ワンダーフォーゲル部勉強会

1999.1.26 3年 吉原 裕之

山で迷わないためには

道迷いのパターンはいくつか考えられる。代表的なものは、

道が急に消えてしまった、

枝道に惑わされる、

地図とは違う、

自分のいる場所がわからない

などだ。中でも一番多いのは、「道が突然消えてしまった」というものだろう。 例えば、山道が途中で部分的に沢を通っている場合がある。沢は地図にはっきり出ているような大きいものでなく、細い流れで、しかもはっきりと渡っていないことがある。つまり沢を道として一部利用しているわけである。特に沢に残雪がある場合、道は目の前から忽然と消えることになる。登りの場合はたいてい上へとさかのぼったところに道が続いているし、下りの場合は沢を下降したところに道の続きがあることが多い。道として利用している部分は、歩きやすい渓相をしているから、滝や危険なところはないし、距離も短いのが普通である。石の苔が擦れていたり、足跡などがあるか、よく見る。足跡があっても喜ぶのは早い、足跡の主も間違っていることも多いのだ。足跡がプッツリ切れたり引き返している場合は、その足跡も迷っているのだ。 このようなところで道に迷った場合には沢にぶつかったところに赤布やケルンなどで目印をつけ、慎重に周囲に気をつけながら進む。木の上のかなり高いところに標識がつけられていることもあるので、下ばかりではなく上もよく見ることが必要である。万が一、二俣がある場合にはそこにも何かの目印を付けるとよい。どうしてもわからないときは、道がはっきりとしているところに必ず戻り、何回か見方を変えて調べてみる。それでもわからない時は、道が消えた地点よりさらに戻って道を探す。もしかしたら、途中から水場の道へ入ってしまっているかもしれない。自信がないとき、時間がないとき、午後の入山の時などは、思い切って登山口まで引き返した方が安全だ。

もう一つの例としては、広い草原や雪原に出て道がわからなくなることである。迷いやすい道では道が四方八方にでたらめについていることも多いし、全くないこともある。この場合、道がその場所を横断してまっすぐ続いていくのか、または戻る地点なのかを考える。地図上で現在地がわかるようであれば、だいたいの方向がわかるので、その方向に道の続きを探す。道の続きが薮に隠されていることも多いので、薮の下をのぞいてみる必要もある。

そのほかでは、突然がけの上に出たとか、岩にぶつかった場合もある。これは手前に正しい道があるはずだから、戻って探す。道は地形的な弱点を塗ってつけられていることを思い出したい。 パーティで道に迷った場合、偵察に出かける人は、声とか呼び子の音が聞こえる範囲で、行動する方が安全だ。偵察員は当然ザックも背負って出るべきで、空身は危険である。残った人は同じ場所にとどまって、地図などでルートを検討して偵察員が戻るのを待つ。特に、日暮時、視界が悪いとき、天候が悪いとき、疲れているときなどは、メンバーがバラバラにならないようにリーダーは注意することが大切だ。

どの場合でも、わかるところまで道を引き返して冷静に考え直すことが基本である。

個々では細かい観察を欠かせないし、大局的に状況を判断しよう。 バテについて 事前に十分トレーニングを行い、故障がなくても、山では体の調子がよいとは限らない。はじめの数時間は思いのほか調子がよい場合でも、後半になって急に調子が落ちて苦しくなることもあるし、その反対のこともある。付け焼き刃的なトレーニングなどでは過度の期待は持たない方がよい。 調子がよいというときほど慎重に体力を温存する行動が望ましい。調子がよいからといってむやみにかけ登ったり、登るスピードを乱すことは体力を失う元である。

基本は一定のペースで登ることだ。長丁場の登山の場合は、特に省エネにつとめるのがふつうである。難しい肝心なところで、余裕ある思い切った動きが出来るエネルギーをもっていたい。登山道を歩く場合など、30センチの下りも避けて登るという意識を持つことは有効で、なれた登山者は誰でもやっていることである。

登るという行為は足に頼ってはいるが、姿勢も大切である。足や膝関節の動かし方も素早い方が格好はいいが、グイグイとあまり急で力強いフォームは乳酸のたまる元である。ゆっくりスムーズな動かし方、足の運び方の方が疲れないですむ。

これは登山道などを登る一般的な場合のことである。 薮が行く手を邪魔することはよくあることだが、これでもかと力ずくで突破しようとするとひどい消耗になる。木の枝はだますように扱う。「邪魔者め、この野郎!」という気持ちでは、枝先が突っかかり、損をするばかりだ。倒木を越えるときは「通してください」木の枝に「優しくしてください」となだめる気持ちが無駄なエネルギーを使わないコツである。

行動中に疲れたという時は、どうして疲れたのか、どういう疲れなのかを考えて対処する必要がある。

汗をかきすぎて喉が渇いているのか、腹が減っているのか、関節が痛いのか、体がだるいのか、足のどの部分が痙攣したのかなどによって、何をすればよいかがわかる。自分がどのような動きをしてきたか、どれくらいの時間、距離、高度を移動してきたのかも考えなければならない。

自分は通常どのくらい歩けるかを知っておくことはこの場合自信にもなる。

 

バテたときの食事の取り方を考えてみよう。 日常生活でも疲れ切っているときはあまり食欲はわいてこない。山ではなおさらである。1日の行動が終わって3〜4時間はそのような状態のことが多い。このような時、無理に食べようとか、食べさせようとしないことだ。しばらく横になっているなど、楽な姿勢で気分をリラックスするようにつとめているうちに、自然に空腹を感じるようになる。こうなれば軽い物から徐々に食事は出来るようになる。 登山での夕食は薄目のホットウイスキーや温かい飲み物、スープ類などからはじめるのが普通で、最初から固形物を胃袋へ放り込むような食事は考え物である。

行動中にバテてきたなと思ったときは、歩きながらでも飴をなめたり、糖分の少しでも多い物を口にすることがすすめられる。

また、休憩の時には必ず何か食べることが原則である。ポイントは、疲れる前にエネルギーを補給することだ。

遭難・事故に出会ったら 山の中で遭難や事故に出会ったとき、登山者は助け合うのが原則である。まず登山者同士で何が出来るか、どうすれば一番よい結果を残せるかを考える。周囲にいる登山者だけで搬出できるのか、頭部外傷のように緊急を要する場合の連絡、雪崩埋没で時間と勝負しなければならないときなど、初期に登山者の果たす役割はきわめて大きい。 しかし、すべての登山者が救急法や救助技術に精通しているとは限らない。二重遭難など万一の心配もある。自分にすぎたることはあまり手を出さないに越したことはないが、それでもなお、「私は何か役に立ちますか」という姿勢は持つべきだ。 事故パーティーは混乱や興奮しているなど異常な状況下にある場合が多いので、十分注意して接する心構えが必要で、事故者の前で不用意な言葉などは気をつけたい。

救助に加わる場合は、所属団体、名前、住所、電話を記した名刺などを遭難パーティに渡しておいた方がよい。それと同時に、相手についても知っておくことが必要ある。緊急時には、下山してからでもよい。 連絡を考慮し、事故発生の時間、場所、氏名、所属、事故や病気の程度についても記録することも無駄なことではない。

サバイバル 遭難の中にはあまりにもあっけなく死を迎え入れているとしか思えないケースがある。防寒着を使うことなく凍死したり、近くに適当な避難場所があるのにそこへ避難せずに凍死したりしているのを聞くと、もう少しどうにかすれば助かったのではないかと考えたくなる。そのときの過酷な状況の中ではそんなことは考えられなかったといえばそれまでで、実際はそこに至るまでに、そうならないための選択の岐路があったはずである。最後の手段さえも使えなかったりするのは、そのような状況へ自らはまりこんでしまった、その結果なのかもしれない。このような遭難は実に残念である。

しかし、生き残りの手段をつくした「立派な遭難」といわれるものは、現実には少ない。遭難の大半はちょっとした、つまらないことが原因になっていて、それは生き残りなどという大げさな物とは少し縁が薄いのかもしれない。 登山ではリーダーシップとかチームワークを尊重する。リーダーとメンバーはそれぞれチームに対して責任を負い、一種の相互契約関係にある。力量は違っても、お互いに助け合いの精神を発揮することが求められる。一方的に助けてもらうことは期待できない。分担した装備は責任を持って管理し、与えられた役割は責任を全うしなければならない。それとともに、自分の行動は自分で責任を持つ。最後には自分の命は自分で守らなければならない。