「考えること」を考える

ある哲学者が「考えさせない時代に抗して-哲学な日々」という本を書いています。確かに、便利になって、お任せ社会になって、ややもすれば、観客になって舞台を見ているだけになりがちです。考えさせない時代になっているのかもしれません。
  不安だらけの社会の中ですが、しっかり考えれば、面白く世界を見渡すことができるかもしれないのに、思考を停止させてお任せ定食だけを食べているのでは、もったいない気がします。そこで、生物界、人間界のことを含めて自分なりの考えを書いてみました。
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No.146 「ホームページの移転の難しさ」(2018.12.6)

私は、この「ベランダ植物界」とは別のホームページ(有料)を1つ作成・運用している。10月に、そのサーバーを提供しているヤフー株式会社から「2019年3月末にホームページのホストサービスを終了する」旨を通知された。移転先となるレンタルサーバーの会社がいくつか推薦されていたので、先週から今週にかけて、そのうちの1つ(さくらインターネット)でホームページの引っ越し作業をした。正確には同じ内容のホームページを別のURL(ウエブページ上のアドレス)で作っただけだ。それだけなのに、とても苦労した気がするのでその概略を記述しておきたい。

   大まかな手順としては、初めに移転先のさくらインターネットに会員登録をし、レンタルサーバーの申込をする。そして、レンタルサーバの利用に必要な情報が送られてくるので、それに従って、自分のパソコンで作成しているホームページのファイルをアップロードするのだ。利用者の作業が完了するたびに、登録しておいたアドレスに、レンタル会社からメールで①「会員登録が完了しました」、②「クレジット情報が登録できました」、③「申込受付が完了しました」、④「サーバーの仮登録が完了しました」と知らされるので、作業の手順が間違っていないことが確認できる。この点は安心できた。
   苦労だったのは、サーバーの仮登録が完了してレンタルサーバーを利用する段階だ。会社から送られたコントロールパネルのURLをクリックしてパネルを開いても、その画面のボタンが全く反応しない(次のステップへ行くページが開けない)のだ。顧客の指示がネットワークに浸透して実行できる様になるまでには、数時間かかるということだったようだ。困って会社のカスタマーセンターにメールで問い合わせた。翌日に「既に使えるようになっているはず」という返事とともに、マニュアルが送られて来た。「やれうれしや」と感謝したことはいうまでもない。

   だが、マニュアルの手順に従ってファイルをアップロードしようとしたができなかった。自分のパソコンにあるファイルをサーバーに送るためにはFTP(File Transfer Protcol)という指令をする必要がある。この会社の場合、アドビ社のFlash Playerが必要とのことだが、私のパソコン(Windows 8.1)にはそれが入っていない。そこで購入することも検討し時間を費やしてしまった(そのせいでアドビの宣伝がポップアップしてくるようになった)。カスタマーセンターからはFFFTP(FTPソフトの一種)でも可能という返事とマニュアルが送られて来たので、それに従ってアカウントやパスワードを入れることで何とかサーバーが開きアップロードができたという次第である(ヤフーで使っているURLをそのまま使えないかも検討したが更に難しそうで中止)。
   入力の間違いは頻繁にあるし、インターネットのセキュリティが働いているために、パネルが開けないという現象もあるので、問題が起きたときに何が原因か分からないことが多い。だから、パスワードやアカウントの入力を繰り返すことになり時間だけが過ぎていく。ヤフーのサービス終了通知によって、いろいろ試行錯誤をさせてもらった。おかげで、以前にダウンロードしたのに使えないと思っていたFFFTPや検索エンジンのFirefoxが使えることが分かったのは、思わぬ副産物だった。
   参考諺:犬も歩けば棒にあたる、ひょうたんから駒。
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No.145 「こんにゃく座の日本語オペラ」(2018.12.1)

今週月曜日の夕方に外食で辛いものを食べたせいか、そのあと胸が苦しくなり深夜にとうとう吐いてしまった。その影響が1週間続いていて、今でも完全に回復した感じがしない(なのでこの随想も土曜日になってようやく書く気になった)。それでも頑張って水曜日には、地元の演劇鑑賞会のこんにゃく座のオペラ「アルレッキーノ」を見に市民文化ホールに出かけた。オペラを生で見るのは始めてだったので、声楽家のような歌声ばかりでは話の筋が追えないのではないかのと危惧していたが、案に相違して分かり易く、面白かった。講演終了後のロビーでの交流会にも出てしまったほどだ(参照→アルレッキーノ歌と動画・1分半)。オペラというのは、昔イタリアで誕生した音楽劇で楽士を伴奏とした歌手による劇だ。このオペラの原作者はカルロ・ゴルドーニ。18世紀イタリアを代表する喜劇作家で近代演劇の父といわれているそうだ。

   話の筋は、お調子者の道化のアルレッキーノが、給料が2倍になると考えて、2人の主人に仕えると言う話だ。舞台の背景に細い月がかかっていてファンタジーのような世界を醸し出している。ザンニ(いたずら悪魔が語源)という4人の脇役の道化が、歌ではやし立てたり、話の進行を解説をしたりするので、容易に理解できる仕掛けになっている。
   そして、この芝居の歌もせりふも日本語だった。最近、友人のMさんがプッチーニのオペラ「西部の娘」のアリア(独唱曲)「やがて来る自由の日」をイタリア語で朗々と歌うのを聞かせてもらった。すごいとは思ったが、イタリア語を知らない私には、今ひとつという感じは否めなかった。日本語であれば、歌はぐんと身近に耳に響き頭で理解できる。
   カルロ・ゴルドーニは、ベネチアの庶民(金もなく字も読めないような人々)を大事にした人だそうだ。この物語には3組の結婚話が進行しており、アルレッキーノの振舞いが切っ掛けとなっていずれの組も話がまとまる(アルレッキーノ自身も自分が愛する召使いの女性と結婚が許されるというハッピーエンドになっている)。社会問題を扱った芝居は登場人物の生き方に共感して感動できるものだが、ハッピーエンドで終わる話は、楽しいし元気が出てくる。腹立たしいことが多いのが現実世界だ。時々は愉快な出来事や話に接しないと生き辛くなる。喜劇はそのためにあるのだろう。

   オペラは、歌の良いところと芝居の良いところの両方を組み合わせているので、純粋に楽しめるものだと気づいた。オペラシアターこんにゃく座は、来年2月に新作のオペラ「遠野物語」を予定しているとのこと。何とかして見に行きたい(参照→こんにゃく座)。
   地元の演劇鑑賞会(NPO法人)には、2年前に友人に勧められて会員になった。毎月2千円を支払って、年に6回の演劇が見られる。つまり1回4千円で、都内に行かないでも有名な芝居を見ることができるのはうれしい。入会当初は1年で止めようかなどと思っていたが、今では、次回が待ち遠しくなってきた。次回は来年2月に前進座による山本周五郎の柳橋物語である。 たのしみ、たのしみ!   (先頭に戻る)

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No.144 「不平等条約の改正をめざせ」(2018.11.21)

日本には明らかな不平等条約がある。No.112「独伊の駐留米軍と在日米軍比較」でも書いた日米地位協定のことである。米兵などによる犯罪、米軍のオスプレイの事故、米軍機からの落下物による水産業の被害があっても、日本政府がまともに調査をすることさえできない。沖縄に集中する基地、東京の上空も米軍優先、日本の法令を守らない治外法権を認める体制が残っている。
   今年8月全国知事会は、日米地位協定の抜本的な見直しを政府に申し入れた(⇒8/14知事会7/27米軍基地負担の関する提言pdf )。与党の中にも、少数だが日米地位協定の見直しを主張している議員もいる。 そこで日本史の教科書でも習った過去の条約改正の努力について復習してみた。

   幕末に井伊直弼が結んだ日米修好通商条約は、安政の五カ国条約(米英仏蘭露と締結)と言われる。外国人が日本人に対して法を犯した場合に外国の領事が自国の法で裁判をする領事裁判権制度(治外法権)を認めたことと、日本側に関税自主権がないことが最大の問題だ。領事裁判権の弊害は次の事件を通して国民の目にも明らかになっていった。
   ①アヘンを密輸した英国人を「生アヘンは薬用だった」として無罪にした明治10年のハートレー事件
   ②神戸港で停泊中のドイツ船でコレラらしき病気が発生したのに、日本側には検疫をさせず出航した明治12年のヘスペリア号事件
   ③横浜から神戸に向かうイギリス汽船が暴風で紀伊半島沖で沈没し、英国船船長が30人の乗組員中ヨーロッパ人26名を救命ボートで救助したのに、インド人火夫と25人の日本人全員を死亡させた明治19年のノルマントン号事件。神戸の領事は「船長は過失責任なし」とした。
   明治政府は、条約改正のため明治4年に岩倉具視を派遣したが失敗に終わった。文明国になったことを示すため鹿鳴館での舞踏会も催したが、この頃はまともな交渉相手にされていない。不平等条約の改正が実現したのは、陸奥宗光(明治27)、小村寿太郎(明治44)の時代である。岩倉の派遣から40年間かかっている。この間に、大日本帝国憲法の発布(明治21)、帝国議会(明治23)、日清戦争(明治27)、日露戦争(明治37)、日韓併合(明治43)の経過がある。なぜこんなに時間がかかったのか。

   当時は帝国主義・植民地主義の時代である。外交の重要性を理解する国民は少なかった。列強から見れば、日本は法制度などの知力・経済力・軍事力が対等の相手とするに足らない国だったのだろう。「詳説日本史研究」によれば、英国が日本と領事裁判制度を撤廃した条約(明治27日英通商航海条約)を結んだのは、シベリア鉄道の建設を進めていたロシアの勢力を東アジアに拡大させないためだったとのこと。英国の思惑は英国の政策に日本を利用することだった。関税自主権の回復は日露戦争の勝利から6年も後になった。一度手にした利益は容易には手放さないのが国際社会だ。
   現代の不平等条約はどうなるのか。昭和26年(1951)にソ連や中国などを除く48カ国と日本とがサンフランシスコ平和条約に調印し独立を回復したと言われているが、実際は沖縄の占領や米軍基地の治外法権は継続したままとなった。今でも米軍に守ってもらいたいとか、米国に従っていれば何とかなるだとうという楽観的な人もいるが、不平等な条約を放置したままでは、日本の負担や犠牲が増えるばかりにならないか危惧される。全国知事会の提言は控えめだが、まともなことばかりだ。この提案通りに政府が米国と交渉を始めたとして、やはり40年もかかるのだろうか。   (先頭に戻る)

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No.143 「カンガルーから考える」(2018.11.10)

カンガルーやコアラは、おなかの表面に袋(育児嚢)をもち、その中で子供を育てる。この特徴から有袋類と呼ばれている。草食性で愛らしいので動物園でも人気がある。いずれもオーストラリア大陸とその周辺にしかいないが、時速50kmでホッピングして草原を走るカンガルーをみると、繁栄している生き物だという印象を受ける。ネズミ位の大きさから数十㎏の重さのものまでいて、形態も生息地も多様だ。
   どうしてそう思うようになったのかは忘れたが、私は、哺乳類の中でも有袋類は真獣類(ネコ、シカ、サルなど)に比べて進化が遅れており、滅びつつある動物だという印象を持っていた。たまたまオーストラリアに肉食動物(例えばライオンやトラ)がいなかったため生き延びたに過ぎないという理解だ。しかし、どうも違うようである。 次の表を見ていただきたい。

成獣雌の体重 妊娠期間 新生子体重 離乳日齢 育児嚢に留まる日数 出典・資料
オオカンガルー 27.6kg 36日 0.74g 540日 319日 遠藤秀紀「有袋類学」
コアラ類
Phascolarctos cinereus
4~11kg 34~36日 0.5g 360~380日 240~270日 遠藤秀紀「有袋類学」
ニホンジカ 25~80kg 220日 4.5~7kg 10~12ヶ月 環境省調査結果PZ-Garden
ニホンカモシカ 38.4±5.0kg 210~213日 3313~3708g 生後6~7ヶ月 落合啓二「ニホンカモシカ」

   いずれも草食性の哺乳類だが、有袋類と真獣類を比較して驚くのは、有袋類の妊娠期間の短さと新生子(赤ちゃん)の小ささである。妊娠期間は6分の1以下、新生子の体重は数千分の1である。小さく生んで大きく育てるという言葉があるが、それを極端に実現している。 動物解剖学者の遠藤秀紀さん「有袋類学」には、母親の育児嚢の乳頭にたどりつけるよう、有袋類の新生子は、嗅覚・触覚を発達させ、移動のための前足部分をしっかりと発育させているとのことで、小さいことが絶対的に不利というわけではないと書かれていた。むしろ、妊娠期間が短いことは、母親が天敵の攻撃を受ける機会を減らし、餌を求めての移動が楽になる。子供としても育児嚢内で育つことは、外界に早く慣れることができるメリットがある。

   オーストラリアは、その昔、南極や南米と地続きだったので、南極からは有袋類の化石もでている。南米にはオポッサムなどの有袋類が今も生きのびている。南米にもカンガルーやコアラなどの祖先となる有袋類がいたが、大陸が分かれた後に北米からやって来たジャガーピューマなどの肉食動物によって絶滅したという説がある。他方、南米から分かれたオーストラリアは乾燥が進んで密林が草原になり、そこで生き延びたカンガルーの祖先は、大型化したり、早く走り回れるようになったりして、現在の繁栄に至ったとも考えらるようだ。
   生物の「進化」とは環境に適応できるように種が変化することだが、どのような姿を進化した状態と見るかは一概に言えない。種としては世代を超えて形を変えてでも生き続けることが大事なので、そういう目で見ると、肉食動物と草食動物とでどちらが勝者・敗者かを決められないのと同様に、有袋類と真獣類では、いずれが進化した生き物であるということも言えないという結論になる。実際、微生物であろうと哺乳類であろうと、あらゆる生き物は、見方によってはそれぞれが進化の最前線に立っているとも言える。
   ヒトの場合は、技術や文明の力で地上のあらゆる環境に適応することが可能となったとも言える。しかし人口の爆発的増加とヒトの活動が、炭酸ガス排出による地球温暖化、化学物質や放射能による汚染、生物資源の枯渇(種の絶滅)をもたらしている事実もある。ヒトが適応できない環境を作りだしているという意味では、ヒトの場合は「進化」と呼ぶよりも、「退化」と呼ぶべきかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.142 「本物のジャーナリストの帰還」(2018.11.4)

10月25日に帰国したフリージャーナリストの安田純平さんの記者会見が11月2日に日本記者クラブで行われた。安田さんは、40ヶ月に渡る拘束状態を時間を追って説明し、記者からの質問には考え込むような表情を見せながらとつとつと答えていたのが印象的だった(⇒Youtube2時間44分).
   シリアについては、多少の経過を知らないと安田さんの説明が理解できない。
   2011年3月に起きたシリアの民主化運動はアサド政府軍がデモ行進する市民に発砲したため挫折し、代わって欧米、ロシア、アラブ諸国の思わくも入っていくつかの反政府武装組織がつくられた。更にISという異質な武装集団が広い地域を支配したため、IS支配地域に米ロは空爆などを行ってきた(⇒末近教授解説)。このような時期に、安田さんは、2015年6月22日にトルコからシリアに入ったが、直後に正体不明の武装組織に拘束されたということだ。シリア入国の動機は、内戦下の市民生活の取材だった。これまでにもイラクの基地の建設現場や自由シリア軍に同行して取材をしている。今日シリアは、ロシアの支援でアサド政権側が体制を強化しており、情報は殆ど日本に入ってこなくなっている。

   安田さんの解放には、武装組織に日本から身代金が支払われたという噂も出ている。助けて欲しいというメッセージを込めた自身の動画を3度も放映されたのだから、そういう噂が出てくるのはあり得る。身代金の支払いは、日本の政府や企業からは金を取り易いと知らせることになる。邦人の誘拐を誘発する恐れがある。だから身代金は出すべきでないという考え方は一般論として当然と思われる。このことは、紛争地帯に出かけるジャーナリストに覚悟を求めることでもある。
   安田さんは、記者の質問に対して「紛争地に行く以上、自分の身に何かあっても、それは自業自得であり自己責任である」、「ジャーナリストの自己責任であることと、日本政府が救出活動をすることとは(政府は政府としての役割があるので)別の話である。皆さんには感謝している」と答えていた。蹴られたり、寝られないようにされたりの拷問が続いた反面、日記をつけるためのノートをくれたり、食事に果物やスイーツを出してくれたりと、待遇に変化も見られたということなので、武装組織と言っても一定の秩序を保った政治組織だったようだ。安田さんは、「帰国させるか殺すかどちらかにしてくれ」という要求をしたり、改宗してコーランを引用して相手を説得したりもしたとのことなので、そうした安田さん自身の態度や努力が解放に繋がったのではないかとも感じた。

   「ジャーナリストが危険地に行くことは自己責任」という意味は、政府による救出を期待しないという覚悟を本人に問うことであるが、「ジャーナリスト自らの責任なのだから政府によるジャーナリストの活動制限を拒否する」という意味でもある。ジャーナリストの仕事は、現地を訪れて事実や民意を集め報道することだ。政府の指示に従っているだけでは満足に仕事ができないことは言うまでもない。記者を危険地域に派遣しない大新聞はフリージャーナリストから記事を購入しているという話も聞く。
   嘗ての日本には、政府の発表は全て正しいとした時代があった。現代は、当事国の政府あるいはそれに敵対する勢力の発言を鵜呑みにすることはできない時代である。その意味で、安田純平さんのこの3年余の経験は、日本のジャーナリズムのあり方を問う材料になるものでもある。本物のジャーナリストとは、安田さんのように責任感と覚悟をもって現地に取材に行く人を言うのかもしれないと思った。   (先頭に戻る)

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No.141 「クラシックカーの魅力とは」(2018.10.26)

ある物事が人の心をひきつけて夢中にさせるような場合、私たちは「その物事には魅力がある」という。あたかもその物事が人をひきつける力を持つかのような表現だ。しかしある人にとっては魅力があっても、別の人にとっては魅力どころか嫌悪を感じさせることだってある。つまり、物事のほうに「魅力」という力があるのではなく、それに接する人が、夢中になることのできる力(感覚)を持っているということだ。だから、子供時代に夢中になった魚取り、石ころ集め、昆虫採集が、その後は関心が薄れたり、あるいはより魅力を感じるスポーツや文学、絵画、音楽、車などに対象を移していくことはあり得る。

   この10月の晴れたある月曜日に、コキアや菊の花を見ようと東京ドイツ村を訪れたときのことだ。たまたまクラシックカーのラリー“La Festa Mille Miglia 2018”の車が来ると知らされたので、少し予定を変えて居残り、1時間余りクラシックカーが目の前を通り過ぎるのを見た。ガイドによれば、1920年代~1960年半ばまでに製造された車である。このラリーは東京原宿を起点に福島など東北のコースを3日間かけて回るものだった。2人のドライバーが交替で運転するが、故障に備えて支援車を同伴しているグループもある。名車とはいっても、現代の車と比べれば乗り心地は悪そうで騒音も大きいように思ったが、ドライバーは、沿道にいる人に手を振って楽し気に見えた。夫婦や親子で運転している組も多かった。車に関心がない私でも、
アルファロメオベントレージャガーポルシェなどの名前は聞いたことがあるくらいだから、スポーツカーの愛好家には楽しいイベントなのだと思った。

   「古い車を維持し公道を走れるようにするのは大変だろうな。車検をクリアしなければならないし・・・」などとつまらぬ心配も頭をかすめたが、何か暖かさも感じた。村祭りで飾られた馬をみる、あるいは豪華絢爛の山車をみる感じなのだ。車は塗装が行き届いていて、カラフルできれいだった。ゴーカートのような小さい車もある。車輪にハンドルの動きをタイヤに伝える仕掛けが見られたり、排気管がむきだしだったりしている。車体が筒や小舟を思わせるデザインのものもある。タイヤが現在の車と比べて比較的大きく細く、交換用のタイヤを車体の横や後ろに見えるように積んでいるなど明かな違いも分かる。
   100台ものクラシックカーを見て、デザインに新しさと古さが同居していることを感じ、物語に出てくるドライバー(例えば「日の名残り」でフォードを走らせる主人公の執事)のもつプライド、喜びや時代から取り残された悔恨などに思い至った。戦国時代の城や蒸気機関車を見たときにも通じる懐かしい感覚である。魅力の源泉は、時代によって人によって変わる感覚や思いである。   (先頭に戻る)

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No.140 「沖縄県民と安倍政権との争いは続く」(2018.10.19)

9月30日に沖縄県知事選があり、米軍の辺野古基地建設に反対する玉城デニー氏が勝利した。玉城氏の得票数は、過去最高の39万6千票で、自民が推す佐喜真氏に8万票の差をつけた。8月末に沖縄県が埋め立て承認の撤回をしたのに対して、10月17日防衛大臣は沖縄県の撤回効力の停止と審査請求を国土交通大臣に行った。いずれも安倍内閣の下での大臣なので、国土交通大臣が防衛大臣の求めを拒む理由はない。玉城知事が「知事選で示された民意を踏みにじるもので到底認められない」と発言したのは、多数の意見を尊重する立場に立てば、当然だと思う。

   辺野古基地建設に関して、つい思ってしまうのは、大東亜戦争に敗れて米軍に占領された日本の地位は、米軍に対しては占領時代と殆ど変わっていないということだ。例えば、米軍基地は治外法権になっていることや東京の上空を日本の旅客機が自由に飛ぶことができないこと、米軍機の墜落事故があっても日本政府が現場検証できないことの問題点は、保守的な政治家(例えば石破氏)も口にするようになってきた。
   だが、沖縄県知事選挙では安保条約や日米地位協定が争点になったのではない。「もうこれ以上は沖縄に基地を押しつけないでくれ」という県民の深刻で、しかしささやかな願いだ。基地の影響を受けるのは沖縄県民である。メディアの中には、普天間基地の返還のためだと書いているものもあるが、辺野古基地を作ったら普天間基地が戻って来る保証は何もない。事実、対立候補の佐喜真氏が、普天間基地の全面返還を演説で訴えたら、官邸から叱られて「整備縮小」にトーンダウンせざるを得なくなったという背景を琉球新報が記事にしている(→記事10/4)。普天間基地全面返還を主張し、自民党がその方針で米国と交渉しているのであれば、あるいは佐喜真氏が勝利していたかも知れない。

   学者の中には、「国防は政府の専権事項であり、地方自治に委ねて良いことではない」と訳知り顔にいう人もいる。騙そうと思って発言しているのならともかく、何を根拠にそう主張するのだろうか。米軍の海兵隊に提供する辺野古基地建設が国防に当たるのかさえ疑わしい。憲法は自衛権を認めていると考えることもできるが、国防が政府の専権などとは書いてない。国会が国権の最高機関なのだから、判断は憲法と国会に委ねられるべきだろう。
   憲法には、地方自治の章を設けており、第92条に地方自治の本旨に基づいて運営する旨が規定されている。自治体が住民の意思に基づいて施策を行おうとすることである。翁長前知事は、元は自民党沖縄県連の幹事長だった人だ。玉城氏も沖縄の地元で苦労してきた人だ。玉城氏の勝利は、野党の勝利というものではない。自民・公明の支持者の多くも玉城氏に投票した。今回の選挙結果はアメリカでも驚きの目で見られているようだ。辺野古基地建設の取り止めは地方自治の本旨に叶う政策だ。
   日本が北朝鮮や中国とは違う国だといいたいならば、政府は辺野古基地建設を取り止め、普天間基地を全面返還するように、米国と交渉するしかないのではないか。当時の国会議員は賛成したがアメリカから押しつけられた憲法でもある。日米で民主主義や地方自治という価値観を共有しているのならば、アメリカ政府だって聞く耳を持たないことはないはずと思いたい。   (先頭に戻る)

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No.139 「マンションにたぬき?」(2018.10.12)

9月16日に、私の住んでいる集合住宅の玄関に管理組合理事長名で張り紙が出された。「タヌキが1階の部屋のメーターボックスの中にいたので気をつけて下さい。」というものである。3階にも痕跡があったそうなので、自宅のメーターボックスを覗いたけれど、いなかった。同じ町内に20年以上暮らしてきたが、タヌキの話は聞いたことがなかったので、ハクビシンか別の生き物と見間違えたのじゃないのかと疑っていた。パートナーに聞くと、「10年以上前だけれど、近くの別の町内で、『タヌキが巣を作っているので静かにして通って下さい』という看板を見たわ。今回のもタヌキかも知れないわね」という反応だった。理事長名の張り紙が未だに貼られているところを見ると、あるいはタヌキかもしれないという気になってきた。

   タヌキやキツネは昔話に出てきて親しまれている。私のいる町は、急速に宅地開発が進んでいるが、多少は畑や雑木林がある。タヌキは夜行性の動物で、藪や斜面にできた穴に棲んでいるようなので、人目にはつきにくい。ミミズや昆虫、ネズミや、果実、野菜など何でも食べる雑食性だ。都市開発で一時期減ってしまったが、近年では国営昭和記念公園、皇居、赤坂御用地、千葉市の青葉の森公園などにもいることが知られている。だから我が町にいたとしてもおかしくはない。それにしても、タヌキだとしたら我が集合住宅はフェンスで囲まれているのに、どうして入ることができたのだろう。そもそもどこから来たのだろう。
   物の本によれば、タヌキはイヌ科の祖先の種に最も近い原始的な動物とのことで、アナグマの穴を利用することはあっても自分で穴を掘ることはないそうだ。フェンスの切れ目か塀の下に穴が有るのかも知れないし、偶然に開いているときに入ったのかも知れない。そうなると出られなくなるので気の毒だ。
   どこから来たのかは、場所は特定できないが、タヌキの行動範囲(採食、繁殖、育児)が数10から100ヘクタール(1km四方)といわれているから、残りわずかな雑木林に棲んでいたものが、宅地開発で、追い払われてきた可能性はある。また、タヌキは初夏までに生まれたタヌキが居場所を求めて分散(この場合は10kmほど移動する)していくそうだから、その途中に立ち寄ったのかも知れない。

   タヌキは、東アジア(中国、朝鮮半島、ロシア東部)に自然分布している。日本のタヌキ(ホンドタヌキ)はその亜種で、大陸のものよりも犬歯が小さく(肉食性が弱い)、染色体数も大陸のものとは異なっているという。最終氷期(7~1万年前)以降、日本に隔離されたものが独自の進化を遂げたのだろう。
   タヌキは、絶滅危惧種ではないが、軽度懸念の対象となっている。以前、中国山地の山間を車で通ったときにその日だけでタヌキの事故死を2箇所で目にしたことがある。タヌキの交通事故死(ロードキル)は、年間11万~32万頭という数字もある→(
タヌキクラブ)。落ちた柿の実や畑の芋などを失敬して農家に迷惑をかけているタヌキもいるとは思うが、世知辛い世の中で、この親しまれてきた生き物が、都市近郊でも、細々とでも良いので生き続けて行って欲しいと願っている。   (先頭に戻る)

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No.138 「ヤマネ・森の海の航海者」(2018.10.5)

生物地理学は生き物の分布にかかわる学問だ。なぜそこに生き物AがいてBはいないのかということを説明する科学だ。進化や適応の理由が、生き物の観察、化石や遺伝子研究によって理解され始めている。日本では分布境界を指す用語として、有名なものにブラキストン線(津軽海峡線)がある。例えばヒグマは、本州には生息しておらず北海道にしかいないが、北米、シベリアなどに近縁種がいる。ツキノワグマは、本州、四国、朝鮮半島などにいるが、北海道にはいない。
   こうなったのは、これらのクマが津軽海峡を渡ることができなかったからだ。津軽海峡は最大水深450m(浅いところで140m)なのに対し、対馬海峡は90~100m、宗谷海峡は最深部でも60m位だ。氷期には130m水位が下がったといわれているので、九州は朝鮮半島と陸続きで繋がり、北海道はサハリン島と繋がっていた。ブラキストン線で生物相が変わるのは、クマのほか、キツネ、リス、フクロウなど多い。次に述べるヤマネ(ニホンヤマネ)もその一種だ、

   ニホンヤマネ (Glirulus japonicusという生き物は、本州、四国、九州、隠岐島の森の中に棲息している。リスに近いが体長は7-8㎝、体重20グラムほどで、樹上に棲み、木の皮や落ち葉で巣をつくる。蛾やアブラムシなどの昆虫、花、アケビなどの柔らかな実を食べる(ドングリは堅くて食べない)。夜行性で、寒冷になると冬眠(寒冷地では半年間ほど冬眠)する。
   ヤマネ科の起源はヨーロッパとされており、そこには現在も属が異なる何種類ものヤマネが棲んでいる。Glirulus属のヤマネはニホンヤマネを除き絶滅した。ニホンヤマネは、1属1種の日本固有種として1975年に天然記念物に指定された。準絶滅危惧種である。
   ヤマネ類の遺伝学的解析と化石研究では、5千万年以上前にヤマネ科がリス科から別れ、ニホンヤマネの祖先は2000万年以上前に他のヤマネ科から分かれ、少なくとも500万年前には日本に到達していたようだ。ニホンヤマネの移動には、必ず森が必要なので、時空を越えて地球を俯瞰してみると、ヨーロッパから日本まで、森が大海のように繋がっていたということだ。その森には蛇やフクロウなどヤマネの天敵も多く危険に満ちていたが、森は食べ物と隠れ家を提供してくれた。うまく子孫を残せれば1年で数十メートルずつ生息域を拡大する。そして、氷河期で陸続きになった日本の九州に渡ることができた。ニホンを目指して一直線でやってきた訳ではないから優に1千万年以上はかかっただろう。
   日本列島でもヤマネは更に進化と適応を繰り返し、今では毛色が異なるなど特徴をもったいくつかの集団(9つの遺伝子グループ)に分かれている。気象変化による植生の変化や海水面の上昇、地殻変動(山脈の形成・噴火)などがこの変化に影響したようだ。

   この話は、ニホンヤマネを40年以上観察してきた湊秋作さんの最近の著「ニホンヤマネ」にでている。湊さんは24年間小学校の先生をしながら各地のヤマネを調査されている。湊さん達は、森の中に道路ができてリスやヤマネの生活圏が分断されることを防ぐため、道路の両側の森をつなぐ回廊(吊り橋のようなものでアニマルパスウエイと呼ばれる)を作り、その有効性を確認している(参照:北杜市モニタリングYoutube)。知識を得るだけではなく、それを生かして環境教育にも力を入れられており、著者の生き物への愛情を強く感じる。
   この列島に人間が来るはるか以前からの住民(ヤマネ、ツキノワグマなど)を絶滅させてはいけないと思う。貴重な動植物を残すことは人間の子孫に遺産を渡すことでもある。1千万年以上かけて日本列島にたどり着いたニホンヤマネが、つい最近(1-2万年前)やってきた人間(現代の日本人)によって絶滅させられるなどということは、思っただけでも悲しい。   (先頭に戻る)

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No.137 「歳とともに時間が早く過ぎると感じる理由」(2018.9.30)

時計の動きで測れば、1秒は1秒だし1時間は1時間で誰にも違いはない。だが、その時間が長いと感じるか、遅いと感じるかは、その人のおかれた状況によって違う。物事に集中していると(例えば、忙しい、面白い本を読む。友人と楽しい時間を過ごすなどでは)時間が短く感じられる。逆のケース(例えば退屈な話を聞かされる、待ち遠しいなど)では時間がなかなか進まない。また、子供のときと比べて歳をとると時間が早く過ぎるように感じるということも昔から言われている。楽しさと年齢の2点の要素は、程度は違っても人間に共通しているように思う。そして私も、近年、退職後の単調な生活の割には毎日がとても早く過ぎているような気がしているので、昔と比べて楽しく充実した時間が増えているのかとも思う。そこで、時間の感じ方とその理由について考えてみた。
   楽しい時間は短く感じ、不愉快な時間は長く感じるというヒトの反応に根拠があるのならば、時間が短く感じることはとても素晴らしい。
浦島太郎伝説では、浦島太郎が竜宮城で乙姫様と楽しいときを過ごしたのは3日位だったらしい。現実世界の時間では百年以上は経っていたのだ。絵にも描けない美しい世界で、乙姫様の手作りのごちそうをいただき、あからさまな記述はないが、様々な楽しいことを経験させてもらったに違いない。楽しいという意味は、受け身の行為だけではない。苦労が多くても、それ以上に実りがあると信じられるのであれば、その時間は楽しい時間に変わる。

   子供時代は、大人に比べて時間がゆっくり進むように感じる。小学校低学年ころは、学校から帰って遊んで、疲れて昼寝をして、それでも太陽は沈まないから、また、外に遊びに行く、黄昏時になって友達の顔色が見分けられなくなるまで遊ぶ。楽しい時間なのに、時間はゆっくり過ぎていたような気がする。友人達も同じように感じていたらしいから、子供の時代は、別の法則が支配しているようだ。これは心理学者の名前をとってジャネー法則と呼ぶのだそうだ。例えば5歳の子供にとっての1年間は一生の5分の1なのに対し、50歳の大人には1年間が50分の1になるので、それぞれの一生を物差しとして時間を感じると考えれば、子供は大人と比べてゆっくりした時間を感じるという説明だ。
   ジャネーの法則は当たっているかもしれない。だが少し見方を変えると次のようにも言える。その年齢までの一生とは、その時点での人の記憶に等しいのだ。脳には様々な経験が記憶として蓄積される。記憶容量は子供から大人になるにつれて多少増えるが限界はある。そこで、この記憶の全体を物差しとして時間(ある一定期間の記憶)を測ると、子供の1年は、記憶全体の数分の1なのに対して、大人の1年間は、数十分の1~数百分の1(経験や知識が豊富な人はこの分母が大きくなる)に当たる。

   だが待てよ・・・と思った。これで私が近年、毎日が早く過ぎていくように感じる説明になっているのかなあ。記憶量を基準に時間の感覚を説明するには、記憶が失われる(忘れる)ことも計算に入れなければならないのではないのか。例えば、歳を取ると昔のことは覚えているのに、昨日今日のことは忘れてしまうという現象があるが、この場合は、最近の一日の記憶が減る(分子の記憶量が小さくなる)ので、一日の時間が更に短くなったと感じるとも言えるのだ。
   もしかして、近年の私の一日が早く過ぎるように感じるのは、一日が充実して楽しいものだからではなく(そのような日もないではないが)、単に物忘れが増えたというだけなのではないか。食事をした後で何をしたんだっけと思い出せなければ、一日は3回食事しただけで終わるので、一日は3回の食事と後片付けの時間だけになってしまい、早く過ぎたと感じているのではないか。・・・うん、あり得るかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.136 「世の中『右』も『左』も必要だ」(2018.9.23)

定義が分からないで何となく使われる言葉は多い。右翼、左翼もその中に入るだろう。大辞泉などによれば「右翼という言葉は、フランス革命当時の議会で、議長席から見て右側に穏健な共和主義のジロンド党が席を占めていたので『保守的』な立場を指す。左翼は逆に議長席から見て左に急進派のジャコバン党がいたので、『改革的』な立場をいう」とのこと。ところが日本の国会(本会議場)では、衆議院では議長から見て右側から左側に向かって大会派順に割り当てられているし、参議院では議席の中央を大会派が占め、その左右に小会派が位置しているので、席の位置では政治的立場は判断できない。どんな考えや行動が、右翼(保守)と左翼(改革)を分けるのか判断できないというのが正直なところだ。

   自分自身を考えると、私には保守的な面も改革的な面もある。伝統的な和菓子とお茶を頻繁にいただくが、アイスクリームやポテチも好きだ。政治的には、日本は日米軍事同盟には深入りしないで、自主独立の立場で、大国の中国、ロシアなどとも平和的に問題解決を図って欲しいと思う。例えば、スイスのように永世中立国になるのが理想だとも思っている。強大な多国籍企業が支配するグローバリズムは好きになれないが、かといってトランプ流に自国だけが良ければ他国はどうなっても構わないという考えにも賛成できない。自分でも自分の位置が分からないのだから、他人に右だとか左だとかとレッテルを貼るようなことは嫌いだ。もちろん暴力やパワハラ・セクハラを肯定する政治などは論外だ(政治だけでなくスポーツの世界でも問題である)。

   一昨日(9月20日)政権与党の自民党の総裁選挙の結果が出た⇒(毎日9/21)。石破候補が地方党員の支持を予想外に集めたことが話題になっている。閣僚になりたい議員が現職で有力な安倍候補を応援する気持ちは分かるが、議員が自分を支える地方党員の気持ちとこんなに乖離していて、他人事ながら大丈夫かと思う。安倍派の幹部が石破派の斎藤健農相に圧力をかけたことも話題になった。この選挙で現在の自民党執行部の独善的な体質が国民の目に示されたのは良かったと思う。
   異端のマルクス経済学者と自称する慶応大学の大西広さんが「長期法則とマルクス主義」の中で、「右翼」と「左翼」について書いている。「右翼とは、経済社会の変化について行けない故に保守的になる社会的弱者を是認し放置する人々」、「左翼とは、没落して社会的弱者になることを否定し救済しようとする人々」と説明している。企業家自身は右翼でも左翼でもない。経済社会の進歩と同時に社会的弱者への対策を考える意味では、「右翼も左翼も歴史に不可欠の重要な要素である」としている。未来社会がこの道しかないといった硬直したものであるはずはない。だから、右も左も、中道であっても異なる意見が存在することは、より良い未来への可能性を広げると思う。逆に一方の側の圧力によって、異なる考えを隠すのでは、大東亜戦争中の大日本帝国や現在の北朝鮮のような独裁国家になってしまう。   (先頭に戻る)

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No.135 「せごどんの西南戦争敗因から学ぶこと」(2018.9.14)

明治期には、西欧の政治制度や科学技術を取り入れる一方で、日本人の考え方には江戸時代的な忠義や義理が顔を出す。むしろ「和魂洋才」、「大和魂」などとして儒教や武士道の精神が国民全体の共通価値観となったように思う(農民の価値観ではない)。 明治政府の役人達の多くは、士族と言われた武家の出身者が多かった。藩主や将軍に仕えた武士が、天皇に仕える役人になっただけと考えれば、西南戦争後の明治政府(明治幕府?)が案外にうまく機能したことも納得できる。
   漱石のように西欧で学び個人を重視しはじめた人達もいる。しかし多くの庶民は、忠義や恥を大切にする精神に浸ってきた。昭和20年代でも小学校の学芸会で勧進帳や楠公桜井の別れなどをやっていたし、忠臣蔵は何度も映画になっている。ずっと武士に対するあこがれがあったのではないかと思う。私の父は「旧制中学を卒業したら「士族」となれた」と誇らしそうに語ってくれたことがある。現代も歴史小説で武士の生きざま(切腹も覚悟する潔さ、忠誠心、嘘をつかない、自分の利益を優先しない、腕(剣術・腕力)が立つ)を楽しんだり、「さむらいJAPAN」などとサムライを称えたりしている。

   西郷隆盛は武士の精神の持ち主だったので、私腹を肥やす政府の高官たちに愛想をつかしたといわれている。それで西南戦争を始めたらしい。
No.131 「せごどんの戦争(西南戦争)」を読んで元職場の先輩Yさんは、「又聞きの又聞きのような意見だが」として次のコメントをくれた。
   *「西南戦争について、明治期に敗因を分析した報告書/論文が出されており、それは太平洋戦争の敗因と非常によく似ているというのである。開戦は、下部組織や相手からいろいろと追い詰められて始めたのであり、従って目的など明確でなかった。兵力(兵員数)の差があまりにも大きすぎた。西郷軍の兵器は旧式で数が少なかった。補給は弾薬、糧食ともに全く不十分だった。しかし、士気のみは非常に高かった。」
   *「昭和の軍人は、米英に追い詰められ、青年将校に突き上げられたとき、賊軍である西郷軍の敗因の報告書は全く参考にしなかったのだろう。『歴史は繰り返す』の事例であると思う。」

   武士の潔さは、合理主義を無視し、命を軽んじ自分の意地(プライド)に酔ってしまう感覚である。これが、西南戦争当時の西郷の頭を占めていた。その精神は大日本帝国の陸軍にも引き継がれ、陸軍のエリート達は、手柄を立てること、権益を拡大することに力をいれた(メディアや国民の多くはこれを支持した)。しかし状況が悪くなると、大本営の参謀達は、精神主義が強まり、武士の価値観(逃げるな!、生き恥をさらすな!)を押しつけた。せごどんはトップだったから、朝敵になったと聞かされたら直ちに西郷軍を解散したが、大東亜戦争での大本営の幹部は、自分達の責任を最後までとらなかった(武士とは、所詮誰かに仕える役人である)。
   山川出版社の「詳説日本史研究」から日清戦争と日露戦争の比較表を下に作成してみた。日清戦争では賠償金で潤ったが、日露戦争では賠償金が得られず国民に不満が高まった。戦争で儲けたいという国民の期待に応えるべく、その後の帝国軍は韓国併合(1910明治43)、第一次大戦の対独戦、(1914大正3)、満州国建国(1932昭和7)、日中戦争(1937昭和12)と侵略の道をに進んでいくことになる。

戦争 経費 兵士と犠牲者 獲得したもの
日清戦争
1894年(明治27)
約2億円 約10万人の兵力動員
死者約1万7000人(7割が病死)
下関条約(明治28)
台湾の割譲。賠償金3億6千万円、治外法権の承認
日露戦争
1905年(明治38)
約17億円
約7億円は米英での外国債募集
約110万人動員
死傷者20万人を超す
ポーツマス条約(明治38)
韓国への日本の権益の承認、旅順・大連の租借、南樺太の割譲
賠償金は全く得られず国民は不満(日比谷焼打ち事件など勃発)
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No.134 「ついに1本が義歯になった」(2018.9.6)

今年7月、上あごの側面が膨らんできて少し痛みがあったので、行きつけの歯医者さんに見てもらった。撮ったレントゲン写真を見て、彼は「昔治療した歯の奥が炎症を起こしている。歯にひびが見られ菌が入ったようだ。この歯はもう残すことはできない。抜くしかありません」と言った。そこで薬をもらい、炎症が消えるのを待って歯を抜いた。抜いた歯には、確かに縦に黒い線(ひび割れ)が入っていた。日を置いて歯型をとり、更に1週間後に義歯(ブリッジ)を入れた。「土手(歯槽頂)は、まだ安定していないので数カ月後には調整することになるかもしれない」と説明してくれた。
   ブリッジの着脱は毎日行う必要があるとのことなので面倒だが、ここは慣れるしかない。一連の治療を受けて、処置が迅速なこと、両側の歯を金属で挟みつけるブリッジなので負担が少ないことに感心した。

   その後8月22日に市の助成による成人歯科健康診査を受けた。その案内には「歯・お口の健康を保って健康寿命をのばしましょう」、「80歳まで自分の歯を20本残しましょう」と書いてある。私には、下あごの奥にそれぞれ「親しらず」があり、上あごには「親しらず」がないので、下あごの左右に8本、上あごの左右に7本づつ、合計30本の永久歯があった(今回1本が欠失し29本になった)。歯周病が進行しているのは気になるが、80歳まで歯を磨き続ければ80-20の目標は達成するだろう。ブリッジの義歯では、物を噛むときには、触感が悪くなり、美味しさが減じる。なんと言っても自分の歯で食べられることは幸せなことなのだ。
   現代は、歯科技術が進歩して様々な治療がなされるが、昔の人はどうだったのだろう。・・・研究者によれば「古代人の頭の骨(頭蓋顎骨)からは歯の摩耗は見られるが、むし歯は少なく、歯並びも正常に発達していた」ということだ。「古代には甘いものや加工食品が少なく、繊維性の食べものが多かったので、しっかり噛むことで歯や歯肉に自浄作用が持たらされた」とも説明されている。

   私の場合は、歯並びも悪く、奥歯は全てむし歯になったので治療の痕跡が黒く見える。口を大きく開いて笑うことがためらわれるほどだ。きれいな歯並びとむし歯のない人を見るとうらやましい。これは自分の子供のときの怠惰な生活(歯磨きは殆どしない)と甘いもの好きによるものだ。自己責任だとも言えるが、当時は歯を守る知識が殆どなかった。大人も歯磨きは朝食の前にするだけで、食事の後に歯磨きはしないのが普通だったし、小学校の先生も朝食前の歯磨きを奨励していた(現代の知識でむし歯になる理由を考えれば、奇妙な指導であった)。
   古代人のような食事ができないできない以上、自分の歯は自分で意識して守ることが必要である。むし歯が痛んで初めて歯を守る必要性を実感するのが普通だったが、予防医学の必要性が叫ばれて久しく、人々の意識が変わった現代では、毎食後に歯を磨く人が増えているようだ。勤めていた職場でも何人かは、昼休みにシャカシャカやっていた。私のむし歯や歯並びは今となってはどうしようもない。だから、歯をこれ以上失わないためには、定期点検を受け、毎日・毎食の歯磨きを継続するだけである。
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No.133 「パラリンピックと障害者の雇用」(2018.8.31)

スポーツ推進員を引き受けて3年目、以前はあまり関心がなかったスポーツや障害者の話に耳を傾けるようになった。8月22日NHKは、1964年にパラリンピックを世界で初めて開催した中村裕医師のドラマ「太陽を愛した人」を放映した。私は「こんな立派な先駆けがいたのか」と感動した。東京オリンピック(1964年)では、女子バレーボールやアベベの優勝はテレビで見たが、パラリンピックは記憶がない。この障害者の国際競技会はローマ大会から始まったが、パラリンピックという名称は東京大会(第2回パラリンピック)からとのことだ。世の中には人種差別や性差別などいろいろな差別があるが、障害者に対する差別は根強いので、その解消のためにはパラリンピックのような国際イベントは大きな意味を持つと思う。

   このところメディアで話題になっているのは、障害者雇用促進法による障害者を雇用する義務(法定雇用率は2018年4月から国・県は2.5%。民間企業は2.2%)を国や地方自治体が果たしていなかったことだ(⇒毎日新聞8/29)。この問題をメディアが取り上げたのはパラリンピックを準備する段階での波及効果かもしれない(役所の職員がメディアにリークしたのか)。 法制度については詳しいはずの政府機関や自治体の幹部が「制度に対する理解が足りなかった」という説明をしているが、「障害者への差別意識や偏見は無かったのか」と自問して欲しい。法律に従うならば数千人規模の障害者雇用が必要とも言われている。国会や地方議会の議員も自分たちが作った制度の運用状況をチェックをしてこなかった反省が必要だ。
   安定した収入が得られる職場の確保は誰にとっても重要だが、障害者の場合には、雇用されることは更に切実だろう。障害そのものによる痛みや不自由さに加えて、周囲から哀れみや拒絶を受けたり、障害を考慮した仕事が少ないため限界を感じたりで、苦労や悩みは健常者よりずっと大きい。

   中村裕医師が偉かったのは、障害者スポーツの旗振り役になっただけでなく障害者の自立のための職場(太陽の家)を開設したことだ。企業の理解が得られず、赤字続きだったらしい。職場の確保は、本当に差別を止めることに繋がる重要事項だ。現代でも、各地の障害者施設や支援者が職業訓練を行い、障害者の働く場所づくりに努力しているが、十分とは言えない。
   8月29日NHKのローカル番組で、南房総市の伝福連携の会が伝統工芸「房総うちわ」の後継者の確保と障害者の職場作りの両方の目的で活動していることを知った。障害者が高度な職人技を身につけることは容易ではないが、2年間の訓練を経て本格的な技術が身についてきたという解説がされていた。障害者だからといって製品の質が落ちることは許されない。障害者の仕事では、茶や豆の小分け包装といった単純作業からコンピュータを使った事務、芸術の領域まであるので、関係者の努力によって個人の状況に見合った職場は見つけられるのではないかと思う。
   日本でパラリンピックが成功したと言えるためには、障害者がスポーツに参加できるようになるだけでなく、社会活動や遊びへの参加、トイレや交通安全など生活環境の整備が進むことである。パラリンピックの期間中だけのことではない。特に職場確保は、難しい課題ではあるが、最も重要なことだと思う。今回のメディアの報道を切っ掛けとして、障害者の雇用の改善が進むことを切に願っている。   (先頭に戻る)

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No.132 「戦後73年目夏のNHK特集」(2018.8.26)

NHKテレビは、8月の終戦の日前後には、毎年日中戦争から太平洋戦争に関する特集を企画している。同じテーマでも内容は毎年違う。公開された記録の分析や関係者のインタビューが新しく加わっている(→昨年の随想No.77)。戦後70年を超え、今や兵士など直接の関係者は100歳を超えている。番組作りは時間との競争だ。
   この8月15日の戦没者追悼式で、天皇陛下は「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」、「過去を顧み、深い反省とともに、今後戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」などと語られた。まさにこの視点がNHKの特集にはある。NHKの報道の基本姿勢は「悲しみ」と「反省」がキーワードになっている(残念ながら安倍首相の式辞には、「悲しみ」も「反省」という言葉もなかった)。
   「戦争はしてはならない」という声は、大勢の人々が「悲しみ」を共有して初めて持っことができる大切な価値観だ。以下に今年見た番組の概要を記す。2つのETV特集は「データで読み解く戦争の時代」のシリーズになっている。

   8月11日のNHKスぺシャル「祖父が見た戦場-ルソン島の戦い 20万人の最後-」は、NHKアナウンサー小野文恵さんが、母と一緒に祖父(ルソン島で戦病死した)の行軍の跡をたどり、祖父が見た風景や人々の話を聞いている。小野さんにとって日本軍が行った性暴力の話を聞くことはつらいことだったろう。
   8月12日のNHKスペシャル「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、保護者を失って駅構内で路上生活していた子供たちの話だ。当時孤児だった人が語る悲しみの思い出だ。空腹と病気で死んでいく仲間。食べものを盗む生活。結婚後も自分の過去を話せない人達。親戚や施設から逃げ出さざるを得なかった状況。英霊の子供と持ちあげられていたのに被爆で身寄りが亡くなると駅の子にならざるを得なかった人。80歳90歳の人が当時を思い涙を流しながら語る。2度とこんな状況にさせないために行動している人達の話でもある。
   8月13日のNHKスペシャル「船乗りたちの戦争-海に消えた6万人の命-」は、漁船や貨物船の船員が軍の命令で輸送やスパイ活動の最前線に立たされた話だ。辛うじて生き残った人達が仲間の死を悲しむ。現代だったら犯罪に相当するような帝国陸海軍のやり方を告発している。日本の漁船に照準を当て撃沈させる米海軍のフィルムは痛ましい。
   8月15日のNHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」は、太平洋戦争前の1939年、関東軍が独断で行った事件の真相を描く。ロシア駐在武官からの極秘情報を無視し、現場の指揮官の意見を無視した結果、圧倒的物量のソビエト軍に包囲され、2万5千人の日本兵のうち2万人を襲撃と餓えで失わせた。さらに撤退した後も現場指揮官を自殺に追い込み、真相を闇に葬ったエリート達。現地を制御できない東京の情実。ロシア国立アーカイブの未公開映像を含め、部下や幹部達のインタビューが軍の無責任と拙劣さを証明している。
   8月18日のETV特集「自由はこうして奪われた-治安維持法10万人の記録」は、膨大な治安維持法事件の裁判記録を分析し自由が奪われて行く実際を検証したもの。この法律は、成立後に死刑制度の導入や適用対象者を無制限に拡大解釈できる法改正がなされたことで、教員や学生、一般市民などを恣意的に処罰できた。時系列と地域別のデータからその意図が読み取れる。身に覚えがないことでの拷問、拘留、仕事を奪われることで生活が壊されていった。
   8月25日のETV特集「隠されたトラウマ-精神障害兵士8000人の記録-」。国府台陸軍病院(千葉県)で、医師たちが軍の焼却命令に逆らって保存していた精神障害兵士の記録8002人分のデータの分析。殺す・殺されるといった強いストレスで精神を病むこと(PTSD)は、日中戦争以後増大の一途をたどっていたが、軍はこれを秘密にしていた。病床日誌で精神障害の発生した場所、原因となる事象などを分析した貴重な記録である。普通の生活に戻れたケースは殆どない。   (先頭に戻る)

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No.131 「せごどんの戦争(西南戦争)」(2018.8.17)

今回のテーマは、なぜ西郷隆盛は自分が作った明治政府に逆らい西南戦争を始めてしまったのか。なぜ自分が設立した私学校の若者達を死に追いやってしまったのかだ。
   時代の背景には、新政府の方針で武士(士族)から幕藩時代の地位を奪ったこと、俸禄削減・支給停止が士族の生活を直撃し、廃刀令(明治9)は最後のプライドも傷つけたことがある。当然に不満が高まる。このころ佐賀の乱(明治7)、熊本の神風連の乱・秋月の乱・萩の乱(明治9年)や政府要人への暗殺が相次いだ。この最後の最大の事件が西南戦争(明治10)である。

   西南戦争についての教科書の記述は「鹿児島の私学校の生徒を中心とする不平士族が、明治維新の最大功労者の一人の西郷隆盛を擁して兵を挙げた」と書いている。新政府の中枢にいて近代化した陸軍の状態を知っていたはずの西郷が、なぜやすやすと若者達に擁されてしまったのか。他に戦争を避ける方法はなかったのか。
   歴史家磯田道史さんの「素顔の西郷隆盛」には次の経緯が書いてある。要約すると、不平士族の反乱が相次ぐ中で政府による鹿児島の監視が強まり、西郷を暗殺に来るという噂もでる頃に、私学校の生徒1000人ほどが鹿児島にあった政府の火薬庫などから大量の武器弾薬を盗み出したことが切っ掛けだった。西郷は「ちょっしもた!おはんたちは、何たることをしでかしたとや!」と叫んだそうです。若者達だけを反逆罪で死なせるわけにはいかんというので、政府に尋問するという名目で兵を率いて出陣し、熊本鎮台(熊本城)を攻めたが城は落ちず、田原坂などで敗北し自滅の道を進んだ。西郷49歳の死だった。
   ここから見ると、西郷は西南戦争では勝算を持ってはいない。作戦の指導もしなかったようだ。それまでに多くの仲間の死や実弟の死を経験して自分の死に場所を探していたとか、一緒にやってきた政府の高官達が私欲に走る姿を見てきて投げ遣りな気分になっていたのではとも言われている。この頃1ヶ月以上も犬をつれて狩りにでることもあったので感覚が鈍っていたのは確かだろう。戦争を始めた動機について、磯田さんは、「西郷には「自分が自裁すれば、士族反乱はもう起きない。本当の統一国家ができるだろう」という気分もあったのではないか」と書いている。
   西郷は、長州征伐に臨んで事前に敵の規模や位置だけでなく、食糧の保管場所や相手の内情(開戦の賛成派・消極派)の動きも調べて戦いに生かす戦略家だった。それを考えると、西南戦争での彼の行動は異常である。西郷軍は約4万人を動員し、半数が死傷した。戦闘が続く中で、朝敵に指定されたことを知ったとたんに西郷は軍を解散した。解散時には4000人が投降、500人が西郷とともに残ったとされる。

   戦後の処理で西郷軍で処罰をうけたものは2764人(うち斬罪22)とされる。西郷隆盛個人としては「自分は死んでも構わない」ということだったろうが、兵士の側は、「陸軍大将でもあった西郷がいるからこそ勝算もある」と見て参加した若者が殆どだった。西郷を仰ぎ見ていた彼らに、西郷が「いくさは止めよ」と言えば従ったはずだと思う。「戦を始めるならば、先ずおいどんを殺してからやれ」と諭すこともできた。
   私学校の若者が武器弾薬を盗んだ行為には西郷の責任もあるのだから、首謀者数人をつれて上京して謝罪する(斬罪される)ことで多くの若者の命を救う方法だってあり得たのではないだろうか。
   明治維新に果たした西郷隆盛の役割は偉大であると思う。だから、最後に本当の勇気を維新後の若者達に示すことができれば、その後の日本は大いに変わったのかもしれない。本当の勇気とは、武力を背景に相手を屈服させることではなく、武力を用いないで(殺されることも恐れず)条理を立てて説得することだ。人望のあった西郷の自裁によって、「死ぬことが潔い」という感覚が後の国民や帝国陸軍に引き継がれた気がして、どうにもやりきれなさが残る。
   せごどんは自伝や日記、写真も残さなかった人だ。下の写真は上野の西郷さんの銅像です。隆盛の奥さん(糸子夫人)は、この像を見たとき「うちの人でなか、違う」と正直に言ったそうです。
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No.130 「せごどんの戦争(征韓論政変)」(2018.8.15)

江戸幕府の崩壊から新政府の成立までの変革の過程を明治維新という。維新の指導者は大勢いるが、最も人気があるのは西郷隆盛だろう。貧乏な下級武士なのに、当時最大の規模を誇る薩摩藩兵を率いて、禁門の変での長州の撃退、長州征伐(単身長州に乗り込み説得して全面戦争を避けた)、薩長聯合、鳥羽伏見の戦いからの戊辰戦争まで大活躍だ(江戸城無血開城も有名)。更に新政府の参議になってからも、版籍奉還(明治2)、廃藩置県(明治4)まで実質的なリーダーであった。人気がある秘密は、強さ、庶民性と彼の悲劇にある(日本人は独裁者や一強を嫌う人が多い)。
   今年は明治元年から数え150年目なので、NHK大河ドラマは西郷どんの話「せごどん」だ。この偉人の評価は、征韓論(明治6)と西南戦争(明治10)の2事件で学者らの意見が分かれている。西南戦争では西郷軍と政府軍との死傷者計が約3万5千人で、戊辰戦争(会津戦争・函館戦争までを含む)の死者8千240人とに匹敵するほどだ。私は西郷隆盛のような、世界の事情が分かり、部下思いの、奄美群島の虐げられた人々にも思いを寄せた人が、なぜ日本史最大の内戦・悲劇を起こしてしまったのかを思わないわけにはいかない。友人には西郷隆盛を崇拝する人もいるので、この話を書こうと思った。

   歴史家の磯田道史さんは、オリジナルの記録を丹念に発掘してそこから考えることで知られている。その磯田さんの
「素顔の西郷隆盛」(2018年3月発行)と山川出版の「詳説日本史研究」(2008年8月発行)を読んで、征韓論事変(明治6年の政変とも呼ばれる新政府内クーデター)を考えてみた。 私なりに理解したことを問答形式で書いてみよう。
   Q:なぜ征韓論が起きたのですか?
   A:新政府を樹立した人達は、欧米列強に学び中央集権的な国家を作ろうとしていたのです。そこで鎖国を続けていた朝鮮王朝に開国を求め、一緒に近代化しようと働きかけていたのですが拒否されました。それだけなら征韓論は出てこないのですが、日本側の事情としては、武士は新政府に大変な不満をもっていました。廃藩置県(明治4)、四民平等の解放令(明治4)、武士の俸禄停止する秩禄奉還(明治6~9)、軍隊の近代化(身分に差がない徴兵制導入(明治6年1月)の一連の政策は、武士の経済利益も誇りも失わせるものだったからです。不満のはけ口として朝鮮に戦争を仕掛けて、不平士族をなだめようとした隠れた動機もあると考えられます。
   Q:征韓論は隣国への侵略ですが、西郷は征韓論に与したのですか?
   A:磯田さんの説明(毛利敏彦説に沿う)では、征韓論をはっきりと唱えていたのは板垣退助でした。西郷は派兵よりも対話でことを進めようと自分を朝鮮派遣してくれと主張していたのです。西郷の狙いは、南下してくるロシアに一緒に対抗してもらうよう説得する考えでした。征韓論者ではなく、敢えて言えば遣韓論者だった。この根拠は、西郷の板垣宛の手紙で読み取れるとのこと。長州征伐での西郷の成功体験がそういう主張になったとか、自分を育てた島津斉彬の思想(アジア連合論)が背景にあったともいわれます。
   Q:大久保や岩倉は征韓論ではなかったのですか。
   A:大久保らは、欧米視察から帰国して戦争よりも近代化を優先すべしとも主張したようです。しかし、本当は征韓論者と同じ考えでした。その証拠には、西郷らが下野した2年後の明治8年には政府は、軍艦を派遣して首都漢城(現ソウル)に近い朝鮮沿岸で測量などをし朝鮮側を挑発して砲撃させ、それを切っ掛けに兵員を上陸させて占領しました(江華島事件)。その結果、明治9年に6隻の艦隊を派遣し武力を背景に日朝修好条規を結んだのです。この条約は、ペリーが江戸幕府と結んだ不平等条約と同じ内容(開港、関税免除と治外法権)でした。日本が欧米にやられたと同じ屈辱を、朝鮮に与えたことになります。岩倉は、西郷の力を恐れていたので、西郷の派遣がうまく行けば、自分たちの人気はなくなると考えたらしいのです。結局は、新政権内部の権力争いだったのではないかという人もいます。
   Q:なぜ西郷が征韓論を唱えたという見方が広がったのですか?
   A:歴史は勝利者(政権側)の立場で書かれることが多いのです。西郷は自分の利益を主張する人ではありませんでした。政治家・言論家というよりも、質素を重んじる武人だったのです。西郷隆盛は西南戦争を起こした犯罪人で朝敵になったので、岩倉らが新政府の悪い評判を西郷に押し付けようとしたのかもしれません。
   ★ここで一旦話を終わらせます(NHKドラマ風には「ここらで良かろうかい」⇒No.131   (先頭に戻る)

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No.129 「9条2項を削除する正直と残す欺瞞」(2018.8.10)

9月の自民党総裁選には石破元幹事長が安倍首相と争うことになりそうだ。石破氏は、地方重視の発言をしたり、党内の議論で独自の意見を述べたりしている。7月に発行された石破氏の著作「政策至上主義」を読み、「政治家として正直さを忘れてはならない」という姿勢には共感できた。そこで、憲法9条第2項の扱いについての安倍首相との考え方の違いについて整理した。9条第2項は次のとおり。
    「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(この項は侵略戦争をしないという憲法の平和主義の要の規定である)
   現時点では自民党は9条に自衛隊を明記し、安倍首相の意向を受けて第2項を残す案を推しているが、石破氏は第2項を削除するべきという考えである。自民党の野党時代に憲法改正案の草案を作成した人だ(⇒草案)。第2項を残す案と削除する案はどう評価できるのか。

   第2項の前半部分の文章は、陸海空軍は名称を自衛隊と呼ぼうが、国防軍と呼ぼうが保持できない趣旨だ。その他の戦力(義勇軍・民兵)も持つことはできない。No.104 「第9条第2項の扱いと悩み」で書いたように、裁判所は、自衛隊を憲法違反と断じてはいないが、合憲とも言っていない。「統治行為に関する判断であり、国民全体の政治的判断に委ねられる」として判断を避けた(長沼訴訟控訴審判決)。そうした中で改憲案に第2項が残されるとなれば、自衛隊を明記できたとしても、依然として自衛隊は軍隊なのか、そうではないのかの疑問が残る。また、仮に自民党の改憲案が国民投票で可決した場合でも、最高裁が「後法が前法を駆逐する」という理論で判断を下すとすれば、残された第2項は何の意味もない文章となる(⇒No.103 「改憲・護憲と法解釈の知識」)。それは第2項に意味があると考えて投票した国民をだまし討ちにすることだ。憲法改正には国民投票の手続きがあるが、自衛隊の最終的な憲法の解釈権は国民にあるのではない。憲法第81条(合憲性審査権)により最高裁が行うのだ。

   後半の「国の交戦権は、これを認めない」はどういう意味だろうか。長沼訴訟第1審で札幌地裁は、「交戦権とは、国家が戦争をする権利ではなく、国際法上の概念として交戦国が持つ権利」と述べ、「敵の兵力を殺傷したり、都市を攻撃したり、軍政をしいたり、中立国に対しても船舶の臨検、貨物の没収するなどの権利をいう」としている。日本国憲法の英訳では、この箇所は「The right of belligerency of the state will not be recognized.」だ。belligerencyという専門用語は、戦争をする当事国に国際法(国連憲章51条やジュネーブ条約)が与える地位のことで、英国はフォークランド紛争開始前に自衛のための戦争であることの確認を国連に行ったとされている。石破氏は、「自衛権を行使する場合に捕虜になった兵士が保護される権利は交戦権の外だという話は世界に向けては通用しない」と述べている(交戦権が認められなければ捕虜として保護されないという意味)。 第2項が残されれば、交戦国としての国際法上の権利の有無への疑問は依然として残る。また、最高裁が自衛隊明記後の9条には、第2項自体に意味がないと判断することもある。そうなれば前半の理解と同様に、第2項を残す現在の自民党案は、国民投票で票を集めるためだけの嘘の説明となってしまう。

   私は、No.104 でも書いたように憲法に自衛隊を書き込むことには反対である。将来国民が望んでも自衛隊(国防軍)を廃止することは容易にはできなくなるし、予算も人員も膨張を続けて引き返せなくなる恐れを感じるからだ。石破氏が自著で解説しているように、第3項に自衛隊(又は国防軍)を現在の第2項の規定と矛盾なく書き込むことは、実際には不可能だ。森友・加計問題での国会の質疑では、政府側に多くの嘘や隠蔽が見られ、国民はうんざりしている。今求められるのは、耳障りのよい政策ではなく、何よりも「国民を騙さないという姿勢」ではないか。石破氏の「国民の耳には嫌なことでも勇気をもって真実を語りたい」という考えは良く理解できた。   (先頭に戻る)

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No.128 「猛暑と梅干し信仰」(2018.8.3)

暑い日が続いている。日本列島はかってない高温(40℃を超える)に襲われ、体温を超える37℃が私の居住地でも観測されている。気象予報での気温は日陰での観測だが、日なたではアスファルトからの照り返しや直射日光が加わり皮膚がひりひりしてくる。先週1週間は朝のラジオ体操の手伝い(ラジオのセット、スタンプ押し)のために6時前~7時に小学校の校庭に出ていた。帰宅するまでに汗だくになった。
   テレビは、毎日熱中症の警告と予防の秘訣を報道している。熱中症予防のためには、水分をこまめに取るだけではだめで、塩分も併せてとらないといけないという。真水だけをがぶ飲みしても熱中症は防げない。逆効果で
水中毒(低ナトリウム血症)になるとのことだ。

   こんなに暑いから洗濯物は早く乾く。日なたに干せば3時間位で完全だ。そこで先週から梅の天日干しを始めた。6月に黄色くなった梅を10%濃度の塩水に漬け、その後、紫蘇の葉を塩水でもんだものを加えておいた。それを天日に干すのだ。大きな皿に梅を載せて日なたに1日干すと少ししわができ、果肉が柔らかくなる。3日も干せば立派な梅干しが完成する。ベランダには置き場所が狭いので、数キログラムの梅を小分けにして、1年分の梅干しを作る。梅干し作りは3年目になる。
   私の子供のころ、家には梅の木があった。梅の実が実ると父母は大きなカメに入れて塩漬けにし、夏には莚(むしろ)の上に干した。家族で1年間食べても余るほどだった。父は「梅干しは健康に良い」と言って、毎日1粒づつ食べていた。あるとき父は私に、何かの秘密を伝授するかのようにこう言った。「もし自分が長生きできたなら、それは毎日梅干しを食べているおかげである。この言葉を覚えておいて、大人になったら梅干しを毎日食べるようにしなさい。塩分が多すぎるときには食べる前に半日水につけて塩抜きすればよい」と食べ方まで助言してくれた。
   結局、父は平均寿命よりも長く生き、85歳で他界した。梅干しが効果があったのか否かは分からないが、父の言葉を思い出して、たいてい毎日1粒の梅干しを食べている。

   文部科学省の食品成分表によれば、梅干し可食部100グラムの内訳は、水分65.1グラム、たんぱく質0.9グラム、脂質0.2グラム、炭水化物10.5グラム、灰分23.3グラムとなっており、特に灰分が多いのが特徴だ(検索用データベース)。このデータベースから、無機質、脂肪酸、アミノ酸、有機酸、ビタミンの種類別の量も読み取れる。梅は果物だから、カリウム、マグネシウム、鉄、カロテン、葉酸、アスパラギン酸など多様な微量成分を含んでいることが分かる。ネット上では梅干しの効果として、疲労回復、食欲増進、血液さらさら、生活習慣改善、美肌などが挙げられている。どこまでが本当なのかはわからないが、夏は特に塩分補給や疲労回復(夏バテ防止)に役立つことは間違いはない。あと数年たったら、私も子供に「自分が長生きできたならば、それは毎日梅干しを食べてきたおかげである。このことを覚えておいて、梅干しを食べなさい」と言うような心境になるかもしれない。
   大人になったときの食べものの好みは、子供のころの記憶によるともいわれている。私の場合は、梅干しの味覚の記憶もあるが、父が語ってくれた梅干し信仰も加わって、梅干しを毎朝1粒いただかないと、何か朝食をしたような気がしない。通常の朝食はご飯、味噌汁、納豆、生卵、トマトなどの和食だが、そこに必ず一粒の梅干しがある。好きになるか、嫌いになるかは別として、誰にもそうした思い出の食品があるのではないだろうか。   (先頭に戻る)

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No.127 「ランは他の草花とはここが違う」(2018.7.27)

ラン科の花は、アサガオやユリなどの花とは違った特徴(構造)があるので、すぐ分かる。3枚の花弁と3枚の萼片(がくへん)がある。3枚の花弁のうち1つは、リップと呼ばれる特殊な形になっている。更に、おしべとめしべが分離しておらず、花の中心に位置する蕊柱(ずいちゅう)に一体となっている。花粉は蕊柱の頭の部分に固まりになっている(下の左図)。
   近所で見かけるアサガオやヒマワリ、ユリなどは、おしべとめしべは分かれ、おしべがめしべの周りをとり囲んでいるものが多い。花弁はアサガオのように1枚だったり、バラのようにばらばらだったりしているが、ランのリップのような形にはなっていない。 クンシランリュウゼツランヤブランは名前に「ラン」とはついているが、ラン科ではない。ランかランでないかは、ここに書いたような花の構造で判断するのが一番確実だ(⇒ラン科(orchid))。

   ラン科の植物は、きれいな花が咲く他の植物と同様に、昆虫の助けを借りて花粉を運んでもらい種子を作る。だから甘い蜜をだし、バラのような香りを発するものもある。特徴的なことは、ランの種子には栄養成分を蓄える胚乳がなく、種子のサイズはとても小さい(1粒の径が1~0.3mm前後。逆に1鞘中の種子の個数は多い)ということだ。栄養分を持たないことを補うために、ランの種子は着地した場所でカビやキノコの類(菌根菌)に寄生(あるいは共生)して養分を得ている(⇒谷亀先生論文)。
   昔のことだが、ネジバナの花を近所の芝生で見つけて、株ごと掘りあげて持ち帰り庭に植えたことがある。小さな株だったのに根に菌根菌が入っていたためか、根が膨らんででこぼこしていた。翌年この花が咲かなかったのは、ネジバナの種がこぼれても相性の良い適当なカビかキノコの菌糸がなかったからかもしれない。ランの種子を播種・栽培するときには、適当な栄養成分を含む無菌の培地を使うので、カビやキノコの存在を気にしなくても大丈夫とのことだ(⇒ランの無菌培養)。

   私の場合は、趣味としてランの株を室内の窓辺やベランダに置いて水、肥料をやり日光に当てているだけだが、販売されているランの場合、品種改良には技術や施設(無菌栽培の施設)が必要だし、温室(加温)や冷房が必要になる。開花できるようになるまでには何年もかかるので、販売価格は、1鉢数千円などと気安く買えない水準となる。
   しかし、一般にランの開花期間は長い。その花弁はゴムのような弾力と厚みがあり、カトレアで10日以上、胡蝶蘭やパフイオペディラムでは3ヶ月咲き続けることもある。寒さに強い品種、日照が少なくても大丈夫な品種も増えている。株は何十年も持つとも言われているので、年換算では決して高いものではない。開花が2ヶ月も続くと飽きるが、ラン以外の花と組み合わせて切り花として使うこともできる。
   心の癒しや安らぎを求めて犬や猫を飼う人は多い。植物は鳴いたり吠えたりはしないが、静かに安らぎや楽しみを与えてくれる。冬になって花茎の芽が見えるようになると毎日の変化にわくわくする。地球温暖化、政権幹部の腐敗など、不愉快な事実を経験する時代でもあるので、残業などは程々にして、人々が自宅でランの栽培を楽しむようになればいいなあと思っている。   (先頭に戻る)

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No.126 「死刑の重さと裁判官の気持ち」(2018.7.21)

前回に続いて理屈っぽくはなるが、裁判官が死刑制度をどう感じているのかを調べてみた。憲法の規定では、裁判官は憲法及び法律にのみ拘束されて職権を行うことになっている。刑法で死刑が刑の種類として定められている以上、その適用について判断を拒むことはできない人達だ。
   
毎日新聞7/19の記事によれば、オウム事件の死刑判決を言い渡した山崎学さん(元東京地裁裁判長)は、インタビューに答えて「3審制度の下、被告に直接死刑を宣告したのは1審の裁判長だけです。それはやはり重い。執行について感想を言うべきではないと思います」と述べている。「真相が解明されていないとの指摘もあるようですが、刑事事件の目的は、事件の事実関係を明らかにしてどのような刑を科すかを決めることであり、社会学的、心理学的な解明とは「ずれ」があります。私としては、刑事裁判の枠内で必要なことは尽くしたと思っています」と答えている。ここには、やるべきことはやり尽くしてもなお、究極の刑である死刑の感想は軽々に言えないという裁判官の気持ちが出ていると思った。

   日本の刑法11条では、「死刑は絞首して行う」となっている。憲法第36条では「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあるので、絞首刑は残虐な刑罰であり違憲ではないかという主張があった。これについては、昭和23年の最高裁大法廷判決では「将来もし、火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のように残虐な執行方法を定めれば、死刑は残虐な刑罰といえるが、刑罰としての死刑そのものを直ちに残虐な刑罰ということはできない」とし、刑法の規定は憲法違反ではないとした。
   この判決には、参加した10名のうち、4名の裁判官から補充意見が出されている。それは、戦後の治安維持法等での死刑廃止を引き合いにしながら、死刑制度が残虐な制度であるが否かは時代とともに進化するとして、「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。」とも述べている(参照⇒判決全文PDF)。敗戦からさほど離れていない昭和23年の当時に、裁判官の中に死刑が国民感情により将来否定されるという推測(希望)の意見を出していることに注目した。

   現代の裁判官は、死刑をどう見ているのだろう。長く刑事裁判官をしてきた原田國男さんが「裁判の非情と人情」という本を書いている。そのなかで、「死刑の言渡しは、正当な刑罰の適用であって、国家による殺人でないことはよくわかるが、やはり、心情としては殺人そのものである。法律上許されるとはいっても、殺害行為に違いはない」と書いている。「目の前にいる被告人の、首に脈打つ血管を絞めることになるのかと思うと、気もちが悪くなるのも事実である」、「言渡しの前の晩は、良く眠れないことがある」、「ネクタイを黒目のものにするという人もいる」とも書いており、裁判官が命を奪う判決をすることに強いプレッシャーを感じている様子が良く分かる(何のためらいもなく死刑判決を下す裁判官がいるとすれば、不気味で怖い)。
   無実の罪(冤罪)で死刑が執行されれば取り返しはつかないが、あり得ないことではない。これまでも死刑判決後にDNA鑑定をやり直して無罪になった例もあるし、死刑判決ではないが、懲役刑に服し終わったところで真犯人が分かり、再審で無罪になった例(氷見事件)もある。死刑が殺害行為であるという刑罰の特異性から、裁判官が自分の心を偽って判決を下すようなこともあるのではないかと思われる。   (先頭に戻る)

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No.125 「死刑制度は犯罪の抑止に役立つのか」(2018.7.17)

オウム事件では、教団の元幹部13名が死刑判決を受けている。うち教祖を含む7名の刑が7月6日に執行されたことは、前回記述した。死刑制度は、現在106カ国では全ての犯罪で死刑制度を廃止しており、事実上廃止している国(死刑を執行しない国)を含むと142カ国とのこと。死刑制度を維持している国は、日本を含め56カ国だ(⇒各国の現状)。メディアによれば、今回の処刑がヨーロッパ諸国に与えたものは「日本は中国や北朝鮮のような時代遅れの国」という印象だった。

   私は、No.47「死刑制度を支持できない理由」を書いたが、改めて疑問が湧いた。「死刑制度は殺人の抑止になるという人がいるが、オウムの元幹部たちは、なぜ、殺人を犯したのか」ということである。
   5年ごとに実施されている内閣府の死刑制度に関する意識調査の直近の平成26年調査結果では、死刑制度を廃止した場合には「犯罪が増えると考える」と答えた人が57.7%であった。死刑制度に犯罪の抑止力を期待している人が6割だが、本当に犯罪の抑止効果を持っているのだろうか。
   現実にはオウム事件のように、身勝手な理由で殺人が行われている。また、逮捕後に「人の死ぬところが見たかった」、「殺したくてたまらなかった」と動機を語る犯人もいる。相模原市の津久井やまゆり園の殺傷事件の犯人は、自分の犯行を肯定する理屈さえ述べている(⇒随想No.24)。こうした人達には死刑制度は犯罪の抑止効果がなかったのは明らかだ。
   それでは、死刑制度はどういう人に殺人の抑止効果を持つのか。ここは、私の推測である。内閣府の意識調査結果を逆にみると、男性よりも女性に、壮年よりも老人に「死刑制度が無くなると犯罪が増える」と考える人が多い。だから、死刑制度は殺人などの犯罪を犯しそうもない人々(むしろ被害に会いそうな人々)に効果があるのではないかと思うのだ。もともと、大部分の国民は死刑制度があろうと無かろうと、犯罪をしたいとは思わない善良な人達である。自分がされたくない行為は、他人にもしたくないのが普通だ。「誰でもよかったから刺した」という犯人でも、実際は、子供や女性、反撃されることのなさそうな人達を選んで攻撃している。女性や老人は、そういうことが分かっているからこそ、死刑制度に犯罪の抑止効果を願っているのではないか。

   それよりも、もっと考えて欲しいことがある。犯罪の抑止効果ではなく、促進効果である。「死刑制度があるからこそ、殺人などが行われる」ということである。死刑制度は、正当な理由があれば、国家が人を殺しても良い制度である。自分が正義であると思い込んだ人の深層心理に「国家でも死刑制度を持っているのだから、俺だってあいつを殺しても構わない」という考えを与えることにはならないだろうか。「死刑になりたいが自分では死ぬ勇気がないので、死刑になるために人を刺そうと思った」と言った犯人もいた。これは、明らかに犯罪の促進効果である。
   死刑の判決を受けた者には役務は課されない。毎日を何もしないで過ごしているだけである。私は、終身刑や懲役200年というような制度を設けて仕事をさせて、被害者に少しでも償いをさせるべきだと思っているが、いかがだろう。死刑制度の有無は、国の在り方の基本でもある。国の憲法に死刑制度廃止を宣言している国もある。どのような国にしたいのか、ずっと考え続けなければならないことだと思っている。   (先頭に戻る)

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No.124 「“優秀な若者”だったからやれた重大犯罪」(2018.7.13)

7月6日、オウム真理教による事件で死刑が確定していた教祖と教団幹部6名の死刑が執行された。坂本弁護士一家殺害(1989年11月)松本サリン事件(1994年6月)地下鉄サリン事件(1995年3月)など前代未聞の犯罪を起こした人達だ。7月7日には、新聞は一斉に事件と死刑執行について報じた。毎日新聞の社説では「理不尽な犯罪が、なぜ、優秀だった多くの若者を巻き込んで遂行されたのか。その核心は未だ漠としている」と書いている。教祖の松本死刑囚が裁判の途中から意味不明の言動を繰り返すようになり、事件の動機など一切真相を語らなかったからだ。
   私は、社説の問題意識に引っかかった。高学歴で成績の良い者は犯罪は起こさない(成績の悪いものは犯罪に手を染めやすい)という前提は誤りだと感じるからだ。問われるべきは、「優秀だった若者なのに、なぜ理不尽な犯罪を遂行したのか」ではない。犯罪集団の中に「優秀な者」がいることは、サリンを製造するような高度化・悪質化、被害の大規模化、隠蔽工作に役つだけで、犯罪の抑止には全くなり得ない。

   地下鉄サリン事件の起きた当時、霞が関駅を利用することがしばしばあったので、他人事とは思われなかった。被害者や関係者にインタビューした村上春樹のアンダーグラウンド(1997年)を読んだ。人々が事件に会うまでの日常生活や仕事が淡々と語られている。当然のことながら、被害者は普通に生活している人達で、テロの標的になる理由は何もない。
   この教団は、信者に家族の反対を無視して財産を教団に寄付させたり、施設のある場所の住民と対立したりしていた。それでも1万人からの信者(多くは若者)を持ち、巨額の財産をためこみ、信者に修業と称して関連企業で低賃金で働かせることができたのは、教祖が人間の操り方を知り、孤独な若者の弱点を知っていたからである。深淵な宗教を装って死をきれいな言葉で受け入れさせる方法も知っていた。

   死刑当日の死刑囚の年齢は、教祖松本が63歳、坂本弁護士一家を殺害した早川は68歳、他は全員50歳前後だ。犯行当時は、いずれも20才台の若者だ。教祖は勧誘対象を若者に限っていた。社会経験を積んだ人では教祖の嘘を見抜かれてしまう。若者は、年長者(先輩・先生)の発言に謙虚に耳を傾けるように教育されているので、自分たちが正義だとの指導者の言は容易に信じる(信じたい)。これは、オウムに限らず殺人を実行する集団(軍隊、IS、テロ集団)に共通だ。教祖は、嘘がばれないように信者同士の話会いを禁じた。信賞必罰で「優秀な若者」を刺激し「やる気」を起こさせた(縦割りの官僚や軍隊組織に似ている)。
   信者になる人の性格は、自分の利益を優先したり、ありふれた馬鹿話やスポーツに興じるような人ではない。むしろそうした社会の風潮を軽蔑している人達である。学業が“優秀”だった分だけ孤独していたかもしれない。その心の隙間に付け入るには、宗教という看板は最適だった。「欲にまみれるな!」「ヨガで体を心をきれいにしよう!」「既存の葬式仏教ではなく真の修業で本当の自分を手に入れよう!」などと。そして、殺人でさえポア(=魂の救済)と表現した(聖戦や玉砕も死や殺人を美化する)。

   裁判の初期に松本被告は、「部下が自分の発言を誤解して勝手にしでかしたことだ」と主張していた(同様のセリフは今でも政府の偉い人が吐いている)。松本被告は頭の回転が速いから、弁護士との接見で「教祖は絶対的であり責任は逃れようがない」と悟ったに違いない。そのときから、弁護士との対話を止め狂人の振りをし始めた、あるいは、本当に狂人になってしまった・・・のではないかと思っている。私の感覚は「きっとそうだ」とつぶやいている。「優秀な若者」が、殺人が最大の悪事だということを知らなかったのは、残念で仕方がない。   (先頭に戻る)

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No.123 「ときには気分を変えてみる」(2018.7.11)

気象庁は、「6月29日に関東地方は梅雨明けしたと見られる」と発表した。平年は7月21日頃なのでめちゃめちゃ早い。西日本は、一昨日、昨日あたりが梅雨明けとなったが、その直前の記録的な豪雨がもたらした土石流や河川の決壊で、広島、岡山、愛媛などに大変な被害(死者・行方不明で200名を越す。大規模な浸水、停電、断水)が出ている。6月の北海道は梅雨がないと言われてきたが、ここ10年ほどは雨や高温にさらされるようになった。
   こうした気象の変化はもはや異常ではなく、当たり前になってきた。温室効果ガス(炭酸ガス)の濃度は着実に上昇し、海洋表面の水温が上がってきている。海面からの水蒸気が限りなく供給されるようになったので、従来の梅雨期の防災対策では間にあわなくなっている。住民自らが、周囲の危険の度合いを点検し、毎年必ず長時間の土砂降りがあることを覚悟して生活設計をしないとならないのではと思う。梅雨期だけではなく、夏の高温も尋常ではない。地球温暖化の悪影響は、また一歩近づいている。

   関東地方は、梅雨明けはしたが湿度が70%を超し、強い陽射しが続くので、熱射病のリスクが高まっている。6月末にウォーキングの下見で都内に出かけたとき、急に晴れて暑くなってきたのに水分を取らずに歩いていたら気分が悪くなってしまった。熱射病リスク情報は他人事ではなかった。気温と湿度から計算される不快指数も公表されている(計算サイト)。
   昨日は、隣りの街の100円ショップに行った。小学校で行う夏休みラジオ体操の出席表に押すスタンプを買うためである。外は30℃を超えて暑いけれど風が吹いているので、日陰では涼しさも感じる。暑いと家にとじこもりがちになるが、外の風に吹かれてみるのは悪くないと思った。
   ついでに、別の店で、てぬぐい(ちゅうせん(注染))を買った。これは、汗を拭くためではなく部屋を飾るためである。今までの部屋のてぬぐいは、タンポポ、レンゲソウ、カタクリをデザインした春のイメージだった。早速、額縁のほこりを払って、新しいてぬぐいにアイロンをかけて貼り付けた。「満点花火」というテーマで大阪の宮本株式会社の気音間の作品(下の写真です)。 最近は花火大会にはいかないけれど、昔の花火大会で見た夜空いっぱいに咲く花火を思い出した。部屋の雰囲気がちょっと変わった気がした。既に暑い夏が始まっている。気温も湿度も変わらないのに、この「満点花火」を見ていると「夏も楽しいものだ」という気分になってくる。   (先頭に戻る)

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No.122 「幼児の扱い方の難しさ」(2018.7.4)

先日、夕食の材料を買いに近くのスーパーに行ったときだ。店の出口で3~4歳の幼児がガチャガチャの自販機の前で「これがいい!これがいい!」といってわめいていた。母親らしき人が「もう行っちゃうよ」と店から出ると、その子は、追いかけて外に出て、今度は、座り込んで大泣きし始めた。母親は「もうおいていくから」といって車に向かう。少し離れて振り返ると、母親に抱かれて車に乗せられるところだった。
   幼児の扱いは難しい。乳児期を過ぎて歩き回れるようになり、会話が少しできるようになると、親の目から見てワガママを言ったり、親をわざと困らせるような行動をする。子供側からすれば、どこまでが自分の領分なのかが分からないから、言いたいことを言い、やりたいことをやって親の反応を見て自分の行動を決めていくしかない。会話が成り立つようでも正確ではないし、何度も聞かないと理解には至らない。これが親をいらだたせ、時には力ずくになる。
   私にも60数年前の思い出がある。何かを欲しがって母親にねだったが「ダメだ」と言われた。そこで障子の張り替えで忙しい母の目の前で、張ったばかりの障子紙を破ったのだ。直ぐに、ぴしゃりと引っぱたかれた。自分でも、障子紙を破るのは良くないと思いながらやったことなので悲しくはなかった。母の怒りは、文字通り痛いほど分かった。
   現代は、核家族が殆どになって、幼児の面倒を見るのは、母親か保育所(幼稚園)だ。父親が育児に参加するのは、早朝深夜か、休日しかない。母親が仕事をしている場合には、子育て時間のやりくりはもっと大変だろうと想像する。父親と母親の関係が子育てに決定的に重要になるだろう。
   前回(No.121)の「万引き家族」の感想でも書いたが、母親役の女は、自立しており決断もできる。だらしない父親役の男との関係は対等で、互いに愛し合ってもいる。誘拐(保護)してきた子供達を普通の家族のように育てたいと願っている(ある意味では素敵な家族だ)。

   幼児期は可愛い盛りと言われるが、悲しいニュースは時々発生する。今年3月に起きた船戸結愛(ゆあ)ちゃんの
保護責任者遺棄・致死事件は痛ましい。親の側からは、義父に懐かないことへの腹だち、しつけができない苛立ちはあったのだろう。しかし幼児にとっては親が全てだ。親から食事を与えられない、アザが残るほど蹴られたり殴られたり、そして無視され、重病になっても放置される。自分の子供なのに母親はどうして守り切れなかったのか。前の男の子供だから?この子の為に自分が不幸になったと感じた?児童相談所に複数回保護されたこともあったとのことだが、役所でも家庭の中に踏み込むのはとても難しいと思う。裁判でも色々な事実が明らかにされるだろうから、それを教育や役所の対応などで生かして欲しい。
   加害者は、同時に別の誰かの被害者かもしれない。この事件の親たちを非難するだけでは、今後も別の家族で起きるだろう。子供は成長に伴って多少のわがままもするし、一度に何でもうまくやれることはない。若い親達に忍耐力を持って欲しいと願わずにはいられない。結愛ちゃんには「あなたは少しも悪くなかったんだよ」と伝え、ただ涙するだけだ。宮部みゆきの「お文の影」という作品は、そのような悲しみと弔いを描いている。   (先頭に戻る)

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No.121 「異常なのに、まともな『家族』」(2018.6.27)

頻繁ではないが、私も小説を読んだり映画や芝居を見たりして、その物語から勇気をもらったり、笑ったり、慰められたりする。映画「女神の見えざる手」で、主人公の勇気や知恵に感動したことはNo.91で記述した(⇒随想No.91)。6月初めに「万引き家族」を見た。見たいと思ったのは、この映画が、カンヌ国際映画祭で、パルムドール賞(以前のグランプリ)という最高の賞に輝いたからだ。世界で評価される作品とはどんなものかを知りたかった(動機はミーハー)。それまで是枝監督の作品は見たことはなかった。

   ある特別な家族の物語りだ。女(女房役)は工場勤めでわずかな収入があるが、やがて解雇される。男(亭主役)は体を壊し技能もないため万引きをしていて、男の子にもそれを教えている。婆さんは年金をもらっていて、前の夫の息子から時々金をせびる。家出娘も含めて全員がその婆さんの家で家族のように暮らす。贅沢はしていない。あるときDVを受けている家庭の子を保護(法律的には誘拐)して一緒に暮らし始めた。婆さんが突然死んで、男女がその死体を庭に隠して婆さんの年金を取得(詐取)するようになる。誘拐された子供の画像がテレビに出回ったため、一家が逃げだすところで逮捕される(⇒あらすじ

   カンヌの最高の賞を取ったのだから、国内の評価も高いに違いないと思ったが、それほどではない。「Yahoo!Japan映画」の評価を見ると平均で3.85だ。女神の見えざる手が4.27だったことと比較すると、明らかに低い。ユーザーレビューを見て評価が分かれていることに気がついた(⇒ユーザーレビュー)。「不愉快になる」という意見から、「限りないやさしさに感動した」というものまである。映画を見れば自分の家族と比較もするし、犯罪を行っている偽家族なのだから評価が分かれるのだろう(作者は万引きを肯定しているわけではない)。是枝監督は、「心が引き裂かれる感覚を味わって欲しい」と言っているから、割り切れなさが残るのは織り込み済みのようだ。

   見終わって、深刻さと暖かさが同居している微妙な気持ちになった。ヒーローでもヒロインでもない普通の人達、凶悪ではないが犯罪を行う人達の話だ。だが家族間での態度や気遣いの言葉、交わされる話題(子供の健康や教育、お金のやりくり)は、本当の家族かと思うほどだ。何かを犠牲にして大切な何かを守ろうする人達に通じる話である。万引き家族に限らず、まともな部分と異常な部分が同居して何とか成り立っているのが家族なのかもしれない。家族の意味や課題を提示されたようにも感じた。
   感動したのは、女が誘拐や死体遺棄、年金詐欺の責任は全て自分にあると主張して逮捕され、刑務所で面会に来た男に、「苦労はあったけれど、この暮らしは、自分にとっておつりがくるほどだった」といって別かれる場面だ。潔さとともに、女の切ない思いが伝わってくる。人生で何が一番大切かを語っているようだ。こんな言葉を愛する人との別れの場面で使うことができるなら、それ以上の幸せはないだろう。もう一度見たい。   (先頭に戻る)

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No.120 「トランプ・ジョンウン会談で希望が見えた」(2018.6.20)

6月12日にシンガポールで、トランプ大統領とキムジョンウン委員長とが会った。ここに至るまでに、双方から会談は中止を予想させる発言があったので、どうなるかと思っていたが、トランプ大統領の脅し(あるいは懐柔策)が効いたようだ。未だ終了していない朝鮮戦争の当事者の国のトップが会うのだから、歴史的とも言えるし、朝鮮半島から核を無くす大まかな道筋ができたのだから、私としては、画期的なできごとだと思う。そこで当日は、朝からテレビにくぎ付けになり、夕方のトランプ大統領の記者会見まで見た。
   しかし、会談終了後の世論は、予想に反してトランプ大統領の手腕に厳しい見方をしていることを知った。例えば、アメリカでは「大統領は金正恩に譲歩し過ぎた」、「核廃絶に至る検証可能で不可逆的な工程が示されていない」、「大統領専用車まで見せたのはいかがなものか」などである。会談終了後でも、日本の防衛大臣は「核兵器廃絶まで圧力をかけ続ける」などと言っていた(参考:6月13日産経社説)。
   昨年まで戦争も辞さない勢いでトップの2人が軍事演習やののしり合いをしていたことを考えれば、こうした評価をする人達は、本当は話し合いよりも戦争を願っていたのかと思ってしまう。理想を追求するように見せかけてハードルを高くして会談を失敗させたかったのかという疑問が湧く。

   トランプ大統領は、パリ協定離脱やイスラエルのアメリカ大使館の移転、移民への差別、一方的な関税措置などで、先進国の政府やメディアから非難されている。だが、だからといって、トランプ大統領の全ての政策が間違っていることにはならない。大統領は記者会見で「核兵器廃止に至る過程が声明に記載されていない」と問われて、「時間がなかったから」とあっさりと答えている。正直な答えだと思った。また、金のかかる米韓軍事演習の中止も発言している。軍隊への予算は無駄であるという感覚はとても庶民的だ。
   残念ながらこの間、日本政府は総理大臣以下、「圧力をかけ続ける」としか言ってこなかった。拉致被害者の帰国を本当に実現させようとすれば、この発言が拉致問題の解決にいかに妨げとなるかが分かりそうなものなのにと思っていた。北朝鮮のミサイルや核開発は、先の衆議院選挙で自民党に票を集めることに貢献した。今は拉致問題の解決が政権の最重要課題だと言い始めた(内閣支持率のアップにつながる)。その転換は遅すぎた感じはするが、良いことだと思う。国民の生命と安全を守るのが政府の役割だとすれば、米朝首脳会談でようやくそのスタート位置に立っことができると思われるからだ。
   拉致問題の解決は容易ではないと想像する。朝鮮半島の非核化が進められる中では、もはや「圧力だ」などとは言えない。2002年9月の日朝平壌宣言の条項を両国政府は誠意をもって進めるほかなく、日本は朝鮮半島を植民地にした過去を償うための多額の経済支援・無償資金協力(賠償金)が避けられない。

   しかし、それでもこの事業は実りが多いとも思う。北朝鮮が経済的に豊かになれば極東に戦争の危険は去るからだ。日本は賠償金や経済支援をしてもおつりが来るだろう。防衛費を削減することも可能だ。先の大戦では、大東亜共栄圏構想というものがあったが、実際は大日本帝国による植民地支配の構想だった。今や、中国も、台湾も、韓国も、北朝鮮も、れっきとした独立国家だ。キムジョンウンが、核兵器を廃絶し国内を豊かにすることができれば、戦争は二度と起こせなくなる。日本は北朝鮮と国交を回復すれば有力な貿易相手国になるし、いずれは朝鮮半島の悲願の南北の統一国家ができるだろう。何十万、何百万の人が死ぬ戦争を起こさず、これらが達成できるならばこれ以上素敵なことはない。本当の東亜の共栄圏ができるかもしれない。
   トランプ大統領は気まぐれだと言う人もいるが、政策は選挙の時から一貫しているようにも見える。異色のアメリカ大統領だからこそできることかもしれない。願わくばトランプ大統領には、この期待を裏切らないで欲しい。そしてアジアの平和に寄与したという理由でノーベル平和賞をもらって欲しい。   (先頭に戻る)

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No.119 「労働者に不利な働き方改革案」(2018.6.13)

6月10日(日)、雨が降る中で国会前の集会に出かけた。この集会は、森友・加計問題、働き方改革関連法案やTPP協定反対、9条改憲反対などを目的としていた。主催者は2万7千人の参加と発表した。
   集会では、野党や政治学者などの発言を聞いた(
Youtube記録)。私が特に心を打たれたのは、過労死を考える家族の会の佐戸恵美子さんの悲痛な訴えだった(Youtube記録の1:48~1:56で見られます)。彼女の娘さん(未和さん)は一橋大学を出たNHKの記者だった。2013年に選挙報道の激務を終えた直後に自宅で心不全で発見された。未和さんはその秋に結婚する予定だった。娘の突然の死を悔やんだ恵美子さんは、自分も死ぬことばかり考えていたが、労災認定がでたことを切っ掛けにそのような死を繰り返さないことを求めて、NHKに娘の死を公表するよう要請したとのこと(2017年Youtube)。
   佐戸さんは「私は孫の面倒を見るはずだった」、「ここには立ちたくはなかったが、娘の死が私の背中を押してくれた」と言う。そして①NHK当局からは記者という仕事は裁量労働で個人事業主のようなものと説明されたが、調べてみれば取材先の都合や報道予定があるので記者に裁量はないことを知った、②男ばかりのグループへの配属で娘は悩みも愚痴もこぼせる相手がいなかった、③働き方改革法案では過労死を防ぐどころか、高度プロフェッショナルとされる人達を更に過労死に追い込む、などと説明された。

   私が宮仕えをしていたとき、長期間にわたり深夜までの残業をしたり、職場に泊まり込むこともしばしばあった。同僚だった人の中には、「若いころはもっと過激に仕事をした」、「海外出張から帰国したらその足で会社に出勤し残業までした」と自慢気に語る人もいる。しかし当時でも、職場にはうつ状態の人や自殺をした人もいた。若いときに仕事で頑張ることは良いことだろう。だが、それは健康な体があってのことだ。疲れすぎて精神的にも肉体的にも追い込まれれば、そこから抜け出すのは容易ではない。発展途上だった昔はともかく、今は長時間労働は自慢するようなことでは全くない。
   むしろ現代は、携帯電話、日帰り出張、パソコンやE-Mailで、24時間仕事ができる体制になっている。海外からは真夜中でも情報が入ってくる。仕事の密度は私の若いころとは格段に高まっているように思われる。国際化が進み企業の競争が高まるとともに、社内での競争で職員同士の連帯感も希薄になり、労働組合の組織率も低下している事情がある。専門職も含めて労働者を精神的に窮地に追い込む要素が、昔よりも大きくなっている。
   働き方改革関連法案で論点になっている裁量労働制は、労使で認めたみなし時間を超えたら残業代を支払わない「残業代定額働かせ放題」の仕組みになると懸念されている。また、創設される高度プロフェッショナル制度では、高所得の一部の専門職は、仕事が成果で評価されるとして、残業代や深夜・休日の割り増し賃金が支払われなくなる。 厚生労働省は裁量労働者の方が一般の人よりも残業時間が少ないという嘘のデータを出していたのに、それを検証もしていない。
   残業代を支払う必要がなくなることで企業は確実に利益が得られる。仕事の成果の評価は経営者や顧客が行うのだから、専門職の職員に無制限のサービス残業を強いることも可能となる。賃金の高い人でも健康や生活は守られなければならないのは当然だ。企業が多額の残業代を支払わなければならないことが長時間残業の歯止めにもなってきたのに、残業代を払わなくても良いとなればどういう結果を招くのか。体調が悪くても自己責任として、相談する人もおらず無理を重ねることはないのか。佐戸未和さんのような例を繰り返してはならない。人は国の宝だ。経済界が望むからといって、労働者側の同意なしに、働き方改革関連法を強行採決することは国を亡ぼすもとだ。   (先頭に戻る)

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No.118 「私の名前をあててごらん!」(2018.6.6)

今年2月の世界ラン展で、エビネランの販売店(鹿児島の萌春園)を見ていたとき、1500~12000円の株が多くある中で、数株だけ500円の値がつけられていた。安い理由を聞くと「出荷作業中に株が混じって花の色や名前が不明になったから」という返事だった。既に持っている品種と同じであれば買い手には意味がない。安くしないと売れないということだ。そこで、どんな花かは謎の楽しみとして購入し、集合住宅の裏庭に植えた。この株は根付いたようなので来春は花が咲くだろう。
   私の部屋のランは50鉢程度(主なものはコチョウラン)だが、半分ほどは名前(品種・商品名)が分からない。人から譲られたものは、大抵名前が分からない。だが、開花すればガイドブックなどで名前が分かることもある。そうした時は幸せな気分に浸れる。例えば500円の株が5千円の株に昇格した気分だ(春さんは何でも金額に換算したがる癖がある)。

   5年前に友人からもらった大輪系の白のカトレアの名前が今年6月に分かった。これまで分からなかった理由は花が咲かなかったからだ。5年間の間に、夏には元気だった株が秋に突然枯れはじめ、その後の回復に3年を要した。それが今年ついに咲いた。しかも3つの花を着けている(写真)。
   種の名前は、カトレア パープラータ(Cattleya purpurata)。今年の1月に発行された「洋ラン大全」という本に花の写真と説明がついていた。「ブラジルの湿潤な密林の樹木や岩に着生するランで、大型で色彩は豊富。日本では晩春から初夏に開花する」と説明があった。この種は、以前はカトレア属ではなく、レリア属(Laelia)とされていたが、ブラジル原産のものは全てカトレア属に学名が変わったとのこと。学名の変更は、DNA鑑定技術の進歩による。見た目ではなくDNAの塩基配列の近似性を優先した結果のようだ。歴史のあるイギリスのキュー植物園の植物学者達が学名の決定に関わっている。
   
   それにしても、関心を持った相手の名前を知ることは、魔法の呪文を知ることのようであり、知ったときには気分は大きく変わる。初めて出合った人を好きになったら何としても名前を知りたいという心理と同じだ。 グリム兄弟の「ルンペルスティルツヒェン」という物語りは、逆に相手の名前を当てることで窮地を救われた女性の話である(恐ろしい話でもある)。
   咲いたカトレア パープラータ(品種名はカーネアvar.carnea)は、甘い香りを微かに放って、リップの赤と清楚な白の花弁(ペタル)のコントラストが蠱惑的な雰囲気を漂わせている。花を傍に置いておくだけでドキドキする。花の妖精が「私の名前をあててごらん。あたったらあなたの心の中に住んであげる」と言ってくれた気がする。このところ森友や加計問題での安倍内閣の不愉快なやり方を見せつけられてうんざりしていたが、5年ぶりにカトレアの花が咲き、名前も分かったので、気持ちが随分と晴れた。花の女神さま、ありがとう。   (先頭に戻る)

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No.117 「夏風邪は馬鹿がひく?」(2018.5.30)

5月の初めに風邪の症状が出始めた。顎の下のリンパ節が少し腫れて喉が痛かった。思い当たることはあった。3月末から4月始めに喉が痛い時期があった。うがいなどをして何とかやり過ごしたが、5月4日にグラウンドゴルフ大会の手伝い(約120名の参加者のコースの設置と片付け)をした。この日は天気は良かったのに気温は低く風は強かった。寒く感じていたのに我慢して薄着のままでいたことが、引き金になったのではと思う。
   その後も外出する日が続き、無理がたたったのか5月12日には38.5℃の熱が出た。そこから総合感冒薬を飲み始めた。熱は直ぐに下がったけれど、鼻水が出始めて横になると咳も出て寝付かれない。咳が消える頃には鼻の下に吹き出物が出始めた。5月20日の春のウオーキング(地区の高齢者約50名)の際はマスクをして集合写真の撮影係を務めた。町会の依頼でスポーツ推進員となり、下見などの準備してきたので休みたくはなかった。吹き出物にはゲンタマイシンをつけていたがなかなか治らなかった。
   5月24日に皮膚科に行った。皮膚科の医師は「これは
単純疱疹(ヘルペスシンプレックス)です。もっと早く来れば良かったのに。ヘルペスは、ウイルスが起こすので、ゲンタマイシンでは治りません。」と言われた。炎症を抑えるフェナゾール軟膏5%と感染を治療するフシジンレオ軟膏2%との混合薬を処方してもらった。現在は、寝汗を少しかく程度で疱疹は消えた。単純疱疹は、発熱、日光、寒冷、過労、精神的ストレスを切っ掛けに何時でも現れるものらしい。

   「馬鹿は風邪をひかない」という表現がある一方で、「夏風邪は馬鹿がひく」といういい方もある。気象学者の福岡義隆先生はこの言葉についての面白いエッセイを書いておられる⇒夏風邪
   夏風邪は、暖かくなって油断をすること(間の抜けた生活をすること)が原因だという。5~6月だけでなく、現代ではエアコンの効かせ過ぎも夏風邪の原因になっているようだ。この1カ月間を振り返れば、寒さを我慢をしたり、夜更かしを続けたり、風呂を出て長時間薄着でいたりして、私の場合は馬鹿がついてもおかしくない。
   それにしても、風邪程度のことなのにとにかく回復が遅い。若い頃は1週間もあれば治っていたのにと思う。夜の防犯パトロールを一緒にやっている75歳の人がおっしゃっていた。「風邪一つでも回復するまでには1カ月は十分かかるようになった。」。今回、その言葉を実感することができた。
   加齢や体調にあわせて、適度な運動と注意深い生活を心がけるしかない。頭では分かっていたはずなのに、夏風邪を防げなかったのは悔しい。   (先頭に戻る)

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No.116 「立憲主義と憲法9条の解釈」(2018.5.25)

「餅は餅屋に」というたとえがあるように、難しいことは専門家に聞くのが間違いのない選択だろう。そこで、憲法について知るために2人の憲法学者の最近の著作を読んだ。一冊は、長谷場恭男(はせべやすお)早大教授の「憲法の良識」(朝日新書2018年4月30日発行)、もう一冊は、木村草太(きむらそうた)首都大学教授の「憲法の創造力」(NHK出版新書2013年発行)だ。長谷部先生は1956年生まれ。2014年の安保関連法での与党推薦の参考人でありながら、与党の期待に反して憲法解釈変更による集団的自衛権の行使が憲法違反という主張をされたことで有名だ。木村先生は1980年生まれの気鋭の学者だ。
   これらの本で私が特に知りたかったことは2つある。
   1 憲法はいろいろある法律の中でどういう役割をしているのか(立憲主義とは何か)。憲法違反と思われる政策も存在しているのだから、憲法は絵に描いた餅に過ぎないのではないのか。
   2 憲法9条で戦力は持たないと定めているのに自衛隊が存在することはどのように説明できるのか、あるいは、できないのか。

   誤解している点もあるとは思うが、この2冊を読んで私が理解できたのはとりあえず次のことだ。
   1 憲法は、日本国のかたちと理想を定めているものである。普通の法律(
実定法)は国民の権利や義務を定め、それに強制力を持たせるために罰則まで定めているが、その法律に問題や不都合があるときには、憲法の原則(人類普遍の原理という表現もある)に立ち返って評価し、必要な場合は法律を修正させることができる。従って、政府は憲法の視点で法律や施策が合憲であることの説明を常に求められることになる。憲法が無ければ国会(多数派)はどんな法律でもつくることができてしまう。立憲主義とは、憲法の理想を実現させることを政府に要請する普段の努力に他ならない。
   2 憲法9条は意外と弾力的にできている。戦力の定義が憲法に記述されていないから、解釈によって自衛隊が存在できる余地はあるのだ(もちろん廃止することも可能)。歴代の政府(内閣法制局)は「自衛のための必要最小限度は戦力には当たらない。他国の有事に自衛隊を使うのは憲法違反」という解釈をしてきた。最高裁は憲法9条は「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は9条によって否定されるものではない」と述べている。実際、多くの日本人はこれらの説明に納得している(憲法よりも後にできた国連憲章第51条でも自衛権は認められている)。

   2人の憲法学者は、ともに自民党の改憲案(9条に自衛隊を明記する案)に強く反対されている。長谷部先生は自衛隊を明記しないことにこそ大切な意味があるとしている。憲法9条が全くの無防備、無抵抗を定めているという解釈もあり得るが、そうだとすると他国などから攻められた場合に、政府は国民の人権や生命さえも守ることができない(悲惨なゲリラ戦になる)から、その解釈は立憲主義に反すると長谷部先生は述べている。
   木村先生は師の奥平康弘先生の説を引用して「憲法9条は、日本国の非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求している」と述べている。自衛隊は金もかかるし、他国から脅威を持たれ、帝国陸海軍のように暴走する恐れだってある武力である。現在自衛隊は5兆円を越す税金を使っている。その金があれば、子育て支援や教育無償化、福祉対策の充実、長期的な防災対策、財政赤字の削減、貧困撲滅の国際貢献ができるのだ。近隣諸国と友好関係を強化して、段階的に自衛隊の規模を縮小する道を探ることが日本人として賢明な選択だと思う。テロリストや北朝鮮の脅威があるなどといって外交努力もせず、子孫に赤字の負の遺産を残すのでは、憲法の理想には永遠に到達できない。   (先頭に戻る)

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No.115 「せんせいはえらい」(2018.5.15)

哲学者はものごとを根源的に突き詰めるので、それが私たちに全く新しい発想をもたらしてくれることがある。小学校のころ私は「先生はみな偉い」と思っていたが、後にはそうでない普通の人もいることに気がついて、中学・高校生以後は「あの先生の説明は分かり難い」とか「あの先生は妙な癖がある」、「サラリーマンのようで熱意がない」とかの評価もするようになった。先生は生徒よりもはるかに知識の量や人生経験が多いのに、なぜ先生は偉くないと思ってしまったのか。ちくまプリマー新書の内田樹(たつる)さんの本「先生はえらい」を読んで、「そうか、そう考えれば確かに先生は偉い」と思ってしまった。

   先生と生徒は師弟関係である。「先生」は必ずしも技術や知識がある人という意味ではない。教師や教授といった地位や職業人であることも関係はない。知識を受け売りするだけの人や知ったかぶりの人は大勢いる。野生に学ぶという言い方もあるから先生が人ではないこともあり得る。
   「えらい」という意味は、一口で言えば、魅力があって尊敬できるというような意味だが、内田さんによれば、生徒である自分に学ぶ意欲・考える動機を与え続けられる力や雰囲気があるということだ。それで生徒がその答えを見つけたとき、先生が教えたことになる、
   このように考えれば、先生とは、生徒に何かを気づくように仕向ける何者かである。内田さんは、先生の述べることを「ああ、分かった」と考えてしまうのでは、そこでとどまってしまう(コミュニケーションが閉じる)からだめだという。まだ、「まだ分からない」、「もっと知りたい」と思わせてくれる関係が望ましいという。先生が何も教えないとしても、生徒の側が「もっと自分で考え続けろと先生がおっしゃっているのだ」と理解すれば、立派な先生である。ヒントらしきことを言ってくれるだけでもありがたい。

   生徒や弟子は、自分の問いかけに対して、その問いに答えを出すのは自分自身だということに気がつくことが大切なのだという。なるほど、そのように考えれば、生徒や弟子は先生を乗り越えて進んでいける。
   教科書で分かる程度のことは教科書を読めば良いが、人類が未発見な分野はもちろん、人が生きていく上では正解がないことは多い。正解も間違った答えも山ほどあるのだから、生徒や弟子は、自分で考えて答えを見つけて行かざるを得ない。
   自分は偉い先生には出くわさなかったと思っていたのは、自分の考えが浅かったからだ。漢文で習った「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などを信じていたのが間違いだ。おこがましくも自分が千里の馬だ思っていたせいだろうか。
   そこで思い起こせば、自分も偉い先生に出会っていたことに気がつく。浅沼稲次郎が刺殺された日には授業を止めて学校近くの丘で遊ばせてくれた小学校の先生。私のばかばかしい答えに「天につばする考えだ」と叱ってくれた高校国語の先生。新しいことは殆ど教えなかった大学の先生。教員という職種の人だけでなく親兄弟、友人、上司や部下など、その発言や行動が自分に影響を与えてくれた人は私にもいる。なぜ、先生はそういう行動をしたのか。あの人だったら現代の問題をどう考えるのだろうなどと気になる人はいる。ぼーっとして何を考えているのか分からないような人、あんな人にはなりたくないなと思われる人であっても、自分の姿勢や考え方次第で、えらい先生になる。こういうことに気づかせてくれた内田先生もえらい。やはり先生はえらいなあ。   (先頭に戻る)

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No.114 「米朝首脳会談への期待」(2018.5.6)

ほぼ毎日が日曜日なので、ゴールデンウイークは特に嬉しいわけではないが、4月29日の昭和の日、5月3日の憲法記念日、5月4日のみどりの日、5月5日の子供の日というように祝日が続くと、昭和史や日本の将来について多少の感慨を持つ。街で見かける柏餅や菖蒲、鯉のぼり、メーデーの行進、新緑の野山はその味付けになる。
   今年の私は少し興奮している。それは連休前の4月27日に北朝鮮の金正恩(キムジョウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領とが会談して朝鮮半島の完全な非核化や南北8千万人の人々に戦争をしないことを宣言したからだ。そのNHKの中継をずっと見ていた。

   南北首脳が会っただけなら大きな感動はないが、この後には、アメリカのトランプ大統領と金委員長が会って、朝鮮戦争の終結、朝鮮半島の非核化についての会談が予定されている。現時点では、その場所は板門店が会談の候補地になりそうだ。中国やロシアとも話がついているようなので、1950年代の朝鮮戦争の当事国は全員そろうことになる。
   1950年当時の日本は占領下にあり朝鮮戦争には参加していない。米軍への物資補給で特需の利益を得た立場なので、「日本は蚊帳の外だ」と言われても何も悔しがる必要はない。むしろ会談を妨害しないよう蚊帳の外にいて欲しいと思う。首相が「最大限の圧力をかけ続ける」とだけ言い続けて危機を煽ったせいで、拉致被害者帰国への道筋がついていない。政府が役割を果たしていないことが、国民には不幸なことだ(危機を煽ったおかげで昨年の総選挙では自民党は大勝利)。拉致被害者を帰国させる責任は日本政府にあることを一番知っているのは被害者家族だ(
5/5NHKニュース)。
   米国では共和党議員18名がトランプ大統領をノーベル平和賞候補としてノルウエーに推薦をした(5/3NHKニュース)。これまでの大統領の誰もできなかったことをトランプ大統領がやるのならノーベル平和賞に値すると思う。希望を言えば米中露の核兵器も廃絶して欲しいが、一度に解決は期待する方が無理だろう。

   軍需産業はアメリカの大きな輸出産業だ。日本はこれまでも戦闘機などを購入してきたが、最近は迎撃ミサイルも購入する予定だ。完全に平和が訪れてしまっては軍需品の売上げが減ってしまうから、戦争の危機が無くならないことを願ってロビー活動をしている人達もいるだろう。トランプ大統領が在韓米軍の縮小をつぶやいたら、早速在韓米軍の規模の維持が表明された。米朝会談が近づくにつれて政策の変更に抵抗がでてきたり、ハードルが高くなったりするので予断は許されない。直前に会談をぶち壊す事件が起きるかもしれない。
   それでも、この60数年間の朝鮮半島の人々の不幸を思うと、トランプ大統領と金委員長には、何としてもこの会談を成功させ、朝鮮戦争の終結(米朝国交回復)、朝鮮半島の完全な非核化の実現を願わない訳にはいかない。日本政府は、会談後に拉致被害者全員を帰国させ、日本と北朝鮮との国交回復、経済援助(戦争の賠償)などの義務を果たさなければならないことは言うまでもない。   (先頭に戻る)

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No.113 「その時、8たす8は18だった」(2018.4.30)

私が小学校に上がる前だ。20位までの数字を順に数えられるようになり、得意になって母親に2たす3は5などとしゃべっていたのだと思うが、母から「それじゃ8たす8はいくつ」と聞かれたことがあった。私は、ためらうことなく、「8たす8は18だ」と答えた。どうして18なのと母が聞く。「だって8に8を足すから18だもん」と答えたのだが、母は「違うよ。16だよ」という。「どうしても18だ」というと、母は指で数えなさい(方言では「かぞえてみやあ」)と言った。指では10までしか数えられない。そこで親の指を借りて1から数えると16だった。繰り返し数えてみたが、やはり16だった。私は悔しくて仕方がなかった。このことを覚えているのは、その悔しさのせいだろう。

   今思えば、その時の私は10までどころか、そもそも数の意味さえ理解できていなかったのだ。指に対比させているのだから、抽象的な思考はしていない。ましてや親たちが使っている数字が10進法であることなどは教わっていない。数字の数え方は姉達が言っていることを聞きかじっていただけだ。
   なぜ、8たす8が18だと思ったのかは不明である。8が重なっているから何となくそう思ったのかもしれない。その考え方だと7たす7は17である。10を超えると不思議な世界になるという印象だけが残った。
   英語のelevenは、12世紀以前の古い英語endleofonが語源で、endは1を指し、leofonは残りという意味だそうだ。両手の指を使って数え残ったものが1つある状態を意味するという。twelveは10数えて2残る意味だ。指の数を超える理解は複雑になるはずである。

   小学校では文章題の単位の扱いが分からなかった。例えば、「リンゴが3つ、ミカンが2つあります。果物は合わせていくつでしょう」とか、「子供が5人いて帽子が3個あります。子供が帽子をかぶると帽子はいくつ足りませんか」という答えは、式では、2+3=5、5-3=2と書くが、単位のつけ方が分からない。3こ+2こ=5こと書いても意味が分からない。前の「こ」はリンゴのことだし、後の「こ」はミカンだ。ミカンとリンゴは足せるのかという疑問が湧く。帽子の場合は更に困る。5人引く3個は、どうやって引くのだと思う。帽子から帽子を引くのならまだ分かるが、人は帽子ではない。
   大人になって
遠山啓先生の新書で、「数字の意味や足し算引き算の前提となる1対1の対応(注)が理解できるようになるのは中学生くらいになってからだ」と書かれているのを見て、目から鱗が落ちた気がした。
   年を取ってからも、目から鱗はある。「へえ!こんなこと考えている人がいるんだ」、「なるほど。良く考えればそのとおりだね」という驚きや感動があるのが楽しい。学ぶとは単に知ることではなく、発見することだと思うようになった。発見は驚きや感動だ。何かに気がつくことだ。他人からは「つまらないことに感動している」と思われても、人生では値打ちがある。
   (注)1対1の対応とは、帽子の文章題では、5人の子供に必要なのは5個の帽子であるという前提を指す。5個引く3個で2個が足りないと分かる。この場合の帽子は架空の抽象的な数の概念なので、子供には理解が難しい。   (先頭に戻る)

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No.112 「独伊の駐留米軍と在日米軍比較」(2018.4.22)

あなたの家や職場が米軍基地の近くならば、耳をつんざくほどの爆音にさらされ、夜間発着訓練で眠れない日もあるだろう。軍用ヘリが墜落したり、部品が落ちたり、演習中の事故や米兵による犯罪の危険も避けられない。米軍は敗戦後の日本を直接及び間接に統治し、冷戦下の米国のアジア戦略のために駐留してきた。現在は「日本を守るため」という理由も聞かれるが、本当はどうなのだろう。
   米軍が日本に基地を置くことができる根拠は、
日米安全保障条約(安保条約)第6条(基地の許与)とその細部を定めた日米地位協定である。この協定の第24条では、米軍基地の無償提供とその維持経費の全てを日本政府が支払うことを義務づけている。日本が基地の維持費用を全額支払っているのだから日本と日本人の生命を守ってくれるはずだと思いたいが、敗戦国に優越する戦勝国の地位を残しているだけという解釈もできる。安保条約第5条(共同防衛)では、「他国から日本の領域内のいずれかに武力攻撃があった場合には、それぞれが自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」とあるだけで、アメリカが日本を守るなどとは書かれていない。だから「いざというときに米軍が日本政府や日本人を守るかどうか」は、そのときの米国大統領と米国議会の考え次第としか言えない。

   米軍が日本を守ってくれるかどうかは別として、それ以前に解決して欲しいことがある。現在の在日米軍の基地は沖縄県に集中しており沖縄県ではしばしば基地に関わる事件・事故が起きている。今年の2月には青森県でも米軍機の燃料タンクが小川原湖に投棄され、漁業に影響がでた。事件・事故の処理が不完全で再発防止ができない背景に日米地位協定の問題があることは、国会でも取り上げられているのだが、この協定ができた1960年(昭和35年)6月以来、一度も改訂はされていない。
   今年沖縄県は、県議会からの要請を受け、日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツとイタリアに職員を派遣して、それぞれの国内の米軍基地がもたらす事件や事故の処理方法、米軍の法的な地位を調査した。私は、沖縄県の調査報告(中間報告)が3月末に公表されていることを毎日新聞の4月18日付けの記事で知った。この中間報告は、独伊それぞれの米軍基地が所在する自治体の長や軍関係者にインタビュー調査した結果を、日本と対比させてまとめたものである。日独伊の比較は下の表のとおりである(記事に疑問な点を毎日新聞に問い合わせたら福永記者から丁寧に説明を聞くことができた)。

   日本では米軍は治外法権状態(原則として国内法が適用されない)であるが、ドイツ、イタリアでは、それぞれの国内法が適用されている。米軍基地には国や自治体の立ち入り権があり、米軍の訓練には独伊側の承認が必要となっている。米軍機の事故調査は、ドイツ軍、イタリア軍が主体的に調査できる。ドイツ、イタリアでも当初は、今の日本と同じ状態であったが、米軍機による多数の死傷事件などを切っ掛けに世論が変わり、交渉でそれぞれ地位協定の改訂をしたとの経緯がある。沖縄県職員が面会したランベルト・ディーニ元伊首相は「ここはイタリアだ。米軍はコソボに出動するのもイタリアの許可が必要だ」と答えている。
   日本では、正面からアメリカに立ち向かわず、逆に国民に我慢を強いるような政策が多いと感じているが、沖縄県の中間報告を読んで少し元気がでた。独伊に倣い、日本人を守るという強い決意で地位協定の改訂作業を進めるならば、米軍機の空域利用や低空飛行が減り、国内法の適用で事件・事故を大幅に減らすことが可能と思われるからだ。多くの人に注目して欲しい調査結果である。   (先頭に戻る)

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No.111 「ザッカーバーグ謝罪の意味」(2018.4.17)

ライン、ツイッター、フェイスブックなどのSNS(Social Networking Serviceの略、ネット上で社会的なつながりを持つことができるサービス)は友達が欲しい人などには便利な道具だ。私自身はスマホを持たないし、アカウントの登録は怖い気がするので避けているが、若い人達の多くはSNSを利用している。4月10日と11日にフェイスブック創業者でCEOのザッカーバーグ(33歳・2018年3月フォーブスで世界5位の資産家)が、米国議会の公聴会で謝罪した。
   何を謝罪したかといえば、20億人のフェイスブックの利用者のうち7800万の個人情報がトランプ大統領の選挙運動に関わるケンブリッジ・アナリティカという企業に流出したこと、フェイクニュースやヘイトスピーチのネット上の拡散を放置したこと、ロシアのソーシャルメディア(双方向の情報発信)による米国大統領選への介入を許したことなどが挙げられている。
   SNSに何となく不安を感じていた私は、今回の事件によって「やっぱりね!」という気分になった。ザッカーバーグの議会証言からはいろいろな課題が読み取れる(⇒米国の雑誌WIRED2018.4.13記事)
   SNSでは、本当の情報も嘘の情報も一緒くただ。嘘や政府批判をやめさせようとすれば検閲が始まる(今の中国では盛んに行われている)。個人情報は絶対に出さないといっても人のやることだから、流出は必ず起きるだろう。2016年のアメリカ大統領選でのロシア疑惑のように、海外から発信すれば他国の選挙に介入することだって可能だ。SNSはとても便利で何十億人が利用しているが故に、政治的・社会的に大きな力を持ち始めている。公平性を装えば、利用者に知られないようにして商品の売れ行きや政治の方向まで決めてしまうことも可能だ。米議会ではSNSへの何らかの規制の検討を始めるようだ。

   NHKテレビのドキュメンタリー番組で、失業率の高い東欧の学生達がアメリカに向けて嘘の話を発信してお金をもらっている画像を見た。その学生は「嘘の名前で書いたでたらめのことなのに、それをアメリカ人が簡単に信じてしまうことに驚いた」と述べていた。金の出どころは広告会社。人気のある記事には高額が支払われるということだ。
   フェイクニュースという言葉が流行っている時代なので「何を信じれば良いのか」と嘆く人は多い。私は「自分を信じるしかない」と思う。自分を信じるとは、自分で情報の真偽を判断することである。結果はもちろん自己責任である。自分を信用できない人が、他人に何かを聞いて何を期待するのだろう(詐欺師は「俺を信用せよ」というに決まっている)。

   ところで、SNSに関する記事を見ていて、意識させられたことがある。私たちは、とかく自分をネットサービスの顧客だと考えがちだが実は違う。ソーシャルメディアの顧客は宣伝料を支払う商品のメーカーや不動産業者などの広告主である。「ベランダ植物界」のネット上への掲載料は無料である(その代わりページに宣伝が掲載される)。SNSの業者は金を支払う顧客を大事にしており、私たち利用者(閲覧者や投稿者)は、SNSを構成する部品(利用者数や関心分野を評価する材料)に過ぎないということだ。フェイスブックなど大勢が利用するSNSには巨額の宣伝料が集まる仕組みができている。
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No.110 「楽しい生物地理学会の発表会」(2018.4.10)

先週末(7-8日)に日本生物地理学会のシンポジウムと一般発表会があった。この会には、10年ほど前から参加しているが、いろいろな生き物と他の動植物との関わりなどが語られるので、日常の政治、経済、犯罪、家事などで悩ましい思いをしている私にとっては、どのテーマもとても新鮮な感じがする。
   今年の発表者の1人(獣医学の教授)は、小学校で飼育されていたクサガメやニホンイシガメ(いずれも小さいときは銭亀と呼ばれペットとして売られる)の身体を調べてみたらヌマエラビルというヒルが寄生(共生?)していることを見つけた。このヒルは、冷凍保存(-196℃で24時間、-90℃で数ヶ月)しても100%生き続けるという驚くべき性質を身につけているとのこと。人には寄生しないヒルなので、生き物の不思議さを伝える教材になるのではないかという話であった。
   ヌマエラビルのことは全く知らなかったので、「へー、すごい生き物がいるんだ!」と思った。こうした話は好きだ。「だから何だ」といわれても困るが、地球の自然ではあり得ない低温に耐えられる能力をどうして身につけることができたのかと不思議に思うばかりだ。

   市民シンポジウムでは、森中博士が「種問題とパラダイムシフト」と題して論考を説明し、経済学者などが論評を加え 会場の参加者との質疑があり、養老孟子先生が総合的なコメントをされた。養老先生は、感覚で分かる実体と理性で分かる実体について話され、子供のときに敗戦を迎え教科書を墨で塗らされて発想・視点の大転換(パラダイムシフト)があったこと、オウム事件の頃に信者の若者が研究室にやってきて「尊師が水中で息をしない実験をするので立ち会って欲しい」といわれて驚いたことなどの話をされた。
   私も市民シンポジウムの論評をさせていただいた。素人的発想も必要だといわれ、その能力がないにもかかわらず15分ほどコメントを述べた。友人のWさんにスライド作成と動画の発表を手伝ってもらった。内容はこの随想No.105やNo.107に書いたようなことだが、共感して下さった方もおられたのは嬉しかった。学術的なシンポジウムでは、生物学と生物学哲学との関係について話がされた。その分野の専門家でも理解しにくいと思われる説明もあったが、全体として楽しく興味深い時間を過ごすことができた。

   ところで、ベランダ植物界のホームページのトップ画面に3月からマダガスカルのラン(アングレカム・セスキペダレ)の写真を掲載していた(つもりだった)が、私が市民シンポジウムで配布した資料の写真を見て、これは、アングレカム・レオニスだと教えて下さった方がおられた。その方(進化生物学研究所の蒲生博士)は、マダガスカルには十数回も行かれている植物学者だ。調べてみると世界ラン展で撮った写真を私が間違って扱っていたと分かった。帰宅後、急いで正しい写真(下図)に改めた。間違いを正してくれる人がいるのは幸福なことである。   (先頭に戻る)

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No.109 「虚しくても引き続き証人喚問を」(2018.4.1)

3月27日火曜日、衆参の各予算委員会で佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われた。総理夫人が関わる森友学園に根拠無く8億円もの値引きが行われたゆゆしい事件なので、夕方までテレビをつけて聞いていた。総理夫人の名前が決済文書から削除され、文書の改竄が判明したが、なぜ改竄されたのか、誰が指示したのかなど肝心な質問には、佐川氏は一切答えなかった。刑事訴追を受ける恐れがある場合には、それを理由に証言拒否が認められるとのことだ。多少は、新しいことが分かるのかと思っていたので、虚しく感じた。
   最後の質問者の日本維新の議員が「国民が知りたい真相を解明できたと思うか」と聞いたのに対して、佐川氏は「どういう経緯で、誰がやったのかは答えてないので真相は解明されず、満足はされないだろう」と答えた。その本音に思わず笑ってしまった。佐川氏は、始めから証言を拒否するつもりでいて、全て隠しおおせたと感じたようだ。

   昨年の森友問題の国会審議も見ていたが、佐川氏は見事なまでに安倍首相夫妻を守る立場で、財務省の手続きが正当だと発言し続けた。忠実な部下だったから世論の批判は強かったのに、財務大臣は彼を国税庁長官のポストにつけた。しかし、今年になってから風向きが変わった、刑事事件の捜査が続く中で、近畿財務局の職員が自殺をし、元の決裁文書がある時期に書き換えられていたことが明るみに出た。佐川氏は3月9日に減給処分を受け辞任した。麻生財務大臣は、佐川氏を「佐川」と呼び捨てするようになった。新聞によれば、佐川氏の退職金約5千万円は、まだ支払われておらず、刑事訴追が現実になった場合には減額されたり、ゼロになることもあるとのことだ。
   私は、
No.101「株式譲渡所得の確定申告をする」で佐川氏の国税庁長官の就任は「信賞必罰」と書いたが、証人喚問に与党が応じてからの佐川氏の扱いをみると、「トカゲのしっぽ切り」とか「臭いものに蓋」という表現が思い浮かぶ。当時理財局長であった佐川氏が全て悪いことになって幕引きとなりそうだ。総理夫人(昭恵氏)は、森友学園の名誉校長としての意向が記載されていたのだから、自らへの疑念を晴らして欲しい。佐川氏の前の理財局長も、昭恵氏付きの谷職員にも証言して欲しい。

   今の日本には、貧困と格差、少子化・保育所、アメリカとの貿易摩擦・TPP、大震災の復興、長時間残業の解消、核廃絶、朝鮮半島非核化、米軍基地、北方領土返還、原発事故処理、エネルギー政策など政治課題は沢山ある。この2年間、森友・加計疑惑でうんざりしているのは事実だが、沢山の課題があることを理由にして、国会が森友事件の解明を避けてうやむやに終わらせるのでは、森友事件が先例になってしまう。全ての役所が首相の顔色をうかがって、会計検査院に指摘を受ける不合理や数字の誤魔化し、文書改竄が日常化しては困る。政治家への疑惑は最後は有権者が判断することではあるが、先ずは国会として、行政をチェックする機能を取り戻すことを求めたい。   (先頭に戻る)

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No.108 「ホトケノザとヒメオドリコソウ」(2018.3.24)

早春から春にかけては一番変化に富んだ季節だ。一雨ごとに変化が起きているのが気温や風や匂いで分かる。コブシや桜の蕾は大きくなり、タンポポ、イヌフグリ、ノエンドウ、ホトケノザなどの草の小さな花がそこここで見られる。
   「ベランダ植物界」で
「季節の写真」を掲載しているのは季節の変化を味わいたいためだ。今年の2月には、Nさんから送られたヒメオドリコソウの写真を掲載した。送られた写真を見た直ぐには、私は、これはホトケノザではないかと思ってしまった。上から見たときには、それはとても良く似ている(下左の写真)。

   似ているのは、花(ともにピンク色の小さな筒状の花が、葉の間から顔を出す。)、葉(上から見ると葉が重なって見える)、咲く時期は4月頃で同じ。咲く場所も日当たりの良い道端や畑。草の大きさもあまり変わらず、群落になって咲く様子も同じなので、離れて見たら区別がつかない。
   今月初めに、私はパートナーと散歩をしながら、道端の草花を「これはホトケノザだ」などと言い合っていたら、パートナーから「違うよ!良く見なさい」と言われた。しばらくしてパートナーは、「同じ場所に生えていた」と言って、近くの道路脇で見つけた2種の花を持ってきてくれた(下右の写真)。左側がホトケノザ、右がヒメオドリコソウ。横から見るとはっきり違いが分かる。ホトケノザは、茎に対して丸く広がる葉が仏像の蓮華座を思わせる。その名前の由来でもある。ヒメオドリコソウは、葉が三角かスペードのような形をしている。間違いを指摘されたのは悔しかったが、「うん。確かに違うね。僕が間違っていたよ」と言わないわけにはいかなくなった。
   ホトケノザは日本自生だが、ヒメオドリコソウは、明治中期にヨーロッパから入った帰化植物だ。ともに、シソ科のオドリコソウ属に属する種である。草の姿や生活環境が似ているのは、百万年前の祖先が一つの種だったからかもしれない。
   道端の草であっても、「名もない草」、「雑草」などと呼ばず、それぞれの名前を呼ぶことは、ものごとを正確に見ようとし記憶に留めようとすることである。名前を知ることは、色や、形、香りなどの違いを見ることでもある。岩石や動植物を十把一絡げに扱っては、科学は成り立たない。「雑草の名前など知らなくても生活をする上では一向に構わない」という人もいるだろうが、それでは、生きていることがつまらなくなりはしないかと思っている。   (先頭に戻る)

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No.107 「オマキザルに見る公平感」(2018.3.18)

ヒトにはキュウリの酢の物やサラダは悪くないが、生のキュウリは95%以上が水分で、たんぱく質が1%、炭水化物が3%程度、甘みは殆どない(食品標準成分表2015年版)。ブドウは84%が水分で炭水化物が16%ほどで、とても甘い。サルにとってキュウリは貴重な食べものであるが、甘いブドウが手に入れば、それを優先して選ぶ。

   キュウリとブドウとを使って、生物学者フランス・ドゥ・ヴァールとサラ・ブロスナンは、オマキザル(中南米産)の反応を調べた(nature・2003論文)。この論文は、公平性を求めるのは人間だけではないことを示したものとして有名だ。2匹のサルに簡単な仕事(サルに小石を渡して戻させる)を与え、報酬としてキュウリかブドウを与える。サルからは互いの行動と報酬が良く見えるようになっている。そして、同じ仕事の報酬として、一方にはキュウリを与え、他方のサルにはブドウを与えるのだ。
   下の動画(ユーチューブ)には、キュウリを与えられたサルの反応が現れているので、ご覧いただきたい(約3分です)。 左側のサルは、初めはキュウリをうまそうに食べたが、右のサルがブドウをもらっていることに気がつくと、キュウリを試験者に投げつけ、境界のプラスチックをゆすったり、机をたたいたりした(まるで不公平に抗議しているとしか思われない)。怒りで小石や餌の受取拒否も起きる。
   比較の対照として、2匹ともにキュウリ与えた場合、仕事をしないでもそれぞれにキュウリとブドウを与えた場合、ブドウがあることは見せるが隣に相棒のサルを入れないでキュウリのみ与えた場合での試験も行われた。一連の試験(1つの条件で25回)から、受取拒否された比率を比較した統計解析を踏まえて、この現象が不公平を拒絶する霊長類の心理の進化を証明していると結論づけている。

   生物学者は、オマキザルで見られた現象は、チンパンジーや犬、カラスでも見られるという。同じ仕事をした場合に同じ報酬を得るのが当然という感覚は、これらの種が集団として互いに協力し合う関係を維持する上で欠かせないからだと考えている。
   私は、この論文と動画を見て、公平性を求める感覚は、人間だけのものではないことに感動を覚えた。また、人が公平性を求める意識が、ヒトが生物(協力し会う生き物)であることに由来しているらしいことに安心を覚えた。それは、平等や公平を求めることが、神の下の平等とかいう発想だったり、ジョンロックなどの政治思想家・哲学者の考え方に頼った思考の産物(それはそれでとても重要なのだが)ではないことが分かるからである。市民社会で確立した個人の自由・平等・幸福追求の権利は自明とされているが、生物学の立場からは、進化の過程でヒトが獲得した裏付けのある感覚でもあるといえるのだ。その感覚は、人がヒトである限り奪われようがないではないか。
   オマキザルの感覚は同一労働・同一賃金と同じ立場である。この試験から分かることは、不当な差別を受けたときには素直に怒ることが生き物としての姿ということだ。身の周りの不正や不平等に対しては、勇気をもって発言することが大事だよと霊長類の仲間が教えてくれているように思った。   (先頭に戻る)

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No.106 「大統領のツイッター」(2018.3.11)

ツイッターを頻繁に使って仕事(?)をするトランプ大統領は異色だ。大抵の政治指導者は、自分の意見を軽々しくは言わない。トランプ氏のツイッター(下右図)での多くの発言は彼の支持者とのエール交換・挨拶のようなものだが、その発言が株価に影響したり、政策を理解するヒントになることもあるので注目されている。3月11日のNHKニュースで、このツイッター(下左図3月10日分)が取り上げられ、トランプ大統領が北朝鮮や貿易赤字解消で安倍首相に注文をつけたことが報道された。

   3月10日のトランプ大統領のツイッターでは、「北朝鮮との対話を心配した安倍首相が電話をかけてきたので、その話とあわせて、日本の対米貿易を改善するよう注文した。アメリカは貿易赤字が1000億ドルにもなる。これはフェアじゃない、長続きもしない。だが全ては解決するだろう」(拙訳)と言っている。
   今年の2月6日に発表された米国商務省の統計によれば、2017年は米国の貿易赤字は合計5660億ドル(日本とは688億ドルの赤字)となり、この9年間で最も大きな額になったとのこと。ツイッターの1000億ドルが何を指すのか分からないが、貿易赤字削減を掲げたトランプ大統領にとっては屈辱的だから声を荒げたくなるのも分かる気がする。このツイッターには、13時間で5万数千人が「いいね」を与えている。EUを叩き、中国を叩き、日本を叩くことは、今のアメリカで支持を得るには必要なことかもしれない。

   トランプ大統領は、ツイッターを一日に何回もしている。得票がものを言う社会だから、その反応を見て政策判断をしているようにも見える(下右の写真をクリックすると見られます)。
   トランプ大統領のツイッターには、支持者らしい人が「彼は当選しないだろうと言われたのに、当選した。税制改正をできないだろうといわれていたのに、行った。彼の政権は1年持たないだろうと言われていたのに、1年持った。彼は、キムジョンウンには会わないだろうと言われていたのに、会おうとしている。」などと賞賛している。
   ツイッターは、遠くの人を身近に引きつける。大統領と会うことができない人でも、直接語りかけられれば、嬉しいに違いない。ツイッターの効果はある。トランプ大統領はそれを知っている。メディアから叩かれようと、ツイッターの反応を見て彼は心の安らぎを得ている。
   それにしても、キムジョンウンとトランプ大統領との対話が成功することを期待しないわけにはいかない。直接対話については、失敗するのではないかといった否定的な論調が多いが、朝鮮半島の非核化、世界の非核化についての方策を見出して欲しい。両者は一筋縄ではいかないリーダーだから、対話のための対話ではなく、戦争を避けるための真剣な対話をして欲しいと思う。   (先頭に戻る)

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No.105 「個人と種(Homo sapiens)との関係」(2018.3.6)

友人の生物学者M博士は、「生き物は生命の繋がりであるという点で、個体は個体であると同時に、種(しゅ)でもある」といっている。種というのは、生物分類学上の基本単位のことで、細かな定義が沢山提案されているが、他の種の個体とは形態が違うとか、交配できないとかいったことで特徴づけられる個体の集団の概念だ。私という個人は1匹(1人)の生き物として目に見える存在(実体)だが、Mさんは、「種は、概念というだけでなく実体でもある」と主張する。そこで私なりにこの考えを検証してみた。

   確かに、生き物の設計図とされる遺伝子(DNAの配列)は、親世代だけでなく、さらにそれ以前のとても多くの世代の個体から引き継いだものだ。だから、種の本質が遺伝子に代表されると考えれば、細胞中に存在するDNAの配列として見られないこともない。つまりは実体ではある。だが、それが種全体(その種に該当する全個体に相当する)といえるのかという疑問残る。
   そこで、別の角度から考えてみた。私は、両親(父と母)の間に生まれたのだから、親の世代は2人、祖父母の世代は4人いる。更にそのそれぞれの両親がいるので、3代前は8人いる。このようにして、計算すると10世代前なら1024人になる。同族結婚や近親結婚が有ったことを考慮しても、江戸時代頃には、数百人の私のご先祖が生きていたはずだ。1世代30年として、1000年前(33世代前)には、2の33乗=85億人、今の地球の全人口を超える。日本列島は地理的に隔離されていたので、同族結婚が繰り返されてきたのだろう(それで民族的な特徴がでてきた)から、私がお付き合いさせていただいているほとんどの人は、ずっと昔の祖先に遡れば、お互いの祖先同士が兄弟姉妹であったということは十分にあり得る。

   このように考えると、人間はある短い時期だけをみれば、その個体(個人)は人類という種の全体からは切り離されているが、長い期間を通してみれば、種は生身の人間の集団(1箇所に集まって居なくても良い)の実体であるように思われる。 このことは過去に遡るだけでなく、未来に向かっても同様である。いつの時代でも、種(無数の人間の遺伝子)が個人の遺伝子中に含まれ、個人の遺伝子が種を成り立たせているという本質を捉えている。ある種が絶滅しかかっているような場合、最後の1匹は、まさに個体と種とが完全に一致していると分かる。

   人は、自分以外の人々(人類全体)をどう表現してきたのだろうか。
ベートーベンの交響曲第9「合唱」の歓喜の歌には、「時流が強く切り離したものを 世界の人々は皆、兄弟となる」という歌詞がある。元の歌詞は「時流の刀が切り離したものを 物乞いらは君主らの兄弟となる」という意味だったとのこと。歌詞はシラーの自由賛歌の引用で、時間を意識することで、切り離されて見えなかったものが見えてくると言っているようだ。「全ての個人が貧富や地位にかかわりなく兄弟になる」というのが、歓喜の歌の神髄だ。つまり、人類(という種)が意識され、兄弟であることに気がつくとそこに歓喜があるという、素敵な考え方だ。
   公民権運動の指導者キング牧師が「私には夢がある。」と語った夢の内容(「いつの日か、・・・かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢」→1963年演説)と同じだ。M博士は、とても深いことを主張しているのかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.104 「第9条第2項の扱いと悩み」(2018.2.25)

No.103で法解釈の記事を書いたが、その後2月22日の衆議院予算委員会では、立憲民主の山尾しおり議員が、「自衛隊を違憲と考える議論は第9条第2項に関係している。総理が主張している第2項をそのまま残し第3項に自衛隊を明記するならば 依然として違憲であるという疑問は残るがどう考えるのか」との質問をした。ここでも、首相は、「自民党でもまだ案ができているわけではない。自分は答える立場にはない」と答えた⇒(立憲民主のHP)。そこで、第2項について考えてみた。

   第9条第2項 「前項の目的(戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」・・・文字通りに解釈すれば、戦力である自衛隊は認められない。
   9条の成立は、日本に軍事武装を許さず歯向かわせないという戦勝国の意向と、悲劇を味わった後の平和国家の理想(「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」決意した理想)とが一致した結果だ。
   自衛隊の発足は朝鮮戦争が勃発したときのマッカーサー指令による。自衛隊が合憲か違憲かは、過去の裁判でも争われてきた。昭和48年の札幌地裁の長沼訴訟第1審では、「自衛隊は、その編成、規模、装備、能力からすると、明らかに・・・軍隊であり、・・本条第2項にいう「陸海空軍」という戦力に該当し、違憲である。」と判決がされた。その控訴審(昭和51年札幌高裁)では、自衛隊が第2項に違反するか否かは「統治行為に関する判断であり、国会及び内閣の政治行為として究極的には国民全体の政治的批判に委ねられるべきもの」として、「裁判所が判断すべきものではない」として今日に至っている。

   多くの国民は災害救援などの自衛隊の活動は否定していない。だが憲法に自衛隊を書き込むのはどうか。メディアによる最近の世論調査がある(下の左)。条文案が示されない段階で第2項を削除するか否かで2つの考えを聞いたものだ。毎日、読売、NHKの調査結果があるが、聞き方によって随分と開きがある。選択肢に「わからない」を入れた毎日が実態を反映しているようにも思う。
   自民党にとっての悩みは、9条の改憲案が国民に支持されるとは限らないことだ。2月23日の毎日新聞では、伊吹文明氏の発言が記事になっている(下の右)。伊吹氏は「法理的には2項削除が正しい。」と指摘。ただ「法理的に正しいことは、人間社会ではほとんど正しくない」とも語ったという意味深な記事だ。
   多くの国民は自衛隊を認めていても9条2項は維持したいと思っている。安倍首相の案には、その人達の票をうまく取り込みたい意図がある。伊吹氏が「法理的には2項削除が正しい」と言ったのは、No.103で書いた法制局長官の法解釈の原則からすれば、第2項に何ら修正も削除もしないのだから第2項は空文化するという意味だ。伊吹氏の記事は、首相の騙しのテクニックを暗に語っている。
   私は、自衛隊は災害救援には力を入れてもらいたいが、海外(領土・領海外)での戦争(戦闘行為)は絶対に止めて欲しいと思っている。9条は今のままでも自衛隊にも国民にも何ら不都合な点はない(首相は奇妙なことに「国民投票で否決されても自衛隊は合憲であることに変わりはない」と国会で答えている⇒毎日2月6日記事)。   (先頭に戻る)

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No.103 「改憲・護憲と法解釈の知識」(2018.2.18)

法律は、普通の文章と比べると難解だ。独特の表現や解釈ルールがある。改憲議論をするならば、有権者はある程度の法律の知識を持たないと、誰かの言い分を鵜呑みにすることしかできない。2月14日午前の衆議院予算委員会で立憲民主の枝野幸男議員が良い質問をしてくれた。私も知りたいことだった。質問の背景には、安倍首相が「憲法9条に第3項を設けて自衛隊を書き込む」、「自衛隊の位置づけは現在と全く変わらない」などと盛んに発言していることがある。そこで、その質疑応答を再現してみた(参照⇒YouTube←ここで20~30分頃に見られます)。

   枝野:一般論としてお聞きするが、法律の同じ条に、第1項、第2項、第3項・・などいくつかの項があって、一見すると矛盾するような場合にどのように解釈するのが基本原則か?
   横畠(内閣法制局長官):一般論であるが、そもそも矛盾を避けるために、但し書きなどで例外であると分かるように書くのが原則である。そうでない場合、具体的な条文がないとなんとも言えないが、いずれも成り立ちうるという前提で、合理的に全体を解釈することになる。
   枝野:後でできた条文が前からあった条文に優先する(後法が前法を破る)という原則あるが、どう考えるのか。
   横畠:後法が優先するという考えはある。しかしそれは条文にもよる。他国とは違い我が国の法体系では、矛盾があるという議論を生まないように、既存の条項にも手を加え修正したり削除したりしている。そこで矛盾しない合理的な解釈をすべしという条文があるときには、後法が前法に優先するとは限らない。
   枝野:安倍さん!総理!9条の文案を出してください。総理は「9条第3項に自衛隊を書き込んでも自衛隊の現状は全く現在と変わらない」と国会の外で発言している。法制局長官が「どのように解釈できるかは具体的な条文の書き方による」と言っているのだから、条文を出してもらわないと安倍首相が言っていることが正しいのか間違っているのか判断できない。首相は根拠がないのに自説が正しいという先入観を国民に与えている。
   安倍:ここでは総理大臣として答えており、自民党案については答える立場にない。しかし敢えて言えば、第1項、第2項を残せば、その制約は受けると考えている。「確たることは申し上げられないが」とも言っている。「書き方にもよること」は確かだが、まだ、自民党内でも議論が進行中で、自分の考えが自民党の案になるかも分からない。条文を示せと言うのなら、憲法審査会で議論して欲しい。

   法制局長官という立場は非常に重い。裁判所を除けば法律は全てここで専門的に審査される(唯一の例外が安保法制の審査で、これは法制局での審査が行われた形跡がない)。上記の質疑応答をもとに、日本国憲法第9条の改訂について考えれば、横畠氏の説明のように、第2項に何の手も加えず単に第3項を付け加えた場合には、第3項が第2項に優先(第2項は空文化)してしまうことがあり得るということだ。その場合には、第2項「前項の目的(戦争放棄)を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」は、自衛隊には適用されなくなるから、自衛隊は領土・領海の外でも交戦することが可能となる。憲法の平和主義が崩れる。
   私は、随想No.89「日の丸を掲げて11.3集会に参加」で、自衛隊の明記は必要なしと書いた。自衛隊の存在は最高裁でも違憲とはされていない。敢えて明記した場合に、将来、第3項だけが独り歩きする恐れもある。大日本帝国憲法で書かれた「統帥権」の解釈が、明治政府の当初の思惑を超えて軍部の独断を許し、日本が破滅の道に向かったことは、記憶しておかなければならない。今後も、改憲問題は注意深く考えたい。   (先頭に戻る)

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No.102 「平昌オリンピックの楽しみ方」(2018.2.14)

韓国・平昌(ピョンチャン)での冬季オリンピック(2月9日開会式)は、いろいろな意味で楽しませてもらっている。北朝鮮が核・ミサイル開発を進め、国連の経済制裁と日米韓が圧力(軍事演習)を高める中で、オリンピック開催ができるのかが気がかりだったから、何とか開催にこぎつけた韓国政府の頑張りには感心したし、金王朝と文大統領との駆け引きにも目を見張った。しかし、オリンピックとしての面白さは、何といっても世界最高のプレイ、選手本人が伝えるドラマ(努力、喜び、悔しさなど)の中にある。

   私自身は大人になってからスキーに2~3回行った程度でオリンピック種目は経験も知識もない。それでも、スノーボードやスキーを操って、軽やかに空中に飛び上がったり、回転したりのアクロバット的な動きをテレビで見ていると、選手本人が一番楽しそうに思える。
   カーリングという競技は大きな石を氷の上で滑らせ、ブラシで氷の表面を磨いて自分の石を的の中心に誘導し、相手の石を遠ざける技術を競うものだ。これも楽しそうで、なんだか子供の遊びのようである。だがスイスとカナダのミックスグループの決勝では、選手が正確に目標に石を運んで行く手法に驚嘆させられた。比較的なじみがあるスキージャンプは、風が強い中で行なうことは危険である(テレビには風速が表示される)。そこでスタート位置を下げて飛びすぎる危険を避けながら、その分の点数を加算して公平を保つ仕組みにはなっている。だがTV解説者によれば、追い風だったり急に風向きが変わったりすると飛距離が出ないとのこと。だから運・不運で成績が決まることもあると知った。
   12日夜までの日本選手の成績は、フリースタイル男子モーグルで原田智さんが銅メダル、スピード女子1500で高木美帆さんが銀メダル、ノルディックスキージャンプで高梨沙羅さんが銅メダルを取ったと報道されている。NHKを含めたメディアが「メダル、メダル」と言い立てるので、そのプレッシャーで緊張しすぎたり、メダルを取れなかったことを悔やむ人もいるのではないかとも気になる。オリンピックに出るような人達はプレッシャーには慣れているのかもしれないが、それでもテレビでインタビューされる選手の目に涙が浮かんだり、声を詰まらせたりしているところを見ると、その苦しさや悔しさが想像できる気がする。

   ところで、深夜まで競技を続けている理由の一つは、
オリンピックのテレビ放映権のせいでもあると聞いた。米国のNBCが2032年までの米国向け放映権を独占しているため、米国の視聴者のゴールデンアワーに合わせた競技の実施計画になっているようなのだ。1兆円近い金をIOCに支払うとは言え、選手や開催国の便宜を無視することもあり、クーベルタン男爵も嘆くのではないかと思われる。
   2020東京オリンピックが真夏の真っ盛りに開催されるのも、米国の春秋には別のスポーツ大会があるので競合をさせないためのようだ。日本では秋晴れの季節がスポーツ大会にふさわしいと思う。ロシアは国家ぐるみのドーピングがあったため選手は個人としてオリンピック旗の下で入場行進をした(それも悪くなかった)。スポンサーでもある国家や放映権で支配する企業の都合を優先するのではなく、プレイをする選手を中心としたオリンピックとなるよう関係者はもっと努力すべきではないか。   (先頭に戻る)

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No.101 「株式譲渡所得の確定申告をする」(2018.2.7)

コメが年貢(税金)の対象であった江戸時代には、藩の財政を安定させるため、豊凶にかかわらず一定の税を納める方法(定免法)が普通だったようだ。農民は不作の年には困窮したが、開墾地には年貢が直ぐにはかからないなどの理由もあって、豊凶を調査して年貢の額を決める検見法と比べて評判は悪くなかったらしい。
   現代の所得税は、負担公平と富の再配分の考え方から、所得のない者には課税せず、高額所得者ほど税を高くする累進課税がとられている。株式の譲渡所得については累進税率ではなく、復興特別所得税を含め所得税(税率15.315%、他に住民税5%)を納付する仕組みだ。私は、遺産相続した株式を昨年売却(税制上は譲渡という)し譲渡所得を得た。それで確定申告をして税金を納めようとしている。

   確定申告に伴う問題はいくつかある。納税の言葉や事務になれていないと、申告資料の作成は難しい。私は源泉徴収口座しかもたないので、株式の譲渡所得を申告するのは初めてだし、確定申告自体の経験も少ない。だが国税庁・税務署は丁寧な手引きを配布しているので、まあ何とか理解できそうだ。
   大きな問題は、両親が株式を購入し始めたのが、戦後間もないころだったので、購入価格(取得費)が不明であることだ。譲渡した額の95%を所得と見なすルールもあるが過大な税額になる。そこで、それぞれの株式の異動証明書(売買年月日と株数が書かれている)を信託銀行から入手し、売買年月日の終値を東京証券取引所から聞き取って取得費用を推計する方法がある。株式異動証明でも遡れない場合は、上場以来の最安値を取得価格にしても良いらしい。取得費の推計には、かなりの手間を要する。

   確定申告の時期(今年の受付は2月16日からの1ヶ月間)は、税務署は殺人的に忙しくなる。多くの人が税務署を訪れ相談や受付で長い列になっているのを目にしているので、今からうんざりした気分になる。私は、何はともあれ期限までに提出資料を完成させなければならない。
   この役所のトップに、森友学園で安倍首相(夫人?)の意向を忖度(そんたく)し国有地の不当な値引きを指示したとされる佐川宣寿元局長が昇格・就任したのだから、税務署職員も良い気分ではないだろうと思う。税務署職員の働きで集めた国民の財産(税金)を勝手に使ってしまうような人と思えるからだ。
   安倍首相は、国会で「この人事は能力に見合った適正な配置だ」と説明した。この意味が、秦始皇帝時代の思想家韓非子の唱えた「信賞必罰」だとすれば、とても良く理解できる。逆らうものは殺し、命令に従うものは必ず賞を授けるという「君主が群臣を統御する方法」である。佐川氏は、首相からは褒められたが、国民・納税者の期待を裏切ったのではないのか。日本国憲法では、公務員は王様や皇帝の家臣ではなく「全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定めている⇒(憲法15条2項)  (先頭に戻る)

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No.100 「植物が人を育てている」(2018.1.29)

人は、「人間が樹木や穀物などの植物を育てている」と考えがちなのだが、実際は違う。この地球では、植物が動物(人間を含む)を育てているのである。これは、人間中心の考え方を捨ててみれば理解できる。人間は害虫のように植物に寄生しているだけと言っても過言ではない(同じ植物を食べる虫になって見れば人間こそが害獣だろう)。植物は光合成を行う力を持っている。光合成は厳密な説明は難しいのだが、高校生レベルの説明では、「植物が光のエネルギーを使って、炭酸ガスと水から炭素を固定し糖や澱粉を作り、酸素を生みだしてくれる」ことだ。私たちは、光合成の作用でつくられた樹木や米麦、綿、豆、トマトなどを利用させてもらっているにすぎない。植物は、太陽光を実に巧みに利用して繁栄してきた。

   藍藻類のシアノバクテリアが、20~30億年前に大繁殖して、炭酸ガスだらけの地球を酸素の多い状態に改造してくれたおかげで、酸素を消費するだけの動物が生まれ、オゾン層ができるなどして動物も陸上で生活できるようになった。また、水中に溶けていた鉄分が酸素と結びついて沈殿して鉄鉱石となり、過去の植物である石油・石炭も人間が勝手に利用している。地球史的に見ても、植物の役割は決定的であるので、植物学者牧野富太郎が、植物を信仰の対象にした宗教を作りたいと考えたのも無理からぬことだ。

   植物は、住宅や食べもの、紙、繊維などを供給してくれる。そして花や盆栽、観葉植物などで私たちの生活をうるおいのある楽しいものにしてくれる。植物は精神面でも人を育ててもくれるのだ。
   この1月に、私は12鉢の胡蝶蘭を人からもらったが、うち7鉢が枯れてしまった。もらった時点では葉が青々していたのだが、花や葉がパラパラとこぼれ落ちて行った。やがて落花、落葉は止まるだろうと放置していたのが悪かった。もらった直後に痛んだ根の手入れをして花と葉を切り捨てれば生き延びたかもしれない。根は湿って腐り始めていたから、寒い場所で水を大量に与えられていたのだろう。
   それから1月1日に咲き始めた黄色のミニカトレアは、先週、しなびて茶色になってしまった。寒波が来たときに水をやって窓際に置いていたのが悪かったようだ。花は何も言わず、ただ枯れていくだけである。夢の中で「もう少し咲いていたかったのに。私のことをもっと理解してよ。」と恨みを言われたような気がした。私は何も言い返せない。

   (春さんの随想は100回目になりました。毎回同じようなことを書いたり、うまく表現できないと感じたりもしていますが、これまで、拙い文章につき合って下さった皆様には感謝します。書こうとする意欲は、人間世界の情報と友人からの言葉、そして目の前にある数十のランの株からいただいています。今日は、少し暖かくなって平年並みになるとの天気予報でした。)   (先頭に戻る)

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No.99 「言葉より前に"思い"がある」(2018.1.20)

絵画や音楽で表現できる場合もなくはないのだが、日常的には、自分の思い(感情、思考、気持ち)は言語によって伝えるしかない。口に出しても文章にしても良いが、何かを伝えたいときには、私の場合は常に日本語を使うことになる。そうでなければ考えさえまとまらない。 だから「始めに"ことば"ありき」と聞いても、宗教的な意味は別なのだろうが、あまり違和感を持たなかった。

   しかし、実際には「始めに"思い"ありき」だ。それは、言葉を学ぶ前の乳幼児をみれば分かる。気持ちを伝えようと顔の表情(笑顔や泣き顔)や身振りで知らせようとする。大人でも自分の考えを正確に表す言葉がなかなか見つからないのは、"思い"が最初にあって時間的に後から言葉が選ばれるからだろう。ぼんやりとした思考であっても、頭の中で言葉よりも早く生じるのは間違いなさそうだ。
   今から40~50年前には、「動物は言葉を持たないから考えることもしない」という説が常識であったが、動物も、考えたり声を使って伝達したりすることが観察されてきた。更には、言葉(鳴き声など)の使い分けのような事象も観察されている。例えば、ケニアの平原に暮らすサバンナモンキーは、ヒョウ、ワシのそれぞれに別の警告の声をあげることが観察された(資料論文1990)。また、危険なヘビに出会ったときにチンパンジーは仲間に警告の声をあげるが、その際に仲間の聞き手の状況(子供の存在、聞き手がヘビに気づいているか否か)を考慮しているらしいのだ(論文2011)。

   ヒトの場合は、他者への伝達方法はとても複雑である。時には専門用語や高度な知識が必要だが、不正確でも感情に訴える言葉が有効な場合がある。本当の気持ちを隠し、不安に陥れたり安心させたりしながら、他を操ることもできる(言葉ではないが騙す能力は他の動物にもある:アメリカカケス論文2006)。ヒトが言葉で他人を騙せるのは、言葉が"思い"と同じであっても違っていても、聞き手が理解できるからだ。会話、携帯電話、インターネット、テレビを利用して、善意の人も詐欺師も大活躍している。
   ヒトが騙されるのは、自分の好みにあった情報を選びたがる(信じたがる)からだ。2017年末にオバマ前大統領が、ヘンリー王子のインタビューに答えて、インターネットの危険性について「ネット上では、人々は全く違う現実を持っている。ネットの情報が彼らの偏見を強める(繭に包まれたような)状態を作っている」と警告したと報道された(→CBS/AP20171227)。確かに、異なる意見に耳を貸さず、ネットで好きな情報ばかりを集めていると、知らないうちに、どこかに導かれていく感じがする。こうした意味では、トランプ大統領は毎日ツイッターを巧みに使いこなしているように思われる(比較:オバマトランプ)。   (先頭に戻る)

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No.98 「牧野富太郎先生の生き方」(2018.1.13)

高知市の浦戸湾の付け根に五台山という山(標高146m)がある。市街地や浦戸湾を臨める見晴らしの良い山だ。山頂付近に県立牧野植物園がある。牧野富太郎博士の業績を顕彰してつくられた植物園で研究機関でもある。私は、2017年の12月13日にここを訪れ、牧野が命名したノジギクなどを見た。
   牧野は幕末1862年に高知県佐川村に生まれ、長じて日本中の植物を採集し、標本を作り(60万点)、分類し、新種(1000以上)、新変種(1500以上)を命名した人だ。東京帝国大学で助手・講師として78歳まで勤め、退職後90歳を過ぎても植物採集、図鑑作成に力を注いだ。
   私の牧野についての印象は、牧野の能力を恐れた教授から疎まれた人、とても緻密な植物図を書くという程度だったが、牧野植物園を訪れ、「牧野富太郎自叙伝」を読んて知ったことは、ものすごく植物が好きな人、とても科学的な(筋の通った合理的な)考え方をする人だったということだ。

   20歳頃の牧野は、植物学者になるための意見書「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」を書いた(解説→Lablogue)。そこでは、例えば、洋書を含め物理や化学など関連する本を読むこと、画図を引く技術を身につけること、野山を歩き回る労を厭わないこと、農民や婦女子からも植物の呼び名や使い方の情報を集めるなどの方針を書いている。そして書物には間違った内容もあるから鵜呑みにするな、分からないことを造物主(神)のせいにするなとも言っている。86歳になった牧野は、この意見書を原文のまま読者に公開した。彼の生き方は、まさしくそこに書かれたことの実践だった。
   植物が好きなことは、牧野が「草木は我が恋人」と何度も言っていることから分かる。酒も煙草もやらず、高齢になっても植物採集(言葉・文献の採集も)に明け暮れ、標本の整理を午前2~3時までしたとのこと。両親と早く死に別れ、酒造業を営む祖母に育てられたから、姉妹兄弟のいない牧野には植物が心の友になったのかもしれない。

   ところで、イヌフグリハキダメギクという名前を聞いて、「牧野は可憐な花にヒドイ名前をつけた」・・と困惑し非難する人がいるが、私は「それは考えすぎですよ」と言いたい。ふぐり(垂れた袋状のものの意味、松かさの意味も)とは、陰嚢・睾丸の和名だが、この植物の実の形が犬のふぐりに似ているから名づけたというだけである。そもそも、牧野には、ふぐりを拒否する感覚は無かっただろう。明治期までの田舎には共通した感覚だったに違いない(当時はおおらかであり混浴なども普通)。掃きだめはゴミ捨て場のことだが、昔の家には庭の片隅に掃きだめがあるのが普通だった。そこでよく見かける菊科の植物にハキダメギクと名づけただけだ。イヌフグリの命名で牧野を非難する人は、本当にふぐりを嫌悪すべき(猥褻なもの?)と思っているのだろうか。そうだとすれば、男性は自己嫌悪に陥らなくてはならないではないか(次の写真はオオ・イヌノフグリ)。   (先頭に戻る)

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No.97 「子ども科学電話相談の楽しさ」(2018.1.5)

年末25日から1月8日までは、NHKラジオで冬休み子ども科学電話相談という番組をやっている。以前は夏休みだけだったが、人気があるので冬休みにも始めたとのことだ。何年か前の夏の番組で、「どうして海の色は青いんですか」という問いに、先生は「空が青いから、空が映っているんだよ」と答えておられた。質問した子どもが納得したのかは分からないが、私は妙に納得してしまって、その後何人かの大人に同じ質問をしてみたが、「分からない」という答えばかりだった。確かに夜の海の色は暗いし夕日の海は赤くも見える。
   年末の相談の時に、5歳の子どもが「月と太陽とどちらが大きいの?」と聞いたとき、先生が「日食は知っているかな」と聞き返したが、この答え方は失敗だった。5歳の子どもが、日食など知っているはずもなく、窓口のアナウンサーが、「遠くにあるものは小さく見えるんだよ」と答えて納得してもらっていた。小学5~6年生になると、私が初めて聞く名前の恐竜について細かな質問する子もいる。窓口のアナウンサーが子どもに「どうしてその質問をしたいと思ったのか」と動機を聞いているので先生には答えやすいと思うのだが、先生自身が、子どもがどこまで分かっているかが分からないので、不完全な答えになってしまうこともある。
   飼育したり観察したりしたことについての質問は、画像はないが、質問が具体的だから回答する先生と話がかみ合う。「どうして」「なぜ」という問いは、「どのように」などと比べて根源的な問いだ。始めの疑問に答えても、更に「どうしてそうなるのか」の疑問が残る。回答者の先生は第一線の研究者や経験豊かな人達だが、限られた時間で回答するという制約もある。

   1月4日には「アームストロング船長が月に下りたときに、アメリカの国旗が揺れていたから、本当は月には行ってないのではないか。」という小学生からの質問があった。以前にもあった陰謀説と同じだったので耳をそばだてていたら、先生は「真空中や重力が小さい場でも振動が起きることは実験で確かめられている。旗は横から見えるように縁に棒が入っていた。月の石も持ち帰って分析した。決定的なことは、その後の月の衛星写真で旗もちゃんと写っていたから、本当に、ほんとにほんとうーに人間は月に行ったのです」と回答された。とても良い回答だと思った。事実を伝えるだけでなく、説明する人のどうしても分かって欲しいという強い熱意が大事なのではないだろうか。
   森友・加計問題では、安倍首相は「丁寧に説明する」と何度もいっていたのに、証人喚問を拒否して同じ内容を繰り返すばかりの回答だった。こちらは知ってもらいたくないという強い熱意の表れだろう。   (先頭に戻る)

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No.96 「2017年は分断が進んだ年」(2017.12.30)

ある団体が2017年を漢字一字で表す公募をしたらトップは「北」だった。今年は北朝鮮を意識する人が多かったのだろう。自民党麻生副総理は、10月に「総選挙で自民党が勝利したのは北朝鮮の核とミサイルのおかげ」と発言した。野党は反撥したそうだが、実際は副総理のいう通りだろう。国民に不安を煽った政策が功を奏したのだ。安保法制や共謀罪のような国民の意見が分かれる法案を強行採決し、森友・加計問題があったのに支持率が下がらなかったのは、全く北朝鮮のおかげだった。人気がなかったジョージ・W・ブッシュが、2001年9.11の貿易センタービルの攻撃のあとで、支持率が90%まで回復したとの同じである(戦争になれば愚かなトップでも支えなければならないという人々の連帯感と優しさ)。

   私が2017年を漢字1文字で表すとすれば、「断」を選ぶ。年初にトランプが大統領に就任し、パリ協定からの離脱、メキシコとの国境に壁をつくる宣言をし、イスラム教徒や黒人への差別的発言をし、年末にはエルサレムをイスラエルの首都として大使館を移転させる方針を明言した。異質の決断であり、文字通り世界の人々とアメリカ人との連帯を断ち切る行為だった。北朝鮮の金王朝もトランプ政権といい勝負だ。核の抑止力を信じる点では全く同じだ。安倍政権は北朝鮮の乱暴なやり方を巧みに選挙に利用した。小池都知事に騙された民進党は立憲民主党、希望の党などに分裂してしまった(今も分裂中)。EU各国では移民排斥を掲げる政党が躍進してEU統合の意味が問われている。スペインのカタルーニャ州の独立も話題になった。貧富の格差も拡大し、各国で分断が進んだ年だともいえる。
   「断」のつく言葉は、決断、切断、分断、断固などあるが、その意味は「切り分ける」「決定する」ということ。トランプが決める社会のイメージには、人種差別、女性蔑視の感じがつきまとう。アメリカファーストは掛け声だけ。トランプファーストでしかない。彼に投票した白人の低所得層の人達は政策の恩恵にあずかっているのだろうか。

   2017年、世界には良い決断もあった。真っ先に挙げたいのは多くの国が賛成した国連の核兵器禁止条約だ。この条約の成立に力を注いだNGO国際団体の「I CAN」はノーベル平和賞を受賞した。日本は唯一の被爆国だ。「米国の意向に逆らってでも核兵器禁止条約に賛成して欲しい」と願っていたが、安倍政権は全く逆だった。日本政府は国連の審議にも加わらず、核兵器禁止条約に反対をした。それなのに「核保有国と核を保有しない国との橋渡しをする」ともいっているが、日本政府に、いったいどんな橋渡しができるのだろう。世界の大勢は核兵器禁止に舵を切ったのだ。
   民主党政権のときには、決められない政治と批判されたが、人々の生活を悪くする政治ならば、決められない方がましだ。子供の時に私は、「12月8日の日米開戦が始まったときにどう感じたか」と親に聞いたら、「当時はアメリカなどにひどい意地悪をされて不安だった。もやもやした気分が日米開戦ですっきりした。希望が持てる気がした。」と祖母と母が答えてくれた。帝国陸海軍の決断は、大変な苦しみと悲しみを日本人にもたらした。
   2017年(平成29年)は、あと一日で終わる。天皇の退位日程が決まり、平成はあと1年半で終わる。あまり先のことは考えても仕方がないが、日本人にとってこの1、2年は、とても大事なときになる気がする。   (先頭に戻る)

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No.95 「地道な調査で嘘の報道を検証すること」(2017.12.24)

最近、神戸製鋼など優良企業が製品検査をせず、データの偽造までしていたと話題になっている。大企業、政府機関、メディアによる嘘や事実の隠蔽は、倒産や甚大な被害を招くことを肝に銘じて欲しい。
   
放送倫理・番組向上機構(BPO)は、NHKと民放連と会員各社が加盟する放送の質の向上を目指している組織だ。そのBPOの放送倫理検証委員会が、今月(12月)14日に、東京MXテレビの番組『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見を公表し、「重大な放送倫理違反があった」と結論づけた。
   この番組は今年1月2日に放映された。その内容に多数の抗議が寄せられたため、BPOの検証委員会の出番となった。 番組は、沖縄県の米軍北部訓練場内で進められた東村高江地区のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)の建設に反対する人々を「日当を得て活動している」、「現場に出動した救急車を止めた」などと報じ、コメンテーターが建設反対派を批判したり揶揄したりする内容であった。東京MXテレビの責任は、外部の制作会社からの持ち込み作品なのに、考査と裏付け確認をしないまま放映したことだ。

   BPOの検証委員会は、番組制作者や関係者から直接取材し調査した。例えば、「建設反対派が救急車を止めた」と解説したことについて、「現場に出動する救急車を実力で妨害する行為は、その態様により公務執行妨害罪、威力業務妨害罪にも該当しうる犯罪行為である。しかも人命にかかわる場合もありうるのである。このような事態が生じていると報じる場合、事実の存否について、まず消防や警察に事実確認を行うことは取材の基本であり、また容易にできることである。」という問題意識で調べている。
   検証委員会が、救急車を運行管理する地元消防本部消防長や東村高江区長から、救急車の利用回数、運行が妨げられたと思われる事例などを聴き取りをしたところ、救急車を妨害した事実はなかったこと、逆に番組制作会社からは全く取材はなかったことが確認できた。意見書では「本件放送では、制作会社が消防や警察に対し、抗議活動に参加していた人々による救急車の通行妨害の事実の有無を確認した形跡はうかがえない。」と結論付けた(⇒委員会の意見全文

   BPOの検証委員会の意見を受け、東京MXテレビは12月14日に再発防止に務めるとのコメントをした。感情に流されず、一つ一つ検証することは時間も金もかかるが、民主主義国ではとても大切なことだ。私は、今回のBPO検証委員会の活動を高く評価したい。
   12月19日にTOHOシネマズで友人達と「否定と肯定」を見た。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)はなかったという学者から名誉棄損で訴えられた歴史学者の裁判の話だ。ナチスの心酔者は「いろいろな意見があり、ホロコーストはなかったかもしれない」と思わせることを狙う。事実の確認と科学的な考え方が決定的に重要な世界だ。   (先頭に戻る)

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No.94 「くさやは家庭では取扱い注意」(2017.12.17)

ランの株(花の終わったもの)を譲ってくれた友人から、先日、「人からもらったものだけど良かったらどうぞ」と言って、くさやをいただいた。くさやは、ムロアジなどを強い臭気がある塩汁(魚のタンパクが乳酸発酵した液)に漬けて干した干物だ。この塩汁中では食中毒菌は全て死滅する。くさやは通常の干物より塩分が少なく、味も良くなるようだ(くさやの誕生)。
   喜んで自宅にくさやを持ち帰ったが、くさやの臭いを経験したことのあるパートナーは、「家の中で焼くのは絶対に止めて!」という。どうしても焼きたいとねばると、「台所の換気扇を最強にして、換気扇のついていない側の窓を開いて部屋に臭いが立ち込めないようにしなさい」と注文をつけられた・・・とここまでは良かった。しかし実際にフライパンに油を引いて焼き始めたら、たちまち臭いが部屋に立ちこめてしまった。一番の失敗は換気扇を「弱」のまま作業をしてしまったことだ。パートナーからは「あれだけ反対したのに、おまけに条件も守らないで焼いてこんな状態にしたのは許せない。」と詰め寄られた。

   この日は外の気温が10℃程度だった。換気扇を「強」にしなかったのは、室内にある洋ランを寒風に曝すのはまずいからだったという言い訳も頭に浮かんだ。だが火に油を注ぐのは避けて、ひたすら低姿勢を続けた。くさやを入れた袋をゴミと一緒に外に出し、くさやを焼き終えた後も2時間ほど換気扇を「強」のまま動かし続けた。室温は洋ランには限界の12℃ほどになってしまった。夜になっても臭いは完全にはとれなかった。臭いの成分は周囲のものに付着し、少々のことでは取れなくなってしまったようだ。
   翌朝、パートナーが台所の敷物を洗濯してくれた。そして、昼前には、一緒になって換気扇の掃除をした。パネルやフィルターを取り外し付着している油を洗剤で洗い落とし、台所のガスコンロの周りの壁を石けん液と水で洗った。そしてようやく臭いが消えるところまでたどりついた。
   犠牲を払って焼いたくさやは、ガラス瓶に入れ蓋をし、冷蔵庫で保存し三日間かかって食べた。美味しかったのは確かだが、教訓も得た。
   ① どんな良いものであっても、欠点もあるので取り扱いは気をつけること(ギリシャの物語を書いた塩野七生さんは、民主主義でも取り扱いには注意が必要だとNHKでインタビューに答えていた)。
   ② パートナーに約束したことは、相手の了解なしに破ってはならない(信頼が失われつつある時代だ。家庭の中でも信頼第一だ)。
   ③ くさやは、家では焼かないこと(今回の経験から)。
   ④ 台所の換気扇清掃は、マニュアルどおり原則として月に1回は行うこと(換気扇清掃を3カ月してなかったため、フィルターに油滴がついていて、一部は目詰まりを起こしていたことを知った。マニュアルは伊達には書かれていない)。   (先頭に戻る)

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No.93 「わたしたちが孤児だったころ」(2017.12.11)

程度に差はあれ、人は一生のうちに3種の人生を送ると思っている。この3種は同時進行することもあれば別々に進行することもある。その1種は自分が幼児や子供だったときに、祖父母などから直接話を聞くことで得た感覚だ。核家族が中心になった現代ではこの人生はうんと小さくなっている。2つめの人生は、親の話や経験から得た人生だ。子供や青年期は、親に従うにせよ、反撥するにせよ親の影響は極めて大きい。3つめの人生は、自分が親から自立した時代の体験である。歴史書などから得た知識も大切ではあるが、生身の自分が見聞き体験することこそ人生なのだと思う。
   両親のいない子供を孤児という。孤児は何でも話せる親がいないという意味で孤独である。しかし養父母が親の役割をしてくれることもあるから、精神的な意味では誰もが孤児ではないとも言える。また、異なる時代に住む別人として、親にだって話ができないこともあるのだから、誰もが孤児であるとも言える。

   英国人
カズオ・イシグロ「私たちが孤児だったころ」(ハヤカワepi文庫)を読んだ。今年のノーベル文学賞作家は、人の「記憶」に関心があるようで、この本は、名探偵になったイギリス人が、生まれ育った上海の街(租界)で両親と生き別れた時代を回顧する物語である。子供の時代1900年頃から1930年代に焦点を当てている。アヘンを輸出する会社に勤務する両親の生活と葛藤、隣家に住んでいた日本人のアキラとの友達関係、当時の上海社会の退廃、蒋介石軍や日本軍の戦闘(1937年の上海事変に主人公が巻き込まれる)、最後に明かされる孤児となった理由。

   この本のタイトルは「WHEN WE WERE ORPHANS」だ。主人公は、結婚をしないで孤児を養女として育てているので、それを含めて「私たちが孤児だったころ」としたとも思われるが、「人は孤児のようなものだ」という感覚と「それ故に過去を共有したいという願い」とが混ざった気持ちから「WE」としたのかもしれない。
   日本人にも思い出したくない記憶があるように、中国へのアヘン販売はイギリス人にとって思い出したくないこと(忘れたいこと)だろう。1937年(昭和12年)に私の父は日中戦争に召集されたので、この時代がどう描かれているか興味を持って読んだ。読み終えて、分断された時代であっても、良心、名誉、愛情、平安を願う気持ちは私たちに共通しているのだと感じた。   (先頭に戻る)

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No.92 「君は動物の気持ちが分かるか」(2017.12.3)

頼まれて雄雌2匹のネコをあずかった数年前のある日のこと。ドアを開けた拍子に、物音がして部屋に入って来た雌猫を踏みつけそうになった。そのとき私の背後にいた雄猫が「ワウ・ワウ」と鳴いて、私と雌猫との間に飛び込んできたのだ。いつもは殆ど鳴かない猫だが、それまでの鳴き声と全く違う声だった。まるで「俺の彼女に何をするんだ!」と抗議されたように感じた。 雄猫が優しいから雌猫をかばったというわけではない。同じ場所で餌を与えると、自分の皿を食べ終えた雄猫が、のんびり食べている雌猫を押しのけ、雌猫の皿の残りを全て食べてしまうのだ。2匹は子猫のときから常に一緒に飼われており、じゃれあっては雄猫が雌猫を組み伏せてしまうのが普通だった。
   雄猫は3年前に他界した。異様なことなのでこの件は今も覚えているが、「ワウ・ワウ」と鳴いた理由は分からないままとなってしまった。

   私が小学生の頃、先生や大人たちは「人間だけが心を持っている」とか、「人間だけが道具を使うことができる」とか、「動物は本能で行動するが、ヒトは考えることも愛情を持つこともできる」などといってヒトを特別視していた。生物学者を含めてそれが当時の知識レベルだったに違いない。
   霊長類研究者のフランス・ドゥ・ヴァールの
「動物の賢さが分かるほど人間は賢いのか」(2017発行)によれば、現代では、類人猿だけでなく、ゾウ、カラスやタコなども、認知や感情、考える力を持っていることを証明する事実が観察されるようになってきたとのことだ。かっては、科学者でも、宗教的な世界観(神様が一番で、人間は2番、哺乳類は3番、虫は4番、最下位は微生物などという世界観)に影響されていために、人間中心の考え方から抜け出せなかったが、現代では、自然の中で一緒に生活したり、動物たちの身体能力に合わせた実験方法を開発したりすることで、見えてきたものがある。
   人間の価値観や能力を基準として動物の行動を評価しているのでは理解したことにはならない。ネコの考えをわかろうとすれば、ネコになったつもりで、同じものを食べ、ネズミを追いかけ、昼寝したり縄張りを見回ることが必要だ。普通の人間にはとても難しいし、理解できる動物には限りがあるが、全くできないことではない。

   更に研究が進んで、生き物の能力や考えが全て理解できるようになれば、素晴らしいことだ。何十億年を生き延びてきたものは全て存在する理由とそのための素晴らしい仕掛けを持っているからだ。野生の動物達が同じ種内部の紛争をどのように解決しているを見ることは人類が生き延びる知恵になるはずだ。「我が輩は猫である」で漱石が描いたように、ヒゲや皮膚に走る微量な電流の変化から考えが読める技術が見つかるかもしれない。高度に知的な宇宙人との交流のためには、タコの考えを読み取り伝達する技術開発を今から進めておかなければならないかもしれない。
   もちろん良いことばかりではないことも覚悟しておく必要がある。養豚に携わる人が、「もう少し生きていたい。殺さないでくれ!」という豚の気持ちを読み取ることができるとしたら、飼い猫が「去勢するのはやめてくれ!」、「マグロの刺身を食べさせてよ!」などと訴えてきたら、拒むには、相当の苦痛を伴うに違いない。   (先頭に戻る)

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No.91 「銃保有は米国民の権利?」(2017.11.23)

多くの日本人が理解できないことの一つは、アメリカ人の銃保有・使用への寛容さである。今年の10月には史上最悪といわれるラスベガスでの殺傷事件(死者58人、負傷者500人以上)が起きた。これまでにも学校や集会所で銃を使った犯罪が起きており、そのつど銃規制の強化が話題になってきたのに、今回はトランプ大統領が銃容認を掲げていることもあって銃規制はほとんど話題になっていないようだ。
   銃保有を認める根拠は、合衆国憲法の修正第2条である。憲法上の権利なのだから、個人の銃規制を連邦政府がやろうとしても簡単ではない。憲法を変えるには上下両院の3分の2で発議し、全州の4分の3の議会(又は憲法会議)によって承認されることが要件だからだ。国民投票の制度はない。議員は全米ライフル協会(武器製造業者や銃愛好家の団体)などの豊富な献金やロビイストの活動に左右されるので、修正第2条の廃止や改正は事実上不可能である。

   アメリカの独立は、13の植民地(州)が武力でイギリスから勝ち取ったものだ(⇒1775~1783独立戦争)。合衆国憲法は1787年に制定され、修正条項の多くは1791年に成立したが、修正第2条は1992年にようやく最後の州の承認が得られた(⇒経緯)。そこには何と書いているか。(⇒条文)
   「修正第2条 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。」
   この条文は13州の民兵が独立戦争を戦ったことに配慮して作成されたものであり、州の人民が連邦政府に抵抗できる権利として武器保有を認めたものとされる。
   230年前には意味があったかもしれない。しかし今は国家の安全とはかかわりない市民同士のトラブルでも個人に銃の保有と携帯を許すと解釈されている。銃によって女性や子供を守れるのか。憲法で保障しなければならない個人の権利なのか。犯罪履歴のある者でも認められるのか。州によって規制の程度が違うこともあり議論が続いている。参考1(是非をめぐる議論)参考2(修正第2条の解釈)

   11月にTOHOシネマズで映画「女神の見えざる手(原題Miss Sloane」を見た。ある巨大な団体から銃規制法案の廃止のため女性票取り込みの工作を依頼された有能な女性ロビイストMiss Sloaneが、その依頼を断わり別の小会社に移って銃規制法案の成立に死力を尽くす物語りである。銃規制反対派から聴聞会で法律違反を追及され活動ができなくなる寸前のMiss Sloaneの最後の逆転劇に感動させられた。そして、アメリカではMiss Sloaneのような人が何万人もでてこなければ、ラスベガスのような不幸な事件は永遠に無くならないだろうという暗い気持ちにもなった。   (先頭に戻る)

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No.90 「ファレノプシスの季節」(2017.11.16)

台湾では胡蝶蘭(フゥティラン)と呼ばれ、日本ではコチョウランと呼ばれる花がある。学名ではファレノプシス(Phalaenopsis)だ。暑い夏が終わり、秋から冬になり始めるころは、ファレノプシスの花芽がつき始める。熱帯アジアが原産地のファレノプシスの花芽が形成される理由は、温度が下がることで花芽を促す植物ホルモンが増加するためだと思っている。洋蘭の育て方の本には、この時期は、葉っぱの成長を促す窒素は与えないで、花や実に必要なリンやカリウムを多く与えるようにと書かれている。
   ファレノプシスは、強い日射を嫌い半日陰を好むが、寒さ(目安は13℃以下)は避けなければならない。近年は耐寒性がある品種が増えてきたので、特に加温をしなくても鉄筋コンクリートの部屋で容易に栽培できるようになった。そのおかげで、私の家では毎年花を咲かせてくれている(下右の写真)。

   今の時期の栽培の楽しみは、花芽を発見することである。花芽は、株の真ん中の茎から左右に互生している葉の下から出てくる。根も同じように葉の下から出てくるので、栽培を始めたころは、根と花芽の区別がつかず待っていたら根だったことが分かりがっかりもした。上に伸びる根もあるのだ。現在30株ほどあるファレノプシスのうち3株に花芽がついている。これから毎週の水やりのたびに花芽を発見できるのではないかとわくわくしている。
   「あれ。ちょっと見て。これは花芽じゃないかな。」
   「はっきりは分からんけど、根ではなさそうだね。」
   「花は見たことがない株なので、どんな花か楽しみだ。」
   「花が咲くまで頑張ってね。」
   花芽は出始めてから1~2ヶ月後には花が咲く。それまでの成長を見るのは特に楽しい。花芽の軸(花茎)が伸び、その花茎にいくつかの花の蕾がつく。栄養状態が良ければ蕾はたくさんつく。蕾が大きく膨らんだなら確実に開花することは経験で分かってきた。寒くなる時期なので水やりが多いと根が腐って花どころではなくなる。だが花芽がついてからは、ある程度水をやらなければ蕾が大きくならず、そのまま立ち枯れてしまうこともある。良く観察して注意深く水をやることが必要だ。

   ビニールポットにいれたファレノプシス3株の寄せ植えが大きな化粧鉢に入れて花屋さんで売られているのを見かける。多くの花が集まって豪華に見えるので、開店祝いや事務所開きなどの贈答用となることが多い。私の持っているファレノプシスの中にも、大鉢の寄せ植えだった株がある。友人などから花が終わったからとしてもらったものだ。
   ファレノプシスは、葉っぱが毎年1~3枚増えるだけで株がどんどん増える性質は持っていない。私の場合の問題は部屋が狭いので、鉢を置ける場所(陽当りのある場所)に限界があることだ。パートナーからは、「これ以上増やすのは我慢ならない。そのうちに捨ててしまうわよ。」と脅されている。
   同じ種類の株がいくつかあるので、蕾が膨らむ頃になったら、花が好きな人に進呈しようと思っている。花は1~2ヶ月は咲き続ける。欲しい方は声をかけて下さい。   (先頭に戻る)

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No.89 「日の丸を掲げて11.3集会に参加」(2017.11.6)

10月末に、9条改憲に反対する11月3日の集会の新聞広告を見た。安倍首相は「憲法9条に自衛隊を明記し2020年に施行する」と述べている。憲法学者(樋口陽一、小林節先生など)の本を読んで、憲法9条の改正は必ず国民に不幸をもたらすと思うようになった。広告の応援者に尊敬する益川敏英先生(ノーベル賞受賞者)の名前を見つけたので、集会に参加し気持ちを表現したいと思った。
   そこで、
国旗(日章旗=日の丸)の小旗を作ることを思い立った。11月3日は文化の日だ。自由で平和を求める憲法公布を祝う日だ。大東亜戦争の犠牲が大きかったため国旗への悔恨や嫌悪する気持が国民の中にあることは知っている。しかし国の在り方を定める憲法への気持ちを伝えるには、国旗は意味を持つ。大音量で軍歌を流す街宣車のおじさんと間違えられるのも嫌なので、紙製の日の丸に2つの文章を書いた。「憲法9条を変えないでください」と「自衛隊の明記は必要なし!」だ。

   「自衛隊の明記は必要なし!」の意味するところは次のとおりだ。この考えは更に検証していきたい。
   最高裁判所は自衛隊を違憲の存在とはしていない。「我が憲法の平和主義は、無防備、無抵抗を定めたものではない」ともいっている。憲法の番人である最高裁が「自衛隊は違憲だ」といっていない以上、憲法に新たに自衛隊を明記する必要は全くない。もし明記すれば以下の①~③のように国民に不幸をもたらすと私は思う。
   ①憲法第9条に自衛隊を書き込めば、財務省など他の組織とは違う一段格上の機関となる。明治憲法で統帥権という用語が帝国陸海軍のエリート達に利用されたように、自衛隊が突出して勝手に予算を決める恐れがある。現在5兆2千億円の予算が急速に膨張する(福祉や教育に充てる金が無くなる)。
   ②自衛隊は日本人が作りたくて作った組織ではない。朝鮮戦争勃発で手薄になった米軍を手助けをするために昭和25年にマッカーサー指令(ポツダム政令)で作られた警察予備隊が始まりだ。その関係は今も続いている。信じたくはないが、一昨年の安保法制の制定が実は米国の要請であったことが明らかになっている(毎日新聞11/4「時の在りか」記事。自衛隊の明記は新たな押しつけ憲法の始まり?)。
   ③憲法学者の元山健先生が毎日新聞で述べているように、法律の解釈には「後法優先の原則」がある。「法律と法律の内容が相互に矛盾・抵触する場合には、時間的に後に制定された法律が、時間的に先に制定された法律に対して、優先的に適用される」という原則だ。第9条第2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」となっているが、第3項に自衛隊が記述されれば、法解釈として自衛隊は第2項の例外となり自衛の枠を超えた交戦も可能となる(第2項は死文となり、憲法の平和主義が崩れる)。

   11月3日は上天気になった。日比谷公園や国会前の木々は紅葉が始まっている。3本の小旗を持って中央会場の側を通ったとき、若い女性から、「あっ!日の丸だ。あんたはどういう人なの」と聞かれた。「ただの日本人だよ」と返事をして「良かったら使ってください」と1本手渡した。
   会場では立憲民主党の枝野代表や今年のノーベル平和賞のICANの運営委員川崎さんの話があった。私は少し離れてそれを聞いていた(左写真)。私から小旗を受け取った女性は、うれしいことに集会終了までそれを掲げてくれていた(右写真は菱山南帆子さんのサイトから)。私は日の丸の小旗を見ていた人が多いのに気づいた。嫌な言葉はなく、温かい気持ちで帰路につくことができた。   (先頭に戻る)

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No.88 「『帝国の慰安婦』裁判: 残念な韓国・高裁判決」(2017.11.2)

著書「帝国の慰安婦」が元慰安婦の名誉を毀損したとして訴えられた裁判の控訴審判決がソウル高裁で10月27日にあり、著者の朴裕河(パクユハ)世宗(ゼジョン)大学教授は有罪とされた。私は、No.56「慰安婦問題の理解のしかた」の中で、「この問題で日韓いずれにも対立を煽る人達がいるが、良いこととは思われない」と書いたが、その状況が続いているようだ。日本では従軍慰安婦に日本軍の関与は一切なかったとして河野談話を批判する産経新聞のような声があるが、韓国では文大統領の支持団体の一つ挺対協が元慰安婦の意見を代弁するとして裁判に関わり、少女像設置運動などを強力に進めている。
   2017年1月25日の一審判決では「あくまでも価値判断を問う問題であり、刑事手続きにおいて法廷が追及する権限や能力を超える」とし、「公的な事案について表現の自由はより広く認められなければならない」としてパクユハ教授は無罪であった。

   私が高裁判決に疑問に思う点は、次の2つである。
   ①名誉棄損というが、この著作が具体的に誰の名誉を傷つけたのかがはっきりしていないことである。報道では、高裁は「著書に登場する慰安婦は日本政府に謝罪や賠償を求めて告訴した元慰安婦らと特定される」としたとのことだが、本を読んでみればわかるが、いろいろな動機や状況で慰安婦にならざるを得なかった多くの女性たちを描いており、告訴した慰安婦の名誉を傷つける表現は全く見当たらない(逆に著者が自国の同性である元慰安婦に大変同情をしていることは随所に書かれている)。
   ②一審判決の時点は、今年の3月10日に罷免される前の朴大統領であった。現在は挺対協も支持する文政権である。日本の森友・加計問題で総理の意向を忖度(そんたく)した財務省などの高官と同様に、裁判官も大統領の意向(つまりは挺対協の意向)に配慮したのではないかと感じる。パクユハ教授は、韓国の若い歴史学者たちが学術誌に掲載した教授の著作に対する批判について「誤読と曲解、そして敵意に満ちた内容」だとして具体的に反論を行っている。学者としての公平な反論になっているので、慰安婦問題を考える方には是非読んでいただきたいと思う。⇒朴裕河論文(2015/10/15) 

   パクユハ教授の立場は、従軍慰安婦に関して日本軍を擁護するものでは全くない(逆である)。また、日本軍は直接募集にかかわらなかったともいっていない。彼女は「軍医が性病検査を行っていること」や「不法で強引な募集を『取り締まった』ことこそがこの問題に対する軍の認知と権力と主体性を示す。」と説明している。そこでは慰安婦を供給する帝国のシステムに現地の多くの韓国(当時は日本の植民地として日本語も教育も強制されていた)の業者が関わっていたことを指摘し、韓国側にも冷静に過去を見ることを求めている。私は、見たくないものも謙虚に見るということが正しい歴史認識だと理解しているので、そのとおりだと思った。
   高裁判決について、日本の新聞は「学問の自由を侵す判断だ」などの社説を掲げている(毎日社説朝日社説)。「感情論や政治性を排した歴史研究は、不幸な過去を繰り返さないために重要だ。」という主張にはまったく同感である。どこの国でも、国民の不満が政権に向かうことを恐れて外国への敵対意識を煽ることはありがちである。先入観を捨て謙虚になって扱うべき問題である。  (先頭に戻る)

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No.87 「秋の味:栗の渋皮煮」(2017.10.28)

先週、茨城県内の道の駅での実を買った。1300円で丸々とした30粒ほどが網袋に入っていた。「30粒ほど」といったのは粒を数え忘れたからだが、重さは980gだった。それで渋皮煮に再度挑戦した。以前作った渋皮煮は栗の実の形が煮崩れしまったので、今回はきれいな栗の形を残したいと思ったのだ。 渋皮煮とは、栗の固い皮(鬼皮)を除いた実を砂糖で煮たもののこと。鬼皮をむいても実の表面は筋張っていて赤黒い。これが渋皮だ。渋皮にはシュウ酸などの酸やタンニンなどが残るので、そのまま食べれば苦くて不味い。だから重曹(炭酸水素ナトリウム)を使って煮てタンニンなどを溶かし出すのだ。なぜ重曹で溶けるかの理由は、重曹が水の中で炭酸とナトリウムに分かれ、タンニンを構成する難溶性の芳香族化合物にナトリウムが付くとタンニンの親水性が高まるからとのこと。

   渋皮煮を作る手順は次のとおり。
①鬼皮をむく(ニッパーで鬼皮をつまんで引きはがす。手が痛くなる)
②重曹を入れた水で15分ほど煮る(タンニンが溶けて赤黒い煮汁になる)
③煮汁をすてて、重曹で煮ることを繰り返す(まだ、赤黒い色が残る)
④煮汁を捨て水だけで10分ほど煮る(まだ多少赤黒い)
⑤煮汁を捨て水にさらした後、鍋に水と砂糖をいれて15分ほど煮る
⑥火をとめてブランデーなどを添加する
   4回も煮るので煮崩れしやすくなる。今回は丁寧に扱ったので崩れが殆どなかった⇒写真。
   私は、風味のある味が好きなので白砂糖の代わりに中ザラメ糖を使ってみた。砂糖は栗の重量の半分程度(栗1kgに砂糖500グラム)とした。甘みが強いので、冷蔵庫でしばらく保存できる。お茶の時間に、あるいは食後のデザートとして美味しくいただいている。和菓子屋さんで栗のお菓子を買うと、一粒200~300円するのでためらうことが多いが、お金を気にしなくて済み、自分好みの甘さのマイ和菓子になるのが魅力だ。
   料理や掃除などの軽作業をするのは、健康にも良いようだ。医学誌「ランセット」で9月に発表された研究報告のニュースによれば、5年間、毎週5日、30分間の料理・掃除等の作業や歩いて通勤を続けると死亡率が8%程度低下するとのこと(もっと活発な運動を長時間すれば更に効果はある)。世界の13万人を調査した結果だそうだ。WHOが1週間に150分の中程度の運動を推奨していることの根拠にもなる。
   退職して通勤で歩くことが減ったので、私にはウオーキングや台所仕事も健康のためには大切な時間となった。ただし、炭水化物の多い食事は死亡率を上げるという記事もあるので、台所で作業をしても、作ったご飯や栗などを食べ過ぎないように気をつけなければならない。  (先頭に戻る)

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No.86 「総選挙で見た民進党の姿」(2017.10.26)

10月22日の衆議院選挙の結果は、自由自民党が圧勝。森友・加計学園のスキャンダルがあったので多少は与党が減るのかと思っていたが逆だった。民進党が、元自民党員で防衛大臣を務めた小池都知事の作った希望の党(外交・防衛などの基本政策は自民党と差がない)に移る方針を決めたことが自民党勝利の原因だ。9月の民進党の代表選で代表となった前原氏が、それまで進められてきた市民団体や共産・社民との候補者調整が進むことを嫌って、先の都議選で大人気だった小池氏との一体化路線に舵を切ったためである。

   小池氏が民進党に是非来て欲しいと言ったわけではない。だから、小池氏側の条件(踏み絵という解説もある)を飲まざるを得ず、これに同意しない議員は、無所属か、代表選を争った枝野氏が急遽作った「立憲民主党」から立候補することとなった。その結果は、公示前15人の立憲民主党が55議席を獲得し野党第一党となった。希望の党は公示前の57名が50名(小選挙区で18、比例で32)と減少し、要の議員が落選した。198の小選挙区の候補者の殆どは落選だ。無所属で当選した元民進党議員は19名だった(図解)。
   立憲民主党や一部の無所属議員を勝たせるため、日本共産党は多くの候補者を取り下げた。それにより愛知7区の山尾しおり氏(動画)や長野1区の篠原孝氏(ブログで感謝の弁)らが当選した。共産は大幅議席減となったが、その態度には潔さを感じる。

   孔子の言葉「民信なくば立たず」は、人々の信用が第一ということだ。以前は自民党のリーダーが党内で不祥事があるたびに使っていた言葉だ。民進党には、ミンシンは同じでもこの言葉をいう人がいなかったのか。希望に移った議員は、これまで主張してきた安保法制(集団安全保障の名目で自衛隊員が海外で戦争させられる法制)への反対姿勢を捨ててしまったようだ。支持政党を持たない人達は政治に無関心というわけではないから、信頼を失う言動をすれば、あっという間に支持は失われる。
   「政権選択選挙」という人もいたが、私は、民進党には政権を取ることではなく、政策立案能力と国民の声を聞く謙虚さ、暴走する与党へのブレーキ役を期待していた。子育て支援、男女平等、教育無償化、情報公開などの政策はもともと野党がいっていたことだ。与党もいっているが、実際にやっていることは違う場合が多い。野党にはそれを厳しくチェックする役割がある。
   自衛隊が海外で戦争をすることを望む国民は少ないから、私は改憲勢力といわれる議員が国会で2/3を割って欲しいと思っていた。与党が2/3を割る可能性が大きかっただけに、選挙の結果は大変残念に思う。今後、希望の党はごたごたするし、立憲民主も真価を問われる。民進党出身の議員は信用するに足る言動をして欲しい。そして自民党が「謙虚になる」というならば、口でいうだけでなく、強行採決などは絶対に止め、野党ととことん話し合って欲しい。国会は、与党が多数を頼んで押し切る場所ではなく、民意をくみ上げる議論の場である。  (先頭に戻る)

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No.85 「ゴミ処理の苦労を知る」(2017.10.21)

たいてい人は綺麗好き、清潔好きである。散らかったゴミや臭いがある場所は好まない。清掃はそのためにある。私の地区では、可燃ゴミ収集は週3回、不燃ゴミは月1回、資源ゴミは週1回、有価物(新聞、毛布、古着など)回収は週1回などとなっている。私はゴミ収集や処理施設で働く人々にほぼ毎日お世話になっているわけだが、回収後の作業は見たことはなかった。10月17日に町会の企画による、市のリサイクルセンターと清掃工場の見学会に参加して新しい知識を得た。

   初めに、ビン、缶、ペットボトルのリサイクルセンターを見学した。我が家もペットボトル、空き缶を頻繁に出すので印象に残った。ペットボトルは、このセンターで選別、圧縮して、再利用できる透明なプラスチック(
PET樹脂)のみがリサイクル工場に運ばれる。金属缶、鍋、フライパンなどは、鉄とアルミに分けて再利用工場に送られる。ビール瓶、酒瓶など生瓶(イキビンと呼ぶ)はそのまま再利用に回され、それ以外はガラスの色別に選別されて砕かれてリサイクル工場に行く。
   PETボトルは手選別で大変そうだった。量が多く、汚れたり液体などが入ったりしているもの、フタやラベルが付いたままのものが混在しているからだ。大量にベルトコンベアーで流れてくるものを人力で仕分けしている(写真左)。汚れたものは焼却に回される。リサイクルセンターの担当者からは、①PETボトルはきれいに洗って空になってないとリサイクルできない、②ガラス瓶は、割れたビンは危険なので不燃ゴミとして別に出して欲しい、③金属類のうち刃物や針は不燃ゴミ扱いになる、④アルミ缶と鉄缶は磁石で選別する。潰れてない方が選別し易いため潰す必要はないなどの説明があった。

   清掃工場とは今年3月に完成したゴミの焼却場のことだ。可燃ゴミを積載したトラックがひっきりなしに来て巨大なピット(写真右)に投入し、巨大クレーンでゴミは焼却炉に投入される。ダイオキシンを出さないために850℃以上に保たれ、燃焼熱を利用する発電施設と温水プールが設置されている。家具など粗大ごみは粉砕し金属部分を回収した残りは焼却される。炉の温度が下がると灯油で助燃するが、通常は空気を送るだけで燃えるとのこと。発電機の能力は最大8800KWで、工場内で使った残りの5~7000KWは売電しているとのことだった。灰は埋め立てなどに使われる。以前は都市で問題になっていた焼却場周辺住民とのトラブル回避を意識した作りになっている。防音と排ガス規制のため継続して窒素参加物等の測定を行っていて、測定値が入り口のパネルに表示されている。
   地域が良くなるためには、住民は行政を監視し、生活を改善することには積極的に協力するという態度が必要だと思う。昔、社会科の先生が「地方自治は民主主義の学校だ」と教えてくれた。ゴミ処理は自分のことでもある。自ら出したゴミや汚水の処理がどうなっているかは住民は知る義務があるし、改善を求める権利もある。他県のことだが、基準を超える糞便性大腸菌がいるお台場をトライアスロン開場にすると話題になっている。ならば、これを機会に小手先の解決ではなく、汚水と雨水の完全分離など金がかかっても取り組んではどうか。次世代に残すべき財産は巨大なスタジアムではない。誰もが安心して泳いだり、いつでも水と戯れたりできるきれいな水辺が都心に出現したならば、とても素敵だ。  (先頭に戻る)

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No.84 「森のクマさんとの接し方」(2017.10.14)

前回(No.83)の続きの話でもあるが、ツキノワグマの生息状況については、①九州では数十年も前に絶滅したらしく(2012年環境庁の絶滅宣言)、四国では四国山地のごく一部で十数頭が辛うじて生きているらしい(絶滅の恐れ状態)、②本州では近年、生息域が拡大傾向にあり人間との軋轢が生じるほどになっている。特に2000年以降は、クマが人里に出てきて家畜や作物に、稀だが人にも害を与える状況がある。その場合には市町村が捕獲・狩猟で殺処分したり、麻酔銃で眠らせ山奥の生息地に戻したりの措置がとられている。その地域のクマの全体の分布や頭数が分かっているわけではないし、不作時には数十㎞も移動して他の市町村や他県に行ってしまうのだから、これらの措置が、保護なのか絶滅に手を貸しているのか、あるいは他の地域に迷惑を押しつけただけなのか不明な状態にもなっている。

   ニホンジカは100~200万頭にも増えていて、毎年その1割程度が狩猟されているのに対して、繁殖率の低いツキノワグマは全国でも数千~1万頭前後と見られていて、小集団が孤立しているところもある。県・市町村は、猟友会、環境団体や大学などの手助けで保護・管理対策を行っているが、猟師の減少、クマの専門家が少ないのが悩みとのことだ。
   クマは通常は人に出くわすのを恐れて、人家の近くでは夜に活動することが多い。専門家は、クマの生息地では残飯や家畜の餌を外に出さないこと、クマの出る場所にはミツバチの巣箱は置かないこと(要はクマが人里に居着かないようにすること)、クマが出没する場所に行くときは音声を出すことを推奨し、クマによる事故の調査報告書も提供してくれている(⇒日本クマネットワーク・事故防止プロジェクト)。

   ツキノワグマは、50~30万年前に大陸から日本列島にやってきた。人間は2~1万年前に来た新参者だ。自然の状態ではどの程度の密度で保護するのが良いのかが分からない。かっては、漢方薬の材料や肉などのため狩猟の対象であった。加えて薪炭や製鉄用に樹林を利用したので生息適地が減少した(そのせいで九州のクマは絶滅したと推測される)。今ではクマを利用しないから、生息地域近くに住む人達にはクマは迷惑な存在になっているとも思う。クマがいなくなって困ることはないかもしれないが、夢とか文化といった魂の働きがなくなる気がする。ぬいぐるみにはクマは欠かせない。クマにまたがる金太郎はある時代の日本人の夢である。蜂蜜好きのクマのプーさんは世界中で愛される人気キャラクターだ。絶滅すれば話に重みがなくなるし、自然に親しむ機会も失われるので、それは何としても避けて欲しい。
   マムシのような毒蛇であっても、その生息地に人がむやみに立ち入らないことで別の貴重な生き物を守っているかもしれないし、ネズミや危険な病気・害虫の発生を抑えてくれているかもしれない。そもそも多くの野生生物は人間の利害を超えたところで生きている。   (先頭に戻る)

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No.83 「ドングリの生き方」(2017.10.7)

秋は収穫の時である。森や林ではブナ科(ブナ、クヌギ、コナラ、クリ、カシなど)のドングリ類(堅果類)が実る。クマ(ヒグマ、ツキノワグマ)は雑食性で、春にはシカの幼獣を襲って食べることもあるが、日常的には昆虫や木の実を食べている。特に森の中に棲むクマにとってはドングリは重要な食べ物だ。山崎晃司博士の「ツキノワグマ」によれば、奥日光で観察したツキノワグマの臼歯はニホンジカのそれのようにすり減っていたとのこと。ドングリが不作の年は、数十㎞の遠方まで移動して食べものを探すか、体力の消耗を防ぐため早めに冬眠してしまう。また、メスグマは、初夏に交尾するが、受精卵は初冬まで子宮への着床が遅延され、冬眠前に体脂肪が蓄積できたかどうかで、出産するかどうかを決めているというのだ。
   近年増えすぎて、毎年狩猟されているシカ(ニホンジカ、エゾシカ)は、ドングリを良く食べる。タヌキやリスもドングリを食べる。ドングリはとても栄養価に豊んでいる。昔は人もドングリなどの木の実を食べて飢えをしのいでいたのだろう⇒JA長野

   それでは、食べられる側のドングリはどうだろうか。良く聞かれるのは、動物に食べられても糞の中に残った種子が発芽して生息範囲を広げる利点があるという説明だ。しかし、比較的大きなドングリは臼歯ですり潰ぶされてしまうので、何も良いことはない。だからコナラなどは、動物が嫌うタンニンを多く含んで、あまり食べられないように自己防衛している。ネズミにとってタンニンを高濃度に含むドングリは危険だという実験結果もある⇒森林総合研究所のQ&A「野ネズミにとってドングリは本当に良い餌か?」。人はあく抜きしてドングリを食べることができる。
   ブナはタンニンを含まないが、通常年は不作で何年かに一度豊作になるという方法で生き延びている。植物生理学会はQ&A「どんぐりなどの結実の周期」で、その説明をしている。毎年同じように実がつければ自分を食べる動物が増えてしまうが、不作の年が続けば動物の頭数が増えることはない。数年間のうちに一度、豊作になって種子を増やす機会があれば、十分だ。その時には食べ残しやリスなどが地中に蓄えたドングリが発芽することができる。
   自国や自分の属する民族、自分の家族を意識しすぎる人間には理解しにくいのだが、生き物の世界では、一定の集団(種)としていかに生き延びていくかが大事だ(というか、それが生き物だということ)。ドングリが動物から身を守る方法を考えるということではない。偶然の積み重ねではあろうが、気候変動や他の生物の影響を受け、一部が死滅した後に生き残った集団の存在理由を考えてみると、生物はそれぞれ見事な生存戦略をもっているとしか言いようがない。   (先頭に戻る)

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No.82 「選挙の争点:米朝の核・ミサイル」(2017.9.30)

安倍首相が9月28日の臨時国会冒頭に解散総選挙を宣言した。解説によれば、希望の党に民進党から離党者が続出しているので、この機会に選挙をすれば勝てると踏んでのことだという。首相は、少子化対策のために消費税率を引き上げることと、北朝鮮への対応について国民に信を問うとして、「国難突破解散」と強調した。森友・加計でのスキャンダル隠しという見方も否めないが、私は首相の解散の考えにも一理あると思った。北朝鮮への対応については、「自民党の方針では恐ろしい事態を招くかもしれない。それが起きた後で文句を言われないためには、国民の覚悟を聞いておきたい」との意図が読み取れるからだ。悲惨な事態が起きても、「国民が私の方針を支持したんですよ!」と居直ることができるのだ。

   首相は、その前週9月21日の国連総会で、北の核・ミサイルの放棄のためには「必要なのは対話ではない。圧力だ」と演説している。トランプ大統領は、「先制攻撃を含む全ての選択肢がテーブルの上にある」としており、首相は米国の立場を「一貫して支持する」といっている。この意味はお分かりだろう。軍事的な脅かしである。他方、金王朝は、核・ミサイル開発は続けると宣言している。経済制裁には国民が飢えても構わない独裁国だ。米朝が対話を避けて非難しあうだけでは必ず戦争になる。既に米国の軍事産業の株価が値上がりしはじめた。核を搭載した北朝鮮の潜水艦が米国の近くまで行けるようになれば、米国も金王朝を世界の核クラブのメンバーとして認めないわけにはいかなくなるが、核の不安は永続する。
   戦争が起きれば大惨事になる。
NEWSWEEKの記事では、朝鮮半島では核兵器が使われないとしても、毎日2万人の死者が出ると予測している。米国も北朝鮮の基地や能力をすべて把握はできていない。朝鮮戦争の犠牲者は250万とも、400~500万人とも言われている。今は格段に兵器が進歩している。金王朝が崩壊するのは確実だからやけくそにもなる。電磁パルス攻撃だって、核兵器使用だって厭わない(トランプも厭わないだろう)。日本の米軍基地や東京や原発施設にだってミサイルが飛ぶことはあり得る。

   他方、「そんな愚かしいことは止めろよ!」と言っている国もある。北欧やスイスは仲介すると言っているが、米国は耳を貸す気配はない。核の傘があろうと無かろうと、核ミサイルが自国に向けられれば防ぐことはできない。自国が核兵器を持っていて他国には持つなという理屈があるとも思われない。何百万人もが死んで終わる戦争に勝ち負けの意味はあるのか。哲学者の内田樹さんは、勝つか負けるかという問題ではなく、統治の問題として考えるべきと言っている。納得できる意見だ→(内田樹研究室:米朝戦争のあと)
   核兵器禁止条約は9月21日に50か国の賛同が得られて発効した。9/30日の毎日新聞で「核兵器廃絶要求署名に516万を超す署名が集まった。10月に始まる国連総会軍縮委員会に日本原水爆被害者団体協議会が提出する」という記事が載った。被団協の努力に感謝している。
   国民の声を聞くのが民主主義国の政治というものだ。私は言いたい。「米中など偉大な国の指導者達よ、北の核・ミサイルとともに自国の核廃絶も始めて欲しい。そうすれば北への説得力が増すだろう」、「有権者の皆さん、戦争を防ぐ方法は対話しかありません。首相が与えてくれたせっかくの機会だから、悲惨な事態を起こさないベストの選択をお願いします。」   (先頭に戻る)

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No.81 「年寄りとしての私の生き方」(2017.9.26)

9月18日(月)は西日本に大雨をもたらした台風が去って32℃と急に暑くなった。私は、洗濯をしたり、写真をホームページにアップしたり、小説などを読んだりして一日を過ごした。この日は敬老の日だ。新聞は、総務省調査で90歳以上の老人が206万人を超えると報道していた。日本の高齢者(65歳以上)の割合の大きさは世界一だそうだ。自分が高齢者になったせいか、老人の多さに気づくようになった。町内会活動や、観劇・歴史の勉強会に行けば8割以上が高齢者という感じだ。病気や事故で既に亡くなっている友人もいることを思うと、生きているだけでも素直に喜ぶべきだろう。

   退職して、あるいは子育てや介護から離れると、自分だけの時間が増える。それは嬉しいことではあるが、ぼんやりとテレビを見て過ごしたり、不健康な生活をするようにもなる。それを避けるためには、ボランティアや自己啓発活動、スポーツで身体を動かすことが推奨されている。パートナーに先立たれても大丈夫なように、自ら食事づくり・掃除・洗濯も望ましいとされている(私は実践中)。
   年寄りになってどう生きるのが良いのか。この夏(7月18日)に105歳で亡くなった日野原重明先生のような人生を送ることができるならとても素敵だ。2014年2月に104歳で亡くなった詩人のまど・みちおさんは100歳を超えても創作活動を続けておられたとのこと。おふたりには、子供や人間への思いやりと人の命を大切にする姿勢が共通している。実際に戦争を体験されての平和に対する思いは強い。日野原先生は共同通信の取材で、一昨年成立した集団的自衛活動を容認するなどの法律については、「私は絶対反対である」と言い切っておられた。「より強力な武器を競いあうことは、きりがない。(武力を持たない)憲法の精神は人々に耐えること、許すことを教えている。聖書の精神にも似ている」との発言は、私にはとても、新鮮な感じがした。

   健康で長生きは誰しも望むところだが、その秘訣は脳を活動させることのようだ。「手足を動かしたり創造的な何かをしたりすること(文章や絵を書く、料理を作る、演奏をするなど)は、免疫機能を高め頭がぼけるのを防ぐ効果がある」と親しい医師が何度も言ってくれた。「人生を楽しむ」ことも、長生きの秘訣だ。世の中に役立つことであっても面白くないことばかりでは長生きできないことは察しがつく。知の巨人といわれる人の人生論や老人への助言も参考にはなるが、100歳を超えてご自身が健康で活動して来られた日野原先生やまどさんの発言内容は、実践的な意味で自分の指標にしたいと思っている。
   昨日9月25日は、友人に誘われて浅草の5656会館で行われた劇団にんげん座の公演「巷に雨の降るごとく」を見た。浅草六区に芝居小屋が多かった時代の物語の中に、ダンス、歌、コント、芝居が取り入れられている。笑いながら3時間を過ごした。観客は高齢者が多かった。出演者にも80歳を超える人がいて楽しんで演じていたように思われた。そのことも心が安まることだった。   (先頭に戻る)

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No.80 「生物地理の魅力:なぜそこで生きている?」(2017.9.16)

博物学(Natural History)という自然界の物事を記録する研究分野がある。日本でも平安時代につくられた和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)は、天文、衣食住、爬虫類や魚類、草本のことなどを事典のように記載している。実用的解説であると同時に人々の好奇心に応えたものだ。博物学は自然誌と呼ばれることもある。7つの海をまたにかけた大英帝国は、海外の珍しいものを自国の博物館に集め利用もした。博物学者ダーウインは、化石や生き物を見て種の起源を書き、キリスト教的世界観を大きく変えた。

   その博物学の一分野に生物地理学(Biogeography)がある。どこにどんな生き物がいるのかという疑問に応えることが基本だ。なぜどんな経過でそのグループ(種)が誕生したのか、どんな生活をしており、他のグループとどこが違うのか、なぜ生き延びてきたのか、あるいは、なぜ絶滅に瀕しているのか。
   生物地理学では、グループ(種)の識別が出発点である。見た目の違いで分類していたものが、今日では、DNAの塩基配列によってグループ(種)の近縁関係を調べることが可能となり、見た目は違うカバとクジラに共通性があることなどが分かってきた。増田隆一博士の「哺乳類の生物地理学」によれば、狸の糞中のDNAを調べることで、その集団の大きさや、雌雄、他の集団との血縁関係なども分かるようになってきたとのことだ。
   生物の化石、生殖・生理、生態などの研究成果とあわせることで、その生き物の過去と未来も理解できることになる。農林漁業、衛生や生物保護などに役立つ知見も期待できる。更に、種の存続という視点で研究成果を大局的に捉え直すと、人類が生き残るためのヒントさえ見つけられる気がしてくる。

   数年前から友人のM博士に誘われて、日本生物地理学会のシンポジウムや研究発表会を傍聴してきたが、2年前から正会員になった。年間6千円を支払い、会報を読み、研究発表を聞く。何かの義務が生じることではないが、関連する本を読むようになった。また、現役の研究者(大学、博物館、水族館、環境省などの研究機関)が、鯨類の腸内にいる微生物や見聞きしたことのない海の生き物などについて発表するのを聞くと、「うーん、すごい。我等人間とは全く違う生き方があるんだ!」という気になり、人間社会の嫌な面を一時忘れさせてくれる(危険な外来種や絶滅危惧種の報告では嫌な世界が顔をだすこともあるが)。   (先頭に戻る)

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No.79 「脅し合いの行き着く先は?」(2017.9.9)

北朝鮮と米国との緊張がますます高まってきた。8月15日にグアム島周辺へのミサイル発射計画がでた後、グアムへのミサイル発射はなかったので少し落ち着いたのかと思っていたが、米韓軍事演習(8/21~31)が行われている8月29日には、北のミサイルは北海道のはるか上空(大気圏外)を超えて太平洋上に落下した。専門家は、技術が向上して米国本土に到達するのも近いと予想している。9月3日には過去最大規模の核実験(広島に投下された原爆の10倍、水爆?)を行った。その間、国連安保理での制裁強化の決議がなされてきたが、北朝鮮は核・ミサイル開発を続ける方針のようだ。
   この間、「ロフテッド軌道」だの「電磁パルス攻撃(EPM)」だのという新しい言葉を知った。知識が増えるのは嬉しいことだが、心は晴れない。金王朝もトランプ大統領も、先制攻撃もあり得るなどと恐ろしい発言を繰り返しているからだ。
   北がなぜ核ミサイル開発を続けるのかは、専門家によれば「イラクのフセイン政権やリビアのカダフィ政権の崩壊を見たから」とのことだ。米国に攻撃されることを恐れているのだ。国民が飢えようが、核・ミサイルを持てば米国に攻撃を思いとどまらせ、国(金王朝)は守られるという核抑止力の考え方だ。米国は、核開発を断念させるには中国とロシアに経済制裁を厳しくやってもらうことが必要だと主張している。しかし、ロシアはもちろん中国も自力で核・ミサイル開発を続け、今では立派な核保有国として、米国と肩を並べている国(北朝鮮にとっては手本の国)だから、説得は不可能だろう。しかも、ロシアは、ウクライナの領土問題で米国などから経済制裁を受けている。中国も南シナ海南沙諸島をめぐって米国と対立している。

   日本はといえば、76年前(1941年=昭和16年)に米国、英国などから在米日本資産の凍結、経済封鎖(石油などの輸出禁止)を受けて苦しんだ末に、先制攻撃(真珠湾攻撃)に進んでいった経験を持っている。経済制裁の強化が戦争を引き起こす恐れがあるとは分かっているはずだが、米国と歩調を合わせている。8/29のミサイル発射では、日本政府は、特定の地域に警報(Jアラート)を出した。当日のニュースで「避難しろと言ったって、どこに避難すりゃいいんだ」と腹立たしげに話していた人達が印象的だった。もしも核兵器を搭載したミサイルが直接向けられた場合には、一般国民には逃げ場がないことは、原爆ドームと原爆資料館を見た人ならばわかるだろう。どうやって国民の生命を守るというのか。
   金王朝とトランプ政権の脅かし合いが、本当の戦争の切っ掛けにならないことを祈っている。政権中枢の人達は、安全な地下壕に隠れることができるだろうが、爆弾で先ず殺されるのは、女性・子供を含む一般国民である。朝鮮半島に住む人達もアメリカ人も日本人も、こんな馬鹿気たことで死んで欲しくはない。戦争は人災である。引き返しができるうちに外交交渉を始めて欲しい。   (先頭に戻る)

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No.78 「市の防災訓練に参加した」(2017.8.30)

8月27日(日)は、市主催の総合防災訓練があり、防犯パトロールを一緒にしているTさんに勧められて参加した。震度6強が発生したという想定で、午前9時のサイレンを合図に、各家庭で机の下などで安全を確保し、その後、市内各地の小中学校に集まり、いくつかの訓練を行うのだ。私の住む校区では8つの町会から総勢200名ほどが参加した。小学校の運動場と体育館を使って、消火訓練(消火器の使い方)、応急の介護(三角巾の使い方)、パーティションの設置(避難場所でのプライバシーを保護)、自家発電機による照明灯(ガスボンベ2本で90分発電可能)、トイレの設置(パイプ、布、便器と槽の組立て)を体験した。体育館のそばの防災用倉庫には備蓄用品と資機材が保管されている。訓練終了後に、賞味期限が近い缶入りパンとペットボトルの水をもらって帰宅した。
   曇り空の下で比較的涼しい風が吹く一日だったので、日頃接触しない人達と挨拶を交わしたり、共同作業の感想を言い合ったりして、参加者は楽しい時間を過ごしたように見受けた。このイベントを準備してきた市・消防署の職員や学校の管理者は苦労をされたと思うが、住民にとっては苦痛ではなく、むしろ楽しく参加できたことが一番の成果だろうと思った。住民の防災意識、つまり死者やけが人を少しでも少なくする意識を高めるには、先ずは、近所付き合いの楽しさがなければならないと思うからだ。私の町会では役員は全員目立つヘルメットをかぶり、一般参加者のために体育館用のスリッパやお茶まで用意してくれていた。市のチラシには小中学生が作った標語で「~地震にも勝てる絆は地域の輪~」と書かれていたので、訓練の意図が分かったような気がした。サラリーマン時代、近所との付き合いを殆どしてこなかった私には、新鮮だった。

   日本では地震が一番心配されている。8月25日に
中央防災会議の専門家会合で報告書が出され、懸念されている南海トラフ地震でも確度の高い地震予知は困難として、対策を見直すこととされた。阪神淡路や東日本大震災を予測できなかった反省でもある。相手は地球である。人が謙虚になることは必要だ。地震発生の時期や場所の予知が外れたら、大勢の生命や巨額の財産が失われるというのでは困る。
   私たちは、大震災以降、震災や豪雨災害などで体育館や仮設住宅などに避難している人達を見てきた。そして今(7月14日現在)でも全国の避難者数は9万人近くいる(福島県が最も多い)。その生活がいかにつらいものかはテレビでも放映されてきた。福島の原発事故の場合は、廃炉の手順さえはっきりしないし、帰宅困難地域の道路や住宅敷地内は除染されて帰宅できたとしても、山野には放射性物質の塵が撒かれたままだ。
   不意に大災害が起きても被害が最小限となるよう、安全な都市計画(建物の耐震・防火対策、津波対策、交通通信網の安全確保、避難場所の確保)、備蓄や訓練、治山・地水、原発の廃炉と代替エネルギーの普及に十分な予算を投じる政策に転換してもらいたい。   (先頭に戻る)

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No.77 「政府が再び誤らないための記録」(2017.8.24)

戦後72年目、この夏もNHKからいくつかの戦争にかかわるドキュメンタリーが放映された。以前に見た映像もあったが、新しく発見された記録(映像、音声、写真、文書)に基づいた作品が目についた。ドキュメンタリーを作成するために、空襲や原爆の被災者、軍人・軍属と遺族、戦闘に参加した米英の将校など(多くは90歳以上の人達)にインタビューして裏付けをとっている。相当な費用と労力をかけて作成されたと思われ、そのような作品を作ったNHKに敬意を表したい。10作品ほどのドキュメンタリーは、いずれも知られてこなかった重い事実を含んでいる。私がすごいと思ったのがNHKスペシャルの次の4作品だ。

   8月6日放映の
「原爆死~ヒロシマ72年目の真実~」は、広島市の56万件の被爆者のビッグデータ(カルテや検死記録)から、爆心地からの距離と死因などを最新技術で解析し、時系列で地図上に示したものである。NHKが超1級のビッグデータというだけあって、強い説得力を感じた。爆心地からの距離だけでは判断できないことをはっきり示しており、原爆症認定基準にも影響を与えると思った。
   8月12日放映の「本土空襲全記録」は、米軍戦闘機に搭載されたガンカメラや米国国立公文書館で見つかった空襲映像を基にしたもの。東京大空襲から地方都市まで、爆弾(原爆を含む)が落とされたり機銃掃射を受けた戦争被害の記録である。当時の飛行士のインタビューも含まれる。都市の無差別爆撃は当時でも国際法違反だった。なぜアメリカがこれを行ったのかについては、8月13日放映のBSスペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」で、B29の開発の意味と兵器工場だけに限定した方針を止めて無差別爆撃に転換した米軍内の事情を説明している。この記録には、米軍が日本の都市に毒ガスを散布する計画も含まれていて、とても驚いた。
   8月13日放映の「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」は、ロシア・ハバロフスク軍事裁判の記録(音声)がベースになっている。約3000人の中国人やロシア人捕虜に、零下20℃で凍傷を起こさせたり、毒ガスやチフス菌等で殺傷効果を試したりした医師たちの記録である(批判を恐れて終戦時に捕虜全員を殺害した)。良心の呵責から自殺した医師の話や、医師の指示に従った衛生兵達の悲しみのインタビューを交えて、衝撃的である。
   8月15日放映の「戦慄の記録 インパール」は、敗戦の色が明らかな時期に行った牟田口中将による英軍基地攻略、インパール作戦の話だ。英国の記録映画や現地で指揮をとった将校の日誌を基にした作品。この攻略作戦を無謀だとする参謀や現地の隊長を更迭してまで強行し、食糧も弾薬も補給なしで2万人以上を死なせた犯罪ともいえるような作戦だ。撤退中にも熱帯の雨季下で饑餓と赤痢・マラリアなどで倒れていく日本兵。それを見てきたミャンマーの農民。生き残った兵士がカメラに向かって、戦友を密林に置き去りにした悲しさ、作戦の非道さを涙ながらに訴えている。部下の命を犠牲にして手柄を立てようとしたトップは戦後も自己弁護に終始していたのが、兵士の姿とは対照的であった。

   米・英・ロシアは戦後の裁判記録などもしっかり残している。大日本帝国の場合は、ポツダム宣言を受け入れた後に莫大な軍の記録を焼却し隠蔽した。指導者が戦争犯罪で追及されることを恐れたためだが、このことが帝国軍隊の非人道的な集団自決命令などの行為を覆い隠し、情報を持たない一般国民を弱い立場にしてきた(政府高官による「記録がない」、「記憶がない」などの発言は今年の夏の国会閉会中審査でもたびたび見られた)。それでも、海外での情報公開と併せて、国内でも高齢となった戦争犠牲者が発言をするようになったことはすごいことだ。8月5日のNHKのETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」は、同じ開拓団員を助けるためとして犠牲を強いられた女性たちの声である。悲しいと同時にとても考えさせられた。
   私は戦争を経験していない世代に属している。断片的には聞いていたことが、戦後72年になって海外の事情を含めて、ようやく分かりかけてきた。戦争ドキュメンタリー番組はブルーレイに録画し、備忘録としてこの文章を書いた。   (先頭に戻る)

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No.76 「戦没者への思い:共感と違和感」(2017.8.17)

72年前の8月15日は、昭和天皇がポツダム宣言の受け入れて、大日本帝国の敗北を国民にラジオ放送(玉音放送)で明らかにした日だ。全国戦没者追悼式は政府の行事として、毎年この日に行われている。1952年(昭和27年)に第1回が新宿御苑で開かれ、その後は時期も場所も変則的に開催された。1963年(昭和38年)以降は毎年8月15日に行われ、昭和40年以降は日本武道館で開かれている。今年も、一昨日行われた。私は、これまで都合がつけば式典に合わせて黙とうをしてきた。その時には、故郷の寺の境内に20基ほどあった陸軍・海軍の戦死者の大きな石塔を思い出す(かくれんぼなどの遊び場所だった)。20~30歳前後の戦死だ。本堂には遺影も掲げられていた。一家の働き手として近所の人と同じように一生を終えることもできただろうと思うと切ない感情が沸く。切なさや悲しみ、それが私が黙とうをする動機だ。

   どのような思いで戦没者を追悼するかは、死者との関係や戦前の評価の仕方で様々だろう。8月16日の新聞に掲載された「お言葉」と「式辞」の全文を読んでみた。天皇陛下のお言葉では「先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」とあるので、悲しまれていることが分かる。「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、・・・」と述べられている。昭和天皇を父とし、戦前は大日本帝国の皇太子として育った方なので、途方もない犠牲者を出した戦争への深い反省を引き継いでいるのだと思われた。
   他方、我ら国民から選ばれた安倍首相の式辞は、何度読み返しても追悼の動機が分からない。戦死者を悼む悲しみの表現がないのだ。首相は「御霊(みたま)安かれと、心よりお祈り申し上げます。」と言っているのだが、「今、私たちが享受している平和と繁栄は、命をささげられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。・・改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」とも言っている。どんな意味で御霊(死者)に感謝するのかの説明はない。戦死は尊いことであり、戦死者となったことに感謝をすると言っているように読める。悲しい死を戦時中のように美化しているのではと思われて仕方がない。

   国民を総動員して無謀な戦争を進めたために、異郷の戦場、満州、国内各地で、戦闘・空襲・飢餓・病気・捕虜生活などによって300万人を超える人々が亡くなった。このような事態に至らせたことは、政府指導者が反省することではあっても、感謝することとは思われない。故人が暖かな思い出を残してくれたことを感謝する遺族の気持ちは良く理解できる。しかし戦場で殺されたり飢えで死んだりしたことを感謝する遺族がどこにいるというのか。
   職業軍人や招集された下級兵士(若者達)の死が無駄だったと言うつもりはない。戦没死が無駄か有意義かは、故人を含めてそれぞれの価値観によるしかない。もし戦死者の霊魂と話ができたならば、私は次のように言いたい。「生きのびて人生を全うしていただきたかったのです。あなた方の死は生き残った遺族に大変な悲しみや苦痛をもたらしました。しかし、あなた方の死が与えた悲しみは、戦後の私たちに新しい生き方を選ばせてくれました。戦争は絶対に嫌だと思うことで戦前の政治のやり方を反省し、国民の努力で繁栄を取り戻しました。72年間一度も戦場になったり、爆弾が地上に降り注いだりすることがなかったのはその結果です。生き残った人達とその子孫は戦争を起こさないと決意していますが不安もあります。これからも見守って下さい。」   (先頭に戻る)

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No.75 「痛みの共感が再発防止になる」(2017.8.14)

相模原市にある「津久井やまゆり園」で昨年7月26日に起きた殺傷事件から1年たった。事件の全容は解明されておらず、再発防止策は具体化していない。横浜地検が2月に起訴した植松被告の裁判は被害者の多さや被告の精神鑑定などで長期化しそうだ(毎日社説)。昨年8月31日の随想No.24で「健常者が人生の途中で障害の当事者になると、それまで気づかなかったことに気がつくことがある。」と書いた。盲人の生活を体験するため目隠しをして外出し「道路が不便で怖かった」とアナウンサーが述べている番組を見た。苦労することでも、別の視点で考えてみることは人生を豊かにでき、社会を改善することに役立つ。

   事件から1年たった毎日新聞7/28の論点を読んだ。注目した意見があった。生命倫理学の松原洋子さんは、優生学の問題を扱う立場から「自分が正義だと考える」風潮への疑問を投げかけている。植松被告がいう(家族や社会・政府に負担をかける)厄介な障害者に居所はないという(植松流の正義の)言説に安易に共鳴することへの批判である。障害が起きる可能性をもつ場合に子を生まないという親の選択はあり得るとしても、それを強制してはならない。健常者がいつだって障害者になり得ることを考えれば、障害者の排除を強要する考え方こそ、人類が自己を否定する破滅の思想のように思われる。
   当事者研究の熊谷晋一郎さんは、事件の背景に、多数の人達が不満や不安を抱えていることと、頼れる人が少なく自分の困りごとを他人と分かち合えない状態にあることを指摘している。競争社会で死にそうな目にあっていても、その苦しさを分かち合えなければ、自分を傷つけるか他人を害するかになってしまう(失業中の男が秋葉原で殺傷した事件、パワハラや長時間残業で自殺した例)。

   植松被告の考え方を広げていけば、健常者にも住みにくい残酷な世の中になる。誰もそんな社会は望まないだろう。松原さんも熊谷さんも、問題解決の簡単な処方箋があるとは言っていない。だから、松原さんが言うように「障害者から生きる場所や命を奪うことは誰も正当化できないといい続けるしかない」という意見はとても良く理解できる。
   不満・不安を分かち合うとは、相手の痛みに共感することである。自分には「金も地位も体力もあるので何の不満もない」という人もいるだろうが、苦労する人に共感することは難しいことではないし、嫌悪することでもない。昔の人の「子供叱るな 来た道じゃ、老人笑うな 行く道じゃ」という俚諺が参考になると思う。健康な人も病人や障害者になることはある。健常者が障害者に支えてもらうこともあるし、その逆もある。人を支えているからといって威張る必要もない。人間は商取引が発展する前から困難を分かち合って生き延びてきた。現代では人生を金銭や損得で考える人が多いように思うが、それだけではないことは殆どの人は知っているのではないだろうか。   (先頭に戻る)

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No.74 「戦後72年目:夏の甲子園」(2017.8.8)

台風5号のせいで1日遅れの8月8日から夏の甲子園が始まった。開会式と最初の試合(滋賀県の彦根東高×長崎県の波佐見高)をNHKテレビで見た。両チームは県立高校で特に野球の名門校というわけではない。逆転と再逆転で9回裏に彦根東が勝利した。若者達には自信と不安が同居しているはずなのにテレビに映ったプレイ中の選手はどの顔も賢く美しく見えた。体力も知力も使った良いプレイを見せてもらった気がした。
   高校野球大正時代(1915)に始まった。戦後はメディアの報道と都道府県での選抜試合を通じて広いファンを獲得した。その過程で高校野球を商売や宣伝に利用する行為が行き過ぎて、贈賄的な行為をしたり、野球部内で暴力(シゴキ)などが起きたりしたため、ルールは何度も改善されてきたとのことだ(現在も全く問題はないわけでないらしいが)。例えば、以前は「打倒XX高校」や相手チームへの品のないヤジがあったが、今では禁止されている。開会式で高野連会長は、球児に向かって、野球を通じて仲間との支えあいを学ぶことと、3つのCを訴えた。3つのCとは、集中する(Concentration)、貢献する(Contribution)、相手への敬意をもつ(Congratulation)だそうだ。確かに、他のスポーツでも仕事でも3つのCは大切だと思う。

   甲子園大会の主催者は高野連と新聞社(夏は朝日新聞、春は毎日新聞)である。朝日新聞社長の挨拶は、先の大戦中に開催できなかったこと、戦後は平和憲法の下で再出発し、始球式のボールを進駐軍のヘリコプターから投下してもらったことなどのエピソードを交えたものだった。スポーツは政治と関係がないと思っている人達もいるが、社長の挨拶を聞いて、米国発のこのスポーツは戦時下では用語を制限され、大会が取り止められた歴史があることも若者たちには知ってもらいたいと思った。
   出場校を代表した北海道滝川西高校主将の選手宣誓は好感がもてた。出場を誇りに思っていること、大変な試練を経てきたがそれができたのは選手を支えてくれた人達がいたことを述べ、「真っ白なユニフォームが真っ黒になるまで練習したことや真っ白な玉を追って真っ暗になるまで練習したことを心の支えに、最後まであきらめないで、正々堂々と戦う」と宣言した。
   軟式ボールではあったが、私も子供のときに真似事をしたり、試合を見たりして楽しんだ野球である。夏の甲子園大会は、毎年8月15日前後に行われ、セミの鳴き声、終戦の日の黙とう、原爆投下の式典などとともに夏の風景に溶け込んでいる。これまで開会式をきちんと見たことはなかったが、今日の半日はテレビと過ごしてしっかり見てみた。何の運動能力も持たないのに、スポーツ推進員(スポーツ基本法32条に基づく制度)を引き受けてから2年目の夏である。   (先頭に戻る)

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No.73 「騙されたのか、誤解したのか」(2017.8.3)

No.29 「簡易裁判所の審理を傍聴した」(2016年9月22日)で紹介した裁判の結果を知らせたい。友人が著書をSF社に100万円を払って出版を委託した件だ。友人は簡易裁判所に「契約では利益配分を著者が6割、出版社が4割と決めている。売れ残った本の6割を返還して欲しい」と請求した。しかし簡易裁判所の判決は、友人には書籍の所有権はないとして請求を棄却した。不服の友人は東京地裁に控訴していた。

   今年の5月31日に東京地裁の判決が出された。結果は、控訴棄却だった。友人は上訴はせず「裁判は社会勉強になった」という感想を漏らしている。判決文を見せてもらって何が問題だったのかを考えてみた。
   主要な論点はこうだ。友人は「販売される前の書籍の所有権は必要経費の大部分を支払った著者にある。実質的には自費出版だ。利益配分の契約から考えても、少なくとも6割は著者の所有だから、その部数500冊を返還して欲しい」と主張した。SF社は「当社は労力とサービスを提供している。自費出版ではなく所有権は当社にある。その根拠は契約書に、著者への一部献本と売れ残り時の一定部数の無料引渡しがかかれていることだ。著者に引き渡した残りは裁断等処分したので返却できない」と主張した。

   所有権を正面から論じると思っていた私には予想外の判決だった。判決は「既に裁断等処分された書籍は、SF社が占有しているのではないため、控訴人の所有権に基づく書籍(係争中の500冊)引渡し請求には理由がない」とした。販売前の書籍の所有権については、「出版社への報酬の支払いは契約でも合意されていたから、著者が書籍の制作費・流通経費の少なくとも大部分を負担したことだけで所有権が著者に帰属するとみることはできない。むしろ一定部数を著者が引き取ることができる旨の契約内容は、(別の見方をすれば)控訴人には所有権がないことを前提としている」という説明であった。また「SF社に支払った100万円に出版社の報酬分が含まれているという証拠はない」とも述べている。
   判決文の説明は丁寧に書かれている。友人からは「SF社にはきちんとした契約書を作って欲しいと頼んでいたが先送りされ続けた。金を支払った後はSF社に強い態度に出られた」と聞いたので、SF社は誤解を誘うような説明をしていたのではないかと思う。私の頭には「金を払う前に契約内容を確かめよ」、「内容を理解してから契約を結べ」などの教訓が思い浮かんだ。契約書の作成は容易ではない。判決文の説明のように反対解釈も考えた理解が必要であると感じた。裁判を通して貴重な経験を伝えてくれた友人にお礼を言いたい(友人のブログ⇒初めての裁判(1)(2)(3)(4)(5))。   (先頭に戻る)

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No.72 「ヒアリ対策 先ずは正確な鑑定」(2017.7.26)

「奄美群島の生物多様性(南方新社2016年発行)」を読んだ。奄美群島は温帯と亜熱帯の境界にある。大陸と陸続きであった時代があったが、その後海面の上昇で現在の島となった。火山活動でできた島(2015年に大噴火した口永良部島など)やサンゴ礁由来の新しい島も存在する(そうした島にはハブがいない)。亜熱帯でも北限なので冬の寒さがあり毎年強い台風が来る。動植物に与えるこれらの影響は多様な進化の原動力(淘汰圧)になっている。アリやカタツムリの類でも奄美群島には実に多くの固有種がいる。
   例えば、日本産のアリ(蟻)は約300種と推定されているが、沖縄県を含む南西諸島で記録のあるアリは約200種だ(Antweb情報によれば世界中にはおよそ16000種がいる)。日本産のアリの学名がほぼ固まったのは2014年だそうで、正確な種の判別や生態などは研究中である。その一方で物流の発展で外来種が入りこみ、アリの世界も変化が起きつつある。奄美群島でフェリーの着くような港には、その島に棲んでいなかった国内外のアリが住み着いているとのことだ。

   話は奄美群島からは離れるが、アリの外来種といえば、最近、ヒアリ(火蟻)が話題となっている。元々は南米産であるが、人の手により世界中に拡散されて、ついに日本にも入って来た。外来のアリでは、人や家畜に噛みつくアルゼンチンアリが知られているが、ヒアリの場合は毒素をもち刺す(生物分類では蜂と同じ目)のでひどい痛みを伴う。アレルギー反応から稀に死に至ることもあるという。
   このところ殺虫剤の売れ行きが増え、関連株が上がったという情報はとても気がかりだ。ヒアリが怖いからという理由で、周りにいるアリを見つけたら殺せというのでは逆効果である。種の判定は実体顕微鏡などで観察しないと確実には分からない。東京都環境局のガイドには、「ベイト剤(毒餌)の安易な使用は、ヒアリの定着等を阻害してくれる在来アリなども区別なく駆除することになり、かえってヒアリ等の定着につながる恐れがあります」とある。先ずは、ヒアリかどうかを確認することが必要だ。在来のアリが外来のヒアリを退治する可能性もあるのだ。
   恐怖感とそれに対抗する武器(農薬・毒餌)だけでは、かえって事態を悪くすることを知らなければならない。アリがいきなり飛びかかってくるわけではないのだ。今は夏休みなどで自然に触れる機会もあるだろう。私としては、子供たちには身の周りのアリや蜘蛛、ミミズ、毛虫、蜂などを観察し、ものごとを冷静に判断できる大人になってもらいたいと思う。  (先頭に戻る)

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No.71 「核兵器廃絶は世界の人々の願い」(2017.7.19)

昭和20年(1945年)8月5日に広島の人々の頭上に、8月9日に長崎の人々の頭上に新型爆弾が落とされた。広島ではその年のうちに14万人が亡くなり、その後の死者も含めて約20万人が亡くなったと推定されている。長崎での死者は約7万人と推測されている。大部分は子供を含む非戦闘員である。新型爆弾は原子爆弾であった。原爆投下を日本政府がどう見ていたかというと、国立公文書館の「終戦の詔勅」には「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」(新型爆弾の使用で頻りに罪のない人々を殺傷し、その酷い被害は予測できないほど)と書かれているので、終戦の決定(ポツダム宣言の受入)に影響したことが分かる。
   原爆の恐ろしさは、非戦闘員を含めて無差別に殺傷することである。直後の火災・爆風を生きのびても、急性白血病などの原爆症とがんの発症の苦痛と不安が加わり、偏見と差別にも会う。広島・長崎のヒバクシャ(被爆者)はその体験をされた。被曝をして生き残った人達は、長年「核兵器廃絶」を国内と世界に訴え続けてきた。原爆投下後72年目の今は、自らの被ばく体験を話せる人達はわずかになってきた。

   核兵器は政府が使うものだが、その被害者は政府ではなく、子供など非戦闘員を含む人間である。政府は痛みを感じないが、人間は痛みも苦しみも恐怖も感じるのだ。だから、世界の人々が、核兵器禁条約に賛成するのは当然である(下の記事は毎日新聞7月15日夕刊)。
   核兵器は恐ろしいという人々の気持ちを背景に、1970年に核不拡散条約(NPT)が発効した。しかし、この条約は核保有を米、英、露、中、仏に限るとした、核保有国には虫がいい条約であり、それに不満なインド、パキスタン、イスラエルは、核兵器を保有し、締約国にはなっていない。世界の人々の本当の願いは核兵器の不拡散ではない。廃止である。使用させないことである。核で威嚇をさせないことである。
   ヒバクシャやその支援者の努力によって、今年の7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採択された。国連加盟国193か国のうち、122か国の賛成(棄権1、反対1)であった。残念ながら、NPTの下での核保有を許される5大国のほか、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は会議自体に不参加であった。唯一の被爆国である日本の政府も不参加であった。核廃絶の世論が強いオランダは会議には参加して「核兵器のない世界を目標とすることはオランダも同じ。しかしNATOの義務に縛られているから反対する」と演説したとのこと。日本政府も日米同盟に縛られている。だが、NPTは大国の核保有の既得権を守るだけの効果しかなく既に破綻している。核の抑止力とは、核兵器を使うかもしれないという威嚇である。核の抑止力を信じる米、露、中の核兵器大国とその同盟国がいかに制裁を強めたとしても、同じく核の抑止力を信じる北朝鮮(金王朝)が核兵器の開発・製造をやめるとは思われない。米国など既存の核保有国も北朝鮮も、一緒に核兵器禁止条約に加わって欲しいものだ。   (先頭に戻る)

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No.70 「アマミノクロウサギを救えるか」(2017.7.15)

南西諸島は大きく分けると、西表島、石垣島、宮古島のある南琉球(先島諸島)、沖縄本島から沖永良部島、徳之島、奄美大島のある中琉球、屋久島、種子島のある北琉球から成り立っている。中琉球の両端には水深1000メートル、幅数十キロメートル広い海峡がある。大正元年(1912年)に、東京帝大の動物学者渡瀬庄三郎教授は種子島・屋久島と奄美大島との間に生物相の境界があることを提唱し、この境界線は後に「渡瀬線」と呼ばれるようになった。
   アマミノクロウサギは、渡瀬線南側の徳之島と奄美大島にのみ生息している(沖縄本島では化石が発見されている)。ウサギ科のアナウサギ類(英語でrabbit)で、ノウサギ類(hare)とは異なる特徴をもつ日本の固有種である。ニホンノウサギに比べて体毛が黒褐色で耳や足が短く爪が鋭い。繁殖の際は穴を掘って子を産み穴の入り口を土でふさぐ。授乳するときには穴を開けて中に入り授乳が終わるとまた穴をふさぐ(枝や葉で穴の入り口を隠す)という生活を1~2ヶ月する。
   このような原始的ともいえるウサギがなぜ生存できたかについては仮説がある。その一つは、中国の揚子江の北部から同じ種と思われる化石が出ていることから、寒冷気候で大陸と日本列島が陸続きだったころ(700万年前)に中琉球に入ってきたウサギが、その後(500~200万年前)の水面上昇で中琉球の島に隔離され、元の中国の種は絶滅したという説である。

   アマミノクロウサギは、大正10年(1921年)に天然記念物に、昭和38年(1963年)に特別天然記念物に指定された。絶滅危惧種として国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに載っている。現在、徳之島では100頭前後、奄美大島では2000頭前後と推定されている。頭数減少の原因は、開発による生息地の減少のほか、毒蛇ハブ対策として持込んだマングースやニホンイタチがハブを食べないでアマミノクロウサギを襲うことによる。近年では犬やネコ、交通事故も原因となっている。マングースの導入は、後になってとんでもない誤りだと判明したが、アマミノクロウサギを天然記念物として保護しようと尽力された渡瀬教授の指導によるものであったのは何とも皮肉なことであった。外来種であるマングースは生き延び今でも貴重な野生生物を襲っている。ニホンイタチは、逆にハブに食べられて定着できなかったようで、ハブがニホンイタチからアマミノクロウサギを守ったとも言える(これも皮肉なことである)。
   2005年にできた「外来生物法」に基づく環境省のマングース(特定外来生物に指定)の捕獲事業によって、近年、奄美大島でわずかにアマミノクロウサギの生息が改善されつつあるともいわれるが、徳之島では、生息範囲が分断され小集団化していよいよ危機的な状態になっているとのことである。
   以上を書くに当たってはアマミノクロウサギの研究者である農学博士山田文雄氏の「ウサギ学」(東京大学出版会)を参考にした。絶滅が危惧されるような生き物は頭数や生態、保護方法が良く分かっていないものが多いとのこと。南西諸島には、世界的にも貴重な固有種(ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イリオモテヤマネコ、ジュゴンなど)が生息している。人間の行為で絶滅させるようでは、先進国である日本としては恥ずかしい限りだ(あまくろの写真・歌など→奄美野生生物保護センター)。   (先頭に戻る)

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No.69 「うっかりと物忘れのコラボ」(2017.7.6)

私は、そそっかしい人間である。子供のころ森永やグリコの箱入りのキャラメルもらうことがあった。小さく切って包装されたキャラメルの粒の包装をむいて早速口に入れた・・と思ったら、何の味もしないことに気づいて慌てて紙を口から出した。肝心のキャラメルは捨てて、包装紙を口に入れていたのだ。もちろん砂や埃の着いたキャラメルは直ぐに拾って、洗って(きれいに見えれば洗わないで)口に入れた。こんなことが一度ならず何度かあったのは、うかつな性格の証明だ。
   今は、キャラメルを食べる機会もないが、うかつさは変わらない。それに忘れっぽさが加わって、知らない電話がかかってきたら直ぐに出ないように言われているのに、つい出てしまう。トイレの照明を消さないで、ドアを閉めて忘れてしまう。うかつさは物忘れとは違う。ぼんやりして無意識に行動する結果だろう。だが、この程度のことは年を取れば誰にもあるとは思う。

   ところで、私は朝食はほとんど自分で作っている。ご飯、味噌汁、納豆、生卵にトマトが定番だ。味噌汁には、ネギと豆腐を入れ沸騰したら豆味噌(赤みそ)を溶かす。できた味噌汁は、冷めたら冷蔵庫に鍋ごといれて3日間ほどで消費する。納豆は生卵(刻んだ小ネギも)に混ぜて熱いご飯にかけて食べる。朝飯つくりは、既に朝飯前のレベルになっている。
   驚いたのは、最近経験した次のことである。朝食準備中にプラスチック容器から取りだした納豆(約50グラム)を、生卵を割り入れた鉢に入れるべきところを、沸騰している味噌汁の鍋に入れてしまったのだ。全部入れてしまってから「あれっ。自分は何をしていたんだろう」と思ったがもう遅い。納豆の豆を鍋の底からすくい上げたが全ては回収できなかった。
   更に問題を自覚したのは翌々日である。翌朝は、味噌汁の中に、柔らかな大豆を2-3粒見つけたが大して気にも留めなかった。翌々日の朝、味噌汁の中にかなりの数の大豆を見つけたのだ。そして、「おやっ。柔らかな豆が随分残っているなあ。もしかして味噌の発酵が未熟だから豆の形が残っていたんだ。そういえば昔は味噌の中に豆が残っていることがあったなあ。」と思ってしまったのだ。そして、朝食の後で味噌の袋が目にとまったので、スプーンで味噌を広げて大豆の粒があるのではないかと探してみた。・・・もちろん味噌はどの部分をとっても熟成され均質になっていて、豆の粒など全く見つからなかった。私は一昨日の朝のことをすっかり忘れていたことに気がついた。くやしいことだったけれど、「まあ、忘れていたことを思い出しただけでも良しととするか」と明るい面を見ることにした。
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No.68 「ねじれたものは悪いのか?」(2017.6.23)

ネジバナは雑草のように扱われているが可憐で魅力があるランだ。学名はSpiranthes sinensis。スピランセス(Spiranthes)は、ギリシャ語の「speira(螺旋(らせん))+ anthos(花)」に由来する。シネンシス(sinensis)は「中国の」という意味なので命名者は中国でこの花を見つけたのだろう。名前のとおり花の付き方が螺旋階段のようにねじれている(下の画像左)。まっすぐな花つき(画像中央)ばかりならば、ネジバナとは命名されなかっただろう。ハナバチなどの昆虫に助けられて種子を作るので、虫の役割は無視できない(画像右)。土質が変わると生育できなくなるのは根が菌類と共生しているためだ。

   ネジバナを見て、「ねじれ」という言葉について考えてみた。言いたいことは「ねじれ」は悪い意味で使われることが多いが、ねじれることによって機能が正常になることもあるということだ。銀河のうずまき、タニシ、ネジ、勾玉(まがたま)、DNAの構造はねじれていることで存在したり価値を持ったりする。自然の世界では非対称のものは少なくない。およそ世界の重要な部分は「ねじれ」や「非対称」によって成り立っていると思われるほどだ。「曲がる」という言葉もあるがこれもイメージが良くない。辞書には「曲直」とは「不正なことと正しいこと」とある。でもどうして「曲」が不正で「直」が正しいのか。「心のねじけた人」とは、素直でない人、悪人などを意味する。このイメージがどのようにして作られたかは別に考えてみたいが、「ネジバナ」を愛でる私たちは、「直線が正しく曲がっているのは悪い」という見方が誤りであることに気がつくだろう。人間社会は「ねじれ」「曲がり」など、非直線や非対称なものをもっと評価するべきだと思う。

   この点で、少し前に流行っていた「ねじれ国会」という表現は思慮が足りないと感じる。二院制度は立場の違いを利用して、他の院のチェックや法案の修正をするのである。参議院と衆議院とで多数派が入れ替わっていても(ねじれていても)国民にとって不都合なことは何もない。野党を持たない現在の北朝鮮や中国のような国(これらの国ではねじれ現象はなく国会は翼賛会になっている)は暴走する恐れがある。大事なことは立場の異なる人達が議論を尽くし、必要ならば修正・改善をしていくことではないか。
   今回のテロ等の共謀罪創設法案については、参議院の法務委員会では審議を途中で打ち切って採決をしなかった。その法案を本会議で強行採決して会期を終わらせてしまった(政府側が森友問題や加計問題で追及を恐れたためだとメディアは解説している)。「ねじれ国会」が解消された結果がこれでは、日本を愛する1人として、あまりに情けなく感じる。   (先頭に戻る)

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No.67 「初めてのホタル撮影」(2017.6.15)

私の故郷は濃尾平野の端の水田地帯で、昭和30年代初めまでは家の前の小川(幅1メートルほどの用水)にホタルが出ていた。夕食後に家族で川べりに行き、夕涼みを兼ねてホタルを楽しんだ記憶がある。眼前には水田が遠くまで続き、民家も街灯もないので真っ暗だった。闇の中にスーッと光が飛んで、再び闇に戻るのは印象的だ。その懐かしさを求めて、6月9日に君津市の山間(清和ホタルの里)にホタルを見に行った(下の写真右はその辺りの風景)。

   実は、ホタルの写真を撮ったのは今回が初めてだ。ホタルの光はとても弱いので、自動モードではシャッターを切れないし、切れてもホタルのいる辺りは真っ暗にしか写らない。マニュアルモードにして、バルブ(シャッターボタンを押している間はシャッターが開きっぱなしになる露出)で15~30秒間シャッターを閉じないでおく。三脚のほかに、シャッターを切る際のカメラの揺れを防止するためレリーズ(シャッターの開閉を遠隔操作する器具)を使うよう推奨されている。暗闇で動く被写体に焦点は合わせられないから、ホタルの出る辺りに焦点を置き、その範囲に入ってきたホタルが写るという頼りない仕掛けだ。
   今回写真は何十枚も撮ったが、きれいにホタルの軌跡が写っているものはわずかだった。写真左は5匹ほどが、写真中は10匹以上が写っているのだがご覧いただけるだろうか(クリックで拡大して光の点や線を数えてみると分かる)。
   ホタル撮影に詳しい人の話では、ホタルの光の軌跡がたくさん写っている写真は殆どが合成写真だそうだ。私は何十匹ものホタルが乱舞している印象を持ったが、ある瞬間を撮った生の写真を見るとそうなってはいない。写真の像と頭の中の残像とはいずれが真実なのだろうか。
   ここまで読んで下さった人は、この歌もどうぞ⇒(
唱歌「蛍」)。   (先頭に戻る)

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No.66 「不安になるテロ等の共謀罪創設」(2017.6.8)

このところ新聞紙面をにぎわしているのは、天皇陛下の退位法案、加計学園問題、テロ等の共謀罪法案だ。このうち、退位法案については、6月3日に衆議院本会議で、自由党は棄権し、自民、民進、公明、共産、日本維新、社民の賛成で可決成立した。反対をした議員が3人いたものの政党としての反対はなかった。天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基づく。(憲法第1条)」とする国民主権の理念が生かされたため、与野党が対立する法律にならなかった。この点は大いに歓迎・評価している。

   問題は
テロ等の共謀罪創設法案(条文)だ。世論調査では国民の賛否が拮抗し、政府の説明は不十分との意見が77%だ。日弁連では本年2月に意見書を法務大臣に提出し、5月23日の会長声明でも廃案にするよう求めている。オリンピック・パラリンピックのテロ対策で条約締結に必要との政府説明だが、法律がなくても条約は締結可能との意見がある。過去に廃案となった共謀罪と比べると対象犯罪は676から277に減らされた。しかしテロと関係ない保安林からのキノコ採取や著作物の違法コピーでも共謀罪が適用されるようにも読める。団体が殺人を計画して、毒入りカレーを作れば現在の刑法の殺人予備罪の適用で2年以下の懲役なのに、毒のないカレーを作っただけでも共謀罪が適用されれば5年以下の懲役となる矛盾も指摘されている。国連の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏からは、この法案は人権を過度に制限する恐れがあると指摘された。
   テロの未然防止は国民が願っているとはいえるが、その効果がないのに国民の権利(経済活動、言論や集会、宗教活動、労働基本権)を制限するだけになったのではテロリストが喜ぶことだろう。6月6日の毎日新聞の夕刊「特集ワイド」で、日本で無差別テロを行ったオウム真理教を取材してきた江川紹子氏が「オウムのテロは共謀罪があっても防げない。幹部達の犯罪を殆どの信者が知らなかったからだ。」と述べている。この法の運用のため通信傍受(盗聴)が幅広く使われるようになることも懸念される。

   国民の賛否が割れるような法案を急いで通すことはやめて欲しい!  天皇陛下の退位法案を手本にすれば、与野党で話し合い問題箇所を修正できるはずである。日本の公務員が仕事熱心なのは良く分かった(森友学園への土地売却をめぐる財務省役人の迅速な対応を見ればその熱心さも分かる)。だから警察官が犯罪とは全く関わりのない人を尋問することだってあるだろう。共謀罪を設けるとしても、対象犯罪をテロ(暴力行為)と密接に関連するものに限った上で、無実の人が苦しむことのないように捜査の可視化をこの法律に定めて欲しい。検事の取り調べはとても厳しいので、人はやってもいない犯罪でも認めてしまうことがあるのだ(村木厚子氏の事件では検事の決めつけ捜査と証拠改竄まであった)。更に、共謀罪を強く意識した人が社会的な活動や積極的な人付き合いを止めてしまうこともある。人々を恐怖に陥れ不自由にする社会こそテロリストの本当の狙いだと思う。ISイスラム国ボコハラムなどのテロ計画実行者にとっては、この法律は歓迎しこそすれ、痛くも痒くもないに違いない。   (先頭に戻る)

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No.65 「楽しくない会話」(2017.6.2)

年齢を重ねたせいか、理屈っぽく先ばしる性格のせいか、親しい人との間でも会話がぎこちなくなることがときどきある。例えばこんなふうだ。
    友人:北朝鮮のミサイルは誘導目標から7メートルしか離れていなかったんだって。7メートルは嘘かもしれないけど技術は向上してるね。ロシアが技術援助しているのかねえ。
    自分:北のミサイル開発にロシア政府が技術援助をしているとは思えんね。ロシア人やほかの外国人が雇われているのかもしれんけど。
    友人:目標への誘導には
GPSの技術が必要だそうだけど、アメリカの製品を使っているんじゃないかな。
    自分:そんなことはないだろう。どうしてアメリカ製だと分かるんだい。ミサイル部品が回収できたのかな。
    友人:アメリカはGPS衛星とGPSを使った製品が普及しているからそう思っただけ。北は人工衛星は持ってないから、海外の技術が無ければ正確な目標を測定できないよね。それならGPSを使えなくすれば、ミサイルは目標に命中しなくなるんじゃない。
    自分:そうしたら、軍事施設もない住宅地に飛んでくるかもしれんなあ。余計危ないじゃないか。
    友人:そういうことを言いたいんじゃないよ・・・。
   友人が言おうとしていた趣旨は、北朝鮮に米ロなどの技術が入っているとすれば、その技術を使えなくすることで、武力で圧力をかけなくてもミサイル開発が防げるかもしれないということだ。この文脈の中で、私は友人の話を終わりまで聞かず、否定したり根拠のない感想を述べていたりしていただけだ。

   パートナーから「話の腰を折らないで最後まで話させてよ」と言われることが時々ある。前述の会話でも、そうした私の会話の欠点が感じられる。気安い関係だからか、こんな会話では、相手も言わんとすることが別の方向にそれてしまう。
   また、相手の言うことをぼんやりとしか聞いていないことも問題だ。良く理解できないのでいい加減な言葉で応答していると、その後の会話で聞かれて困ったり、同じことを質問したりする。「それはさっきも言ったでしょ」と言われると、「分からんから聞いているのじゃないか」と「ムッ」となったりする。
   会話では話の進行を確認し相手を励ますために、それにふさわしい相づち(「なるほど」「そうだね」「それは分かる」「それからどうしたの」など)を打つことが大切だ。そこで一時期「そうだねえ」などを連発していたら、「良く理解していないのに「そうだ、そうだ」だけでは楽しくないわ」と言われた。言葉を使いこなすことは実に容易ではない。   (先頭に戻る)

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No.64 「小説の読み方、読まれ方」(2017.5.28)

最近、又吉直樹氏「火花」を文庫本で読んだ。漫才師を目指す主人公の徳永が、別の事務所に所属している師匠である神谷さんと自分について語る設定で、売れない芸人のひたむきで苦しい生活が、まるで漫才のストーリーのように展開している。ネタや話法を必死になって作っていく姿には好感が持てた。
   この文庫本には「芥川龍之介への手紙」と題する芥川賞受賞記念のエッセイがあり、芥川の「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の「鑑賞」を引用して、又吉氏は「その作品に向き合って、解釈するというのは体力はいりますが楽しいことでもあります。その面白さを教えて下さったのもあなたです。」と述べている。私も芥川の「侏儒の言葉」を読み返して新鮮な感じがした。
   「侏儒の言葉」の「鑑賞」⇒ 「芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。・・・」

    1年ほど前に、小説「永遠のゼロ」について私の友人の1人が「この作品は純愛物語であり、著者の百田尚樹氏は戦争を心の奥底で憎んでいることが分かる」と話してくれた。私も読んでみた。主人公の宮部は、超優秀な戦闘機乗りである。特攻の指導教官になった宮部が死を決意しながら、妻との約束を予想もしない形で果たす話だ。軍隊内部の差別や非合理、陸海軍の指導者の無責任さも描いている。宮部には孤高の侍か修行僧のような魅力を感じた。私には戦争を賛美する話とは思われなかったし、宮部に何としても生き残って欲しかった。もし生き残っていれば、特攻隊員として終戦を迎え、戦後は弁護士・国会議員として活躍した大阪の東中光男氏のようになったと思うほどだ。

   百田氏は、自称「愛国者」として、中国人などを差別する発言をし、9条改定による軍隊創設を主張し、沖縄の基地反対運動を敵視する発言をしてきた人である(NHK経営委員でもあった)。その政治的な発言のせいでに彼の作品に嫌悪感を持つ人は少なくない。作家の態度とは切り離して作品のみ鑑賞するべきだという考えもあるが、現実には作家の言動と作品とはセットで評価されることが多い。百田氏の場合、自称「愛国者」としての活動が、芥川がいう「作家と読者との協力関係」を妨げている状態がある。
   「鑑賞」の意味は、同じ作品であっても人は様々に解釈する(創作する)ということだ。作品には解釈の余地のないものもあるし、批評家の意見をそのまま受け入れることも鑑賞ではあろうが、私は自分自身が納得できる解釈をしたい。又吉氏の「解釈することは体力のいることではあるが楽しいことでもある」は、その通りだなあと思う。   (先頭に戻る)

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No.63 「軍事的研究に歯止めは必要だ」(2017.5.20)

かつて東京大学に勤務していた友人の I さんに誘われて、東大教職員組合が主催するセミナーに参加した。日本学術会議が3月に出した「軍事的安全保障研究に関する声明」と4月に出した報告「軍事的安全保障研究について」の解説を聞くためだ。日本学術会議は、昭和24年に日本学術会議法によって設立された政府から独立した機関だ。この会議は、「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされる。GHQの政策の反映と思われるが、敗戦後の平和と民主主義を実現する意気込みと品格を感じる。

   今回の声明が出された背景には、防衛装備庁が2015年に「安全保障技術研究推進制度」(2017年度は110億円)を発足させたことがある。日本学術会議は、過去(1950年と1967年)に「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。今回の声明では過去の声明を継承するとし、研究の自主性・自立性と研究成果の公開性を重視する視点から、①大学等の研究機関に対して、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について技術的・倫理的に審査する制度を設けること、②学協会等において、学術分野の性格に応じてガイドライン等を設定することを求めている。
   佐藤岩夫さん(東大社会科学研究所教授)の解説によれば、検討委員会では「学問の自由の観点から軍事に関わる研究であっても許されるのではないか」、「防衛装備庁の制度では研究成果の公開を妨げないとしているので問題は少ないのでは」、「基礎研究の成果は軍民いずれにも使えるので線引きが難しい」などの意見がでたとのこと。声明では、防衛装備庁の制度については「政府による研究への介入が著しく、問題が多い。」と指摘しており、防衛装備庁の制度に応募するかどうかは、各大学や研究機関の判断に委ねられる(だからこの声明に対しては、玉虫色だとかガラス細工だとかの声もあるようだ)。
   
   東京大学の場合、明文化はされていないが南原総長の軍事研究禁止の3原則(1.軍事研究に従事しない、2.外国の軍隊の研究は行わない、3.軍の援助は受けない)が今日まで引き継がれているので、今回の声明に対しては、この伝統を基に研究審査制度を設ける方針とのことだ。
   他方、研究資金集めに苦労しているのが日本の大学の現状だから、金の大きさに目がくらむことはあるだろう。そうしたときに科学者の総意でできたこの声明は立派な歯止めだ。もともと法的拘束力はないが、科学者自らの宣言である。まともな研究機関なら無視はできないはずだから、私としては高く評価したい。特に影響力のある東京大学では、科学者のプライドにかけて軍隊等(防衛装備庁や米軍等)からの援助をアテにした研究は行われないと信じている。   (先頭に戻る)

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No.62 「核とミサイルをやめさせる方法」(2017.5.18)

報道によれば、北朝鮮政府は核兵器と弾道ミサイル開発が国体護持(金王朝存続)の唯一の手段だと考えているようだ。これに対して、5月15日に国連安保理は弾道ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮を強く非難する決議をした。中国・ロシアなどの常任理事国を含む15カ国全てが賛成し、更にミサイル発射や核実験を行うならば、更に重大な制裁措置をとることを表明した。
   一連のミサイル発射の動きを見ると、「人々が十分に食べることもできないのに軍事力ばかりで、北朝鮮は本当に戦争を始めるつもりなのか」と不安になる。こんな隣人はいなくなって欲しいが、北朝鮮の事情を読み違えれば、とんでもない悲劇が起きることだってありうる。北朝鮮は、「挑発すればソウルを火の海にする。日本の米軍基地を攻撃する」などといっている。本当に核ミサイルが飛べば、数万、数十万(あるいはもっと)の犠牲者が双方にでて朝鮮半島も日本も壊滅的になる。絶対にやめさせなければならない。

   国連決議で気になるのは、制裁の強化だけが方針になっているようにみえることだ。北が核やミサイル開発を進めてきたのは、中国の影響力を断って独自の力を持ちたい(王朝を維持したい)からだ。最近の北朝鮮は中国を非難するようにさえなっているので、世界を敵に回しても構わないと思い始めているのかもしれない(日本もかつて米英中蘭の経済制裁を受けて太平洋戦争を始めてしまった)。
   新しい動きもある。5月に韓国で文在寅(ムンジェイン)氏が大統領に選ばれた。状況はとても厳しいが別の政策が展開される可能性もある。5月15日に北京でプーチン大統領は、「北朝鮮は米国による体制転換を恐れている。金正恩体制の存続を保障しないと解決はできない」と言及している。国連常任理事国(中仏ロ英米)は、それぞれが核兵器もミサイルも持つ大国であるが、その大国が自らのことは棚に上げて北朝鮮に「核・ミサイル開発をやめろ、でないともっと制裁をするぞ」というだけで説得できるとも思えない。アメリカと北朝鮮とが対話をする兆しはあるのだろうか。

   2009年にオバマ大統領は、
「核廃絶をめざすプラハ演説」を行った。これは米国が先頭に立ち核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意を明言したものだ。国際社会は歓迎しノーベル平和賞を授けたが、その後の核廃絶の取り組みは殆どなされなかった。しかし長い目で見れば人類にとっての正しい選択肢は、オバマ大統領の言ったように核兵器廃絶しかないと思う。だから、国連安保理(特に朝鮮戦争の当事国である米国トランプ大統領)は北朝鮮に向かって次のように呼びかけて欲しい(夢かもしれないが、秘密交渉が既に北欧のどこかで始まっていることを願わずにはいられない)。
   「核は人類の生存にとってあまりにも危険だ。使えば勝者も敗者もない。俺たちは核兵器を北朝鮮に向けて使うことはないし、戦争をしかけることもしない。俺たちが所有している核兵器は廃絶をめざす。必要なら食糧援助も農業援助もしてやる。だから金さん、あんたも核兵器やミサイルの開発をやめろ!」   (先頭に戻る)

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No.61 「黄身が2つ!ラッキー」(2017.5.12)

4月初めのことだ。近くのコンビニで6個入りの卵を買った。すこし大きな卵だなあと思いながら割ったら、黄身が2つ出てきた(写真)。この30年ほど、黄身2つの卵を見ていなかったので、昔の友達にであったような感じがした。二黄卵というのだそうだ。若鶏が卵を産み始めるころ、排卵の調節がうまくできないために起きる現象らしい。選別機器の導入で今では市場に出回ることが珍しいため、「食べても大丈夫か」と不安になる人もいるようだが、もちろん大丈夫だ。
   昔、私の家でも鶏を数羽飼っていた。家族が食べる分以外は巡回してくる業者に売る。当時の食卓で、ときどき二黄卵の卵に出会った。黄身が2つあると随分得をした気分になったものだ。

   日本の農業が大変だといわれて久しい。何が大変かといえば、狭い耕地では、農業だけでは生活することが非常に難しいことだ。農村では安定した就業機会が少ないから、工場などが農村部に誘致されなければ若者は都会に出ていくしかなかった。その対策として農村では圃場や農道の整備とともに果樹、畜産、施設園芸が振興され、機械化や新技術の開発・導入が進められた。
   政府の畜産統計(表の11)を見てみよう。卵を売るための鶏(採卵鶏)を飼育する農家数を例にとると、昭和37年(1962年)に381万戸(1戸当平均24羽の飼育)だったのが、平成2年(1990年)には8万7200戸(1戸当たり1583羽)となった。その後、調査対象から1000羽未満の飼育農家が除かれ、平成28年(2016年)には、全国で2530戸(1戸当たり5万5151羽)となっている。私の子供のころは、近所の多くの農家は採卵鶏を飼育していたが、今日では、家族経営であっても数万羽以上を飼育し、大規模になれば数十万~100万羽を飼育する選別包装施設も備えた工場のような経営体が出現している(毎日数十万個の卵が生産されるということ)。大規模な採卵鶏業者の実態は、北大の調査(pdf)などが参考になる。

   市場経済による競争に打ち勝つためには、技術革新や大規模化によって1円でもコストを減らし、販売価格を下げても利益がでるようにしなければならない。鶏卵が物価の優等生だったのは、激しいコスト削減競争にさらされてきた結果だ(この過程で多くの農家は採卵鶏の飼育から撤退した)。鶏の飼料は麦やトウモロコシなどの輸入品だから、原料の調達価格は国際相場に左右される。今日では、鳥インフルエンザなどの脅威(殺処分が必要)もある。現在は、鶏卵とその加工品には関税をかけ保護しているが、TPP合意では畜産物の間税引き下げが含まれている。TPPを離脱した米国からは農産物の市場開放要求が強まると予想されている。消費者として食べ物は安ければありがたいことは確かだが、全てが外国産になってしまうのではという不安がある。畜産を含む日本の農業は何としても生き残って欲しい。   (先頭に戻る)

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No.60 「憲法前文の意味を考える」(2017.5.5)

5月3日、中山競馬場の芝生を借りて、地元の人達120名によるグラウンドゴルフ大会が行われた。私は手伝いで、初心者の4名の方と一緒にコースを回って、ルールの説明とスコアの記入をした。参加者の多くは75歳を超える。平和な環境で身体を動かし、楽しい一日となったので、憲法記念日のイベントとしても悪くないと思った。この日の新聞には憲法特集記事があふれていた。改憲が現実の日程に入ってきたため、憲法にかかわる事件、賛否の意見、政党の見解が山盛りだ。そこで、私も憲法について書いてみた。
   
日本国憲法の前文を丁寧に読むと、「人類普遍の原理」、「政治道徳の法則」などという難しそうな表現があるが、中学校で学んだように、ここに主権在民、戦争放棄、基本的人権(平和のうちに生存する権利)の思想が全て書かれていることがわかる。前文が重要である理由は次の2点ではないかと考えた。

   1点目は、前文にこそ、日本国のあり方が端的に描かれているという点だ。憲法は他の法律の上位にある特別に重要な法だ。国家の在り方(理想)を示すものだから、議員が憲法の条項に反する法律を作ったり、裁判官・公務員が法律を好き勝手に解釈したりしないように、国会、行政と司法を監視する役割をもっている。そのため、前文で国の在り方の基本的理念を示しているのだ。裁判判例においても「前文で表明された基本的理念は、憲法の条規を解釈する場合の指針となる」と明言している。仮に憲法前文を変えることになれば、憲法の条項の意味合いが変わってしまう、つまりは、法律の解釈も変わってしまうほどの影響がある。このため、有権者は、「自由」、「平和」、「人類普遍の原理」、「政治道徳」などの意味をしっかりと理解しておかなければ、自分達(子孫)の権利さえ失うことだってある。

   2点目は、前文は、戦勝国(米英)の歴史観・価値観を土台にしていることである。例えば、憲法前文には「日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し」とある。大東亜戦争を心の底から正義の戦争と考える人達には屈辱的な表現かもしれない。GHQが憲法草案を示したことからしても、戦勝国であるアメリカが敗戦国日本の支配層に草案を押しつけたという見方は正しいだろう。 だが、多くの日本人にとって重要なことは、草案が押し付けられたか否かではない。その内容が、自分達(子孫)の幸せを約束してくれるものであるか否かだ。敗戦前の政治家や軍人の多くは、家父長制や士族制に慣れ、女性参政権や庶民に表現の自由などの権利を与えるという発想を持たなかったことは確かだ。この意味では、憲法制定は、当時の米英と日本の歴史感・価値観の対決の場でもあったが、帝国議会は新しい価値観(人類普遍の原理)に軍配を上げた。
   付け加えるならば、明治22年に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)には前文はなく、第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」から始まっている。憲法作成の動機などは憲法発布勅語に書かれている。国民(臣民と表現されている)の権利は全て法律の範囲内とされ法律が全てであった。明治憲法の制定は、帝国議会の開設のためだった。高額納税者しか選挙権がなかったという限界はあるが、それ以前の統治の仕方と比べれば、自由民権・国会開設運動などの成果だといえる。

   現憲法は、昭和21年の帝国議会で議決された。衆議院でも貴族院でも、議員提案による修正が行われた。昭和21年8月21日の衆議院本会議では賛成421票、反対8票であったとのこと。だから「押し付けられたから改正が必要だ」というのでは理由にさえなっていない(そういえる人は反対票を投じた8名の支持者なのかと思う)。占領されているからという理由で嫌々承認したのではなく、本当にこの憲法の理想を積極的に表現し実現したいと思った人達もいたことを忘れてはならない。⇒(帝国憲法改正小委員会での議案修正がなされた記録を描いたNHKスペシャル「平和国家はこうして生まれた」2017年4月30日放送)。   (先頭に戻る)

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No.59 「新緑の季節とサツマイモ」(2017.5.2)

1年で1番好きな季節は、4月のサクラの咲くころから6月にかけてだ。草花とともに、ツツジ、モクレン、ハナミズキなどの花の咲く木々が市街地を彩る。枝が伸び若葉が急速に広がり、樹形もどんどん変わっていく。何といってもこの時期の色彩は緑が主役だと思う。3月の山が木々の芽吹きなどで華やかになることを「山笑う」というが、5月は笑い転げて山が動いている。寒さも暑さもあまり感じない季節だから、カエデやケヤキの木陰でそよ風に吹かれながら青空を見上げると、太陽光が若葉を貫いて黄緑・薄緑から緑色のグラデーションの天蓋を提供してくれる。田植えが終わった水田は緑の絨毯になる。緑が最も美しい季節だ。

   季節があるのは、地球の地軸が傾いているためだと習った。いつ、どうして地軸が傾いたのは分からないが、生き物は季節があることを前提として生きている(例えば、ツバメは春に日本にきて秋に南に戻る。落葉樹は冬に備えて葉を落とし寒さに耐える芽を作る)ので、そのような進化があったころ(つまり相当な昔)からのことだろうと想像する。もしかしたら、地球に大きな小惑星がぶつかって月が生まれたころに地軸が傾いたのかもしれないし、その後に落ちた巨大隕石が傾きに影響しているかもしれない。それにしても、地軸が安定して23.4度前後の傾きを保ってくれている(この安定には月が影響しているらしい)から、毎年同じ時期に春が始まることになる。生き物にとっては何ともありがたいことだ。

   春になると太陽光が強くなり気温が上昇する。それに伴って、海からの水の蒸発量が増えて雨が増える。おかげで植物は、温度、光と水を手に入れ成長が促される。おかげで人間も動物も生きていける。
   この「ベランダ植物界」では、友人のNさんから毎週送られてくるサツマイモの写真をアップしている。Nさんは、昨年の8月以来サツマイモを水だけで室内で栽培しているのだ。昨年の秋になって葉が枯れはじめた。私は寒い冬には全体が枯れてしまうと予想していたのだが、なんと、今年の3月ころから昨年の茎に葉芽がでてきて、葉の枚数が増え初めているのだ。おどろきだった。下の写真の5月1日②でわかるように、イモの部分から新しい白い根がたくさん出てきている。サツマイモには肥料を与えていないけれども、部屋の中に新緑と成長の季節がやってきたのだ。水と温度と少ない光だけでまだまだ生き延びそうだ。
   下の写真、左から昨年8月29日、昨年10月3日、昨年12月5日、今年2月6日、今年5月1日(①茎葉の全体、②サツマイモの根)   (先頭に戻る)

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No.58 「ゴミを土中に埋めた者は誰だ」(2017.4.28)

大阪市の森友学園への国有地払い下げをめぐる問題(土中のごみを理由に不当に安く払い下げられた疑惑)、東京都の豊洲市場の土地購入問題(汚染された土地を不当に高く買わされた疑惑)などが新聞や週刊誌をにぎわして何カ月もたっているが、再発防止対策はおろか、問題点の解明さえ殆ど進んでいない。国有地払い下げ問題では総理大臣夫人の名前も出た。豊洲市場では大物政治家の石原元都知事が関わってきた。だから与党議員は調査には及び腰だし、少数派の野党議員は詳細な情報が入手できず攻めあぐねている。このような状態になったのは、国の場合、与党議員が圧倒的な議席を占めているからであり、強引な議会運営をしても、それを止める力が有権者にないからだ。代議制度では、一旦投票して議員を選んでしまえば、全てのことは議員や首長に任せるしかなくなる。間違った政策にブレーキをかけるには、抗議集会や請願署名という方法はあるが、やらないよりはましといった効果しかない。

   ここに小選挙区制度の弊害が現れているという説がある。小選挙区制では、有権者の3~4割の支持しかなくても議席数は6~8割の支持を得ることができるのだ(民主党の政権もそのようにしてできた。)。そして各党の公認候補者は1名に絞られるため、執行部(総理・総裁)に逆らう人は落選の憂き目を見る。小選挙区制では少数意見は無視されるともいわれる。いまさら、選挙制度を悔やんでも仕方がない。だが、政治の良し悪しは、否応なく国民(主権者)の生活に跳ね返る。国有財産は、国民みんなの共有財産であるので、国有地を安く払い下げて損をするのは政治家ではないのだ。

    主権者という地位にいても「判断することが嫌だ」という声もある。投票だって面倒だという人もいる。しかし主権者であることは、政治に対してある程度の関心と自覚を持つことでもある。考え行動する多少の努力が求められる。何もしなくても召使い(国務大臣など公務員)が全てうまくやってくれることはあり得ない。
   主権者の自覚を促す切っ掛けは何だろうか。誤解を恐れずに言えば、「自分が政治の怠慢や暴走による被害者だ」と気がつくことだと思う(私はそうした被害者が増えて欲しいと希望しているわけではない。その逆である)。家族が兵隊に取られ大勢が死ぬような体験をし、骨身にしみたおかげで戦争をしないことが国是となり70年間平和が保てた。ぜんそくやミナマタ病で苦しんだ患者達が政府や企業を相手に要求した結果、環境行政が前進した。就職機会がないから過疎化・高齢化が進み生活がしづらいという不満、事故や犯罪の犠牲者の「二度とこんな悲しいことを起こさないように」という希望など被害者の声によって世の中が少しづつ改善されるのが現実ではないのか。
   本当の怖さは、政治の怠慢と暴走による被害(不幸・不便な状態)があっても、「この程度は仕方ない」「よくあることだ」「我慢だ」などと現状を無自覚に肯定してしまうことかもしれない。森友学園や豊洲市場の事件は政治の舞台裏を見るようで面白い事象であるが、自分がその被害者であることを自覚し、その不幸を感じて行動することが大切だと思う。問題を見ないですましつづけるならば、ゴミや危険物を土中深く埋めてしまうことと同じになる。いずれ誰かがその土地を掘り起こしたときに、けた違いの大きな不幸になって私たち(でなければ子孫に)に襲いかかるのではないかと恐れる。   (先頭に戻る)

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No.57 「忘れさえしなければ・・・」(2017.4.15)

私  「今日は商店街に出かけるといっていたね。郵便局で82円切手を10枚買ってきてくれないか」
   家内 「美容院に予約しているの。その後は人に会うし、時間があれば整骨院にも行くことにしている。切手は忘れちゃうかも知れない。忘れなかったら買ってあげる。」
    私  「もちろん、忘れなければで構わない。メモを書いたので渡しておくよ。」
   家内 「メモを見ることも忘れて帰って来てしまうかもしれない。そうなったらごめんね。」

   会話の中で私は、「メモを見ることさえ忘れる」と言った家内の言葉に少し不愉快な感じを抱いた。彼女の中では、私の位置づけが低下しているように感じたためだ(老人のひがみ?)。だが、その感情を言葉に出すことはしなかった。自分自身が、以前より格段に物事を忘れるようになったとの自覚があったからだ。「老人力」という言葉が流行った時代があった。物忘れなど老化による心身の衰えをマイナスと考えないで、老人時代を明るく生きていくための表現である。マイナスだとして落ち込んでも何も良いことはない。老化現象も笑って過ごすことができればそれに越したことはない。そうした「ふんべつ」も含めて、私にも確かに老人力がついてきたと思う。
   人は時間とともに過去のことを忘れる。始めは細部を忘れ、段々とその範囲が広がり、最後は全くの記憶違いになったり、事件そのものを忘れたりする。恥ずかしいことは忘れたい。生きることが辛くなるような嫌な体験だってある。忘れることも、生きる上で必要な能力であることは否定できないと思う。

   前回の随想で記載した「帝国の慰安婦」には、「植民地支配と記憶の闘い」という副題が付いている。日本の植民地下で韓国の人達が慰安婦だったことは、本人にもその家族にとっても、人には言えない嫌な記憶である。慰安婦を利用してきた人達(慰安婦の宿を経営していた業者など)は、日韓双方にいるが、沈黙したままだ。記憶が失われ、事実とは異なる作り話が出てくることがある。記憶は侮ってもいけないし、買いかぶってもいけない。だからこの副題がつけられた。
   大勢が共有すべき記憶は、東日本大震災の津浪、福島第一原発事故など今も目の前にある。大切なことは、将来にわたって同じ被害を出さないことだ。そのためには、被害の実態だけでなく、原因や対策(失敗事例)も含めて、記憶を文書、記念物、遺産として保存し公開し、周知していくことが必要だ。記憶の美化や誇張は、子孫が道を間違えるもとだ。経験・体験を正しく伝えることはとても難しい。   (先頭に戻る)

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No.56 「慰安婦問題の理解のしかた」(2017.4.8)

少女像について考えてみた。一昨年12月の岸田外相とユン外交部長官との合意で「韓国政府は・・・適切に解決されるよう(少女像の移転に)努力する」こととなった。その後、少女像は釜山の領事館前にも設置され、政府は抗議の意味で今年の1月6日に駐韓日本大使(長嶺氏)を帰国させた。・・・と思っていたら、少女像の撤去がされないのに、今月4月4日には大使をソウルの大使館に帰任させた。この一連の動きについては、どこか変な感じがした。1月の大使帰国の判断が間違っていたと認めたのだろうか。
   朴槿恵(パククネ)大統領が罷免され・逮捕された中で、4月6日午後に長嶺大使は大統領府秘書官と会談をした。「韓国政府は、外国公館の前に少女像が設置されたことは国際慣行上、不適切な側面もあるが、政府が移転を強要できるものではないと判断している」と韓国聯合ソウルが解説している(移転の強要は、韓国政府にだけでなく日本への悪感情を強める恐れもあるということか)。
   そもそも、従軍慰安婦の問題はとても分かりにくい。分かりにくくなっている背景には、戦前の朝鮮半島が35年間(1910年~1945年)、大日本帝国が直接統治する植民地であったことがある。日本語を強制され日本の文物が広められた中で、日本に協力する人達、恨みを持つ人達を生んだ。日本の敗戦後は、日本に協力した人達は黙るよりほかない。そして当時の朝鮮半島においても慰安婦の仕事(売春)は、陰では非難される行為だったから、元慰安婦も黙ったままだった。日韓関係が「正常化」し、韓国の社会・経済が発展した後で、ようやく関係者が話せるようになった。双方に屈折した事情・感情が反映している問題だ。

   問題の本質は、日本軍が銃剣で娘たちを駆り立てて慰安婦になるよう強制したか否かではないし(既に調査がされている)、「当時はどこの国の軍隊も行ってきた。従軍慰安婦の何が悪いのだ」と開き直る話でもない。慰安婦は戦前の話であるが、慰安婦問題は現代に起きていることだ。植民地支配をした者とされた者の歴史認識の違いの問題でもある。
   調査結果を踏まえて、いくつかの施策が実施されてきた。外務省は、これまでの施策を整理している。平成5年には河野官房長官談話が出され、政府として「この問題は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と結論づけた。アジア基金を創設し、償いの事業とともに内閣総理大臣(小泉純一郎)の手紙による謝罪を行った。慰安婦問題を理解するために「帝国の慰安婦」を読んで、一連の施策が妥当だと思えるようになった。この著者は、韓国で名誉棄損の罪(一審は無罪)で訴えられている朴裕河(パクユハ)世宗大学教授。詳細な資料で記述している学者の話は参考になった。

   この問題では、日韓いずれにも感情的に対立をあおる人達がいるが、良いこととは思われない。4月に長嶺大使を帰任させたのは、米国政府の意向(を汲んだ外務省)だとも噂されている。米国は、日米韓の関係について以前から日韓双方に助言を繰り返しているのだから。
   米国の国際戦略研究所は、2012年第3次アーミテージ・ナイ報告書を出して、「近隣諸国との関係」との項で、「同盟国がその潜在能力を十分に発揮するためには、日本が、韓国との関係を悪化させ続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。」と日本に自制を求めている。米国の利益と軍事同盟優先という考えではあるが、日韓関係を友好的に発展させる視点で見ても、これは正しい指摘だと思っている。   (先頭に戻る)

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No.55 「ボランティアの明治丸」(2017.4.2)

3月26日に江東区越中島の東京海洋大学(旧東京商船大学・旧東京水産大学)にある蒸気帆船を見学した。この船の名前は明治丸である。5月に予定のウォーキングのコース下見で眺めるだけのつもりだったが、訪れてみると桜祭りの一環で船の内部を公開していた。小雨混じりで見学者が少なかったせいか、ボランティアの方が熱心に説明をして下さった。お聞きすると、説明者ご自身が東京商船大学を出てから船長を長く務め、その後東京湾で水先案内人をされていたとのこと。
   かって私にも「船乗り」にあこがれた時代があった。宝島やドリトル先生航海記を読み、東京高等商船学校の寮歌などを聞いた。ロシア民謡の「船乗り」(楽譜)を歌ったことがある。船のことなど何もしらない自分なのに歌っているだけで、希望や自由や未知の世界への期待を感じた。近年、セウォル号事件(2014年)コスタ・コンコルディア(2012年)のような事件で評判を落としたものの、私の中では、船乗りは格好良く、船長は正確な海事の知識、勇気と責任感を持った紳士という印象だ(私の友人にもこんな男達がいる)。
                  「船乗り」
   1 かもめマストに低く 潮風ほほに涼し
     島影 すみを流して 雲空に飛ぶ
     ■風よ 【吹けよ】 船よ 【走れ】
     ■俺は若き船のり ヘイ歓喜 風に乗る
   2 うしおデッキを洗い 真帆朝風に涼し
     白いしぶきを上げて 船は突き進む
     ■以下2行は1番の繰り返し
   3 堅くかいなをむすび 望みに燃える血潮
     輝く波の彼方に 行く手は近し
     ■以下2行は1番の繰り返し

   明治丸は、明治政府の発注で1873年(明治6年)に英国グラスゴーで造られた(下の写真左)。説明では「日本に航海する途中で石炭がなくなることを恐れたため、帆船としても使えるようにした」とのこと。灯台の建設・物資運搬のための快速船だ。1875年(明治8年)に小笠原諸島の領有権問題が起きたとき、政府の調査団を乗せ、ほぼ同時に横浜を出港した英国船(カーリュー号)よりも早く小笠原に到着した。そのときの明治丸の船長は英国人だったが、事情を知っていても船をわざと遅らせるようなことはしない誠実な人柄だったそうだ。翌年、明治政府が世界に通告し、小笠原が日本に帰属したことで、今日の日本は広大な排他的経済水域が確保できた。船内に御座所が設けられており、1876年(明治9年)には明治天皇が乗船された(この乗船・安着を記念して海の記念日が制定されている)。

   明治丸は、1896年(明治29年)に商船学校に譲渡され、以後、係留練習船とされた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災と1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では被災した住民を収容し、災害救援に使われた。元々はマストが2本だったが、商船学校の訓練のために中央にもう1本のマストを設けたので、3本マストになった(写真右)。中央のマストは他の2本とは違って船底まで繋がっていないとのことだ。一昨年には大規模修復を終え、ときどき航海し(じゃなく公開され)ている。1978年(昭和53年)にこの船は重要文化財となった(船としては初めての重要文化財指定)。私には、この船自身が歴史を物語るボランティアのように思えてきた。  (先頭に戻る)

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No.54 「空間線量シーベルトを測る」(2017.3.25/30)

放射線の測定には、食品に適用するベクレルという単位(食品1kg中の放射線量)のほかに、人体の放射線被曝程度を測るシーベルトの単位が使われている。先日、友人(IさんとNさん)からシーベルトを測る測定器(空間線量計でDoseRAE2)を借りた。この測定器と他のメーカーの測定器とが同じ場所で同じ値を示したので、信頼できるとして地元船橋市のあちこちを測定してみた。自宅の部屋では、0.06~0.09μSv/h(1時間当たりマイクロシーベルト)であった。周辺の歩道や空き地は、0.05~0.09μSv/hだった。一箇所だけだが測定値が0.30~0.50μSv/hと周辺よりも数倍高い場所があった。駐車場のアスファルトの表面から雨水が流れ出て土砂がたまっている場所で、ごく狭い範囲だ(下の写真左)。

   福島県には、環境中の空間線量を測定する地点がたくさんある。それらは福島県放射線測定マップで測定値を常時公表している。測定マップの飯舘村役場にあるモニタリングポスト(丸の中にMのマーク)をクリックすると、例えば「飯舘村役場 2017/03/25 19:00 0.31μSv/h」という数値がでる。
   自宅近くの駐車場きわの値が、飯舘村役場の値よりも高かったのは驚きだった。 私は、測定器を地面において測定したが、モニタリングポストは通常地上から1メートル(子供用には50センチ)を基準としているとのこと⇒酒井 一夫・(独)放射線医学総合研究所 放射線防護研究センター長の解説。この解説では「モニタリングポストは上空からの放射性降下物を効率的に検出することを目的としているため、地表からの放射線の影響を受けにくい高い位置に設置されます。このため、空気中の放射性降下物の量が減っている状況では、地表近くの測定よりも低い値が観測されることになります。」と書かれている。人体への影響を測定する指標なのだから、上空からの放射性降下物の検出よりも地面近くの測定をしなければ余り意味がないのではないかという疑問がわいた。小さな子供は地面に寝転んで遊ぶことだってあるのだから(写真の0.33μSv/hの状態が1年間続けば2.89mSv/年であり、普通の人の線量限度1mSv/年を超える)。

   福島県で避難している人達も、線量が減少していくに従って、地元に戻る人が少しずつ増えていくだろう。子や孫も一緒に自宅に戻るという人は殆どいないようだが、除染作業が済んだ自宅に戻る場合でも、風雨によって、放射能のある塵が集まることも考えられる。私の調べた例のように、同じ地域でも数倍も高い場所もあることを考慮すれば、常に線量計をもってリスクの多い場所を調べることが欠かせないと思う。私は、3月末に岩崎通信機㈱の放射線モニターSV-2000を39,800円で購入した(下の写真右)。始めは10万円以上したが今では安くなったとのこと。1分で値が安定するのでDoseRAE2よりも使いやすいし、国産で校正・点検も可能だ。
   空間線量計は、γ線(ガンマ線)のエネルギーを測るもので、γ線がシンチレータといわれる部分に入ると蛍光が発生し、それが電子に変換され電気信号に変えられて測定できるという原理のようだ。食品を測るベクレル計と原理は同じであるが、食品のベクレル計と空間線量計の大きな違いは、食品から出てくる放射線は非常に少ないため環境からの放射線をカットしなければならないことと、少ない放射線を正確に測るために大きなシンチレーターを使う必要があることである(その結果、装置が大きくなり費用が高くなる)。   (先頭に戻る)

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No.53 「福島のモモとベクレル」(2017.3.25)

東日本大震災からの復旧で重要なことは人々の収入源・職場の確保だ。大震災から6年を過ぎた今、三陸沿岸では、牡蠣の養殖や水産加工が軌道に乗ってきたようだ。だが、福島県では東電福島第一原発からの放射能汚染のため、自宅にさえ戻ることができない。廃炉までには数十年かかるといわれているし、汚染土壌の処理方針も決まっていない。
   原発からの放射性物質の中で一番量が多いのはセシウムである。震災以降、私は福島の農業復興に少しは役立ちたいという思いから、福島(須賀川市)のモモ等を毎年購入してきた。モモは大きくて甘くおいしい。私が購入しているモモの生産者は須賀川市が行ったセシウム検査結果(PDF)をモモの箱に同封している。
   そこには、次のように書かれている。
     検査対象品目:モモ(検体量370㌘)
     核種セシウム134:検出せず(<10.0Bq/Kg)。(Bqはベクレルと呼ぶ。10.0ベクレル未満という意味)
     核種セシウム137:検出せず(<10.0Bq/Kg)
     セシウム134・137合算地:検出せず。
     検査機器名:ベルトールド社製ガンマ線スペクトロメーター。

   食品中のセシウムの基準値は、米・野菜など一般食品は100Bq/kg、牛乳・乳児用食品は50Bq/kg、飲料水10Bq/kgである。「検出せず」という書き方により基準値を大きく下回っていることを表している。セシウム137は、β線(ベータ線)、γ線(ガンマ線)を出し、半減期は30年だ。体内ではカリウムと同様の働きをするので、遺伝子の突然変異をひき起こす恐れがある。
   ところで食品中の放射線量の測定単位としてベクレルが使われる。この単位名は、2003年にキュリー夫人とともにノーベル物理学賞を受賞したヘンリ・ベクレルの名前から取ったもの。1Bqとは1秒間に1個の崩壊(γ線などを出して他の原子核になること)を起こす放射線源の放射能をいうとのことだ。

   福島の復興を助ける意味でも積極的に福島の物産を購入したいと思ってはいるが、基準を超える土壌汚染・環境汚染が現実に存在し続けていることを考えると、生産されているものが全て安全だと信じることは、私にはできない。福島の農産物を購入する時には、どこで取れたか、検査の結果はどうだったかがどうしても気になる。検出限界以下であれば福島のものであろうと、他県のものであろうと同じと考えている(東京を含む関東各地にも放射性物質は降下したのだ。)。

   嫌な話がある。政府は、原発事故直後の2011年に食品中の放射性物質の暫定基準をつくり、都道府県などに検査を行わせ出荷制限を実施してきたが、今年(2017年)3月24日付けで原子力災害対策本部は、検査の対象品目や検査頻度を弾力的に減らせるように、「検査計画、出荷制限等の品目・区域の設定・解除の考え方」(ガイドライン)の改正を行った。検査を行っても基準値を超える割合がわずか(0.2%)になってきたことが理由である。検査費用が何十億円もかかるかららしい。だが現実は山林や農地に放射能汚染が残っているのである。
   検査費用は原発事故の被害(何十兆円になるかさえ不明)に比べればわずかな金である。東電からの賠償金で検査をしているから(つまりは電力の消費者への負担を節約したい)という趣旨とも思われる。検査の価値は、基準値を超えるものを出荷制限することだけではない。消費者にとっての検査の価値は、放射能が検出されないことが分かることでもある。検査をしないで安全だと言い張っても説得力があるのか。逆に現在の検査で安心感を与えているものまで、風評被害にさらすことにならないだろうか。自治体のモニタリング検査などが減った分、生産者は自らの経費負担で自主的な検査を行い安心感を消費者に提供しなければならなくなるのではないかと危惧している。   (先頭に戻る)

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No.52 「白内障が進行中!」(2017.3.16)

眼は最も大切な器官の一つだが、加齢とともに眼の中のレンズに相当する水晶体が濁ってきてものが見えにくくなる症状がでる。白内障だ。水晶体を作っているタンパク質が変性するので白内障は避けられないのだそうだ。しかも水晶体は毎年すこしずつ大きくなるため、水晶体と眼の表面の角膜との間が狭くなり、眼の中の水の流れが悪くなるので眼圧が上がる。そして緑内障になる。緑内障は視神経をダメにする(回復できない)ので失明に到るとのこと(考えただけでも怖い)。
   昨年夏に、眼が充血したことがあったので近くの眼科医で検査をしてもらった。充血はたいしたことはなかったのだが、「白内障がかなり進行している。眼圧が高いので緑内障になる恐れがある。」といわれた。「ええっ!そんな」。医師は更に続けて、「この眼のままでは、あなたが運転する車には怖くて乗れない。」といった。 確かに、思いあたることはある。夕方になって照明をつけても暗く感じる。青い靴下と黒い靴下の見分けがつかず、明るいところで、靴下の色のちぐはぐに気がついたことがある。くやしいけれど自分にも白内障は確実に進行しているのだ。

   そこで眼科医が処方してくれたのは、老人性白内障治療点眼剤カリーユニ(成分ピレノキシン)と、緑内障・高眼圧治療剤ラタノプロストPF(成分プロスタグランジンF2α誘導体)。カリーユニは、白内障を治す薬ではなく進行を遅らせる効果しかないとのこと。正常な眼圧は10~20mmHgといわれているが、私の場合は21mmHgだった。薬の効果はどうなのか気になるところだ。カリーユニは処方をはじめてから半年経つが、水晶体の濁りは変わらない。「治療には効かない。」という説明は当たっているのだ。ラタノプロストPF処方1ヶ月後の両眼の眼圧は、15mmHgと17mmHgとなった(少しホッとした)。

   しかし「白内障はいずれ手術が必要」といわれている。私は世の中を悲観的に見る性格なので、気持ちを明るくしようと昨年12月に発行された「視力を失わない生き方」という本を読んだ。 著者はアメリカやドイツで研鑽を積んだ実践的な医師である。この本は2ヶ月足らずで3刷の発行になっていたので、老人達の関心の大きさを知った。白内障については、「眼科の手術で治るが、手術の時期を遅らせるとその間に緑内障が進行するので、早めに腕の良い眼科外科医にかかることが必要だ。」と強調されていた。「カリーユニは科学的に効果が証明されていない。」、「白内障に効かない薬を出して治療を遅らせることは、緑内障になるリスクを高める。」といった説明もされていた。眼の手術は、どんな医師でも100%良い結果を出せるということではないようだ。大学病院などの権威に頼らず(未熟な研修医が担当することがあるため)、腕の良い医師を選ぶことが大切だとのこと。そのとおりだとは思うが、医師を選ぶことほど難しいことはない。この本を読んで、気持ちは明るくはならなかったが、諦めに近づいたというか、少し覚悟ができてきたというか、心構えが変わったような気がした。   (先頭に戻る)

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No.51 「戦争に対する日本人の責任」(2017.3.8)

大東亜戦争(日中戦争と太平洋戦争でいずれも日本が始めた戦争である)の開始と敗戦は、私の生まれる前のことである。私の子供時代には、防空壕の跡や工廠(軍需品の製造工場)の跡、小学校には戦中の雰囲気を漂わせる物品が残っていた。米兵が運転するジープを見かけたりした。私の父は、昭和12年に招集され中国で輜重兵として馬で物資を運ぶ仕事をした。軍隊手帳には、応召から帰国・除隊まで従軍した記録(日付、場所、どんな作戦に参加したのか等)が小さな文字で詳細に書かれている。父から戦争の話を聞くこともあった。「雨の降る泥道で敵の攻撃に遭うことはいやだった。」、「鉄砲玉の音は頭上でピユーン・ピユーンと聞こえる。」、「馬が倒れると殺さなければならないので、かわいそうだった。」などと語ってくれた。一兵士だったから、ただただ命令に従って移動し任務に就いていたのだと思う。

   日本人に大東亜戦争での加害責任があるかと問われれば、私の父を含め戦争遂行に参加した人達は、多かれ少なかれ責任があると思っている。しかし、責任の意味や重さは、その役割や権限の大きさを物差しにしなければならない。例えば日本の戦前の女性は、家父長制の下で父に従い、夫に従うのみの存在で、参政権もなかった。だから軍需工場で武器をつくることに従事させられたからといって戦争の加害責任を問われることはあり得ない(加害責任があるとすればそのような女子挺身隊を組織した者だろう。軍需工場が爆撃されて大勢の若い女性が死んだり怪我をしたことからすれば戦争政策の被害者である。)。
   これに対して、政府の中枢にいて戦争を企画し遂行していった職業軍人(そのことで出世したエリート達)や政治家は、民間人とは比べようのない重大な責任を有していたと思う。戦争を企画し遂行した国家の指導者には、東京裁判でマッカーサーが見せてくれたように、明らかな責任があった。 とりわけアジアの諸国民に加害した反省と謝罪をしっかりと国際社会に示す意味で、戦後50年目にだされた村山内閣総理大臣談話は大変重要な意味がある。
   一般の民間人の戦争責任については、植民地である朝鮮半島や台湾で利益を得た人、満蒙開拓で夢を描いた人、更には、南京陥落や真珠湾攻撃に歓喜した人達も少なからずいたことを考えると、帝国陸海軍の体制を支えたという意味での責任はあったといえるが、同時に、殆どの国民は、その責任以上の多大な犠牲を払って責任をとった(償った)ともいえる。終戦の時点で、本人・家族・親類に戦争による犠牲者がいない家は殆どいない。戦地、沖縄での地上戦、都市の空襲、原子爆弾、中国大陸での残留を強いられた人など。
   私は戦後の生まれだから大東亜戦争の責任はないと思っている。しかし、責任という意味が「未来の日本人(子孫)に対して負う義務」だとすれば、平和と人権を尊重するようになった国民の1人として、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにする責任」は、自分にも(誰にも)あると確信している。   (先頭に戻る)

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No.50 「偉大な"芝居" 東京裁判」(2017.3.8)

NHKスペシャルで東京裁判のドキュメンタリーを見た。判事達の提出記録や手紙とインタビューに基づいた4話に亘る大きな作品である。→第1話第2話第3話第4話。マッカーサーの命令で設置された極東国際軍事裁判所では、平和に対する罪(国際条約に違反して戦争を計画・遂行した罪で、容疑者はA級戦犯と言われた。ここの裁判を“東京裁判”と呼ぶ)と通常の戦争犯罪(捕虜虐待などのB・C級戦犯)が裁かれた。勝った国が負けた国を裁く形であったので、当時としても結論ありきの茶番劇であるとの意見は強かったようだ。
   だが裁判を行う法的根拠は、ポツダム宣言(10条に戦争犯罪者の処罰)の受諾であり、大日本帝国の国際社会への約束である。残念ながら戦争末期に政府による証拠隠滅がなされたため多くは証言に基づく裁判となったが、日本を民主国家(侵略戦争をさせない国)に変えるという政治目的があったため、ある意味では画期的な裁判となった。弁護士による弁護とそれに応える議論がなされ、11名の裁判官には意見の対立もあった。

   敗戦直後の占領国を統治する上で、冷戦を見越していたマッカーサーにとって天皇を犯罪者としないことが必要であった。そのためには、裁判においても軍部が天皇の意向を無視してでも強引に戦争を進めたという形にする必要があったといわれている。親英米派だった米内光政(海軍出身で日独伊三国同盟に反対して首相を辞任した人)らが被告人を選定したともいわれている(だから死刑判決の対象には海軍出身者はいない。)。もともと勝算があって始めた戦争ではないし、戦争終結へのシナリオももっていなかったのだ。満州国成立以降、国民の声に押されて日中戦争を始め、戦況が悪くなったら国民の生命・財産を犠牲にし、超エリートの参謀らがずるずると進めてしまった戦争だ。戦後に行われた海軍幹部の反省会の記録からは、陸軍との競争心で行動し、国民の生命財産への考慮はなく、終戦方法は上層部の誰かが考えるだろう思ったという無責任な反省の弁が聞かれる(その正直さ故に反省会の記録は貴重だ)。
   東京裁判の政治的な効果を考えるならば、その判決は、日本国民や戦勝国の国民の大半が納得できるものでなければならない。その意味で裁判はとてもうまくいった。裁判を通じて大東亜戦争の責任は国民には無く、戦争を企画し指導した人達にあると結論づけた。裁判の中で国民は自分たちが、いかに軍部の騙されていたのかを知ったし、南京事件などの虐殺があったことも知ることができた。そして侵略されたアジアの国々には、悪いのは戦争指導者・軍国主義者であり、一般の日本人は許されるべきだという空気が作られた。他方、日本の朝鮮半島の統治、英仏蘭のアジアの植民地政策や原爆投下などについては、この裁判では語られることはなかった。この裁判は、GHQによって行われた民主化政策(財閥解体、農地解放など)とともに、その後の日本人の国家感・歴史観を変えた重大イベントだった。戦争を扱ったドラマや物語り(例えば「ととねえちゃん」)で戦争を肯定的にととらえた話は全くでてこないところを見ると、大勢の日本人はマッカーサーが脚本を書いた東京裁判という偉大な芝居に共感し受け入れてきたと思う。戦後の日本人の意識変化の原点となる東京裁判である。

   A級裁判では28名の戦犯容疑者のうち東条英機ら7名が処刑された。処刑は国民にインパクトを与えるため昭和23年12月23日(皇太子=今上天皇の誕生日)に行われた。
   BC級の裁判は、横浜、マニラ、シンガポールなどで行われた。逮捕者25,000名以上で、死刑判決は984名(死刑執行は920名)、終身刑が475名などとなった。B・C級裁判では不正確な事実認定で審理も不十分だったといわれている。戦前に日本の植民地だった朝鮮人・台湾人軍属が対象とされたことは、一般の日本人から見れば心苦しい裁判となった。 そのほか、ソ連でハバロフスク裁判、中国で毛沢東政権になってから瀋陽・太源で軍事法廷(撫順戦犯管理所)があったことも記憶に留めたい。   (先頭に戻る)

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No.49 「米国環境政策の大幅後退を憂う」(2017.3.3)

毎年の氷河の後退、北極海の氷減少、海水温の上昇、それに伴って起きる洪水やシロクマの生息の危機など、今日では、地球温暖化と呼ばれる現象の原因が、炭酸ガスなどの温暖化ガスの増加によるというのは、定説であり、世界各国は、何十年にもわたって温暖化ガス排出削減の取り組みを進めて来たのだが、冗談かと思われたトランプ大統領の出現で、温暖化対策、環境対策は大幅に停滞・後退する暗い見通しになっている→ニューズウイーク1月25日記事
   3月1日の議会でのトランプ大統領演説は、公共事業への大幅投資、軍事費予算のかつてない増額、法人税減税などを明言しており、それに応じて環境保護省(EPA)の予算は大幅に削減されることとなった。

   トランプ大統領の「アメリカ製品を買え」・「アメリカ人を雇用せよ」という自国第一主義は、ある意味ではどこの国の指導者にも共通だと思うのだが、超大国のアメリカがここまで言い募ると、できの悪い製品であっても我慢してアメリカ製品を買え、メリットがなくてもアメリカ人を雇えと、世界に言っているような気がして憂鬱になる(アメリカ人でも心ある人は憂鬱だとと思う。)。
   環境問題には国境はないから、放置すれば地球温暖化は、いよいよ深刻なものになる。海水面が上昇すれば住む場所がなくなる国もある。洪水、干ばつ、病気の拡大。今の世界では資源争奪や宗派対立がひどくなっており、戦争や飢餓で苦しむ人が増えているのだから、地球温暖化が進行すれば、どんな悲惨なことになるのか予想もつかない(トランプ大統領は「No Way.ありえない」と言いそうだが)。アメリカ第一主義だから被害から免れるということはあり得ない。温暖化対策の決め手は、温暖化ガスの排出量の削減と森林の確保である。オバマ前大統領が禁じた石油パイプライン建設をトランプ大統領が認めるならば、それに見合った分の森林面積を増やさない限り温暖化は進む。

   2月27日にNHKのBSワイルドライフで、北アルプス高地に棲むホシガラスが、ハイマツの実(まつぼっくりの中身)を集めて冬季に備えて周辺に埋めておくことが放送された。1000か所以上の埋めた場所を覚えていて冬の間にそれを食べて生き延びる。1か所に何十粒も埋めておくので、何粒かが食べ残される。翌年にはその残った実から発芽するのが観察された。風と寒さでハイマツが少し成長するだけでも何十年もかかる場所で、ホシガラスはハイマツの森を育てているのだ。
   この映像を見て、人が資源を利用する場合に「取り尽くさない」という知恵を持たないならば、人類は遠からず滅びることをホシガラスが教えている気がした。   (先頭に戻る)

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No.48 「花弁の癒着は遺伝子が原因ではなかった!」(2017.2.20)

No.45 「カトレアの開花で気づいたこと」で、「理由は分からないが、一方の花は正常に開花し、他方は開花できないという異常だ。このカトレアの異常が遺伝子の働きでそうなっているのだとすれば、興味深い。」と書いた。ところが、つい最近、異常の原因は遺伝子の働きによるのではなさそうだと分かった。このカトレアの新しい蕾が正常に開花したためだ。No.45の下の真ん中の写真には、2つの蕾のついた花茎と手前にシース(蕾を保護する鞘)が見える。そのシースから蕾が2つ出てきた。 下の写真は、その2つの蕾が開花した状態である。2つの花を見比べていただきたい。上がく片(アッパーセパル)とその両側の花弁(ペタル)は、2つとも正常に分離しており、No.45に示したような上がく片と花弁の癒着は起きなかった。

   そうなると、新たな疑問がわく。花弁の癒着はめったにない珍しいことなのだろうか。また、ときどき癒着が起きることがあるとしたら、その理由は何だろうかという疑問である(正常に開花させるために理由を知っておきたい。)。
   そこでウエブサイトで検索してみた。すると、カトレアの花の形態に異常・癒着の例があった。この例(C. Hawaiian Wedding Song 'Virgin')では、2つの花に同時に癒着が起きている。1つはリップが花弁と癒着し、他の1つはずい柱と花弁が癒着しているのだ。花弁が癒着して開花できなくなることはときどきあるようだ。その原因については、園芸会社に長年勤務してきた人が「石の華」というサイトで、花が奇形になる理由として、突然変異によるもの(メリクロン変異として遺伝子に変化が起きる。)と病害虫・環境によるもの(アザミウマ、ウイルス、栄養・温度・湿度)をあげている。
   これを読んで思い当たる節があった。赤のカトレアを購入したのは1月17日で、生産者のガラス室内(農地の上につくられた温室)で蕾を形成していた。冬季なので肥料は全く与えていない。ガラス室内では湿度は十分であっても温度が低かったことが原因ではないかと考えてみた。冬季に大きなガラス室を暖房するのは経費がかかるので温度の設定はぎりぎりにしているはずである。そこに強い寒さが襲った時期が、蕾・花弁の形成時期に重なるということは十分にあり得る。花弁やしべの正常な形成が妨げられることになる。
   話は少し違うが、50年近く前に、稲の花が咲く時期に大雨でかなり長い期間、稲穂の先まで水に浸かった水田があった。そこで稲の花が変形し葉や根がでているものを見たことがある。種子(米粒)が水に浸かって葉や根が出たのではない。これは冷害時にもみられるむかご(零余子)化という現象だった。花が正常に作られないような厳しい環境に出会うと稲は、生殖成長を停止し再び栄養生長を続けるのだ。夜間の低温が宿根カスミソウの奇形花の形成に影響を与えるとの岡山大学の研究論文もあるので、今のところ、この推測は可能だと思っている。   (先頭に戻る)

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No.47 「死刑制度を支持できない理由」(2017.2.9)

昨年10月に、No.33 「死刑制度について議論を!」の中で、私は「人が人を殺すことと国家が人を殺すことにはどれだけの違いがあるのか(国家に誤りはないのか)、死刑があることによって人命を軽視する考え方に繋がらないのかなど、個人として疑問を感じていることもある。」と書いた。今週2月5日にアメリカでは死刑支持が減っているとの毎日新聞記事(下の記事)(米国の死刑情報センター、ロバート・ダンハム事務局長)を見た。そこで死刑制度について再度考えてみた。

   死刑制度は、オーストラリアやEU加盟国(イギリスを含む28カ国)では既に廃止されている。アメリカでは、ハワイ州、ニューヨーク州など19州で廃止されている。カリフォルニア州、ワシントン州など31州で死刑制度が存続しているが、死刑執行のデータを見ると1999年を境に減少傾向にある。死刑情報センターによれば、若い人ほど死刑には反対が多いとのこと(No.33にも書いたが、日本でも同じである)。冤罪(えんざい)で釈放された元死刑囚が150人を超えたが、その理由は、捜査当局の不正や目撃者の嘘が、DNA鑑定やスマホの普及で見えやすくなったためだ。そのことが死刑に反対する者が増えた理由にもなっている。
   裁判に関わる人達の偏見や差別意識は容易にはなくならないから、国家(裁判所)が間違った判断を下すのは避けられない。死刑執行のデータによれば、被害者が白人だった場合と黒人だった場合、容疑者が白人だった場合と黒人だった場合を比較すると、いずれも黒人が不利になっていることが数字で示されている。2014年にワシントン大学のK.Beckett教授は、「ワシントン州の陪審員は同じ程度の事件で、容疑者が白人の場合に比べて、黒人に死刑判決を下す傾向が3倍以上ある」と指摘している。南部の州で死刑執行数が多いなど地域差もある。 少し嬉しいのは、ワシントン州で民主党の州知事と州の検事総長とが死刑廃止の法案を1月に提案し共和党の前州知事も賛成しているとの報道、死刑制度が存続するコロラド州デンバーの法務官が死刑は求刑しないと決めたとの報道が2月6日のニューヨークタイムズでなされていることだ。

   死刑を執行した後で間違いに気づいても取り返しはつかない。国家(裁判所)でも間違いが避けられない以上、死刑制度は見直されなければならない。他方、被害者遺族がもつ無念さと加害者への憎しみは理解できる。もしも家族が理不尽に殺されたら、私は加害者を殺したいと思うだろう。江戸時代はあだ討ちが公認だった。あだ討ち(私闘)を許さなくなった現代社会では、多くの人が感情として死刑制度を望むことは理解している。
   しかし、死刑という制度自体に、「自分(達)が正しければ(あるいは良ければ)人を殺しても構わない」とする発想が組み込まれているように思われてしかたがない。これは、計画的に殺人を犯す者の理屈と同じではないだろうか。また、「極刑(死刑)をもって償うほかない」という判決のせりふも聞くが、殺された被害者が生き返ってこない以上、死刑によって償えるとも思われない。この点は、更に別の機会に考えたい。
   私の意見は、「殺人の加害者の罰を軽くするべきだ。」ということではない。故意による殺人は究極の犯罪である。加害者には命の大切さと殺人を犯すことの重大さを身をもって知ってもらいたいから、死刑の代わりに終身刑を設けて、仮出所はさせず死ぬまで役務について欲しいと思うのだ。

   北朝鮮(金王朝)では、人々に恐怖感を与えて統治する手段として処刑が行われ、ときどき報道される。日本でも無謀な大東亜戦争に進んで行くことができた理由の1つに、1925年普通選挙法の制定と抱き合わせでつくった治安維持法の役割がある。思想を統制し、国民を黙らせた悪法であるが、本当に効き目が出てきたのは1928年に治安維持法を改正して死刑制度を導入してからと言われている(更に1941年には予防拘禁も可能となった。)。死刑にすることまでできる犯罪の容疑者なのだから死ぬような拷問も構わないという考えが仕事に熱心な役人(特高警察・憲兵など)に生じたと推測できる(根拠→貴族院議員で治安維持法に反対した徳川義親の「最後の殿様 徳川義親自伝107~108頁」)。   (先頭に戻る)

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No.46 「1花茎に10輪つくカトレア!」(2017.2.7)

予算委員会の国会中継を、見るともなしに見ていたら、野党議員が総理への質問の中で「過ちては則ち改めるにはばかることなかれ」を引用しているのを聞いた。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」とも言うらしい。中学生で習った論語だ。英語にも似たような表現があるので世界に通用する考え方なのだと思う。だが、現実世界では(特に権威のあるポジションに就いている場合には)、間違いを認めず、何かといい訳をしたりごまかしたりすることが多いように思われる。

   No.46で、私は「カトレアはたいてい2つずつ咲く。」と書いたが、そうとは言い切れないことが分かった。私のもっているカトレアは、確かに1花茎に2輪咲いているものが多いが、世の中には1花茎に数個の花をつけるカトレアもあるのだ。このことに気がついたのは、2月に道の駅で買ったカトレア(1鉢1,100円)に花が6個ついていたからだ。花茎は2本なので1花茎につき3個の花がある(下の写真参照)。このことを知った以上「カトレアはたいてい2つずつ咲く」などと述べることは間違いと思われた。
   そこで、専門家が書いたカトレアの記述を見ると、「夏咲きのカトレア・クイシング ‘マンカエン’は、1花茎に10輪くらい咲く。」などと記述されている(カトレアは属、クイシングは種、‘マンカエン’は園芸用の個体名。この一連の命名法で1つの品種を表している)。ネット上のカタログ写真をみると、確かに1本の花茎に数個の花が着いているものもある。

   私にとってカトレアは憧れの花だが、特に良く知っているわけではない。実際に育ててみると、花の数に限らずいろいろなことに気がつく。最近は植物分類にDNA鑑定が使われるようになり、分類自体も変わった。分類上(属、種の順)では、以前はカトレア属だったもの(カトレア・スキンネリーなど)が、グアリアンセ属になり、レリア属の一部(レリア・パープラタなど)やソフロニテス属と呼ばれていたものが、新しくカトレア属(カトレア・パープラタなど)になったりと、学名自体が変更されている。属間交配で人工的につくられた種類も増えている。自然界で交配可能なものは同じ種だと習った昔の知識では、園芸用では属や種の区別さえできなくなってしまう。   (先頭に戻る)

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No.45 「カトレアの開花で気づいたこと」(2017.1.25)

花は生殖器であり、その種の将来を左右する重要な器官である。他の花からの受粉で多様な遺伝子をもつ種子を作ることができる。世代を繰り返すことで他の花の性質を取り込み、植物は厳しい環境でも生き延びられるようになる。これを品種改良に応用した技術が交配(人為的に受精・受粉させること)である。植物の種のほとんどは人類が出現する前から生きていたのだから、花は、花粉を運んでくれる虫を喜ばせるために咲くのだと言える。花を見て人はきれいだと感じるが、花は人を喜ばすために咲いているのではないだろう(農業が始まって穀物や野菜の種類は人間を喜ばせることで生存範囲を広げてきた。だから人間を生き残り戦略の手段にしていると言えなくもない。)。

   カトレアの花芽から開花までを見て気づいたことがある。このホームページのカトレアの項をご覧いただきたい。カトレアはたいてい2つずつ咲く。ところが何かの理由で、2つ出てきた蕾の一つが早々と枯れてしまうことがある(写真例)。病害虫にやられたわけでもないのにである。栄養が少なかったとか日照が足りなかったというような事情があるのかもしれないが、人の目には分からない。蕾が大きくなる途中で花を2つとも駄目にするよりも、早めに1つを切り捨てて1つを生かそうとしているように感じるのだ。そうだとすると園芸用に交配された品種でも生き残るための野生(生き延びるための自律的能力)を失ってはいない。

   下の図と赤いカトレアの花(下の右の写真)をご覧いただきたい。図のようにカトレアの花は、通常、3枚のがく(萼)と3枚の花弁(うち1つはリップ=唇弁と呼ばれる蘭に特有の形となる)から成り立っている。がくは、蕾の時には花を包み込む鞘の役割をし、開花時には花弁と同じように花を取り囲む。花を大きく見せることで虫を集め易くなるのだ。写真のカトレアの右側の花は、図と同じである。
   しかし、左側の花は、形が右とは違っている(拡大するとはっきりします)。上がく片が左右の花弁と癒合している。このことに気づいたのは、左の蕾が大きくなっても開こうとしなかったからだ(下の中の写真)。開花時には蜜が出るので、その粘りけで蕾が開かないことがある。そこで蕾を念入りに水で洗ってみたが、それでも開かなかった。そこで初めて、がくと上の左右の花弁とが1枚になっているのを発見した。上がく片の左右をはさみで切断したところ、写真のように開くことができた。上がく片は2層に厚くなっているので蕾のときの形を保っている。理由は分からないが、一方の花は正常に開花し、他方は開花できないという異常だ。このカトレアの異常が遺伝子の働きでそうなっているのだとすれば、興味深い(カトレアは左右の花を区別していることになる)。次回に咲く花がどんな姿で出てくるのか楽しみになった。   (先頭に戻る)

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No.44 「報道して欲しい エボラワクチン」(2017.1.12)

エボラ出血熱は、致死率が5割以上といわれる恐ろしい病気で、治療は対症療法しかない。2014年には西アフリカ(ギニア、リベリア、シエラレオーネ)に広範に発生し、連日のように患者の増加が話題になっていた。私が勤務していた会社ではシエラレオーネに出張する人がいて、この病気の脅威が身近に感じられた。WHO(世界保健機関)は、このときの死者数は少なくとも11,000人を超えるとしている。昨年(2016年)1月にWHOは、新たなエボラ患者の発生はないと終息宣言をしたが、再びいつ起きても不思議はないともいわれている。

   当時ワクチンは研究中で、エボラにはいくつかのタイプがあるので開発は難しいとの話も聞かれた。その後は開発が進んだのかしらと思っていたところ、新しいエボラワクチンが高い予防効果を証明した結果がでたと、WHOが昨年12月23日に公表していたことを知った。この研究の詳細は、学術誌“The Lancet”で見ることができる。致死率が高い病気なのでプラセボ試験(無投与)は倫理上の問題もある。そこでエボラが収束していない2015年当時のギニアで、患者に接触した人達を2つのグループ(患者に接触した人(接触した人に接触した人も含む)の接触直後にワクチンを接種した集団と、接触後3週間後にワクチンを接種した集団)に分けた試験がなされた。その結果、接触から10日以降の観察では、直後にワクチンを接種した集団(5,837人)からは1人も患者がおらず、直後にワクチンを接種されなかった集団(ほぼ同規模)からは、23人のエボラ患者がでたことが判明した。統計解析の結果、確実な予防効果が認められ、ニューヨークタイムズは100%の予防効果だと見だしをつけている。子供や妊婦を除外しての試験であったし、西アフリカで発生したタイプ以外に効果があるのかなどの研究課題は残されているが、致命的な副作用はなく、人類に恩恵をもたらす画期的なワクチンであることが明らかとなった。
   この試験は、カナダの研究所が開発したワクチンを利用したもので、試験はWHOとギニアの衛生当局、ノルウエーや海外の研究者(日本人の医師も含む)によってなされた。米国の大手製薬メルク社がワクチンの製造を手がけ、既に30万人分が備蓄されているとのことである。

残念なのは読売・朝日・毎日などの全国紙は、今回の重要な情報について、これまでのところ何も報道していないことだ(NHKは放送・放映はないが科学文化部のブログ(かぶん)で専門記者の記事として伝えている。)。WHOが終息宣言をしたから、あるいは渡航制限がなくなったから、もうニュース性はないと思っているのだろうか。事件が話題になるときには危機感を煽るようなニュースになるが、事件や被害の原因と対策まで掘り下げることをせず、重要な情報も取り上げないようではメディアの役割を果たせない。科学技術分野を担当する記者が少ないためだろうか。何でもメディアのせいにはしたくないが、若者の理系離れ(つまりは技術立国としての国力の喪失)は、大手メディアの科学技術への関心の薄さも影響しているのかもしれない。   (先頭に戻る)

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No.43 「羊飼いになった夢」(2017.1.6)

夢を見た。僕は、四方が高い山で囲まれた盆地のような場所の端っこに立っていた。手には杖を1本もっている。なぜか分からないが羊飼いになったらしい。羊の姿は見えない。背後でそれらしい鳴き声がした(ような気がした)。あたりは山の日陰になっている場所ばかりなのだが、眼前に陽光が当たっている明るい草原が見える。僕は、これからその場所に羊を連れて行かなくちゃならない。陽の当たる場所は餌になる草が多いのだ。羊たちの先頭に立って歩く。羊がついてくるのを背後に感じながら歩いていると、弱い風が耳もとを吹き抜けた。草原は深い緑で山は青みがかっている。空は晴れているのにうす暗い。
   目的の場所についたら、羊は好き勝手に草を食べ始める。僕のやる仕事はなくなった。草原に寝そべっていたら眠気が襲ってきた。目覚めたら、もう、陽の当たる場所は遥か遠くに移動していた。陽が沈み始めたらしい。再び陽の当たる場所を目がけて歩く。左手に持った木の杖が段々と重くなって手がしびれてきた。どうして、こんな羊飼いの生活を続けているのだろうと思い始めたところで目が覚めた。布団の中で左手のしびれを緩めるように何度もさすった。

夢の中で色彩を感じることは多くはないが、目覚めてから夢の中の草原の緑色(スポットライトに照らされたかのように一部だけ明るい)が印象に残った。夢は心の奥深くの無意識を表しているともいうが、この夢は何を表しているのか。最近はウォーキングをするので、体が覚えているのだろうか。また、血の巡りが悪くて腕や手先がしびれることもあるので、そうした肉体の衰えの不安が夢の中にでてきたのだろうかとも思った。
   このところ冬型の天気が続き、太平洋側は晴れている。それで、20個ほどの洋蘭の鉢にガラス戸越しの陽光を当てようと、部屋の中の日溜まりを追いかけて朝・昼・夕方に、鉢を移動させていることに思い当たった。蘭の鉢が羊で、陽光を牧草と考えれば、僕は羊飼いのようなことをやっているではないか。羊飼いになった夢は、僕の心の奥底が反映しているというよりも、最近の日常を脳が翻訳して見せてくれただけかもしれない。これは初夢なのか。だとしたら縁起の良い夢であって欲しい。蕾がつき始めた蘭達が、この願いに答えてくれると嬉しいのだが。   (先頭に戻る)

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No.42 「平和優先で領土問題の解決を」(2016.12.28)

12月にプーチン大統領が訪日し日露首脳会談が開かれた。外務省がまとめた会談の結果の中のプレス向け声明をみると、「北方4島(国後、択捉、歯舞、色丹)の共同経済活動に関する協議を開始することが、平和条約の締結に向けた重要な一歩になり得るという理解で一致した」とある。島の返還については何も書かれていない。自民党の幹部も野党の幹部も「国民をがっかりさせる結果だった」などと低い評価をしたようであるが、他方で大成功だったとの見方もある。いずれが正しいのか先になってみないと分からないが、戦後の日本の置かれた位置からみて、領土や軍事のみにとらわれない平和と繁栄の外交の必要性を感じた。
   踏まえておくべき経緯がある。ソ連(ロシアの前身)は、大東亜戦争末期に米英とのヤルタ協定の秘密付属協定に従い、日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本に対して戦勝国となった。だから米国はロシアに北方4島を日本に返せと言える立場にはない。法的に日本と連合国との戦争状態を終わらせるため、1951年にサンフランシスコ平和条約が米国などと結ばれたが、ソ連とは条約の締結はなされなかった。1956年に鳩山一郎総理は日ソ国交回復に関する共同宣言(平和条約締結後に歯舞、色丹を返還する)をしたものの、4島返還を求めた日本と、国後・択捉は決着済みとするソ連と意見が合わず平和条約にはならなかった。島の返還の話はここからスタートしている。

日本は明治以来、他民族の住む土地を侵略して台湾、朝鮮半島、満州を統治し、太平洋の島を譲り受けたが、敗戦で元々の日本列島だけになった。北方4島は侵略して得た土地ではない。日本人が住み、漁業などを営んでいた土地だ。私は4島を日本に返還してもらいたいと思う。そして日本人が島に住み、漁業などを安心して操業できるようになって欲しい(できれば観光旅行にも行ってみたい)。だから、政府は本気になって平和条約締結に向けて取り組んで欲しいと思う。
   しかし、戦後70年以上、交渉が進まなかったのには理由がある。日本には、敗戦以来、米軍の基地が置かれている。このことが返還交渉を難しいものにしてきた。現在でも、日本政府は、沖縄県民(県知事)の反対を無視して、米国の意向を優先した基地対策を行っている(米国の圧力が強くてそうせざるを得ないのかもしれない)。ロシアは、冷戦下で米国と敵対してきた国である。今もそれに近い。返還した島に米軍基地ができるのを恐れるのは当然だ。日本は中立国ではないのだ。日米同盟という枠の中でロシアと対立する立場に置かれている。更に4島には既に大勢のロシア人が生活しているのだから、おいそれと返還に応じるはずはない。

   北方4島返還のためにやるべきことは、過去に繰り返された粘り強い交渉(つまりは先送り)ではない。今の段階で必要なのは、今回合意されたように(おそらくはプーチン大統領の意向に沿って)、ロシアと経済関係も発展させて、ロシアと日本との、更には東アジア各国との平和な関係を作り上げることしかない。ロシアとの関係が密接になることは米国が嫌うことかもしれないが、諦めれば終わりである。日本政府は、元島民の願いを叶えるために、日露の平和友好関係を築く外交努力を積み上げて欲しい。これと似た意見を毎日新聞の外信部記者の記事『「2島マイナスα」の解決』で見つけた。   (先頭に戻る)

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No.41 「もんじゅ菩薩と地方自治の本旨」(2016.12.23)

菩薩(ぼさつ)とは、如来(にょらい。釈迦如来)の位の次にあって修業を重ねている者である。如来になれるにもかかわらず、衆生(人間)を救うことを優先して菩薩の位にとどまっているありがたい仏様である。「文殊菩薩(もんじゅ)」は智慧を象徴するとされる。50年ほど前に、政府は「もんじゅ」の名前を新しい原子炉(高速増殖原型炉)につけて開発を始めた。同じ福井県にある曹洞宗永平寺に事業団の職員が赴き、もんじゅの名前を使うことの説明をしたといわれている。それから半世紀、今年12月21日に政府はもんじゅの廃炉を決定した。
   役に立たないだけでなく、金食い虫で危険でもあるもんじゅが廃止されるのは当然である。また、未完成の技術に菩薩の名前をつけた人間の思い上がりは罰当たりだ。しかし今回は別のことを言いたい。

   地元の福井県知事、敦賀市長が廃炉反対を主張していることだ。地元に金が落ちなくなることを問題にしているのかと思ったが、少し違う。廃炉作業自体が容易ではないのに、作業を行う日本原子力研究開発機構は、事故を起こしたり、隠したり、点検漏れ記録の改竄をしたりしてきた。知事らはそのことを問題にしている。放射能に汚染された液体ナトリウムの取り出しは猛烈に難しい。水や空気と接すれば爆発的に反応する。廃炉までに30年もかかるのは安全で確実な技術がないためだ。日本では初めてのことで、福島第一原発の廃炉と同じである。 地方自治体の長が政府と対立することはしばしばある。沖縄県知事と国による普天間基地移設先の辺野古の係争はその典型である。政府が判断することが常に正しいとは言えない。日本国憲法の地方自治についてどう考えるのかが焦点である(中央集権国家の大日本帝国憲法には、地方自治の考え方は全く無い)。

日本国憲法は、地方自治を保障するため、特に1つの章(第八章)を設けている。憲法第92条[地方自治の基本原則]には、地方公共団体の運営は「地方自治の本旨」に基づいて法律で定めるとなっている。これだけでは分かりにくいので、地方自治法の第1条及び第1条の2の条文を読むとある程度理解できる。すなわち、地方公共団体は住民の福祉の増進を図ることを基本とし、国は外交や全国的な視点の事業を行うなどの役割分担が書かれている。そして国は、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本とすべきと定められている。国は地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならないことも規定されているのだ。

   日本政府は憲法の要請に従っているのだろうか。住民の生活の安全は、地方自治体が真っ先に取り組むべき課題である。原発の安全対策、廃炉にともなう安全対策、住宅地の頭上を飛ぶオスプレイの騒音と墜落の不安対策、治安や環境悪化への対策は住民の福祉対策である。現内閣は「国の方針をていねいに説明したい」としばしば口にするが、説明すれば済むということではない。住民の生活を脅かすような政府の施策自体が、地方自治の原則に反するのである。   (先頭に戻る)

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No.40 「賭け事の魔力とカジノ法」(2016.12.21)

カジノという言葉は、ラテン語のCASA(小屋・家の意)が語源で、フランスでは賭博を主とした娯楽場をいう。賭博(偶然に左右されて金銭を得る遊び)は、日本では犯罪(刑法第185条)であるが、他の法律により競馬、競輪、宝くじなどが例外として公認されている。

   私には賭け事の経験は少ないが、30年ほど前に競馬場の近くに引っ越したとき、年末の有馬記念で合計1,000円をでたらめに賭けたところ、200円分が6万4千円になって戻って来たことがある。ところがこれが良くなかった。その後は競馬場に行きたくて仕方なくなり、毎回、2千円程度をかけるようになった。競馬新聞も買った。その予想は良く当たる。3種類の予想を買うと1つくらいは当たる。しかし当たる率が高い有力馬は、払い戻し額が低いため全体では利益はない。番狂わせの大穴が当たったことは、最初の有馬記念を除いて一度もなかった。ほぼ毎週の競馬場行きが約1年続いたが、外れ券の束ができただけだった。
   カジノの経験は一度だけある。カナダに旅行したときに小さな町で、自治体が運営するカジノでルーレットなどをした。タキシード(制服)を着た公務員が胴元をやっていた。結果は数千円ほど失ったが、ワクワクした一時を過ごした。賭けの刺激でアドレナリンが体中をめぐるのだろうか。

   一般に人は金には弱い。私は自分自身を普通の人間だと思っている。賭け事によって身を亡ぼす愚かさを避ける知恵は身についているはずだが、カジノができれば一度くらいは行ってみたい気がする。賭博の魔力に魅入られて自分を忘れる人は100人に1人くらいはいると思う。実際にラスベガスで金をすった政治家や巨額の損失を会社に与えた会社役員の報道がされたことがあった。景品と交換するパチンコ(一度に巨額の金は得られない遊び)でさえ、借金を重ね、仕事や育児もおろそかにしてしまう人もいる。車中に乳児を寝かせたまま夢中になってしまい、我が子を死なせた恐ろしい事件もある。巨額の賭け事は金銭感覚を麻痺させる。大損すれば生活に影響がでるし、大儲けをすればしたで、額に汗して勤勉に働くことを忘れるだろう(経験はないがおそらく。)。

今年の12月15日未明にカジノ法案が自民党、日本維新、公明党の一部の賛成で条文を修正して成立した。ラスベガスにあるような施設を全国数か所に作る計画らしい。競馬だって観客が減っているというのに、カジノ施設はかつての巨大リゾート施設の二の舞にならないのか。ギャンブル依存症のような悪影響を避けるための措置を講じるとのことだが、ギャンブル依存でおかしくなった人達の治療に金をかけるのでは何のための施設かとも思う。賭け事に弱い人間を罠にはめるような感じがする。更には、暴力団などが違法に儲けた金の洗浄(マネーロンダリング)に使うとの指摘もある。毎日新聞が12月17・18日に行った全国世論調査では、カジノ法案に反対は59%、賛成は29%であった。世論の反対を押し切っても進めなければならない理由は思いつかない。賭博が、日本の未来を担う子供たちの教育に役立つというわけではないだろう。それとも、まさかとは思うが、議員達が法案に賛成したのは、彼らが既にギャンブル依存症になってしまっているためだろうか。   (先頭に戻る)

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No.39 「宇宙始まりのイメージ」(2016.12.8)

前回、生き物の形態や行動などの進化要因について分からないことが多いと書いたが、同じく進化を続けている宇宙は、それに輪を掛けて分からないことだらけのようである。探査衛星によって太陽系の惑星の情報はかなり詳細に分かってきたものの、望遠鏡による観察で得られる宇宙の情報は何光年、何億光年という遠くの、しかも過去の情報である。人類は宇宙全体の何パーセントくらいを見ていることになるのだろう(何億分の1か、良くても100万分の1にも満たないのではないか)。だが観察データの解析が物理学や数学理論の手助けでできるようになり、宇宙についてのある程度確かな推測がなされ、宇宙の始まりについても語られるようになった。
   国立天文台などが企画作成した「一家に1枚 宇宙図 2013」(ここをクリックして下さい)を見ていただきたい。これまでの宇宙の観察結果や数学的な推論からすると、太陽系を含む天の川銀河、130億光年のかなたの星々も含めて、時間を遡れば全ては時間も物質もない場所で起きたビッグバンから始まったという。ビッグバンからあっという間に素粒子から原子ができ、水素などがあつまり星ができて、その中で更に多くの元素が作られ、巨大な星を核として銀河ができた。その全体(宇宙)は今なお膨張(進化)し続けているということだ。
   観察結果や数学的な推論だからビッグバンがあったのは確かかもしれないが、そういわれれば「そのビッグバンの起きる前はどうだったの?」と聞きたくなるのが人情だ。宇宙図では、その前は「無」の世界だとの説が紹介されている。「「無」とは、物質も空間も、時間さえもない状態。しかしそこでは、ごく小さな宇宙が生まれては消えており、そのひとつが何らかの原因で消えずに成長したのが、私たちの宇宙だというのです。」とのこと。

物質の存在する空間を「宇宙」と定義すれば、ビッグバン以前は物質がないのだからそこは宇宙ではないとは言える。しかし、何もない「無」の世界が存在し、そこから私たちの宇宙が生じたとすれば、そこはいったい何と呼べばよいのか。宇宙源、宇宙の故郷、宇宙の胎盤(?)とでも呼べそうな、何かに満ちあふれた世界のような気がしてしまう。
   私は、ぼこぼこ沸騰する液体の中の泡に閉じこめられた世界を宇宙としてイメージした。泡の大きさは直径が数百億光年もある。ヒトはその泡の中で周囲を観察しているが、泡はどんどん大きくなっていて泡の果てには液体の壁があることは知りようがない。計算によりこの泡(宇宙)は、ある時に液体の中にとけ込んでいた空気のようなもの(何かのエネルギー)が1点に集まって気化(爆発的に膨張)してできたことがわかった。この状態がビッグバンだ。
   ダークマターの存在やブラックホールに吸い込まれた物質の行き所など、殆ど分からないことだらけだが、この宇宙は自分たちの居場所である。宇宙の話は興味は尽きないので、生物学と同様に天文学も進歩して欲しい。   (先頭に戻る)

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No.38 「生き物を時間の経過で理解する」(2016.12.8)

私の周囲には節度ある人達が多いので、何についても始めと終わりがあると考えたい気持ちがあるようだ。蝉の幼虫は何年も地中で暮らしているが、ある時期になると地上に出てくるし、朝顔は夏の朝になると花を開かせる。社会生活では、時間を守ることはとても大事なことである。子供が遊ぶときには始まりと終わり(お片づけ)を教えられる。だから始めも終わりもないような状態はだらしなく感じられるのだ(ただし、遊びが仕事=飯の種であるような状態が理想であるとも思えるので、この感覚が常に良いことなのかは分からない)。
   時間とものの変化(空間の変化)は強い関わりがあることは確かである。時間は太陽や時計の針の動きで知る。光は真空中で1秒間に2億9979万2458メートル進む(1983年からは1メートルの国際的な定義が、光が真空中を2億9979万2485分の1秒の間に進む長さということになった)。理化学では全ての変化は時間と関連づけられる。特に、生物の世界では、様々な種が地球上の3次元空間の中で長い時間をかけて変化してきた。進化(系統発生)は、多くは単純なものから複雑なものへの変化である。現在まで生存している生き物は、程度の差はあれ環境に適応しているといえる。また、種子や卵が成長していく短い時間での変化(個体発生)もある。発生過程で一旦できたしっぽや水かきが消えてヒトの形に成長していく。

オランダの動物行動学者ニコ・ティンバーゲンの考えた生き物についての「4つのなぜ」とは、生き物のある状態(形、機能、行動)が存在することについて、①その状態が存在する目的は何か、②どのような進化の結果そうなったのか(系統発生)、③どんな作用や仕組みでそうなっているのか、④成長過程において環境や遺伝子の働きがその状態の存在にどう影響したのか(個体発生)という問いである。①、②と④の問いには時間の経過からの視点がある。進化・成長するものへの理解を深めるためには、いずれの問いも重要であると思う。
   生化学的仕組みについてはかなり解明されてきている。進化的要因の解明が難しいのは、化石など証拠が限られる上に、どのような状態が「始めの状態」といえるのか判断が難しいためである。長谷川眞理子氏の『生き物をめぐる4つの「なぜ」』は、ニコ・ティンバーゲンの「4つのなぜ」に答える形で、雄と雌、鳥のさえずり、鳥の渡り、光る動物、親による子の世話、角と牙、人間の道徳性について論じている。比較的研究報告が多いテーマであっても、進化要因となると「良く分かっていません。」、「まだ、良く分かっていないようです。」などという正直な記述ばかりが目についた。生物学研究の難しさを示しているようで、私にはかえって新鮮な感じがした。   (先頭に戻る)

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No.37 「ダーウイン進化論と弱肉強食」(2016.11.28)

C.ダーウインは、世界を一周して動植物や化石を観察し、1859年に「種の起源」を書いた。観察結果に裏付けられて、生物の変異、生存競争、自然淘汰、適者生存などの重要な進化の考えを説明した。この進化論は人々の心を捉えた反面、聖書の教えに反するのでひどく反感をもたれた。
   宗教心に篤い人達が作った国、米国では進化論を教えないという州もあったため、最近まで(今もあるのかも知れないが)進化論をめぐる裁判もあったほどだ。2015年にようやく進化論を信じる人達が過半数を超えたといわれるが、約半分の人は進化論を信用しておらず、共和党の根強い支持基盤になっているともいわれている。
   人間は神様から選ばれた特別な生き物であることを信じる人達にとって、人がサルやネズミなど哺乳類の一員として類人猿から進化してきたなどと認めることは苦痛であるに違いない。また、有利な形質を持つものが子孫を残し、そうでないものは滅ぶという生存競争と自然淘汰の考えは、調和のとれた穏やかな生活を願う人には、暴論と感じられることも分かる。
   進化論が暴論と感じられる理由の一つは、最新の進化論でも、いろいろな事象について十分に納得できる説明を提供していないためだ。例えば、ライオンはインパラやシマウマ(ときには集団でゾウさえも)を襲って食べる。しかしこの事実を理由に最強のライオンが生存に適した生き物であり、インパラは敗者である(だから生存できない)ということを主張したとすれば、明らかに誤りだろう。実際、IUCN(国際自然保護連合)によれば、アフリカ全体の野生ライオンの頭数は2万頭程度に減少しており、絶滅の淵にある。それに対して、個体としては弱いインパラなどは絶滅からは程遠い状態でサバンナで広く生きている。生態系の頂点に位置する強い生き物が絶滅することはある。適者であることの意味がはっきりしていないのだ。また、ランダムな小さな突然変異が起きても、有効な進化にたどりつけるのかという疑問もある。こうした疑問について答えようと、リチャード・ドーキンス博士が「進化とは何か」の中で、目玉の進化過程を説明をしていて面白い。

天地創造説を信じて進化論を信用しないことは問題ではあるが、不完全な進化論をそのまま人間社会に当てはめようとすることは更に危険である。弱肉強食の4文字熟語を誤解し、自然界の事実だと思っている人もいる。「だから人間社会も自由な競争社会にすべきだ。」とか「平等とは建前であって自然界では本当は違う。腕力の強いものや賢い者が勝つべきだ。」という人もいる。個体の強さと種(集団)としての強さを取り違えてはいけない。ゾウやサル、ライオン、シマウマ、ヤギ、鳥類などは集団で社会を作って暮らしているが、個別には縄張り争い、メスをめぐる争いはしても、いたずらに殺し合うことはない。傷ついた同じ種の仲間を助けるような行動も見られる。
   気になるQ&Aがネット上にあった。「弱肉強食が生き物の世界なのだから、人間の弱者を税金で支援する必要があるのか?」という質問と答えである。ベストアンサーになった答えは分かり易くて、私の思っていたことと同じだったのでうれしく思った。多様な生物の社会には、人類が生き延びるためのヒント(危険を避ける生存戦略)がいっぱいあるに違いない。更に進化の研究が進むことを願う。   (先頭に戻る)

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No.36 「一夫一婦制となった理由」(2016.11.18)

多くの生き物は交配という手段で遺伝子の多様性を手に入れて進化を遂げる。だから植物では同じ種の他の個体の花粉をもらって次世代の種子を作るものが多い。動物も同様であるが、動物の場合は、個体どうしの配偶関係も問題となり、一夫一婦(一夫一妻)、一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻(乱婚)などの形がとられる。配偶関係の決まり方は、いろいろな要因がある。
   鳥類は9割以上が一夫一婦制だといわれている。アホウドリ、ペンギン、丹頂鶴などは同じ場所で集団で生活していても、雌雄は互いに特定の個体を認識して子育てを夫婦で一緒に行う。一夫一婦を基本とする人間の目には、厳しい環境の中で生きるペンギンなどの行動が愛らしく、けなげにも見える。
   ほ乳類では、一夫一婦の形態は少ないといわれている(霊長目でも3割程度)。常に集団で移動しながら暮らすニホンザルは、腕力の強いオスがメスと子供の集団を率いて一夫多妻だ。ニホンカモシカの解説書(理学博士落合啓二氏)を読んだら、偶蹄目(草食性の羊、シカ、イノシシ、牛など)では一夫一妻は少ないのだが、ニホンカモシカは例外的に一夫一妻組だという。雪山などの厳しい山間部で生活するには、メスも縄張り(地形や植生にもよるが数十ha程度)を持ち、単独で子育てをしなければならない。だから、オスが2頭のメスを相手にしようとすれば広範囲を動き回らなければならず、移動にばかり労力がとられ効率が悪い上に、他のオスからの挑戦で傷ついたり、死亡したりすることもあって結果的に一夫一妻になっているのではないかとのことだ。

霊長類が一夫一婦制をとる理由については、縄張りの跡をついだオスが先代のオスの子供を殺すハヌマンラングールの例が発見されて、一夫一妻をとるのは、自分の子供を守る意味があるのではないかと解釈されてもいるが、先代のオスの子供を殺さない例も発見され、実のところ良くは分からない。
   人間の場合には、一夫多妻を認める社会もあるので、もっと文化的・習慣的な意味があるのだろうが、数万年単位の長い目で見れば、ヒトの祖先が森林から草原に出たときから集団で生活していたのだ。オス同士も互いの助け合いを必要としていた。子供の成長には早くても10年以上の長い時間がかかるし、その間に生きていくための様々な知恵を伝えなければならない。だから、男が多数の女を配偶者にするなどということはありえなかったと思われる(そうしたことは富が蓄積できるようになってからの時代に生じた)。サルから人になった当時は、ニホンカモシカと同じように、厳しい自然環境に加えて、サイズも能力的にもほぼ同等の個体が、互いに助けあわなければ種が存続できない(子育てができない)事情が作用したのだと思うのが素直だ。  (先頭に戻る)

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No.35 「誰が予測できたかトランプ大統領」(2016.11.11)

11月9日、前日に行われたアメリカ大統領選の開票ニュースを夕方まで聞きながら過ごした。投票直前まで、ヒラリー・クリントン氏優勢の予想ばかり聞かされていたので、初めにドナルド・トランプ氏の選挙人獲得数が多いと発表されたときには、「ええっ?」と思った。その後クリントン氏の方が多く獲得したので、「やはり予測は当たるんだね。統計学ってすごい」と思っていたら、再びトランプ氏優位に戻り、最後まで変わらなかった。振り返って「なぜこんなに予想が外れたのか」と疑問になった。

「選挙結果は蓋を開けて見なきゃ分からない」はその通りだが、州毎に統計理論に基づき、有権者の意向調査を聞き取って予測したはずである。だが、多くの州で予測がはずれた。これについて「予測はずれの理由は有権者が本音の意向を言わなかったためだ」という解説があった。トランプ氏は、イスラム教徒や女性への侮辱、メキシコ国境の壁をつくるなどの差別的発言を繰り返してきた。ポリティカルコレクトネス(政治的妥当性)の視点からは暴言である。暴言をする人物を支持するとは言いにくいのは確かだ(共和党の有力者もトランプ氏を支持しないと言っていたほどだ。)。
   だが実際はトランプ氏の発言は過半数の有権者の本音には心地よかったのだろう。だから、メディアから聞かれれば、有権者は「決めかねている」などと回答した。トランプ氏も選挙戦での勝てるという手ごたえとは異なるメディアに予測に「メディアはヒラリーに味方している」と愚痴ったほどだ。今回の予測はずれの経験からすると、回答すること自体に抵抗感がある状況での本音の程度を知る方法が将来開発されるかもしれない(本日付の記事(下の写真:拡大可)を見ると米メディアの釈明・反省が書かれている)。

トランプ氏の政策は、白人の支持が大きかった。中産階級から没落した白人(労働者層)の支持が高かったという解説もあったが、その説明には少し違和感がある。トランプ氏の政策は、法人税率の大幅引下げ(35%→15%)、富裕層も含めた所得税減税、相続税廃止、TPP離脱、パリ協定からの離脱などである。白人の労働者層は人種差別的発言で鬱憤を晴らせたとしても、トランプ氏の重要政策の恩恵はほとんど受けられない。両候補の政策比較によれば、民主党の大統領候補選挙を争ったサンダース氏の政策を受け入れたクリントン氏の政策は富裕層への課税強化なのだ。だから多くの白人富裕層はトランプ氏を陰ながら支持したのだと想像してしまう(私の根拠のない想像である)。労働者層だから差別意識が強く、富裕層だから差別意識が小さいということはないと思う(その見本がトランプ氏その人である)。

クリントン氏が勝利するという予想が外れた11月9日には日本の株価が大きく下がったが、10日には株価が一挙に回復した。多数の大口投資家(外国人を含め)は、「なんだ。良く考えればトランプ氏の政策は、俺たち金持ちの優遇なんじゃないの。彼の政策を怖がる必要は全くないな。急いで買い戻そう。」と理解したのではないか。私は、トランプ氏の勝利によって「自国さえ良ければ」という雰囲気が世界に広がることを恐れている。特に地球温暖化対策の国際的取り組みは人類にとっての最重要な課題と思う。中国に次いで世界で2番目の温室効果ガス排出国である米国がパリ協定から離脱するようなことは思い直して欲しいと願う。日本政府も、そのことを勇気を奮ってトランプ氏に働きかけてもらいたい。  (先頭に戻る)

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No.34 「パフィオペディラムの花芽」(2016.11.1)

夏の暑さはすっかり消えて、曇りや雨の降る日には寒く感じるようになってきた。10月中旬にはベランダに出していた蘭の鉢を室内に取り込んだ。強い夏の光には気をつけていたのだが胡蝶蘭に葉焼けを起こしたので、痛んだ葉を切りとった。嬉しいのは、パフィオペディラム(以下「パフィオ」)から花芽(下の写真)が出てきたことである。数年前に花の咲いた鉢をもらって以来、一度も咲かなかったのものなので嬉しくて、毎日2~3回見ている。見るたびに少しずつ蕾がふくらんでくるような気がする。

どうしてこれまで咲かなかったのかははっきりしない。パフィオは、低温に強いと言われているので、その分だけ暑さに弱いのかもしれない。今年は夏の高温期に比較的涼しい北の部屋でLEDの電気スタンド(11ワット)の光の下で過ごさせた。パフィオをくれた人は戸建ての家に住んでいる。その家では毎年咲いていたとのことだ。一般に戸建ては保温効果が悪い。私は鉄筋の3階の一室に住んでいて、室内は真冬でも13℃程度はある。だから高温を好む胡蝶蘭が毎年咲くようになったのだろう。逆にパフィオには不向きだということか。温度、水分、光の環境で咲くか咲かないかが決まるが、その条件が良くわからない。

カトレアをくれた人が、「環境になじんで蕾をつけるようになるまで、2~3年はじっと見守れ」と教えてくれた。桃栗三年柿八年という言葉があるし、石の上にも三年という言葉もある。直ぐに何かを期待しないで、3年くらいは頑張っていれば、うまく行くこともあるという程度の意味だと思っているが、我が家で世話をしている猫にも当てはまる。元は棄て猫だったらしい。数年前によその家からやって来たときは、直ぐに狭い場所に隠れる。うなる。餌をやっても人がいると出てこない。人が前に立つと逃げ出す。何も危害を加えないのにである。この頃ようやく人がそばに居ても、逃げださず毛づくろいもするようになった。

生き物は機械ではない。動物は餌を与えさえすれば動き回るわけではない。安心感を得たいだろうし寂しがることもある(この意味では人間も動物と同じだ。)。猫の変化から類推すると、脳のような器官を持たない植物だって肥料・水・光と温度だけで成長するのだといいきれない。ある程度の時間の中で、何かを経験してそれが生きる力になってくることだってある。微量なガスや成分を放出してコミュニケーションをとったり、葉・根・幹についている小さな細胞で快適さや不愉快さを感じたり、記憶したりして外界からの影響には何らかの対抗策を取っているのではないか。カトレアの花に似せたハナカマキリの擬態や授粉を委ねるマルハナバチとヨツバシオガマの特別な関係に見られる共進化は、そうした経験と生きる力の存在無しには達成は不可能ではないだろうか。多様な生き物の地球ができたのは、その結果だと思うようになった。  (先頭に戻る)

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No.33 「死刑制度について議論を!」 (2016.10.22)

日弁連(日本弁護士連合会)は、法律に基づいて全国の弁護士会が設立する自治組織である。なぜ自治組織が必要かと言えば、弁護士は政府と対決することもあるからである。大日本帝国時代はこうした組織はなかった。政府の役人に監督されるような弁護士では政府と対決などできるはずもない。日弁連は悪徳弁護士の除名や刑法、民法等に関する多くの提言を行ってきた。この10月7日には「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。その最大の課題は、死刑制度の廃止である。
   廃止の理由は、①死刑制度は生命を剥奪する刑罰で国家による重大な人権侵害である上に、冤罪(えんざい)によって死刑が執行されれば取り返しがつかない。②国際社会のすう勢に従って死刑制度と決別すべき時期が来ていることを挙げている。同時に、③犯罪被害者や遺族の支援のため精神的なサポートや給付金の支給を拡大すること、④死刑を廃止する代わりに、終身刑の導入とともに、無期懲役刑を見直し、仮釈放が可能になる時期を従来の10年から倍の20年以上に延ばす仕組みも提案している。
   日弁連の「死刑廃止を考える」のページには、Q&Aが掲載され、凶悪犯罪は増えているのか、絞首刑はどのように行われるかなどを統計データや絵などで分かり易く解説している。世界の動向を見ると、死刑制度を残す国と廃止する国では、1990年代以降に逆転し廃止国が増えている。
   宣言をきっかけに多くの人が死刑に関心をもち、議論をする材料にしてもらいたい。この重要なテーマを放置することで、日本に死刑制度がいつまでも残るとすれば、民主主義の価値観を共有している先進国の一員としては忌まわしい気がしている(政情不安な途上国、北朝鮮の王朝、中国では、国家による死刑(銃殺等)が公然と行われている。絞首刑と銃殺とで、残虐さの程度でどんな違いがあるのだろう。)。

他方、国民の意識は2年前の内閣府調査で、8割の国民が死刑はやむを得ないとしている。日弁連の宣言が出された後の本年10月17日にフジテレビ系のFNNが行った世論調査では死刑廃止に「賛成」と答えた人は2割、死刑廃止に「反対」の人は7割を超えた。日弁連の宣言を実現するには、大変なギャップがある。およそ日本では死刑廃止は不可能と思えるほどだ。
   しかし、世論調査の数字だけでは、日本人が「死刑を好む」民族であることを意味するわけではない。北大の「死刑制度-ドイツの視点からの考察-」によれば、1949年5月に死刑を廃止したドイツでも、廃止前の世論調査では死刑賛成は7割、死刑廃止賛成は2割であった。廃止されてからもしばらくは、死刑復活賛成が5割を超えていたという。今日では、死刑復活賛成は2割程度である。死刑廃止は、ドイツだけでなくEUに定着したと言える。EU加盟国は10月10日を死刑廃止デーと決めている。昨年の10月10日にドイツ大使館のサイトではEUの共同声明を掲示して「日本政府がこの問題(死刑制度)に関する開かれた議論を可能にする」ことを呼びかけている。
   人々の意識が今後変わっていく予感はある。例えば、先に挙げた内閣府調査では「死刑は、やむを得ない」と答えた人達に「将来的には死刑を廃止してもよいと思うか」との質問がされており、「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合が57.5%,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合が40.5%となっている(特に20代では過半数を超えている)。
   だから、現在、世論調査で死刑を残したい人が多いからと言って、何もしないで構わないとは言えない。将来の日本社会のあり方に関わるからである。国際社会のすう勢だからというだけではない。私は、犯罪者に甘い日本の裁判所という印象を持っているのだが、そのことと、死刑制度廃止について議論を避けることは別である。人が人を殺すことと国家が人を殺すことにはどれだけの違いがあるのか(国家に誤りはないのか)、死刑があることによって人命を軽視する考え方に繋がらないのかなど、個人として疑問を感じていることもある(これらの点については別の機会に触れることとする。)。
   だから、犯罪被害者に対しても、加害者になるよりも被害者になる可能性が大きい多くの人々に対しても、その無念さや不安な心情を尊重し、終身刑の導入など代替措置も提案しながら、粘り強く議論を進める必要がある。志のある政治家、法務省、弁護士などのリーダーシップに期待したい。  (先頭に戻る)

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No.32 「医師の怠慢とずさんを許した裁判所」 (2016.10.14)

もしもの話です。あなたの家族が何の落ち度もないのに突然に誰かに刺されたら、そして、刺した本人は入院中の精神障害者(暴力歴のある統合失調症患者)であり、その患者には、統合失調症の治療ガイドラインが守られず、薬剤使用の注意事項も守られずに"ほったらかし状態"であったことが判明したなら、どうされますか。
   11年前に私の友人にこんな悲しい事件が起きてしまった。統合失調症の治療薬を中断された患者はいらいらが募り、頬に自分で傷を付け、犯行前に主治医(病院長でもある)の診察を求めたが聞き入れられなかった。院外で一人の若者を刺して、返り血を受けて病室に戻ったが、病院では、その患者の異常に誰も気が付かなかった。翌日、患者は再び犯行現場に出かけて逮捕され、病院は、警察からの通報で初めて事件を知った。警察が拘留中の患者の薬の処方を要請したところ、病院は初めて問題点に気がついて中断前の統合失調症の薬剤に戻して患者に届けた。
   この病院には、ガイドラインに反して重要な薬剤の処方を突然中断したのに、その後の経過観察を怠るという普通では考えられない怠慢とずさんさがあった。この患者は刑事裁判の一審で有罪となった。ご子息を殺された友人は、患者の両親とともに、刑事事件で提出された証拠などを基に、病院を相手に損害賠償請求を行った。この間の経緯は、出版社ロゼッタストーンの「矢野真木人殺人事件(いわき病院事件)・裁判レポート」で公開されている。全体を理解できるので、本年4月に友人が作成した事件のあらましと高裁判決の問題点を参照いただきたい。

平成17年(2005年)12月6日に事件が起き、翌年には刑事裁判で懲役25年の刑が言い渡され、患者の両親が争わなかったため刑は確定した。民事裁判は平成18年(2007年)の6月に提訴し、地裁での判決は平成25年3月に出され、友人は敗訴した。控訴をした高裁では、平成28年3月に控訴棄却の判決が出された。高裁では当初の判決予定日が直前になって3月に延期され、出された判決文には人名や証拠の評価に重大な誤りが含まれていた。このため、友人は本年5月に最高裁に上告し、8月に最高裁の決定(上告棄却、上告を受理しない)が出された。最高裁はその理由を、「(上告人・申立人=友人夫妻のこと)は事実誤認又は単なる法令違反を主張しているにすぎない」とした。
   7年かかった地裁での判決は、「病院側にはいくつかの望ましくない点はあるものの過失があるとまでは言えない」とした。病院には大甘の内容だった。高裁は地裁判決を追認し、その判決文には重要な誤りを含み説得力に欠けるものだったが、最高裁は上告棄却とした。
   日本国憲法第76条では、「裁判官は、良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とある。そうであれば、裁判官の判断においても、憲法が示す「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求の権利が最大限尊重されなければならない。」という規範が適用されると思うのだが、国民の生命を重視した判決にはならなかった。役人的な前例の踏襲なのか。あるいは、精神鑑定を依頼する精神科医と病院関係者に遠慮があったのか。更には、医療関係の膨大で専門的な文書や証拠書類を読むには忙しすぎるとも言われている裁判官なので、形式的な調査で早く終わらせたかっただけという疑問さえも湧く。英国などと比べて遅れている日本の精神科医療を改善する切っ掛けにできた裁判だったのに、国民にとっては残念な判決となってしまった。

被害を受けた苦しみに耐えながら、個人で裁判を起こすのは、精神的にも、経済的・労力的にも大変な苦労である。友人は、ご子息の死を無駄にしたくないとの思いから、適切な治療を受けられる患者の権利の確保と、市民が安心できる精神障害者の解放医療(隔離をよりも社会復帰を目指すことを重視した医療)の促進とを目標にして、国内・海外の精神科医からも情報を得て裁判に取り組んでこられた。今、友人は控訴の重圧による症状が出て入院され、リハビリ中である。最高裁決定が出てから、私は友人の奥様に私のコメントを伝えた。敗訴にはなったが、私はご夫妻の勇気のある行動を誇らしく思い、感謝している。本件で被控訴人となったような怠慢でずさんな病院や医師はまれであり、世間には誠実に仕事をしている医師が多いと信じている。だから、この裁判の結果で「怠慢もここまでは許される」と判断するような情けない精神科医はいないことを願っている。  (先頭に戻る)

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No.31 「沖縄 空白の一年」 (2016.10.10)

都市近郊の畜産農家の悩みの一つに周辺住民の苦情がある。周辺に建った家やマンションの住民が「くさい」、「蠅がでる」などの苦情をいう。周辺が更に密集してくると、「地価の高い場所で牛を飼うのは贅沢だ」と非難もする。結局、家畜の飼育を諦めるか、中山間に移転せざるを得ない。畜産農家には「後から来た人達に理不尽なことを言われている」という不満が残る。以前、「沖縄の基地の反対運動は畜産農家周辺の苦情と同じなのではないか。基地の周辺に後から住み始めた人が文句を言っている。」と言っている人がいたが、黙って聞いていた。私は沖縄の基地がどのようにしてできたか知らなかったからである。

今年の8月20日の夜放映されたNHKスペシャル「沖縄空白の一年~基地の島はこうして生まれた」を見た。未公開映像や機密資料2000点、証言に基づいたドキュメンタリーである。私の想像は全く誤っていた。米軍基地は畜産農家に例えられるようなものではない。普天間基地は日本を爆撃するための飛行場だった。1945年米軍が上陸して6月に戦闘が終わると住民約30万人は、県内の12の収容所に入れられた。その間に日本を攻撃するため平坦な土地の家々や畑地をブルドーザーでならし、飛行場建設を始めた。日本がポツダム宣言を受諾してから一時中断されたものの、戦後の冷戦を見据えて、最大の普天間基地と嘉手納基地の建設が再開される。GHQから沖縄の米陸軍に指示されたのである。
   当初は、国務省が米海軍に指示して軍は撤退し自治政府に委ねるという案もあったが、沖縄は、今日まで米国の戦略拠点として使われている。基地は、巨大な工場でありシステムである。軍人だけでは運営できない。軍用品の運搬、軍人の生活資材の調達などに膨大な労力が要る。マッカーサーは、1946年8月に本土に疎開していた約10万人の沖縄人を強制的に沖縄に帰還させた。住宅も働く場所も無い沖縄にである。農地はなく米軍関係の仕事しかなかった。豚小屋のような場所に住むほか無かった。飛行場建設に携わった米軍人(93歳)が「今から考えるととんでもないことをしていた」と証言していたのが印象的だった。
   日本政府ができたことは、「沖縄を日本領土として認めるならば、基地化には反対しない」と米国に伝えることだけ。マッカーサーは、1947年に「沖縄を占領するのに日本政府は反対しない。なぜなら、彼ら島民は日本人でないのだから」と本国に報告している。

No.17で沖縄・護郷隊の少年達を取り上げた。うわさ話や漠然とした想像で世間を判断してはいけない。NHKは優れた作品も作っている。沖縄も日本だと考えるならば、私達はもっと沖縄のことを知らなくてはならない。NHKオンデマンドで「沖縄 空白の一年」を税込み216円で(お試し無料もある)見ることができる。お薦めしたい。
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No.30 「とと姉ちゃん達の生き方」 (2016.9.28)

あるときから朝のNHK連続ドラマが好きになりこの数年間見つづけている。きっかけはゲゲゲの女房あたりから。好きな漫画家の奥さんの話という理由で見始めたのだが、面白くてその後もずっと見ている。
   今週最終回となる「とと姉ちゃん」は暮しの手帖を創刊した大橋鎮子と花森安治の自伝を基にした物語である。この2人は、ちょうど私の父母と同じ頃(明治末から大正時代)の生年である。祖父母や両親から聞いた話も自分の人生の一部だとすれば、とと姉ちゃんを見たことで、子供のころ見聞きしたことに加えて、親の世代の一部を追体験した感覚にとらわれる。私の父母は田舎に住んでいたけれど、満州国、徴兵と従軍、統制経済、供出、空襲の恐怖などは、とと姉ちゃん達と共有している。戦後のある時期から、母の周りに、ときどき暮らしの手帖がおいてあった。絵や写真がきれいだった。

暮らしの手帖は、広告に頼らない雑誌なのに、既製品や外国の物を紹介するのではなく、庶民のため工夫をし、提案をする。金をかけて商品試験をし結果をデータつきで公表する。メーカーに消費者の希望を伝えたという意味で、商品の品質向上に寄与した功績はとても大きい。今日では、品質向上のために、製造物責任法や各種の規格や規制がある(それでもインチキをする企業が国内外を問わずある)のだが、消費者の意識が弱かった時代に、「とと姉ちゃん達良く頑張ったねえ!」と言いたくなる。そして、暮らしの手帖に多くの読者がいたことは、私たちの親の世代に、生活を犠牲にして戦争に参加していったことへの強い反省があったのではないかと思う。

朝ドラが面白い理由はいくつかある。先ず、男が愚かに見えてしまうのだ。制作者の意図が反映しているからなのか、私が男だからか、物語の中の男には同情することは余りない。登場する男は社会的な地位に飼い慣らされている。ある分野では頑張ってはいるが、生きるという総合力では女性よりも弱い。威張りたがるが実は気弱である。だめさ加減が自分に似ていると「こんなところにも仲間がいた」と嬉しくなる。
   次には、朝ドラは新聞のニュース面ではなく楽屋裏を覗くような感覚になれること。あこがれと愚痴や諦め、希望とともにある不安など、祖母や母から聞いていた大正、昭和の現実の世界だ。生産効率の視点やきれい事ではなく、現実の泥臭い生活の視点と言っても良い。
   それから、言うまでもなく、愛らしい女性が苦労をして逆境に負けず、差別を乗り越え、柔軟さと知恵で自己を実現させていく。未知への冒険、恋愛や友情、家族や子育てのトラブルなど面白い物語のエキスがそろっている。毎日、毎週のドラマの盛り上げ方、伏線の張り方、登場人物の個性の出し方、カメラワークまで、面白い理由を数え上げたらきりがない。  (先頭に戻る)

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No.29 「簡易裁判所の審理を傍聴した」 (2016.9.22)

9月21日に東京簡易裁判所の民事法廷を傍聴した。友人の一人が、出版した本の所有権を巡って委託した会社(スタジオフォンテ(SF社))と争ったのだ。簡易裁判所は全国に400箇所以上。軽微な事件を扱い訴える金額も小さい裁判所である。日比谷公園前の建物への入館はX線カメラで手荷物検査をされただけ。審理の場所は傍聴席と隔てられた丸い大きな円卓である。判事と書記が傍聴席に向かって座り、原告と被告も同じ円卓に着く。現憲法下で作られた身近な司法の姿として好感が持てる。

友人は100万円をSF社に支払い、SF社はその金で印刷製本し、別の会社に販売を再委託する仕組みにしていた。裁判での争点は、SF社が現在保管している本の所有権が誰に属するかである。著者である友人は、「売上金の配分が、販売会社50%、著者30%、SF社20%としていたのだから、売れ残った本の所有権は、著者とSF社との間でその比率に応じ(つまり6:4の比率で)分配されるべき。」と主張している。これに対してSF社は、「所有権はすべてSF社にある。著者には献本分として100冊渡した。著者との覚え書きでは、著者に所有権があるとは書いていない。」などと主張している。
   通常、商業出版では出版社側に書籍の所有権があり、自費出版では著者に所有権があるのだが、SF社のホームページには「商業出版、自費出版を超えた第3の出版「UNIT出版」開始します」と書かれている。友人も、「SF社から自費出版でも商業出版でもない第3の出版と説明され、それゆえに制作費を支払った。所有権はすべてSF社にあると言われて驚いた。」と言っている。SF社の説明の曖昧さは否めない。

現代社会では、契約の締結は原則として自由(国家は関与しない)ではあるが、意に沿わない結果になったときには不自由の原因となる。判事は、証拠の確認、尋問をした後、判決日を10月24日とすると決めた。時間や労力を要して裁判をすることも社会を良くすることになると思うので、先ずは原告となった友人の奮闘努力に敬意を表したい(判決後にこの続きを掲載します)。  (先頭に戻る)

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No.28 「パラリンピック閉会式を見た」 (2016.9.20)

数日前にパートナーから「盲学校の先生がパラリンピックのマラソンに出るんだよ。応援してあげてね」と言われた。テレビでの放映は無かったが、9月18日の男子マラソンで視覚障害のあるその先生(46歳)は、2時間33分59秒(銅メダル)を達成した。「すごいねえ。走るだけでも大変なのに、目が見えていても、だれでもできることではないよ。」と私の感想を伝えた。

19日朝のパラリンピックの閉会式をテレビで見た。主催者の挨拶、踊りや歌でパラリンピックの志を伝えようとするのが感じ取れた。その志とは、人々に与える勇気と人間の可能性の拡大である。この志を「障害者に対する偏見をなくすため」という次元で考えてはならない。人は、健常者であると同時に障害者でもあるからである。健常者だと思っている人が、自らが障害を持つ当事者になり得ることを自覚すれば良いだけのことである。実際に事故や病気で障害をもつことがあるし、年をとれば誰でも肉体の機能は大きく低下する。失ったものは取り戻せなくても、本人の努力、新しい競技やルールの改革と普及で可能性が広がる。この志は、人間をどこまでも応援していくという意思である。パラリンピックには、そのことを世界の人々に広める崇高さがある。

パラリンピックの起源は、1948年英国の病院でのある医師による車椅子患者のためのスポーツ大会だったとのこと。パラは下半身の障害(paraplegia)が語源だったが、その後、多様な障害者の参加を意識して、パラはもう一つの(parallel)オリンピックの意味となったらしい。
   開会式のときには、緊張感にあふれた顔つきだった選手達も観客も、穏やかで、喜びや感動にあふれた表情をしていたのが、見ていて気持ちが良かった。閉会式が終わった翌日20日の毎日新聞もそのことを伝えてはいたが、「日本のメダル24個 金 初のゼロ」と大きな見だしにしていたのが気になった。4年後には東京でのオリンピック・パラリンピックである。指導者の皆さんには、クーベルタン男爵の精神に戻り、パラリンピックの志を深く考えて活動していただきたい。  (先頭に戻る)

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No.27 「オリンピックで大切なこと」 (2016.9.20)

今年ブラジルで、8月にオリンピック、9月にパラリンピックが開かれた。ジカ熱の発生、生活苦による人々の抗議、ルセフ大統領の汚職疑惑が出てくる中での開催だった。これから更に問題が出てくるにしても、大きな事件もなくパラリンピックの閉会式までに至ったことは、先ず、ブラジルの人々に「良かったね」と言いたい。参加した選手には「プレッシャーで大変だったね。とりあえずゆっくり休んで下さい」と言おう。

ほぼ60年前、M先生の小学5年生への説明はこうだった。『4年に一度、世界中の人が集まってオリンピック大会をやるんだ。これを始めたクーベルタン男爵は「大事なことは勝つことではなく参加することだ。」と言ったんだ。日本では古橋という水泳のすごい選手がいて世界一の記録を出したが、戦争に負けて国際水泳連盟に加盟できず、1948年のオリンピックにも参加できなかった。悔しかったね。クーベルタン男爵のいうとおり参加することが第一だな。この言葉よく覚えておきなさい。いいね。』
  古代ギリシャのオリンピック競技会は、神に捧げるものとして、開催中は争いを止めるのがしきたりで、4年毎に紀元前776年から紀元393年まで1200年近く行われたという。その精神に平和を求める思想がある。その後のオリンピックを見ると、クーベルタンの思想から離れて、オリンピック役員の利益、国別のメダル競争(国威発揚)、誘致を巡る汚職、スポーツ界での商業主義があふれている。

先生から教わったとき、私にはクーベルタン男爵がとても格好良い人に思えた。現代の政府関係者がメダルの数を口走ると、フセイン時代のイラク、北朝鮮、ソビエトや中国などと同じような卑しさを感じてしまう。政治家やメディアがメダル、メダルと騒ぎ立てることはプレッシャーのかけすぎにしかならないし、オリンピック精神を誤解させる。行政がやるべき仕事は、皆が使えるスポーツ施設を充実させること、仕事とスポーツが両立できるよう環境を整えること、スポーツを楽しむ余裕のある社会をつくることである。そして戦争をしないこと(平和の祭典)こそが、オリンピック精神に最も叶うことだ。
   「オリンピックで大切なことは勝つことでなく、参加することである。」は不滅の言葉だと思っている。クーベルタンの嘆きを見よ。  (先頭に戻る)

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No.26 「身構えてしまう自分」 (2016.9.14)

「こころは慣性の法則に従う」とNo.25で書いたのは、自分の経験からである。「気ままに」にあれこれやっているように見えても、実際は身についた知識や経験・習慣にこだわっている自分を発見する。何も起きないのに自分を変えるのは動機がない。私の場合は、何かにぶち当たって痛い思い・不愉快な経験をしたか、誰かに勧められて、その結果、考えや行動が変わることが多い。
  10年ほど前までは通勤バスを使い運動は殆どしない毎日だったが、ある日踏切の警報機が鳴る中で、急いで渡ろうとして滑って転倒した。膝をすりむき、ズボンのひざが擦れただけだったが、衆人環視の中で転んだのは悔しかった。筋力の衰えを知ったので、それからは極力歩くことにした。昼休みの食後も歩いたり、エレベータに乗らないで階段を登ることにした。
  スポーツは苦手であるのにスポーツ推進員になったのは、信頼できる町会の役員から頼まれたからである。スポーツが嫌でたまらないわけではなく、知らないことに時間がとられるのが嫌だった。しかしやってみれば、楽しいこともあるし、地元での知り合いもできた。
  新しい考え方に触れるものそうである。歴史勉強会にも友人に誘われて参加したら、以外と面白かった。初めから面白さが分かっていたわけではない。このホームページ作成も、同窓会の幹事と話していて、少し屈辱を感じたので、勉強をしてみようという気になったのである。多少のコストと労力は必要とするが、やってみたら楽しいことに気づいた。

新しいことをやる前には、身構えることが多いが、都合がつく場合には「嫌になったらいつでも止めてやる」、「修行、苦い良薬と同じようなものだ」、「所詮は遊びだ」などと考えて、損得は考えず参加するように心がけている。
  パートナーが強く勧めてくれた夕食のおかず作りも、今では自分の日課といえるほどになってきた。操られているような気がしないでもないが、材料や味付けの選択と工夫で、うまくいけば満足感も得られることが分かった。  (先頭に戻る)

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No.25 「慣性の法則とこころ」 (2016.9.14)

私は、人がある考え・信念(人生観)になじんだり、とりつかれたりしているときには、慣性の法則が働くのではないかと思っている。慣性の法則とは、外からの力が加わらなければ、動いている物体は動き続け、静止している物体は静止したままであるというニュートンの運動法則の一つである。もちろん、物理的な力ではなく、経験や知識がもたらすショックや違和感、失敗体験が考えや信念を変える力になる。順調に成功体験のみをしてきた人や感覚の鈍い人は、その考えを変える必要がないので、例えば、退職後も依然と同じ考えや感覚を持って暮らす(結果、家人から嫌がられることもある)。
  ところが、である。今日の物理学では、慣性はすべての物体が持つ固有の絶対的な性質ではなく、観測する者の立場によって異なると説明されている。物体を目の前において静止して観察している人にとっては、止まっているものは止まって見え、動いているものは動いて見えるが、動きながら観察している者にとっては、その動きと同じスピードで同じ方向に動いている物体は、静止しているように見える。慣性の法則は、「物体が慣性をもつと見なせる立場(慣性系)がある」ことを示す意味となった。

人の考えや信念を、この相対性「慣性の法則」で解釈すれば、本人には、ある時期の経験や新知識を切っ掛けに自分の考えが変わったと自覚できる場合でも、他人から見れば、一貫しているように見えることがあることである。あるいは逆に、本人は考えや信念を変えてはいないと思っていても、他人から見れば「あいつは変わった」と感じられる場合があるということである(その他人が変化しているからそう感じる)。

個人では別な経験をしていても、同じ時代を生きた人々は、同じ重大事件に遭ったり同じような経験をしたりするので、共通した考えや信念を持ちやすい。同じ慣性系に生きているのだから互いの理解も容易になる。別の世代(例えば江戸時代、明治時代、戦前)では別の信念や価値観が形作られている。過去の大切な教訓であっても後世に伝えることが難しいのは、世代ごとに別の世界(慣性系)を生きるからだ。  (先頭に戻る)

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No.24 「障害をもつ当事者となる意味」 (2016.8.31)

今年の7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡し、27人が重軽傷を負った事件が発生した。自ら出頭した容疑者は、この施設の元職員で「障害者は死んだ方が良い」とも話していたという。2月に殺害の予告文書を衆院議長公邸に持参するなどの経緯があり、退職と同時に他人を害する恐れがあるとして措置入院させられ、13日間後の3月2日に退院した。その5カ月も経たないときの犯行だった。
  友人のTさんに勧められ、私は8月6日に都内で開かれた被害者の追悼会に参加した。国内外の施設従事者、障害者など関係者が寄せるメッセージを聞きたいと思ったからだ。参加者から、追悼の言葉とともに「障害者への偏見を無くすために取り組んできたのにこんなことになって涙が止まらない」、「数十年前に戻ったように感じた」、「競争と排除の考えが進む中で起きたヘイトクライム」、「自分が加害者になることだってある」、「事件を再び起こさないためには、なぜ起きたのかを問い続けるしかない」といった声を聞いた。そのメッセージは東京大学の熊谷研究室(当事者研究室)のホームページで公開されている。

私自身、幼児期の病気の結果、右腕に不自由が残った。からかわれたことがあり、子供のときは体操の時間が嫌だった。だが、あたりを見回すと、体の一部が不自由な人は意外と多いことに気づいた。障害者は、その不自由さだけでなく周囲の差別(悪意がなくても傷つくこともある)にも耐えなければならない。そのためか、障害のある人達は他人に優しいことに気が付いた。常に他人からの世話が必要な人は、私の想像を超える苦労をされていると思う。

健常者が人生の途中で障害の当事者になると、それまで気づかなかったことに気がつくことがある。障害者になって、自らの経験を通して障害者用の器具や設備の開発をして喜ばれている例も聞く。常に健康でばりばり仕事ができる人は、他人の悲しみに気づきにくい。
  容疑者は、精神障害者でもあったが、措置入院の退院後のケアがされておらず、退院した事実も障害者施設には知らされていなかったとのこと。人は嫌なことは早く忘れたいし、手に負えない問題には見て見ぬふりをしたくなる。しかし、誰でも当事者になる可能性があるのだ。この事件は多くの問題を含んでいて、簡単に解決できる方策はない。政府や地方自治体は、調査結果に基づいた方策を予算化し、わずかずつでも確実に改善して欲しい。そうでなければ、亡くなった人達に申し訳ないではないか。  (先頭に戻る)

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No.23 「二宮金次郎の像に思うこと」 (2016.8.28)

子供の頃、たいていの小学校(私の通った小学校も)には、「二宮金次郎」の石像があった(銅像は戦時の供出で撤去されたため石像のみが残ったらしい。)。薪を運びながら本(大学という儒教の入門書)を読んでいる像である。 金次郎の像は、政府が金を出して作ったものではなく、卒業生や地元の親たちの寄付で作られたものだったので、敗戦後も取り壊されることはなかった。子供に農作業を手伝わせることは普通の時代だったから、親たちは、二宮金次郎を理想の子供と思ったかもしれない。
  二宮尊徳(そんとく)は後年の名前である。農地を開墾し、農民が自助できる金融制度を作り、領主(為政者)に恣意的な年貢収奪をさせない「仁政」の考えを広め、武士の思想や嫌がらせと闘いながら、いくつかの藩の財政再建を成功させた。明治以降、尊徳の報徳思想を実践する報徳社が各地につくられた。
  この人気を明治以後の政府が利用し、不平を言わず働く(滅私奉公する)国民づくりに利用した。その汚されたイメージのため、為政者に責任を問う姿勢、互助の精神、合理的な経営や環境への配慮などの尊徳の優れた思想が、戦後は再評価されず、今日まで来ている。

この夏、第七回国際二宮尊徳思想学会に参加したとき、ある歴史研究者から、「金次郎の石像が普及したのは、明治政府が神道をいわゆる国家神道に定めた後、明治末に経費(神社には必ず神職を置くため経費がかかる)節約のため神社の大規模な合併策(合祀政策)を進めた結果だ」との説明を聞いた。「神社の数が大幅に減って、社殿の前に置く狛犬の石像が売れなくなり、憂き目をみた岡崎の石工が、金次郎の石像を作り全国の小学校に売り込んだ。」というのである。愛知県人の発明気質と、金次郎の像が愛知県豊橋で初めて作られた理由とが分かって、成程と思った。それまで神社は、人々の心の拠り所、遊びや集会の場であったのに、明治政府が政治利用したところから誤りが起きた。明治時代の博物学者南方熊楠は、合祀政策に対して、「神社の廃止は地方を衰微させる」、「郷土愛を失わせる」、「神社の森を失い生態系が失われる」などの意見を挙げて反対した。
  話を金次郎に戻すと、現代では、薪を背負うどころか、歩きスマホも危険な行為なので金次郎の像は絶滅していくだろう。しかし、現代は、地方自治を尊重せず、地域社会を疲弊させても、自分の利益さえ上げられれば構わないとする考えがはびこる時代である。だから私は、二宮尊徳の考えを広めたいと思っている。(写真は、鳥のように羽ばたいて欲しいとの願いを込めた小学校の銅像です。)  (先頭に戻る)

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No.22 「お盆の意味と楽しさ」 (2016.8.19)

夏には、お盆(盂蘭盆会、精霊会)がある。私の故郷の集落では旧暦の7月15日前後である。他の地方と同じように祖先(死者の霊)を火を焚いて迎え、墓参り、棚経(菩提寺の僧に来てもらって行う読経)などをして、送り火で送る風習がある。
  ある歴史家は、「日本の仏教は、人生の指針を考える哲学的な意味合いよりも、宗教儀式を通じて、先祖を敬い子孫を見守る先祖子孫教になっている。」と言っている。そして、農業は、農地の開墾、用水の使用、田植えや収穫時の労働力を融通しあう関係から、経営は一代では完結せず、祖先と子孫、親類縁者での助け合いが必要な産業であったため、この先祖子孫教というタイプの仏教と相性が良かった。「先祖が頑張ってくれたので今の自分がある」、「死後も見守って欲しい」、「苦労して残した田畑や山林を使って子孫が繁栄して欲しい」という思いがある。徳川幕府が推進した檀家制度(禁教のため檀那寺に住民を縛る)とも関係が深いが、お盆の意義は、暑くて農作業ができない時期に、兄弟、子孫が集まって、死者である両親や祖父母を懐かしみ、交歓し、生きる力を得ることに尽きる。

お盆の時期に前後して盆踊りがある。お寺の境内や広場に櫓を組んだりして、踊りの場を設定する。私の故郷では、太く長い柱(20メートル位)を立てて、その柱に枝のように竹を付け、その竹に提灯をぶら下げた(提灯山と言った)。その下で、若者や子供、女性が浴衣を着て集まって踊り、夏の夜を楽しむ。子供の頃の盆踊りの歌詞は「分かれた人(死者)に会える盆が嬉しい」などという内容だったが、炭坑節、東京音頭、おばQ音頭など新しい曲になり、宗教的な香りは消えていった。しかし、お盆の楽しみの本質は今でも変わらない。

かって日本のほとんどは農村であり、産業は農業であった。地域の中で生活の糧を得、心のよりどころにお盆などの行事があった。閉鎖的な社会だったということは否定できないが、お盆や祭りが地域社会を永続させる効果は大きかったと思う。農村的社会が崩れて何が起こっているかといえば、助け合いの心も奪うような競争、目先の利益最優先の考え方、汚染のない山河を子孫に残すことさえ忘れたような政策が目についてしまう。  (先頭に戻る)

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No.21 「子供の夏祭り・オマント」 (2016.8.19)

私の故郷は濃尾平野の端にある水田地帯である。小学生時代は7月頃に「オマント」という祭りをした。この祭りを紹介したい。麦わらの馬を神輿のように運ぶ祭りである。
  麦わらを揃えて束ね、胴の部分とし、短い竹竿数本をその胴に扇状に刺して配置し、それぞれの竹竿に色紙の花飾りを付けて、きれいな馬が完成する。この馬を担いで、子供達(小学生)が集落に数か所ある小さなお宮(お天王様)、2つのお宮(神明社)、1つのお寺そして村の中を巡るのだ。その際は、竹で作った単純な笛(ブーという音しかでない。)を吹き、「オイサー」と掛け声をかける。これを交互に繰り返す。「オイサー」「ブー」、「オイサー」「ブー」という音と子供のざわめきが集落の中に響く。
  集落は、4つの地区(シマ)に分かれ、シマごとに子供達が、馬を作る場の農家(宿)に集まって準備をする。作業は、農家から集めた麦わらから葉などを取り去って幹を束にすることだ。稲わらとは違い、麦わらは金色に光る。色紙は、遠くの市街地まで6年生が買いに行く。花火なども買う。祭りの日には、家々を回り祝儀をいただく。余ったお金は山分けした。配分は6年生に任されていた。1年生は5円、5年生は150円、6年生は300円という具合だ。私は6年生になって、少し大人になったような気がした。
  この「オマント」は、祇園祭(お天王祭り)ともいわれていた。祭りが終わった後の花飾りは魔除けとして家々に配られた。半月ほど宿で作業をする間には、子供たちは喧嘩もするが下級生の面倒をみるようにもなる。花飾りを付けたり、馬に仕立てあげる作業は子供ではできないので、親達が総がかりで行った。

この「オマント」のような祭りは全国のあちこちにあっただろう。参加した子供が楽しんだことはもちろん、子供の成長を見守る親たちも密かな喜びを与えた。子供たちは、2-30年後には地元の後継者になったり、地域社会の中心人物に育っていった。地域の共同体を永続させる仕掛けにもなっていたと思う。
  この祭りは、昭和40年頃には行われなくなった。農家が麦作を止め果樹園芸は夏は多忙になったし、経済成長が進んで勤めに出る人が増えたりしたからである。「オマント」は廃止されたが、秋期の獅子頭を使った子供祭りに引き継がれ、今日に至っている。

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No.20 「71年目の終戦記念日」 (2016.8.15)

夏になるとこの日がやってくる。大東亜戦争(昭和12年7月からの日中戦争と昭和16年12月8日からの太平洋戦争)の終戦の詔勅が出された8月15日である。今年は71年目。テレビはオリンピックの女子卓球などを放映していて、外からはミンミンゼミにときおりツクツクボウシの鳴き声が混じって聞こえる。

大東亜戦争は、日清戦争、日露戦争、第1次大戦とは違い敗戦で終わった。大都市は焼け野原になり、死者・行方不明者だけでも、軍人・一般国民に300万人を越す桁違いの犠牲をもたらした。それまで「領土を拡大できる。資源が手に入る」などと戦争に期待していた人達は、初めて「戦争の悲惨さ」を知った。同時に、日本が、アジアの他国に対して大変な犠牲を強いてきた事実にも気づかされた。先の戦争を否定する人、やむを得なかったとする人、様々な中で政府の立場を明確にしたのが、50年目に出された村山談話(外務省サイト)である。
  ・・「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」・・

71年目の終戦記念日で、天皇は、「深い反省とともに戦争の惨禍が繰り返されることのないよう」とのお言葉を表明された。「深い反省」という表現には、象徴天皇という立場を思うとき、心を打つものがあった。
  他方、総理大臣、衆参議長、最高裁長官は、「戦争が再び起きないように」とは述べたものの、誰も「反省」という言葉を使わなかった。戦争を起こし指導したのは、形式的には天皇であっても、実質は軍人(高級官僚)や政党人、煽ったのは当時のメディアである。一般人ではない三権の機関の長だからこそ、国民を存亡の危機に陥れた原因を謙虚に見つめ、反省し、再発防止に生かして欲しい。  (先頭に戻る)

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No.19 「あなたの会社大丈夫ですか」 (2016.8.4)

会社のコンプライアンスに関わっていたことがあるので、企業の不正には強い感心がある。8月2日に出された三菱自動車の不正(燃費データの虚偽報告、改竄、違法な測定方法)の原因を分析した調査報告書と関連の新聞記事を読んでみた。そして、「おやおや、まただ。どこでもあるんだね。上層部にものが言えない雰囲気、現場を知ろうとしないトップ、そして隠蔽体質」。優れた光学機器メーカーオリンパスの損失隠し事件や日本を代表する会社の一つ東芝の不正会計事件でもそうであった。オリンパスの場合は外国人の社長が突如解任されたところから明るみに出た。東芝不正会計事件の発覚は、証券取引等監視委員会に届いた内部通報だった。

トップが関わる不正は、社内からは言い出しにくい。株主や顧客には損害を与え、不正が発覚すれば株価は暴落し、リストラや倒産の引き金になったりする。社外に通報したとしても、その結果は従業員にも降りかかる。幹部の不正を社内で言い立てることは、左遷や解雇に会うことを意味する。社外の取締役や監査役会(オリンパスでは、社内出身の監査役が事件を隠蔽してきた。)には知らせてないので、社外の者がチェックをすることは不可能である。三菱自動車や東芝の場合は、現場部署が「目標は達成できない」と言っているのに、無理矢理、実現不可能な目標を立てさせられ、不正なことでもやらないわけに行かなくなった。一旦不正が明るみに出れば、たいていの幹部は「知らなかった。部下がやったことだ。」と言う。

三菱自動車は、2000年代に2回リコール隠しをしていた会社だ。幹部の多くは善悪の判断がつかないほどモラルが低下している(社風とも言えるかもしれない。)。だからあまり期待はできないのだが、せめて「4回目の不正隠しはもっと巧妙にやろう。」などとは思わないで欲しい。企業が良くならない限り日本は良くならない。  (先頭に戻る)

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No.18 「りょうほういいのは、ほっかむりだけ」 (2016.8.3)

夏休みがあるからなのか、お盆の時期で死者を思い出させるからなのか、それとも原爆と敗戦の映像が流れるからなのか、夏は過去を思い出させるものが多い。入道雲、蝉の声、水遊び、朝顔など夏を象徴する。小学校に上がる前のこと、私は蝉取りに夢中で桜の木の枝が腐っているのに気づかず、枯れ枝とともに真っ逆さまに地上に落ちたことがある。幸い頭頂部に傷を付けただけで済んだ(これが切っ掛けで急に賢くなるということはなかったが、木登りは慎重になった)。ため池や河川での事故も多く、楽しいことは危険と隣り合わせだった。

現代でも、悪いことと良いことは、たいてい一緒にやってくる。最近爆発的に人気のゲームでは、歩きスマホだけでなく運転スマホの事故さえも起きている。登山や海水浴でも事故は起きる。準備不足、天気の読み違え、飲酒など原因はある。手っ取り早く短い休日を楽しもうとするとどうしても無理がでる。事故に遭う当事者には全く落ち度がなくても若いスキー客を載せたバス事故のように、未熟な運転手を過酷に使う会社による事故もある。必ずとは言えないが、運命は良いことと悪いことをセットで販売する。戸外で農作業をしていた私の義母は、これを「両方(頬)いいのは頬被り(ほっかむり)だけ」と常々言っていた。同じ意味で「こころの処方箋」の著者は「ふたつよいことさてないものよ」書いている。

良いことがあれば、同時に起きようとしている何かに警戒し、悪いことがあったとしてもその中に希望の芽を発見する。そうしたことは心のバランスを保つ上で必要であるし可能でもある。物事がうまくいけば傲慢になり、次の失敗の原因を造ってしまう。仕事でも、スポーツでも、経営でも、選挙でも「冷静に原因を分析することは必要だが、傲慢になることも卑屈になることも必要ない」というのは、長く人間をやってきた多くの人たちの感じているところではないだろうか。
   次の写真は最近撮った蝉とコガネムシです。  (先頭に戻る)

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No.17 「沖縄・護郷隊の少年達」 (2016.7.29)

サンゴ礁が生み出す砂の白さ、海の深さと地質によって深い緑を帯びたり青空色や透明になったりする豊かな海と島。今は、そこに日本に駐留する米軍基地の大部分が集中している。71年前の沖縄は日本で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦が行われた場所である。
   かって沖縄には日本国とは独立した王朝があり、江戸時代始めに薩摩藩に征服されてからも、独自の文化を持ち外交を行っていた。明治12年に王国体制が解体され沖縄県となり、大東亜戦争敗戦後には米軍政が続いた。沖縄を考えるとき、日本の政策に利用され続けた歴史を思わないわけにはいかない。

2015年11月28日深夜に50分番組「BS1スペシャル戦争を知らない子供たちへ」のシリーズで、NHK沖縄が作成した「護郷隊の少年達」を見た。漫画と証言で綴られたこの番組は、大日本帝国政府が、16歳前後の子供達に何を教え、やらせたのか、結果はどうだったのか、その責任は取ったのかをしっかりと伝えている良い番組だった(録画もした。)。帝国は、少年を護郷隊員に志願させ、ゲリラ兵として使い、少年達の故郷の家々を焼かせた。助ける役割のはずの軍医が負傷した少年を拳銃で撃った。故郷を護るとは全く逆の恐ろしい行為で少年達は深い心の傷を負う(証言者は85歳を過ぎても涙が尽きない)。

「国を守る」という言葉から、私たちは国民の生命や財産を守ることだと期待してしまうが、実際は政権の中枢を守るのである(沖縄戦は沖縄を護るのではなく本土防衛が目的だった)。国民の命を最優先にする政権ならば矛盾はないだろうが、国民の命を何とも思わない政権(例えば、現在のシリア、北朝鮮金王朝、戦前の帝国陸海軍)であれば、国を守ることは国民の命や生活を犠牲にするということにしかならない。そのことを沖縄県民は嫌と言うほど知らされてきたと思う。
   沖縄県民が抱える今日の問題の背景には、敗戦から続く日米関係がある。普天間基地の移設一つを取っても、民主党政権の首相が「最低でも県外移転」と叫んでも実現できなかったものである。ここには、目を逸らしたくなるほど重い"日本の課題"がある。  (先頭に戻る)

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No.16 「ヤマビルとミミズのバトル」 (2016.7.28)

ヤマビル(山蛭)のことである。近年は、山の管理が行き届かず猪や鹿などが増えたせいか、ヤマビルも増えているらしい。山歩きをする人は見たことや被害を受けたことがあるだろう。
   40年ほど前のある雨上がりの午後、三峰山に近い林道を歩いているときだった。木々の葉がじゃり道を薄暗く覆っていた。前方を眺めながら歩いていると、道の中央あたりで、紐のようなものがばたばたと動くのが見えた。子蛇がカエルでも食べているのかと思って近づくと違っていた。小指ほどある太いミミズが、ヤマビルに覆われ逃げようとのたうちまわっていたのだ。
   蛇がカエルを飲む、カマキリが虫を捉えるといった光景は子供時代に良く見かけたし、田んぼの中で小さな蛭に血を吸われた経験はあるが、ヤマビルが大きなミミズを飲むのを見るのは初めてだったので、手を出さずに、感動して暫く見ていた。カメラがなかったので記録はできなかったが、こうしたことはしばしば見られるものらしい。

都会や近郊に住んでいても、カラス、ツバメ、スズメ、蝶、セミ、ヤモリなど野生の生き物を観察することはできる。彼ら(彼女ら)が、何を食べ、何を恐れ、いかにして子育てをしているかを見ることは、ヒトの社会に住む私たちの生き方を考える上で大いに参考になるのではないかと思う。日本だけでなく世界全体が助け合いよりも、強者の利益を優先する時代になりつつあると思われるからだ。
   私たちの孫やひ孫が、きれいな空気、水、土を享受し、安心して子育てできる状態がいつまで続くかと不安になっているが、夏休みのラジオ体操に集まってくる子供たちの輝いた目を見ると、そんな不安は年寄りの杞憂かなぁとも思っている。
   駅前のバス停の屋根の下でのツバメの餌やり、近所の公園でのムクドリの水浴びの動画です。ご覧下さい。  (先頭に戻る)

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No.15 「ハンバーグ焦げすぎた!」 (2016.7.20)

この2週間ばかり、家では夕食を私が作るようにしている。理由は、パートナーが忙しそうなので助けたいと思ったのと、何かのときには自分で料理ができないと外食ばかりになると気がついたこと、更に、美味しいものを安く食べたいという願いからだ。
  これまでに初心者のレシピである肉じゃが、カレー、豚肉のショウガ焼き、鮭の塩焼き、鰈の煮付け、カボチャや大根の煮付け、エビのピーマン肉詰めなどを作った。満足できたものもあるが、たいていは、どこかに失敗がある。ひと味違う(不味い)、形が違う(煮くずれ)、時間がかかり過ぎ(レシピの記述よりも倍はかかる)など。昨日は、ハンバーグを初めて作ったが真っ黒に焦げてしまった(下の写真はましな方です)。

今のところ楽しく作ってはいるが、私の目標とするレベルにはほど遠い。「高がおかずの一皿や二皿。そのうちに慣れてくれば何とかなるだろう。」とも思うが、いつも失敗しているとやる気がなくなるので、この失敗の原因をまじめに考えてみた。
  その結果、①先ずは準備不足である。材料の一部を買い忘れる。レシピの注意書きをしっかり読まない。料理し始めてから調理器具や調味材料がそろってないことに気がつく。
  ②次に知識がない。強火と弱火の違い、みじん切りや着色の程度、肉の火の通りの確認方法など。
  ③最後に段取りの悪さがある。調理を始めてから下ゆでをするなどあらかじめできることをしていない。行き当たりばったり。まだ、ほかにもあるかもしれない。

失敗を冷静に分析することなしに成功はない。そして、私の場合は、根本的な原因は料理を見くびっていたことかもしれない。一流の料理人は、「高がおかず」とは絶対に考えないだろう。30年ほど前に、失敗の本質という本を読んだ。ノモンハン、ガタルカナル、インパール、ミッドウエーなどの作戦の失敗は、本質的には軍隊の中枢や指導者の欠陥(敵を見くびる発想、現場を重視しない。準備不足と計画性のなさ、失敗を隠す体質など)であることを突き止めた本だ。いろいろな場面で思い出される本である。  (先頭に戻る)

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No.14 「世代間の感覚の違い」 (2016.7.17)

個人としては、住む場所や職業、所得や教育などによって様々な違った体験をしているはずだが、政治、経済、社会の変化の中では、大事件や教育内容など共通して経験することがあり、それが世代の感覚を形作っている。

親と子とは30年くらいの差があるので、親の感覚や人生観を子に伝えることは極めて難しい。今の日本では大東亜戦争を経験した人達、貧困から成長を経験した世代、経済成長後に生まれた世代がいる。更に細かくベビーブームの世代、ゆとり世代などのように細分化する人もいる。それぞれの世代はそれぞれの共通する経験や体験をする。どの世代の感覚が正しいかは一概に言えない。私の世代には、ベトナム戦争、公害汚染、東京オリンピック、フォークミュージック、高度経済成長、石油ショック、地上げとバブル崩壊などの影響がある。

NHKの朝のドラマ(とと姉ちゃんなど女性の物語)には感心することが多い。貧困や差別に負けず、ものごとに関心を持つ生き様を見せてくれる。私の親の世代の話で身近に感じるからだろうか。同じ世代の人たちは、保革や左右の違いがあっても同じような価値観や気配りをもっているように思う。モラル、法律や憲法に反すると思われることでも平気でやり、「儲けて何が悪いんですか?」と嘯くような感覚は、このドラマには出てこない。

日本に限らず、アメリカ、北朝鮮、韓国、中国でも、2世、3世の議員や指導者が増えているように思う。生まれついての指導者達が、その恵まれた環境で得た価値観や感覚にこだわるのでは、大部分の国民の希望と乖離するのではないかと危惧する。  (先頭に戻る)

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No.13 「未来と過去の感じ方」 (2016.7.17)

時間は針の動きやものの変化で計られるものである。そこで、時間とは「何かが変化する状態」と仮定してみる。そして世の中に性質や位置さえも変化しないものはあるのかというと、太陽だって数十億年すると赤色巨星、更に白色矮星になって最後には輝かなくなる。全てのものに動きがあり、変化するのだ。

世界が変化することが日常の中で、人間は絶対とか永遠とかにあこがれる。未来は未知で不安があるからである。過去の習慣や風景を懐かしく思うのも、自分が得た価値観や感覚を基準にして、起きつつある変化に不安や苛立ちを感じ、裏返しとして過去の何かに安らぎを覚えるからである。
   私は文部省唱歌が好きだ。冬景色夏は来ぬおぼろ月夜蛍の宿もみじふるさとあかとんぼ砂山田舎の冬など季節と風景が詠まれた歌は懐かしい。そしてプラスチックゴミや廃水で汚染された水辺を悲しく思う。事故で再び放射能が山河を汚染しないよう脱原発が進むことを願っている。

ところで、体験しないことは印象が薄い。子供の頃、ほんの少し前に大変な戦争があったと聞かされてもピンとこなかった。小学校の社会科で蒙古襲来のことを習ったとき、「信じられない。本当に襲来があったんですか?」と質問したほどだ。しかし近所に日露戦争で鉄砲の弾を額に受け奇跡的に助かった人がおられたが、その人はときどき見かけるので強く印象に残っている。

体験は印象が強く、単なる伝聞はインパクトが弱い。そう考えると、人にとって「現在」とは、今の瞬間という意味ではなく、その人の体験した全てではないかと思う。頭の中の体験記憶は、うんと過去に起きたことでも現在のように感じられることがある。「まるで昨日のことのように」と表現する。今の瞬間は1秒後には過去になるが、感覚としては昨日のことも「現在」なのだ。

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No.12 「『和を以て貴しと為す』の意味」 (2016.7.11)

聖徳太子といえば、仏教を国のあり方に取り入れ、律令国家(律は刑罰、令は行政一般の意味)の基を築いた人。信仰の対象にもなり、少し前までは、紙幣に描かれたりしている超有名人である。特に有名なのは太子が制定に尽力したとされる17条憲法条文の第1条「和を以て貴しと為す」の言葉。額にいれて飾っている人もいる位だ(各条の解釈はクリックで)。

この言葉の意味は、けんかをするなということであるが、その本旨は、「協調・友愛の気持ちをもって論議を尽くすなら、道理にかなった解決策が得られる。」ということ。これは、今で言えば、国際紛争や内紛は武力でなく、外交努力や言論で解決せよいうことである。

なぜこう言えるかといえば、17条憲法制定(604年:推古という女性天皇の12年目)は、遣隋使派遣(600年から614年まで4回)や新羅遠征(600年)の直後の国際化を目指す時代に行われているからである。それまでの武力抗争(蘇我と物部の内紛、崇峻天皇暗殺)から脱して内外に言論を重視する姿勢を示す必要があった。もちろん一般国民は「民」として使役の対象に過ぎない古代なのだが、憲法は権力者(朝廷役人や豪族)の遵守規程であると同時に、国際社会での国のあり方の宣言だからである。もし、現代に聖徳太子が現れれば、「憲法を考えるなら武力よりも言論による外交が大事だよ」とおっしゃるのではないか。

以上は、詳説日本史研究(山川出版)を読んで思ったことだが、どういうわけか「和を以て貴しとなす」を「異論や不満があっても和が大事なので発言は我慢せよ。」と全く逆の意味に取り違えている人もいる。北朝鮮のような全体主義国家ならいざしらず、自由と民主主義を価値観とする日本においては、悲しむべき誤解である。議論の仕方が分からずけんかになることが多いせいだろうか。言論(仏教では愛語ともいう)によって、紛争を解決した例はたくさんある。  (先頭に戻る)

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No.11 「選挙と若者」 (2016.7.6)

参議院議員の選挙期間中である。国政には、経済政策、外交や集団的自衛権の是非、原発再稼働、国の在り方(憲法)など国民が判断を下すべき課題がある。講演会や集会に参加し、新聞論調を比較すれば争点が見えてくるのだが、近年では新聞を読まない人達も増えている。なので投票率の低下が心配である。近年では衆参とも平均で50%程度になっている。若い世代は、32~33%と特に低い。

米国民主党の大統領候補バーニー・サンダースを支持した若者がアメリカの国政方向に影響を与えている姿、英国のEU離脱の国民投票やスペインの新しい政党ポデモスでの若者での活動を聞くと、つい比較してしまう。失業のしわ寄せが若者に行ってしまう欧米と比較して、日本の若者は恵まれているから政治に関心を持たないのかとも思ったが、現実は奨学金の返済などで苦労し、正社員になれない若者も多いので、それが原因とも言えないだろう。高齢の世代に比べて他人との付き合いが希薄になったとも言えないし、ボランティア活動にも参加している若者も多いので、若者の投票率が低い理由は良く分からない。強いて挙げれば政治家が若者に焦点を当てた政策を明確に示せていないからか。
  18歳選挙権の導入が切っ掛けになって若者が政治に関心を持つようになってくれたらと密かに期待している。

自分はと言えば先日、都内で街頭での政治活動をしてみた。「嘘をつかない政治を求める!」などというポスターを書いて、1時間ほど、友人の演奏する軽音楽を聞きながら歩道の脇に立っていただけであるが。
  こんなポスターを書いたのは、昨年の安保法案審議の国会中継で野党の質問と与党の答弁を聞いていてそう思ったのである。忙しい帰宅時間である。5分の4は全く無視して目の前を通り過ぎていくが、一瞥してくれるだけでもうれしい気がした。100人に1人くらいはうなずいてくれる人もいた。   (先頭に戻る)

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No.10 「考えるとは何をすることだろう」 (2016.6.27)

「考える」ということを、よく考えてみると分かりにくい。昼食にカレーライスかソバを選ぶかで頭を悩ませる。入試問題を解くのも考える(頭を使う)ことである。しかし、「人は考える葦」であるとか、「考えさせない時代」という場合の「考える」の意味は別にある気がする。猫だって、蛇だって頭があるから何かを考えているに違いない。本を読んで内容を知るだけでは、「考える」というよりも、「学ぶ」という言葉が適切だろう。

頭が活動することと「考える」こととは違う。自分なりに整理してみると、「考える」とは、次のように定義できるのではないか。
  ①手持ち(頭持ち?)の知識や事実(現実)に矛盾がないか(納得できるか)をチェックすること、
  ②過去の繰り返しや他人の真似ではない新しい何かを見つけようとすること
  「考える」とは、目的がある能動的な行為である。矛盾の発見のための調査や新しい何かを現実化(製品化)することも「考える」範囲に入れて良い。

一人の考えでは矛盾がなくても、大勢の考えには互いに矛盾する場合がある。だから、「考える」ことを進めていくと、別の事実や考えに接触して、より普遍的な考え方に至る。科学は、人類の試行錯誤と矛盾解決の努力によって進歩してきた。政治、社会、宗教、芸術などでも矛盾する意見や説明がある。矛盾を解決する正解は1つと限るわけではないから、異なる考え方も吟味することが必要となる。
  民主主義社会では、意見を発表したり異論を聞く機会があるし、暴力での矛盾解決を避ける道があるので、聞く耳をもっている人であれば、「考える」ことは誰でもできる。だが、頭は疲れるし、誰かのもっともらしい説明で満足してしまうこともあるので、「考える」ことは実は容易ではない(それに加えて、私の愛する日本でも、政府による暴力の行使と事実の隠蔽により、国民に考えさせないようにしてきた歴史があることは記憶しておきたい。)。   (先頭に戻る)

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No.9 「オレオレ詐欺にあうこと」 (2016.6.15)

オレオレ詐欺、架空請求詐欺、還付金詐欺などの特殊詐欺は、関係者の注意喚起にもかかわらず件数は減少していない。罠にはめるやり方が巧妙になっているためである。「自分は絶対引っかからない」といっている人でも、詐欺師が本人の情報を手に入れ、集団で言葉巧みに話をされれば信じてしまう。

被害に遭う側も、自分の息子への情、どこかに残る後ろめたさ、還付金などへの欲があるので、その弱みが利用されている。そして、この島国には、疑うことは良くないとする風土がある。
  特に詐欺師が、警察官、弁護士、政府や市役所の職員、会社の上司などを装った場合には騙されやすい。強い立場の人にはめっぽう弱いのである。役所(お上)は常に自分たちのことを考えてくれているに違いないと根拠無く信じている善良な人は多い(多忙な役所が、わざわざあなたのために還付金を返す手続きをしてくれるはずがないのに)。お上への従順さが犯罪者に利用されている。

犯罪を減らせない別の理由は、他人への気兼ねと本人の孤立である。不祥事は人に知られたくない。不祥事をした息子なら叱り飛ばせば良いのに、詐欺師が会社の上司や弁護士として登場して、「内密にしないと息子さんの立場が悪くなる。」などと親切ごかしに言えば、喜んでお金を出してしまう。
  江戸時代や選挙権の無かった時代ならいざ知らず、今は国民主権の時代である。権利には義務を伴う。面倒なことはお上にやってもらい、お上を監視する責任を逃れるばかりでは、オレオレ詐欺のような犯罪は存在し続けるに違いない。政権や知事の座についた人たちが詐欺師のようになって国民、市民を苦しめることすら許すことになる。

  薦められて「無私の日本人」の「穀田屋十三郎」を読んだ。江戸時代に仙台藩の宿場街の百姓町人が、支配者である伊達家に金を貸し付け、利子を取れる仕組みを作って、その利子で宿場の疲弊を免れたという実話である。
  この人達は、地域社会を疲弊から救うという大願をたてて、私利を捨て、結束を固めて資金を集め、藩の約束をとりつけ、藩のやり方を監視し、ついに藩に約束を行わせたという。しかも、その功績を誇らない誓いをたてている。欲得づくの事件や自慢話とは対極にある素敵な話だと思った。  (先頭に戻る)

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No.8 「驚くことの効用」 (2016.6.7)

小雨の降る夜の帰宅中、坂の中途まで登ってきたときだった。トラックがエンジンをふかして背後から迫ってきた。水しぶきを避けるために左側に寄って立ち止まったら、急に目の前の暗闇が赤く染まった。何が起きたのか一瞬分からなかったが、歩道際の数本のアジサイに赤い花がいっぱい咲いているではないか。「こんなに赤いアジサイがあったなんて、いつもの道なのにどうして気が付かなかったのだろう」と近づいたら、その風景は一瞬消えたように思えわれた。

実は花が消えたのではなかった。花の色が全て青い沈んだ色になったのである。こんなことってあるのかと思って、驚いて周囲を見渡すと、アジサイの向かいの押しボタン式の信号が青く光っている。横断歩道が赤になるとアジサイは再び赤くなり、誰かが横断歩道を渡るとアジサイは青い陰になった。アジサイならではの面白い現象だ。

赤信号でアジサイの色が瞬時に赤く変わったのは新鮮で楽しい驚きだった。驚いた理由は、この現象を知らなかったからである。私には、この現象が想定外だった。
  東日本大震災や福島原発事故は、悲しい驚きだった。あんなに恐ろしい津波は想像していなかった。もし私が三陸の沿岸に住んでいれば、津波と聞いても逃げださなかったかもしれない。日本の原発技術は高いので多少の放射能漏れを起こすことがあったとしても、悲惨なことにはならないと漠然と信じてもいた。
  「驚くこと」は、無知と想像力のなさを証明することではあるが、物事に感動できる能力であり、生きることに関心がある証拠である。驚きは新たな発見や事態を改善する切っ掛けにもなる。
  「知ったか振り」は、誰かへの迎合であり、責任の放棄であり、無関心を示している。これは、しばしば組織内やムラ社会で見られる悲しい現象である。

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No.7 「人の進化と人工知能の進化 」 (2016.5.27)

囲碁や将棋の世界では、人工知能(AI、Artificial Intelligence、コンピュータ、ロボット)と棋士とが対決して人工知能が勝つようになったと話題になっている。コンピュータやロボットは人間が開発したものだから、本当は人(コンピュータ技術者)と人(棋士)との対決であるのだが、話を盛り上げるため、メディアはロボット(機械)と人が対決するという表現をしている。
  囲碁や将棋では、指し手が無数にあるので、コンピュータにそれを覚え込ませてもうまくいくとは限らないそうで、韓国のプロ棋士との戦いでは、コンピュータの学習機能が役になったとのことである。

コンピュータの学習能力とは、多くの事例やデータを与えて、命令や目標に対して最適の条件を自分で発見する能力である。5月にNHK特集を見た。アメリカで人種差別やイスラムを敵視する考えをコンピュータに教えたら、そのロボットは差別的発言をするようになったという話題があった。
  日本では、歩行するロボットに机の上を歩めと命じると、「自分が壊れるからできない」と答え命令に従わなかったが、再度「抱き留めてやるから机の上を歩め」と命じると、机から落ちるまで歩いたとのことである。人は裏切ることもあるし、無責任になることもある。もし、技術者がロボットを抱き留めなかったら、そのロボットは何を学ぶだろうか。

あらゆる分野で人工知能が発展し進化を遂げている。工場の製作用ロボットは既に使われており、介護や医療分野での開発、廃炉に向けた原発事故処理ロボットは一日も早く開発して欲しいと願っている。戦争が無くならない人間社会だから、近い将来は銃や爆弾を持ったロボットが開発されるかもしれない。暗闇でも目が見え、放射能の中でも動き回る兵士ロボット。映画ターミネータのような恐怖の世界になりはしないかと恐れる。

人間の肉体や知性の進化はゆっくりであるのに対し、IT技術を初めとする技術は急速である。いずれは、人間が考えつくあらゆる分野にロボットなどが進出するだろう。しかし、人工知能は人間が作るものであり、人間社会から学べば学ぶほど、そして高度になればなるほど、人間が持つ欠点を全てもってしまうのではないか。自分には甘く他人には厳しくなる。疑り深くなり決断ができなくなる。弱いものを犠牲にすることを厭わない。自然環境を守るためには人間を減らすのが一番という解決法を発見することだってあり得る。
  人工知能は、人間から学ばなければ進歩することはなく、天使にも悪魔にもならない。天使にも悪魔にもなれるのは人間だけである。

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No.6 「性器をわいせつとすることの是非」 (2016.5.11)

花は、種子植物の有性生殖を行う器官であるが、色、形、香りに魅力的なものが多く、古代から人間に愛でられ、花言葉というように表現手段にも使われてきた。花は、生殖器(又は性器)であることは間違いないのだが、そのように考えたり、説明したりすることにはかなりの抵抗感がある。
  私が抵抗を感じる理由は、社会での人の性器の扱われ方を考えて萎縮してしまうからである。病気や医術に関することでもない限り、裸や性器を見せることはもちろん、語ったり書いたりすることでさえ「みだらである」、「羞恥心がない」という非難を浴びてきたことが背景にある。花を性器だと考える自分も「みだら」、「羞恥心がない」と断罪されるかもしれぬという不安である。

物語の面白さや人間の生き方を考える芸術作品でさえ、性描写や性器についての記述によって「わいせつ物」という扱いになってきたことを考えれば、私の不安はご理解頂けると思う。刑法は、社会の秩序を保つ法律ということなので、第175条では、わいせつな文書等を頒布、陳列したものは、2年以下の懲役などとなっている。だから余計に不安になる。

不安になって、手元の模範6法で、判例を見ると、最高裁判決(昭和26年)では、刑法175条の「わいせつとは、いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」とのこと。「いたずら」とは、「無駄に」、「悪ふざけ」という意味ではないようなので、意味が不明である。また、「普通の正常な性的羞恥心」とはどの程度の羞恥心をさすのか、「善良な性的道義観念」の意味も定義が明確ではないことが分かった。

そこで、憲法第21条(表現の自由の保障)に関する判例を見る。チャタレー事件の最高裁判決(昭和32年)だ。そこには「著作が刑法175条のわいせつ文書に当たるかどうかは事実認定の問題ではなく、法解釈の問題として、裁判所が社会通念を基準として判断すべきものである。かような社会通念がいかなるものかの判断もまた、現制度下では裁判官に委ねられている。」とある。何のことはない、わいせつか否かは裁判官だけが解釈できる(特権)ということを最高裁自身が決めているのである。

最近、ある女性漫画家が自分の女性器を3D模造できるデータを送ったなどとして訴えられる裁判があった。地裁判決ではデータ送信は有罪、石膏の模造品の陳列は無罪となった。被告は直ちに控訴したと報道されている。被告の行為を支持する気持ちにはなれないが、さりとて処罰するべきだとも思わない。差別、恐怖感、傷害を与えるなどの実害がないだけでなく、表現の自由という重要な権利にかかわることだからである。 裁判官が、わいせつ文書等を拡大解釈して「作者の春さんは、『きれいな花は、天女の性器だ』と妄想を振りまいている。このホームページは、わいせつ電磁的記録の頒布に当たる。」と判断するようになっては困る。私としては、表現の自由は守っていただきたいと言うしかない。
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No.5 「子供になれない大人」 (2016.5.6)

子供のときのこと。低学年の子供達が近所でぶらつきながら遊んでいた。自分も姉の後にくっついていた。一人の女の子が同じ年の子に「ねえ、ねえ、この花の名前知っている?」と聞き、大きな葉っぱの間から濃いピンクの花が出ている一群を指さす。「うーん。水仙じゃないね。」と問われた子が答える。別の子が「知らんねぇ。」と答えた。問うた子は、にっと笑って「当たり!」。「えっ、『あたり』という名前なの?。」と驚く女の子達。「この花の名前は、『しらん』よ。しらん。」と質問した子が得意気に言う。私が「知らん=紫蘭」を意識した最初です。
  それから50年後、NOVAでの会話。"Do you know the difference between ignorance and indifference?"   "I don't know. I don't care." (知らんよ。そんなことどうでもいいよ。)。単語の意味は無知と無関心。私は子供のときの「知らん」の花を思い出した。

昨日は5月5日でした。私は、グラウンド・ゴルフ大会の手伝いで競馬場の芝生の広場にいた。個人競技のゴルフの楽しさを身近な場所でお金をかけず感じることのできる遊びだ。地元の住民、70歳代を中心に90歳までの約120人が参加。私は、他の仲間とともにホールポストやスタートマットと目印を配置し、10ホールで3コースを作成した。
  ホールインワンも時々でた。地面は凸凹もあり雑草が伸びているので、ボールが大きく逸れたりもする。自慢話だけでない、様々な会話があって笑顔がたくさん見られた。台所で使うラップやプラスチックのゴミ袋がラッキー賞などとして配られた。孫が高校生以上で成人している人が多い。ご自身の健康と生活を大切にされている感じがして好感がもてた。

大人は、子供よりも多くの知識と経験を持っているが、その分だけ子供のように感動する力や物事に対する関心は弱まっているかもしれない。他方、子供だっていつも純真というわけではない。性格は違うし、物欲もあれば、自慢もしたがる。だから、深いところでは子供も大人(老人)も、それほどの違いはないと思う。
  経験の中で物事を学び、妥協を重ねて物わかりが良くなることを「大人になる。」という言い方をする。だが、遊びにせよ、仕事に関することにせよ、生きていく上では子供の頃にあった好奇心や探求心、物事を恐れない気持ちを持ち続けることは大切だ。「子供」になれる「大人」は幸せであるに違いない。  (先頭に戻る)

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No.4 「誰が生命を守ってくれる?」 (2016.4.27)

生命を守るとはどういうことだろうか。人の細胞もヒーラ細胞のように生き続けることができるが、細胞が生きているからといって命を守ったことにはならない。野生生物を動物園に隔離して餌をやっていれば、一時的には生命を守ったことになる。その個体が雌であれば、雄も一緒に飼ってうまくすれば子供が生まれる。子供が育っていけば命を守ったことになる。しかし、何世代も近親交配はできないから、同じ種のほかの個体が必要になる。結局、野生の生物ならば、その生息環境も含めて、一定の大きさの集団が守られて、初めて命を守ることになると考える。その意味で佐渡島のトキやコウノトリを野生で増やす取組みは画期的である。

人の場合も同様に、個人の生活やそれを成り立たせている地域社会を守って初めて「命を守っている」といえるのだと思う。世界には危険があふれている。感染症、饑餓、自然災害、放射能汚染、汚れた空気と水、交通事故、いじめ、虐待、肥満、犯罪、戦争、失業など。日本人にとって北朝鮮の核兵器だけが危険な訳ではない。国内にも危険はある。
  自分の健康は自分で守るのはもちろんだ。医師や看護師、消防署員、警察官、農家などは、命を守る人たちといってもいい。さらには、工業などは生活を守るための製品を作る。つまりは、私たちが互いに助け合ってる社会自体が命を守ることだといえる。その意味で、私は自衛隊員の災害救助活動も高く評価している。それでは殺傷力のある武器を使用する軍隊の活動はどうか。

今から75年ほど前、ナチスドイツは、ユダヤ人たちを強制収容所に収容し、600万人もの殺害を行った(ホロコースト)。戦争が更に続けば殺されるはずの何十万人かを救出できたのは、英米仏ソビエトなどの連合軍の兵士のおかげである。だから限定された状況では、武力に対抗する武力が人の命を守るということもあると思う。

しかし武器はそもそも人を殺す道具だ。原爆、大空襲、沖縄地上戦、南京やフィリピンの市街戦で一般市民に数え切れないほどの犠牲者がでた事実がある。
  自国の軍隊(政府)が国民の命を守るとは限らない。大日本帝国の場合は、国民を総動員して犠牲を強いた。けれど、国(天皇を主権とする帝国の体制)は守れず、敗戦のおかげで女性には参政権が与えられ、国民主権となり、徴兵制はなくなり、農地解放がなされた。大部分の国民には思いもよらなかっただろうが、敗戦は歓迎すべきことになった。学ぶべきものは、歴史であり、命を大切にする自覚と行動ではではないかと思う。杉原千畝さんは外務省の訓令に違反して約6千人のユダヤ人の命を救った(杉原さんは帰国後外務省から冷遇され退職)。帝国陸海軍の軍人の”勇敢な”行為によってではなく、彼と彼の夫人の処分を覚悟した行動によって、国際社会で日本人が評価されている。

気になる情報が今年の4月5日にストックホルム国際平和研究所(スエーデン議会が設立したシンクタンク)から出された。この数年間世界の軍事費は、横ばい乃至減少傾向だったのが、2015年には増加に転じたと報道されている。アフリカや中東、クリミア、南シナ海等の情勢によるとのことだ。2015年の世界の軍事費の36%はアメリカが占め断トツである。中国は第2位で13%を占める。日本はフランスに次ぐ8位で2.4%である。自国の軍事費にはカウントされないが、政府は従来の「武器輸出3原則」(原則武器の輸出禁止方針)を2014年から止め、武器の輸出に積極的になっている。2015年に使われた世界の軍事費1兆7千億ドル(180兆円)が、すべて民政に使われれば、饑餓や貧困から解放され、何千万人かそれ以上の命が救われるだろうにと思う。⇒ 世界の軍事費の内訳のデータベース(Sipri Military Expenditure Databaseの項からエクセルの表が入手できます。)  (先頭に戻る)

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No.3 「命の重みをどう感じるのか」 (2016.4.20)

「生きているからには必ず死を伴う。永遠の命などない。」と思っていたら、ベニクラゲのような生き物がいるので、「必ず」という表現は避けなければならないのだが、「人の場合は、必ず死ぬ。」と断言して良いだろう。細胞が生きているとしても、その細胞と細胞からできた器官(例えば脳)とは別のものだからである。だから、現代社会は、脳死を人の死とする考え方を受け入れている。

高齢になり各種の機能が衰えて死ぬ場合には、寿命を全うできたという感慨をもつことができる。しかし、突然の災害や犯罪、戦争に巻き込まれて死ぬことはどうか。人の命は地球よりも重いと教えられてきたが、現実には、大地震、疫病、テロリスト、戦場に若者を送り込む政治指導者がいるし、死刑制度もある。自然災害は避けられない面があるだろうが、政治や宗教、利益追求などでの人命の軽視は何とかならないものか。 仏家では、永遠の命はないからこそ一度きりの人生を大切に生きろと教える。他人の命も粗末にしてはならない。

私の友人の息子さんが、路上で突然刺されて亡くなった。刺した男は、精神病院に入院中の患者で、イライラするからとして外出し包丁を購入して、たまたま出合った息子さんを標的にした。刑事裁判でその患者は有罪になり、医療刑務所で服役中である。刑事事件で使われた記録を被害者が見られるように制度が改善されたので、友人はその病院の医療実態を知ることができた。判明したことは、その精神病院では、暴力履歴のあるこの患者に対して、統合失調症のガイドラインに反して薬剤処方(プロピタンの突然中止)を行い、強迫神経症用のパキシルを使用上の注意事項に違反して投与を突然停止していた事実だった。

医師には専門家としての裁量があるが、その場合でも、ルール違反の治療、科学的でない治療が許されないことは言うまでもない。しかし、この病院では、処方変更で患者の増悪が予想されたのに経過観察を怠り、かつ、犯行直前に患者が診察を求めたのに、主治医が忙しさを理由に拒否していた。

私の友人は、民事裁判でこの精神科病院を訴えている。驚いたことに、刺した患者の両親と共同して控訴人になっている。患者自身がまともな治療を受けられないのでは、周辺の市民の生存までも脅かされることになる。日本の精神科医療は、患者が社会復帰できるような環境づくりが弱いという点で、欧米先進国に比べて遅れているといわれている。長く裁判を続けることは大変な苦労であると想像する。この裁判を通じて、地域社会も安心できる精神科医療が実現することを期待して、私はこの裁判の行方を見守っている。

裁判の詳細は次のサイトをご覧下さい。本年4月14日に瀬戸内海放送によりこの事件と裁判の概要が放映(13分間) されました。⇒ 【4月14日瀬戸内海放送による報道の動画】
【矢野真木人殺人事件(いわき病院事件)・裁判レポート】  (先頭に戻る)

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No.2 「生き物の魅力-個性と多様性」 (2016.4.12)

巨大隕石の衝突や全球凍結といった大変な環境変化を生き延びてきた生き物は、今も、熱帯から極地、深海まで様々なところで、様々な方法で生きている。細胞内にある遺伝子(DNA)が変化し、他の個体にも広まって種が創造され、今では、生物界は数百万種以上、植物は数十万種、昆虫は百万種と推定されている。
   このように種が多くなった理由は、生物界が弱肉強食の原理で発展してきたからではない。動物も植物も、相互の利用(共生、寄生、捕食、分解など)と棲み分けで成り立っているからである。百獣の王ライオンも他の種の生存を左右するほどは強くない(他の種を絶滅させる力を持つ生物は人類だけではないだろうか。)。

生き物の魅力は、その個性と多様性にある。同じ種(犬、猫、蘭、蝶など)でも、棲む環境と遺伝子のわずかな違いが個性を生み、それが種の多様性を生み出す。個体間で差がなく、種としての適応範囲が狭ければ、環境変化で絶滅する。寒暖、乾燥程度、温度変化、塩分濃度や土壌の質、天敵や餌の関係等で適応範囲が広くなり、植物ならば、とげや葉の形、花の色、香りや蜜、有毒成分を持つようになる。雌雄があることは、個体に変化をもたらすのに好都合である。

人は、新しい生き物を見ると、美しいとか、香りとか、食べられるか、更には、何かの薬理効果があるかなどと欲得で考え勝ちである。しかし、それは浅はかである。相手は何十億年もの試練を経て進化してきたものである。その生命の歴史は、それだけでも関心を持つ価値がある。損得などの狭い了見は捨てるべきだろう。

個性や多様性を尊重する態度が必要であることは間違いない。生物の一種である人間の社会でも個人(男性、女性)の生き方を尊重することが、良い社会にする原理だと信じている。北朝鮮金王朝の住民は気の毒である。世界から孤立し大東亜戦争に進んだ大日本帝国もそうであったように、人々は海外の情報に接することができず、少数の権力者や集団の命令に従わなければ生きられない危うい社会になっている。  (先頭に戻る)

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No.1 「『もの』と『命』の境界」 (2016.3.31)

3月に母が亡くなった。96歳であった。2月に会ったときは、元気そうに見え、多少は話をすることができた。「もう、十分生きた。幸せだったわ。」とつぶやいていたのが耳に残っている。自分が、これから、どのように生きていくのかの手本を示してくれたような気がして感謝している。

子供のころ小学生の学芸会で、蜘蛛に扮した友達が、「死んでしまえば、ただの「もの」だよ。」というセリフを繰り返し練習していたのを覚えている。死んでしまえば、動かないし、感じないし、灰と気体になって消えていくだけであるのだから、このセリフのとおりであるのだが、「ただのもの」という言い方には何か割り切れない感じがしていた。それは「もの」と「生き物」の違いが分からないためにおこる感覚かもしれない。

人間とサルは殆ど違いがない。ネズミとサルは違いがあるかというと、これも違いは殆どない。ネズミとトカゲはどうかというと、生き物として共通している部分が多い。こうして、両生類、魚類、菌類や、バクテリア、ウイルスまで遡ってみると、共通している部分があり、それぞれが生きている。ウイルスは生き物ではあろうが、自立して生きているわけではない。ウイルスに進化する前の「もの」は「物質」なのか、「生き物」なのか判断できないだろう。生物が、地球上で、絶滅したり、進化したりして今日に至っている。つまり、炭素や窒素、酸素、水素、リン、カルシウム等という物質が組み合わさり、大きな分子を作り、生き物となり、ついには人間のような意識を持つようになった。ただの「もの」が「生き物」になったのだ。

ただの「もの」が、気の遠くなるような時間がかかったにせよ、「生き物」になったという事実は、いずれ死んでただの「もの」になる私達の気持ちを暖かくしてくれるのではないか。人は死んでも魂が残るという話や、輪廻を信じるという次元の話ではなく、「もの」も「命」も性質的には、同じであるということである。境界はない。ウイルスやウイルスに進化する前の「もの」も、「生き物」として何かを感じているかもしれない。現代の科学の示す基準には当てはまらないやり方で、石ころや木、水などの「もの」も何かを発信し、感じているかもしれない。森林を減らし、海を汚し、放射能をまき散らす現代において、自然(もの)の中に神々(人と同じ聖なるもの)が宿っているという古代の人が持っていた感覚は現代人にこそ必要ではないかと思う。  (先頭に戻る)

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