5−2 菅原氏の東国定着
大生郷天満宮/創建 菅原影行 氷川神社祭祀と足立郡司と継いだ菅原氏以外にも受領としていくつかの菅原氏の名前が見える。先に平将門の歴史性を見たところで常陸国真壁郡羽鳥に住したといわれる菅原道真の子・景行については言及したところである。道真自身も、767年に下野国権少掾に任ぜられている。文章生に18歳でなった道真は次いで得業生となった。これは方略試を受ける資格である。文章得業生が諸国の掾を兼ねるのは当時の慣例で、掾に伴う俸給を受けることができる。権であるから任地に行かないし、実務にも携わらない。右に菅原景行のいわれの大生郷の天満宮の写真を載せる。
 以下は菅原氏と東国との関係の一覧である。根拠は埼玉県史調査報告「東国八箇国国司表」(1987年 昭和62 11月、埼玉県県民部県史編さん室)に拠ったものである。従って先に示した「西角井家系図」にある菅原正好等についてもこの「国司表」に無ければ載せてない。この一覧を見る限りでも、東国に赴いた菅原氏も少なくはない。
 下に掲げたうち菅原名明(なあきら)については将門の乱後、治安維持の為に、押領使も兼ね随兵30人を伴っていたことが知られている。受領も国の兵士だけではなく、別途に兵を持つことなしには国司の役目も果たせないのである。
大宝3703)  武蔵守 引田祖父 7.5任(続紀)
神護景運(867) 上総外介 武蔵不破麻呂 6.9任(続紀)
貞観9867)  下野権少掾 菅原道真 2.29任(大鏡、公補寛平5項、政要)
延喜9909)  下総守 菅原景行 7.11見(紀略/1137
天慶元(938)  常陸(前司)菅原兼茂 見(要略/1289
天慶9946)  下総守 菅原名明 8.6見(朝群22.天暦4.2
永観2984)  武蔵掾 菅原行正 1任(除申。魚1
長徳4998)  武蔵守 菅原修正 長徳年中見(大日)
寛二元(1017) 上総介 菅原孝標 1.24任(更級)
治安元(1021) 上野前司 菅原孝標 8.10見(左経1.11見小/1725
長元5(1032) 常陸介 菅原孝標 2.8任(更級)
康平41061  相模権守 菅原長綱 3.7見(中漢)
承保2(1075) 武蔵守 菅原是綱 5.14見(朝群13
          前相模守 菅原清房 5.14見(朝群13
永保元(1081)  武蔵守 菅原是綱 11.25
嘉保21095)  常陸介 菅原是綱 4.5任(中/2004
         上野介 菅原邦宗 5.25赴任(中 /2006) 

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