藤原氏 南家 T

華族類別録 ※石高・伺候席・譜代/外様等は現代華族譜要による。
第四十三類 神別 藤原朝臣
内大臣鎌足孫左大臣武智麻呂裔
従三位 高丘紀季 羽林家
従四位 中園実受 羽林家
従四位 薮実方 羽林家
従五位 伊東長 備中 岡田藩 外様 柳間 一万三百四十三石
従五位 六郷政鑑 羽後 本荘藩 外様 柳間 二万二十一石
従五位 蒔田広孝 備中 浅尾藩 譜代 菊間
椽側
一万石
従五位 小出英尚 丹波 園部藩 外様 柳間 二万六千七百十一石
従五位 内田正学 下総 小見川藩 譜代 菊間 一万石
従五位 岡部長職 和泉 岸和田藩 譜代 帝鑑間 五万三千石
従五位 伊東祐帰 日向 飫肥藩 外様 柳間 五万千八十石
従五位 分部光謙 近江 大溝藩 外様 柳間 二万石
従五位 相良頼紹 肥後 人吉藩 外様 柳間 二万二千石
第四十四類 神別 藤原朝臣
内大臣鎌足孫左大臣武智麻呂二十一代左衛門尉経義裔
従五位 吉川経健 周防 岩国藩
(山口支藩)
外様 無席 六万石

藤原南家系図T

武智麻呂 豊成 A
  恵美仲麻呂 B
  乙麻呂 C
  巨勢麻呂 南家U
藤原 武智麻呂
[ 680(天武天皇9)年 〜 天平9年7月27日(ユリウス暦:737年8月27日) ]
不比等一男。母蘇我連子女(娼子)。
養老5年正月7日(ユリウス暦:721年2月7日)叙従三位。同年正月11日任中納言(参議不歴)。
正二位・左大臣〔天平宝字4年8月7日(ユリウス暦:760年9月20日)贈太政大臣〕。
※公卿補任では、初見従三位叙位は養老2年条にあるが、養老5年条にある尻付には、従三位叙位日は養老5年とある。他の文献も養老5年に従三位に叙されている。
※続日本紀によれば、従三位叙位日、中納言任官日は、養老5年正月5日(ユリウス暦:721年2月5日)。
※続日本紀によれば、天平9年7月25日(ユリウス暦:737年8月25日)授正一位(尊卑分脈によれば、贈正一位とも)。
※続日本紀によれば、没日は、天平9年7月25日(ユリウス暦:737年8月25日)。
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豊成 ┳ 良因 ┳ 長道 ┳ 根乙麻呂 ━ 永雄 ┳ 藤峯
  ┃   ┃   ┃   ┗ 元淑 ━ 有任(蔵。従五位下)
  ┃   ┃   ┣ 都麻呂 ┳ 宗茂 ━ 清身
  ┃   ┃   ┃   ┗ 仁秀 ━ 当幹 ┳ 保躬
  ┃   ┃   ┃   ┗ 保叢
  ┃   ┃   ┣ 柄継(従五位上。加賀守。母藤原魚名女)
  ┃   ┃   ┣ 助継 ━ 道成 ━ 清瀬 ┳ 善方
  ┃   ┃   ┃   ┗ 慈茂 ━ 連実
  ┃   ┃   ┗ 鷹養(従五位下、日本後紀作従五位上。越前守)
  ┃   ┗ 長山(従五位下。三河守)
  ┣ 女子(当麻寺。号中将姫)
  ┣ 継縄 ┳ 乙叡 ┳ 道麻呂 ┳ 安雄 ┳ 近真 ━ 文元(従五位下。信濃守)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 実世 ━ 千春(従五位下。河内守)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 豊雄 ┳ 茂瀧 ━ 安能
  ┃   ┃   ┃   ┗ 茂亮(諸陵頭。従五位下)
  ┃   ┃   ┣ 貞雄 ━ 保則 ┳ 万緒 ━ 尋常 ┳ 惟慶
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 惟時(従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 清貫 ┳ 有方
  ┃   ┃   ┃   ┣ 千夏 ━ 常種
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(藤原有章母)
  ┃   ┃   ┣ 雄俊(従五位下。相模介)
  ┃   ┃   ┣ 宗我麻呂 ━ 真貞 ━ 元明
  ┃   ┃   ┣ 坂田麻呂 ┳ 春庭(従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 有庭(阿波介。従五位下)
  ┃   ┃   ┗ 女子(藤原門宗母)
  ┃   ┗ 真葛 ┳ 諸主(従五位上。甲斐守。母従五位下安部広兼女)
  ┃   ┣ 氏主 ━ 穎基 ━ 好行 ━ 五岳
  ┃   ┗ 乙主(従五位下。石見守。母同)
  ┣ 乙縄 ┳ 清岳 ━ 八釣 ━ 秀雄(従五位上。紀伊守)
  ┃   ┗ 岡継 ━ 当道 ┳ 柄範 ┳ 清泉 ━ 保連 ━ 信忠 ┳ 信光
  ┃   ┃   ┃   ┗ 増光
  ┃   ┃   ┗ 為人 ━ 義友 ━ 守友 ━ 度家
  ┃   ┗ 野風
  ┗ 縄麻呂
※1 桃園流。
┳ 為章 ━ 生行 ━ 章行 ┳ 行仲
  ┃   ┗ 宗昭(延暦寺。伊豆座主)
  ┣ 為元 ━ 為房(無官)
  ┗ 慶円(天台座主。号三昧院。寛仁三九三入滅七十九)
■色の名前はポップアップで経歴表示。
藤原 豊成
[ 慶雲元(704)年 〜 天平神護元年11月27日(ユリウス暦:766年1月12日) ]
武智麻呂一男。母従五位下安倍朝臣貞吉〔真吉?真虎?〕女(貞媛)。
号・難波大臣、横佩大臣。
天平9年12月1日(ユリウス暦:737年12月26日)任参議。
従一位・右大臣。
藤原 縄麻呂
[ 天平元(729)年 〜 宝亀10(779)年12月 ]
豊成四男。母藤原房前女。
天平宝字8年9月11日(ユリウス暦:764年10月10日)任参議。
従三位・中納言〔贈従二位大納言〕。
藤原 継縄
[ 神亀4(727)年 〜 延暦15年7月16日(ユリウス暦:796年8月23日) ]
豊成二男。母従五位上路真人山〔虫?忠?〕麻呂女。号・桃園右大臣、中山。
天平神護2年7月22日(ユリウス暦:766年8月31日)任参議。
正二位・右大臣〔贈従一位〕。
※没年は、日本後記此同。
藤原 乙縄弟縄
[ ? 〜 天応元年6月6日(ユリウス暦:781年7月1日) ]
豊成三男。母従五位上路真人山〔虫?忠?〕麻呂女。
宝亀10年9月12日(ユリウス暦:779年10月25日)任参議。
従四位上・参議。
藤原 乙叡(たかとし)
[ 天平宝字5(761)年 〜 大同3年6月3日(ユリウス暦:808年6月30日) ]
継縄二男。母尚侍従三位百済王明信。
延暦13年10月27日(ユリウス暦:794年11月23日)任参議。
大同2年5月11日(ユリウス暦:807年6月20日)解官(伊予親王事件に連座)。
従三位・中納言。
藤原 保則
[ 天長2(825)年 〜 寛平7年4月21日(ユリウス暦:895年5月19日) ]
左兵衛佐正五位下貞雄男。母左中弁従四位下安倍弟富女。乙叡孫。
寛平4年4月28日(ユリウス暦:892年5月28日)任参議。
従四位上・参議。
藤原 清貫
[ 貞観9(867)年 〜 延長8年6月26日(ユリウス暦:930年7月24日) ]
保則四男。母右中将従四位上在原業平朝臣女。
延喜10年正月13日(ユリウス暦:910年2月25日)任参議。
正三位・大納言。

難波

一条家諸大夫。地下家伝によれば、豊成の後裔とある。

良国 ━ 時常 ━ 常弘 ━ 定冬 ━ 嘉通 ━ 常久 ━ 常文 ━ 久継
定次 ━ 定愛 ━ 常定 ━ 定矩 ━ 定直 ━ 定倫 ━ 愛敬 ━ 常成
┳ 有常(文政5年4月1日(1822年5月21日)誕生。従五位下。美作守)
  ┗ 常敬(文政9(1826)年誕生。従五位上。越後守)
藤原 愛敬
[ 明和3年11月6日(1766年12月7日) 〜 天保12年4月23日(1841年6月12日) ]
定倫男。
天保6年正月14日(1835年2月11日)叙従三位。
従三位・非参議
地下家伝
安永7年11月29日(1779年1月16日)叙正六位下。
同日任越前介。
天明3年3月3日(1783年4月4日)従五位下。
同日任勘解由判官。
天明3年8月22日(1783年9月18日)任治部少輔。
天明4年2月16日(1784年4月5日)任宮内権大輔。
天明9年正月10日(1789年2月4日)叙従五位上。
寛政元年5月21日(1789年6月14日)兼内蔵権助(小除目)。
寛政3年8月4日(1791年9月1日)転助(権大輔如元)。
寛政5年7月16日(1793年8月22日)辞助。
同日兼備前守。
寛政7年正月20日(1795年3月10日)叙正五位下。
享和元年10月28日(1801年12月3日)叙従四位下。
文化4年6月1日(1807年7月6日)叙従四位上。
文化10年2月7日(1813年3月9日)叙正四位下。
文政11年5月13日(1828年6月24日)辞両官。

 恵美仲麻呂子孫

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恵美仲麻呂 ┳ 訓儒 ━ 三岡(従五位下。母三島王女従五位下山慢女王)
  ┣ 真光
  ┣ 朝狩
  ┣ 真文 ━ 脩範
  ┣ 湯麻呂(或小湯麻呂。従四〔或五〕位上)
  ┣ 薩雄 ━ 朝忠 ━ 能鷹 ━ 大町 ━ 雄蔭
  ┣ 辛加知(越前守。従五位下)
  ┣ 刷雄 ━ 千世 ━ 富継 ━ 真行(大蔵丞)
  ┗ 徳壹菩薩(一説云刷雄是也。母同。初住興福寺、後遷住奥州恵日寺)
有聲 ━ 能幹 ━ 清幹(文。美濃掾)
藤原 仲麻呂(恵美押勝)[ 慶雲3(706)年 〜 天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日) ]
武智麻呂二男。母従五位下安倍朝臣貞吉〔或真吉、真虎〕女(貞媛)。
号・恵美大臣。
天平15年5月5日(ユリウス暦:743年6月1日)任参議。
天平15年9月12日(ユリウス暦:743年10月4日)止官位。
正一位・大師(太政大臣)。
道鏡の進出に対抗し、乱を起こす(恵美押勝の乱)が、敗死。
天平6(734)年授従五位下。
天平15年5月5日(ユリウス暦:743年6月1日)叙従四位上。同日任参議。民部卿如元。6月5日兼左京大夫。
天平17年正月7日(ユリウス暦:745年2月12日)叙正四位上(越階)。9月兼近江守。
天平18年3月1日(ユリウス暦:746年3月27日)兼民部卿〔或式部卿〕。4月15日叙従三位〔続日本紀22日〕。同月兼東山道鎮撫使。
天平20年3月3日(ユリウス暦:748年4月5日)叙正三位〔続日本紀22日〕
天平勝宝元年7月2日(ユリウス暦:749年8月19日)任大納言。12日兼紫微令。中衛大将。
天平勝宝2年正月7日(ユリウス暦:750年2月17日)叙従二位〔続日本紀16日〕。月日兼中務卿。
天平勝宝9年5月19日(ユリウス暦:757年6月10日)任紫微内相〔続日本紀20日〕
天平宝字2年8月25日(ユリウス暦:758年10月1日)任大保。勅加姓中恵美両字。改名仲麻呂為押勝。
天平宝字3(759)年11月賜帯刀資人20人。通前30人。
天平宝字4年正月7日(ユリウス暦:760年1月29日)叙従一位(越階)〔続日本紀4日〕。同11日転大師(太政大臣官)。賜隨身。
天平宝字6年2月1日(ユリウス暦:762年2月28日)叙正一位。5月日給帯刀資人60人。通前100人。
天平宝字8年9月12日(ユリウス暦:764年10月11日)止官位。
藤原(恵美) 真光 [ ? 〜 天平宝字8(764)年 ]
押勝二男。母藤原房前女(正三位表比良姫)。
天平宝字6年正月4日(ユリウス暦:762年2月1日)任参議。
正四位上・参議。
天平宝字2(758)年8月叙従五位上。
天平宝字3(759)年6月叙従四位下。
天平宝字5(761)年正月叙従四位上。職歴鎮国衛驍騎将軍。兼美濃飛騨按察使。
天平宝字6年正月4日(ユリウス暦:762年2月1日)任参議。12月1日叙正四位上。為太宰帥。
天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日)父押勝謀反。同共伏誅。
藤原(恵美) 訓儒麻呂(本名久須麻呂)[ ? 〜 天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日) ]
押勝一男。母藤原房前女(正三位表比良姫)。
天平宝字6年12月1日(ユリウス暦:762年12月20日)任参議。
従四位下・参議。
父仲麻呂の反乱の際、坂上苅田麻呂に討たれた(9月11日の事とも)。
尊卑分脈によれば、「訓儒」は「ときはか」と読む。
天平宝字2(758)年8月叙従五位下。
天平宝字3(759)年5月為美濃守。6月叙従四位下。
天平宝字5(761)年正月任大和守。
天平宝字6年12月1日(ユリウス暦:762年12月20日)任参議。
天平宝字7(763)年4月兼丹波守。左右京尹如元。
天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日)父押勝謀反伏誅。
藤原(恵美) 朝獦 [ ? 〜 天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日) ]
押勝三男。
天平宝字6年12月1日(ユリウス暦:762年12月20日)任参議。
従四位下・参議。
※尊卑分脈によれば、名前は、朝狩「あさかり」。
天平勝宝9(757)年7月叙従五位下。為陸奥守。
天平宝字3(759)年6月叙正五位下。
天平宝字5(761)年10月叙従四位下。為仁部卿。
天平宝字6年12月1日(ユリウス暦:762年12月20日)任参議。
天平宝字8年9月18日(ユリウス暦:764年10月17日)父押勝謀反伏誅。
 乙麻呂子孫 一つ上の階層へ戻る
華族類別録第四十三類によれば、飫肥藩主伊東家・大溝藩主分部家・岡田藩主伊東家・岸和田藩主岡部家・本荘藩主六郷家・小見川藩主内田家・園部藩主小出家・人吉藩主相良家・浅尾藩主蒔田家が、この後裔氏族とされている〔※系図-工藤庶流〕。
乙麻呂 ┳ 許人麻呂 ━ 菊地麻呂 ━ 氏宗
  ┗ 是公 ⇒〔牛屋流
┳ 邦守 ┳ 良茂 ┳ 善友 ━ 景房(或景茂、又或景方。阿波介)
  ┃   ┃   ┗ 有房(従五位下。甲斐守)
  ┃   ┗ 公義(下野大掾)
  ┗ 春景(正五位下。右少弁。※系図纂要作春宗)
是公孫系図〔牛屋流
是公 ┳ 真友 ┳ 朝嗣 ━ 貞野 ━ 豊範(従五位上。皇后宮亮。母賀茂閞雄女〔
  ┃   ┃  
系図纂要作賀茂関雄女〕)
  ┃   ┗ 道長 ━ 諸氏(従五位上。但馬守)
  ┣ 雄友 ┳ 真河(或真行。従五位上。宮内大輔。阿波守。母石上宅嗣女)
  ┃   ┣ 文山 ┳ 長基 ━ 有恒(筑前守〔系図纂要筑後守〕。
  ┃   ┃   ┃  
従五位下。母秦氏)
  ┃   ┃   ┗ 常基(筑前介〔系図纂要作筑前守〕。従五位下。
  ┃   ┃   母藤原真友女)
  ┃   ┣ 広河(河内介。母同)
  ┃   ┣ 弟男 ━ 秀高(越中権介)
  ┃   ┣ 秋常 ┳ 良貞(美濃介。母山代氏)
  ┃   ┃   ┗ 秀定 ┳ 如道(蔵。使。正五位下。左京亮。
  ┃   ┃   ┃
右少弁。母御春氏)
  ┃   ┃   ┣ 景逸(従五位下。※系図纂要作景遠)
  ┃   ┃   ┗ 滋藤(中務丞)
  ┃   ┗ 弟河 ━ 高扶 ┳ 有年 ┳ 正樹 ━ 元数 ━ 顕茂
  ┃   ┃   ┃   (上総介)
  ┃   ┃   ┗ 正茂 ━ 文理
  ┃   ┣ 清夏 ━ 維幾 ━ 為憲 ⇒〔工藤
  ┃   ┣ 有蔭 ┳ 忠仁 ━ 遠成
  ┃   ┃   ┣ 忠房 ━ 道行 ━ 繁正
  ┃   ┃   ┗ 恒忠(日向守。従五位上。
  ┃   ┃   母多治縄主女)
  ┃   ┗ 清景 ━ 護由(尾張権守。母三国氏)
  ┣ 弟友(阿波守。従五位上。※系図纂要作茅友)
  ┣ 友人 ┳ 息道 ━ 高統 ━ 時氏(従五位下。安芸権守)
  ┃   ┗ 良道 ━ 保生 ━ 真材(或直材。文。蔵。太宰少弐。刑部少輔。
  ┃   大学助。従五位下。母大隈守惟宗真治女)
  ┗ 吉子(桓武天皇夫人。伊予親王母。皇親系によれば、
      延暦2(783)年為夫人叙従三位。
      大同2年11月12日(ユリウス暦:807年12月14日)坐事停官位飲薬死後復本位尋贈従二位)
藤原 乙麻呂[ ? 〜 天平宝字4(760)年6月 ]
武智麻呂四男。
天平勝宝2年11月1日(ユリウス暦:750年12月4日)叙従三位。
天平宝字2(758)年以降、不見。
従三位・非参議。
※尊卑分脈によれば、母は大納言正三位朝麻呂女とある。
藤原 是公(黒麻呂)[ 神亀4(727)年 〜 延暦8年9月19日(ユリウス暦:789年10月12日) ]
乙麻呂一男。母従五位下石川建〔連?〕麻呂女。号・牛屋大臣。
宝亀5年5月5日(ユリウス暦:774年6月18日)任参議。
従二位・右大臣〔贈従一位〕。
藤原 雄友[ 天平勝宝5(753)年 〜 弘仁2年4月23日(ユリウス暦:811年5月18日) ]
是公三男。母正四位上侍従中宮大夫兼右兵衛督橘朝臣佐為四女。
延暦15年7月丙子[7日](ユリウス暦:796年8月14日)叙正四位下〔日本後記〕。
延暦9年2月9日(ユリウス暦:790年2月27日)任参議。
正三位・大納言。
藤原 真友[ 天平14(742)年 〜 延暦16年6月25日(ユリウス暦:797年7月23日) ]
是公二男。母正四位上侍従中宮大夫兼右兵衛督橘朝臣佐為四女。
延暦13年10月27日(ユリウス暦:794年11月23日)任参議。
従四位上・参議。

工藤

為憲 ┳ 時輔(工藤太)
  ┣ 時理 ┳ 時信 ┳ 維永 ━ 維景 ┳ 維職 ━ 維次 ━ 家継 ⇒A
  ┃   ┃   ┃   ┣ 景任 ━ 行景 ━ 景隆 ⇒B
  ┃   ┃   ┃   ┣ 維貞
  ┃   ┃   ┃   ┗ 維清〔入江・久野・岡部〕
  ┃   ┃   ┗ 維遠〔二階堂〕
  ┃   ┗ 維重 ━ 維任(従五位下)
  ┗ 時文〔相良〕※相良家譜によれば、時理第二子維兼の後裔。
A⇒ ┳ 祐家 ━ 祐親 ⇒〔河津〕
  ┣ 祐次〔伊東
  ┣ 家光 ━ 家俊
  ┗ 茂光
B⇒ ┳ 景光 ┳ 行光 ━ 長光
  ┃   ┣ 祐光(三郎)
  ┃   ┣ 朝光(五郎)
  ┃   ┗ 重光(六郎)
  ┗ 時隆

二階堂

維遠 ┳ 維兼 ━ 維行 ━ 行遠 ━ 行政
  ┗ 維頼 ━ 維弘(保元之乱被害〔系図纂要〕)

伊東

日向 飫肥藩

五万千八十石 外様 柳間
葬地は、華族名鑑によると、高輪 東禅寺。
明治17(1884)年7月8日祐帰が子爵を授爵〔現代華族譜要〕

備中 岡田藩

一万三百四十三石 外様 柳間
葬地は、華族名鑑によると、金峯山 高林寺。
明治17(1884)年7月8日長寿の異体字を表示していますが子爵を授爵〔現代華族譜要〕
※「寿」の異体字
飫肥藩・岡田藩伊東家の家譜によれば、 武智麻呂十四代久須美四郎大夫入道寂蓮家継嫡男祐家の末流とあるが、 尊卑分脈では、家次の子祐家は、実者久津見入道寂蓮子となっている。

相良

人吉藩 二万二千石 外様 柳間 子爵
葬地は、華族名鑑によると、深川 霊巌寺。
相良頼紹 生年 嘉永6年12月。華族鑑作嘉永6年12月25日(1854年1月23日)。
没年 大正13年3月
頼基〔家譜よると頼之第三子〕。実長福第一子〔家譜〕
夫人 徳大寺公純五女中子〔華族鑑よると三女。徳大寺家譜に記載なし〕
安政4年5月生〔華族鑑よると4日(1857年5月26日)〕
武之進。
明治5年9月2日(1872年10月4日)叙従五位〔家譜〕
明治8年5月承〔家譜よると22日〕
明治17(1884)年7月8日子爵授爵。
※現代華族譜要を基本とした。

岡部

岸和田 五万三千石 譜代 帝鑑間 子爵
葬地は、華族名鑑によると、牛込 済松寺。
明治17(1884)年7月8日岡部長職が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
岡部長職 生年 安政元年11月。家譜作安政元(嘉永7)年11月15日(1855年1月3日)。華族鑑作16日。
没年 大正14年12月
長寛。実父長発。
養母岡部長祥養女〔家譜〕。実母鳥居丹波守忠挙女〔家譜〕
夫人 青山幸哉四女錫子。明治5年6月生。明治20年10月逝。
前田斉泰四女抵子。慶応3年4月生〔華族鑑よると10日(1867年5月13日)〕
美濃守。枢密顧問官。
安政3年6月長寛養子〔家譜〕
明治元年12月28日家督〔家譜〕
明治17年7月8日子爵授爵。
※現代華族譜要を基本とした。

小出

園部藩 丹波 二万六千七百十一石 外様 柳間 子爵
家紋:丸之内額形〔家譜〕。 幕紋:亀甲之内小文字〔家譜〕
葬地は、華族名鑑によると、下谷 広徳寺。
明治17(1884)年7月8日小出英延が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
小出英延
[ 明治11(1878)年7月13日 〜  ]
英尚男。夫人細川行真四女宝子。
※生年は、華族名鑑による。

六郷

本荘藩 羽後 二万二十一石 外様 柳間 子爵
葬地は、華族名鑑によると、浅草 万隆寺。
明治17(1884)年7月8日六郷政鑑が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
六郷政鑑
[ 嘉永元年10月3日(1848年10月29日) 〜  ]
政殷男。夫人岡部長寛養女、実岡部長発女武子〔華族名鑑〕
※生年は、華族名鑑による。

分部

大溝藩 近江 二万石 外様 柳間 子爵〔明治35(1902)年7月爵位返上〕
葬地は、華族名鑑によると、赤坂 種徳寺中松渓院。
明治17(1884)年7月8日分部光謙が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
分部光謙
[ 文久2年11月3日(1862年12月23日) 〜  ]
光貞男。夫人溝口直溥女銀子。
※生年は、華族名鑑による。
内田
小見川藩 下総 一万石 譜代 菊間 子爵
葬地は、華族名鑑によると、浅草 龍宝寺。
明治17(1884)年7月8日内田正学が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
内田正学
[ 弘化4年11月3日(1847年12月10日) 〜  ]
正縄男。夫人内田正縄養女、実内田正道長女録子〔華族名鑑〕
※生年は、華族名鑑による。

蒔田

浅尾藩 備中 一万石 譜代 菊間椽側 子爵
葬地は、華族名鑑によると、駒込 勝林寺。
明治17(1884)年7月8日蒔田広孝が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
蒔田広孝
[ 嘉永4年2月4日(1851年3月6日) 〜  ]
広運男。実蒔田広袢長男。夫人稲垣長明女清子。
※生年は、華族名鑑によるが、現代華族譜要作嘉永2年2月。

公卿類別譜〜公家の歴史〜について

  • 本サイトの公卿に関するデータは、
    東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
    その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
    ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
    和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
    西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を 「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
  • 父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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