DAHAB 22 / NOV / 2003 *SAT*



夕方、空が薄紫に染まり始めた頃目が覚める。聖カトリーナから帰ってそのまま、5時間ほど眠っていたらしい。
すでに足はどうしようもなくパンパンで頭もボーっとするが、下痢はピタリとおさまり再発の兆しもない。病み上がりにあんな激しい登山をし、山頂では雪こそないブリザードに吹かれてハナ垂れっ子と化した時には、間違いなくまた倒れるな、あわれ・・・と思ったものだが、今のところ足と頭、体の両末端以外はさして悪いところはない。それどころか、空腹すぎてこれ以上眠れそうにない。リゾートなのに、毎日ホテルの暗い部屋で昼寝ばかりも虚しいので外へ出る。明日のカイロへのバスもどうにかしなきゃならない。

レセプションでは谷村おやじが、今着いた白人バックパッカーのチェックインに対応している。掲示板のいちばん上には、もう1ヶ月くらい書き換えられていないと思われる、太いマジックで無造作に手書きされた両替レートが貼ってある。
‘$100=620£E’ カイロ空港では614£E、考古学博物館の黒い巨塔マシーンでは609£E、ルクソールの両替所が612£Eだったからこれまででいちばんいいレート。ということで$50の両替を頼むと、谷村氏は鍵を開けて引き出しから札束を取り出す。アスワンのホテルではたった10£Eの現金もなかったのに、ここはお金持ち。
「それと明日カイロに戻りたいんだけど、バスの時間わかります?」
「ああ、う〜んと・・・8時半、12時半、・・・」
「あ〜、ちょっと待って」
メモを出して書きとめる。1日4本で8:30、12:30発は75£E(1500円)、14:00発が80£E(1600円)、22:00の夜行は85£E(1700円)と微妙に値段が変わる。夜行が高いのは人気があるからだろうか、ガイドブックにも‘夜行は人気なので早めに予約した方がいい’とある。
「で、何時間かかるの?」
「9時間だ。この他に23時発のミニバスがあるよ、それは55£E(1100円)さ」。
9時間・・・朝8時半に出発しても着くのは夕方5時半。夜行列車は平気だけど(というよりむしろ好き)夜行バスは大嫌いなので、8時半発を選択せざるをえない。夜行バスは学生時代、カナダのトロントから米国ワシントンDCまでのグレイハウンドに乗って懲りに懲りてしまった。混んでるわうるさいわ、真夜中でも構わず全員バスターミナルに放り出されて怖いわ・・・ととても眠れるようなシロモノではなかったし、そもそも、リクライニングがきいても、しょせんゴロリと横になれない座席で夜を明かすというのは、節約旅行派おかぽんでも飛行機以外は受け付けない弱点なのであります。日本や他の国の夜行バス事情がそこまで劣悪でないにしても。
「明日8時半の便、予約はしてもらえるの?今からでも間に合う?」
「大丈夫だ、明日8時半だね。電話は僕がしてチケットは明日朝渡すよ。明日は8時にここにいなさい、バスターミナルまで送るから。」
この国では、何かをしようとすると邪魔が入ったり、騙されたり、問題が起こったり・・・が当たり前で、順調に物事が進む方が珍しいと思い込んでしまっている私。実際はそんなことはなく、ルクソールで足止めくらいそうになったのと体調崩したこと以外滞りなく予定通りの旅ができているというのに、ここでもまだ疑ってしまう。
“んなこと言いながら電話してみたらいっぱいで、勝手に夜行便か明後日の便にかえられるんじゃないかなあ”
念を押す意味で、先に彼に75£Eを払っておく。頼んだよ!
「確かに」。

昨日パスタを食べた‘アラジン’のすぐ隣のビーチ・レストランでレモンジュースとチャーハンを注文する。メニューを見たとたん、速攻疲労回復のためにキューっとすっぱいレモンを摂取せよ、との戦慄的命令が脳に走る。チャーハンは普通に美味しいが、丸1日ぶりの食事に驚く胃にすんなり落ちていかない。加えて安食堂の特盛り級量にとても食べきれず。

◆ DINNER ◆

チャーハン ★★★
レモンジュース ★★

15£E(300円)

ジュースはジョッキ
チャーハンの盛り付けも
もうちょっと他にアイデアないものか

勧誘はされるが、一歩店に入って席についてしまうと、コーヒー1杯で何時間いようが店員はいっさい干渉してこないのがダハブ流。どのレストランもビーチ席の係は1人か多くても2人で、店内客への気配りより店の前を通りかかる旅行者のゲットに一生懸命だったりする。
食後、またフラフラとウィンドウショッピングにメインストリートを歩き、しかしもうここで買いたいものはなく、スーパーで明日のバス旅用食料、ジュースやクッキーを買って戻る。この旅の初め、えらい目に遭ってばかりだった心地いい記憶のないカイロに、明日夕方着いてから宿を探すのはやっぱり少し不安。そこで、アスワン空港で買ったテレホンカードでカイロのホテルに電話予約を試みたところが、狙ったベルリンホテルは、
過去に泊まったことのある客でないと電話予約は受け付けないとやらの理不尽な理由で断られる。フンっ。そしてカイロのイメージがまたいちだんと下がり、他の宿に電話をする気も失せる。

Seven Heaven Hotelは毎日部屋掃除をしてくれない。言えばタオルくらいは取り替えてもらえるかもしれないが、かわりに?コインランドリーがある。私は覗かなかったが共同キッチンもあるようで、長期滞在向け。





DAHAB >>> CAIRO  23 / NOV *SUN*



言うまでもなく足腰は筋肉痛で、全ての行動がスローモーションのように年寄り化する。荷物を持って2階から下りるのも、いつもの倍の時間がかかるような。
いつもレセプションにいるのは谷村氏で、オーナーにはチェックイン時以来あまりお目にかからぬままチェックアウトし、今日も$50の両替をしてもらっておく。疑ったバスのチケットもちゃんと用意されており、部屋番号を書いた紙きれとホチキスでとめてあるキッチリぶり。谷村氏の指示通りレセプション前で数分待っていると、8時15分頃になってホテルの専属ドライバーだか迎えの男らしき人物がやってくる。谷村氏とひとことふたこと交わしたかと思うと私のトランクを持って車の方へ先に歩いていく。
カイロにはもう2泊することになるが、今日からもう帰国が始まるような気分。ダハブの滞在は、倒れて復活してシナイ山に登り、下山した昨日もまた取りつかれたように眠り・・・と夢うつつを彷徨っていたような3日間だった。静養しながら体を痛めつけるという矛盾な行動をしてしまったが、緊張感とはまるで無縁のこの村では、何にも腹を立てること、神経を尖らせることなく、誰と言い争うこともなく、精神的にはしっかり休養できたかもしれない。げんに長居していると社会復帰できなくなりそうな、けだるいダハブの空気はたった3日で私の体をむしばみつつあり、カイロに戻らねばならないのがたまらなく億劫になってくる。
あの雑踏・混沌の大都市の中に再び放り込まれるのか。大袈裟ではなく、紅海リゾートからカイロに戻るのは、例えばまったり沖縄離島滞在から普段の生活に戻る数千倍のエネルギーがいる。客引き・詐欺師のうさん臭さと場の状況を瞬時に判断・把握する五感の鋭さ、悪集団にまるめこまれないため、奴らを追い払うために時に怒鳴るパワーに、阿鼻叫喚の値切り交渉術だって呼び戻さねばならない。昼寝ばかりしていたせいもあるが、ラマダン最中であることすら忘れかけていた。そんなイスラムのおきてなど関係ないよそ者だらだら星人が、昼間っからビーチ沿いのレストランに集いハイネケンやバドワイザー飲んでたりするのだ。にしてもできることならカイロに寄らず、インドネシアかマレーシアのリゾート辺りを経由して日本に戻りたいものである。
ベドウィン村と休暇村の中ほどにぽつんとある、イーストデルタのバスターミナルまで黒い普通車タクシーで約10分。降り際、ドライバーが
「10£E(200円)、ホテルに払ったかい?」
なんだ、送迎は無料サービスじゃないのか。直後数秒の間に “そんなの聞いてないし。ドライバーの叉取りじゃないの?” “サービスじゃないならあらかじめ徴収しとけ” “さもなくば3泊したんだからサービスしろ” “この距離で10£Eはないぜ” しまいには“あの部屋で素泊まり1泊50£Eは高くないか?” などという声が四方八方から頭の中を駆け巡り、次の瞬間には頷いてしまっていた。この程度の嘘には罪悪感を感じず、そんな自分に恐れも感じないほど、いつの間にか私はエジプトで悪人の顔も持ち合わせるようになっちゃったんだろうか。

ターミナルのチケット売り場窓口は開いていて、すでにバスも停まっているが、白人バックパッカーと地元人数人は椅子に腰掛け待っている。バスに近寄ると運転手か車掌かにもう5分待てと言われ、8時40分頃になって荷物のトランク積み込みと乗車が始まり、50分頃になってやっと出発する。やはり席は指定だが、ミミズ文字の殴り書きにしか見えないアラビア語表示のみのチケットはさっぱり読めず、車掌の兄ちゃんに席を教えてもらう。真ん中より少し前の、向かって左の窓側。これからカイロまで9時間の長旅が始まる。始発はダハブで乗客は十数人。ちょっと古めの観光バスといった感じでスモークガラスのせいか車内は暗く、座席は前後のピッチが狭め。

バスはシナイ半島の海岸沿いをレの字の逆回りに、シャルム・エル・シェイクやスエズ湾東岸を経てスエズ運河を渡り、カイロに至る。空いていた座席も10時過ぎシャルム・エル・シェイクのターミナルで案の定ほぼ満席となり、それまでエジプト版リッキー・マーティンみたいなワンパターンで脳天気なポップスのテープをかけていたのに突如コーランのカセットに替えられ、とたんに環境も乗り心地も悪くなる。倒しきっていたリクライニングも後ろの座席から少し起こせとクレーム付けられる。
小さな町のターミナルで客を入れ替え隣の座席も幾度か人が入れ替わる。何度か車掌にチケットの提示を求められ、時々検問で停まり、2度ほど男が乗ってきてパスポートの提示を求められる。そのうち一度、通路を挟んで斜め前の黒人男性がバスを降ろされ事務所へ連行され、15分くらいしてやっと戻ってきたかと思うと車内でもなお検問員ともめ、時間を食った。冷房は寒くも暑くもない程度にきいているが、混んでいることやシートがちょっと窮屈なことや、停車や時間のロスが多いことより何より不快なのは、頭上のスピーカーから
ろーろーとリピート再生されるコーラン。テープが終わってしばらく静寂が続き、やれやれと思っていると、いちばん前の席のターバンじいさんが「もう1回コーラン流せ」とかなんとかリクエストしたようで、また無神経に“アッラ〜、アックバル〜〜”と始まる。宗教バスならぬコーランバス、カイロに戻るブルーな気分がますますブルーになる。長距離バスで5時間も6時間も延々コーランを聴かされるのは、イスラムの国を旅しているとよくあることなんだろうか。みなさん、日本のハイウェイバスでずっと般若心経を、それも大音量で聴かされることを想像してみてくださいな。いくら宗教の自由といっても日本では間違いなく社会問題化するし、アメリカなら裁判沙汰。もうええ加減コーランやめてくれぇ〜!そうでなくともせめてボリューム下げてくれっ!!と最初は耳栓をトランクの中にしまいこんでしまったことを心から後悔し、リクエストしたいちばん前のじいさんを心から怨んだが、昼も過ぎてくると耐えがたい睡魔が襲ってきて自然に音が耳から遠のく。体もシートの形に適応し、隣の席に背中を向けカーテンを閉めた窓の方にリュックを抱えてうずくまり、眠りに落ちる。

3時頃、砂漠の中の休憩所兼売店に停まり、50ptを払ってトイレに行っておく。お腹は空いたが、売っているのはかわりばえのないビスケット等のお菓子ばかり、ラマダンゆえ車内で食べる者もほとんどいないので我慢する。ラマダン中でなければ途中食堂にでも寄って、30分くらいランチ休憩したりするのかな。高いと悪評高い車内販売がないのもラマダンだからだろうか。
左手にずっとスエズ湾の海が見える。濃い紺色で確かに汚れてはいないが、透明さもあまり感じられず、カラフルな魚がいるなんて想像がつかない。紅海が美しいのは注ぎ込む川も、沿岸に大きな都市もない上、雨が少ないから。しかし私にとっては海の美しさより空の青さと砂漠の荒々しさの方が、そして何より夜の星空のすごさの方がずっと強烈なシナイ半島だった。
日が暮れかけた頃にスエズ運河を渡る。当然のように検問があり、バスは通行料を払う。が橋は何の変哲もなく、両岸をコンクリートの堤防で固められた大きな川を渡っているようで面白さはない。実にダハブからカイロまでは500kmほど、スエズからでもまだ100km離れている。道路は悪くなくそう揺れないので、コーラン節以外にとりわけ苦痛はないけれど、さすがに日中9時間のバス移動は長すぎる。9時間飛行機に乗れば日本から南はオーストラリア、西はインド、東はサンフランシスコまで行けちゃうんである。新幹線なら盛岡から博多まで余裕で行けるし・・・なんてことを考え始めると余計にうんざりしてきたからやめる。薄暗くなってくるとやはりまた少し不安になってきて、どこに泊まろうかと「歩き方」をめくる。それにしてもこのバス、カイロのどのターミナルに着くんだろ?
スエズからさらに1時間半ほどひたすら西へ走り、ようやくカイロ近郊にさしかかるととたんにコンクリートの大きな建物が増えてくる。郊外のターミナルでかなりの人が降り、終点までのつかの間、車内の酸素濃度が上がる。

出発からきっかり9時間後の5時半過ぎ、どうやら終点に着いた様子。比較的きれいなマンションが建ち並ぶ新市街の、立体交差する道路の高架下、幼稚園の運動場くらいの広さの隅にチケット売り場窓口が並ぶターミナルのど真ん中に停車する。何かアラビア語は書いてあるが、カイロに3つあるというバスターミナルのどれだかわからない。この時間の発車はないのか、バスは他に1台もないし出発を待っている人もおらず、窓口にも人はいなさそう。運転手か車掌か、車内にまで乗り込んできたタクシーの客引きかが“アッバセーヤ!!”
と言う声が聞こえてくる。アッバセーヤ?
「ここ終点?着いたの??」
アッバセーヤと言いながら通路を行き来する男に聞く。
「ああそうだ、アッバセーヤだ。さあ降りた降りた!」
ステップを降りようとしてはじめて、そこに客引き達が獲物を待ちかまえる罠のごとく、円陣を作る形でたむろっているのに気づく。
隙を与えさせないよな。当然の光景として受け入れられるようになった今やもう、恐れたり驚いたり、たじろぎ後ずさりしそうになることはないけれど、やっぱりカイロに戻ってきたら気合いもカイロ仕様にリセットしなきゃいけない。
ふう、と一息ついてその輪の中に降りると、わき目をふらずバスのトランクの方に回る。
ユー・ワント・タクシー?!
ヘイ、タクシー!
ウィッチ・ホテル?!
野郎どもは一斉にツバを飛ばし、円陣を崩しながら私の横・後ろをどやどやついてくる。なんだなんだ?旅行者は私1人?? ダハブで数人いた白人バックパッカーはいったいどこに行ってしまったのか。いつの間にか外国人旅行者は誰もいなくなっていて、終点カイロで降りたのは私だけ。シャルム・エル・シェイク以外に途中旅行者が降りるような町はなかったから、早々にシャルム・エル・シェイクで降りたのだろうか。とりあえず金魚の糞状態でついてくる男達の人数を減らすべく、トランクから荷物を引っ張り出してたったとバスを離れる。しかし2、3人は減ったかもしれないが、まだ5人くらいは金魚の糞。
「どこへ行く?!」
考えてんだ
「ユ・ニード・タクシー!」
勝手に決めるな
歩いてはどこにも行けないぞ!
タフリールまで
10ドルだ!!
なっぬ〜〜?! あまりのふっかけに思わずフフンと鼻で笑ってしまう。
「ガバメントプライスだ!彼はポリスだ、彼に聞いてみろ」
よく見るとなぜかポリスの制服を着た男まで混じっていて(本当にポリスかどうだか)、この集団一塊がグルなのだ。
グルのポリスを信じるバカがどこにいる?! 歩き方を読んで後で知るも、アッバセーヤのバスターミナルは別名‘シナイ・バス・ターミナル’で、エジプト東方(シナイ半島、イスラエルやヨルダン国境方面)行きのイーストデルタバスの発着所。シナイ半島からカイロ行きのバスはほとんどがここ終点で、タフリール広場からは6〜7kmと最も離れている。でもってここで待機するタクシードライバーは空港以上に悪徳で、ボるのはもちろん違うホテルに連れて行こうとするらしい。そうと知らなくたって奴らの悪徳さは言動から滲み出ている。こんな連中とは交渉にもなんねぇ、とターミナルの門を出て流しのタクシーを拾おうとする。しかし、こんな時に限ってなかなか通らないんですわ・・・。

10ドルとほざくドライバーとポリスを振り切り、最後までしっつこく食らいついてきたドライバーの言い値、ムスタファ・カーメル広場まで30£Eをやっとの思いで15£E(300円)まで下げさせ、力尽きたのとあきらめ半分で奴の車に乗ることにする。荷物はトランクに。
長時間のバス乗車と降りて早々の洗礼にほとほと疲れ、ホテルは決めてるのかと聞かれて「決めてる」と答えただけで、もうそれ以上何も聞いてくれるな、何言われても返さないぞというオーラを背後から発信する。車はしばらく高架の下を走り、帰宅ラッシュの時間も夕飯解禁のスペシャルタイムも過ぎて人通りも車もめっきり減った町をびゅんびゅんとばす。集団でいると極悪でも1人になるとそうでもないのか、彼は違うホテルに連行することも遠回りすることもなかった。しかし、
「ムスタファ・カーメル広場だ」
と奴が言って停まった場所はターミナルからたったの10分。この距離を15£Eは当初の半値にしてもまだボられすぎ。どう考えても高い。ギザのピラミッドまで10£Eだったんだから! というわけで、2人とも車から降り、後ろのトランクにまわって荷物をおろしお金を払う段階になって今度はこちらがツバを飛ばす。
あんたね、この距離15£Eは高すぎよ! 10£Eでも高いくらいよ!! そんな相場くらいわかってんだから! 10£E以上はあげられないね!
そして10£E札を握らせてさっさと去ってしまえたらよかったが、これまたこんな時に限って10£Eちょうどがないんである。仕方なく20£E札を渡して大きな声で言う。
10£E戻してちょうだい!!
すると意外にも彼は何も言い返さず、しょうがないな、という顔をしてタバコをくわえると、20£E札を持ったまま5mくらい先を行く歩行者を追いかけ、何か交わしてすぐに戻ってきた。無言で差し出したのを見ると10£E(200円)札。通行人から両替してきたのだ。おまけに、その場でホテルの看板を探すべく建物の上を見上げてキョロキョロする私に「大丈夫か?」などといらぬ心配?までしてくれる。
ま、こうしてなんのかんのと無事にカイロ市内までたどり着いた。悪徳ドライバーたちはもちろんおっかないが、大それたことを言うわりに気が小さいところもあるのかもしれない、とチラと思う。それにしても私も頑張ったでしょ?? 実は、それでもまだ悔しかったりしたんだけど。だって、歩き方には“流しのタクシーをつかまえれば市内中心部までタクシーで高くても8£E(160円)くらいでOK”とあったから。

さてさて、‘モンタナ・ホテル’に狙いをつけてムスタファ・カーメル広場で降りたわけだが、すでに暗く周辺にはこれといった目印もなく、こっちか?やや違うぞ・・・と1ブロックほど行ったり来たりしてしまう。歩き方の必要最小限に略された地図は、親切さなんてものとは程遠いが一応正確で、5分くらいで大通りから路地を少し入ったところ、建物の最上階に看板を見つける。
カイロ初日に泊まった Luna Hotel と同じパターンで、大通りから人目をしのぐように入った路地にビルの入口があり、さらに奥のエレベーターで各階へ上がらねばならない。建物の古さと汚さは比較するほどの違いがないが、エレベーターが2機あるのは Luna Hotel のビルより勝っている。Luna のエレベーターは2人乗りくらいの狭さなうえ今にも止まるか落ちるかしそうな怖さと遅さだったが、ここのは押し込まれれば8人くらいは乗れそうだし、動きもちょっぴりスムーズ。
とそこまではよかったが、7階で降りてみると、広くて殺風景なロビーの先に確かに‘MONTANA HOTEL’の大きな文字。しかしその横には照明は消され真っ暗で誰もいない、無人駅でもう何年も使用されていない切符売り場窓口みたいなブースがあるだけ。営業してないのかな?
つぶれてる?? そして8年前に店長が夜逃げしたまま荒れ放題な田舎の3ケタ国道沿いの食堂、みたいな曇ったガラス張りのドアを押してみればそれは軽く開くが、やはり中は暗く人気もない。この時点で10人中8人は帰ってしまうだろう。やっぱりもう営業やめちゃったんだなぁ、と半分あきらめがっかりしながら、しかし確かめるべく奥に声をかける。幽霊ホテルと化していてもシャワーの湯が出さえすれば勝手に拝借(野外じゃないけど野宿ってことになる?)しちゃおうかなぁ、なんて半ば本気で考えたりもしながら。
「ハロー!!誰かいませんか〜〜?! ハッロー!!!
何も応答のない20秒くらいの静寂が過ぎてから、やっと寝起きの山崎邦正みたいな(ほんとに寝起きだったみたい)頼りなさそうであまり頭もよくなさそうな男が不機嫌そうに、何事だよ?って顔しながら出てきた。
「ここのホテルもうやってないの?」
「いや」
やっとんかい?! 営業していることに驚いてしまうホテルなんてそうあるもんじゃない。だいたい、客に向かってあんたのその態度もないぜとまず説教したくなるのを我慢して、
「泊まりに来たのよ」。
すると彼はこっちへと言って無人駅ブースの中に入り、電気を点けてデスクの上に置いてあったB3くらいの横開きの大きな宿帳をめくる。見れば日に5、6人の宿泊客はいる様子だからまた驚く。邦正は「ひとり?」と聞いておいてしばらく考え、鍵の束を持ってついてこいと中へ案内する。夜逃げ食堂の奥には、外部からは予想しない複雑な狭い廊下が無尽に張り巡らされ、部屋数はけっこうあるものの、面しているのは廊下だけゆえ‘窓なしの部屋’が多い様子。迷路のような廊下を曲がり曲がり、最初に見せられたのはシャワーなしシングル。歩き方の明るそうな部屋の写真とはまるで違う、2方を廊下に面した角部屋(なのに窓なし)、汚くはないが
古くて狭くて暗い陰鬱な空気がこもった部屋。ムショの独房じゃんか・・・と騙されたような気分になる。隔離病棟以上に陰気なこんなホテルに泊まるのもヤだけど、かといってこれから他のホテルを探すのもイヤだぞ・・・というわけで
「シャワーつきの部屋ないの?」
邦正は右手の人差し指をこめかみにやり、またしばらく考えて鍵の束から1本を選ぶと、来た廊下を曲がり曲がって戻り別の迷路を行く。
今度は外に面した窓があって陰鬱さもちょっとマシ、細長く仕切られた別室のシャワーとトイレはあとからつけたような感じで、洗面台だけは部屋の中にある。冷たいタイルの8畳ほどの部屋に、木の古いベッドと大きな引き出し付き鏡台にクローゼット、あっても使いようがない折りたたみ足の低い机と絶対に座りたくないような椅子などが置かれている。鏡台の上には懐かしい黒電話。蚊に襲撃されたという点でハルガダのホテルも×だったが、部屋の質と雰囲気はココが今回最低。最後にこんなところだなんて不満度500%だが、何か事件が起こればもちろん、雰囲気にも耐えられなければ明日ホテルを移るつもりで、とりあえず今夜は荷をおろすことにする。

7時なんていうゴールデンタイムから、どんなに健全な人間でも3日こもってればもうつ病にかかりそうな部屋におさまるのも悔しく、今日もまた食事らしい食事をしていないしで外に出る。ところが、ホテル周辺にはレストランはおろかテイクアウトの店もスーパーも全くなく、15分くらい歩いて1週間前にも徘徊したタラアト・ハルブ広場まで来てしまう。そして結局、1週間前にターメイヤサンドを買った‘フェルフェラ’のファストフード部門でまた同じものを注文する。昼に入った時は外国人観光客が数人いるだけだったが、日没後は地元人が多い。
1週間前にもそうしたようにレジで食券を買いカウンターに出し、頭上のTVでMTVか何かの音楽番組見ながら待っていると、近くにいた14、5歳の息子?を連れた長身の男が話しかけてくる。
「アーユー・ア・ジャパニーズ?コリアン?」
肩幅の細いK・クラニイ(ドイツのサッカー選手)みたいな、国籍不詳で幸薄そうな顔の中年男。正直に日本人だと言えば「カイロに住んでいるのか?」、旅行者だと言えば1人で旅してるのか、カイロ以外にどこを回ってきたか、何日くらいの日程なのか、このあとまだ他にどこかへ行くのかなどと、と答え飽きた質問しかしてこない。息子??は英語がわからないのかただニコニコしているだけ。そのうち自分は弁護士だなどと言い出すから、私の心の警戒ウォールが舞台装置の模様替えみたいにササーっと滑り出てくる。そして、今はラマダン中だが明後日で明ける、明けたら盛大にお祭りだ、てなことをあまり嬉しくなさそうに、日本人ならそんなこと知らないだろうって感じで続ける。
「でも君はラマダンが終わると同時に日本に帰っちゃうんだね」。
そうなんですのよ。ラマダン明けの祭りは‘イードル・フィトル’と呼ばれ、今年は11月25日からの3日間。祭りというより日本でいうGWやお盆みたいなものらしく、特別な儀式はないが店や官庁が休みになるので、帰省に旅行にと民族大移動が起こるとか。よってこの間・前後は飛行機も列車もバスも国内移動手段は満杯大混雑、明日の風に吹かれる旅行者にチケットは回ってこない。ラマダン中すでにいろんなことが半マヒ状態なこの国が、本格マヒに突入する3日間?! 何の手配も準備もせずに乗り込んだかに見える(?)今回のエジプト旅、密かにこの‘イードル・フィトル’だけは計算して、避けて来たのです! 観光地の閉鎖と移動術が確保できず足止め食らうことを恐れて。
日本のことをいろいろ聞いてくるクラニイの質問に、半分うわの空で適当に答えているうち、カウンターから出来あがりの声がかかる。温かいターメイヤサンドの入った紙袋をもらって店を出ると、なんとクラニイと息子が慌てて後を追ってくるではないか。
「ちょっと待ちなよ、どこ行くの? 
もうちょっと話をしようよ!」
何こいつら・・・あんたたちも注文待ってたんじゃないの? もしかしてフェルフェラの店内で外国人のカモを待ち伏せてる自称弁護士の親子詐欺師?? うーん、わからない。わからないけど、とりあえずもう相手にはせず逃げる。無視して50mくらい早足で歩くと、やっとあきらめて追ってこなくなった。
あとで落ち着いて考えてもやっぱり、やたら馴れ馴れしく流暢な英語で話しかけてきたこと、店の外にまで1ブロック以上2人でしつこく追ってきたこと、話をつなげて呼び止めようとものすごく必死だったことetc、何らかの下心があったとしか思えない。最初は穏やかで、普通に喋るぶんにはそんなそぶりもガツガツしたところも見せない、しかも子連れというのが手強い。

 教訓:“タフリール広場、タラアト・ハルブ広場周辺で観光客に声をかける人は
     100%下心あり”は信じてよし。
     詐欺師はタイプも性格も様々、口は達者、手口は巧妙。
     疑っても、きっと疑いすぎじゃありません。

それからさらに50mほど、振り返らないまま小走りに逃げ、クラニイ親子を振りきったのを確認してスタンドで水を買う。エジプトの2大ミネラルウォーター・ブランドは‘SIWA’(シーワ:スィーワ・オアシスの地名からきてる)と‘BALAKA’(バラカ)。飲み比べたり気にとめてもいなかったが、もう何度も買ったバラカを指して、
バカラちょうだい」
と噛んでしまい、店のおやじに
バラカだよぉ〜」(笑)と突っ込まれる。親子詐欺師に動揺してたのかしらん?

警戒してりゃそう騙されることもないのだろうが、そうはいってもやっぱりカイロってうさん臭くてよからぬ町だわ・・・と牢獄みたいなホテルにも自然に歩が進む。ホテルまで2ブロック、のその時、ふと目の前に見覚えのあるTシャツでダラダラ歩く2人の東洋人の背中。
もしや?! 背後から近づいてみて間違いない、トントン、と肩を叩いてみる。
恐る恐るじんわりと振り返った彼ら、ハルガダの夜、シー・ウェイブス・ホテルに寝起きのところ有無言わせず連行した貧乏そうな日本人コンビ!
あ、あ〜!!(驚いて詰まってる)
「覚えてる?」
ちょっと嬉しいながら、私の口調は無感情で現実的。アラブ人ともみ合ううちに習得した、感情を出さず自分の弱みも見せぬよう、ドライかつクールにすり抜けるすべとトーンは、もはや相手によって変えることができないほど深く我が身にしみ込んでしまったのだろうか。
「お、
覚えてまっすよー
「いつ戻ってきたの?」
「えーっと、昨日ですかね?・・・・・・そちらは?」
「今日。あの翌日シャルム・エル・シェイクに渡って、ダハブに泊まってて。ハルガダでダイビングした?」
「しましたよ〜、でも俺ら、初心者だったからいまいち・・・」
コンビは振り返って、でも私が足を止めないのでそのままズルズル無理のある体勢で歩きながら、たまたまスーパーで会ったもう何年も顔見知りの近所のおばさんみたいな調子で話をする。
「ダハブで潜ったんですか?」
「ううん、お腹壊してすっごい体調悪くて死んでた。でもシナイ山登ってきたよ。」(すんごい矛盾・・・)
「ああ、あのモーセがどうのこうのっていうとこ?」
「そ。すっげー良かったよ!」
お互いぶっきらぼうに、しかしやっと立ち止まってその後数日のことをなんのかんのと話すが、彼らはきっと、
何この女?!言うこと味気ないしわけわかんねぇ奴!と思ったに違いない。こっちに言わせりゃ、彼らのキャラが私をそうさせてるってところも大きいんだけどさ。しばらく立ち話をして、彼らは私の持っている紙袋に目をやると
「どこ泊まってるんすか?」
「すぐそこ」
それだけか、とセルフ突っ込み入れたくなる。話を広げよう、話題をつなげようという気は全く起きず、自分から声をかけたくせに盛り下げてたりして・・・嘘はつくわ性格まで悪くなっちゃった??単に疲れているからというだけ? 言い訳じゃないつもりだが、旅の初めはとにかくアラブ人の調子と手強さ、つかみどころのなさにタジタジで、観光してそれなりに感動しながらも、こうも毎日気張ってケンカばっかしてりゃ人相も悪くなろうし性格だって間違いなく歪む、
見るべきところさっさと見たら早く脱出した方が自分のため、と思っていた。ちょっぴり慣れただけか、そんなもんなんだと悟っただけか、今はそこまで否定しないけれど、初めてこの国に1人で降り立った日本人に、終始理性的で紳士でいろというのはやっぱり無理難題、修行を積んだお坊さん以外には相当な苦行じゃないかと思う。
「食べるとこ探してるんですけどねぇ、さっきからずーっと歩いてきたのにないんだよなぁ(とコンビはお互いの顔を見る)、ずっとこんな感じでウロウロしてるんすよ。どこか知りません?」
「でしょー!ないわ〜、このへん。私も見つけられなくて、タフリールの方まで歩いてってサンドイッチ買ってきただけ・・・」
そして申し訳ないほど、彼らの期待に応える情報を何も持っていないし与えられない。彼らからも有力情報は得られない。カイロの町がこうだからしょうがないのかなあ。
「地下鉄のナセル駅ってわかる? あの辺まで行ったら半分屋台街みたいな、店集まったところはあったよ。ひと駅以上あるけど。」
「遠いなあ・・・でもどっちですか?」
「たぶん、あっち」(かなり適当)
「ほな、まぁそっちの方に行ってみますわ」(彼らも適当)
てな感じで再会終了。無事と偶然を喜び合い、運命をも感じる再会なんてのとは程遠いハードボイルドさ。(ちょっと違う?) なんだか、またどこかで会いそうな気がするけれど、また会ってもお互いにこの調子は変わらないだろう。国が変わったとしても(?!)。

そして真っ暗なホテル。エレベーターを降りると相変わらず照明は消され不気味にシンとしているが、ブースとは対角線上のロビーの隅で邦正が一心に壁に向かって(メッカの方向)礼拝している。薄い体操マットかベッドスプリングみたいなのを敷いて。部屋の鍵がほしいが、声をかけてもいいものかためらう。雰囲気もすさまじく怪しい上にスタッフがこれ。エジプトに着いた初日にこのホテルに直行してしまったなら(そんな運もカンも悪い人めったにいないと思うけど)カルチャーショックなんていう生易しい言葉では済まされない、あまりの衝撃映像に失神してしまうかもしれない。ので心臓の弱い方、高血圧や目まいの既往のある方はエジプト1泊目に Montana Hotel は選ばれないこと、行かれないことをおすすめします。それはそうと勝手にブースに入って鍵取るかな、と立ったり座ったり平伏したりの邦正を見つめて数秒つっ立ってると、気づいた彼は礼拝をやめて歩いてきた。しかし無言で鍵を渡すと、すぐまたマットに戻って礼拝を続けるのだった。
ええと、
部屋どこだっけ? わざと隠れ家のつもりで作ったとすればできすぎた隠れ家。そんなに広くないはずなのに、やたら長い廊下は曲がり角・分岐が多い。照明も付けられてないのか点いてないだけか真っ暗で、迷うのは茶飯事、行き止まりの壁やドアにぶつかる人だっていそうだ。そんな迷路のごとくはりめぐらされた廊下の占有率といい窓なし部屋率に採光性といい、もし設計者によって図面が描かれたのであれば、そいつの頭と受けてきた教育がおかしいとしか思えない。設計事務所にエジプトの大学だか専門学校の建築科まで疑ってしまいそう。

実際に使ってみるとシャワールームにも多大な問題がある。畳2枚を縦に並べたような青いタイルの細長い部屋には、手前に洗濯機コーナーみたいなホーローのバットが据えられたシャワーがあり、トイレは奥。よって、トイレを使うには、水はけの悪い濡れたシャワーコーナーを大股でまたがなければならない。またがないならビチャビチャになるし、またごうとすれば滑りそう。ここでも、滑ってコケて頭打つ人が年に数人はいそうなのである。と悪いところばかり書き並べてきたが、唯一良いのは静かなこと。すりガラスで錆び付いた窓は開けるのも困難ですぐ外の様子すらわからないが、通りに面しているのではなく中庭かビルの谷間にぽっかりあいた空間に面しているよう。

そんな部屋でターメイヤサンド食べていると、何者かが部屋をノックする。邦正?外部の人間? 誰だと聞いてもノックするばかりで返事をしやがらないので、仕方なく3cmくらいドアをすかすと、その隙間から見たことのない男の目。
ひょ〜〜、外部の人間だとしたら相当にタチが悪い。邦正の管理もなってない証拠だが、宿泊者以外がこんな奥まで紛れ込んでくるなんて!!!
「誰?何の用?
男は何か言うけれど、何を言ってるかさっぱりわからない。英語かアラビア語かもわからないし、理解しようなんて気が起こるはずもなく「ノーサンキュー!」のひとことでドアを閉めてしまう。宿泊に関する用なら改めて邦正がやってくるだろうし、男はすぐ部屋の前から消え、それ以上ノックすることも電話をかけてくることもなかった。しょせん取り合う必要はなかったと思うが、翌朝、この男はホテルの従業員であることが判明する。翌日フロントで両替しないかと言われ、思い返せば部屋に来たときもドルがどうのこうのと言ってたような気がしたので、ドルが必要だったのかもしれない。どうやらさらに奥の部屋に宿泊者がいるようで、遠耳に音楽が聴こえていたがそれもすぐ止み、この旅でいちばん不気味な夜がやってくる。邦正、今夜ほんとに夜逃げしなきゃいいけど。

                                 
     Continue...


NEXT / BACK / TOP