絶家・社家〔町・町口・御子左・南淵・三原・三善・室町〕


町口
御子左
南淵
三原
三善
室町
ま行

【まち】
藤原北家勧修寺流。国史大系公卿補任の校訂では、町口経時の子顕郷と、その子顕基の2代に町の家名が付されている。〔参照⇒町口家〕。
知譜拙記によれば、顕賢以降の家名は、小庄。

町家系図

顕郷までの系図は、町口家系図を参照。
顕郷 ┳ 顕基 ┳ ━ 経光
  ┃   ┗ ━ ━ 顕古(顕量猶子。従五位下。母一条房家女)
  ┗ 女子(一条兼良妾。冬良母)
■色の名前は公卿。
町 顕郷
[ ? 〜 文明11(1479)年 ]
経時男。
寛正5年5月2日(ユリウス暦:1464年6月6日)叙従三位。
正三位・非参議。
※系図纂要によれば、名前は顕卿。
町 顕基
[ 生没年不明 ]
顕郷男。法名・宗顕。
永正5(1508)年9月叙従三位。
永正17年3月27日(ユリウス暦:1520年4月14日)出家。
従三位・非参議。
※諸家知譜拙記によれば、本名経清。

藤原北家日野流

1300年代後半、柳原忠光の子、資藤を祖とする。

町家系図

資藤までの系図は、柳原家系図を参照。
資藤 ━ 資広 ┳ 広光 ┳ 資将 ━ 将光(淳光。柳原資定卿為子)
  ┃   ┣ 女子(比丘。首坐。住能登国)
  ┃   ┣ 女子(尼衆)
  ┃   ┣ 女子高辻章長室)
  ┃   ┣ 女子(近衛尚通家女房)
  ┃   ┣ 兼継(広橋兼顕為子。興福寺別当)
  ┃   ┗ 晃円(*興福寺別当次第・北大路家譜による。興福寺別当。東北院。
  ┃   大僧正。天文17年6月10日(ユリウス暦:1548年7月15日)寂)
  ┣ 光什(延暦寺。横川長吏。法性寺座主。日野別当。
  ┃   法務大僧正。為左大臣日野勝光子。母一色阿波守満直女。
  ┃   天文2年6月13日(ユリウス暦:1533年7月5日)入滅)
  ┣ 女子(安禅寺比丘)
  ┗ 女子
町 資藤
[ 貞治5/正平21(1366)年 〜 応永16年6月5日(ユリウス暦:1409年7月17日) ]
忠光二男。法名・承康。
明徳3年12月22日(ユリウス暦:1393年2月3日)任参議。
正二位・権大納言。
町 藤光(改名資広)
[ 明徳元/元中7(1390)年 〜 文明元年11月12日(ユリウス暦:1469年12月15日) ]
資藤男。母因幡守平詮定女。法名・情寂、或恃寂。
応永26年3月10日(ユリウス暦:1419年4月5日)任参議。
従一位・権大納言。
町 広光
[ 文安元(1444)年 〜 永正元年6月15日(ユリウス暦:1504年7月26日) ]
資広男。母一色満直女。法名・忍寂。
文明元年11月2日(ユリウス暦:1469年12月5日)任参議。
正二位・権大納言。
※興福寺別当次第によれば、号室町大納言〔北大路家譜作町尻〕。
町 資将(本名資雄)
[ 永正15年3月9日(ユリウス暦:1518年4月18日) 〜 弘治元年10月24日(ユリウス暦:1555年11月8日) ]
広光男(実高辻章長二男)。実母町広光女。法名・宗寂。
天文13年2月24日(ユリウス暦:1544年3月17日)任参議。
正三位・権中納言。

町口

【まちぐち】
藤原北家勧修寺流。坊城定資の子経量が町口を家号とした。
※諸家知譜拙記では、経量を町家の祖とし、注記に町口とするは誤りとある。

町口家系図

※経量までの系図は、藤原北家良門孫A-高藤孫を参照。
経量 ┳ 経春(備前守。早世)
  ┣ ┳ ━ ━ 顕郷 〔町〕
  ┃   ┗ 定宣
  ┗ 量房
■色の名前は公卿。
町口 経量
[ 正和5(1316)年 〜 康暦2/天授6(1380)年 ]
坊城定資三男。法名・忍乗、或忍棄。
延文2/正平12年4月15日(ユリウス暦:1357年5月4日)叙従三位。
従三位・非参議。
※没年は公卿補任による。尊卑分脈・系図纂要・諸家知譜拙記によれば、康暦3/弘和元年3月10日(ユリウス暦:1381年4月5日)。没年齢が66歳とあるから、正和5(1316)年生まれということになる。

御子左

【みこひだり】
藤原北家。藤原道長の子長家を一流の祖とする。
※長家の孫俊忠は、二条とも号したので、家名を二条とする場合がある。

御子左家系図

※為家までの系図は、藤原北家V-長家子孫を参照。
為世 ┳ 為通 ┳ 為親 ━ 尊済(※金剛王院門跡列祖次第・系図纂要による。
  ┃   ┃       金剛王院。権僧正)
  ┃   ┣ 為定 ┳ 為貫(左少将。正五位下。早世)
  ┃   ┃   ┣ 定世(左少将。早世)
  ┃   ┃   ┣ 為遠 ━ 為衡(左中将。母園基隆女)
  ┃   ┃   ┣ 為有(左中将。正四位下。早世)
  ┃   ┃   ┣ 覚家(興福寺別当。西南院。嘉暦2(1327)年生。※御子左系図作学家)
  ┃   ┃   ┣ 昭海(光明院。隠遁。※御子左系図作照海)
  ┃   ┃   ┣ 良寿(或猶子云々。延暦寺。僧正。良聖資。猪熊)
  ┃   ┃   ┣ 隆寛(※御子左系図による)
  ┃   ┃   ┗ 女子八人(※御子左系図による)
  ┃   ┣ 良聖(延暦寺。僧正。法印〔御子左系図法師〕。号猪熊)
  ┃   ┣ 女子(二条関白女房。大納言局)
  ┃   ┣ 女子(三条公秀室)
  ┃   ┗ 女子(雅長卿室)
  ┣ 為藤 ┳ 為明
  ┃   ┣ 為清
  ┃   ┗ 為忠
  ┣ 為宗(正四位下。左中将。母菅原公氏女)
  ┣ 為躬(左少将〔御子左系図作左少弁〕。正五位下。母住吉神主国助女。早世)
  ┣ 為冬 ┳ 為重 ━ 為右(右少将〔御子左系図作右中将〕)
  ┃   ┗ 為胤(左少将。遁世)
  ┣ 女子(為子。贈従三位。後二条院女房権大納言局。
  ┃   後、後醍醐院女房。尊良親王等母)
  ┣ 女子(昭訓門春日局。西園寺公宗母)
  ┣ 女子(室町院女房。大納言局)
  ┗ 女子(花山院兼信室)
■色の名前は公卿。
  御子左 為氏 ⇒ 藤原 為氏
御子左 為世 ⇒ 藤原 為世
御子左 為藤
[ 建治元(1275)年 〜 元亨4年7月17日(ユリウス暦:1324年8月7日) ]
為世二男。母賀茂神主氏久女。叔父為雄の為子となるが、為通早世により、本家を相続する。
延慶元年12月10日(ユリウス暦:1309年1月21日)任参議。
正中2(1325)年以降、不見。
正二位・権中納言。
※没年は、系図纂要による。
御子左 為定
[ 正応2(1289)年 〜 延文5/正平15(1360)年5月 ]
為藤男(実左中将正四位下御子左為通男)。母飛鳥井雅有女。
法名・釈空。
元亨3年正月13日(ユリウス暦:1323年2月18日)任参議。
正中3(1326)年叙従三位。
嘉暦2(1327)年任権中納言。
嘉暦3(1328)年叙正三位。
元徳元(1329)年叙従二位、同日辞退。
元徳2(1330)年還任。
正慶元/元弘2(1332)年辞退。
正慶2/元弘3(1333)年権中納言。
建武元(1334)年叙正二位。
暦応元/延元3(1338)年辞退。
貞和2/正平元(1346)年任権大納言。
貞和3/正平2(1347)年辞退。
文和4/正平10年8月17日(ユリウス暦:1355年9月23日)出家。
※没月日は、尊卑分脈2月2日・愚管記3月14日。
※尊卑分脈によれば、本名為孝〔前田家所蔵脇坂氏本作為教〕。
御子左 為親
[ ? 〜 暦応4/興国2年6月4日(ユリウス暦:1341年7月18日) ]
左中将正四位下為通男。母飛鳥井雅有女。
建武2年正月5日(ユリウス暦:1335年1月30日)叙従三位、同13日任侍従。
従三位・非参議。
御子左 為明
[ 永仁3(1295)年 〜 貞治3/正平19年10月27日(ユリウス暦:1364年11月21日) ]
為藤男。号七条〔系図纂要〕
貞和3/正平2年正月5日(ユリウス暦:1347年2月15日)叙従三位。
延文元/正平11年11月25日(ユリウス暦:1356年12月17日)任参議。
延文4/正平14年8月11日(ユリウス暦:1359年9月3日)任権中納言。
延文5/正平15年4月16日(ユリウス暦:1360年5月1日)叙正三位。
延文6/正平16年3月27日(ユリウス暦:1361年5月2日)辞退。
正三位・権中納言。
御子左 為忠
[ 延慶3(1310)年 〜 応安6/文中2年12月18日(ユリウス暦:1374年1月30日) ]
為藤男。
観応元/正平5年6月19日(ユリウス暦:1350年7月23日)叙従三位。
延文5年叙正三位。
貞治2年任参議。
貞治4年辞退。
貞治6年叙従二位、任権中納言。
応安元年辞退。
従二位・権中納言。
御子左 為遠
[ 康永元/興国3(1342)年 〜 永徳元/弘和元年8月27日(ユリウス暦:1381年9月15日) ]
為定男。洞院実夏猶子〔系図纂要による〕
貞治3/正平19年4月14日(ユリウス暦:1364年5月16日)任参議。
貞治5年叙従三位。
応安2年任権中納言。
応安4年叙正三位。
応安6年叙従二位。
永和4年任権大納言。
御子左 為重
[ 正中2(1325)年 〜 至徳2/元中2年2月15日(ユリウス暦:1385年3月26日) ]
為冬男〔尊卑分脈・系図纂要による〕
応安4/建徳2年正月5日(ユリウス暦:1371年1月22日)叙従三位。
従二位・権中納言。
※生年は、尊卑分脈の没年齢61歳から計算。

南淵

【みなぶち】
応神天皇の皇子、稚渟毛二派王の後裔。本姓、坂田。一時、槻本を称す。弘貞の時、南淵姓を賜る。
南淵 弘貞
[ 宝亀7(776)年 〜 天長10年9月18日(ユリウス暦:833年11月3日) ]
従四位下坂田奈弖麻呂二男。
天長2年7月1日(ユリウス暦:825年7月19日)任参議。
従三位・参議。
南淵 年名
[ 大同2(807)年 〜 貞観19年4月8日(ユリウス暦:877年5月24日) ]
正四位下行因幡守永河一男。奈弖麻呂孫。
貞観6年正月16日(ユリウス暦:864年2月26日)任参議。
正三位・大納言。
※父親は、弘貞とも云われる。
【みなもと】
⇒ 源氏

三原

【みはら】
天武天皇の皇子、新田部親王の後裔。姓・朝臣。系図纂要によれば、新田部親王の後裔の高原王 も三原姓を賜ったとある。
三原 春上
[ 宝亀5(774)年 〜 承和10年12月28日(ユリウス暦:844年1月21日) ]
従五位上弟平王一男。
天長5年3月19日(ユリウス暦:828年4月7日)任参議。
正四位下・参議。
※父名は系図纂要によれば乙枚王、乙平王。
※続日本後紀によれば、没年は、承和12年11月18日(ユリウス暦:845年12月20日)。

三善

【みよし】
百済系氏族。伊予守克興の時、錦部から三善に改姓したという。
三善 清行
[ 承和14(847)年 〜 延喜18年10月26日(ユリウス暦:918年12月2日) ]
淡路守従五位下氏吉三男。母佐伯氏。
延喜17年正月29日(ユリウス暦:917年2月23日)任参議。
従四位上・参議。
※没年月日は、日本紀略によると、延喜18年12月7日(ユリウス暦:919年1月11日)。
大鏡裏書によると、
浄蔵定額・・・清行男。康保元年11月21日(ユリウス暦:964年12月27日)入滅。

室町

【むろまち】
藤原北家閑院(公季)流。鎌倉時代、太政大臣西園寺公経の四男実藤が室町を号とする(実藤は藪内とも号した)。以後、公重・公行・実為・季行・公春が公卿となるが、6代目季顕から四辻を号した。
(参照⇒四辻家

室町家系図

公季 ┳ 実成 ━ 公成 ━ 実季 ┳ 公実
  ┃   ┣ 保実
  ┃   ┗ 仲実
  ┗ 親賢
┳ 実兼 ━ 成兼
  ┣ 実隆 ┳ 成隆
  ┃   ┣ 隆季
  ┃   ┗ 公隆 ┳ 実憲
  ┃   ┣ 実雅
  ┃   ┗ 賢隆
  ┣ 実行 ┳ 公教 ┳ 実綱
  ┃ 三条 ┃   ┣ 実国
  ┃   ┃   ┃ 滋野井八条阿野
  ┃   ┃   ┗ 実房〔三条嫡流
  ┃   ┗ 公行
  ┣ 通季〔西園寺〕 
  ┣ 実能〔徳大寺
  ┗ 季成
公通 実宗 公定〔清水谷 公基
    公経 実氏 公相 実兼 公衡〔西園寺嫡流
    公仲   実康 公具
  実明 公雅   実顕 公顕〔今出河
  実有〔一条 実俊 兼季〔菊亭
  実雄〔洞院・小倉
  実藤 公行 季行
  公重 実弘
  実為 公春 実郷 ━ 季顕四辻
  公信
※実藤以降の詳細な系図は、羽林家四辻家を参照。
室町 実藤
[ 安貞元(1227)年 〜 永仁6年10月13日(ユリウス暦:1298年11月18日) ]
西園寺公経四男。母舞女。
暦仁2年正月5日(ユリウス暦:1239年2月10日)叙従三位。
永仁6年8月22日(ユリウス暦:1298年9月28日)出家。
正二位・権大納言。
室町 公重
[ 康元元(1256)年 〜 弘安8年6月6日(ユリウス暦:1285年7月9日) ]
実藤男。母藤原実有女。
建治2年12月20日(ユリウス暦:1277年1月25日)叙従三位。
弘安8年5月17日(ユリウス暦:1285年6月21日)出家。
従二位・参議。
室町 公行
[ 寛元元(1243)年 〜 ? ]
実藤男。母大外記師朝女。
弘安元年9月23日(ユリウス暦:1278年10月10日)叙従三位。
永仁元(1293)年出家。
従二位・非参議。
室町 実為
[ 建治元(1275)年 〜 永仁6年10月29日(ユリウス暦:1298年12月4日) ]
実藤三男。
正応5年閏6月16日(ユリウス暦:1292年7月31日)叙従三位。
正三位・参議。
藤原 公信
[ 生没年不明 ]
実藤男。
応長2年3月3日(ユリウス暦:1312年4月10日)叙従三位。
正中2(1325)年以降、不見。
従三位・非参議。
室町 季行(本名実為・実綱)
[ 文永10(1273)年 〜 ? ]
公行男。母藤原済家女。
応長2年3月3日(ユリウス暦:1312年4月10日)叙従三位。
元徳元(1329)年出家。
従三位・非参議。
室町 公春
[ 正応5(1292)年 〜 暦応3/興国元年6月15日(ユリウス暦:1340年7月10日) ]
実為男。母家女房。
正和3年10月21日(ユリウス暦:1314年11月29日)叙従三位。
従二位・参議。

室町(藤原北家師通流

京極摂政師実から6代目家信(雅経)が室町を称した。その子雅継、 雅春(雅継孫)・雅朝(雅春男)が公卿となる。雅秋以降、木幡を称す。また、雅行の子雅国は江辺を号した。
家信までの系図は、藤原氏北家家政孫系図を参照。
家信 ┳ 雅継 ┳ 雅保 ━ 女子
  ┃   ┃ (母藤原経行女。    
  ┃   ┃ 右中将。従四位下。    
  ┃   ┃ 法名浄心)    
  ┃   ┣ 雅持 ┳ 雅春
  ┃   ┃   ┗ 雅冬(中将)
  ┃   ┣ 雅任(従五位下)
  ┃   ┣ 長隆 ┳ 実遍(勧修寺)
  ┃   ┃ (侍従) ┗ 定乗(仁和寺)
  ┃   ┣ 実雅(延暦寺。法印。権大僧都)
  ┃   ┣ 良雅 ┳ 恵雅(延暦寺)
  ┃   ┃   ┗ 女子(松殿冬房室)
  ┃   ┗ 覚静(法印)
  ┣ 長教 ┳ 頼信 ━ 信持 ━ 頼済(醍醐寺)
  ┃   ┣ 信教 ━ 頼信(醍醐寺。権大僧都)
  ┃   ┗ 心観 ━ 慈祐(延暦寺。権大僧都)
  ┣ 長隆 ━ 浄顕(園城寺。法印権大僧都)
  ┣ 雅平〔法性寺
  ┣ 雅綱(侍従。従五位下)
  ┣ 深寛(※名は東寺長者補任等によるが、仁和寺諸院家記・系図纂要は深覚。
  ┃   仁。五智院。東寺二長者。号三位僧正。本名信寛、或信覚。
  ┃   嘉禄2(1226)年生。弘安10年正月17日(ユリウス暦:1287年3月2日)寂)
  ┣ 靖尊(延暦寺。法印。権大僧都)
  ┣ 承政(延暦寺。権大僧都)
  ┣ 証恵(仁和寺。権少僧都)
  ┣ 厳誉(権律師)
  ┣ 信静(園城寺。阿闍梨)
  ┣ 女子(藤原道家家女房)
  ┣ 女子(藤原為家室。離別)
  ┗ 女子(藤原教実北政所)
┳ 雅朝 ━ 雅秋木幡 ━ 雅藤 ━ 雅豊 ━ 雅遠
  ┗ 雅兼 ━ 雅行 ━ 雅国 江辺
■色の名前は公卿。
藤原 家信
[ 寿永元(1182)年 〜 嘉禎2年8月22日(ユリウス暦:1236年9月23日) ]
雅長三男。母源家長朝臣女(七条院女房堀川局)。
承久2年4月6日(ユリウス暦:1220年5月9日)叙従三位。
正三位・非参議。
室町 雅継
[ 建保元(1213)年 〜 建治3年6月16日(ユリウス暦:1277年7月18日) ]
藤原家信男。母浄雲僧都女。号・室町。
建長7年正月7日(ユリウス暦:1255年2月15日)叙従三位。
正三位・非参議。
室町 雅春
[ 正応元(1288)年 〜 康永4/興国6年9月25日(ユリウス暦:1345年10月21日) ]
左中将雅持朝臣男。
嘉暦2年11月10日(ユリウス暦:1327年12月23日)叙従三位。
正三位・非参議。
室町 雅朝
[ ? 〜 康暦2/天授6(1380)年 ]
雅春男。
延文元/正平11年12月25日(ユリウス暦:1357年1月16日)叙従三位。
従二位・非参議。
藤原 雅兼
[ 生没年不明 ]
雅春男。
応安7/文中3年12月20日(ユリウス暦:1375年1月22日)叙従三位。
至徳2/元中2(1385)年以降、不見。
従三位・非参議。

※最終更新日 2015.10.09