歴史講座  「道成寺のすべて」
                   
講師 道成寺 小野俊成院代
             

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   第三講 「ふるさとの英雄・源満壽丸」 〜ふるさとに山あるは幸いかな〜 

万寿丸が残した兄弟鐘 







同じ銘文が刻まれている

 

鐘声を聞けば 知恵長じ 菩提生じ 煩悩軽く

地獄を離れ 火坑(かきょう)を出で 

成仏を願い 衆生を度す。 天長地久 御願円満 聖明、日月に斉(ひとし)く 叡纂、乾坤に等し。

八方は有道の君を歌い 四海は無為の化を楽しむ


      和佐 光源寺梵鐘              道成寺二代目梵鐘

 

豊臣秀吉の紀州征伐







 「センゴク 天正記」 
進軍ルート(鐘は船で運んだはず)クリックで大きくなりま 仙石権兵衛 ヤングマガジン連載中

 

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                 参照 ↓↓ テキストの前ページ

                      万寿丸とその一族


万寿丸の記録

紀伊続風土記、日高郡誌、矢田村誌に説明があるが、元の資料が見つからない。

[疑問]

どこで生まれたか                                     6代前に上洛?摂津・和泉・美濃に所領。

いつ、どんな理由で矢田庄を賜ったか          正平元年(1346)頃は近畿各地で戦が連続

 

 逸見守王丸満重

正平3年(13481121日、三十才で亡くなる。戦と関係あるか?

この年、南朝は特に劣勢になり、後村上天皇は吉野→西吉野の賀奈生→湯浅の阿瀬川と移動。
足利直冬、阿瀬川城を落とし、日高郡にも来ている。

母 覚性禅尼(かくしょうぜんに)

父は原弥彌五郎源信定(資料見つからず)。来迎寺にお墓が残る。尊勝寺と位満堂を再興した。

妻 川上則秋の娘

父の川上則秋は和佐の山崎城の城主で、川上庄と財部庄に領地をもっていた。兄弟の采女(うねめ
)の代に滅んで、和佐の領主は玉置氏に代わり、手取城を築いた。

長男 逸見小五郎重隆

正平2年(1347)1110日誕生。天授5年(1379)に北朝方に攻められ、信州佐久郡瀬戸村に敗走。応
15年(140853日、61才で亡くなる。戒名は行光院一峯了夢居士。

  [疑問]

  なぜ瀬戸村に行ったか                     信濃宮の存在が関係あるか?

娘婿 吉田金比羅丸源頼秀

矢田庄吉田村の領主で、八幡山の城ヶ峰に城を構えていた。道成寺本堂を完成させた。

  [疑問]

  なぜそれほどまで大工事をしてくれたか          楠正成・正行親子も観心寺本堂を新築



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