清華家 (せいがけ)

醍醐【だいご】

本姓:藤原氏。華族類別録第四十二類。
新家
内々
一条家門流
藤原北家一条流。関白一条昭良(兼遐)の次男冬基を祖とする。 一条昭良(兼遐)は、実は後陽成天皇の皇子。醍醐家譜によれば、延宝6年3月27日(1678年5月17日) 称号で、九条兼実男の醍醐太政大臣九条良平に因むものらしい。
家紋 ばら藤。
家業  
江戸期石高 312石。
明治期爵位 侯爵。明治17(1884)年7月7日忠順侯爵授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 大徳寺内芳春院。
居所 烏丸通中立売下ル。

醍醐家系図

冬基までの系図は、一条家系図を参照。
一条兼良 ┳ 教房〔⇒土佐一条家〕
  ┗ 冬良 ━ 房通 ━ 兼冬
内基 ━ 昭良 ┳ 教輔
  ┗ 冬基 ┳ 公全(徳大寺実維嗣)
  ┣ 冬熈 
  ┗ 女子※1
※寛政重修諸家譜津軽系図にある津軽信興室の近衛家熈養女は、 津軽系図略〔下沢保躬〕によれば、実は冬基女綱姫という。
┳ 女子
  ┣ 女子
  ┣ 女子
  ┣ 女子
  ┣ 女子大炊御門経秀室。家孝母)
  ┣ 女子広幡長忠室)
  ┣ 経胤 ┳ 兼純
  ┃   ┣ 冬香
  ┃   ┣ 男子
  ┃   ┗ 輝久  
  ┗ 女子
┳ 女子(信子。母同輝弘。徳大寺実堅室。公純母。
  ┃   天保14年9月17日
  ┃   (1843年10月10日)薨〔系図纂要〕。
  ┃   瑞明光院〔系図纂要〕)
  ┣ 女子
  ┣ 輝弘 ┳ 女子
  ┃   ┣ 男子
  ┃   ┣ 忠善(一条忠良猶子。母蜂須賀宗鎮孫〔休光女〕。
  ┃   ┃   文政3年3月8日(1820年4月20日)叙従五位下。
  ┃   ┃   5月13日早世〔系図纂要〕)
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 女子(現代華族譜要によれば、栄子。
  ┃   ┃   高千穂通綱妻。
  ┃   ┃   文政7(1824)年9月生。
  ┃   ┃   明治22(1889)年8月卒)
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 忠順  
  ┃   ┣ 男子
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┣ 男子(母家女房。理性院)
  ┃   ┗ 女子
  ┣ 隆生四条隆師嗣)
  ┣ 男子
  ┣ 女子
  ┗ 女子
┳ 忠告(母家女房。嘉永元(1848)年5月生〔華族家系大成〕)
  ┣ 忠敬(母家女房。 一条忠香猶子。
  ┃
嘉永2年10月4日(1849年11月18日)生。
  ┃
安政4年12月8日(1858年1月22日)叙従五位下。
  ┃
明治32(1899)年5月薨〔現代華族譜要〕)
  ┣ 忠貞(母家女房〔一条家譜〕。
  ┃
文久2年正月5日(1862年2月3日)生〔一条家譜〕。
  ┃
慶応4年6月17日(1868年8月5日)為一条実良養子〔一条家譜〕)
  ┣ 女子(※現代華族譜要による。好子。賀陽宮邦憲王妃。勲一等。
  ┃
慶応元年10月20日(1865年12月7日)生)
  ┣ 女子(親子。殿忠善妻。慶応2(1866)年8月生〔現代華族譜要。
  ┃
華族名鑑作20日〕)
  ┗ 忠直※1
※1 醍醐家譜によれば、忠順の子は、忠告・忠敬・忠貞・女子・女子・男子・女子・ 男子・男子となっている。
■色の名前は公卿。

醍醐家公卿一覧

醍醐 冬基
[慶安元年6月14日(1648年8月2日)〜元禄10年7月14日(1697年8月30日)]
一条昭良次男。母家女房。次郎君〔家譜〕
号華光院、後改追称真性普明寺〔家譜〕。 葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
延宝7年正月19日(1679年3月1日)叙従三位。
正二位・権大納言
公卿補任尻付
延宝2年11月21日(1674年12月18日)正五位下。
同日元服院昇殿。
延宝6年3月29日(1678年5月19日)右少将。
同日従四位下禁色。
同4月2日内昇殿。
同11月3日正四位下〔家譜作4日〕
醍醐 昭尹(改名冬熈・本名冬実)
[ 延宝7年5月4日(1679年6月12日) 〜 宝暦6年10月9日(1756年11月1日) ]
冬基男。母家女房。号・後信性普明寺。
葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕。一字名・召 〔類聚名伝抄〕
元禄9年12月28日(1697年1月20日)叙従三位。
従一位・左大臣。
醍醐 兼潔(改名経胤)
[ 享保2年7月15日(1717年8月21日) 〜 安永10年正月21日(1781年2月13日) ]
冬熈男、母対馬侍従宗義真女。号・妙観寺。
葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
享保14年2月16日(1729年3月15日)叙従三位。
従一位・右大臣。
公卿補任尻付
享保2年7月15日(1717年8月21日)誕生。
享保7年12月14日(1723年1月20日)従五位下。
享保8年正月19日(1723年2月23日)従五位上(去五分)。
享保9年正月14日(1724年2月8日)正五位下(去六分)。
享保10年2月1日(1725年3月15日)従四位下。
享保11年3月5日(1726年4月6日)従四位上。
享保13年3月22日(1728年4月30日)侍従。
同日正四位下。
同11月26日元服昇殿禁色左中将。
醍醐 兼純
[ 延享4年10月16日(1747年11月18日) 〜 宝暦8年4月21日(1758年5月27日) ]
兼潔男(実一条兼香末子)。母家女房(実母家女房)。一条道香猶子〔家譜〕
号大乗心院〔家譜〕。葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
宝暦5年正月20日(1755年3月2日)叙従三位。
従二位・権中納言。
醍醐 冬香
[ 宝暦元年11月21日(1752年1月7日) 〜 明和9年2月13日(1772年3月16日) ]
兼潔男。母家女房。一条道香猶子〔家譜〕
号温恭院〔家譜〕。葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
明和元年8月26日(1764年9月21日)叙従三位。
正三位・権中納言。
醍醐 輝久
[ 宝暦10年6月13日(1760年7月25日) 〜 享和元年7月25日(1801年9月2日) ]
兼潔男。母家女房。一条道香猶子〔家譜〕
号裕徳院〔家譜〕。葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
安永5年正月5日(1776年2月23日)叙従三位。
正二位・権大納言
醍醐 輝弘
[ 寛政3年4月27日(1791年5月29日) 〜 安政6年9月9日(1859年10月4日) ]
輝久男。一条輝良猶子。母侍従蜂須賀重喜女。
号後妙観寺〔家譜〕。葬于紫野大徳寺芳春禅院〔家譜〕
寛政12年9月20日(1800年11月6日)叙従三位。
従一位・内大臣
醍醐 忠順
[ 文政13年3月17日(1830年4月9日) 〜 明治33(1900)年7月4日 ]
輝弘男。母鷹司政熈女。一条忠良猶子。
天保14年3月11日(1843年4月10日)叙従三位。
明治元年時、正二位・権大納言(39才)
著作物:「議論推理之法」(近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/753050)
公卿補任尻付
天保2年5月19日(1831年6月28日)叙従五位下。
天保3年12月19日(1833年2月8日)叙従五位上。
天保4年2月13日(1833年4月2日)任侍従。
天保4年12月19日(1834年1月28日)叙正五位下。
天保5年10月10日(1834年11月10日)叙従四位下。
天保6年12月18日(1836年2月4日)叙従四位上。
天保7年12月19日(1837年1月25日)叙正四位下。
天保11年4月26日(1840年5月27日)元服聴昇殿。
同日拝賀。
天保12年12月22日(1842年2月2日)任左権少将。
天保13年正月1日(1842年2月10日)拝賀。
天保13年12月22日(1843年1月22日)転権中将。
同月18日〔家譜作28日〕拝賀。
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    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
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