ASWAN 16 / NOV / 2003 *SUN*



アスワンではナイル川沿いを歩いていると、タクシードライバー以外にフルーカ(ヨットみたいな帆掛け船)の船頭にも声をかけられる。つうかフルーカの方が俄然しつこい。でも今日はフルーカに乗ってナイル川クルーズと対岸観光をしたい。でもでも、乗るにはこの客引きにのらなければならない。そしてまた相場が全くわからず値段交渉に難儀する。ガイドブックに書いてる相場も1時間10〜30£E(200〜600円)とまちまち、そこで中間をとって1時間20£Eで交渉してみる。何人か声をかけてきた中で比較的若く私と同い年くらいに見えた、灰色のガラベイヤを着た背の高いヌビア人。疲れたデンゼル・ワシントンを垂れ目にしたような(??)船頭に、対岸の岩窟墳墓、エレファンティネ島のアスワン博物館、サヘイル島のヌビア村の3ヶ所まわるのに必要な時間を聞く。
「3時間半くらいかなあ。でもわからないよ。フルーカは風だけで動くんだ、エンジンがないんだから」。
時間給は20£Eで意外にすんなり納得したから、彼の後をついてフルーカ乗り場へ階段を下りる。なぜかちょっと緊張するが、乗り場には間近に見ると思ったより立派で大きなフルーカがずらり20隻以上。他のフルーカのデッキを渡って彼の愛車ならぬ愛船に乗船したはいいが、周りを見渡して「
エ〜〜?!
なんである。この状態からいったいどうやって船を出すというのか?? 2列に重なり岸や周りとしっかりつながれているボートやフルーカの最も混みあった中、それも岸に近い奥側にあるのだ。大阪あたりのひどい多重縦列駐車の奥にある車を出そうとするのと同じ状況。


しかし彼はつながれているたくさんのロープを
ひとつひとつはずし
フルーカの船首・船尾を行き来しながら
他の船を引き離し
どうしようもないと思われたガンジガラメ状態から
ものの数分でひとりで脱出に成功させました
これには拍手!

昼下がり12時半に出航、船頭の名はモハメド。機内で隣だったモハメドT、ギザで拾ったタクシードライバー石塚ことモハメドUに続き早くも‘モハメドV’。歳は行きのフライトで話をしたモハメド1と同じ28とか29って言ってたかな。彼は団体客を乗せてガイドすることもあるようで、本日の客は私1人なのに、乗り場を離れて広いナイル川に漕ぎ出すと、アスワンや近づく島、これから向かう岩窟墳墓やヌビア村について、業務用の丁寧かつやや堅苦しい口調で慣れた風に説明を始めた。最初の目的地、乗り場から少し下流の岩窟墳墓まで30分。風向きによって帆の向きを変えながら、川幅いっぱいにW字を書くように折り返しながら進んで行く。最初はえらく遠回りな進み方をするなと思ったが、フルーカはそういうものらしい。効率よく風を受けようと思うと川の流れに沿って真っ直ぐには進めないみたい。

20人乗りのフルーカを贅沢にひとり貸し切り
団体客が乗っているのはよく見かけたが
1人でチャーターしているのは
この日は他に1隻見かけただけ

茶色い山の斜面にあるのが岩窟墳墓

地中海に注ぐ河口から1000km以上も上流にあたるここアスワンでも、ナイル川は豊かに悠々と流れる。(それもそのはず、ナイル川って源流からだと数ヶ国をまたいで6700kmにも及ぶんだって!!) この豊かさはいったいどこから?? 乾燥しきった不毛の灼熱砂漠に挟まれているとは思わせない余裕の風格。川面に吹くそよ風はほどよく心地よく、聞こえるのはフルーカにはねる水の音だけ、もはやにぎやかなスークも嘘のよう。まさに悠久、雄大といった言葉がふさわしい大河、文明も起こるよなぁ・・・(笑) そしてそれは岸から眺めるよりも、ゆっくりゆったり船で水面をすべることでいっそう実感させられる。濃紺の川面にフルーカの白い帆が映え、川から見上げるアスワンの町並みは強烈な太陽にキラキラと反射する。町の喧騒・混沌にイヤな人物、イヤな自分、そしてちっぽけな不安や怒りまで吹き飛ばしてくれる・・・とまではいかなくても忘れさせてくれるひととき。ここまでの旅の疲れが癒される。
しかし、そんな見た目美しく、思わず水に手をつけたくなるようなナイル川だが実は寄生虫がいるので泳ぐのは厳禁。裸足では無論、サンダルでさえ歩くと危険とのこと。


細長く続くアスワンの町の向こうは
またすぐ砂漠

川にはフルーカが行き交い
岸には水上レストランや
クルーズ船が停泊し
地中海リゾートに似た趣がある

岩窟墳墓下の西岸には先にやってきて待機してるフルーカが一隻。モハメドVも着岸させて、
「ここで待っているから好きなだけ見てきなよ」。
そこには私の上陸を歓迎してるのか拒んでるのか、番人・番犬ならぬ大きな黒い番牛
?が1頭つながれていたりもする。

砂に足をとられそうになりながら歩いていくと小屋があり、おじさんに12£E払う。陸に上がったとたんジリジリ熱く、太陽も容赦ない。
“You can go this way.”
指さした方向を見上げると・・・

階段も容赦なく上へと伸びてた
水面から眺めていたよりずっと高く感じる
ラクダに乗ってまわることもできるようだが
私が行こうとした時にはいなかった
この時ばかりは
ラクダ引きにつかまりたいくらいだったが
そういう時に限っていない・・・
墓は約40基
壁画が残る墓の入口には全て鍵がかけられていて
中を見たいなら門番にバクシーシを渡す
つうか、近づくと
バクシーシ目当てに待ち構えてた門番に
強引に案内されるはず
だが門番も
先着の外国人についてまわっていたため不在

彼らに追いつき、ちょうど開いていた墓にまぎれて潜入したが、状態はあまりよくなくたいしたものはない。気づいた門番に「あんたもついてきなさい」と言われるも遠慮しておく。再び自分のペースで歩き、他の墓の内部見学は割愛。それでもぐるっとまわって30分。サングラス越しでも直射と照り返しに目まいがするほど眩しく、暑く、水分補給には気をつける。直射だと40℃近く、そうでなくとも35℃くらいはあるのか。ちなみにバクシーシは墓1つにつき1£Eだそう。

墓よりも
墓のある丘からの眺めが

絶景でした!
遠くにアスワンハイダムが

フルーカに戻って今度は上流へ。冬であっても砂漠では数分で急激に体力を消耗する。胃に冷却水を投入して体を伸ばし、サンスクリーンをしっかり塗りなおす。流れに逆らうことまた3〜40分、中洲のエレファンティネ島をぐるりとまわって、島にあるアスワン博物館。アスワン付近のナイル川には中洲の島が大小多数浮かんでいて、そこには神殿や博物館に動物園、リゾートホテルや地元ヌビア人が暮らすヌビア村などもいくつかある。見どころは多くこれらの島巡りだけでもじっくり観光なら丸1日かかる。
エレファンティネ島の裏に、島の名の由来になった象の形の岩がある。モハメドVが妙に狭い水路に船を進めると思ったら、その場所を見せるためだった。
モハメドVの英語は流暢とまではいかないが、エジプト人特有の訛りはほとんどない。エジプシャン・イングリッシュはRを思いっきり“ル”と読むせいで、Thirtyは“セルティ”、Fortyは“フォルティ”と数字すら慣れないと聞きとり困難、慣れても一瞬考えてしまう。他にもParkが“パルク”、Marketが“マルケット”、Worldにいたっては“ウォルリッド”になるといった具合でこうなるともはや
英語ではない英語のイタリア語読み風。話は戻って、モハメドVは相変わらず「右側に見えてきたのが・・・」とバスガイド的調子で無難に説明してくれるが、そう面白いことは言わないし、愛想も悪くはないがそれほど良くもない。逆にたいていの現地人が女1人のトラベラーに浴びせるお決まりの質問攻めがないのは気楽でありがたく、私も自分から必要以上のことは喋らず、説明にはフンフンと時折頷きながら流れていく風と水と景色にぼんやりする。ま、このシチュエーションで船頭がモハメド1みたいに饒舌だと興ざめだし、ミスター喪黒みたいにくどい顔で愛想がいいのも気持ち悪いもんね。
ところで、エジプトに限ったことではないが、観光客の多い場所以外では一眼レフはなるだけ出さないようにしている。スリや引ったくりに気をつけてというより、値段を聞かれるのが嫌だからだ。日本で知人に聞かれるのも好きじゃないけど(なら持つなと言われそうですね・・・苦笑)、物価の桁が違う国の人たちに聞かれても私は答えられない。でもモハメドVには聞かれてしまう。
「それ、いくらだった?」
「う〜ん・・・値段は覚えてない。でも高かったよ」。

またモハメドを船着場で待たせてエレファンティネ島に上陸する。船着場から伸びる階段を上り、手前の小屋で10£Eのチケットを買って入ったアスワン博物館は、どうしようもなく落ち着かない博物館だった。
展示物はあっけにとられるショボさで、動物をかたどった小さな装飾品?とミイラの棺以外にどんなものがあったかはほとんど覚えていない。ガイドブックに“見どころは黄金に飾られた羊のミイラ”とあったが、そんなものあったかなあ・・・? それよりよく覚えているのは、さらにあっけにとられた展示状態で、小さなものはほとんどが古い色を塗られた木枠(その色も剥げかかってる)のガラスケースに収められているが、ガラスは端の方が欠けていたり
蜘蛛の巣はってたり、ワタボコリこそないがほこってくすんでいるし、添えられているキャプションは‘50年前にタイプライターで打ちました’的あせ方。廃校になった山村の小学校の資料室から10日前に運び出した昆虫標本じゃねぇんだから、せめてもっときれいに見えるように掃除くらいしてやれよ、拭いてやれよ・・・と説教したくなる悲劇的・終末的状態なのに必要以上に大勢いる係員がバクシーシ目当てでついてくる。ついてきながら、「これは亀だ、これは鳥だ!」とキャプション読む以前に見ればわかることをいちいち言い、おまけに展示物の前に回ってギョロ目で顔を覗きこんだりするから閉口する。
うるせー黙ってろ!ジロジロ見んな!
ついてくんな!ほっといてくれぃ!!・・・再び頭を駆け巡る。ついでに言うと
てめーらエジプト人女性には何も言わないくせに!!」
そして
「そんな暇あったら掃除しろっ!」

博物館の裏に広がる遺跡、クヌム神殿も単なる瓦礫の山で状態は悪い。とにかく何か大きなものがあった形跡はあるが、どんなものがどういう状態で建っていたかなんて全くもって想像不可能。太陽が最も強烈な昼下がり、40℃近く日陰もない中、巨石の残骸を見学する人など誰もいない。
しかしダムができる前、年1回氾濫するナイル川の水位を測っていたという‘ナイロメーター’のある階段には、そんなクヌム神殿を通って船着場の方に回りこまないと行けない仕組みになっていた。外にも数人いた博物館関係者?が、「あっちだ、あっちだ」と博物館裏のフェンスの裂け目、クヌム神殿への入口を指すが、地図でみるとすぐ下のはずのところにまさか神殿を横断して遠回りして行かなければならないとは思えず、彼らがナイロメーターへの行き方を教えてくれているとも思えず、そして信じなかったお陰で迷いウロウロ・・・。表示や案内はないことが多く、あっても間違っていたりしてあてにならないから結局人に聞くしかないが、人間がまた表示以上に嘘ハッタリ確率が高いとくればもう運としか言いようがない。この国では、運がよければ驚くほどすんなり解決、目的地到着。運が悪ければ妥協するしかないかも知れないし、違うところに行っちゃうことだってあるかも知れない。

ナイロメーター
川まで90段の階段の壁に
目盛りが彫られてる

それだけだけど
アスワン博物館よりずっと興味が持てました
思っていたのとは違ってましたが・・・

もう3時半。ここまでフルーカでまわってきてすでに3時間が経過している。
サヘイル島のヌビア村へはここからさらに4kmも上流、行くだけで1時間半はかかるだろう。当初の予定3時間半でなどとても無理なことが判明。サヘイル島出身のモハメドVは「すごくいいよ!古代の岩壁画も見られるし、村は僕が案内するよ!」と嬉しそうに、そう言った時だけは目を輝かせて張り切っていたが、残念ながら時間的に厳しい。別のヌビア村が岩窟墳墓の北にもあって、そちらなら東岸から民間用のボートでも行ける。
というわけで船着場のモハメドVのところに戻り、ヌビア村に行くのはやめてアスワンに帰りたいと言う。彼は残念そうな顔をしながら、まぁ仕方ないね、構わないよと乗り込んだのと同じ東岸の乗り場へ船首を向けた。
「君、その歯どうしたの?」
ふと彼が聞く。
「歯並び治してるの。もうだいぶ揃ってきたけど、最初は凸凹だったのよ」。
でも彼には歯並びを治す、ということが理解できないようだった。
「よくわかんないけど、ヨーロピアンはよくやってるよね」。
過去にもアジアでよく聞かれたが、説明してもみんな怪訝な顔をするばかりで反応はまるで悪かった。歯を動かせるとは思わないんだろうなぁ。そう思うと今度は、
「キミ日本人ぽくないね。よく言われない?」
「何人ぽい?」
「東洋人の顔はしてるけど、日本人には見えないなあ」
なんて勝手なことを言う。エジプト人からすると東洋人なんてみんな同じ顔なんじゃないの? この後再びスークを歩き、ジャパニーズ、チャイニーズ、コリアンの全てに首を振ると、
「アメリカン? イタリアン?」
と返されたくらいである。これは生まれてこのかた初めてで、さすがに笑っちゃったけど。

フルーカ乗り場ではまた多重縦列駐車をかきわけて、もとあった場所に船を戻すモハメドV。やっぱり神業! しかし降り際に約束通り1時間20£Eの計算で60£E(1200円)渡そうとすると、ちらと見て手を引っ込め首を振り、
「1時間US$10だ」。
なぬーーー?!!
“乗るだけワンダラー”のラクダ引きと一緒じゃん!! しかしこうして口約束と関係なく、降り際になってボるんじゃないかと実は薄々疑っていた私はあまり驚くこともなく、怒りより先に「案の定・・・」とがっかりしてしまう。悟ってる?! いやいや、断固とした態度でいきますぞ。
「てめえ20£E/hでいいって言ったじゃないよ、$10だ?!冗談じゃねぇ、そんなに払うバカがどこにいると思ってんだ、ざけんな!!
それでもガイドはちゃんとしてくれたし、船を出すのに手間かかったからとポケットからにわかに10£Eを出して追加、70£E(1400円)をばらまく!・・・まではせず(ほーんとばらまきたいところだったが我慢!)まだ手を引っ込めたままのモハメドVの胸に叩きつけるように強引に渡して、
「サンクス!バ〜イ!!」
と船から岸壁に飛びうつる。最後まで怒ったフリ(ただ不満げな顔してるだけに見えた。演技にしても下手すぎ)のモハメドVだったが知ったこっちゃない。振り返らず通りまで階段を上がる。あぁもう、せっかく気持ちいいクルーズだったのに最後の奴のひとことで台無し。なんて後味悪いんだろう。客を怒らせ、自分だっていい気持ちはしないだろうに、それでもボろう騙そうとするのは成功率がいいのか?素直に払う客が多いのか?! ほんとに下心なく、気持ちのいいサービスをしてくれる人だっているんだから、私はこういう奴とは断固として戦う。負けませぬ!! しかしその後も川沿いを歩いていると、10人以上ひっきりなしにしつこいフルーカの客引きが寄ってきて、ひたすら無視を続けながらも、「うるせ〜!!もう乗りたくねぇよ!」とむなぐらをつかんで首を絞めて川に放り投げたい衝動にかられて困ってしまう。ヤバいヤバい。空き缶でも転がってれば思いっきり蹴飛ばしたかもしれないが、缶ジュースのない国・・・。結局頭から湯気をたてながらトボトボ歩くしかないのでした。

食べてストレス解消でもないが、どうにもお腹が空いた。空腹すぎて、頭から湯気も長くは続かない。今日もまた列車の朝食以降、何も口にしていないのだ。観光が忙しくて昼食を取り損ねる、というよりラマダンで開館時間が短縮になっていそうな場所の観光を優先させていると、ゆっくり昼飯なんか食っていられない感じ。で、私まで自動的に半日断食を強いられているような毎日が続いている。
駅前周辺にはけっこうな数のレストランがあるが、日中は営業していないところが多い。椅子はテーブルの上に上げられ従業員もいない。いても夜に向けた仕込み中だったり、営業していても客はゼロだったりするから店のはやりっぷりはまるでわからないし、人気メニューも、そして美味しそうかどうかも全く見当がつかない。

4時、かなりウロついて駅に近い‘Abir Restaurant’、「歩き方」にある通り、店頭でおじさんがコフタを焼いている店を見つける。コフタは羊のミンチを肉団子状にして棒に巻きつけて焼いたもの。地元でも人気とのことだがこの時間地元客はなく、外の席で白人夫婦がただ1組。メニューはコフタかカバブのみ?
「コフタ、量多い?」
「あれと一緒」
店の兄ちゃんが白人夫婦が食べているのを指す。するとその外国人は「こっちこっち!」と手招きし、口に食べもの入った状態でややモゴつきながら、
これ見て!コフタ1、2、3、4つとアエーシとピクルスとタヒーナ、全部で4£E(80円)よ!
「じゃ同じのもらうわ!」

◆ EARLY DINNER ◆

左下から時計回りに
タヒーナ ★★
アエーシ ★★
野菜のピクルス ××
コフタ ★★★

4£E(80円)

白いタヒーナはゴマのペースト、ゴマ味のスープで、アエーシ(上のナンみたいな丸いパン)ですくって食べる。シンプルだがこれが意外と美味しくてハマる。タヒーナは味が薄ければテーブルの(もしくはたいてい一緒に持ってくる?)塩胡椒を振ればより美味しくなる。コフタは店の売りだけあって羊なのに臭いはほとんど気にならず、ジューシーで美味い!! 脂濃さも、予想に反してそう臭くも不味くもなかった香草と一緒に食べれば多少和らぐ。が、にんじん、きゅうりなどの漬物は非常に不味かった。アエーシとピクルス以外はほぼ完食。
食べている間にテイクアウトしていく客は何人かいたが、外の席でパクついていると通りかかる地元人にジロジロ見られる。でもこれももう平気で、逆にその視線を追いかけてみたりする。悪いけどあたしにゃラマダンは関係ないもんね〜。


食べる前に写真を撮っていると、店の兄ちゃん「おい、写真撮ってるぜ」
で、みんな集まってきて
「撮ってくれー!!」


  ←コフタを焼いてた小柄な大将はいちばん右


彼らに、「この店これに載ってるよ」と広げていた歩き方を見せると(写真つき)かなり喜んでいた。しかも大将がコフタを握っていた脂まみれの手で触るもんだから、前後数ページにわたって脂が染みこんでしまう。

4時半、民間ボート乗り場から乗り合いボートで再び西岸、岩窟墳墓近くに渡る。ボートはもちろんエンジンつき、40人乗りくらいで片道1£E。イスラム国では当たり前といえば当たり前だが、船内は真ん中で仕切られていて男女別に座る。子供はデッキ。外国人は私だけ、他の女性たちは全員ムスリムで髪を隠しているので、場違いとまではいかないまでも私の方がなんだか普通じゃないような気がしてくる。ただ女性たちは男どものようにジロジロ見ないから、居心地の悪さは感じない。教科書片手に制服姿の女子学生が10人くらいいる。制服は紺のズボンとベストに白のヘガップ(髪を隠すスカーフ)とブラウス、というパターンが多い。対岸まで10分。

ボートを降りるとそこには迎えの車や乗り合いトラックが待機していて、村人たちは各々それらに乗り込み、砂埃を巻き上げながらあっという間に先に村へ消えていった。観光客の多い時間なら、何人かでチャーターして村を回ることもできるよう。しかし1人村へと歩いていると、数百メートル行く間に岩窟墳墓ではいてほしい時にいなかったラクダ引きについてこられるわ、子供にたかられるわ、何もしてないただ通りがかりのばあさんにバクシーシをせびられるわでもう
うざったいったらありゃしない。子供から年寄りまでいろんな人にたかられながら、若い女の子が、
「どこ行くの?」
「わかんない」
「どうして?うちに来なさいよ」
と誘ってくれたりするが、村の中をフラフラ歩くだけで開いているドアから家の中の様子をうかがえたし、とにかく不意な子供のたかりにうんざりしたので30分ほど見学してまたフェリーで戻ることにする。


家の壁は綺麗でかわいいパステルカラーで塗りわけられ
魔除けだそうだが、ワニのミイラに色を塗ったものを玄関に飾っているところもある
レストランや、天然染料で幾何学模様のタトゥーを書いてくれる店もあるらしいけれど
見つけられませんでした


ヌビア人とは、古代からこの地方(南エジプト)に住んでたヌーバ族という黒人の末裔で、エジプト人とは全然顔つきが違う。色が黒く、男は髪が縮れていてぶ厚い唇、目のほりは深く丸い額がめだつ。でも私からするとヒゲ生やしたアラブ人系のエジプト人なんかよりずっと好感持てる顔。エジプト人よりアスワンという風土にもよくマッチしている。

猫も多いが
他にもいろんな動物がいました

小動物らはのんびり
自由に歩き回ってた

フェリー乗り場までの帰り、相変わらずたかってくる子供たちをひたすら無視して歩いていると、最後には木の枝を投げられる。小石まで握っていた子がいたのはさすがにおっかなかったが、構ってくれよというアピールより、金持ち観光客・異国人に対する本音をぶつけられた気がして、何かひっかかるものが残ったヌビア村訪問でした。
民間ボートは1時間に2往復くらい、帰りの乗客は5人ほど。砂漠の向こうに日が落ち、ナイルの向こうの空が薄赤に染まっている。

5時過ぎ頃、町にアザーンが鳴り響き間もなく食事解禁の時間。スークを歩けば、そこらじゅうの地面にひいたゴザの上にはずらりと料理の入った皿が並べられ、1コザにつき10数人分の夕食のスタンバイが完了している。店のテーブルにもスープやアエーシに肉料理が並べられ、数人の男はお祈りもせず、ただ頬杖ついてうつろな目(いっちゃってる?ってくらい‘心ここにあらず’な感じの目)でぼんやり皿を眺めている。「ヨダレたらすなよ!」と突っ込みたくなってしまう・・・。
スーパーも店内の電気が消されていたが、水と紙パックのマンゴーやグアバジュースとヨーグルトを買う。グアバジュースは沖縄に通うようになって愛飲ドリンクのひとつとなったが、やっぱり熱い国、取れるトロピカルフルーツは同じなんですね。しかし水もジュースもヨーグルトも、冷蔵庫から出してきてたのにぜーんぜん冷えてない! ヨーグルト、大丈夫か?? 店の兄ちゃんはレジでお金を受け取ると、
「よしきた、
メシだ!!スペシャルタイム!
と慌てて奥に引っ込んでった。テーブル席にもゴザにも所狭しと男が集まり、隣に爆弾がぶち込まれても逃げないんじゃないかと思う勢いで必死で食べている。手づかみで食べるのが勢いと必死さを助長するように見える。この間15分ほどは店の機能は完全にストップし、歩いててもいっさい呼び込みにあわない。通常はひっきりなしの客引きが全く聞こえないギャップを感じられる一瞬。

ホテルの部屋から見下ろすスークの喧騒

夕食が終わると再びお祭り騒ぎに復活
でも夜行列車の疲れもあって今日は早め就寝

スークは深夜までうるさく
朝は5時からアザーンがうるさく耳栓必需品

アスワンもカイロに負けず刺激強すぎ、予想以上に出会いも事件も多くて相変わらず鼻血出そうに興奮度満点でございます。


                                 
     Continue...


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