★家格が不明の場合、氏姓の50音順索引からお入りください。

絶家・社家〔飯高・石川・石上・今小路・海住山・卜部・江辺・多・大伴・大野・大神・小槻・小野〕

飯高
石川
石上
今小路
宇佐
海住山
卜部
江辺

大江
大伴
大野
大神
尾崎
小槻
小野
 
い〜お

飯高
【いいたか】

和珥氏族。孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命の後裔といわれる。 飯高氏の祖は、乙加豆知命とされるが、公卿補任に名前が見える諸高の出自は不明。
飯高 諸高
[ 持統天皇元(687)年 〜 宝亀8(777)年5月 ]
父名不記載。
宝亀7(776)年4月叙従三位。
従三位・非参議。
※生年は、或文武天皇2(698)年。
※没年は、或宝亀9(778)年。
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石川
【いしかわ】

蘇我氏の後裔。蘇我連子の孫石足より石川を称す。
石川 石足
[ ? 〜 天平元年8月9日(ユリウス暦:729年9月6日) ]
少納言小花下安麻呂男。蘇我連子孫。
神亀6年2月任権参議、3月2日(神亀6年2月任権参議、3月2日)叙従三位。
従三位・権参議。
石川 年足
[ 持統天皇2(688)年 〜 天平宝字6(762)年9月 ]
石足一男。
天平20年3月22日(ユリウス暦:748年4月24日)任参議。
正三位・御史大夫。
石川 豊成
[ ? 〜 宝亀3(772)年9月 ]
石足男。
天平宝字6年12月1日(ユリウス暦:762年12月20日)任参議。
正三位・中納言。
石川 名足
[ 神亀5(728)年 〜 延暦7年6月4日(ユリウス暦:788年7月11日) ]
年足男。石足孫。
宝亀9年2月10日(ユリウス暦:778年3月13日)任参議。
従三位・中納言。
※生年は没年齢61歳より逆算。没年齢は60歳とも。他の文献では、参議任官は、宝亀11(780)年2月。没日は続日本紀によれば、10日。
石川 真守[ 天平元(729)年 〜 延暦17年8月19日(ユリウス暦:798年10月3日) ]
延暦9年2月9日(ユリウス暦:790年2月27日)任参議。
正四位上・参議。
※参議任官日は続日本紀によれば27日。他の文献では、参議任官年は延暦6(787)年。

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石上
【いそのかみ】

物部氏族。麻呂は、物部尾輿の玄孫。
石上 麻呂
[ 舒明天皇12(640)年 〜 霊亀3年3月3日(ユリウス暦:717年4月18日) ]
物部宇麻乃男。
大宝元(文武天皇5)年3月19日(ユリウス暦:701年5月1日)任中納言、同日叙従三位。
正二位・左大臣〔贈従一位〕。
石上 乙麻呂[ ? 〜 天平勝宝2年9月1日(ユリウス暦:750年10月5日) ]
天平20年3月10日(ユリウス暦:748年4月12日)任参議。
従三位・中納言。
※異説では、参議不歴。
石上 宅嗣
[ 神亀5(728)年 〜 天応元年6月24日(ユリウス暦:781年7月19日) ]
乙麻呂男。
天平神護2年正月8日(ユリウス暦:766年2月21日)任参議。
正三位・大納言〔贈正二位右大臣〕。
一時、物部姓に改姓。
私邸阿閦寺に芸亭院を設けた。

石上 宮麻呂
[ 斉明天皇元(655)年 〜 和銅6年12月5日(ユリウス暦:713年12月26日) ]
蘇我連子第五子。
和銅6年正月7日(ユリウス暦:713年2月6日)叙従三位。
従三位・散位。
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今小路
【いまのこうじ】

藤原北家摂関流。二条兼基の子、良冬を祖とする。

今小路家系図

良冬までの系図は、 二条家系図を参照。
良冬 ┳ 基冬 ━ 師冬 ┳ 満冬 ━ 持冬 ━ 成冬          
  ┃   ┣ 満済(足利義満猶子。号法身院。
  ┃   ┃   東寺。三宝院。准三后)
  ┃   ┗ 持厳(二条持通猶子。号西南院。三宝院。
  ┃       醍醐寺。東寺一長者。随心院)
  ┣ 良承(大原。権僧正。証達房)
  ┣ 道琳(千本。報恩院)
  ┣ 良誉(延暦寺。安居院。良憲資)
  ┗ 増珍(二条良基猶子。本名道淳。大僧正。園城寺。実相院)
良冬 ⇒ 二条 良冬
基冬 ⇒ 二条 基冬
今小路 師冬
[ 生没年不明 ]
基冬男。
応永2年6月3日(ユリウス暦:1395年6月20日)叙従三位。
応永11(1404)年出家。
従一位・権大納言。
今小路 満冬
[ 至徳元/元中元(1384)年 〜 ? ]
師冬男。
応永14年3月5日(ユリウス暦:1407年4月12日)任参議。
応永18(1411)年以降、不見。
従三位・参議。
今小路 持冬
[ ? 〜 永享8(1436)年12月 ]
満冬男。
永享4年6月23日(ユリウス暦:1432年7月20日)叙従三位。
従三位・権中納言。
今小路 成冬
[ 生没年不明。 ]
持冬男。
長禄4年正月6日(ユリウス暦:1460年1月29日)叙従三位。
永正2(1505)年出家。
極官位、正三位・非参議。
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海住山
【うつやま・
うずやま】

藤原北家高藤流。甘露寺庶流。別称九条。藤原光房の子光長を祖とする。新訂増補国史大系公卿補任では九条氏房の子清房と、その子高清に海住山の家名が付されている。清房以前の系図と公卿は、九条流を参照。
また、穂波家の祖経尚が元は海住山を称していた。

海住山家系図

系図は、九条家系図を参照。
海住山 清房
[ ? 〜 文安5年6月18日(ユリウス暦:1448年7月18日) ]
九条氏房男。
応永31年3月17日(ユリウス暦:1424年4月16日)任参議。
従二位・権大納言。
海住山 高清
[ ? 〜 長享2(1488)年 ]
清房男。号勘解由小路。
長禄2年5月14日(ユリウス暦:1458年6月24日)任参議。
従二位・権大納言。
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卜部
【うらべ】

卜部流は藤原鎌足の叔父国子大連から5代目諸魚を祖とし、平麻呂〔*系図纂要-日良麻呂〕の時、中臣から卜部へ改姓する。卜部氏と藤原氏を同祖とすることに関しては、異説があるが、ここでは、尊卑分脈・系図纂要・続群書類従所収卜部系図等に従うことにする。但し、家譜によれば、藤原氏と同祖であるが、諸魚を卜部氏の祖とは、していない。真根子命の後裔となっている〔真根子命までの系図は、中臣氏系図を参照〕。 この真根子命の後裔を壱岐卜部氏と呼び、壱岐〔伊岐・伊伎〕氏・松室氏を称した。 六条天皇の生母、有栖川宮職仁親王(実霊元院皇子)の生母等が伊岐・松室氏の女である。

卜部氏系図

諸魚までの系図は、中臣氏系図を参照。
諸魚 ┳ 智治麻呂 ┳ 良舟(文章生。正六位上)
  ┃   ┣ 良檝 ━ 国雄 ┳ 利貞(従八位上)
  ┃   ┃   ┣ 利生
  ┃   ┃   ┣ 維清
  ┃   ┃   ┣ 惟正
  ┃   ┃   ┗ 興名
  ┃   ┣ 壹演(内舎人。出家。俗名正棟)
  ┃   ┣ 平麻呂 ━ 豊宗 ━ 好真 ━ 兼延 ┳ 兼忠 〔以下、吉田家を参照〕
  ┃   ┃   ┗ 兼国 〔以下、藤井家を参照〕
  ┃   ┣ 貞棟(小判事)
  ┃   ┗ 道棟(八上)
  ┣ 伯麻呂 ┳ 安世(従六位上)
  ┃   ┣ 永歳
  ┃   ┣ 真助(従七位下)
  ┃   ┗ 是真(従五位下)
  ┗ 女子(母従五上大和小常子命婦女。従五位上。命婦百子)
卜部 兼任〔⇒吉田家〕
卜部 兼照(兼昭)〔⇒吉田家〕
卜部 兼永〔⇒藤井家〕

壱岐卜部氏
真根子命 ━ 御身足尼命 ━ 大田彦命 ━ 酒人命 ━ 神奴子命
忍見命 ━ 太富命 ━ 十握命 ━ 若彦 ━ 乙等 ┳ 韓国
  ┗ 網田
古麻呂 ━ 宅麻呂 ━ 益麻呂 ┳ 真次 ━ 氏麻呂
  ┣ 黒継 ━ 黒氏
  ┗ 益業 ⇒B
B⇒ 業氏 ━ 宅基 ━ 平麻呂 ⇒吉田〔以下、尊卑分脈に同じ〕
┳ 氏成 ┳ 雄貞 ━ 貞本 ┳ 尚貞
  ┃   ┃   ┣ 国雄
  ┃   ┃   ┗ 宮雄
  ┃   ┣ 千代麻呂 ━ 忠則 ┳ 忠岡
  ┃   ┃   ┗ 春忠
  ┃   ┗ 是雄 ━ 月雄 ┳ 雪雄 〔松室〕
  ┃   ┗ 淵雄
  ┗ 仙樹
※月雄までの系図は吉田家譜によるもので、加筆していない。

松室

系図纂要によれば、月雄の子雪雄に松室の号が付されている。
系図纂要を基本とした。
雪雄 ┳ 峯雄 ┳ 石雄
  ┃   ┣ 忠雄 ┳ 政見
  ┃   ┃   ┣ 峯政 ━ 峰守
  ┃   ┃   ┗ 政守(権大掾。従五位上)
  ┃   ┗ 政雄(母同。木嶋社預。従五位下)
  ┗ 松世 ┳ 里雄(美濃守。従五位下)
  ┗ 仲算(興福寺。松室房名貞松房)
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江辺
【えのべ】

藤原北家師通流。室町庶流。藤原雅行の子雅国が江辺を号した。
系図は、室町家系図を参照。
雅国 ━ 雅連 (※系図纂要による。
      文明8年正月6日(ユリウス暦:1476年2月1日)従五位下)

江辺家公卿一覧

江辺 雅国
[ ? 〜 明応9年正月23日(ユリウス暦:1500年2月22日) ]
藤原雅行男。
応仁元年5月2日(ユリウス暦:1467年6月3日)正四位下〔系図纂要〕
文明12(1480)年叙従三位。
従三位・非参議。
公卿補任尻付なし。
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【おお】

神武天皇の子の神八井耳命の後裔。

多氏系図

武諸木 ━ 飲鹿 ━ 入鹿 ━ 藤野麻呂 ━ 自然麻呂 ┳ 春野 ━ 良常 ━ 脩文
  ┗ 右野
脩正 ┳ 公用 ┳ 好茂 ━ 正方
  ┃   ┗ 好実(※系図纂要による。系図綜覧无。右将曹)
  ┣ 公高(※系図纂要による。系図綜覧无。一者二年)
  ┗ 武文 ━ 武好(玄蕃允)
多 入鹿[ 天平宝字元(757)年 〜 弘仁7(816)年10月 ]
延暦12(793)年少外記〔外記補任2月任〕
延暦15(796)年2月遷式部丞〔外記補任〕
延暦16(797)年正月兼播磨大目、2月遷権少掾。
延暦17年正月7日(ユリウス暦:798年1月28日)従五位下、2月兵部少輔。
延暦20(801)年少納言。
延暦21(802)年兼近衛将監。
延暦25(806)年4月転近衛少将。兼武蔵権介。
大同元(806)年8月中衛少将。
大同2(807)年正月近衛少将、7月兼尾張守、8月上野守、11月兼木工頭。
大同3年正月10日(ユリウス暦:808年2月9日)右少弁(少将如元)、25日正五位下、2月民部少輔。
大同4年6月8日(ユリウス暦:809年7月23日)従四位下、9月19日任山陽道観察使。
兼左京大夫。止右中弁。
大同5年正月10日(ユリウス暦:810年2月17日)兼相模守(大夫如元)、2月任参議、
6月停観察使為参議、9月10日解官。左降讃岐権守。
極官位:従四位下・参議。
※生年は、公卿補任の年齢から逆算したものだが、系図纂要の没年58歳から計算すると、天平宝字3(759)年生まれ。
※没年は、系図纂要による。
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大伴
【おおとも】

天押日命の後裔氏族。軍事職掌の氏族。
姓は、元は、連。天武朝より宿禰。弘仁14年に伴氏に改姓。
「伴大納言絵詞」の主人公として有名な伴善男が、応天門の変で伊豆に配流された為、大伴氏は歴史の表舞台から消え去った。
鎌倉の鶴岡八幡宮神主は、伴善男の子孫という。また、三河にも伴氏を称する一族があり、大伴氏の系図は、従来は、これらの系譜によるものであったが、近年になって浅間神社宮司の古屋家に伝わる古屋家家譜が、発見された。

大伴氏系図

尊卑分脈に大伴氏の系図はなく、諸説あるので、公卿補任に記された血縁関係を基本とした。
天中主尊 ━ 天八下尊 ━ 別天三降尊 ━ 別天合尊 ━ 別天八百尊 ━ 別天八十万魂尊
別天八百尊 ┳ 高皇彦霊尊 ━ 天忍〔押〕日命 ━ 天津彦日中咋命 ━ 天津日命
  ┣ 神皇彦霊尊
  ┗ 津速彦霊尊
道臣命 ━ 味日命 ━ 雅日臣命 ━ 大日命 ━ 角日命 ━ 豊日命 ━ 武日 ━ 健持
※以上は、続群書類従の伴氏系図によるものだが、続群書類従には、ここまでの系図が2種類収録されていて、片方の系図は、次の室屋まで三世中絶とあるが、公卿補任の表記に従えば、室屋は健持(武持)の子。
金村以降を公卿補任に記載された血縁関係だけで整理すると、下記の如くとなる。
金村 咋子 長徳 御行
    安麻呂 旅人 家持
  吹負 牛養
  祖父麻呂 古慈斐 乙麻呂
望陀
馬来田 道足(或いは、安麻呂の子) 伯麻呂
古麻呂 継仁(人) 国道 善男
兄麻呂 潔足
駿河麻呂
春雄 保平
金村の父親に関して、金村を室屋の子とするものと、室屋の子談の子とするものとがある。
また、寛政重修諸家譜の山岡系図によれば、健持と室屋の間に健友・武季・建室の三代がはいる。
⇒  室屋 ┳ 金村 ━ 咋子 ━ 長徳 ┳ 御行
  ┃   ┗ 安麻呂 ━ 旅人 ━ 家持
  ┣ 御物〔林宿禰祖〕
  ┗ ━ 歌〔佐伯氏祖〕 ━ (略) ━ 空海
⇒  ┳ 室屋 ┳ 金村
  ┃   ┗ 御物
  ┗
室屋 ┳ ━ 金村 ┳
  ┃   ┣ 狭手彦
  ┃   ┗ 阿被布古 ━ 咋子 ┳ 長徳 ⇒A
  ┃   ┣ 馬来田 ⇒B
  ┃   ┗ 吹負 ⇒C
  ┣ 御物 ━ 戸難目連公
  ┗ 歌〔⇒佐伯氏〕
※尊卑分脈によれば、藤原鎌足の母は、大徳冠大伴久比子卿乙女智仙娘とある。久比子を咋子とするものが多い。寛政重修諸家譜の山岡系図によれば、咋子は、狭手彦の子。
※佐伯氏の祖に関しても、諸説あり。金村の弟歌を祖とするものが多い。また、御物は林宿禰の祖とされている。
A⇒ 御行
  安麻呂 旅人 家持 永主
B⇒ 道足 伯麻呂
C⇒ 牛養
  祖父麻呂 古慈斐 乙麻呂 勝雄 須賀雄 春雄 保平⇒D
※古麻呂 ━ 継仁(人) ━ 国道 ━ 善男 の流れに関しても諸説ある。
古麻呂の父を家持とするもの、御行とするもの、長徳とするものなどがある。

※兄麻呂 ━ 潔足
兄麻呂の父を御行とするもの、長徳とするものなどがある。

※駿河麻呂
道足の子とするもの、兄麻呂の子とするものなどがある。
※D以下は、地下家伝による。この系は、 小野を称した。
D⇒ 彦貞 ━ 忠陳 ━ 惟信 ━ 貞資 ━ 定政 ━ 広貞 ━ 広信
大伴 健持(一云武持、又武以)[ 生没年不明 ]
健日命の子。豊日命孫。道臣命七世孫。天忍命の後裔。
〔以上、公卿補任による表記。健日命は続群書類従によれば、初号武日命〕
仲哀天皇元年大連(大連の始)。
※名は系図纂要作武持。
大伴 室屋[ ? 〜 顕宗天皇御世 ]
武持大連の子(公卿補任による)。
允恭天皇御世任大連。
大連。
大伴 金村[ ? 〜 欽明天皇御世 ]
仁賢天皇5年2月任大連。
称老帰住老家大連。
大伴 長徳[ ? 〜 白雉2(651)年7月 ]
咋子連男。金村大臣曾孫。字馬養。或鳥養。
初見孝徳天皇御世。大化5年4月20日(ユリウス暦:649年6月5日)任右大臣大紫。
右大臣・大紫。
大伴 望陀[ ? 〜 天武天皇12年6月3日(ユリウス暦:684年7月20日) ]
初見天武天皇御世。
初任不明。
大納言
※ユリウス暦への変換は、三正綜覧による。
大伴 御行[ 大化2(646)年 〜 大宝元(文武天皇5)年正月15日(ユリウス暦:701年2月27日) ]
難波朝右大臣長徳連五男。
大宝元(文武天皇5)年正月5日(701年2月17日)任大納言。
正三位(正三位始)・大納言〔贈(追贈官位始)正広二(正二位)・右大臣〕。
※ユリウス暦への変換は、三正綜覧による。公卿補任によれば、大宝への改元日は、3月21日。
※続日本紀によれば、700年8月叙正広三。
大伴 安麻呂[ ? 〜 和銅7年5月1日(ユリウス暦:714年6月17日) ]
難波朝右大臣大紫長徳六男。
大宝元(文武天皇5)年3月19日(ユリウス暦:701年5月1日)叙従三位。
正三位・大納言〔贈従二位〕。
※ユリウス暦への変換は、三正綜覧による。公卿補任によれば、大宝への改元日は、3月21日。
大伴 旅人(一云多比等・淡等)[ ? 〜 天平3年7月1日(ユリウス暦:731年8月7日) ]
安麻呂一男。
養老2年3月3日(ユリウス暦:718年4月8日)任中納言。
従二位・大納言。
※没日は、25日とも。
大伴 道足[ 生没年不明 ]
馬来田男。
神亀6(729)年2月任参議。
天平14(742)年以降、不見。
正四位下・参議。
※初見時の尻付には、安麻呂一男とあるが、伯麻呂の祖父が馬来田となっているので、父を馬来田とした。
※極官位は続日本紀によれば、従四位下。
※天平13(741)年逝去か。
大伴 牛養[ ? 〜 天平感宝元年閏5月27日(ユリウス暦:749年7月16日) ]
贈大錦中少吹負男。大徳咋子連孫。
天平11年4月19日(ユリウス暦:739年5月30日)任参議。
正三位・中納言。
※続日本紀によれば、参議任官日は21日、没日は29日。
大伴 兄麻呂[ 生没年不明 ]
公卿補任に父名不記載。
天平勝宝元年7月2日(ユリウス暦:749年8月19日)任参議。
天平勝宝9(757)年以降、不見。
従三位・参議。
公卿補任に、或本。天平宝字2(758)年謀反とある。
大伴 駿河麻呂[ ? 〜 宝亀7(776)年3月 ]
公卿補任に父名不記載。
宝亀6年9月27日(ユリウス暦:775年10月26日)任参議。
正四位下・参議〔宝亀7年4月3日(ユリウス暦:776年4月25日)贈従三位〕。
※没年は、宝亀8年7月5日(ユリウス暦:777年8月12日)とも。従三位追贈日は、続日本紀によれば、7月7日。
大伴 古慈斐[ 大宝元(701)年 〜 宝亀8年8月4日(ユリウス暦:777年9月9日) ]
平城朝越前按察使従四位下祖父麻呂男。飛鳥朝臣常道頭贈大錦中小吹負孫。
宝亀6年正月5日(ユリウス暦:775年2月9日)叙従三位。
従三位・非参議。
大伴 伯麻呂[ 養老2(718)年 〜 天応2年2月3日(ユリウス暦:782年3月21日) ]
道足男。馬来田贈大紫孫。
宝亀9(778)年9月任参議。
天応2年閏正月13日(ユリウス暦:782年3月1日)坐事解官。
従三位・参議。
大伴 家持
[ 天平元(729)年 〜 延暦4(785)年8月 ]
大納言従二位旅人(又名多比等)之子。
宝亀11年2月1日(ユリウス暦:780年3月11日)任参議。
従三位・中納言。
大伴継人・竹良らの藤原種継暗殺事件に関わったとされる。没年は、公卿補任によるもの。
かささぎの渡せる橋におく霜の白きをみれば夜ぞふけにける。〔小倉百人一首〕
大伴 潔足[ 霊亀2(716)年 〜 延暦11年10月2日(ユリウス暦:792年10月22日) ]
参議従三位兄麿之子。
延暦9年2月9日(ユリウス暦:790年2月27日)任参議。
従四位上・参議。
※生年は没年条の年齢から逆算したもの。初見時の年齢から計算すると、養老5(721)年生まれ。
大伴 乙麻呂[ 天平3(731)年 〜 大同4(809)年5月 ]
古慈斐男。
延暦14(795)年叙従三位。
従三位・非参議。
大伴 国道[ 神護景雲2(768)年 〜 天長5年11月12日(ユリウス暦:828年12月22日) ]
左少弁従五位下継仁〔人?〕男。遣唐副使正四位下古麻呂孫。
弘仁14年5月14日(ユリウス暦:823年6月25日)任参議。
従四位上・参議。

尾崎(桂宮諸大夫)

大伴 積興〔本名継忠〕[ 延享4年11月23日(1747年12月24日) 〜 文政10年後6月7日(1827年7月30日) ]
正五位下正殖朝臣男。
文政8年2月11日(1825年3月30日)叙従三位。
従三位・非参議。
※本名・父名は、地下家伝による。
※皇親系によれば、娘敦子は有栖川宮韶仁親王の生母。
地下家伝詳細
延享4年11月23日(1747年12月24日)生。
宝暦11年3月25日(1761年4月29日)叙従六位下(于時侍)。
同日任縫殿大允。
宝暦12年正月〔ィ同年五月〕16日(1762年2月9日)辞官返上位記。
同日叙正六位下(于時諸大夫)。
同日任左衛門少尉。
宝暦12年11月5日(1762年12月19日)任大和守(辞少尉)。
明和5年2月3日(1768年3月21日)叙従五位下。
明和5年7月25日(1768年9月5日)改積興。
明和6年6月18日(1769年7月21日)改伴姓復旧姓大伴氏。
安永3年2月29日(1774年4月9日)叙従五位上。
安永9年11月5日(1780年11月30日)叙正五位下。
天明5年5月25日(1785年7月1日)任玄蕃頭(守如元)。
天明6年2月3日(1786年3月2日)叙従四位下。
天明7年8月16日(1787年9月27日)遷縫殿頭(守如元)。
寛政4年2月2日(1792年2月23日)叙従四位上。
寛政10年5〔ィ正〕月28日(1798年7月11日)叙正四位下。
文政8年正月28日(1825年3月17日)辞頭。 文政8年2月11日(1825年3月30日)叙従三位(中廿六)。
文政10年閏6月7日(1827年7月30日)薨81歳。
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大野
【おおの】

下毛野氏と同族で、崇神天皇の皇子豊城入彦命の後裔。
大野 東人
[ ? 〜 天平14年11月11日(ユリウス暦:742年12月12日) ]
飛鳥朝糺職大夫直広肆果安之子。
天平11年4月19日(ユリウス暦:739年5月30日)任参議。
従三位・参議。
※参議任官日は続日本紀によれば、21日。
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大神
【おおみわ】

建速須佐之男命(素戔鳴尊)の後裔氏族。大三輪とも表記される。大神神社(奈良県桜井市三輪)の神主を務める家。
寛政重修諸家譜によれば、藤林家も大神氏の後裔という。

大神氏系図

大神神社史料第一巻に収録されている系譜三輪高宮家系を基本とし、高市麻呂までの傍系は省略した。
建速素戔烏尊 大国主命*2 味鉏高日子根命*3
*1   都美波八重事代主命 天事代主籖入彦命 奇日方天日方命
  比売蹈韛五十鈴媛命
  五十鈴依媛命
┳ 飯肩巣見命 ━ 建甕尻命 ━ 豊御気主命 ━ 大御気主命 ┳ 阿田賀田須命
  ┃   ┗ 建飯賀田須命
  ┗ 渟名底仲媛命
大田々根子命 ━ 大御気持命 ┳ 大鴨積命
  ┣ 大部主命 ━ 大友主命 ━ 志多留命
  ┗ 田々彦命
┳ 石床 ┳ 身狭 ┳ 特牛 ━ ┳ 小鷦鷯 ━ 文屋 ━ 利金 ┳ 高市麻呂
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 安麿
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 狛麿
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 豊嶋売
  ┃   ┃   ┃   ┗ 弟隈
  ┃   ┃   ┣ 比義
  ┃   ┃   ┗ 布須
  ┃   ┗ 五百嶋
  ┗ 武自古〔是掃部君等之祖〕
*1  スサノオ。
*2  三輪系図は、大国主命〔別称・大己貴神〕をスサノオの子としている。
古事記による、大国主神までの系譜。
速須佐男命 ┳ 八島士奴美神 ━ 布波能母遅久奴須奴神
  ┣ 大年神
  ┗ 宇迦之御魂神
深淵之水夜礼花神 淤美豆奴神 天之冬衣神 大国主神
*3  異称・大山咋神
 
大神 高市麻呂
[ ? 〜 慶雲3年2月6日(ユリウス暦:706年3月24日) ]
大花上利金の子。
持統天皇御世初見。
大宝元(701)年止中納言従三位。
従三位・中納言。
※大神神社史料によれば、母は、高市連安人女。
※公卿補任の初見時は、大納言となっているが、その後の条は、中納言。
※極官位は、従四位下で、従三位は追贈とも。
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小槻
【おづき】

垂仁天皇の皇子息速別命の後裔。家伝にも今雄までの世数不詳とある。貞観17(875)年に阿保朝臣に改姓するが、後、小槻姓に戻す。

小槻氏系図

今雄 ┳ 阿保経覧 ━ 良経(右少史。六位)
  ┣ 阿保当平 ━ 小槻茂助
  ┣ 糸平 ━ 茂貫
  ┗ 陳群
┳ 忠臣 ━ 奉親 ┳ 貞行 ┳ 保衡
  ┃   ┃   ┗ 孝信 ┳ 祐俊 ┳ 忠兼
  ┃   ┃   ┃   ┗ 盛仲 ━ 政重
  ┃   ┃   ┗ 孝範(法光寺検校)
  ┃   ┗ 朝禅(法光寺検校。阿闍梨)
  ┗ 安真(法光寺検校。権律師)
┳ 師経 ━ 有頼(大監物)
  ┣ 永業※1 ━ 大宮広房 ┳ 家遠 ━ 胤明(正五位下)
  ┃   ┗ 公尚 ┳ 季継 ┳ 秀氏
  ┃   ┃   ┣ 文世
  ┃   ┃   ┣ 朝治
  ┃   ┃   ┗ 守遍
  ┃   ┣ 為景 ━ 順任 ━ 言春
  ┃ ※2 ┗ 琳継
  ┣ 壬生隆職 ┳ 国宗 ━ 通時 ┳ 淳方 ┳ 兼名
  ┃   ┃   ┃   ┗ 有家 ┳ 顕衡 ┳ 統良
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 澄雲
  ┃   ┃   ┃   ┗ 守源
  ┃   ┃   ┣ 有家(淳方嗣。母大外記師重女)
  ┃   ┃   ┣ 時子
  ┃   ┃   ┗ 光清(正五位下)
  ┃   ┣ 能直(大膳権亮)
  ┃   ┗ 道継(法光寺検校。勝楽院検校。横川長吏。
  ┃       東林房。号三位法印)
  ┗ 保兼
※1 群書類従所収小槻系図略によれば、晴富の子。
※2 尊卑分脈・群書類従所収小槻系図略作師経子。
千宣 ━ 匡遠 ┳ 量実 ━ 嗣保
  ┗ 兼治 ━ 周枝 ━ 晨照 ┳ 晴富 ┳ 女子
  ┃   ┗ 雅久
  ┗ 胤業(下野国住。号壬生)
于恒 ┳ 登辰(永正16(1519)年生。従四位下。左大史。号雲松)
  ┃   文禄4年7月19日(1595年8月24日)卒)
  ┣ 兼興(改姓卜部相続猪熊家)
  ┗ 朝芳 ┳ 女子(嫁横井小平田家)
  ┣ 孝亮 ┳ 忠利 ┳ 紀学(元和7(1621)年生。正六位上。蔵人。
  ┃   ┃   ┃   寛永18年6月28日(1641年8月4日)卒)
  ┃   ┃   ┣ 重房(母織田信貞女。従四位下。
  ┃   ┃   ┃   寛永3年10月8日(1626年11月26日)生。
  ┃   ┃   ┃   延宝4年2月21日(1676年4月4日)卒)
  ┃   ┃   ┣ 女子(文子。後西院女房。
  ┃   ┃   ┃   正保4年3月17日(1647年4月21日)生。
  ┃   ┃   ┃   元禄15年10月1日(1702年11月19日)卒)
  ┃   ┃   ┣ 普岳(阿闍梨)
  ┃   ┃   ┣ 季連 ┳ 章弘 ┳ 盈春
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 師守(押小路師岑嗣)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(峯子)
  ┃   ┃   ┣ 女子(瑙璃子。東山院女房。
  ┃   ┃   ┃   寛文5年8月5日(1665年9月13日)生。
  ┃   ┃   ┃   正徳4年8月4日(1714年9月12日)卒)
  ┃   ┃   ┗ 舜禅(※仁和寺諸院家記による。皆明寺。
  ┃   ┃   六条某猶子。寛永元(1624)年生。
  ┃   ┃   寛文7年2月25日(1667年3月19日)卒)
  ┃   ┗ 重治
  ┣ 女子(八条院女房)
  ┗ 女子(唐橋在村室)
┳ 知音 ┳ 敬義 ┳ 女子(敬子。礒。少納言局。天明8年9月26日(1788年10月25日)生。
  ┃   ┃   ┃   万延元年5月27日(1860年7月15日)卒。号至誠院善行自秀)
  ┃   ┃   ┣ 以寧 ━ 輔世 ┳ 女子(天保8年正月4日(1837年2月8日)生。
  ┃   ┃   ┃   ┃
梅宮元神主橋本定盈妻)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(広子。伊予局。
  ┃   ┃   ┃   ┃
母南栄親女〔幕末公家集成〕。
  ┃   ┃   ┃   ┃
弘化5年2月18日(1848年3月22日)生。
  ┃   ┃   ┃   ┃
権掌侍。正六位。玉椿内侍)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(由子。嘉永4年7月11日(1851年8月7日)生。
  ┃   ┃   ┃   ┃
押小路師成妻)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 明麗(母松尾社前神主南正三位栄親女〔 ⇒
  ┃   ┃   ┃   ┃
幕末公家集成によれば名は篤子〕。 
  ┃   ┃   ┃   ┃
童名棟丸。正五位下。内舎人。 
  ┃   ┃   ┃   ┃
嘉永5年5月25日(1852年7月12日)生)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 秀逸(謚ロ。
  ┃   ┃   ┃   ┃
嘉永7年5月17日(1854年6月12日)生。 
  ┃   ┃   ┃   ┃
候二条家諸大夫。号壬生。 
  ┃   ┃   ┃   ┃
近江守。正六位下。明麗嗣。
  ┃   ┃   ┃   ┃
明治4年2月2日(1871年3月22日)帰籍。
  ┃   ┃   ┃   ┃
後称謨v。
  ┃   ┃   ┃   ┃
大正12(1923)年3月卒〔現代華族譜要〕。
  ┃   ┃   ┃   ┃
夫人樋口保康二女保子〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 之綱(棣丸。
  ┃   ┃   ┃  
嘉永7年11月6日(1854年12月25日)生。
  ┃   ┃   ┃  
九条家諸大夫朝山家養子。京都府士族)
  ┃   ┃   ┗ 師徳(実正路男。押小路師贇嗣)
  ┃   ┣ 女子(泰子。実外山光任女。伊予局。宝暦元(1751)年生。
  ┃   ┃   天明8年5月14日(1788年6月17日)卒。号敬泰院真月慈照)
  ┃   ┗ 正路 ┳ 師徳(武丸。敬義為実子。押小路師贇嗣。
  ┃   ┃   弘化3年正月18日(1846年2月13日)卒。号寂静院)
  ┃   ┣ 輔世(以寧嗣)
  ┃   ┣ 女子(路子。称官町。以寧妻。
  ┃   ┃   享和2年正月28日(1802年3月2日)生。
  ┃   ┃   文久3年9月8日(1863年10月20日)卒。号清採院芳厳貞耀)
  ┃   ┗ 女子(満子。押小路師武猶子、改甫子。候孝明天皇。
  ┃   正六位下。文化5年10月7日(1808年11月24日)生)
  ┣ 女子(盈子。礒。実西大路隆業女。享保13(1728)年生。
  ┃   寛政8年6月29日(1796年8月2日)卒。号正行院凉月性円)
  ┣ 師充(和丸。母西大路隆業女。享保15年8月2日(1730年9月13日)生。押小路師守嗣。
  ┃   宝暦4年9月4日(1754年10月19日)卒。号空源院)
  ┗ 師資(富丸。母同。享保4年正月1日(1719年2月19日)生。押小路師充嗣。
  享和元年6月27日(1801年8月6日)卒。号法性院)
謨v (※現代華族譜要による。実輔世男。近江守。
    嘉永7年5月27日(1854年6月22日)生〔華族名鑑〕。
    大正12(1923)年3月薨。夫人樋口忠康女保子)
[系図参考資料]
系図纂要 第14冊上 号外(3)
新訂増補 国史大系60下 尊卑分脈
群書類従 小槻系図略
続群書類従 小槻系図
群書類従 歴名土代
昭和新修華族家系大成

壬生

今雄の二男当平を祖とする。家領百石〔雲上明覧大全〕。 居所:内丸太町北川〔雲上明覧大全〕
明治17(1884)年7月8日謨vが男爵を授爵〔現代華族譜要〕。 華族類別録第六類。
小槻 盈春(元智長)
[ 宝永7年10月21日(1710年12月11日) 〜 宝暦9年9月14日(1759年11月3日) ]
章弘男。母左大史小槻季連女。
宝暦9年9月13日(1759年11月2日)叙従三位。
従三位・非参議。
小槻 知音
[ 享保14年6月10日(1729年7月5日) 〜 安永5年11月11日(1776年12月21日) ]
盈春男。母西大路隆業女〔壬生家譜によれば、実隆業女。広橋貞光養女心光院女亀子。
享保14(1729)年生。安永5年11月10日(1776年12月20日)卒。号台嶠院玉泉清流〕
安永5年11月9日(1776年12月19日)叙従三位。
従三位・非参議。
小槻 以寧
[ 寛政5年7月17日(1793年8月23日) 〜 弘化4年4月6日(1847年5月20日) ]
敬義男。母入道孤雲〔西大路隆共〕女。
号含章院貞従成終〔壬生家譜〕
弘化4年正月21日(1847年3月7日)叙従三位。
従三位・非参議。
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小野
【おの】

敏達天皇の後裔。
小野氏の系図に関しては、下記の参考文献を比較したが、内容がかなり違っているので、 あてにならないが、日本後紀や古今和歌集等に小野姓を称す人物は相当いるので、これらを 研究するよりないようだ。
日本後紀には、下記系図以外に田刀自・木村・真野・石子・諸野・野守・麻呂・滝守・弟貞・豊雄・石雄・宗成・永道の名が見られる。

小野氏系図

春日皇子までの系図は、敏達天皇系図を参照。
敏達天皇 ━ 春日皇子 ━ 小野妹子 ━ 毛人 ━ 毛野 ━ 永見
┳ 瀧雄 ┳ 恒柯(或桓柯。※小野氏系図作永見男。大内記。播磨守。
  ┃   ┃   少弐。従五位上〔小野氏系図作従五位下〕。
  ┃   ┃   大同3(808)年生。貞観2年5月18日(ユリウス暦:860年6月10日)卒)
  ┃   ┗ 吉柯 ━ 広澄(実清原業恒男。この後裔が半家の船橋家)
  ┗ 峯守 ┳ ┳ 俊生 ┳ 義材 ━ 利春
  ┃   ┃   ┗ 美村
  ┃   ┣ 良真 ┳ 女子
  ┃   ┃   ┗ 女子(尊卑分脈によれば小町)
  ┃   ┣ 葛絃 ┳ 好古 ━ 千古(小弁)
  ┃   ┃   ┗ 道風
  ┃   ┣ 忠範(大内記)
  ┃   ┣ 保衡〔⇒武蔵七党横山〕
  ┃   ┗ 利任(小野氏系図による。有子孫)
  ┣ 〔葛絃〕(※小野氏系図による)
  ┗ 〔美材〕(※小野氏系図による。従五位上。大内記。信濃守)
┳ 奉時 ┳ 伝説 ━ 文義 ━ 文道 ━ 有隣(明法博士。正五位下)
  ┃   ┗ 明尊(天台座主。円満院。園城寺長吏。号志賀僧正〔天台座主記〕。
  ┃   諸門跡譜によれば、権僧正。天禄2(971)年生。
  ┃   康平6年6月26日(ユリウス暦:1063年7月24日)寂〔天台座主記作16日〕)
  ┣ 長範
  ┣ 奉忠 ━ 為成
  ┗ 奉明
参考文献
寛永諸家系図伝-小野姓横山
群書類従-巻第六十三小野氏系図
系図纂要
系図綜覧-武蔵七党系図
続群書類従-巻第百六十六小野氏系図
尊卑分脈
小野 毛野
[ ? 〜 和銅7年4月1日(ユリウス暦:714年5月18日) ]
小錦中毛人男。小治田朝大徳冠妹子孫。
大宝2年5月17日(ユリウス暦:702年6月16日)任参議。
従三位・中納言。
※ユリウス暦への変換は、三正綜覧による。
※没日は、続日本紀・続群書類従所収小野氏系図3編目小野系図作辛未〔15日〕。
尊卑分脈は、公卿補任に同じ。
小野 峯守
[ 宝亀9(778)年 〜 天長7年4月19日(ユリウス暦:830年5月14日) ]
従五位下陸奥介征夷副将軍永見三男。
弘仁13年3月20日(ユリウス暦:822年4月15日)任参議。
従四位上・参議。
※没年は、続群書類従所収小野氏系図3編目小野系図作天長5年4月19日(ユリウス暦:828年6月4日)53歳。
小野 篁
[ 延暦21(802)年 〜 仁寿2年12月22日(ユリウス暦:853年2月3日) ]
峯守一男。
承和14年正月12日(ユリウス暦:847年2月1日)任参議。
従三位・参議。
※公卿補任に或本貞観2年10月22日卒57才とあるので、 この説に従えば、延暦23(804)年生まれということになる。 続群書類従所収小野氏系図3編目小野系図は没年齢51歳で延暦21(802)年生。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟〔小倉百人一首〕
小野 好古
[ 元慶8(884)年 〜 康保5年2月14日(ユリウス暦:968年3月15日) ]
太宰大弐従四位上葛絃二男。母王氏。
天暦元年4月26日(ユリウス暦:947年5月19日)任参議。
従三位・参議。
※没日は、続群書類従所収小野氏系図3編目小野系図作24日。
田中(伏見宮諸大夫)
小野 雅胤
[ 延享4年2月11日(1747年3月21日) 〜 文政12年7月19日(1829年8月18日) ]
雅見男。
文政10年5月21日(1827年6月15日)叙従三位。
従三位・非参議。

小野 尊安 ⇒ 公卿に列せられた禅師・検校