清華家 (せいがけ)

広幡【ひろはた】

本姓:源氏。華族類別録第三十五類。
新家
内々
非門流
正親町源氏。正親町天皇の孫八条宮智仁親王の三男忠幸が臣籍降下し、広幡を号する。
八条殿〔現代華族譜要〕。家譜等に見られるように歴代当主は、近衛家の猶子となっている。

家紋

十六葉裏菊。
家業  
江戸期石高 500石。
明治期爵位 侯爵。明治17(1884)年7月7日広幡忠礼が侯爵を授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 相国寺。青山玉窓寺〔最新華族名鑑明治41年12月調〕
居所 寺町通御霊馬場下ル。

広幡家系図

忠幸までの詳細な系図は、 正親町天皇系図を参照。
正親町天皇 ┳ 誠仁親王 ┳ 後陽成天皇
  ┃   ┣ 空性法親王
  ┃   ┣ 良恕法親王
  ┃   ┣ 興意法親王
  ┃   ┣ 智仁親王 ┳ 智忠親王〔⇒八条宮・常磐井宮・京極宮・桂宮
  ┃   ┃   ┣ 良尚法親王(後水尾天皇猶子)
  ┃   ┃   ┣ 源 忠幸広幡
  ┃   ┃   ┗ 女子(西本願寺良如室)
  ┃   ┗ 華岳永邵他皇女八人皇子一人
  ┣ 永高(母万里小路賢房女。大聖寺)
  ┣ 春齢(母飛鳥井雅綱女。大聖寺)
  ┣ 永尊(母飛鳥井雅綱女。大聖寺)
  ┗ 女子(母万里小路賢房女)
忠幸 ┳ 豊忠 ┳ 忠誠(母家女房。早世二歳)
  ┃   ┣ 忠章(母家女房。早世七歳)
  ┃   ┣ 忠成(母家女房。正四位下)
  ┃   ┣ 長忠 ┳ 前豊 ┳ 前秀 ┳ 経豊
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 隆倫油小路隆前養子)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(実前豊二女。
  ┃   ┃   ┃   ┃   綾小路俊資室。有長母)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子三条西廷季室。実勲母)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(前秀養女)
  ┃   ┃   ┣ 信通(為久我通兄子)
  ┃   ┃   ┣ 女子西園寺賞季室。華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   ┃   幸君。寛政8(1796)年8月没)
  ┃   ┃   ┗ 女子近衛内前養女。伊達重村室)
  ┃   ┣ 実雅(※系図纂要による。醍醐寺。法務大僧正。報恩院)
  ┃   ┣ 元雅(※系図纂要による。実六条有藤男〔六条家譜无〕。
  ┃   ┃   醍醐寺。法務大僧正)
  ┃   ┣ 良慈錦織寺相続。京極宮家仁親王猶子。不可説院。
  ┃   ┃   ※木辺家譜・系図纂要等による)
  ┃   ┣ 真晴(※系図纂要による。興福寺。
  ┃   ┃   法印大僧都。喜多院)
  ┃   ┣ 女子小倉貢季母)
  ┃   ┗ 女子正親町公明母)
  ┣ 女子(新君。徳川綱誠室。瑩珠院。
  ┃   母徳川義直女京姫〔普峯院〕。
  ┃   承応3年4月5日(1654年5月21日)生。
  ┃   寛文7年9月26日(1667年11月12日)婚姻。
  ┃   元禄5年10月19日(1692年11月26日)薨。
  ┃   葬于西久保天徳寺。
  ┃   ※尾張名古屋徳川家譜・系図纂要等による)
  ┣ 鏡山瑞円(※系図纂要による。正眼院)
  ┣ 女子(智。母京。徳川光友養女。織田信武室。
  ┃   万治2年9月21日(1659年11月5日)生〔徳川家譜尾張〕。
  ┃   延宝5年7月11日(1677年8月9日)嫁〔徳川家譜尾張〕。
  ┃   元禄3年4月7日(1690年5月15日)卒。
  ┃   丹波柏原織田家譜によれば、
  ┃   葬于下谷広徳寺。法名智法院鏡誉尊空)
  ┣ 女子(※徳川家譜尾張による。清。
  ┃   徳川光友養女。織田信武継室。
  ┃   寛文2年12月28日(1663年2月6日)生。
  ┃   元禄4年6月26日(1691年7月21日)嫁。
  ┃   元禄7年4月3日(1694年4月26日)卒。
  ┃   丹波柏原織田家譜によれば、
  ┃   葬于浅草海禅寺。法名貞光院寂室了然)
  ┣ 女子(※筑後久留米有馬家譜による。定。
  ┃   徳川光友養女。有馬頼元継室。
  ┃   明暦元年5月6日(1655年6月10日)生〔徳川家譜尾張〕。
  ┃   延宝2年正月25日(1674年3月2日)嫁〔徳川家譜尾張〕。
  ┃   天和3年4月17日(1683年5月13日)卒。
  ┃   葬于祥雲寺。法名心室恵鏡。号瑞龍院)
  ┣ 女子(※徳川家譜尾張・安芸広島浅野家譜等による。
  ┃   園。母京。徳川光友養女。
  ┃   後、松平紀伊守光晟養女。浅野長照室。
  ┃   万治3年3月21日(1660年4月30日)生。
  ┃   延宝3年9月26日(1675年11月13日)嫁。
  ┃   享保10年2月15日(1725年3月29日)卒。妙園院)
  ┗ 女子(※牧野家譜による。牧野忠寿室)
┳ 基豊 ┳ 忠礼 ┳ 忠朝(母近衛忠熈養女〔実東本願寺光朗女〕。
  ┃   ┃   ┃
万延元年11月9日(1860年12月20日)生。
  ┃   ┃   ┃
明治38(1905)年1月卒〔現代華族譜要〕。
  ┃   ┃   ┃
夫人岩倉具綱女昭子〔華族名鑑〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(徳子。近衛忠房養女)
  ┃   ┃   ┣ 女子(定子。青山幸宜妻)
  ┃   ┃   ┣ 女子(富子。北畠通城妻。華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   ┃
元治元(1864)年12月生。
  ┃   ┃   ┃
明治14(1881)年5月没)
  ┃   ┃   ┣ 頼秀(池田頼誠養子)
  ┃   ┃   ┣ 女子(久子。平塚清敬妻)
  ┃   ┃   ┣ 徳麿(宮元周亮養子)
  ┃   ┃   ┣ 貫一郎(淳慈。木邊賢慈養子。
  ┃   ┃   ┃
明治4(1871)年2月生〔現代華族譜要〕。
  ┃   ┃   ┃
明治27(1894)年12月卒〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(直子。高倉永則妻。
  ┃   ┃   ┃
明治8(1875)年12月16日生〔華族名鑑〕。
  ┃   ┃   ┃
明治42(1909)年2月卒〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(幸子)
  ┃   ┃   ┗ 重礼(横尾勝右衛門養子。
  ┃   ┃    
明治16(1883)年9月生〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┣ 女子(豊子。近衛忠熈養女。徳川斉彊室。
  ┃   ┃   文政3年12月20日(1821年1月23日)生〔華族家系大成〕)
  ┃   ┣ 女子(牧子。東本願寺院家浄勝寺順尊妻)
  ┃   ┣ 女子(輝子。東本願寺院家光善寺家室)
  ┃   ┣ 経家水無瀬教成嗣)
  ┃   ┣ 女子(叔子。実水無瀬有成女。水無瀬経家妻)
  ┃   ┣ 女子(経子。徳川慶篤妻)
  ┃   ┗ 女子(繁子。四条高平妻)
  ┣ 女子(弘君。園池実達室。華族家系大成によれば、享和3(1803)年9月生。
  ┃   文政3年7月19日(1820年8月27日)没)
  ┗ 女子(起子。唐橋在久室。在光母)
■色の名前は公卿。

広幡家公卿一覧

広幡 忠幸
[ 寛永元(1624)年 〜 寛文9年閏10月16日(1669年12月9日) ]
式部卿智仁親王三男。母丹後侍従京極高知女。
尾張大納言義直養子〔現代華族譜要〕。 三宮。幼名幸丸〔皇親系〕。号・祥光院。
寛文4年5月2日(1664年5月27日)叙従三位〔広幡家譜作寛文5年5月2日〕。左中将如元。
寛文4年8月25日(1664年10月14日)任権中納言〔広幡家譜作寛文5年8月25日〕
寛文7年正月5日(1667年1月28日)叙正三位。
寛文8年12月24日(1669年1月26日)任権大納言。
寛文9年正月11日(1669年2月11日)拝賀着陣。閏10月16日辞権大納言〔広幡家譜〕。同日薨。
正三位・権大納言
公卿補任尻付
※父母名のみ。
広幡家譜
慶安3年正月3日(1650年2月3日)元服。
寛文4年6月23日(1664年8月14日)賜源朝臣姓。
同日禁色雑袍昇殿。
同日直叙正四位下。
同日直任左近衛権中将。
広幡 豊忠
[ 寛文6年6月26日(1666年7月27日) 〜 元文2年8月1日(1737年8月26日) ]
忠幸男(実久我通名男)。母徳川義直女(実母西園寺公満女)。号・自浄光院。
貞享元年12月23日(1685年1月27日)叙従三位。
従一位・内大臣。
※没月日は、家譜作7月29日。
広幡 長忠
[ 正徳元(宝永8)年4月4日(1711年5月21日) 〜 明和8年9月27日(1771年11月3日) ]
豊忠次男。母家女房。法名・承恵。
享保13年2月1日(1728年3月11日)叙従三位。
宝暦6年2月11日(1756年3月11日)出家。正二位・権大納言。
広幡 輔忠(改名前豊)
[ 寛保2年2月20日(1742年3月26日) 〜 天明3年12月19日(1784年1月11日) ]
近衛内房猶子。長忠男。母家女房。号・楽円樹院。
宝暦3年12月22日(1754年1月15日)叙従三位。
従一位・内大臣。
※知譜拙記によれば、母は醍醐冬熈女。
広幡 前基(改名前秀)
[ 宝暦12年12月2日(1763年1月15日) 〜 文化5年6月19日(1808年7月12日) ]
前豊男。母兵部卿宮貞建親王女。近衛内前猶子。号・広楽教院。
安永7年正月5日(1778年2月1日)叙従三位。
正二位・権大納言。
広幡 経豊
[ 安永8年6月25日(1779年8月7日) 〜 天保9年8月23日(1838年10月11日) ]
前秀男。母丹後守越智正ェ女(実家女房)。近衛経熈猶子。号・瑞応華院。
寛政7年正月20日(1795年3月10日)叙従三位。
従一位・内大臣。
広幡 基豊
[ 寛政12年4月22日(1800年5月15日) 〜 安政4年5月29日(1857年6月20日) ]
経豊男。母今出川実種女(実日野資矩女)。近衛基前猶子。
文化10年7月4日(1813年7月30日)叙従三位。
従一位・内大臣。
広幡 忠礼
[ 文政7年6月28日(1824年7月24日) 〜 明治30(1897)年2月18日 ]
基豊男。母鷹司政熈女。近衛忠熈猶子。
室近衛忠煕養女(実本願寺大谷光朗三女)静子。
天保11年3月4日(1840年4月6日)叙従三位。左中将如故。
天保11年4月27日(1840年5月28日)拝賀。
天保12年12月22日(1842年2月2日)叙正三位。
弘化3年3月4日(1846年3月30日)賜仁孝天皇御当色。
同月7日賜御素服。
4月7日除服宣下。
嘉永3年12月12日(1851年1月13日)任権中納言。
同月28日聴帯剣。同日拝賀着陣。
同月29日聴直衣。同日直衣始。
嘉永4年2月4日(1851年3月6日)叙従二位。
3月11日着陣。
嘉永5年8月24日(1852年10月7日)為神宮上卿。
嘉永6年2月4日(1853年3月13日)叙正二位。
同月24日辞神宮上卿。
安政3年10月3日(1856年10月31日)着陣(服後)。
安政4年5月15日(1857年6月6日)任権大納言(小除目)。
同月29日服解(父)。6月20日除服出仕復任。
安政5年7月20日(1858年8月28日)拝賀着陣。同月21日直衣始。
安政5年10月25日(1858年11月30日)為能久親王家別当。
安政6年7月10日(1859年8月8日)為神宮上卿。
文久元年6月15日(1861年7月22日)辞神宮上卿。
文久2年7月13日(1862年8月8日)為神宮上卿(昨日分)。
文久3年8月24日(1863年10月6日)辞神宮上卿。
慶応3年9月20日(1867年10月17日)為神宮上卿。
同月21日着陣(服後)。
慶応3年10月9日(1867年11月4日)辞神宮上卿。
慶応3年11月30日(1867年12月25日)任内大臣。
同日兼右大将。為右馬寮御監。同日拝賀着陣。 明治元年時、正二位・内大臣。
公卿補任尻付
文政9年正月5日(1826年2月11日)叙従五位下(3歳)。
文政10年正月5日(1827年1月31日)叙従五位上(4歳)。
文政11年正月20日(1828年3月5日)叙正五位下(5歳)。
文政12年正月5日(1829年2月8日)叙従四位下(6歳)。
文政13年後3月24日(1830年5月16日)叙従四位上(7歳)。
天保2年正月17日(1831年3月1日)任侍従(8歳)。
天保5年3月16日(1834年4月24日)叙正四位下(11歳)。
天保5年12月7日(1835年1月5日)元服聴禁色昇殿等。
天保7年5月10日(1836年6月23日)任右近衛権少将(13歳)。
天保7年12月7日(1837年1月13日)拝賀。
天保10年3月29日(1839年5月12日)為内大臣忠熈公猶子。
天保11年2月24日(1840年3月27日)転左権中将(17歳)。
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    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
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  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
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