2.魏志倭人伝に登場する国

wakokukokumei.html

1. 魏志倭人伝の国の整理

魏志倭人伝を解りやすく解説するために国々の整理を先にしておきます。
そこで本項で、次のように語句を定義します。


資料1 魏志倭人伝解説用の語句の定義

☆「畿内」「葦原中つ国」

 まず、「
畿内」「葦原中つ国」を定義します。
九州の北岸にある末廬國に接岸してから伊都国、奴国、不弥国へと約東方向へ700里(約50km)移動しました。その次に南の方向に1300里(95km)のところに邪馬壹国があります。その間に少し道が逸れて投馬国があります。
したがって700里かける1300里の長方形の範囲内に末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壹国の6カ国があります。
中国の周の制度では王城の存在する場所の千里四方を「
畿内」と呼びます。王城は通常黄河流域にありましたから「中原」とも言います。
倭国の末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壹国の6カ国の700里かける1300里の長方形の形は2辺が700里+1300里=2千里ですから一片が千里の方形です。「
畿内」の定義に当てはまります。
そして、記紀ではこの「畿内」を特に「
葦原中国」と名付けています。その中に「出雲」も「大和」もあります。9項および9−1項参照

☆「女王国」

 次に「女王国」を定義します。
女王国とは女王の都する国で「邪馬壹国」の中にあります。倭国の極南にあります。翰苑という書物では邪馬嘉国の百女(ももそ)国と表現されています。210項参照。

☆ 「女王国以北」

次に「
女王国以北」を定義します。
「女王国以北」とは狗邪韓國、対馬国、一大國、末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国の併せて8カ国と邪馬壹国の中の女王国を除いた国を併せた国のことであると定義します。これらは「女王国より以北の国」で「里程」が記載された国です。

☆ 「畿外」

倭国内で、「畿内」6カ国以外の国を「
畿外」と定義します。
畿外は結局、狗邪韓國、対馬国、一大國と某国21カ国を合わせた24カ国になります。

☆「女王の境界」

 次に「
女王の境界」とは「倭国の領域」と定義します。女王の境界より外には女王の主権がおよびません。
したがって倭国=「女王の境界」とは女王国+親王国8カ国+某国21カ国=計30カ国のことです。「使役通ずるところの30カ国」に相当します。

☆「倭国外の国」

 それ以外の国は「
倭国外の国」と定義します。
倭国外の国とは「狗奴国」、「名前のない国」、「侏儒国」の3カ国です。女王の境界より外ですから女王の主権がおよびません。



2.外略図

この資料1の関係を魏志倭人伝から読み取って概略図にします。

図1 魏志倭人伝の概略図


この形を見ると末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壹国、某国21カ国、狗奴国のある島は四面を海に囲まれています。末廬国が九州の北海岸であるとするとこの洲とは九州に他なりません。
魏志倭人伝の「海中洲島の上に絶在し」とは、島が壱岐対馬の2島であり、洲は九州であり、確かに「絶在」しています。

何故、「洲」が九州であると明確に言えるのか?
「海中に絶在した」からである。
意味は?
例えば本州の東の端は津軽海峡があるとこの時代に解っていたか?
いや、せいぜい近畿辺りまでしか地理は解っていなかった。
ならば本州は「海中に絶在し」とは解っていなかったということである!
その通りである。それで?
ならば本州はこの時代、「海中に絶在する洲」ではない!
それで?
九州は「海中に絶在し」は解っていたか?
解っていた!
ならば、「洲」とは九州である。

その他の回答の可能性は0%です。よって次のように定義します。


資料2 語句の定義

「海中洲島の上に絶在し」の「
」とは九州、「」とは壱岐・対馬である。



3.伊都国について

何故、伊都国について「特に」考察するのか?
それは伊都国にのみ「到る」となっているからである。他の国は狗邪韓國以外皆「至る」である。
何処が違うというのか?
「到る」は「到着した」である。しかるに「至る」は「もし行けば」である。
その意味は?
よって、伊都国が最終目的地であり、途中は寄港ないしは滞在していない。伊都国から先も無論行っていないである。

図2 伊都国概念図


では、どこから卑弥呼の居城を見たというのか?
伊都国の山から200里(14km)先以内に見えたのである。
卑弥呼に会いに魏志倭人伝一行は来たのではないのか?
違う!日本国王は一大率であり、崇神天皇であって、卑弥呼は倭国王として邪馬壹国の京都に居り、使者とは会っていない。例えば江戸時代の徳川幕府と天皇の関係のようなものである。外国使節と会うのは幕府関係者であり、天皇は裁可を下すのみである。
では伊都国とは幕府みたいなものであるというのか?
そうである!通常は男王が倭国王であるが、現在は倭国王が女王であるために、それを補佐するために「特に一大率を置き」なのである。

伊都国について魏志倭人伝につぎのように記述されています。


資料3 魏志倭人伝の抜粋

(伊都国には)世
有るも皆女王國に統属す・・・・中略・・・・
女王國より以北には、特に
一大率を置き、諸國を檢察せしむ。諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す。國中において刺史の如きあり。王、使を遣わして京都、帯方郡、諸韓國に詣り、および郡の倭國に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。


解りやすくするために一大率を定義しておきましょう。
一大率は壹国の大率(=大将軍)とも読めます。一大率は刺史のようであると魏志倭人伝に記述されています。三国史の時代の刺史とは「軍権を有する将軍」と辞書にありますから将軍という名前を持ち、軍事を統率する役割を背負っていたと思われます。代表的な名前を挙げるとすれば景行天皇や日本武尊でしょう。
したがって「倭王」=女王の他に「将軍」も同時に存在していたことになります。


資料4 語句の定義

一大率とは、「倭国において、女王国を除くすべての国々に軍権、行政権を行使することのできる大将軍」である。


故に「日本国王」=「一大率」=「女王を補佐する男弟」=「男帝」でもあります。


4. 「某国=邪馬壹国傍国」21カ国

魏志倭人伝に出てくる「その余の某(傍)国」とは、邪馬壹国に隣り合っている国という意味でしょう。
これらの21カ国の国群を総称して、「邪馬壹国傍国」と名づけます。
魏志倭人伝を読み解くと、畿内親王国9カ国の西側に接している事になります。
何故なら、畿内親王国9カ国の東側には海を挟んで「名前の記述されない国」および「侏儒国」があり、南には」狗奴国」が接していますから必然的に西にしか位置できません。

したがって位置的には現在の福岡県の西半分に当たります。
その国名の中で現在の地名と関連が深く容易に想像できるものだけを抜いてみるとつぎのようになります(順不同)。
魏志倭人伝より抜粋します。


資料5

女王國より以北はその戸数、道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして詳らかにすべからず。

次に
斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に都支國有り。次に彌奴國有り。次に好古都國有り。次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に對蘇國あり。次に蘇奴國有り。次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。次に鬼國有り。次に爲吾國有り。次に鬼奴國有り。次に邪馬國有り。次に躬臣國有り。次に巴利國有り。次に支惟國有り。次に烏奴國有り。次に奴國有り。
これ
女王の境界の尽くる所なり。

対馬=つしま、一大=いき=壱岐、斯馬=しめ=志免、己百支=須恵、好古都=はかた=博多、華奴蘇奴=かすが=春日or粕屋、都支=月=つきし=筑紫、鬼=き=甘木、為吾=おごおり=小郡、対蘇=とす=鳥栖、躬臣=くるめ=久留米、弥奴=みぬ=水沼=三潴、耶馬=やめ=八女

対馬から壱岐まではだれも異論のないところでしょう。
己百支は五百巳で伊邪那岐命・伊邪那美命が向かい合った宇美・志免を挟んだ須恵(千五百マイナス千=五百巳=イホミ=イワミ=石見=柿本人麻呂の出生地)のことです(95項参照)。
好古都は都という好字が珍しくつけられていることと、「はかた」という表音から伝統ある都の博多(好古都と読める)にします。博多の箱崎宮とは好古(ハコ)崎宮のことです。
都支(つき)も都がついていますから大宰府があり、「つき」という音の似通った筑紫にします。

鬼は木に通じますので語尾に木のつく地名の多い甘木(一木、美奈木、秋月)とします、また甘木は後でも考察しますが、五十猛が筑紫より始めて日本中に木を植えた最初の土地です。甘木は元、「天木」だったのではないでしょうか。
その他の国々は表音から推測しました。

これらほぼ確定できるものだけを並べてみるとなんと博多から八女まで現在の国道3号線沿いにずらっと並んでいるではありませんか。しかも途中に大宰府、大保府(どちらも古代の行政府)があります。少し右に逸れれば甘木、朝倉、浮羽があります。したがって卑弥呼の時代からこの線は一級国道であった訳です。

後で第7章20項で考察していますが、この「邪馬壹国傍国」の範囲と現在の「筑紫」の範囲が重なります。したがって、「邪馬壹国傍国」=現在の「筑紫」と考えられます。古代では筑紫とはもっと東よりの区域を示していました。
邪馬壹国傍国とはホツマツタエの「月隅の国」に当たるものでしょう。

また、筑紫とは伊邪那岐命の母国です。
スサノオ尊と天照大神は誓約(互いに相互の国を侵略しないと言う不可侵条約でもあり、互いに女王をいただきその元に参集するという取り決めでもあり、同盟契約でもある)を結び、共同で
国土経営にあたっていました。

つまり、「
邪馬壹国」と「筑紫=邪馬壹国傍国」は「誓約」で結ばれた「同盟国」だったのです。「誓約」の中には共通の盟主として女王をいただくという項目もありました。初代女王が誓約の結果生まれた宗像三女神です。その後この女王制度が大化改新まで約700年間続きました。大化改新とは「女王制度」つまり「誓約」を廃止して天皇家が頂点に立つという政治的枠組みの大きな変革だったのです。


図3 倭国某国21カ国

その他類推が難しいけれども無理して推測すれば、杷木の近くの原鶴は巴利尻からきているので巴利国は杷木とします。支惟(きい)国は基山伊邪国、奴国は地域はどことはっきり解りません。

卑弥呼の政務を取り仕切る人物として「月読の命」の名が度々出てきますがこの人物は月国(筑紫)および黄泉(よみ)国(カスヤ)の「筑紫黄泉の命」とも読めます。後でカスヤに古太宰府があったと推理します。

某国は「府」という行政単位であったと思われます。この某国の域内には大傅府、大宰府、大保府という地名が残っています。この三府で某国全体をまとめていたという可能性があります。
畿内親王国=葦原中つ国は京都を中心として機能し、その周辺の国は副都として「府」を行政単位として何箇所か持っていたと思われます。


このように「
邪馬壹国傍国」がこの地域に想定されると言うことは、邪馬壹国本体はこれらの国々に接しているはずと考えられます。北は海ですから、考える必要はありません。南には狗奴国があります。残るは東でしょう。


次へ   目次