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 いいね!ボタン押してね末木剛博氏 抜粋
 
  日本人の美意識
は一般に「あはれ」といわれ『見るもの聞くこと、なす業に触れて、情の深く感じることをいうなり』と定義されている。またあわれは芸術全般の源であり、日本人の感情的、ものの考え方、美しく感じようとすることであり、日本の独特で特徴的なものである。平安時代には「あはれ」は多く哀の味に使われ,哀感が美意識の主位をしめていた。
この哀感に余情が加わると「幽玄」という宗教的な深い沈潜の情となり、ここに芸術の理想を見出そうとしてきた。一切の無駄や贅沢を排除した冷たく寂びた状態のなかに無限を感じるのである。「さび」は繊細な感覚でもののあはれを知ると同時に、事実への執着を離れて心を軽くしする。寂びは哀感の一つの淋しさからから生じる美意識で、淋しさを通して無限を感じ無限感で淋しさを癒す、そうした解放された軽さを楽しむ状態である。

 「侘び」も寂びに似た美意識でものの乏しさ貧しさをとおして無限の豊かさを感じ取る。
茶道の「侘び茶」は華美を否定して「貧しさのなかにこころの豊かさを保つこととし、「藁屋に
名馬つなぎたるごとし」で、乏しと欠如のなかに積極的に豊かさの美をみいだす趣味である。
「数寄」⇒欠け茶碗の「侘び茶」は「侘び数寄」につながり人への和敬の道徳を
つくりだしてここに日本文化の理想がある。

 
 

 この文章から私は外国人が不思議がる万博で並ぶ日本人に日本人の美意識を感じました。新聞のコラムにも「万博を成功させたのは入場者の叡智だ」書かれていましたが、暑さのなか長時間並んで待つことは快適にあらず汗しながらの苦行であり、「見るもの聞くこと、なす業に触れて、情の深く感じることをいうなり」の「あわれ」と「侘び」に通じます。大勢の儚い人々がひとときの並んで万博を見ようとする行動は金持ちも貧乏人の差も無いあはれと侘びしさの「侘び茶」の精神であり、そこから無限の豊かさと共有する連帯感につながっていく。

 並ぶ人々の表情も明るく苦行からの「侘び」を通して、「茶道」の招く人と招かれる人のようなしみじみとした情感、和敬の念と慈しみを持ち、そこから豊かさと美しさを共有する「数寄者」の列になっているのかもしれない。少なくとも数寄者が混ざりこんでいます。
 団体さん、家族連れ、外国人、恋人同士、老夫婦、身障者などさまざまな人間が、さままな運命を背負って並んでいて、千差万別の運命を持つ人が、並ぶという共通の意識で列をなし運命を共有するひとときが不思議で一期一会の情感を楽しみ、秒針のように過ぎ去る時間に「もののあわれ」の美意識を感じる。
 今日のテロの多発する混沌とする争いの絶えない世界に、或いは科学だけが巨大化して人間が脆弱化しる現代社会にこうした和の日本文化はとても尊く大切にしなければならない思想だと考えるのです。

すき‐しゃ【好き者・数寄者・数奇者】
大辞林でも 「すきしゃ」 を検索する
美についてWEB検索する。

1 ?物好きな人。好事家(こうずか)。すきもの。
「―の間に平七が細工求めたき旨申さるる仁(じん)出来(いでき)」〈露伴・風流魔〉

2 ?数寄の道に専念する人。特に、茶道についていう。風流人。

3 ?色好みの人。好色家。すきもの。

 日本の伝統文化 
華道、茶道、陶芸、俳句、短歌、水墨画、長唄、神輿、漆、書道、日本舞踊、盆おどり、川柳、着物、仏像、芸者、城、盆栽、日本庭園、浮世絵、日本画、神社仏閣、凧、うちは扇子、歌舞伎、能狂言、文楽、相撲、柔道、百人一首、かるた、花見、など独自な文化を持ち、一般的には礼節や和「他者」を重んじる国民性だと言われている。


 
 自作の陶器にミニ盆栽 自作の鮎の陶器

拙句
 釣竿に 止まるとうすみ 大過なし
かとの群れ 水の中にも 日向あり  
遠目にも 花びら付けし 1年生

句作りの ペン先にじむ 弥生かな 
 
花咲けば 月は遠くの ただの月 

川遊び 足の裏にも 夏来たる   
鮎一閃 光て竿の 重くなり
 燕の子 首かしげつつ 巣立つなり 
高原の テニスコートや 風光
おにぎりの 味の広がる 春野かな  
登り鮎 荒瀬高巻き とどろけり
菅笠に 雨の滴や香魚釣り 
浮雲も 洗ひ干される 梅雨晴れ間  
 

 エッセイ   日本人の叡智 05.8

 さまざまな言語、風貌、さまざまなファッションと習慣を持
つ世界中の国々の人が名古屋に集っています。会場への乗り物に
乗っただけで日頃見慣れない「外人」さんが目につき、また会場
内には至るところに肌と言葉の違うカップル、家族、親子、グル
ープが歩いています。そして外国のパビリオンへ入ればその国の
歴史や産業、風習などに触れることができて、海外旅行では味わ
えない民族の重みを感じることができます。
 外国館は巨大映像などが主の先進国と工芸品等の実演、販売が
主の後進国とに大別できますが、モノクロ人間の私は後者に興味
が湧きます。後者は産業を振興させる機会として自国の特徴と
か、民族衣装をまとう現地の店員と「ハウマッチ」の触れがあり、
地球という星に住む人間同士の平和と共存の大切さなど「愛、地
球博」のテーマと生きているロマンを充分体感できるからです。
それらの得がたい体験が身近でできることは開催国日本人、とり
わけ愛知県民にとり幸せなことではないでしょうか。
また暑いなかで長時間並んで待つ人々のなかには価値観を共有す
る不思議な連帯意識のようなものがうまれて、苦行も楽しいとば
かりに老人に折りたたみ椅子を貸したり、他府県、他国の人々と
談笑したりしていて、人間の意外性とりわけ日本人の和やかな国
民性と、万博を成功に導こうとする善意と知恵であることを感
じさせます。 
 そしてそれらを確かめたくて再び出かけることになるのです。      
       
万博に 列なす民の 日永かな 順風

エッセイ おくりびと受賞

 2009,2,22日のテレビ「サンデープレジェクト1.000回」で、
今日の日本の現状を憂うテーマ「なにを拠りどころにするか」に
対して、コメンテイターの経済学者中谷巌氏は「日本の美意識」
評論家桜井よしこ氏は「他者愛」の発言をされました。内容を聞
いていてお二人とも日本の良い文化、日本人の精神性を活かせ、
復活せよと言う意味と理解して、当サイトのコンテンツ内容と同
じで驚きました
 タイミングよく日本映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞
して映画館は大盛況ですが、ノーベル賞受賞ともども謙虚に学ぶ
姿勢をもつ日本人の特性の結果ではないでしょうか。
 映画はまだ見ていませんので推測ですが、日本の文化「茶道」
には招く主と招かれる客人のそれぞれの作法「礼儀」がよく知ら
れていますが、「送る」作法や礼儀も日本人のこころ、 精神性、
生死観の表れと言えます。そして他人を尊重して送り出す日本人
の美しいこころが外国の人々に理解されたことにも感動します。
 終局「人の死」に礼を尽くすこころとは、結局は生きることの
尊さにつながることで、反戦の名画に勝っての受賞でしょう。
    

  ドナルド・ローレンス・キーン(Donald Lawrence Keene
肥田美佐子のリポートドナルドキーン 日本に永住 
 
    
ドナルドキーン氏に限らず多くの外国人の日本人評は「礼儀深さ」ではないでしょうか。
東日本震災被害の人々の節度ある行動が外国メデアに賞賛されました。無人島で一人で生活している人には礼儀や信義は要りません。他人と一緒に住むところには他人を意識した節度ある行動をとることが「礼儀」だと定義できます。
 ドナルドキーンさんは外国人と違う日本人の特徴を「自分を出さない」ことだと言われましたが、それは謙虚さや奥ゆかしさ、謙譲の美徳と言う意味と同時に、他人を尊重する、他人を立てる、敬意を払う、人様に迷惑をかけるな、などの他者への配慮や思いやり、生命をもつすべての他者に対する信義と愛情です。
西洋ではこのような他者愛は自己愛(エロス)を超越した人のステージで、アガペー(天上の愛)と言います。
ニグレンは「エロスは人間的な愛であって(自己実現の愛)原理的に自愛であり、自己中心性を脱することができず、利己主義に近づく危険がある。反対にアガペーは人間的立場に対する優越性をもち純粋に無動機の他者実現の道。」西洋の哲学者が説いた愛を日本人は平均的「半数以上」に美意識として持っていたのではないかなと思います。言い換えれば集団のなかで自己を出すことは美意識では醜、信義では恥という感覚でしょうか。
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ドナルドキーンさんが東日本大地震を契機にして「大好きな日本を元気づけるために移住する」決意をされました。ご高齢のキーンさんにとっては放射能汚染国への移住は大決心の要る行動で、日本人は感謝すべきであり嬉しいことです。
博士のご厚意に微力ながら報いたく、そのことをツイッターでつぶやいたりfacebookに投稿したりしていますが、当サイトでも日本人について改めて考え博士を紹介させて頂きましたが、博士の日本人に対する信頼を裏切らないよう、信義に恥じないように美意識を持ち行動したいものです。
また今回の大被害を受けて日本人の美意識は過酷な天災列島に大きな影響を受けていると感じました。繰り返される自然の脅威、畏怖から人の儚さにつながり、同病相哀れむで他者「同類、生物」への慈しみや連帯を受け継いできたのでしょう。
2011.6

「他者愛」のキーワードでGoogle検索してみてください。約 34,300,000 件中の一位に当サイトの「自己愛と他者愛」が表示されます。

     
   
「いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり 

最近日本人のなかに経済物質文明から逃避するような他者との関わり、ポリシーや価値観の共有「シェア」、支援等への参加などを生きがいにする行動が見られるようになりました。
その行動を顕著にしたのは未曾有の大震災、Facebookの登場,キーンさんの行動などかと思わます.。
ドナルドキーンさんの日本への帰化も、震災を契機として愛する日本人と生死を共有したい気持ちの表れでしょう。2011.6.30
「いいね!」「Like」 「シェア」から始まる人々の横のつながり
NHKのクローズアップ現代2011.6.28抜粋

 いま、消費者の間でモノやサービスを共有しようという「シェア」が広がっている。車を共有するカーシェアの会員数はこの一年で4.5倍。ビニール傘などの日用品の共有から、オフィス、一軒家のシェアまで、その動きは今、急速に拡大している。背景にあるのは大量消費社会への疑問。そして若年層を中心にした、「シェア」を通して「誰かと繋がりたい」という欲求の高まりがある。
 インターネットの普及によって、地縁や血縁とは異なる、趣味や好みを「共有する」コミュニティが誕生し、「シェア」の広がりを後押ししているのだ。さらに、「シェア」によって誕生した新たなコミュニティは、跡継ぎ不足に悩む農業を応援し未来の地域社会の形を探ろうというプロジェクトなどにもつながり、いわば「夢」の共有にも発展している。大量消費を追求してきた人々の前に現れた新しい価値観「シェア」。その可能性に迫る。

今在るものや夢とかポリシーまで共有したい、同類でありたい、分担したい、応援したいと言う行動を若い人たちが持ちだした。その心は合理性や物資的豊かさだけではなく、精神など人間そのものへの関心、信じあいたいこころ、自分もシェアして参加したり応援できる喜びを求めている。
NHK クローズアップ現代
 
 すべての人間を震撼させた天災  

 3月11日の午後三陸沖でマグニチュウド9クラスの大地震が発生。その10数分後に見たこともないような巨大な津波が沿岸に押し寄せて、まるで爆撃後の焦土のように地域や家族、会社、学校の絆を消滅させました。
 そのすざましさをテレビで報道されて被害を目の当たりしたすべての日本人を打ちのめしたのです。その上原発が損傷して深刻な日本列島の危機が世界に伝えられました。


 現在世界の原発専門家の協力を得て、手がつけられなくなった怪物を必死でなだめていますが、手探りで綱渡りをしている状況ではないでしょうか。
 この事故でイタリアとドイツが脱原発を宣言しましたが、日本では原発利権連合と目される人が首相を交代させる動きをしています。

 科学は1+1=2の世界ですが、科学をいかに人類に役立てるかは感情の動物たる人間であることに深い憂慮を感じます。今回の津波想定の考えられないような科学者や電力業界の甘さは、原発勝ち組の馴れ合いと驕りがもたらしたと断定できます。わが世の春を謳歌する政官財学の利権連合の面々に、天災の厳しさを具申することはできません。これは国の中枢にいる人たちが日本と日本人のための行動はできないということで大変恐ろしくて不幸なことです。
大きな推進の流れに逆らうことは私を含めてなかなかできません。
 家族愛や会社への忠誠心、また地元への安全神話を説明してきた手前だとか、勝つか負けるかの感情とかの自己愛を優先して、つい曖昧になってしまうことが人間の脆弱性です。言わば世界は人間欠陥に震撼したと言えます。


 このような自己愛に酔いしれている人たちは、人の手に負えないような利権怪獣でも手懐けられるという妄想を描きますが、当初の原発の危機認識が外国メデイアと大きくな差があったことは、隠ぺいではなく事実を理解できずに右往左往していたと推測できます。

 人間の脆弱性は1+1=?であって、原発そのものの危険度より不安定な感情「傲慢、怒り、妬み、勝ち組の優越感、
ノイローゼなど」の動物であることを認識すべきですが、その認識は悲しいかな人の上に立つ人ほど少ないようです。

震災から3ヵ月がたち暑くなって業界は電力の危機を煽り、そのためか脱原発を曖昧にする地方自治体が増えてきましたが、全生物は地震、噴火、台風、津波、隕石などマグマ活動する危うい地球で生活しています。人類は命よりお金を大切にする本末転倒な方向を目指す、危険な怪獣のリスクを抱える大量消費拡大経済を考える時期が来ているのではないだろうか?。

その昔に大きな天災で恐竜が死に絶えて小さなゴキブリやネズミが生き延びたと言われていますが、大量消費「恐竜」=欠陥人間が大層なオール電化等の盲信してはいないだろうか?。 
 
 自らの欠点を知らない動物はもろいものです。人類もゴキブリになれとは言いませんが、スローライフやエコ社会など欠点を知る身の丈に合った生き方をすべきだと思うのです。 

 「?人類」における賢明さとは謙虚に慎重に生きることでしか得られない訳ですから。

「上段の「シェア」から始まる人々の横のつながり」が脱物質文明だとしたら、また多くの人が亡くなられた大震災が、日本のためになる舵を切るきっかけなら少しは救われることです。

「復興支援善意の輪」をUPしました。
http://www.geocities.jp/oiroy61okeus/newpage320.ht..


  追伸2011.7.6
昨日の新聞で各地の「反原発訴訟」が殆どが危険はないと否決されてきたが、今回の原発
事故は今後の判決に影響を与えるだろうと報じられました。
政官財学の原発利権勝組連合に司法の認識も影響うぃ受けて甘かった訳ですが、
庶民は世の中の大勢に流さることは歴史が証明していますが、司法に携わる人も人の子
だったのです。戦争に進んだ愚かな大勢の教訓も人間は役に立てないことは
悲しい現実だと、その危うさ「欠点」を認識することしか方法はないのでしょう。
ここに哲学や芸術の存在価値がでてくる。
     
  
 
目次
礼儀正しかった日本人
武士道 君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、卑怯を恥とし富貴よりも名誉を以て貴しとなす
儒教 仁、礼、孝、忠、中庸の精神
信義 真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。人間の最も大切な心の一つ。「―に厚い」「―を重んじる」
情愛 他人の立場に立って思いやる深い心の情感。武士道精神の一つ。
情緒 事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起 こさせる特殊な雰囲気。「―豊かな作品」「異国の―があふれる」「下町 ―」
礼節 無人島で生活している人には関係のない言葉です。また欲望や自分の権利を主張する「求める」ものではなく、他人の立場を理解して礼を尽くす「与える」「他人を重んじる」「信義を通す」自分を律っして他人に接する和敬の念。
日本人の美意識 美に関する意識。美しさを受容したり創造したりするときの日本人の心の働き。自然や故郷、他人に対しての調和的連帯意識がさまざまな美を醸成する。当サイトのテーマ「礼節」も言い換えれば飽くなき美の追求です。
調和と中庸 「徳」を突き詰めて考えたり先鋭化すれば悪徳になります。アリストテレスの倫理学で、「中庸」を徳の中心になる概念としている。過大と過小の両極端を悪徳とし、美徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。」
辞書にも「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、調和されたさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。」
活字文化 言葉は他人がいて自分が在る人間社会で協調して生活するための共通意識語,また善と悪のようなさまざまな規範を社会で明文化できるプログラム言語のようなものです
これらは法律で定められていないが、だから人として心しなければいけないこと。
 
2014.1..テニスクラブのポリシー

当会には会則があり入会された方は遵守して頂くことが条件ですが、残念ながら現場では下記のような不信感を抱く言動が散見されます。会員の大半が私を介して入会して頂いている関係上、常識的協力的な会員が不快感を持たれることに責任を感じてポリシーを一部書き換えました。

?  強者弱者がはっきりと差のつくテニスにおいて、強者は人間関係まで上であるかのような言動が後を絶ちません。例えば1、運動のために参加されている人もいるなかで、聞かれもしないのにプレー中のパートナーのミスに、手を休めて相手ペアを待たせて持論を押し付ける。2、対戦相手ペアを物足りないとして強者ペア側が組み代をしようとする言動。3、負けた相手ペアにコートのブラシ掛を強要する。4、ダブルスなのにパートナーを無視して単独で走り回り、自分だけのパポホーマンスを演じる。5、11時からランダムで対戦する時間帯を設けてあり、交代はベンチで待っていた人が優先するのに続けてゲームをする。「2回り待つ人がでてくる。」6、11時からのランダム時間を10.30から切り替えようとする等々で、守られている規律を自分の存在感を高めるために変えようとします。

?  目立ちたがり屋、仕切りたがり屋の上から目線ですが、当人の目線は下にいる弱いものへのイジメであることが目に写りません。特に2と3は直近で行われた当会で初めての行為で、黙っていると傲慢さはエスカレートする特徴がでます。2については自分が格上だと自覚するなら「弱者に練習をさせながら、ゲームではさりげなく勝つ」難しい課題を自分に課すべきです。また当会のランダムで対戦できる時間帯はそのために設けてあります。

?  他人との関わりを重んじるサークルとかコミュニティ、また人間社会において、共通する概念は他人と価値観を共有してより良い環境を共同でつくることです。自分独りだけでは何もできないが、他人を活かすことで自分も生きられる場ができます。そのためには他人を尊重することが基本になりますが、時には他者が一位で自分は二位で良いという穏やかな考えも必要。
 逆に自分を尊重して自分はNO1という高慢な人ばかりでは争いが絶えません。宗教対立の惨状が良い例ですが、礼節、マナー、良識という言葉は他者のために在る言葉です。
 当コミュニティは16名中大多数のメンバーは、他人を尊重できて「全員が楽しく遊ぶ」価値観やポリシーを共有できる常識的で善意な方々であり、その人たちにより当会の和が保たれて運営されていると言えます。
 一部の上から目線な人は”下々”な和のグループに入ろうとせず、一段高いところに居て命令的な指図をすることになり、ターゲットにされた善意な人たちに不快感を感与えます。
 過去には当会を肌に合わないと脱会して自分のサークルを作った人もいましたが、自分を主張する人や当会に不満をもつ人には正しい選択です。何故多くの協力者が作り上げたフレンドリーな土俵(コート)で自己中心的なパホーマンスを演じるのか?。他所でできないから当会の善意なグループを利用していることになる。

?  平等が趣旨なら誰でも意見や指図、主張ができるのでは?。できません。何故なら現場や人としてのマナーを知らない自惚れた人のご意見や主張はすべて的外れで問題を起こすだけです。この問題を証左できることは、他人を重んじる大多数の協力者にはそのような指図や会への意見は皆無である事実が、人間性の真理の帰結であることを表しています。2014.1  

2008.7 礼節は自由社会での戒律
 当管理人が参加している「コミュニテイ広場」で友人Dさんの「イスラム教徒の戒律や敬虔さに鑑みて、現在の日本に信仰心は必要か否か」の日記に多くの賛否の反響があり、私も下記のようなコメントを記しました。

 「宗教は人々の心の拠り所になりますが、度が過ぎると弊害をもたらします。どのあたりが妥当か?手を合わせたり頭を下げる祈りは、自らを真摯にさせ自己を律する。この程度の信仰で良いのかも知れません。
 
 仏教の戒律は他の宗教にみられるように厳しくありませんが、それだけに社会の一員として法律で定められない社会道徳などのルールを、自戒して規範としなければならずこれが自らに課す戒律でしょうか。
 自由な民主社会のなかでは自戒は重要なファクターになります。自己愛を抑制して他人を意識した「礼節、信義、信頼、善意、謙虚」等の言葉に留意しなければなりません。留意することが他者「社会、地域、自然、他人」を重んじる「他者愛」につながります。

 他者愛はエゴなどの自ら律することで社会に規範となる秩序をもたらすものです。

 武士は命より信義、名誉を尊んでいたようですが、これは他者に真摯に対応していたことであり、庶民も他人のことを「人さま」と呼び、
人さまに迷惑をかけることを最も恥ずべきことだと考えていた時代がありました。”先生さま”とか”お巡りさん”も尊敬される立場でした。
 日本には日本の良いところが多々あり、昔は貴族社会にも庶民にも習い事を尊ぶ風流人が多くいて、その結果日本にはさまざまで豊かな文化が育まれて現在に至っています。「習う」という行動は「祈り」と同じ自らを律する謙虚さの表れです。つまり社会や他人を常に意識し、重んじて暮らしてきた現れです。

 しかし近年他者を重んじる風潮は廃れて自分さえ良ければの自己愛者が増え、社会の退廃を憂う事態になっています。
識者はこの風潮を「活字文化の衰退」「Artがヒトを人間にする」「社会に美しい秩序を欲する美意識の欠如」と文化的衰退を指摘しています。

 つまり文化の衰退が自己愛を超越できない精神の貧しい人を増加させているのです。通りすがりに簡単に人が殺されたり、弱者からひったくりする社会に心の痛みや悲しみ、社会の不条理等に怒りも何も感じない我関せずな人「自分さえ良ければと傍観している自己愛者」が増えていることがなによりの退廃です。

 高齢者の私が下記の信念でおこがましくも草の根で文化を訴えています。
1、仕事の定年はあっても社会の一員としての定年はない。
2、自己愛は結局は自らを滅ぼす愚考であり、
  他者愛が究極の自己愛である。
3、仏教の「因果応報」の教えで自己愛者は結局は、殺伐とした社会で自分や自分の子孫でツケ払わなくてはならない。
4、逆に他者愛者には広く愛する対象があり、その愛を他人と共有したい、知ってほしい、共に愛を分かち合いたいと、愛するものを絵画で描き、愛するものを土で捻り「陶芸」、愛するものを言葉で綴り「エッセイ」、俳句を詠み、キーボード「HP」を叩く喜びがあります。」

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  この投稿は私に一つの宝を与えてくれました。

 「自由社会での戒律は自らに課すべきもの」という考えで、当初から持っていたものではなく、コメントを推敲しているうちにコロリと出てきたもので、改めてて活字文化の意義を感じました
文字は漠然としている事象を推敲して明文化して個々の思想にでき、さらに定義したり整合性を高めて法に定めることもできます。
 
 従って時間を置いて「平常心になり」推敲を繰り返すことが大切で、文章のつじつまを合わせたり流れをよくすることに努め、ある流れが文章にできると、文章は一人歩きするように進み視界が開けてきます。
今まで見えなかったものまでが見え、自分の予期しない場所にまで到達することがある。こうしたものの積み重ねで人それぞれの考え方が「信条、思想」になり、目に見える活字で刻印しておく。

 社会から活字文化が衰退することを危惧する理由がここにあります。その上活字を含む習い事など、社会から学ぶことは何も無い考えの人の増加「文化の衰退」は、思想、信条、道徳観が貧弱になることは否めず、戒律をもつことまでは無理?ではないでしょうか。

     
2014.2,革命的発見 STAP細胞
 
自分の名を売ることや金儲けが目的ではく、子宮を失った女性に取り戻してあげたいという、女性特有の優しさと感性、女性力が今回の世界的大発見につながった。子宮を持っていない男性では成し得ない発想と言える。小保方晴子さん!。日本人に希望を与えてくれて有難う。 \(◎o◎)/ ! 世界はまた日本人が!〜♪゜・*:.。. .。.:*・♪と驚いていた。
 若手バレエダンサーの登竜門として知られるスイスのローザンヌ国際バレエコンクールの最終審査が1日行われ、長野県の男子高校生が優勝したほか、2位と6位も日本人が受賞し、入賞者の半数を日本人が占める快挙となりました。
 思うに日本は島国の農耕民族で,
他国との争いごとも少なく昔から庶民も文化と習い事を楽しむ余裕と風潮がありました。
私も習い事は多い方ですが、「習う」という行動は社会や他人を意識した自らを他者の領域に合わせようとする謙虚さの現れであり、他人への礼儀と慎ましさを表しているように思う。
 私が主宰する小さなテニスサークルでも、大きな人間社会でも他人との関わりをもつ集団で共通するコンセプトは他人への尊敬です。他人を活かして自らも生きられるより良い社会になります。自分ひとりでは何もできない。調和を旨とする集団では他者が一位、自分は二位でよいのでは。だって自分がNO1だと思う人ばかりでは共有も調和もなく争いが絶えないでしょう。
自分も習うことで他人に追いつきたいという古くからの敬う風習が独特の日本の文化を築き、現代では礼儀深さや情感文化、和食等は世界に賞賛されている。
 世界に目を転じると国と国とが足の引っ張り合いばかりで、自分は正しい相手は間違いの指導者の傲慢さが世界を蹂躙してはいないか。特に近年のお隣さんたちとの軋轢は辟易する。自分はNO1ばかりでは戦争も辞さない雰囲気だ。いまこそ日本の穏やかな文化が今界に待ち望まれてはいないだろうか。
今後はこうした国民の特性が花を咲かせて日本人の時代が来る予感がするが、革命的期待だろうか。