羽林家 (飛鳥井) 羽林家家系別分類表

飛鳥井

【あすかい】
(Asukai)
本姓:藤原氏。華族類別録第六十類。
旧家
内々
一条家門流
藤原北家師実(花山院)流。難波庶流〔※難波家は中絶し、その後、飛鳥井雅庸の子宗勝が再興した為、難波家の方を飛鳥井庶流とすることもある〕
刑部卿・難波頼経の次男雅経に始まる。
江戸時代は武家伝奏職を勤める。
慶応4年4月に雅典の次男で、興福寺清浄院の住職となっていた雅之が復飾し、藤枝家をおこす。

家紋

銀杏。
家業 蹴鞠・和歌・書道。
江戸期石高 928石。
明治期爵位 伯爵。明治17(1884)年7月7日飛鳥井雅望伯爵授爵。
菩提所 遺迎院。
居所 日御門通北行当り。
■色の名前は公卿。
雅経までの詳細な系図は、難波家系図を参照。
道長 ┳ 頼通 ┳ 師実
  ┃   ┗ 通房
  ┣ 頼宗〔中御門松木持明院
  ┃     白河高倉東園高野石山
  ┃     壬生(葉川)・石野六角(波多)
  ┣ 能信
  ┣ 顕信
  ┣ 教通
  ┣ 長家〔御子左(二条)京極冷泉五条
  ┗ 長信
┳ 師通 ┳ 忠実 ┳ 忠通
  ┃   ┃   ┃ 藤原北家T-AT-@-a
  ┃   ┃   ┗ 頼長
  ┃   ┣ 家政〔⇒室町法性寺
  ┃   ┗ 家隆
  ┣ 家忠〔花山院
  ┣ 経実〔大炊御門
  ┣ 能実
  ┗ 忠教難波
頼輔 ━ 頼経 ┳ 宗長
        ┗ 雅経飛鳥井祖〕 ⇒
┳ 教雅 ┳ 兼教 ┳ 雅綱 ━ 教藤 ┳ 教春
  ┃   ┃   ┃   ┗ 教輔
  ┃   ┃   ┣ 経教(侍従)
  ┃   ┃   ┣ 雅藤
  ┃   ┃   ┗ 女子(後嵯峨院宮内卿局)
  ┃   ┣ 女子(藤原長顕室)
  ┃   ┣ 女子(三条公泰室)
  ┃   ┗ 女子(難波教俊室)
  ┣ 教定 ┳ 忠輔(侍従)
  ┃   ┣ 雅有 ┳ 雅顕 ━ 雅行(右少将。正五位下。住関東。
  ┃   ┃   ┃   ※系図綜覧飛鳥井系図作雅平)
  ┃   ┃   ┣ 雅孝
  ┃   ┃   ┣ 女子(宰相典侍)
  ┃   ┃   ┗ 女子(御子左為藤室。為定母)
  ┃   ┣ 定有 ━ 雅朝 ━ 雅茂
  ┃   ┣ 基長 ━ 雅孝(雅有嗣)
  ┃   ┗ 女子(藤原為氏室。為世母。家譜によれば、雅有の姉)
  ┣ 教経(家譜无。家譜には、厳雅〔律師。号刑部卿〕の名がある)
  ┣ 女子(忠継朝臣室。*系図纂要によれば、忠継卿室)
  ┗ 女子秋田城介義景室)
┳ 雅氏
  ┣ 経有
  ┣ 雅教(尊卑分脈には右兵衛督・従三位とあるが、
  ┃   公卿補任に記載无)
  ┣ 雅宗 ━ 雅冬 ━ 女子庭田経有室。
  ┃   敷政門院母)
  ┣ 雅冬(雅宗嗣。左中将)
  ┗ 雅家 ┳ 雅俊(家譜无。家譜によれば、
  ┃   雅能〔侍従〕という子あり)
  ┣ 雅縁
  ┗ 経意(園城寺。僧正。若王子)
┳ 雅清 ┳ 雅親
  ┃   ┣ 雅康 ┳ 頼孝 ⇒B
  ┃   ┃   ┗ 女子(顕証寺法印兼盛妻)
  ┃   ┗ 公恵(*系図綜覧による。東大寺。
  ┃   僧正。別当。西室。
  ┃   正親町三条実雅為子)
  ┗ 雅永 ┳ 雅藤(中将〔系図綜覧飛鳥井系図作
  ┃   左中将〕。
  ┃   寛正5年12月5日
  ┃   (ユリウス暦:1465年1月2日)
  ┃   従四位下〔系図纂要〕。
  ┃   正四位下〔系図綜覧飛鳥井系図〕。
  ┃   早世。法名禅雅〔系図纂要〕)
  ┣ 興雅(或忠雅。
  ┃   系図綜覧飛鳥井系図によれば、
  ┃   園城寺。僧正。若王子。乗々院)
  ┗ 女子勧修寺教秀室。政顕母)
┳ 雅俊 ┳ 雅綱
  ┃   ┗ 行雅(浄名坊。阿闍梨)
  ┗ 益豊(民部大輔。土岐)
※紀家譜〔日前・国懸両神宮神職家〕に よれば、紀俊調の母が、飛鳥井正二位大納言女とある。
┳ 覚澄(号安居院) ┳ (雅良)
  ┃   ┗ 時慶〔西洞院家相続〕
  ┣ 喜雲 ━ 宗意 ━ 雅良〔藤江
  ┃           ※家譜・系図纂要によれば
  ┃           覚澄の子
  ┣ 雅春 ┳ 雅敦
  ┃   ┣ 宗房松木宗藤為子)
  ┃   ┣ 龍雲(号一色)
  ┃   ┣ (相国寺僧還俗号琴材)
  ┃   ┗ 女子
  ┣ (最勝院。八幡橋本)
  ┣ 堯慧(大僧正。専修寺応真嗣。足利義晴猶子。
  ┃   大永7(1527)年生。
  ┃   慶長14年正月21日(1609年2月25日)寂)
  ┣ 宗禎(駿河修善寺。号二卜)
  ┣ 遠山
  ┣ (報恩院。号水本)
  ┣ 雅厳(僧正。松橋)
  ┣ 重茂(高嶋 田中養子)
  ┣ 女子(仏光寺経範妻)
  ┣ 女子(朽木元綱母)
  ┣ 女子(嫁山城狛)
  ┣ 女子(嫁十河)
  ┣ 女子(号桃)
  ┗ 女子正親町院目々典侍。春齢母)
雅庸 ┳ 雅賢 ━ 集宣(相国寺住僧瑞春軒)
  ┣ 雅胤 ━ 宗種〔難波家相続〕
  ┣ 雅章
  ┗ 女子(実龍雲女。新上東門院女房。
  号権大納言)
┳ 雅知(正五位下左少将。知譜拙記に
  ┃   よれば、母烏丸光賢女。
  ┃   寛永7(1630)年生。
  ┃   正保2年7月22日(1645年9月12日)卒)
  ┣ 雅直 ━ 女子松平綱昌室)
  ┣ 宗量(難波宗種猶子)
  ┣ 雅豊 ┳ 雅香
  ┃   ┣ 女子(雅香妻)
  ┃   ┗ 女子一条兼香室。
  ┃   恭礼門院母)
  ┣ 女子平松時量室。時方母)
  ┣ 女子坊城俊広室)
  ┣ 宗尚(為難波宗量子)
  ┣ 女子中院通躬室)
  ┗ 女子吉田兼起室。兼敬母)
┳ 雅重 ┳ 女子勧修寺経逸妻。良顕母)
  ┃   ┣ 雅威
  ┃   ┣ 宗章松木宗美養子)
  ┃   ┣ 三冬(日前・国懸両神宮神職家紀慶俊嗣)
  ┃   ┣ 誉淳(住並丘法金剛院兼南都
  ┃   ┃   招提寺々中又壬生方丈)
  ┃   ┣ 女子久世通根妻)
  ┃   ┣ 女子(禁中奉仕。称権典侍)
  ┃   ┣ 女子(恭礼門院上臈)
  ┃   ┣ 女子(住善光寺。号誓順)
  ┃   ┗ 女子(安藤道記妻)
  ┣ 良胤(梶井。号持明院)
  ┣ 女子(錦織寺良慈室)
  ┗ 女子(佐竹山城室)
┳ 雅光 ┳ 雅久
  ┃   ┣ 功長 (桑原忠長為子。
  ┃   ┃   大坂天満社神主滋岡長昌養子)
  ┃   ┣ 女子広橋光成妻)
  ┃   ┣ 女子(存子。号明鏡院。高倉永胤妻。
  ┃   ┃   永祜母。
  ┃   ┃   華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   文化8(1811)年3月生。
  ┃   ┃   明治34(1901)年12月没)
  ┃   ┣ 孝栄(興福寺無量寿院。
  ┃   ┃   ※藤枝家譜〔大持院。清浄院。
  ┃   ┃   文化10(1813)年生。
  ┃   ┃   万延2年2月18日
  ┃   ┃   (1861年3月28日)寂〕)
  ┃   ┗ 女子(興福寺尼院同居。号瑞光院)
  ┣ 実清河鰭公陳養子)
  ┣ 農清(権大僧都。八幡田中)
  ┣ 女子(尚子。勧修寺経則妻。
  ┃   華族家系大成によれば、
  ┃   寛政元年7月11日(1789年8月31日)生。
  ┃   文化14年正月11日(1817年2月26日)没)
  ┣ 女子(田鶴子。烏丸資董妻。
  ┃   華族家系大成によれば、
  ┃   寛政3年6月3日(1791年7月3日)生。
  ┃   文化9年7月10日(1812年8月16日)没)
  ┗ 女子(禁中奉仕。称新典侍。従五位下)
┳ 藤麿(早世)
  ┣ 雅典 ┳ 雅望
  ┃   ┣ 女子(芳子。永井直哉妻。
  ┃   ┃   嘉永4年2月19日
  ┃   ┃   (1851年3月21日)生
  ┃   ┃   〔華族名鑑〕。
  ┃   ┃   大正10(1921)年1月卒
  ┃   ┃   〔華族家系大成〕)
  ┃   ┣ 雅之〔藤枝
  ┃   ┣ 基静持明院基和嗣)
  ┃   ┣ 恒麿(津守国美養子、後本家相続)
  ┃   ┣ 女子(久)
  ┃   ┣ 長麿(勝道。大谷光勝養子。
  ┃   ┃   華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   慶応元年5月28日
  ┃   ┃   (1865年6月21日)生。
  ┃   ┃   明治33(1900)年10月21日没。
  ┃   ┃   夫人久我通久女儀子)
  ┃   ┣ 女子(生子。華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   石田沢心妻。
  ┃   ┃   慶応3年3月10日
  ┃   ┃   (1867年4月14日)生)
  ┃   ┗ 隆麿(華族家系大成によれば、
  ┃   忠三郎。下村忠兵衛養子。
  ┃   慶応4年5月27日
  ┃   (1868年7月16日)生。
  ┃   大正2(1913)年8月28日卒)
  ┣ 秋麿(早世)
  ┣ 女子(早世)
  ┗ 女子(早世)
┳ 恒麿 (実雅典男。初津守国美養子。
  ┃   華族家系大成によれば、
  ┃   安政6年7月19日(1859年8月17日)生。
  ┃   大正13(1924)年11月23日没。
  ┃   夫人伊達邦直女美知。
  ┃   夫人高橋島五郎女ツ子)
  ┃ ※以下、華族家系大成による。
  ┣ 雅忠(実穂波経度男。徳明。
  ┃   慶応2年4月26日(1866年6月9日)生。
  ┃   明治40(1907)年12月22日離)
  ┣ 寿賀
  ┗ 雅広

B⇒ 雅量 (侍従。 ┳ 虎熊丸 (母為松若狭守女。  
    従五位下。 ┃   右京進。    
    母雅俊女。 ┃   永禄六年生)    
  号二楽院。 ┗ 女子(香宗我部出羽守親秀妻)
  法名曽衣)    
雅春〔鹿持
■色の名前はポップアップで経歴表示。

飛鳥井家公卿一覧

飛鳥井 雅経
[ 嘉応2(1170)年 〜 承久3年3月11日(ユリウス暦:1221年4月5日) ]
難波頼経二男。母源顕雅女。号二条又明日香井。
建保6年正月5日(ユリウス暦:1218年2月1日)叙従三位。右兵衛督如元。
承久2年12月18日(ユリウス暦:1221年1月13日)任参議〔尊卑分脈作正月28日〕
承久3年正月13日(ユリウス暦:1221年2月6日)兼美作権守。
従三位・参議。
公卿補任尻付
治承4年11月11日(ユリウス暦:1180年11月29日)叙位。
建久8年12月15日(ユリウス暦:1198年1月23日)侍従〔尊卑分脈作建久8年2月15日〕
建久9年正月5日(ユリウス暦:1198年2月12日)従五位上。
建仁元〔正治3〕年正月29日(ユリウス暦:1201年3月5日)兼越前介。
同日右少将。
建仁2年正月5日(ユリウス暦:1202年1月30日)正五位下(従三位源朝臣給)。
元久2年正月29日(ユリウス暦:1205年2月19日)加賀権介〔尊卑分脈作加賀介〕
建永元〔元久3〕年正月6日(ユリウス暦:1206年2月15日)従四位下。
同13日還任左少将。
承元2年12月9日(ユリウス暦:1209年1月16日)左中将。
承元3年正月13日(ユリウス暦:1209年2月18日)周防権介。
承元4年正月6日(ユリウス暦:1210年2月1日)従四位上。
建保2年正月5日(ユリウス暦:1214年2月16日)正四位下(臨時)。
同13日伊予介。
建保4年3月28日(ユリウス暦:1216年4月16日)右兵衛督。
12月日服解(父)。
建保8年6月27日〔※建保は7年まで〕復任。
飛鳥井 教定
[ 承元4(1210)年 〜 文永3年4月8日(ユリウス暦:1266年5月14日) ]
雅経男。母大江広元女。号二条。
建長5年4月8日(ユリウス暦:1253年5月6日)叙従三位。
正三位・非参議。
※系図纂要によれば、没日は、4日。
飛鳥井 雅有(雅名)
[ 仁治2(1241)年 〜 正安3年正月11日(ユリウス暦:1301年2月20日) ]
教定男。母平実時女。号二条。
建治4年正月6日(ユリウス暦:1278年1月30日)叙従三位。
正二位・参議。
※母は、尊卑分脈・家譜によれば、左少将(家譜作左中将・尊卑分脈定忠項右少将)源定忠女。
飛鳥井 雅孝
[ 弘安5(1282)年 〜 文和2/正平8年5月17日(ユリウス暦:1353年6月18日) ]
雅有男。法名・妙恵。号二条。
応長2年3月15日(ユリウス暦:1312年4月22日)叙従三位。
観応2/正平6年6月25日(ユリウス暦:1351年7月18日)出家。
正二位・権中納言。
※生年は、系図纂要・知譜拙記による。公卿補任の出家時の年齢71歳から計算すると、弘安4(1281)年生まれ、初見時の年齢から計算すると、弘安6(1283)年生まれ。
※尊卑分脈・系図纂要によれば、実は、侍従飛鳥井基長男。
飛鳥井 経有(経孝・教親)
[ ? 〜 康永2/興国4年5月4日(ユリウス暦:1343年5月27日) ]
雅孝男。母平経親女。
暦応4/興国2年4月16日(ユリウス暦:1341年5月2日)叙従三位。
従三位・非参議。
飛鳥井 雅宗(雅光)
[ ? 〜 康永2/興国4年8月30日(ユリウス暦:1343年9月19日) ]
雅孝男。
康永2/興国4(1343)年叙従三位。
従三位・非参議。
飛鳥井 雅家
[ ? 〜 至徳2/元中2(1385)年 ]
雅孝男。
永和4/天授4年6月11日(ユリウス暦:1378年7月6日)叙従三位。
至徳2/元中2(1385)年以降、不見。
従三位・非参議。
飛鳥井 雅縁
[ 延文3/正平13(1358)年 〜 正長元年10月1日(ユリウス暦:1428年11月8日) ]
雅家男。法名宋雅〔尊卑分脈。知譜拙記作宗雅〕。
応永4年4月15日(ユリウス暦:1397年5月12日)叙従三位。
応永5(1398)年出家。
従二位・権中納言。
飛鳥井 雅清(雅氏・雅幸・雅世)
[ 明徳元/元中7(1390)年 〜 宝徳4年2月2日(ユリウス暦:1452年2月22日) ]
雅縁男。法名・祐雅。
応永29年2月17日(ユリウス暦:1422年3月10日)叙従三位。
嘉吉元年7月10日(ユリウス暦:1441年7月27日)出家。
正三位・権中納言〔贈大納言〕。
※没年は、家譜による。
飛鳥井 雅永
[生没年不明。]
雅縁男。法名浄空。
嘉吉元年8月19日(ユリウス暦:1441年9月4日)叙従三位。
宝徳2(1450)年以降、不見。
正三位・権中納言。
飛鳥井 雅親
[ 応永23(1416)年 〜 延徳2年12月22日(ユリウス暦:1491年1月31日) ]
雅世男。号・柏木。法名・栄雅。
文安5年6月11日(ユリウス暦:1448年7月11日)叙従三位。
文明5年12月17日(ユリウス暦:1474年1月5日)出家。
正二位・権大納言。
飛鳥井 雅康
[ 永享8(1436)年 〜 永正6年10月27日(ユリウス暦:1509年12月8日) ]
雅親男(実飛鳥井雅世男)。号・二楽軒。法名・釆世〔系図纂要によれば、栄世〕。
応仁元年10月19日(ユリウス暦:1467年11月15日)叙従三位。
文明14(1482)年以降、不見。
正三位・権中納言。
※没年は、公卿辞典 坂本武雄(国書刊行会)を参考にした。
飛鳥井 雅俊
[ 寛正3(1462)年 〜 大永3年4月11日(ユリウス暦:1523年5月25日) ]
雅親男。法名・敬雅。
明応7年正月8日(ユリウス暦:1498年1月30日)叙従三位。
正二位・権大納言。
飛鳥井 雅綱
[ 延徳元(1489)年 〜 元亀2(1571)年 ]
雅俊男。母広橋綱光猶女(実八幡検校生清法印女〔或享清女〕)。
法名・高雅。
大永4年2月3日(ユリウス暦:1524年3月7日)叙従三位。
永禄6年8月21日(ユリウス暦:1563年9月8日)出家。
従一位・権大納言。
※母の実父名は、尊卑分脈紀氏系図・石清水祠官系図・群書類従巻第六十三紀氏系図によれば、享清。
飛鳥井 雅教(改名雅春)
[ 永正17年9月22日(ユリウス暦:1520年11月2日) 〜 文禄3年正月12日(1594年3月3日) ]
雅綱男。母丹波親康女。法名・了雅。一字名・秀 〔類聚名伝抄〕
天文17年正月5日(ユリウス暦:1548年2月14日)叙従三位。
正二位・権大納言。
公卿補任尻付
大永4年12月12日(1525年1月15日)従五位下。
天文元年12月20日(1533年1月25日)従五位上(今日元服)。
同21日侍従。
天文4年6月26日(1535年8月5日)左少将。
天文5年2月21日(1536年3月23日)正五位下。
天文7年3月8日(1538年4月17日)兼駿河守。
天文8年正月19日(1539年2月17日)従四位下。少将如元。
天文8年2月4日(1539年3月4日)転中将。
天文11年正月5日(1542年1月30日)従四位上。
天文12年5月17日(1543年6月29日)服解(母)。
同7月除服復任。
天文13年3月19日(1544年4月21日)兼丹後守。
天文14年正月5日(1545年2月26日)正四位下。
飛鳥井 雅敦
[ 天文17(1548)年 〜 天正6年8月7日(ユリウス暦:1578年9月8日) ]
雅教男。法名・隆雅〔系図纂要作冷光院隆雅〕。
天正5年正月5日(ユリウス暦:1577年1月23日)叙従三位。
従三位・参議。
飛鳥井 雅枝(本名雅継・雅庸)
[ 永禄12年10月20日(ユリウス暦:1569年11月28日) 〜 元和元年12月22日(1616年2月9日) ]
雅敦男。法名尊雅。一字名・匊 〔類聚名伝抄〕
芳光院尚雅〔系図纂要〕。
慶長2年正月5日(1597年2月21日)叙従三位。
従二位・権大納言。
飛鳥井 雅胤(本名宗勝・雅宣)
[ 天正14年12月6日(1587年1月14日) 〜 慶安4年3月21日(1651年5月10日) ]
雅庸二男。
潜龍院太素演雅〔系図纂要〕。
元和9年正月5日(1623年2月4日)叙従三位。
従一位・権大納言・武家伝奏。
※生年の月日は、家譜による。
※没年は、家譜によれば、寛永17年12月28日(1641年2月8日)。
飛鳥井 雅章(雅昭)
[ 慶長16年3月1日(1611年4月13日) 〜 延宝7年12月12日(1680年1月13日) ]
雅宣男(実飛鳥井雅庸三男)。
究竟院原道文雅〔系図纂要〕。
寛永17年正月5日(1640年2月26日)叙従三位。
従一位・権大納言。
飛鳥井 雅豊
[ 寛文4年5月30日(寛文4年5月30日) 〜 正徳2年7月22日(1712年8月23日) ]
雅章男。母家女房(家譜作松平忠昌女)。
大智院凉宣円雅〔系図纂要〕。
貞享5年正月22日(1688年2月23日)叙従三位。
従二位・権中納言。
飛鳥井 雅香
[ 元禄16年8月7日(1703年9月17日) 〜 明和2年12月19日(1766年1月29日) ]
雅豊男(実西園寺致季次男)。母権僧正常勤妹(実母家女房)。花山院持実猶子。
寛住院奐道允雅〔系図纂要〕。
享保13年2月1日(1728年3月11日)叙従三位。
従一位・権大納言。
公卿補任尻付
正徳元年10月3日(1711年11月12日)叙爵。
正徳3年11月7日(1713年12月24日)元服昇殿侍従従五位下。
正徳4年12月26日(1715年1月31日)左少将。
享保元年12月25日(1717年2月6日)正五位下。
享保4年正月28日(1719年3月18日)従四位下。
享保4年12月26日(1720年2月4日)左中将。
享保7年2月3日(1722年3月19日)従四位上(去正六分)。
享保10年正月15日(1725年2月27日)正四位下(去五分)。
飛鳥井 雅重
[ 享保6年6月6日(1721年6月30日) 〜 安永8年6月3日(1779年7月16日) ]
雅香男。母飛鳥井雅豊女。
普明照院高嶽応雅〔系図纂要〕。
延享2年12月16日(1746年1月7日)叙従三位。
従一位・権大納言。
飛鳥井 雅威
[ 宝暦8年12月16日(1759年1月14日) 〜 文化7年7月27日(1810年8月26日) ]
雅重男。母高槻藩主永井直期女。
崇広業院〔系図纂要〕。
天明3年正月5日(1783年2月6日)叙従三位。
正二位・権大納言。
飛鳥井 雅光
[ 天明2年10月6日(1782年11月10日) 〜 嘉永4年9月18日(1851年10月12日) ]
雅威男。母隠岐守本多康伴女。
国盛心院梅雅〔系図纂要〕。
文化3年正月18日(1806年3月7日)叙従三位。
従一位・権大納言。
飛鳥井 雅久
[ 寛政12年11月4日(1800年12月19日) 〜 安政4年7月4日(1857年8月23日) ]
雅光男。母家女房。
夫人松平信志女千世子〔華族家系大成〕
文政7年11月4日(1824年12月23日)叙従三位。
従一位・権大納言。
飛鳥井 雅典
[ 文政8年10月25日(1825年12月4日) 〜 明治16(1883)年2月23日 ]
雅久男。母家女房。
夫人花山院家厚女梅〔華族家系大成〕
嘉永2年10月7日(1849年11月21日)叙従三位。
嘉永5年3月8日(1852年4月26日)叙正三位。7月20日任侍従。
12月5日聴任直衣始。同月16日拝賀。
安政2年6月27日(1855年8月9日)除服出仕(別勅)。
安政4年7月4日(1857年8月23日)服解(父)。8月25日除服出仕復任。
安政6年9月20日(1859年10月15日)任参議(侍従如旧)。10月20日拝賀着陣。
同月21日聴衣始。同日直衣始。
安政6年12月19日(1860年1月11日)叙従二位。
文久元年12月5日(1862年1月4日)任権中納言。
同月29日聴帯剣。同日拝賀着陣。同月30日聴直衣。同日直衣始。
元治元年12月4日(1865年1月1日)叙正二位。
元治2年正月1日(1865年1月27日)着陣(階後)。
慶応3年3月7日(1867年4月11日)除服出仕(別勅)。
慶応3年9月27日(1867年10月24日)任権大納言。同日拝賀着陣。
慶応4年正月17日(1868年2月10日)辞権大納言。
明治元年時、正二位・前権大納言(44才)。
公卿補任尻付
文政12年3月4日(1829年4月7日)叙従五位下(5歳)。
天保4年10月19日(1833年11月30日)元服聴昇殿(9歳)。同日叙従五位上。
天保7年5月10日(1836年6月23日)叙正五位下(12歳。去年10月5日分)。
天保9年後4月10日(1838年6月2日)任侍従(14歳)。
天保9年8月18日(1838年10月6日)叙従四位下。
天保11年8月13日(1840年9月8日)叙従四位上(16歳)。
天保13年3月16日(1842年4月26日)叙正四位下(18歳)。
弘化4年12月23日(1848年1月28日)任左権少将(22歳)。同月29日拝賀。
嘉永2年2月7日(1849年3月1日)着本陣。
同年4月14日(1849年5月6日)転権中将(25歳)。同月拝賀。
飛鳥井 雅望
[ 天保13年5月5日(1842年6月13日) 〜 明治39(1906)年4月21日 ]
雅典男。母花山院家厚女梅。
夫人上杉斉憲女栄・夫人四条隆謌女満子〔華族家系大成〕
慶応3年3月17日(1867年4月21日)叙従三位(去年12月24日分)。
4月8日任侍従。
明治元年時、従三位・非参議・侍従(27才)。
公卿補任尻付
嘉永6年12月19日(1854年1月17日)叙爵(12歳)。
安政2年12月23日(1856年1月30日)元服聴昇殿(14歳)。
同日叙従五位上。
安政4年12月19日(1858年2月2日)任侍従(16歳。新内裏両殿障子色紙和歌題撰進沙汰等。父卿勤仕格別出精賞譲)。
安政5年正月21日(1858年3月6日)叙正五位下(17歳)。
安政7年正月5日(1860年1月27日)叙従四位下(19歳)。
文久元年4月5日(1861年5月14日)任右少将(20歳)。同年10月28日拝賀。
文久2年正月5日(1862年2月3日)叙従四位上(21歳)。
文久3年12月24日(1864年2月1日)叙正四位下(22歳)。同日着本陣。
元治元年5月18日(1864年6月21日)転左中将(23歳)。同年9年29日拝賀。
このページの先頭へ戻る


南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家
関連リンク
白峯神宮(公式サイト)