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他人を敬う
尾張名古屋の文化
Cilture Of OwariNagoya
r20, 2

0, 徒然草 目次
@情愛 A自然と調和 B信義と礼儀 C社会の一員
 粋と風流とは 2015.11 
   近年京都や郡上八幡などの古都に何故か惹かれるようになり、その原因をつつら考えると、「和風文化の粋&風流」ではないかなと思います。世界の訪問したい観光地の1位に2年連続選ばれた京都には、寺院や神殿があるが、他の国にもあるのでその他の惹かれる理由とは?
外見的な構造物ではなく、精神的な「和風文化」=「他者愛」」が人気の原因ではないかと考えた。
島国の文化は個性が強くなるが、日本には外国語に訳し難い独自の情感思想がある。「もののあわれ、侘び寂、粋と風流、禅、茶道、礼節」であるが、これらの言葉の意味するところは自分以外の自然を含む他者への思いを表している。その代表が人を招く作法の茶道で、世界では特筆すべき平和文化です。
私が住む地域に盆踊りやお祭り、花見、習い事など他者と交わる文化がありますが、この文化はいにしえからの「粋な計らい」です。俗世間にあってもお金や物より、粋や風流を尊び、遊び心、習い事等で他者と交わり人情の機微がわかり、趣味的にも洗練された他人との良い環境のなかでのみ自分が生きれらる幸せがある。
私たちの祖先の文化であることに感動します。
------------------------------------
1878年パリ万博で浮世絵の鮮やかな色使いや、日本画の平面的構成の自由な空間や、春画の奔放さ、庶民生活の生き生きさに、当時の戦争や宗教画を描いていた画家に強い影響を与えたことは良く知られているが、私にはその意味が分からなかった。
しかし2015年郡上の盆踊りから例年にない感慨を持つようになり、UPしてある踊り関連のページで歌詞を読んだりネットでいろいろ調べると、盆踊りやお祭りが豊作や無病祈願だけでなく、風流を尊ぶ人々により今日の形に興されたことを知り、何百年も前の日本人の豊かな感性、人生の遊び心に感動した。
そこで改めて当時の絵画にも関心を持ち浮世絵を画像検索すると、名の知らない絵師の庶民の生活感のある粋や風流を感じるようなような作品がぞろぞろ出てきた。
そして印象派「厳密には浮世絵に影響を受けて印象派と呼ばれる画風が世にでた。」に影響を与えた意味(左右非対称や大胆な構図など)も理解できて一つの開眼であったが、自身の趣味をホームページで更新、推敲を繰り返すり過程で得られた成果である。
粋や風流と対峙する「侘び寂」も英訳し難い日本的な感覚だが、京都に限らず郡上八幡や高山等も、外見的な建造物より、精神的情感的文化、遊びこころに海外の共感を得られるのではと感じた。私の琴線に響いたものは個人的なものかも知れないが、争いが絶えない人類の歴史のなかで、いにしえの風流人の粋な計らい「侘び寂、粋、風流、華道、茶道、禅、祭り、盆踊り、庭園、花見」=「他者と融和」を美とする感性を現代に学びたいものです。
私も 「粋な絵」=「粋な人生」が新たなテーマになってきた。

  


 

 古都に受け継がれている行事がまさに
ウイキペディアより

風流とは「上品で優雅なおもむきのあること。」
中世芸能の一。華やかな衣装や仮装を身につけて、囃(はや)し物の
伴奏で群舞したもの。のちには、華麗な山車(だし)の行列や、その周
りでの踊りをもいう。民俗芸能の
 念仏踊り雨乞い踊り盆踊り
獅子舞
などの源である
延年舞
の演目。登場人物の問答のあと、歌舞となる。規模により、
大風流と小風流とある。風流延年。能の「
」の特殊演出。狂言方
が担当。
大勢の華やかな衣装の演者が出て寿を祝う。狂言風流。
【風流傘】
傘鉾(かさぼこ)の一。祭礼の行列などに持ち歩く、美しく飾った
【風流車】
長柄の傘。
祭礼の行列などに引き歩く、美しく飾った車。装飾を施した 山車(だし)の類
 
雅の鮎釣り
 
 
 日本人の美意識末木剛博氏 抜粋
 
  
一般に「あはれ」といわれ『見るもの聞くこと、なす業に触れて
、情の深く感じることをいうなり』と定義されている。またあわれは芸術
全般の源であり、本人の感情的、ものの考え方、美しく感じようとす
ることであり、日本の独特で特的なものである。平安時代には「あは
れ」は多く哀の味に使われ,哀感が美意識の主位をしめていた。
この哀感に余情が加わると「幽玄」という宗教的な深い沈潜の情と
なり、ここに芸術の理想を見出そうとしてきた。一切の無駄や贅沢を
排除した冷たく寂びた状態のなかに無限を感じるのである。「さび」は
繊細な感覚でもののあはれを知ると同時に、事実への執着を離れ
て心を軽くしする。寂びは哀感の一つの淋しさからから生じる美意
識で、淋しさを通して無限を感じ無限感で淋しさを癒す、そうし
た解放された軽さを楽しむ状態である。

 「侘び」も寂びに似た美意識でものの乏しさ貧しさをとおして無限の
豊かさを感じ取る。茶道の「侘び茶」は華美を否定して「貧しさのなか
にこころの豊かさを保つこととし、「藁屋に名馬つなぎたるごとし」で、
乏しと欠如のなかに積極的に豊かさの美をみいだす趣味である。
「数寄」⇒欠け茶碗の「侘び茶」は「侘び数寄」につながり人への和敬の
道徳をつくりだしてここに日本文化の理想がある。


 

 この文章から私は外国人が不思議がる万博で並ぶ日本人に日本人
の美意識を感じました。新聞のコラムにも「万博を成功させたのは入
場者の叡智だ」書かれていましたが、暑さのなか長時間並んで待つ
ことは快適にあらず汗しながらの苦行であり、「見るもの聞くこと、な
業に触れて、情の深く感じることをいうなり」の「あわれ」と「侘び」に通
じます。
大勢の儚い人々がひとときの並んで万博を見ようとする行動は金持ち
も貧乏人の差も無いあはれと侘びしさの「侘び茶」の精神であり、そこ
から無限の豊かさと共有する連帯感につながっていく。

 並ぶ人々の表情も明るく苦行からの「侘び」を通して、「茶道」の招く人
と招かれる人のようなしみじみとした情感、和敬の念と慈しみを持ち、
そこから豊かさと美しさを共有する「数寄者」の列になっているのかもし
れない。少なくとも数寄者が混ざりこんでいます。
 団体さん、家族連れ、外国人、恋人同士、老夫婦、身障者などさまざまな人間が、
さままな運命を背負って並んでいて、千差万別の運命を持つ
人が、並ぶという共通の意識で列をなし運命を共有するひとときが不
思議で一期一会の情感を楽しみ、秒針のように過ぎ去る時間に「もの
のあわれ」の美意識を感じる。

 また3.11の未曾有の災害でも給水の順番を整然と待つ人々に、外国のメディアが
賞賛を惜しまなかったが、今日のテロの多発する混沌とする
争いの絶えない世界に、また科学だけが巨大化して人間が脆弱化しる
現代社会にこうした和の日本文化はとても尊く大切にしなければならな
い思想ではないだろうか。
美についてWEB検索する。


2016.6.24  民族主義大頭してイギリスがEU離脱

1 @物好きな人。好事家(こうずか)。すきもの。
「―の間に平七が細工求めたき旨申さるる仁(じん)出来(いでき)」〈露伴・風流魔〉

2 A数寄の道に専念する人。特に、茶道についていう。風流人。

3 B色好みの人。好色家。すきもの。

茶道に集約される侘び寂の美意識

さまざまな日本の文化を代表するのは茶道が適している。招く側の亭主と招かれ
る側の客人とのそれぞれの礼儀を示しあうことで、しみじみとした情感「和敬静
寂」=「侘び寂」「粋や風流」を楽しむ>世界でも特筆すべき「おもてなし」「他者を
敬う美意識、日本人の文化です。
茶室に通じる露地(庭園)を整えることから始まり、3.5畳ほどの狭い和室に
掛軸や活け花、水指・ 茶碗・釜などを用意するが、長年の先人が培ってきた<
和風文化の総舞台、茶事として進行するその時間自体が総合芸術と言える。
一般的には茶の湯”として上流階級(武士、公家、富裕な商人がお茶を楽しんで
いた。

”侘び茶”は千利休が茶の湯から遊びの要素を捨てて、精神的なものを
追求したもので、それら両方が茶の湯と称せられている。
侘び茶は、従来の”茶の湯”が応接間である書院で行われていたのに対して、
4畳半、最後は1畳という狭い草葺で土壁の質素な茶室をつくり、
その中で亭主と客が静かに時間を過ごすことが侘び茶の精神です。
現在でもその流れは表千家、裏千家、武者小路千家などに引き
継がれている。
------------------------------------------------

私が釣りで体感した侘びしさのなかの連帯感、幸福感を、茶人は百姓屋のような
粗末で簡素な環境に求めていたのだろうか。その空間は多分私と同じしみじみとした
自然を含む他者との連帯感、の豊かな共有感だと想定できる。

また侘び寂=もののあわれの感慨が⇔対極にある「粋と風流」&庶民文化の花
が咲き、他人との遊びこころ芸ごころを楽しみ、他人を敬う日本人の文化に向わせた。
花見の宴、盆踊り、祭り、等々。
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わが目線 野花に合わす 花むしろ
大地に座する花見は草花と目線が近くなり、自然や地球を肌を通して感じられる。
視野も明るく広がり花よりダンゴ、ダンゴより人の和が
いにしえ人の教えであることが見えくる。

外部link 
 日本文化いろは辞典 大辞林でも 「すきしゃ」 を検索する 

 日本の伝統文化 
華道、茶道、陶芸、俳句、短歌、水墨画、長唄、神輿、漆、書道、日本
舞踊、盆おどり、川柳、着物、仏像、芸者、城、盆栽、日本庭園、
浮世絵、日本画、神社仏閣、凧、うちは扇子、歌舞伎、能狂言、文楽、
相撲、柔道、百人一首、かるた、花見、など独自な文化を持ち、
一般的には礼節や和「他者」を重んじる国民性だと言われている。

 もののあわれ⇒侘び寂=他者と粋や風流を共有して楽しむ

これらは外国語に訳しにくい日本独特の感覚ですが、日本の春夏秋
冬の四季の影響が大きい。四季の移ろいを生老病死に重ねた哀れみ、
寂しさが日本人の根底にあるようです。
私のあまご釣りや鮎釣りは本流より支流に入ることが多い。
本流は釣り人が多くて、釣り人の食べ残しのゴミやビール瓶までが河原
に散乱していることが正視にに耐えないからだ。
その点支流は木陰が多くて涼しく自然の美しさもあり、不浄不純なも
ののない、美しく輝く生命の集合体のような神聖な場所であり、
若いころにそこで強い感慨を受けたことがあります。

 
エッセイ 
もののあはれ    

  雨脚が激しくなったので私は釣りを中断して岸辺の林のな かへ雨宿り
に入った。渓谷は山が迫っていて日暮れが早く、まだ四時なのに辺り
は消入りそうに薄暗い。林の梢から落ちる雨粒が私の菅笠を音
をたてて打つ。
雨具を着ていたが背中が破れ雨が滲みて背筋が寒い。 下半身も水
の中に立ち込んでいたからずぶ濡れで、私は濡れネズミのようにみ
じめな姿である。

茂みのなかで腰を下ろすと、むきだしの木の根が蛇のように這い、
シダが 垂れて不気味だ。こうして無人の川辺で寒さに震えていると、
無性に人恋しくて温かな食卓や家庭のぬくもり、人の和などが貴重に
思ええ、逆に争いや欲望、贅沢がつまらなく感じて健康や愛 生命な
ど人間の本質的な価値観に目覚める。

雄大な大自然のなかの孤独な釣り師は、人間のはかなさ、小ささがし
みじみと身に迫り何が大切かを教えてくれる。対照的客観の 「もの」と
、感情的主観の「あはれ」が一致して生じる調和 的情趣の世界である。

 寂しさとみじめの極限を経て無限の豊かさが あることを知った。
私の足元には同じように雨宿りする一匹の虫がいた。この心寂しい時に
出会う一匹の虫、一輪の花は命の仲間として私に強い感動を与えた。
悠久な自然と私が連帯し同化した 瞬間で、静かに辺りを見回すと私の周り
は私の仲間 たちで一杯であった。

-----------------------------------------


このときの感慨は私にとり人生で最大の開眼であり、その世界を表現できる俳句と水墨画、エッセイの門をくぐり、さらに繋がる陶芸、水彩画に進み、侘び茶やおもてなし文化の理解を深め、この趣味や信条を発表できるネット&ホームページを独学で学び、十数年間の更新と推敲を経て「いにしえの文化」の今日に至った。

すべてが創作する遊び心の楽しみがあり、SNS等で世界に発信できて、手ごたえを楽しんでいる。

万緑の なかの一なる 釣り師かな    順風

   学びすと Learn people   愛するものを描く楽しい水彩画


エッセイ 連帯感

一年ぶりに母なる自然に再会した。あの木もこの花もあの石もあるべき
場所にあるべくしてある。いずれも自然の風に吹かれてよい表情をし
ていた。 都会とは違う草の匂いのする爽やかなな風だ。蝉とバッタが鳴
き蝶が舞っている。私の視界にあるものは全て生命と色彩に満ち、お互
いが分を守り依存しあって生きている。
 こうした調和の世界は生物の一員たる人間にとり好ましくないはずが
ない。一方的に巨大化する科学社会のなかで人間は相対的に小さくなっ
ていく。このような現代は大人も子供たちも動物の本能を刺激する自然
に接するべきだ。仕事や勉強を忘れて人里離れた山中に身を置くと、 人
間の小ささ、儚さがよく分かり極めて自然に手を握りあえ助けあえるだ
ろう。
 ここに有るのは生命の讃歌、尊さだけで暴力や憎悪はない。人には
金銭的余裕、時間的余裕、心の余裕の三つの贅沢があるという。自然
と人間とが心を通じあえた時、自分の周りに築いていた『自我』という
窮屈な柵が解けて、全体に融合した永遠の安らぎを知るだろう。 全体
は自分である。自分を簡素に質実にすればするほど自然に近づいて大
きな心を持つことができる。 ちょうどジグゾーパルズの小さな一片の
ように。郡上の山河もアルプスやアマゾンの森も我が家の庭の内に
ある。この連帯感はどのような金持ちも真似することのできない心の
余裕である.2000.7

日本人は一般的に礼儀深い、控えめな国民性だと言われています。
ドナルドキーンさんもその原因を四季のある日本の山河、自然の影響が大きい
と言われていますが、日本人は春夏秋冬を生老病死と重ねて、身を委ねた
自然はそのなかの一員、自身であると言う感覚だろうか。
自然とは人を含む自然界(他者)のことで、他者を尊ぶ礼儀深い(思量深い)
国民性ということになる。

また他者を尊べる人は自分を省みることのできる人でもあり、「ひか
えめ」に見られることも自分(人間)を良く理解している国民性だと考え
られます。

 郡上盆踊りGujo Hachiman Bon dance 
開花した異文化の花見 Peace of Japanese cherry blossom viewing
 
 自作の陶器にミニ盆栽 自作の鮎の陶器
 拙句
 釣竿に 止まるとうすみ 大過なし
かとの群れ 水の中にも 日向あり  
遠目にも 花びら付けし 1年生

句作りの ペン先にじむ 弥生かな 
 
花咲けば 月は遠くの ただの月 

川遊び 足の裏にも 夏来たる   
鮎一閃 光て竿の 重くなり
 燕の子 首かしげつつ 巣立つなり 
高原の テニスコートや 風光
おにぎりの 味の広がる 春野かな  
登り鮎 荒瀬高巻き とどろけり
菅笠に 雨の滴や香魚釣り 
浮雲も 洗ひ干される 梅雨晴れ間  
名古屋市 初秋の白鳥庭園  
市内の紅葉のピークは11月中〜下旬であるが、赤一色の燃えるような紅葉とは違う趣の、色づき初めのさまざまな色合いが混じりあう雰囲気に風流さを求めて、2015.11.3日午前のテニスを終えてから出かけた
 
 テニスサークル仲よし会で花見の宴 2016.3.29
 
  ドナルド・ローレンス・キーン
(Donald Lawrence Keene
  肥田美佐子のリポートドナルドキーン
日本に永住
    
ドナルドキーン氏に限らず多くの外国人の日本人評は「礼儀深さ」ではないでしょ
うか。東日本震災被害の人々の節度ある行動が外国メデアに賞賛されました。
無人島で一人で生活している人には礼儀や信義は要りません。他人と一緒に
住むところには他人を意識した節度ある行動をとることが「礼儀」だと定義できます。
 ドナルドキーンさんは外国人と違う日本人の特徴を「自分を出さない」こと
だと言われましたが、それは謙虚さや奥ゆかしさ、謙譲の美徳と言う意味と同時に、他人を尊重する、他人を立てる、敬意を払う、人様に迷惑をかけるな、などの他者への配慮や思いやり、生命をもつすべての他者に対する信義と愛情です。
西洋ではこのような他者愛は自己愛(エロス)を超越した人のステージで、アガペー(天上の愛)と言います。
ニグレンは「エロスは人間的な愛であって(自己実現の愛)原理的に自愛であり、自己
中心性を脱することができず、利己主義に近づく危険がある。反対にアガペーは人間
的立場に対する優越性をもち純粋に無動機の他者実現の道。」
西洋の哲学者が説いた愛を日本人は平均的「半数以上」に美意識として持っていたの
ではないかなと思います。言い換えれば集団のなかで自己を出すことは美意識で
は醜、信義では恥という感覚でしょうか。
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ドナルドキーンさんが東日本大地震を契機にして「大好きな日本を元気づけるために移住する」決意をされました。ご高齢のキーンさんにとっては放射能汚染国への移住は大決心の要る行動で、日本人は感謝すべきであり嬉しいことです。
博士のご厚意に微力ながら報いたく、そのことをツイッターでつぶやいたりfacebookに投稿したりしていますが、当サイトでも日本人について改めて考え博士を紹介させて頂きました。博士の日本人に対する信頼を裏切らないよう、信義に恥じないように美意識を持ち行動したいものです。

また今回の大被害を受けて日本人の美意識は過酷な天災列島に大きな影響を受けていると感じました。繰り返される自然の脅威、畏怖から人の儚さにつながり、同病相哀れむで他者「同類、生物」への慈しみや連帯を受け継いできたのでしょう。
2011.6

「他者愛」のキーワードでGoogle検索してみてください。約 34,300,000 件中の
一位に当サイトの「自己愛と他者愛」が表示されます。

     
「いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり 

最近日本人のなかに経済物質文明から逃避するような他者との関わり、ポリシーや価値観の共有「シェア」、支援等への参加などを生きがいにする行動が見られるようになりました。その行動を顕著にしたのは未曾有の大震災、Facebookの登場,キーンさんの行動などかと思われます。ドナルドキーンさんの日本への帰化も、震災を契機として愛する日本人と生死を共有したい気持ちの表れでしょう。2011.6.30
いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり
NHKのクローズアップ現代2011.6.28抜粋

 いま、消費者の間でモノやサービスを共有しようという「シェア」が広がっている。車を共有するカーシェアの会員数はこの一年で4.5倍。ビニール傘などの日用品の共有から、オフィス、一軒家のシェアまで、その動きは今、急速に拡大している。
背景にあるのは大量消費社会への疑問。そして若年層を中心にした、「シェア」を通して「誰かと繋がりたい」という欲求の高まりがある。
 インターネットの普及によって、地縁や血縁とは異なる、趣味や好みを「共有する」コミュニティが誕生し、「シェア」の広がりを後押ししているのだ。さらに、「シェア」によって誕生した新たなコミュニティは、跡継ぎ不足に悩む農業を応援し未来の地域社会の形を探ろうというプロジェクトなどにもつながり、いわば「夢」の共有にも発展している。大量消費を追求してきた人々の前に現れた新しい価値観「シェア」。その可能性に迫る。

今在るものや夢とかポリシーまで共有したい、同類でありたい、分担したい、応援したいと言う行動を若い人たちが持ちだした。その心は合理性や物資的豊かさだけではなく、精神など人間そのものへの関心、信じあいたいこころ、自分もェアして参加したり応援できる喜びを求めている。
NHK クローズアップ現代
 
 すべての人間を震撼させた天災  

 3月11日の午後三陸沖でマグニチュウド9クラスの大地震が発生。その10数分後に見たこともないような巨大な津波が沿岸に押し寄せて、まるで爆撃後の焦土のように地域や家族、会社、学校の絆を消滅させました。
 そのすざましさをテレビで報道されて被害を目の当たりしたすべての日本人を打ちのめしたのです。その上原発が損傷して深刻な日本列島の危機が世界に伝えられました。


 現在世界の原発専門家の協力を得て、手がつけられなくなった怪物を必死でなだめていますが、手探りで綱渡りをしている状況ではないでしょうか。 この事故でイタリアとドイツが脱原発を宣言しましたが、日本では原発利権連合と目される人が首相を交代させる動きをしています。

 科学は1+1=2の世界ですが、科学をいかに人類に役立てるかは感情の動物たる人間であることに深い憂慮を感じます。今回の津波想定の考えられないような科学者や電力業界の甘さは、原発勝ち組の馴れ合いと驕りがもたらしたと断定できます。わが世の春を謳歌する政官財学の利権連合の面々に、天災の厳しさを具申することはできません。これは国の中枢にいる人たちが日本と日本人のための行動はできないということで大変恐ろしくて不幸なことです。
大きな推進の流れに逆らうことは私を含めてなかなかできません。 家族愛や会社への忠誠心、また地元への安全神話を説明してきた手前だとか、勝つか負けるかの感情とかの自己愛を優先して、つい曖昧になってしまうことが人間の脆弱性です。言わば世界は人間欠陥に震撼したと言えます。


 このような自己愛に酔いしれている人たちは、人の手に負えないような利権怪獣でも手懐けられるという妄想を描きますが、当初の原発の危機認識が外国メデイアと大きくな差があったことは、隠ぺいではなく事実を理解できずに右往左往していたと推測できます。

 人間の脆弱性は1+1=?であって、原発そのものの危険度より不安定な感情「傲慢、怒り、妬み、勝ち組の優越感、ノイローゼなど」の動物であることを認識すべきですが、その認識は悲しいかな人の上に立つ人ほど少ないようです。

震災から3ヵ月がたち暑くなって業界は電力の危機を煽り、そのためか脱原発を曖昧にする地方自治体が増えてきましたが、全生物は地震、噴火、台風、津波、隕石などマグマ活動する危うい地球で生活しています。人類は命よりお金を大切にする本末転倒な方向を目指す、危険な怪獣のリスクを抱える大量消費拡大経済を考える時期が来ているのではないだろうか?。

その昔に大きな天災で恐竜が死に絶えて小さなゴキブリやネズミが生き延たと言われていますが、大量消費「恐竜」=欠陥人間が大層なオール電化等の盲信してはいないだろうか?。 
 
 自らの欠点を知らない動物はもろいものです。人類もゴキブリになれとは言いませんが、スローライフやエコ社会など欠点を知る身の丈に合った生き方をすべきだと思うのです。 

 「?人類」における賢明さとは謙虚に慎重に生きることでしか得られない訳ですから。

「上段の「シェア」から始まる人々の横のつながり」が脱物質文明だとしたら、また多くの人が亡くなられた大震災が、日本のためになる舵を切るきっかけなら少しは救われることです。

「復興支援善意の輪」をUPしました。
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage320.ht..


  追伸2011.7.6
昨日の新聞で各地の「反原発訴訟」が殆どが危険はないと否決されてきたが、今回の原発事故は今後の判決に影響を与えるだろうと報じられました。政官財学の原発利権勝組連合に司法の認識も影響うぃ受けて甘かった訳ですが、庶民は世の中の大勢に流さることは歴史が証明していますが、司法に携わる人も人の子だったのです。
戦争に進んだ愚かな大勢の教訓も人間は役に立てないことは悲しい現実だと、その危うさ「欠点」を認識することしか方法はないのでしょう。ここに哲学や芸術の存在価値がでてくる。
     
  
 盆踊りと花見の宴 2015.8

 テニス仲間にせがまれて8月24日に郡上市上桝形町の盆踊りに出かけた。おりからの台風 15,16号が近づいていて気がもめたが、宿を当日予約にして10時に6人を乗せて自宅をでた。 ネット検索で初めての宿であったが、夕食は鮎料理新橋亭に 予約してあったので、宿の「一泊朝食のみ」の案内が気に入り、参加者の了解を得て車中予約した。
その他、チェックイン14時、お寺、40畳の広間も関心の持てるフレーズである。
昼頃に到着しまず平甚 の蕎麦を並んで待ち、吉田川の釣師を眺めながら食べ、博物館で踊りの実演を見学、15時にチェックインし旅装を解いだ。
一般的には16時チェックインだが旅人には有りがたい心遣いだ。

 宿は襖で仕切られただけの開放的な間 取りで、街中の小さく仕切られたい窓の少ない民宿とは違い、風通しと見晴らしがよい。または田舎の親戚に遊びに来たような雰囲気でじきに東京「男性」と瑞穂市「女性」の、連泊している免許皆伝の客人と親しくなり、40畳は師弟8人の踊りの輪ができ、本番前にwで勉強ができた。
予想外のハプニングだが、旅は道連れ、畳の踊りの輪は良い思い出でで、お寺の開放的な雰囲気の余禄であった。
 踊りは夜8時から10時半まで。ビデオカメラと一眼レフ、携帯、小銭を肩掛けショルダーバックに入れる踊り支度は、先週の愛宕町盆踊りに続いて 二週連続だ。
鮎料理を食べてから提灯に灯りがともる城下町を散策。妻の実家が近く長年鮎釣りと踊りは経験してきたが、近年歳のせいかやたらと和風な文化に惹かれるようになった。特に郡上踊りは日本三大盆踊りであり、さらに観光客や子どもも参加できる唯一の踊りであることに大きな意義がある。
踊る男女の粋を競いあう踊りの魅力と、浴衣と古民家、提灯、櫓、下駄など、山間で営まれる「踊りの輪」は「市民の輪」として地域に連帯していることに私は美を感じて汗をかき袖絞る。 

今年の鶴舞公園の桜見では異文化の肌の色が違う外国人同士が一同にシートに車座になり乾杯していたことにも美を感じたが、悲惨な異文化の争いがあるなかで、日本独自の「他者への礼」や 踊りの輪「連帯感」と共通する日本文化であり益々和風が好きになる。
 
目次
@情愛 A自然と調和 B信義と礼儀 C社会の一員 全エッセイ一覧
礼儀正しかった日本人

法律で定められていないが、それだけに人として心しなければいけない。
武士道  君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、卑怯を恥とし富貴よりも名誉を以て貴しとなす 
儒教 仁、礼、孝、忠、中庸の精神
信義  真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。人間の最も大切な心の一つ。「―に厚い」「―を重んじる」

情愛  他人の立場に立って思いやる深い心の情感。武士道精神の一つ。
情緒  事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起 こさせる特殊な雰囲気。「―豊かな作品」「異国の―があふれる」「下町 ―」
礼節  無人島で生活している人には関係のない言葉です。また欲望や自分の権利を主張する「求める」ものではなく、他人の立場を理解して礼を尽くす「与える」「他人を重んじる」「信義を通す」自分を律っして他人に接する和敬の念。
日本人の美意識  美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの日本人の心の働き。自然や故郷、他人に対しての調和的連帯意識がさまざまな美を醸成する。当サイトのテーマ「礼節」も言い換えれば飽くなき美の追求です。
調和と中庸   「徳」を突き詰めて考えたり先鋭化すれば悪徳になります。アリストテレスの倫理学で、「中庸」を徳の中心になる概念としている。過大と過小の両極端を悪徳とし、美徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。」
辞書にも「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、調和されたさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。」
活字文化  言葉は他人がいて自分が在る人間社会で協調して生活するための共通意識語,また善と悪のようなさまざまな規範を社会で明文化できるプログラム言語のようなものです