位。
従二位・参議。
岩倉 具統(改名具偈・又改乗具)
[ 寛文6年8月29日(1666年9月27日) 〜 享保15年8月23日(1730年10月4日) ]
具詮男(実千種有維男)。母家女房(実母家女房〔家譜〕)。
法号覚樹院白翁文清〔家譜〕。葬于霊源寺〔家譜〕
元禄16年正月11日(1703年2月26日)叙従三位。
正二位・権大納言。
公卿補任尻付
寛文6年8月29日(1666年9月27日)誕生。
延宝8年4月8日(1680年5月6日)叙爵。
同10月7日当家相続。
同11月27日元服昇殿。
同日侍従。
天和4年正月5日(1684年2月20日)従四位上。
同12月23日右少将。
貞享5年正月6日(1688年2月7日)正五位下。
元禄5年正月5日(1692年2月21日)従四位下。
元禄6年12月25日(1694年1月20日)右中将。
元禄9年正月5日(1696年2月7日)従四位上。
元禄10年8月17日(1697年10月1日)喪母。
同10月7日除服出仕復任。
元禄13年正月5日(1700年2月23日)正四位下。
岩倉 恒具(本名具備)
[ 元禄14年7月24日(1701年8月27日) 〜 宝暦10年7月29日(1760年9月8日) ]
乗具男。母家女房。法号覚円院珠徳文耀〔家譜〕
葬于清光寺〔家譜〕
室本多長員女〔家譜による。享保20年9月21日(1735年11月5日)卒。号光岸院。葬于清光寺〕
享保17年正月15日(1732年2月10日)叙従三位。
従二位・権中納言。
岩倉 家具(改名具選・本名淳吉)
[ 宝暦7年正月4日(1757年2月21日) 〜 文政7年7月7日(1824年8月1日) ]
従四位下治部権少輔広雅朝臣男(実柳原光綱末子)。
母家女房〔家譜〕。実母織田信恒〔信休〕女〔家譜〕
法名・可汲〔家譜作受福院深淵可汲〕。葬于清光寺〔家譜〕
天明8年正月5日(1788年2月11日)叙従三位。
寛政9年8月12日(1797年10月1日)出家。
従三位・非参議。
※本名は、系図纂要・知譜拙記によれば、淳古。
※没年は、家譜・系図纂要による。
公卿補任尻付
宝暦7年正月4日(1757年2月21日)誕生。
宝暦13年2月25日(1763年4月8日)叙爵(于時淳吉)。
明和6年10月27日(1769年11月24日)当家相続。
明和7年11月18日(1771年1月3日)元服昇殿。
同日弾正少弼従五位上。
同年12月19日改名家具。
明和9年5月26日(1772年6月26日)侍従。
安永2年正月9日(1773年1月31日)判官代。
同月26日拝賀。
安永3年正月8日(1774年2月18日)正五位下。
安永4年4月13日(1775年5月12日)右権少将。
同年5月20日奏慶。
安永6年正月5日(1777年2月12日)従四位下。
安永8年5月4日(1779年6月17日)兼近江権介(小除目)。
安永9年正月19日(1780年2月23日)従四位上。
同月24日院別当。
同年3月19日拝賀。
天明3年正月13日(1783年2月14日)正四位下。
同月20日秩満。
天明7年12月19日(1788年1月26日)右権中将。
同月25日奏慶。
岩倉 具集
[ 安永7年9月7日(1778年10月26日) 〜 嘉永6年5月16日(1853年6月22日) ]
具選男。母綾小路有美女。
法号霊樹院玉幹清蔭〔家譜〕。葬于清光寺〔家譜〕
文化7年12月21日(1811年1月15日)叙従三位。
正二位・権大納言。
岩倉 具慶
[ 文化4年2月4日(1807年3月12日) 〜 明治6(1873)年2月13日 ]
具集男。母家女房。葬于東京品川海晏寺〔家譜〕
嘉永3年12月19日(1851年1月20日)叙従三位。
明治元年時、正三位・参議・右中将(62才)。
※系図纂要・華族家系大成によれば、実は大原重成男。
岩倉 具視
[ 文政8年9月15日(1825年10月26日) 〜 明治16(1883)年7月20日 ]
具慶男。母家女房。
夫人:堀河康親〔家譜。華族家系大成によれば、誠子。実岩倉具慶長女〕
慶応4年2月2日(1868年2月24日)叙従三位。同日任右兵衛監。
明治元年時、従三位・右兵衛督(44才)。
公卿補任尻付
天保9年10月28日(1838年12月14日)叙従五位下(14歳)。
天保14年12月11日(1844年1月30日)元服聴昇殿。
天保12年6月14日(1841年7月31日)叙従五位上(17歳)。
弘化2年2月18日(1845年3月25日)叙正五位下(去正五分。21歳)。
嘉永7年3月20日(1854年4月17日)任侍従(30歳)。
嘉永7年6月10日(1854年7月4日)叙従四位下。
安政4年正月25日(1857年2月19日)叙従四位上(33歳)。
万延元年12月29日(1861年2月8日)任右近衛権少将(36歳)。
万延2年正月5日(1861年2月14日)叙正四位下(37歳)。
同月16日拝賀。
文久2年5月15日(1862年6月12日)転左近衛権中将(38歳)。
文久2年8月20日(1862年9月13日)辞権中将。同日蟄居。
同月22日落飾。
※現代華族譜要・華族家系大成等によれば、実堀河康親男。
岩倉具視   
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※最終更新日 2017.09.24

羽林家家系別分類表



南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家

公卿類別譜〜公家の歴史〜について

  • 本サイトの公卿に関するデータは、
    東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
    その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
    ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
    和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
    西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を 「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
  • 父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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