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北京から西安へ 8


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〜玄奘三蔵の大雁塔、空海の青龍寺〜

【11月24日(木)】
 西安最終日。ホテルをチェックアウトすると荷物が邪魔になるので、チェックアウトぎりぎりまで大雁塔(慈恩寺)と青龍寺を観光することにした。朝、慈恩寺が開く時間に合わせて、カメラだけを持ってホテルを出た。ホテルから慈恩寺までは3分ほどである。慈恩寺を取り囲む公園の中に入り、壁伝いに続く道を歩きながら、一定の間隔で置かれている銅像を写真に撮ってまわった。この銅像はそれぞれテーマがあるのか、それぞれ違った表現をしている。相撲をしていたり、笛を吹いていたり様々である。
 【笛を吹いている】
 【相撲をしている】
 【影絵芝居】
 【何か懇願している】

 銅像に気を取られていたら、慈恩寺の入口が分からなくなってきた。壁が続くばかりで入口が見つからないのである。南の方に戻ると一ヶ所だけの入口が見つかった。ここは昨日通過していた。門の前は広場になっていて、赤い大きな扇子を持ったおばさん達が体操をしている。その向こうには、大きな玄奘三蔵の像が背中を向けて南のインドの方向を見ている。
 慈恩寺は648年に第三代皇帝高宗李治が亡くなった母、文徳皇后を偲んで建立した寺。最盛期には648のお堂があり3000人の僧がいたという。その慈恩寺の中にある大雁塔は、インドから多くの経典や仏像を持ち帰った玄奘三蔵法師の願いにより652年に建造された。7階建て高さ64mの塔。
【大雁塔】

 城壁の外にあるものの、西安のシンボル的な塔。
 慈恩寺の入場料が25RMB。さらに大雁塔の入場に20RMBが必要となる。
 大慈恩寺ホームページ−http://www.daciensi.com


 慈恩寺の中に入り、正面に見える大雁塔のほうへ進んでいく。境内には人の姿が見えない。この時期、平日の朝ではまだ観光客は来ないようだ。玄奘三蔵の像が据えられている大雄宝殿の裏手の大雁塔の下まで来ると、従業員らしき男女がバトミントンをやっていた。よほど客が来ないとタカをくくっていたのだろうか、チケット売り場の窓口のほうへ向かうと、その女性はいそいそと職場に復帰し、チケット販売員に戻った。
 大雁塔の一層目の外側には御影石の石碑が埋め込まれている。ぐるりとまわってそれらを見て回った。
 塔の中に入り、階段を登っていく。小雁塔と違いこちらは大きいので、階段も余裕がある。7層目まで息を切らせて登るが、途中に釈迦如来足跡石というのがある。その石を見るとお釈迦様の足は40cmくらいあったようだ。塔は黄土のレンガで積み上げたもので、七層目でもその壁の暑さは2m近くある。

【玄奘三蔵院】

 大雁塔の北側にある。照壁には「袖領門法」と書かれている。玄奘三蔵院は最近できたものでまだ真新しい。三蔵法師の頭の骨や自筆の経典が納められている。
 

【大雁塔からの眺め】

 大雁塔の七層目から北方を眺めた。広場の奥には西安駅まで続く雁塔路が真っ直ぐ続いているが、さすがに駅は見えない。


 慈恩寺を出て青龍寺へ向かう。ここで初めてバスを使うことにした。党校というバス停から237番のバスに乗る。乗務員にチンロンスー(青龍寺)と言って、料金の1RMBを支払い、チケットを受け取る。青龍寺は道に面していないので場所が分かりにくいが、交差点を左に曲がってすぐのところがバス停で、そこで下車する。降りたバス停の反対側に「青龍寺遺跡保管所」という赤い看板が立っているので、その方向に歩いていく。高い壁に沿って坂を上っていくと、左手に青龍寺がある。  青龍寺は、遣唐使として入唐した空海恵果に師事して密教を学んだ寺である。この寺の所在は長らく不明であったが、1973年にその史跡が発見された。それを聞きつけた、日本の真言宗徒が奔走し、日中共同事業としてこの寺を再建している。
 【青龍寺入口】
 【雲峰閣】
 【青龍寺入口(奥)】
 【恵果空海記念堂】

 全国第四批重点文物保護単位と書かれた石碑の右手に青龍寺の入口がある。入口を入って右手に入場券売り場のような部屋があるが、料金が書かれていない。タダかと思ったが8RMBだった。中は寺と言うより庭園になっており、散策できるようになっている。左手の回廊に、空海や師匠の恵果の簡単な説明がある。奥の方へ行くと、1985年に四国から送られたという桜の木が1000本植えられている。また、雲峰閣という展望台に登ると、大雁塔のほうが見渡せる、はずだがもやと逆光のため見通しは悪い。
 建物の中にはいると、そこは出土品の展示室のようになっていて、青龍寺のジオラマや1200年前の出土品が展示してある。出土品は石ばかりで、仏頭や経憧頂、瓦などがある。地面に無造作に置かれている石像もあった。外に出て小高い丘の階段を登ると、空海記念碑が立っている。
 いったん寺の外に出て左の方へ行くと、そこにも青龍寺の入口があった。どうやらそこが本当の寺らしい。先に入ったのは青龍寺遺跡景区で、寺とは別に仕切られている。青龍寺の方は恵果空海記念堂という大きなお堂が建っていて、中には恵果と空海の像が置かれている。また、西側には日中友好和平之鐘の楼閣が建っている。
 ホテルのチェックアウト時間が迫っているので、タクシーで唐華賓館へ戻ることにした。ずいぶん遠回りして戻るので、ボラれたかと思ったが、ホテルの前は一方通行なので、大雁塔を大きく迂回しなければならないようだった。

 12時少し前にチェックアウトして、バスで西安駅まで行くことにした。観光マップで調べた長安芙蓉園というバス停へ行き、バス番号を確かめると、目的のバスがない。しかもそのバス停から駅へ行くものがないではないか。乗り換えていくのも面倒なのでタクシーで行くことにした。
 西安駅では、一昨日確認した手荷物預かり所で、荷物を預けた。念のため、パソコンやカメラなどのはサブザックに入れて、持ち歩くことにした。駅前からは真っ直ぐ南下する。解放路、和平路と歩き、城壁の手前を右折する。城壁に沿って西へ向かうと碑林博物館があるはずだ。しかし道はアスファルトから土に変わり。工事中となる。それでも人は歩けるので強引に歩いていくと碑林博物館にたどり着いた。
 碑林博物館は、孔廟の建物を利用して1944年に建てられた。碑石や墓誌、石刻像など11000点あまりを収蔵する。
【碑林内碑亭】

 亭の中に「大秦景教流行中国碑」がある。

【石碑が林のように立つ】

 空海に関係する石碑はないようだが、空海の師匠である恵果の師匠、不空和尚の一生を記した不空和尚碑がある。
 碑林の中で、パンパンという音が聞こえ、何かと思ったら石碑の拓本を取る音だった。至る所で拓本が取られていた。


【馬止め】

 明清時代に建物の門前に建てられ、家畜などをつなぎ止めるために用いた石柱。柱の上部に動物や人物が彫刻されている。


 碑林を出て、列車の時間まで城内を散策する。繁華街で不意に声をかけられるときは、決まって「兵馬俑?」と言ってくる。彼らは旅行者と見るや声をかけて観光地への車を手配するのだろうが、それで客がつかまるのだろうか。
 西安駅に近いおみやげ屋を覗くと、先日買ったものと全く同じ兵馬俑の詰め合わせセットが置いてあった。いくらだろうと価格表示を見ると、何と5元という激安ではないか(その店にとっては激安でも何でもなく、普通の値段なのだろう)。一昨日は20元で買ってちょっと得した気分だったのに、あらためて観光地で土産物は買うべきではないと思い知らされた。
 西安は餃子も有名だが、解放路餃子館という店がよく日本のテレビや雑誌で紹介されている。駅に近いところにあるのでちょっとのぞいてみようと地図の場所まで行ってみた。すると、店は閉まっていて営業していない。ガラス戸の張り紙を見ると、改装のため移転しているようだった。50mほど離れた別の路にいってみるとそこで営業していた。今回は一人なので入るのには気が引けたが、次回はここの餃子を食べてみたいものだ。

 日が落ちかかった頃、西安駅に到着。荷物も無事に回収した。これから北京行きの寝台列車Z20に乗るのだ。駅舎の中に入り、電子掲示板で、北京行きZ20の待合室を探した。しかしZ20をいくら探してもその表示がなかった。よく見ると右の方に小さくZ20は軟臥席専用の待合室が用意されているというような表示があった。奥の方に歩いていくとその専用室の入口があった。北京駅とは違い、こちらは入札をして中にはいることができる。待合室の中で待つ人はまだまばらで、西洋人の姿が多い。出発30分前になると待合室も満席になり、奥の扉が開いて乗車開始となった。ホームは待合室の奥の扉の目の前で、自分の車両を探して乗り込む。7号車の7番席というのはなぜか来たときと同じだ。車両も同じものなのだろう。

【参考文献】
高地新聞−http://www.kochinews.co.jp/rensai99/kukasei1.htm

Camera:SONY DSC-U30,CANON EOS 10D

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