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 外部link 日光江戸村

江戸と言うと随分昔のことのようだがわずか150年ほどしか経っていない。武士はちょん髷で帯刀し、士農工商の身分制度があったが、それ以前の時代とは格段に平穏な社会で、文化的なものが庶民にも受け入れられ、芝居や相撲、大衆文学を楽しんで錦絵「版画」が普及した。趣味には身分の差はなく実力が優先していて、特に女性「武家から町人の娘まで」が踊りや三味線、生け花や茶道、義太夫、小唄や長唄、川柳や狂歌などの習い事を楽しんだことが大衆文化を発達したと思われる。「現在も昔も女性は逞しい」
「侘び寂」と「粋と風流」は英訳し難い日本人の独特な感性であり自然観です。なので日本人の性格はこれらに大きく影響を受けていると言えるでしょう。
例えば桜の時期に屋外で花見の宴を開く習慣は、桃山時代からあったことが知られているが、 開花した異文化の花見

●春夏秋冬の日本の四季を生老病死に置き換える。
●雄大悠久な自然の前の小さく儚い命の対照。
●「春=生」桜の下で人々と平穏さを喜び睦み会う。
●花筵で他者と輪「和」になることが好き。
●蓆に座すと周辺の草花と目線が同じ高さになり自然の一員

我が背丈 野花に合わす 花蓆 拙句です
引用 外国人江戸見聞録
@『(中略)日本国民はあらゆる仕事のうちに、堅固なるその精神と、未だ目覚めたに過ぎない科学の与えうる限りの賢明なる精神とを、常に現はしている。私の試みた片影の描写を見た人は、日本人を野蛮民族のうちに入れはしないだろう。
私としては文明国民に比して遜色のないものと思っている。その政治組織、外国人に対する態度、その美術、土地の耕作、国内到るろころに見られる豊饒な産物、その他いろいろなものが、この国民の賢明にして意志強固に且つ勇気に富むことを證している。』『ツンベルグ日本紀行』山田珠樹訳 雄松堂書店

 
A『(中略)仮に日本と支那がヨーロッパの諸国と国交を結んでヨーロッパの制にならうと、人間同士の間の戦争はますます頻繁になり、よけいに人間の血が流れることになるのではないか」と尋ねた。「そうです、そのようになるかも知れない」と我われは答えた。「もしそうだとすれば」と日本人は続けた。
「さっきから二時間ばかりその利益をいろいろと説明していただいたが、日本としてはヨーロッパと交際するより、国民の不幸を少なくするためには古来の立場を守った方がよいというのが我われの意見です。」
正直言って私は、この遠回しの思いがけない反駁にどう答えてよいか知らなかった。そこで私としては、「私がもっと日本語が上手になったときには、もちろん我われの意見をもっと正しく証明することが出来るのですが」と答えるより仕方がなかった。しかし心中では、たとえ私が日本語の演説家になったとしても、この真理に反駁することは難しいだろう、と考えたのであった。』
『ロシア士官の見た徳川日本』徳力真太郎訳 講談社
『日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。廷臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるくらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾りたてていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそなえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた。』

五重の塔

『ヒュースケン日本日記』青木枝朗訳 岩波文庫
   2014.10
 
当時、幕府だけが公認できた遊郭や芝居小屋を名古屋の地で公認し、名古屋に芸能ブームをき起こしました。吉宗の緊縮令で出番を失った江戸・上方の役者や芸人が名古屋に集まり、まさに「芸どころ名古屋」が花開いたのです。宗春は、少々のことには目をつむり、民衆ができるだけのびのびと生活できるような政治を目指したのです。言ってみれば「人にやさしい」政治理念だったのです。何か現代にも通じるように思いませんか。
マニフェストであり家訓でもある『温知政要』を執筆したことでも知られている。

名古屋観光情報
より
こうした文化の名残は大須や 名古屋城から徳川園に至る地域に見られるが、平成という時代では名古屋大学からのノーベル賞受賞者が多いことや、日本のものづくりの拠点、また芸どころと言われることも、宗春さんの政策や文化的な視野の広さのお陰です。

江戸文化と歴史のページ

貧しさが原因で社会から孤立する市民はどこの国にも存在する。15年前にフランスが取った文化的政策で劇的に改善された例はこちらA
rtの入口TopD★
 宿なしで徹夜踊りを楽しむ方法

 
 名古屋には江戸文化を感じられる地域が残っています。尾張藩第七代藩主の徳川宗春は、江戸文化を積極的に名古屋に取り入れた。直接的な経済政策ではなかったが、庶民に文化的感動をもたらして視野を広げて活力を与え、創造力を養い芸事、習い事がものづくりに進展する。


 江戸時代の名残りの町「奈良井宿」
  

Wikipediaから

江戸時代(えどじだい、1603年(慶長8年)1867年(慶応3年)徳川時代とも)とは、江戸幕府によって日本が統治されていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つ。

慶長8年2月12日1603年3月24日)に徳川家康征夷大将軍に任ぜられ江戸(現在の東京)に幕府が開かれた時を始まりとし、慶応3年10月14日1867年11月15日)に大政奉還するまでの264年間を指す。

ただし、関ヶ原の戦いにおいて徳川家康が勝利した1600年(慶長5年)を始期、江戸幕府の本拠地である江戸城官軍(朝廷)に明け渡された1868年(慶応4年/明治元年)を終期とする見方も存在する。なお、徳川時代や、藩政時代の別称もある。ただし後者は、専らこの時代に特定の藩の藩領だった地域の郷土史における歴史区分として使われる。


 大衆文化が流行った江戸時代は「自分も他人のように芸事に秀でたい、習いたい。」という、
他人を意識した、さらに言えば他者を敬う気持ちからの行動で、2017年代の「自分ファースト」な「上から目線」の人には「習い事」などは在りえない発想である。
 
俳句 松永貞徳(貞門俳諧)西山宗因(談林俳諧)、松尾芭蕉(蕉風俳諧) 与謝蕪村 小林一茶
染めものその他 友禅染 小紋染 江戸切子 薩摩切子 ほっぺん 
音楽 地歌 長唄 浄瑠璃 胡弓 尺八 明清楽
絵画 狩野探幽 俵屋宗達 酒井抱一 与謝蕪村 浦上玉堂 池大雅 円山応挙 土佐光起
焼物その他 根付 漆器 七宝焼 有田焼 京焼 九谷焼 瀬戸焼 萩焼
浮世絵 歌川広重 葛飾北斎 喜多川歌麿 東洲斎写楽 鳥居清長
  
 
地歌 長唄などは検索で。

エッセイ「科学は人間を幸せにするか」

 
昭和のころは人生50年といわれていたのに、近年はアンチエイジング
(反加齢)医学の進歩で倍の百歳の長寿を可能にした。しかしハードに発展する科学に対して進歩性のない人のこころは、モンスターのように巨大化した科学の前に脆弱化して不安を覚え決して心が豊とは言えない。
 街中の高層ビルなど構造物は巨大で、個人の住いも重いドアと頑丈な
ドアと鍵をこしらえ、その上柵や塀でしきり屋内もプライバシーとかで個室が多くて、まるで外部と立しているようで、社会や科学が大きくなるほど脆弱さを持つ人間は阻害されたような孤独と不安を抱え、犯罪は異常さと低年齢化を招き世相を暗くして悪循環となります。

 
未開の奥地に住む原住民の生活をテレビで見たことがありますが、彼らは雨がしのげるだけの小屋に住み家財も少なく粗末な生活をしてるが表情は意外と明るい。原始的な社会ほど個人の生活は地域や他人、自然と関わりが深く、素朴な信仰や行事のなかで生き、個人の喜びや悲しみは地域とか全体で分かち合っている。
 例えば誰かの死に対して村中が泣き悲しんでいて、まさに自然の一員というつつましい姿で、科学の恩恵は受けられなくても愛情豊かで心は健全であり、少なくとも親殺し子殺し、うつ病の自分殺しは無いと考えられます。
 
 長寿を含めた物質的豊かさのなかの孤独で脆弱な国民より、貧しくとも豊かな文化を共有できる国民であるべきで、そのファクターとなるのは、他人を意識した人々との地域における連帯感や価値観の共有です。他人との信頼関係がベースにある生活が、健全な精神を育む人間社会の原点であろうかと考えます。

 この点について日本には先人が残してくれた世界に誇れる自己と他者との『和』の文化が残されています。日本人の礼儀深さや勤勉さ自然を凝縮した生け花、俳句、和敬静寂の茶道、枯れ山水の盆栽、苔蒸す社寺の浄土の庭園と思索の小道、悟りの禅と筆を惜しむ水墨画、幽玄な侘び寂びともののあわれの世界など、他人を意識して尊ぶ日本人の美意識であり文化です。

 またお祭りや盆踊りなどの地域に伝わる行事もしかりで、このような
文化を尊べる人は社会や他人を尊べる人であり、自己愛を超越した
他者愛者
として健全な精神、無欲な愛の連帯感をもたらすと定義できる
のではないでしょうか

Meb書籍、日本人の礼儀
2009.10

  

編み笠に 見ぬ恋つくる 風の盆  順風  
 
 
 
 
 
花見 春まつり 盆踊り 花火大会 夏祭り 観月 紅葉狩り 秋まつり 雪見 茶会など、自然と人間との関わりを常に尊び楽しみ文化となる。
2017.10.4

白鳥庭園の観月茶会

月は宇宙や地球の大なるもの。その下にいる人は小さく儚い存在であることを対照させる観月茶会は、なんと風流で粋だろうか。また愛おしい存在だろうか。
ここにも他人を敬ういにしえの文化が散見できる。蒼蒼たる大天空を眺めていたら、いにしえ人と気持ちが通じたような感覚になり一句。

蒼茫の いしええ人と 月見しぬ 順風