絶家・社家〔中臣・中山冷泉・半井・西川〕

中臣
中山冷泉
半井
西川
な行  
中臣
【なかとみ】
神祇職を司る。
鎌足までの系図は藤原氏を参照。
中臣 鎌子 ⇒藤原鎌足
中臣 金[ ? 〜 天武天皇元(672)年8月 ]
糠手子連男。可多能古連孫。
天智天皇10年正月5日(ユリウス暦:671年2月19日)任右大臣。
右大臣大錦上。
※祖父名は、他の文献では、可多能祐、方子などとも表記されている。
中臣 意美麻呂[ ? 〜 和銅4(711)年閏6月 ]
国足男。小治田朝小徳冠国子之孫。
和銅元年3月12日(ユリウス暦:708年4月7日)任中納言。
正四位上・中納言。
※父親は一説に鎌足とも。また、可多能祐大連とも。
※没年は和銅7(714)年とも。
中臣 清麻呂⇒ 大中臣氏

平野社系
中臣 宣保[ 延宝元(1673)年 〜 宝暦8年2月25日(1758年4月3日) ]
享保16年12月25日(1732年1月22日)叙従三位。
正三位・非参議・平野社禰宜。
※生年は、元文4(1739)年以降に記載された年齢から逆算。元文3(1738)年までに記載された年齢から計算すると、延宝2(1674)年生まれ。
中臣 益親[ 元禄13(1700)年 〜 宝暦10年2月20日(1760年4月5日) ]
宝暦9年12月24日(1760年2月10日)叙従三位。
従三位・非参議・平野社祝。
中臣 並親[ 寛延2(1749)年 〜 文政元年6月28日(1818年7月30日) ]
享和元年12月18日(1802年1月21日)叙従三位。
正三位・非参議・平野社正禰宜。
中臣 直親[ 寛政6(1794)年 〜 安政2年10月9日(1855年11月18日) ]
弘化2年5月29日(1845年7月3日)叙従三位。
従三位・非参議・平野社正禰宜。
中臣 直保[ 文政元(1818)年 〜 安政6年9月7日(1859年10月2日) ]
安政4年12月8日(1858年1月22日)叙従三位。
従三位・非参議・平野社正禰宜。

吉田社系
中臣 連胤[ 寛政7(1795)年 〜 ? ]
慶応2年4月7日(1866年5月21日)叙従三位。
明治元年時、従三位・非参議・吉田社権預。
春日社系
辰市
中臣 祐当[ 寛文2(1662)年 〜 享保17年正月2日(1732年1月28日) ]
享保5年10月23日(1720年11月22日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐用[ 明暦元(1655)年 〜 享保5年9月3日(1720年10月4日) ]
享保4年12月28日(1720年2月6日)叙従三位。
従三位・非参議・春日社新預。
中臣 祐兄[ 延享2(1745)年 〜 文化13年8月12日(1816年9月3日) ]
文化3年10月17日(1806年11月26日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐明[ 寛政4(1792)年 〜 万延元年4月23日(1860年6月12日) ]
祐族男。
天保15年6月10日(1844年7月24日)叙従三位。
従三位・非参議。春日社次権預。
中臣 祐恩[ 文明11(1479)年 〜 永禄4(1561)年2月 ]
天文22年10月20日(ユリウス暦:1553年11月25日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐礒[ 永正4(1507)年 〜 ? ]
祐恩男。
天正5年12月12日(ユリウス暦:1578年1月19日)叙従三位。
天正17(1589)年以降、不見。
従三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐崇[ 寛政6(1794)年 〜 ? ]
万延元年5月7日(1860年6月25日)叙従三位。
明治元年時、従三位・非参議・春日社前権預〔75歳〕。
中臣 祐諄[ 文政元(1818)年 〜 ? ]
文久3年9月20日(1863年11月1日)叙従三位。
明治元年時、正三位・非参議・春日社正預〔51歳〕。
中臣 祐薫[ 享保6(1721)年 〜 寛政3年8月14日(1791年9月11日) ]
寛政2年7月27日(1790年9月6日)叙従三位。
従三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐延[ 寛政3(1791)年 〜 嘉永2年10月11日(1849年11月25日) ]
天保10年4月8日(1839年5月20日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐俊[ 寛永5(1628)年 〜 元禄10年9月26日(1697年11月9日) ]
天和2年正月5日(1682年2月12日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 祐処[ 宝永6(1709)年 〜 明和2年正月2日(1765年2月21日) ]
宝暦7年8月25日(1757年10月7日)叙従三位。
従三位・非参議・春日社次預。
中臣 祐至[ 寛保2(1742)年 〜 文化3年9月22日(1806年11月2日) ]
寛政3年11月23日(1791年12月18日)叙従三位。
従三位・非参議・春日神宮権預。
千鳥氏旧記の春日若宮神主補任記より作成した系図。
祐房 ━ 祐重 ━ 祐明 ━ 祐定 ━ 祐賢 ━ 祐春 ━ 祐臣
祐任 ━ 祐右 ┳ 祐深 ┳ 祐光
  ┃   ┗ 祐富
  ┗ 祐位
祐村 ━ 祐勝 ━ 祐智
祐資 ━ 祐根 ━ 祐紀 ━ 祐栄
━ 祐忠 ━ 祐之 ━ 祐景
祐白 ━ 祐頼 ━ 祐字 ━ 祐益
中臣 祐益[ 正徳元(1711)年 〜 明和9年10月24日(1772年11月18日) ]
祐字男。
寛延3年2月1日(1750年3月8日)叙従三位。
従三位・非参議・春日社若宮神主。
中臣 祐雅[ 享保20(1735)年 〜 寛政2年7月24日(1790年9月3日) ]
天明3年2月2日(1783年3月4日)叙従三位。
従三位・非参議。春日社若宮神主。
中臣 祐誠[ 天明2(1782)年 〜 ? ]
天保8年12月26日(1838年1月21日)叙従三位。
嘉永5(1852)年以降、不見。
従三位・非参議。春日社若宮神主。
中臣 祐道[ 文化12(1815)年 〜 慶応4年3月13日(1868年4月5日) ]
元治元年3月28日(1864年5月3日)叙従三位。
従三位・非参議。春日社若宮神主。
中臣 祐木[ 宝暦6(1756)年 〜 文政4年8月25日(1821年9月21日) ]
寛政10年正月28日(1798年3月15日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 祐丕[ 明和7(1770)年 〜 天保9年6月14日(1838年8月3日) ]
文政6年正月28日(1823年3月10日)叙従三位。
従三位・非参議。春日社権預。
中臣 延種[ 慶長11(1606)年 〜 延宝6年12月28日(1679年2月9日) ]
寛文13年2月5日(1673年3月23日)叙従三位。
従三位・非参議・春日社権預。
中臣 延相[ 寛永13(1636)年 〜 元禄15年10月4日(1702年11月22日) ]
貞享5年4月21日(1688年5月20日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 延致[ 寛文8(1668)年 〜 享保16年11月2日(1731年11月30日) ]
享保8年11月25日(1723年12月22日)叙従三位。
従三位・非参議。春日社権預。
中臣 延栄[ 元禄8(1695)年 〜 明和4年11月14日(1768年1月3日) ]
宝暦元年12月5日(1752年1月20日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 延樹[ 享保5(1720)年 〜 寛政2(1790)年 ]
明和4年11月12日(1768年1月1日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
※生年は没年齢71歳として計算したもの。没年齢は或73歳。
中臣 延陳[ 明和8(1771)年 〜 文政5年10月1日(1822年11月14日) ]
文化8年9月17日(1811年11月2日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 延知[ 慶長14(1609)年 〜 延宝8年2月4日(1680年3月4日) ]
寛文13年2月5日(1673年3月23日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 延英[ 寛永15(1638)年 〜 享保4年11月10日(1719年12月20日) ]
元禄6年2月5日(1693年3月11日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 延晴[ 寛文9(1669)年 〜 宝暦元年12月7日(1752年1月22日) ]
享保16年11月11日(1731年12月9日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 延庸[ 元禄5(1692)年 〜 宝暦7年8月16日(1757年9月28日) ]
享保17年正月27日(1732年2月22日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 光知[ 享保5(1720)年 〜 寛政2年10月18日(1790年11月24日) ]
明和9年7月28日(1772年8月26日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 光泰[ 延享3(1746)年 〜 寛政9年12月20日(1798年2月5日) ]
寛政2年10月17日(1790年11月23日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 光和[ 寛政2(1790)年 〜 天保13年4月20日(1842年5月29日) ]
文政3年2月4日(1820年3月17日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 延尚[ 寛永17(1640)年 〜 享保8年11月18日(1723年12月15日) ]
元禄16年3月28日(1703年5月13日)叙従三位。
正三位・非参議・春日社正預。
中臣 延雄[ 正徳5(1715)年 〜 明和9年7月28日(1772年8月26日) ]
明和2年正月19日(1765年3月10日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。
中臣 延長[ 天明6(1786)年 〜 文久3年7月14日(1863年8月27日) ]
天保13年8月18日(1842年9月22日)叙従三位。
正三位・非参議。春日社正預。

中山冷泉

【なかやまれいぜい】
藤原北家花山院流。中山庶流。権大納言中山親綱の子右少将従四位下為親が冷泉を号した。為親の子為尚が公卿となるが、為尚の子の定淳は今城を称した。

中山冷泉家系図

為親までの系図は、中山家系図を参照。
為親 ┳ 為尚 ━ 定淳〔今城
  ┗ 尊済(醍醐寺。金剛王院。権僧正)
中山冷泉 為尚
[ 慶長9年2月20日(1604年3月20日) 〜 寛文2年7月5日(1662年8月18日) ]
右少将従四位下中山為親朝臣男。母五条為経女。
寛永12年正月5日(1635年2月22日)叙従三位。
従二位・権中納言。

半井

【なからい】
和気氏。医道の家。
明茂・明重・明孝・明英・明名が公卿に列せられる。

半井家系図

茂成までの系図は、和気氏系図を参照。
茂成 ┳ 尚成(改時尚)
  ┣ 明重 ┳ 明孝 ┳ 明名
  ┃   ┃   ┗ 明英※1 ━ 明親(法名機庵。宮内大輔)
  ┃   ┣ 明澄 ━ 明英(明孝猶子)※2
  ┃   ┣ 利長 ━ 明親
  ┃   ┗ 「怡(※仁和寺諸院家記によるが、世代的に不審。改真性。
  ┃   心蓮院。号中将法印。
  ┃   天正7年2月21日(ユリウス暦:1579年3月18日)入滅とある)
  ┗ 利長(明重為子)
※1・※2 公卿補任による。和気氏系図・半井系図では、明親男。
┳ 瑞策 ━ 瑞桂 ┳ 利親 ━ 成道  
  ┃   ┣ 瑞沢(男子六人女子五人)
  ┃   ┣ 宗閑
  ┃   ┣ 瑞直
  ┃   ┣ 瑞益
  ┃   ┗ 女子(5人)
  ┣ 洞軒
  ┣ 竹和軒
  ┣ 女子 ━ 慶友(明親為子)
  ┗ 慶友 ┳ 瑞之 ┳ 女子(大西杢右衛門某妻)
  ┃   ┣ 瑞慶 ━ 瑞之 ┳ 牧朝
  ┃   ┃   ┗ 直方
  ┃   ┗ 利重
  ┗ 義仙(養子)
半井 明茂(茂成)[ 応永9(1402)年 〜 文明15年7月6日(ユリウス暦:1483年8月9日) ]
和気明成男。法名・常茂。
宝徳3年正月5日(ユリウス暦:1451年2月6日)叙従三位。
文明8年12月27日(ユリウス暦:1477年1月12日)出家。
従二位・非参議。
半井 明重[ 寛正3(1462)年 〜 永正16年10月24日(ユリウス暦:1519年11月16日) ]
明茂男(実丹波重長男)。法名宗鑑。
永正4(1507)年6月叙従三位。
永正4年6月24日(ユリウス暦:1507年8月2日)出家。
従三位・非参議。
※生没年・出家日24日は半井系図による。
半井 明孝[ 延徳2(1490)年 〜 永禄2年10月4日(ユリウス暦:1559年11月3日) ]
明重一男。法名・宗乗。
大永6年8月10日(ユリウス暦:1526年9月16日)叙従三位。
天文3(1534)年11月出家。
正三位・非参議。
半井 明英[ 永正3(1506)年 〜 ? ]
明孝猶子(実兵庫助明澄男。半井明重猶子)。母冷泉為広女。法名・寿琳。
天文22年4月5日(ユリウス暦:1553年5月17日)叙従三位。
天文22年4月7日(ユリウス暦:1553年5月19日)出家。
従三位・非参議。
※和気氏系図・半井系図では、明親男。
半井 明名[ 生没年不明 ]
明孝男。
永禄7年正月19日(ユリウス暦:1564年3月2日)叙従三位。
天正5(1577)年出家。
従二位・非参議。

西川

【にしかわ】
正二位権大納言四条隆直の猶子房任が、西川を号した。
西川家系図
房任までの系図は、四条家系図を参照。
房任 ━ 隆継(四条隆夏猶子)
西川 房任
[ 応永24(1417)年 〜 文明17年正月19日(ユリウス暦:1485年2月4日) ]
四条隆直猶子。
康正元年10月13日(ユリウス暦:1455年11月22日)叙従三位。
従二位・参議。
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