ここまでの感想(2005・12・15)




はじめに



こんにちは。沖縄の皆さん、日本の皆さん、世界の皆さんこんにちは。 「ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!」をやってる者です。
沖縄もいつの間にか季節は冬となり、朝方などはめっきり寒くなり、ストーブが欲しくなる季節になりました。
辺野古では基地建設反対の座り込みが続行されており、キャンプシュワブ沿岸部への新たな基地建設を止めるための取り組みがこれから始まろうとしています。そのように、現在は辺野古沖計画から沿岸計画への移行期の中にあり、これまでの事を振り返る、そしてこれからの事を考えていくための良い時期ではないかと思います。
これからここに書くことは、僕個人の感想であり見解であります。ですので、もちろんここに書かれたことが辺野古の全てではありません。
辺野古の運動に関わった一個人の感想も発表してもいいと思うし、多くの人の思いが発表されればより良いことだと思います。 色々な意見や感想があることで、これから始まる沿岸計画阻止に向けて大きな力になっていくと思います。 そして、色々な感想があることで、辺野古に来たことがない人たちには、様々な角度から見た辺野古の様子を知ってもらえると思います。




辺野古沖計画を阻止!そして、沿岸計画阻止に向けて


命を守る会の座り込み開始から9年。辺野古のおじいやおばあたちが貫き続けてきた基地建設反対への取り組みが、多くの人たちの共感を呼び、賛同を得て、日米両政府が計画していた辺野古沖の基地建設を諦めさせることができた。辺野古の海を守り、人殺しの基地建設をやめさせる事ができた。 これは、辺野古の基地建設を止めるために動いた一人一人の行動が大きな力になったのだと思います。
「国が決めたこと = 変えられない」。そんな固定観念が多くの人たちの頭にあったはず。しかし、それが覆された。市民が市民の手で良い世の中へと舵を切らせた。これが民主主義のあるべき姿だと思う。
辺野古座り込みテント村には、日本全国から、世界中から基地建設反対を願い、阻止するために5万人を超える多くの人々が集まった。 そして、ここ辺野古に限らず、辺野古の基地建設を止める行動は、日本全国、世界的なものへと発展していった。 日本全国では、色々な場所で毎日、毎週様々な形の行動が起こされています。
これらの行動は、辺野古沖計画を止めるための大きな力になったとともに、これからの沿岸計画を止めるための大きな力になっていくことは間違いない。 そして、今度はもっと全国的な行動を展開していかなくては、次の計画を止められないのである。
沿岸案は辺野古沖計画に比べると、軍事的機能性が高く、戦争への実戦配備が容易となる。米軍が最も理想とする基地の形体なのだ。 米政府は、日本政府は何が何でも基地建設を進めようとするはずだ。だから、今までのような規模の阻止行動では追いつかない。日本全国、全世界に基地建設反対のネットワークを作り、阻止に向けた動きを活発化していかなければならないのだ。

僕はこう思う。
基地による被害の実態、そして、世界中で罪のない人々を殺している米軍の実態、米軍基地に占拠され続けている沖縄の悲惨な実態、大規模な自然破壊の実態などの真実の情報を伝えれば、沿岸計画阻止に向けて多くの人たちが行動を起こすだろうと。 簡単なことではないけれど、諦めざるをえないようなことではない。 辺野古沖計画を止めたように、希望を持って一日一日努力していけば、必ず道は拓けてくると信じています。
「頑張ろう!」古臭いそんな言葉しか見つからないけど、「頑張ろう!」 とにかくみんなで力を合わせて「頑張ろう!!」




『闘い』という言葉


これは僕個人の感想。
辺野古に最初に来て違和感を感じた言葉。「闘い」という言葉。
「闘い」という言葉からは敵味方が区別され、相手を倒すために繰り広げられる様相が頭に浮かぶ。この言葉には当初、僕は馴染めなかった。 結論から言うと、今はその言葉に込められた感情を理解することで、「闘い」という言葉に対してはあまり違和感は感じなくなった。
僕なりの理解で、「闘い」という言葉の持つ意味を説明したい。
ここでいう「闘い」とは、弱者が強者に対して立ち向かうための強い精神性を表している。 一市民が、全身全霊を込めて、アリが巨象に立ち向かわんばかりの気迫で権力者(日本政府)に対抗する気持ちが表されていると思う。
例えば毎日「笑っていいとも」をボーっと見て、自分の事しか考えていないような生活(あ、過去の自分じゃないか)をしていたんじゃ、この言葉を、その精神性を理解することはできないんじゃないかと思う。
人間はそんなに器用じゃない、っていうか僕はそんなに器用じゃないから、許せないと思ったことに対してはトコトン立ち向かいたい。そんな時には「闘い」という言葉が自分にとってしっくりくることがある。 まあ、そんなに「闘い」にこだわっているわけじゃないけど、なんとなく気になっていたので感想を書いてみました。
そうそう、「闘い」という言葉を使うことで勘違いされないために言っておくと、座り込みも海上阻止行動も「完全非暴力」によるものであり、こちらからの暴力的なことは一切しない。 戦争を含む、あらゆる暴力を否定することが基地建設を止める力の源泉だからだ。
最後に感想としては、「闘わなくてもいい」、平和で自由な世の中に早くなって欲しいと思う。



同性愛者としての自分


僕はいわゆる同性愛者と呼ばれるタイプの人間です。今まではほとんど他人には言ったことがないことだから、ちょっとビックリする人もいるかな。。
(「同性愛者」という言葉、その他、「ゲイ」とか「オカマ」などの呼び名。まるでそれがその人の全人格を表しているような類で使われているような気がしてあまり好きではないけど、とりあえずはその言葉しか見つからないので、そのように書きます。)
僕は男だけど男に好意を抱くわけです。一般的な「人間」とは多少異なってはいますが、社会によくいる一人の人間です。
同性愛者(同性愛)について少し説明しましょう。
同性愛者は、生まれる前の胎児のころから、脳の発育のバランスによってそのような仕組みが出来上がっています。 だから、例えば親のしつけとか、生活環境とか、恋愛によるトラウマとかはほとんどの場合関係がありません。 人間は生まれた時から選択の余地なく、性的指向(何が好きか)はほぼ決まっているのです。
そして、性自認(自分が感じる自分の性)というものもその人の個性を表しています。 例えば、男の身体で生まれても、心の中では女だと感じていたら性自認は女になるのです。その場合は、身体と心の性別が一致しないのです。 そして、生まれてきた時に、性別が判断できない身体の人もいます。 同性愛者については、人口の5%〜10%ぐらいいるとも言われています。 厳密にわからないのは、同性愛者自身が公表できない社会であるということと、性のグラデーションによるためでもあります。 20%の割合で同性が好きだとか、半分半分ぐらいだったりとか、100%同性が好きだとか、色々なパターンが存在しています。 性は多様であり、男か女かに真っ二つに分けられるものではないのです。

話を僕自身の事に戻します。
過去を振り返って話すと、僕は保育園児の頃から周りの男の子たちとの間に違和感を感じていました。 小学校に入り、自分が同性に対して関心を持つようになっていることに気が付きました。 しかし、これは誰にも言えません。
中学を卒業し、高校、大学へと進学しましたが、半年ぐらいたって友達と親しくなっていくのに自分の本心を明らかにすることができず、毎日の生活が息苦しくなっていきました。 そうなると、誰かと一緒にいるよりも一人でいる方がまだ気が楽です。自分の心の中を詮索されることもないし、「好きな人話」に焦ってビクビクすることもないからです。 しかし、人間にとって孤独とは非常に辛い状態です。 誰にも相談できない。誰に対しても本心を明かすことができない。自分の性的指向を気づかれまいと、日夜、神経を尖らせて生きていた。 大学時代は半年過ぎた頃には、アパートで引きこもり状態になっていた。大学にはほとんど行けなくなり、その年の冬には実家に帰って、その後休学した。 親への感謝の気持ちからなんとか卒業だけはしましたが、大学時代は自分を押し殺して生きていて、一つも楽しい思い出を残すことはなかった。 一瞬、自殺が頭をよぎったのもそんな大学時代のことでした。

辺野古に初めて来たのは去年(2004年)の9月で、海上で基地建設工事が強行され始めた時でした。 最初は1ヶ月くらいの滞在でしたが、その後も来て、辺野古にいる時間のほうが長くなっていました。
そうなると、やはり辺野古においても人間関係が築かれていくわけです。半年ぐらいが過ぎた頃には息苦しくなり、辺野古にいることが辛くもありました。 しかし、辺野古における平和への希望を持てる行動には深く共感しているため、辺野古を離れることはできない気持ちでした。 その頃には、24時間体制の阻止行動にもなっていて、一日中気を抜けない日々が続いていたこともあり、自分の抱える悩みは忘れられることもありました。 しかし、ふと何もすることのない時間があった時には、「同性愛に悩む自分」が姿を現し、自らの人生を悲観し、絶望感に陥るのです。 そんな日々を過ごしながらも、一方では希望の光が徐々に見え始めてもいました。 それは、辺野古に来て、一生懸命頑張っている多くの人たちに出会えたことによります。
辺野古の座り込みや阻止行動には、本当に心から平和を願う人々、子供たちの未来を真剣に考えている人々、自分の全てを懸けて頑張っている人々が参加しているのです。 そんな人々に出会ったことで、自分の中に「真正面から生きてみたい」という欲求が沸々と湧いてきたのです。 それからも、自分の中では何度も何度も自問自答を繰り返してはいましたが、ようやく今年の8月、家族に対して自分が同性愛者であることをカミングアウトすることができたのです。 本当に心の中がスーッとしました。心の中に抱えていた鉄の固まりを吐き出すことができたような気持ちです。 もうウソをつかなくてもいい、自分を偽らなくてもいいという思いが心の隅々まで染み渡っていきました。 家族は快く理解してくれました。
そしてまた辺野古に来ました。 辺野古での人間関係も息苦しく感じられてしまうようになってしまいました。 僕にとっては、カミングアウトするか、もしくは辺野古を去るかのどちらかの選択しかありませんでした。
もしもカミングアウトしたらと考えたとき、色々なことを想像しました。 一番気になることとしては、辺野古の運動に迷惑をかけないかということでした。 世間一般では同性愛者を軽蔑する人もたくさんいる。 ここ辺野古でも少なからずそういう考えの人たちがいて、自分の存在を疎ましく思ったり、その事で辺野古に来なくなったりするんじゃないかと疑心暗鬼の気持ちだったのです。
心は揺れ続け、気持ちがはち切れそうになり、ある人に相談しました。 その人は、「ここは命を守る闘いをしているんだよ。どんな人でも幸せに生きていける社会を作るための闘いなんだよ。カミングアウトしたことで迷惑になるなんてことはないよ。 カミングアウトしたことによって、もしも仮にこの運動がうまくいかなくなったとしたら、それはその程度のものだったということさ。 カミングアウトするかしないかは君の自由だ。ここの運動については何も気にしなくていいよ。」 と言ってくれました。
家族の前でも流した涙。そして、この時も涙が止まらなくなりました。 気持ちは決まり、「ナゴガイセン」や「ナハガイセン」の終わりのときに7,8人を前にカミングアウトしました。 カミングアウトした後に、一人一人が握手の手を差し出してきて、全員と握手するという光景にもなりました。 カミングアウトしたことで、自分の中では辺野古にいることもだいぶ楽になりました。

さて、なぜ僕はここまでプライベートなことを書いたんでしょう。(例えば、性にまつわる個人的なことなど、表明する義務などどこにもないわけだし。)
それはもちろん単に思い出を話したかったからではありません。それは、辺野古における運動が、ただ単に基地建設を止めるためだけの運動ではなく、全ての人間が自由に平等に生きていける社会を作るために行われているものだということを知って欲しかったからです。
そして、僕はこの場を借りて、同性愛者のおかれている苦しい生活の現実を知ってもらうとともに、誰にも相談できずに悩んでいる同性愛者たちを助けたいと言う気持ちがあるからです。 自殺者の10人に3人は同性愛者だという話もあります。同性愛者は何も語れないまま死を選択せざるをえないのが今の社会の現実なのです。
同性愛者はあなたの身近にも必ずいて苦しんでいます。 その人たちが死を選ばず、楽に生きていける社会にするためにも、そして、その他色々な社会的差別を無くしていくためにも、僕はこの機会に自分の事、辺野古での経験を書き記しておきたいと考えたのです。 このメッセージが少しでも平和な世の中にするためのお役に立てばと思います。

例えばこちらを参照




ビッグバン宇宙論は完全に間違っている


唐突にこんな話をしても、辺野古と全く関係ない話で何を言ってるんだと思われるかもしれません。 しかし、僕が思うに、この「ビッグバン宇宙論」も、辺野古の問題とは質は違いますが、平和な世界を創っていくための大きな障害だと考えるのです。 完全に大間違いである「ビッグバン宇宙論」が世の中に定着していることが、人類の思考欠如の表れであり、「ビッグバン宇宙論」の持つ思想が浸透する危険な状態を放置することはできないのです。

まず、「ビッグバン宇宙論」とは何なのか。 「宇宙とは、137億年前に、『無』の状態からある一点が大爆発を起こし、その時から時間と空間が生まれ、宇宙が誕生した」という理論なのです。 これはもうとんでもない大ウソ理論です。冷静に考えてみれば誰にでもわかるぐらいの大間違いです。 科学者の誰一人として、宇宙誕生以前の世界がどうなっていたのかを説明できません。当たり前です。 「ビッグバン宇宙論」には一つも証拠がなく、ただの空想の産物に過ぎないからです。 しかし、多くの現代人はその「ビッグバン宇宙論」のとんでもない間違いに気づいていない。 というか、宇宙を、自分の生きている世界を認識しようとする感覚が弱くなっているのではないかと思うのです。
そして、「ビッグバン宇宙論」には、宇宙には終わりが来るという考え方があります。 (例えば、宇宙の全物質の引力が、宇宙誕生に起こったときから始まる膨張力を上回った場合、宇宙は収縮に転じ、また一点に戻るというのです。「ビッグクランチ」) 宇宙の終わり。世界の終わり。この思想はとても危険です。 一つの思想として存在しているだけなら問題は低いのですが、科学理論という科学のお墨付きが付くというのは考え物なのです。 究極的に、もしもこの思想が浸透していった場合、人々は不安心理に陥り、より強いもの、より強大なものに身を寄せようとするのです。 国家権力がそのいい例です。 現に、NHKは「ビッグバン宇宙論」を積極的に正統化しようとしています。国家権力への従順な国民を作り出すためにはこの思想は好都合なのです。
今の時代、宇宙(そして科学)は科学者だけが語るものだというのが常識になってしまいました。本来は誰もが自由に宇宙について語り合っていいはずなのです。 「ビッグバン宇宙論」は科学と哲学を分断させ、人類の知的欲求を減退させることにつながっていると思います。
「ビッグバン宇宙論」が確立されたのが約60年前。その頃ちょうど原子爆弾が誕生し、その後、人類は生存の危機に立たされてしまうことになった。 アインシュタインの「相対性理論」(間違っている)が「ビッグバン宇宙論」の基礎になっている。 60年前、人類は大きな転機を迎えることになったのだ。 核兵器は人類を全滅させる。それは前触れもなく突然起こるかもしれない。 間違った情報による他国への先制攻撃、人間のちょっとした操作ミス、コンピューターの故障。 核ミサイルが発射され、いつ滅亡してもおかしくない事態に人類は60年前から置かれている。
今までの常識、価値観を改めて見直し、新しい哲学、科学を構築しなければ平和な世界を作り出すことはできないと思う。 最低でも、「ビッグバン宇宙論」を疑いもなく受け入れている現代人の思考回路を変えなければ、本当の平和な世界を作り出すことはできないと思う。
とは言っても、平和な世界にするためには「宇宙論」をどうにかするということが最大の問題ではなく、結局は身近な問題から解決していかなければならないわけです。 戦争を止め、基地のない、核兵器のない、武器のない世界にしていかなければならない。 辺野古の問題をはじめ、小さなことからコツコツと行動していかなければならない。

とにかく、ここで伝えたいことは、「ビッグバン宇宙論」は完全に間違っていて、宇宙には始まりも終わりもなく、永久に宇宙は存在し続けるということです。 人間は一人一人がもっと独立した存在になり、一人一人が積極的に考え、行動していかなければ平和な世界にはならないと思うのです。
宇宙は永久に不滅です。まずは安心して生きていきましょう!

例えばこちらを参照




情報発信の大切さ


僕が辺野古に来たきっかけは姉の話でした。 沖縄を数日間訪れ、その中で辺野古にも少し立ち寄り、辺野古の大変な状況を見てきたと言う話。 それを聞き、インターネットで検索し、辺野古に出会った。
去年9月の「シンさんの辺野古日記」が自分を辺野古に向かわせるきっかけでした。 そして、「ジュゴンの家日誌」を見ることで現地の様子がよく分かり、親しみを感じた。 それらがなければ自分が辺野古に行くことはあり得なかったと思います。
そういう自分の体験から思いついて始めたのが、「ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!」です。 自分と同じように、一人でも多くの人に辺野古に駆けつけて欲しい、辺野古のことを知って欲しいと思ったのです。
毎日毎日更新するのは大変ではあります。 しかし、辺野古で頑張っている色々な人たちを見ていると、「これも伝えたい、あれも伝えたい」と更新する回数が自然に増えていくのです。 まあ、自分の話はこんな感じで。 とにかく情報発信が大切だと思うのです。

国家レベルの大きな情報から、身近な小さな情報まで、色々な情報を共有しあうことが大切だと思います。 (世界が平和になるためにも、国家の枠を超えた文化交流、情報交換によって互いを知り合うことが大切ですよね。)
インターネット、講演会、街宣、投書など、手段は様々です。 一人一人が何かしらの情報発信を心がけていくことが、これから平和を築くための最低条件だと思います。

ちなみに、僕は今回、辺野古のことを知ってもらうために、『辺野古アクション』という紙芝居形式の、わかりやすく伝えるための本の製作に携わりました。 ぜひ、多くの人たちに見てもらいたいです。
とにかく個人レベルから情報をどんどん発信していきましょう!




おわりに


まとまりのない文章になってしまいましたが、とりあえず僕が思っていることを書きました。
さて、これからは沿岸計画を止めるために大変な闘いになっていくものと思われます。 沿岸計画を白紙撤回させ、米軍再編による戦争拡大、基地被害をなくすために、全力で頑張っていきましょう!
戦争のない、差別のない、誰もが豊かに平和に暮せる世界にするために、共に頑張っていきましょう!






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