半家 (高倉・高辻)

家系別分類表
高倉
 ]
高倉
【たかくら】
本姓:藤原氏。華族類別録第四十八類。
旧家
内々
近衛家門流
藤原北家長良流。中納言従二位文範[909-996・紫式部の母方の曾祖父]十代孫で従四位範昌の子永康が、高倉を号したが、この系統からは、永康の子永定と養子の経康が公卿となっただけである。諸家知譜拙記によれば、永康の弟で冷泉を号した永経の裔の永季を半家高倉家の祖としている。
竹田不動院・竹田安楽寿院伝奏〔雲上明覧大全文久元年版巻末〕
家紋 笹竜胆。
家業 衣紋道。有職故実の家。
江戸期石高 813石〔現代華族譜要。雲上明覧大全・知譜拙記作812石〕
明治期爵位 子爵。明治17(1884)年7月8日高倉永則が子爵を授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 浄源院。
居所 二階町東側。
高倉家系図
範昌までの系図は、藤原北家長良子孫系図を参照。
範昌 ┳ 永康 ┳ 経康 ━ 永広 ┳ 康永(或康英。猶子。薩摩守)
  ┃   ┃   ┣ 永英
  ┃   ┃   ┣ 康氏(或猶子。大蔵少輔。従五位下)
  ┃   ┃   ┗ 女子(内侍)
  ┃   ┣ 永定 〔⇒ 永定孫
  ┃   ┗ 範綱 ━ 永俊
  ┣ 範仲(元範良。蔵人。従五位上。右近将監)
  ┣ 兼康
  ┣ 永経 ┳ 永賢 ━ 永忠
  ┃   ┗ 女子(中務)
  ┣ 永輔 ┳ 永親
  ┃   ┗ 経康(永康為子、又永経為子。*尊卑分脈による。公卿補任は範昌男)
  ┗ 経康(永康為子。*公卿補任による)
┳ 範賢 ┳ 範康〔冷泉
  ┃   ┣ 永季 ┳ 永行 ━ 永藤
  ┃   ┃   ┣ 永俊 ━ 永盛(本永宣。刑部卿正四位下)
  ┃   ┃   ┣ 玄永(系図纂要无)
  ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┗ 女子(範子)
  ┣ 永春 ━ 範員 ━ 永員
  ┗ 永忠 ━ 祐玄
┳ 永豊 ┳ 永継 ┳ 永康 ━ 永家 ┳ 増鎮(若王寺。大僧正。母伊勢守平貞隆女)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 貞海(遍照心院。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 永相 ┳ 永孝 ┳ 永慶
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 雅陳(白川雅朝王嗣)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(織田
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   左京大夫室)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 貞増(※以下、系図纂要による。
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   家譜は永相の子は永孝
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   のみ。遍照心院。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 光澤(東寺。宝勝院。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 亮賢(東寺。観智院。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(正親町院勾当内侍。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(後陽成院勾当内侍。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 女子水無瀬氏成室。母同)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(母同)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 親具水無瀬兼成為子。堀河家祖)〔⇒堀河
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子日野輝資母)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(水無瀬兼成室)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(従三位熈子。九条兼孝妾。忠栄母)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(量子。実橘〔薄〕以緒女。後奈良院典侍)
  ┃   ┃   ┣ 女子甘露寺元長室。伊長母)
  ┃   ┃   ┣ 女子山科言国室。言綱母)
  ┃   ┃   ┣ 女子(継子。後柏原院女房)
  ┃   ┃   ┣ 女子本願寺光兼妻)
  ┃   ┃   ┗ 女子(証誠寺善鎮妻)
  ┃   ┣ 女子今出川教季室。公尚母)
  ┃   ┣ 永熈(従五位下侍従)
  ┃   ┗ 女子(※徳大寺家譜による。徳大寺実淳母)
  ┣ 永国(右衛門佐)
  ┗ 女子(※纂輯御系図による。称光天皇皇女の母)
┳ 女子(中院通純室。通茂母)
  ┣ 永敦 ┳ 永俊 ━ 永重 ┳ 永福 ━ 永房 ┳ 永秀
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(近衛内前室)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子園基衡室。基理母)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 聖恕(醍醐寺普恩院法眼)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 宗時(※家譜无。
  ┃   ┃   ┃   ┃   持明院家胤嗣)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 本賢(※家譜无。知譜拙記・系図
  ┃   ┃   ┃   纂要によれば船橋親賢嗣)
  ┃   ┃   ┣ 晴長(堤為量嗣)
  ┃   ┃   ┣ 永房(永福嗣)
  ┃   ┃   ┣ 女子園基香室。基望母)
  ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┣ 女子清閑寺熈房室。熈定母)
  ┃   ┣ 堅誠(仁和寺院家菩提院権律師)
  ┃   ┣ 女子(仏光寺院家摂津平野庄光源寺秀旭室)
  ┃   ┣ 女子(清岡長時室)
  ┃   ┣ 女子東園基量室。基長母)
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 永元(東本願寺院家尾張国聖徳寺住職)
  ┃   ┣ 真舜(輪王寺宮院家慈雲院)
  ┃   ┣ 堯什(妙法院宮院家日厳院前大僧正)
  ┃   ┣ 永重(母同永俊。永俊嗣)
  ┃   ┣ 永福(永重嗣)
  ┃   ┗ 公澄滋野井実光朝臣嗣)
  ┣ 義隣(幼名重丸。佐竹主計為養子)
  ┣ 永愿(勧修寺院家慈尊院法務前大僧正)
  ┣ 義寛(佐竹山城為養子)
  ┣ 女子
  ┗ 女子(一柳直家室)
┳ 永晃(従五位下。母永井直期女。寛延3(1750)年生。
  ┃   宝暦4年11月12日(1754年12月25日)卒。*母名・生没年は系図纂要による)
  ┣ 永範 ┳ 永彰 ━ 永雅 ┳ 永胤 ┳ 永祜 ⇒
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(豊後国戸次妙正寺香頂室)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(寿子。従四位典侍)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 男子
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(樋口静康妻。華族家系大成
  ┃   ┃   ┃    
によれば、孝子。
  ┃   ┃   ┃    
天保14(1843)年11月生。
  ┃   ┃   ┃    
明治45(1912)年1月卒)
  ┃   ┃   ┣ 男子(越前国中野本山専照寺住職)
  ┃   ┃   ┣ 男子(仏光寺院家高林庵住職)
  ┃   ┃   ┣ 男子(祇園社務執行宝寿院相続)
  ┃   ┃   ┣ 男子(仁和寺宮院家菩提院住職)
  ┃   ┃   ┣ 女子(樋口保康室。
  ┃   ┃   ┃   弘化4(1847)年7月没〔華族家系大成〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(長谷信篤室)
  ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┣ 永雅(永彰嗣)
  ┃   ┣ 寿光院(高野保右夫人)
  ┃   ┗ 於伊津
  ┣ 女子(新宰相典侍)
  ┣ 女子(皇太后宮局号油小路)
  ┗ 女子(*家譜无。樋口基康養女。八千姫。号芳春院)
┳ 永則 (母坊城俊明女初子。  
  ┃   元治元年4月11日(1864年5月16日)生〔華族名鑑〕。
  ┃   夫人広幡忠礼五女直子。
  ┃   夫人藤堂高潔女銑子)
  ┣ 男子 (河内国道明寺村土師神社詞官士族南坊城梓子為養子)
  ┗ 男子  

永定孫系図
永定 ┳ 永清 ┳ 永宗 ━ 永賢 ┳ 永俊 ━ 永慶 ━ 永将 ━ 嗣孝
  ┃   ┃   ┗ 永邦
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┗ 女子
  ┣ 康定 ┳ 永綱(出家蓮阿)
  ┃   ┗ 永藤(蔵人)
  ┣ 永尚(蔵人)
  ┣ 女子(康子。従三位。妙音院流相続。洞院実泰妾。実守母。
  ┃   *公卿補任によれば永康女)
  ┗ 女子(※系図纂要によれば、実泰妾、康子と実泰妾は別人)
■色の名前は公卿。
高倉 永康
[ ? 〜 正安4年正月1日(ユリウス暦:1302年1月30日) ]
従四位下行大蔵少輔範昌朝臣男。藤原文範十代孫。
弘安6年4月5日(ユリウス暦:1283年5月3日)叙従三位。
永仁5年10月17日(ユリウス暦:1297年11月3日)出家。
従三位・非参議。
高倉 永定
[ 建長4(1252)年 〜 嘉元4年正月21日(ユリウス暦:1306年3月6日) ]
永康男。
嘉元元年12月30日(ユリウス暦:1304年2月6日)叙従三位。
従三位・非参議。
※尊卑分脈・系図纂要によれば、母は平高輔女とあるが、家譜は永定室。
高倉 経康
[ 建長2(1250)年 〜 暦応2/延元4年2月4日(ユリウス暦:1339年3月14日) ]
従四位下行大蔵少輔範昌朝臣三男。
正和5年2月29日(ユリウス暦:1316年3月23日)叙従三位。
暦応2/延元4年正月28日(ユリウス暦:1339年3月9日)出家。
従二位・非参議。
※尊卑分脈によれば、実は永輔男。永康・永経の為子。
高倉 永季
[ 暦応元/延元3(1338)年 〜 明徳3/元中9年2月18日(ユリウス暦:1392年3月12日) ]
長門守範賢二男。永経四代孫。
永和4/天授4年5月2日(ユリウス暦:1378年5月28日)叙従三位。
明徳3/元中9年2月8日(ユリウス暦:1392年3月2日)出家。
従二位・参議。
高倉 永行
[ 生没年不明 ]
永季男。母大膳大夫藤原光綱女。法名・常永。
応永5年5月24日(ユリウス暦:1398年7月8日)叙従三位。
応永6年6月18日(ユリウス暦:1399年7月21日)出家。
正三位・参議。
※母親は、藤原朝尹女とも。
高倉 永俊
[ 生没年不明 ]
永季二男。
応永24年正月5日(ユリウス暦:1417年1月22日)叙従三位。
応永30年7月13日(ユリウス暦:1423年8月19日)出家。
従二位・参議。
※系図纂要によれば、母同永行。
高倉 永藤
[ 至徳2/元中2(1385)年 〜 ? ]
永行男。法名常交〔家譜〕。
応永29年正月5日(ユリウス暦:1422年1月27日)叙従三位。
応永35(1428)年3月出家。
正三位・参議。
高倉 永豊
[ 応永14(1407)年 〜 文明10年6月19日(ユリウス暦:1478年7月18日) ]
永藤男。法名・常慶。
嘉吉4年正月6日(ユリウス暦:1444年1月25日)叙従三位。
康正3年6月19日(ユリウス暦:1457年7月10日)出家。
正二位・権中納言。
高倉 永継
[ 応永34(1427)年 〜 永正7年10月12日(ユリウス暦:1510年11月13日) ]
永豊男。法名常祐〔系図纂要〕。
応仁元年4月26日(ユリウス暦:1467年5月29日)叙従三位。
長享2(1488)年以降、不見。
従二位・権中納言。
高倉 永康
[ 寛正5(1464)年 〜 永正9年4月16日(ユリウス暦:1512年5月1日) ]
永継男。母東坊城益長女。法名・常玄。
明応7(1498)年叙従三位。
永正4年6月24日(ユリウス暦:1507年8月2日)出家。
正三位・参議。
高倉 永家
[ 明応5年正月1日(ユリウス暦:1496年1月16日) 〜 天正6年11月23日(ユリウス暦:1578年12月21日) ]
永康男。法名・常昭。
大永8年4月28日(ユリウス暦:1528年5月16日)叙従三位。
弘治3年9月5日(ユリウス暦:1557年9月27日)出家。
正二位・権大納言。
高倉 永相(本名永綱)
[ 享禄4(1531)年 〜 天正13年12月23日(1586年2月11日) ]
永家二男。母伊勢守平貞陸朝臣女。法名・常清。
永禄3年2月6日(ユリウス暦:1560年3月2日)叙従三位。
正二位・権大納言。
※本名は、知譜拙記による。
高倉 永孝
[ 永禄3(1560)年 〜 慶長12年後4月11日(1607年6月5日) ]
永相男。母仏光寺法印女。法名・常専。
天正14年12月24日(1587年2月1日)叙従三位。
正三位・権中納言。
高倉 永慶
[ 天正19年12月2日(1592年1月16日) 〜 寛文4年9月5日(1664年10月23日) ]
永孝男。母三条西実枝女〔系図纂要〕。法名常恵。
一字名・必 〔類聚名伝抄〕
元和9年正月5日(1623年2月4日)叙従三位。
寛文3年9月4日(1663年10月4日)出家。
正二位・権大納言。
※没年は寛文2(1662)年とも。
高倉 永将(改名永敦)
[ 慶長20年4月9日(1615年5月6日) 〜 天和元年11月15日(1681年12月24日) ]
永慶男。母常陸介源〔佐竹〕義重女。浄泉院照誉真光常運〔系図纂要〕
正保3年12月18日(1647年1月23日)叙従三位。
正二位・権大納言。
高倉 永福(本名季任)
[ 明暦3年6月20日(1657年7月30日) 〜 享保10年4月4日(1725年5月15日) ]
永敦三男。母持明院基定女。隆興院徳誉照性常光〔系図纂要〕
貞享5年正月14日(1688年2月15日)叙従三位。
正二位・権大納言。
高倉 永房
[ 貞享5年4月24日(1688年5月23日) 〜 宝暦5年5月11日(1755年6月20日) ]
永福男(実兵部大輔永重朝臣男)。母家女房。潭流院光誉徹秀常倫〔系図纂要〕
正徳6年2月16日(1716年3月9日)叙従三位。
正二位・権大納言。
公卿補任尻付
貞享5年4月24日(1688年5月23日)誕生。
元禄11年9月10日(1698年10月13日)叙爵。
同12月1日元服昇殿。
同日侍従。
元禄14年2月17日(1701年3月26日)従五位上。
宝永元年12月26日(1705年1月21日)正五位下(去正五分)。
宝永3年12月23日(1707年1月26日)民部権大輔。
宝永4年正月23日(1707年2月25日)従四位下(去五分)。
宝永5年正月25日(1708年2月16日)右衛門権佐。
宝永7年6月4日(1710年6月30日)従四位上(去二廿八分)。
正徳3年3月2日(1713年3月27日)正四位下。
高倉 永秀
[ 享保13年5月1日(1728年6月8日) 〜 寛政11年6月11日(1799年7月13日) ]
永房男。母家女房。法名・常山。究竟院深誉求道常山〔系図纂要〕
宝暦3年正月22日(1753年2月24日)叙従三位。
宝暦10年5月29日(1760年7月11日)出家。
正三位・非参議。
公卿補任尻付
享保13年5月1日(1728年6月8日)誕生。
享保16年12月25日(1732年1月22日)従五位下。
元文元年5月9日(1736年6月17日)元服聴昇殿侍従従五位上。
元文5年2月2日(1740年2月28日)民部権大輔。
正五位下(去年十二廿八分)。
寛保3年8月29日(1743年10月16日)従四位下。
延享3年12月24日(1747年2月3日)従四位上。
延享4年2月1日(1747年3月11日)右兵衛佐。
寛延3年正月10日(1750年2月16日)正四位下。
高倉 永範
[ 宝暦3年2月9日(1753年3月13日) 〜 文化2年8月4日(1805年8月27日) ]
永秀二男。母西洞院範篤女。體量院性誉博質得忍〔系図纂要〕。
安永4年正月5日(1775年2月4日)叙従三位。
正三位・参議。
高倉 永雅
[ 天明4年10月28日(1784年12月10日) 〜 安政2年2月16日(1855年4月2日) ]
永範男。母上冷泉為村女。
文化5年正月5日(1808年2月1日)叙従三位。
正二位・権大納言。
公卿補任尻付
天明4年10月28日(1784年12月10日)生。
天明8年12月24日(1789年1月19日)叙従五位下。
寛政5年11月19日(1793年12月21日)元服昇殿。
同日叙従五位上。
寛政8年2月10日(1796年3月18日)叙正五位下。
同年3月1日任侍従。
寛政11年正月27日(1799年3月3日)叙従四位下。
享和2年正月14日(1802年2月16日)叙従四位上。
文化2年正月26日(1805年2月25日)叙正四位下。
同年8月4日服解。
同年閏8月25日除服出仕。
高倉 永胤
[ 文化8年10月24日(1811年12月9日) 〜 弘化2年2月15日(1845年3月22日) ]
永雅男。母家女房。孝善院順誉守温知恩〔系図纂要〕
天保9年正月21日(1838年2月15日)叙従三位。
正三位・非参議。
高倉 永祜(家譜作永祐)
[ 天保9年11月16日(1839年1月1日) 〜 慶応4年7月29日(1868年9月15日) ]
永胤男。母飛鳥井雅光女。
夫人坊城俊明六女初子〔家譜・現代華族譜要〕
慶応2年正月4日(1866年2月18日)叙従三位。
従三位・非参議〔家譜によれば、慶応4年8月24日(1868年10月9日)贈参議正三位〕

別系

南家武智麻呂四男巨勢麻呂の十三男貞嗣の後裔。範季の時に高倉を号す。嫡流は範久で中絶するが、藤原北家閑院流の四辻公遠の次男嗣良が再興し、家名をに改姓する。
藤原南家高倉家系図
範季までの系図は、藤原南家・季綱子孫系図を参照。
範季 ┳ 範資 ┳ 範仲 ┳ 範遠
  ┃   ┃   ┣ 範直
  ┃   ┃   ┣ 範経 ━ 範隆 ━ 範定 ━ 範忠(従五位下。安芸守)
  ┃   ┃   ┣ 範宣 ━ 範綱
  ┃   ┃   ┗ 尊恵(園城寺)
  ┃   ┣ 季兼
  ┃   ┣ 忠範(或範季子忠範同人)
  ┃   ┗ 範尊(或範季子範尊同人)
  ┣ 範時 ┳ 範周(公卿補任の範時の尻付によれば、範時舎弟。備前守)
  ┃   ┣ 範宣(佐渡守従五位下。藤原範光猶子)
  ┃   ┣ 教範(園城寺。中納言法師範性子)
  ┃   ┗ 顕範(改範雄)
  ┣ 範弘 ┳ 範綱 ━ 範快 ━ 恵範 ┳ 海範
  ┃   ┃   ┣ 十念
  ┃   ┃   ┗ 源智
  ┃   ┗ 範定 ┳ 範親 ━ 範方 ━ 範保 ━ 範仲 ┳ 範種
  ┃   ┃   ┗ 範材
  ┃   ┗ 範高(系図纂要範弘子) ━ 範重
  ┣ 範茂 ┳ 範継 ┳ 範藤 ┳ 範春 ┳ 房藤(従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 範資 ━ 範蔭 ━ 範秀 ⇒
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 範章
  ┃   ┃   ┃   ┗ 浄範(範行子浄範同人)
  ┃   ┃   ┣ 範名 ┳ 範方(若狭守。正五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 教範(或範継子教範同人。仁和寺。権僧正)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 仁勝(勧修寺。律師)
  ┃   ┃   ┗ 教範(或範名子教範同人。仁和寺。権僧正)
  ┃   ┣ 範有 ━ 範顕
  ┃   ┣ 範房 ┳ 範世 ┳ 範冬(左中将正四位下)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 範定 ┳ 範貫 ━ 範忠(左少将)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 範名
  ┃   ┃   ┣ 範行 ┳ 範為 ┳ 藤嗣(藤原藤輔子)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 範氏
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 範雅
  ┃   ┃   ┃   ┣ 範成 ━ 範俊(阿波守)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 範敦(或範敢)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 範基
  ┃   ┃   ┃   ┣ 浄範(範藤子浄範同人)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 公範
  ┃   ┃   ┣ 範雄 ━ 範重 ━ 範政
  ┃   ┃   ┗ 信憲(園城寺。宮内卿法印)
  ┃   ┣ 範能(左馬権頭)
  ┃   ┣ 範任 ━ 範相
  ┃   ┣ 雲円(延暦寺。律師)
  ┃   ┗ 女子(八条院)
  ┣ 範尊(或範資子範尊同人。園城寺。権律師)
  ┣ 忠範(或範資子範尊同人。園城寺。已講。三位)
  ┣ 女子(範子。改重子。母同範茂〔家譜〕。修明門院。順徳院母。
  ┃   法名法性覚〔女院小伝〕。寿永元(1182)年生。
  ┃   建永2年6月7日(ユリウス暦:1207年7月3日)院号。
  ┃   文永元年8月29日(ユリウス暦:1264年9月20日)崩〔女院小伝。尊卑分脈作23日〕)
  ┣ 女子(従三位季子。藤原範光室。範朝母)
  ┣ 女子(藤原範宗朝臣妻。範保母)
  ┣ 女子(高階経仲室)
  ┣ 女子(隆重室)
  ┣ 女子(藤原資経室)
  ┣ 女子(範家室)
  ┗ 女子
範綱 ━ 範音 ━ 範久 ┳ 範国 ┳ 範遠 ━ 嗣良〔改号
  ┃   ┗ 嗣良(実四辻公遠男。範遠嗣)
  ┗ 範信(範家。経元。実下冷泉為豊二男。甘露寺伊長嗣)
藤原 範季
[ 大治5(1130)年 〜 元久2年5月10日(ユリウス暦:1205年5月30日) ]
範兼男(実従四位下行式部少輔能兼朝臣男)。母高階為賢女。順徳院外祖父。
建久8年12月15日(ユリウス暦:1198年1月23日)叙従三位。
従二位・非参議〔贈左大臣〕。
※家譜によれば、母は高階為時養女、実高階為賢女。
藤原 範時
[ 仁安元(1166)年 〜 ? ]
範季一男。母叔父範能法師女(法師播磨国住人。号野入道)。
建保7年正月22日(ユリウス暦:1219年2月8日)叙従三位。
貞応2(1223)年8月出家。
従三位・非参議。
藤原 範茂
[ 文治元(1185)年 〜 承久3(1221)年 ]
範季二男。母平教盛女従三位教子。号・甲斐宰相。
承久2年正月22日(ユリウス暦:1220年2月27日)任参議。
従三位・参議。
※神奈川県南足柄市怒田の範茂史跡公園内に墓がある。
藤原 範房
[ 建暦2(1212)年 〜 弘安元年10月6日(ユリウス暦:1278年10月23日) ]
範茂男。
文永3年4月3日(ユリウス暦:1266年5月9日)叙従三位。
建治3(1277)年出家。
従三位・非参議。
藤原 範藤
[ 生没年不明 ]
正五位下左馬頭範継男。母兵庫頭平信繁女。
正応2年12月15日(ユリウス暦:1290年1月27日)叙従三位。
正応5(1292)年3月出家。
従三位・非参議。
※尊卑分脈によれば、父範継の官位は、従四位下。
藤原 範世
[ ? 〜 徳治3年正月1日(ユリウス暦:1308年1月24日) ]
範房男。号・法性寺、木津。
永仁6年11月19日(ユリウス暦:1298年12月23日)叙従三位。
従三位・非参議。
高倉 範春
[ 生没年不明 ]
藤原範藤男。
延慶3年6月1日(ユリウス暦:1310年6月28日)叙従三位。
嘉暦2(1327)年出家。
正三位・非参議。
高倉 範久
[ 明応2(1493)年 〜 天文15年5月5日(ユリウス暦:1546年6月3日) ]
正四位下左近少将範音朝臣男(実藤原季経四男)。範春六世孫。
天文2年2月27日(ユリウス暦:1533年3月22日)叙従三位。
正三位・参議。

別系U
藤原北家勧修寺流。中御門経任の三男経守が高倉を号す。
高倉家系図
経守までの系図は、 中御門家系図を参照。
経守 ┳ 経躬 ┳ 為継(為盗人被害)
  ┃   ┗ 経音(早世)
  ┣ 光守 ━ 経国
  ┗ 朝任
高倉 経守
[ 弘長3(1263)年 〜 文保元年2月22日(ユリウス暦:1317年4月4日) ]
中御門経任三男。母藤原公雅女。
正安元年6月6日(ユリウス暦:1299年7月4日)任参議。
正二位・権中納言。
※生年は尊卑分脈に記載された没年齢55歳から逆算したもの。公卿補任に記載された没年齢27歳から計算すると、正応4(1291)年生まれだが、長兄為方との年齢差が36歳となるし、子の経躬の生年が1989年或いは、1999年なので誤りと思われる。また、系図纂要に記載された没年齢は66歳だが、為方より若くなってしまう。

別系V

藤原北家頼宗流。中御門(松木)家庶流。坊門流の祖宗通の子重通を祖とする。六角とも号した。
高倉家系図
重通までの系図は、藤原北家頼宗子孫系図を参照。
重通 ━ 家通 ┳ 定通(散位。従五位下)
  ┣ 時通 ━ 厳家(法印権大僧都)
  ┣ 敦通 ┳ 氏通 ━ 茂通 ┳ 守通(中将〔系図纂要作左中将〕。正四位下。
  ┃   ┃   ┃   母藤原俊成女〔系図纂要作源俊平女〕)
  ┃   ┃   ┣ 有通 ┳ 藤通(侍従。母経氏女)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 夏通
  ┃   ┃   ┃   ┣ 親通
  ┃   ┃   ┃   ┗ 広通 ━ 清通
  ┃   ┃   ┣ 行通(因幡守。従五位下。母同)
  ┃   ┃   ┣ 具通(左中将。正四位下。母俊快法印女)
  ┃   ┃   ┣ 有助(延暦寺。法印権大僧都)
  ┃   ┃   ┣ 快助(延暦寺。良覚法印資)
  ┃   ┃   ┣ 女子(三条実任室。公綱母)
  ┃   ┃   ┣ 女子(※本朝皇胤紹運録等よる。後深草院典侍。
  ┃   ┃   ┃   称別当典侍。恒助法親王母)
  ┃   ┃   ┗ 女子(※本朝皇胤紹運録等よる。伏見天皇後宮。
  ┃   ┃       尊熈法親王母。称春日局)
  ┃   ┣ 祐通(侍従)
  ┃   ┣ 光通
  ┃   ┗ 尊家(仁和寺。律師)
  ┣ 親通(侍従)
  ┣ 信家(興福寺。法印権大僧都)
  ┣ 重信 ━ 重尊 ┳ 重寿(興福寺。法印)
  ┃   ┗ 玄家(延暦寺。法印権大僧都)
  ┣ 尊能(園城寺。法眼)
  ┗ 円家(園城寺。法眼)
藤原 重通
[ 康和元(1099)年 〜 永暦2年6月5日(ユリウス暦:1161年6月29日) ]
宗通五男。母藤原顕季一女。
長承3年2月22日(ユリウス暦:1134年3月19日)任参議。
永暦2年3月25日(ユリウス暦:1161年4月22日)出家。
正二位・大納言。
※尊卑分脈によれば、出家日は、5月25日。
藤原 家通(本名基重)
[ 康治2(1143)年 〜 文治3年11月1日(ユリウス暦:1187年12月2日) ]
重通男(実藤原忠基二男)。母源師頼女(実母重通家女房藤原有広女)。
永万2年6月6日(ユリウス暦:1166年7月4日)任参議。
正二位・権中納言。
藤原 茂通(本名光通)
[ 寛喜3(1231)年 〜 永仁元年12月12日(ユリウス暦:1294年1月9日) ]
正四位下行右中将氏通朝臣一男。母藤原公国女。正四位下行左中将敦通朝臣孫。家通曾孫。
文永8年11月29日(ユリウス暦:1272年1月1日)任参議。
永仁元年12月11日(ユリウス暦:1294年1月8日)出家。
正二位・参議。
藤原 有通
[ 正嘉2(1258)年 〜 元弘3年11月3日(ユリウス暦:1333年12月10日) ]
茂通男。母大江忠茂女。
乾元2年7月5日(ユリウス暦:1303年8月18日)叙従三位。
従二位・参議。
高倉 広通
[ ? 〜 延文3/正平13年8月8日(ユリウス暦:1358年9月11日) ]
有通男。
貞和元/興国6年11月14日(ユリウス暦:1345年12月8日)叙従三位。
従三位・参議。
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※最終更新日 2017.09.24

半家26家家系別分類表

安倍氏 2家 倉橋土御門
卜部氏 4家 錦織萩原藤井吉田
大江氏 1家 北小路
大中臣氏 1家 藤波
清原氏 3家 伏原船橋
宇多源氏 2家 五辻慈光寺
花山源氏 1家 白川
清和源氏 1家 竹内
菅原氏 6家 唐橋清岡桑原五条高辻東坊城
丹波氏 1家 錦小路
桓武平氏 2家 石井西洞院
藤原氏 2家 高倉富小路