自然、地理、風景、散歩をテーマにしているサイトです
うまく表示されない場合は管理人にご連絡下さいm(_ _)m

まずはこのサイトの概要などを・・・

   

 サイト立ち上げのきっかけは?

 東京で育った管理人が神奈川県川崎市麻生区岡上(おかがみ)というこの地に引っ越してから自然豊かなここに気を良くして作ってみました。

 「岡上」って?

 東京の新宿から小田急線で約35分、鶴川という駅の南側に位置し、周りを他の行政区に囲まれた飛び地です。都心から近い距離なのに自然豊かな田舎然としたところです。

 どうして飛び地?

 岡上町内会の町会便覧によると・・・・『岡上は麻生区のどことも境を接していません。周りは東京都町田市と横浜市青葉区に囲まれています。ここはその昔、都筑郡に属する一つの村でした。それが昭和14(1939)年、郡内の町村がこぞって横浜市になったのに、岡上村は隣接していない柿生村と親交が深かったため、川崎市に合併しました。そのため岡上は麻生区の飛び地となったのです(麻生区発行の地図に記載されている注記による)』とあります。この柿生村との結びつきを表すものが麻生区役所柿生連絡所入口にある「柿生村他一ヶ村組合」の記念碑です。

そこで・・・

 このサイトは岡上とその周辺の自然や風景を紹介しつつ、散歩にも役立つように!?作っていきたいと思います。すこ〜しずつ、更新していきます。のんびりしたサイトです(^^ゞ

それでは岡上をお楽しみ下さい。

 岡上はここに位置しています。名前のように最寄駅の小田急線「鶴川」駅から上るところにあります。谷戸もあり、起伏に富んだ土地です。また、元々は養蚕・養鶏が盛んだったらしいのですが中心地には1973(昭和48)年から整備された営農団地という田畑が広がっており、季節によって花や実、緑が鮮やかで四季折々の風情を楽しむことができます。岡上の西側には岡上研究もされていて地域に密着している和光大学があります。大学への途中には納豆のかじのやがあり、大豆のいい香りが漂い納豆好きにはたまりません。その東側は尾根。尾根道がいい雰囲気を出してます。尾根道をずっと進んで行くといつのまにか玉川大学にたどり着きます。ただ、夜は暗くて怖いかもしれません。

  鶴川駅の南側(岡上の北端)には鶴見川が流れています。がっちり護岸されているのが残念ですが、この辺りでは鯉やカモ、水辺にいる鳥たちを見ることができます。源流は町田市上小山田町の田中谷戸にあり、源泉部は「鶴見川源流ネットワーク」によって源泉と豊かな自然が守られているようです。駅の東側(津久井道の鶴川駅東口交差点)からは「こどもの国通り」が始まり南に向けこどもの国(横浜市、町田市)、東急田園都市線田奈駅、国道246号線を抜け新横浜方面に至ります。こどもの国の手前にはTBS緑山スタジオ(横浜市)があり、途中の岡上内には東光院岡上神社などの神社仏閣、岡上駐在所があります。この道がメインストリートで、割と交通量が多いです。

  この地、岡上はかなり古くから人が住んでいた(昔からの地区名では川内、開戸、関、川井田、丸山、池ノ谷戸、天神谷戸、自正寺、梨子ノ木、小塚、杉山、宝殿、栗畑、杉山下があります)そうで、縄文時代に遡ることができるそうです。このことは1987(昭和62)年04月開校の岡上小学校建設時に発掘された岡上丸山遺跡が約3,700年前の縄文時代から奈良・平安時代までの複数の時代にまたがる集落遺跡である、と明らかになって分かったようです。
  数千年前の人々・・・どの様に暮らしていたのかなぁ。田畑や住宅なんかの現代の人工的なものを取り除いたら、今とあまり変わらない風景だったりして§^。^§

  また、「続日本紀」によると「716(霊亀2)年に駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の高麗人を武蔵国に移し、高麗郡を置いた」との記述があり、その中に丘登、岡登、岡上の氏名が見られ、奈良時代にはこの地で岡上(丘登、岡登-おかのぼり)を名乗っていたとうかがえることから、それ以前にすでに岡上という地名があったと考えられるようです。
  さらに1816(文化13)年に編成された「新編武蔵風土記稿」によると「山林高低ありて土性は黒土なり、陸田多して水田少しく、用水は谷々より出る清水を引用ゆ、民家五十軒は処々に散住せり」とあります。ここは江戸時代後期までは岡上り(おかのぼり−岡登)村と言われていたらしいです。
  この地を起源としている人物では岡登用水を作った岡登(岡上)景能=1654(承応3)年に代官、1687(貞享4)年に幕府に命ぜられ切腹=がそうらしく、群馬県の藪塚本町(現在は市町村合併により太田市の一部)には彼を偲んだ「岡登神社」があるようです。そして岡登家の起こりは武蔵国都筑郡岡上村にあって、この地にいた岡上景行の末裔であるとされているらしいです。

  営農団地内にある天神谷戸は山伏谷戸とも呼ばれていて、かつては「持宝院」「円覚院」というお寺があり、山伏が約300年前に京都から岡上に移り住んで護摩札配布や祈祷などで村人に民間信仰を伝えていたらしく、明治まで修験道を学ぶ山伏の家が数軒あったそうです。

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