お宮とお寺

このページの案内板

 
浅間神社 2004.11.7
浅間神社のお祭り 2005.6.5
稲荷神社 2005.9.1
ついに発見?! 2005.11.19
お正月風景 2006.1.9
知ってるつもりの浅間神社 2006.12.24

 

 浅間神社 でんえんちょうふよんちょうめ (2004.11.7)

多摩川駅近くの浅間神社 11月__ 多摩川駅そばの浅間神社(せんげんじんじゃ)には 
晴れ着の子供を連れた家族がお参りに来ます。 
(携帯を向けるのがはばかられるので、写真はありませんが。) 
この日も写真手前の神楽殿では ♪とことんとん ぴーひゃらら と 
にぎやかなお囃子が奏されていました。

浅間神社の鳥居 浅間神社への階段は結構急。着物や袴の子供は裾をたくし上げて
よいしょ と言いながら上ります。
浅間神社の鳥居の隣のお店 鳥居の横には「釣具 餌 フィルム アイスクリーム パン 飲物」という
大きな看板を掲げたかわいいお店があります。ここで「エサ」を買っていた
竿をかついだ小学生三人組に そのエサを見せてと頼んだら、
ビニール袋におがくずと一緒に入れられた それ を見せてくれながら
「ハエの幼虫だよ」と教えてくれました。(!つまり?)
三人組はそのあと丸子橋の下におりて釣り糸をたれていました。
待っているのは ハゼ ですって。 
そうか、あのタマちゃんもここで「海の魚」を食べていたのですね。
丸子橋から川下を眺める 丸子橋の下から 川下を撮っています。
向こうに見える橋は新幹線の鉄橋です。

(後から打ってます__ うーむ
HP始めたばかりの頃って こんな文打ってたんですね。
思わず「オチないんかい?」 って・・・)


 浅間神社のお祭り でんえんちょうふよんちょうめ (2005.6.5)

6月4日は多摩川の浅間神社の
お祭りの日(
宵宮祭)でした。

多摩川駅前の商店街も
お祭り期間中は「ほこてん」です。

商店街から参道を見たところ。
あ、ベビーカーや車椅子の方は坂の途中
__家型の看板が立ってる所から右に上がって
くださいね。(段差なく 社の裏に出られます)
ここの階段はちょっと急。
社務所手前の鳥居


(この先 参拝者用駐車場 あります)

階段を上がると本殿が正面に。
(都内唯一の浅間造りという様式 だそうです)

提灯が下がり 紅白の幕が引かれたお社は 
目出度気。
浅間神社には 境内から多摩川側にせり出した
展望台(?)があります。
(実は社務所の屋上)
ここからの見晴らしはなかなか。
水色の丸子橋の向こう 左岸のビル群は、
ここ数年でにょきにょき建った 
下丸子の高層マンション群。
右に目を向けると、
東急東横線の向こうに蛇行する
多摩川が見えます。
川沿いに行くと二子玉川。
 

お天気のいい日はここから
富士山を眺めることができます。
(富士山にはご祭神 木花咲耶姫命
がお鎮まりなのですって)

お宮を出て、多摩川駅の方へ歩くと 
可愛い掛け声と 先導の笛の音が聞こえてきました。
やがて__

子供神輿の「ちょっとひと休み」に出会いました。

ゴールの商店街まであとちょっとだよ。

 
わっしょい わっしょい

子供神輿 無事到着

お父さんたち お疲れ様でした。


(このあと子供たちは「ヨーヨー釣り」に。)
商店街は呼び込みの声と香ばしいにおいで一杯。
私も チヂミとイカ焼きを買って帰りました。おしまい。
  .
6月5日 日曜日 / 例大祭

改めて「村社 浅間神社」を紹介したいと思います。

左の石柱の台の部分は溶岩です。
富士信仰と関係があるんですって。

これも富士信仰をしめすもの。
境内の手前にある「食行身禄(じきぎょうみろく)」
の文字を彫った石碑。(書は勝海舟)

食行身禄とは「富士講中興の祖」なのですって・・・。
(すみません、私にはちょっと難しいです。
でもとりあえず 行者さんのお名前 
ということはわかりました。)

.
「田園調布囃子連」

ここのお囃子は 目黒のお殿様
(出羽の守様)が
江戸暮らしの慰めに近在の者らに
出羽のお囃子を広めたのが元になっている
____んですって。

詳しくはこちらのサイト様で__

「武蔵野・多摩MTB散歩」
http://members.jcom.home.ne.jp/4311553301/1000genj.html
「浅間神社」のページにリンクしています。
どうぞ「HOME」もご訪問ください。

囃子連の写真を撮っておりましたら
どこからか「しゃわ〜〜 しょわ〜〜」という
笙の音が聴こえてきて、
にぎやかなお囃子が止みました。

先導者に続いて笙、篳篥(ヒチリキ)、
(自信ないけど多分竜笛)、、

そして神主さんが階段を上って来られました。
神殿に上がるために手を清められるみなさん。
ああ お袖がぬれないように 
後ろから持ってあげられてるんですね。なるほどー。
続いては氏子の皆さん。
そして並んでご昇殿。
雰囲気に 気おされながらも 
「良い物を見せて頂いた」気分に。

時にはっぴの桜のマークは、
祭神の木花咲耶姫命
(桜の霊といわれています)
からきているそうです。なかなか素敵。

住んで三年になりますが
今回初めて はっぴや提灯の
桜のマークの由来や
お囃子の歴史を知りました。


知ってるつもりの 「ご近所」__
知れば知るほど 
もっと知りたくなってきました。


 稲荷神社 (2005.9.1)

神社の1/3近くは稲荷神社だ と と
あるサイトで読んでびっくりしました。が、
そう・・・確かに沼部の辺りもお稲荷さんの
祠 多いですね。

私が見つけた この界隈のお稲荷さんを
紹介しましょう。(お稲荷さんって 
地図にはあまり載っていませんからね。
本当はもっとあるかも)

沼部駅から出発しましょうか。 
桜坂を上がりきったところから 
田園調布の駅へ続く商店街 
「六間通り」を 駅に向かって進み、
最初の信号を左に入ったところに・・・

西守稲荷があります。

児童公園の中にあるお稲荷さんです。

ここの狛狐はかなり古いもののようで 
顔が磨耗しています。/左の狐は玉を 
右の狐は子供を守っています。

今度は出世稲荷へ行ってみましょう。

六間通りに戻り、 田園調布駅方向に
歩きましょう。一丁目郵便局の少し先を右へ。 
六間通り沿いに案内の看板が出ていますが、
地味なので見落とさないように
注意してくださいね。

出世稲荷は

小さな公園の隣にあります。     

ここの狛狐は「左の狐が巻物くわえてる」タイプ。

住宅地の中を 環八と中原街道の
十字路の方へ歩きましょうか。

田園調布警察署の東側にある
児童公園の中にお社が見えます。

ここが東稲荷

元々は社の近くにあったであろう狛狐は 
今は公園入り口に置かれています。
ここの狛狐も「親子三匹」タイプです。
(この子狐は腕白そうですねえ)

警察署の前から 環八を
雪谷大塚の方へ渡りましょう。

交差点の一筋奥、
調布大塚小学校の校門付近・・・

雪谷大塚の地名の元になった塚山の上に 
雪谷大塚稲荷 があります。
ここは鵜の木領(沼部の東)の
飛び地だったので、古くは「鵜の木の大塚」
と呼ばれていたそうです。
(昭和5年に 教育委員会が設置した
プレートでも「鵜木大塚(うのきのおおつか)」
になっています。) 

境内には桜が植えられており 
春はこんもりとした花の小山のように見えます。

夜になると 参道の上には 
てんてんと電灯がともされます。
裸電球なのだけど なんとなく
味わいがあって 良い感じ。
桜の頃は幻想的です。
どうでしょ?これでお稲荷さんが
「塚」の上にあるのがおわかりいただける
でしょうか? / ここはお稲荷さん
であると同時に「都旧跡 
鵜木大塚(うのきおおつか)古墳」でもあります。 
教育委員会の設置している看板によりますと
「古墳は高さ6m 直径27mの円墳で、
南隅をかき落として稲荷社を構説してある」
そうです。

江戸時代の人にはこの小山が
古墳とはわからなかったのでしょうね。

ここの狛狐も「夫婦+子供」です。

桜坂に戻りましょう。

これは 田園調布本町児童公園
(通称カエル公園)北隣 の伏見稲荷

ここの狛狐は「若々しい」感じ。
(「左の狐が巻物をくわえている」タイプ、
ですね)

新幹線の線路を越えて__

西嶺町のお稲荷さんの祠。
(お名前 わかりませんでした) 
西嶺高砂公園とエチオピア大使公邸の
間の坂の途中にあります。
狛狐はいませんが、祠の中には
神様の左右に三匹ずつ 
計六匹の小さな白い陶器の狐さんがいます。

学校の方へ引き返す途中、
Nさんちのお庭に 屋敷神の
お稲荷さんが見えます。が、
さすがにここは写真撮れませんでしたー。

学校付近の新幹線線路に架かる
橋の名前が「稲荷橋」。
その付近の交差点の名前も「稲荷橋」
(←写真)


・・・するとこの辺りにも
お稲荷さんがあるのかな?
(あるいは「あった」のか) 

まだ見つけられずにいますが、
又この辺り 歩いてみましょう。

はい、一回りして 
沼部駅に戻ってきましたよ。
お疲れ様でしたー


 ついに発見?! でんえんちょうふみなみ (2005.11.19)

夏からずっと 
田園調布高校付近で
お稲荷さんを探していました。

小中高の集まった箇所にかかる 
橋の名前が「稲荷橋」 
橋の西側の交差点名も「稲荷橋」。
なのにお稲荷さんが見当たらない。

名前だけが残っていて
本体はもうないのかも、
と思い始めていましたが、
今日偶然 東調布中学の裏に
お稲荷さんを発見しました。

<東原橋(ひがしっぱらばし)から
   東調布中学の裏を見たところ

中学の裏の鳥居__
__をくぐったら おお!

     お稲荷さんです!!

開運七福稲荷神社」だそうです。

新幹線の切通しの
西側ばかりを探していたので
見つからなかったのですね。。。

とまれ今日は 「大発見」 
をした気分です。
さっそくPTA広報の仲間にも
写メしましょう!

__ と、
トップ頁に置いた時には打ったのですが、

その後町会のポスターで 
「稲荷橋」 「稲荷交差点」 の
名前の由来となったお稲荷様は 
かつては稲荷橋の東のたもと
(現 駐車場)にあり、今は
地主さんのお宅の
屋敷神様として祭られている 
とわかりました。
粗忽者をお許し下さい。

<上の祠の中の石
 丸に三本線は三浦氏の印。
その下の字は「明冥」?印の上には八 
かな?富士山かな? 
昔は彩色されていたようですね・・・。
どのような意味があるのかは
わかりませんが、
蝋燭とお賽銭から 
この石を土地の人が
大切にしていることが
伝わってきます。

後から編集で追加しています:

上の「丸の三引き」は
御嶽講の講紋とわかりました。
(富士講にも「丸に三引き」がありますが
こちらは丸の中が「漢字の三」だそうです。)
同じ印が品川神社内の「御嶽神社」に
ありました。

 

 お正月風景 (2006.1.9)

今回は沼部の
お正月風景を紹介しましょう。
 
この辺りはお寺や神社が多く 
お正月らしい風景が
そこここに見られます。
まずは東横線多摩川駅の
浅間神社からご案内しましょうか

では改めて__

浅間神社 沼部村の村社です。

<おみくじが結ばれ 花が咲いたような門松

お正月があけると 
ここで「お炊き上げ」が行われます。

穴の横には
「お札は
ビニールから出して入れて下さい」
などの注意書きが。
(ダイオキシンを出さないためだそうです)
お正月は小さな祠も
新しいしめ飾りがかけられ 
すがしく晴れやか。
境内横の展望台は
実は社務所の屋上です。

社務所の前にも門松が。

そうそ この辺りの門松は 
「笹の下に松」なんですよ。
浅間神社を出て 
中原街道の下をくぐると 
(←大田区で一番古いトンネルですってー)
六郷用水が始まります。
用水に沿って歩きましょう。
六郷用水

用水沿いの松竹^^

用水横 東光院の門 

(ここの門松もやっぱり笹+松)

更に用水にそって東へ行くと 
密蔵院前に出ます。

(ここの門松も笹+松)  

住宅街を通って
御嶽山へ行ってみましょう__

御嶽神社

(ここの門松もやっぱり笹+松です)

御嶽神社の隣の
スーパーの自転車置き場で
ご主人を待ってたわんちゃん

戌年 ですので
ちょっと写ってもらいました^^
 

このあとスーパーで
お買い物して帰りました。おしまい。
 

 

 知ってるつもりの浅間神社 (2007.12.24)

12/19日。
多摩川浅間神社の横を通りかかったら 
氏子さん達でしょうか?

参道に 初詣の
横断幕を渡してらっしゃいました。
ああ、もうお正月の準備をなさっているんだ 
と思い、社務所の前も見ましたら、 
おお、すでに門松が立っていました。↓

で、何となく視線を感じて
社務所入り口の横を見ますと_

あ、カエルだ!
(ちゃんと注連飾りをしてもらって 
りりしく見えます)
この時まで 全然気づかずにおりました(ごめんなさい)。 

ネットで調べたら 品川神社の富士塚のふもとに 
やはり石のカエルが置かれているとわかりました。 
「富士+カエル」で 無事帰る の
語呂合わせの縁かつぎだそうです。
カエルのお札も売られていると知り、
むんむんと行きたくなってきました。 
(で 実際に品川神社に行った話 は
TOPページには載せましたが 
ここはあくまでも「沼部」の話題ということで カット)

知ってるつもりの浅間神社で 小発見をした私は
(↑神社の方が聞いたら噴き出されるだろうなあ)
「これはさっそくHPにUP^^」 と思い、

「これだけじゃ 絵的に地味だから」 と 
以前友人から聞いた 
「昔は 神社と多摩川台公園をつなぐ橋があった」
の証拠写真を撮りに 又お社へ上がりました。

ご覧あれ!

浅間神社の社の裏には 
フェンスにぶつかるだけの 
不思議な敷石があるのです。

これは 以前 東横線の上に架けられていた
橋の名残 なのですって。

元々 浅間神社と多摩川台公園は 
地続きだったのですね。それを 
神社の後ろ(実は古墳)をざっくり削って 
東横線を通した、そうです。
そして 神社と公園の間には 
橋 が架けられた__。

なるほど 神社の裏から見ると 
東横線の向こうの公園側のフェンスにも 
ちょろり と橋の名残の
コンクリートが確認できます。

(←左から 1本目と2本目の桜の間)

この橋、いつ無くなったのでしょうね。
友達が子供の頃にはまだあったといいます。

復活してほしい と思うのは
私だけでしょうか?

 

 

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