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北京から西安へ 4


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〜地下帝国に眠る8000体の大軍団〜

 1974年の春、農民がリンゴ畑の灌漑用の井戸を掘っていたところ、突然地中から兵士の傭の頭が出てきた。その後発掘が続けられ、8000体の兵馬俑が地中に存在することが分かるのである。世界第八の不思議と言われる秦の兵馬俑である。兵馬俑が埋まっていた地下空間は、一号坑、二号坑、三号坑とあり、それぞれ兵馬俑博物館として今なお発掘と展示が行われている。坑は四号坑以降もあるが、まだ公開はされていない。

 秦始皇陵の東1.5kmに秦兵馬俑博物館はある。秦始皇陵から車に乗っている時間はわずかであった。こちらは立派な駐車場が用意されていた。駐車場には巨大な始皇帝の像が立っている。そこから博物館の入口はかなり歩かされる。まずは土産物屋市場のアーケードを通過し、公園のような散歩道を歩く。そしてようやくチケット売り場にたどり着くのである。


【始皇帝像】

 秦兵馬俑博物館の前には高さ18メートルの巨大な始皇帝像が立っている。博物館の入口はここから10分ほど歩く。この時期の入館料は90RMB。12月から2月の冬季は65RMBと安くなる。磁気カード式のチケットだが、出土兵器陳列室入場の際にはパンチで穴を開けていた。

 博物館の中に入場すると、目の前にはいくつかの建物が建っている。どれから入れば良かったのか分からなかったので、まずは右の方から攻めることにした。今思えば正面の一号坑展示庁から入れば良かったのだが、右手の最初の建物は出土兵器陳列室(綜合陳列樓)という、兵馬俑坑出土品の展示室であった。
【銅馬車】

出土兵器陳列室の銅馬車。兵馬俑坑出土の最高傑作と言われている。
日本にも複製品が来ている。

 陳列室には、兵馬俑坑の兵士が持っていた長剣も展示してある。その剣は実際に戦闘で使われる青銅製の本物の長剣だという。青銅で作られた1mほどの長剣は、とても2200年前のものとは思えないほど、光沢があり、劣化している気配もない。このような作られたときの状態で残されている長剣は17本出土しているのである。日本の博物館でよく見かける古墳時代の青銅は、どれも緑青が浮き出て、ボロボロになっているものが少なくない。この秦の青銅剣はクロムメッキが施されているからだという。メッキの技術(電解法)は1937年にドイツで発明されたことになっているので、まさにオーパーツである。面白いのは、その150年後の漢の時代に作られた銅剣はどれも腐食し、原形をとどめていないらしい。秦のテクノロジーは、次の時代に引き継がれなかったようである。
 続いて入った建物は、二号坑展示庁。入ってすぐに、薬品の匂いがツーンと来る。兵馬俑の保護のためだろうか。長くここにいると体に悪そうだ。しかしこの匂いは二号坑だけであった。

【第二号坑】

 機動力部隊、騎馬兵軍団。どの射撃部隊。
 二号坑はまだ発掘途中なのか、倒れた傭や半分土に埋まった傭が多い。前半身が土の中で、お尻だけ出している馬の傭もあった。

 そして、いよいよ一号坑展示庁へ。正面から入って目の前に数千体の兵士が並んでいる姿は圧巻である。テレビや写真で見慣れている光景ではあるが、実際に見るとやはり別格である。数千体は型で大量生産されたものではなく、本当に一人一人が別の顔をしている。まるで実際の兵士が石になったかのようである。
 ところで、以前坑内は撮影禁止だったようだが、このころは撮影が解禁になったようだ。館内には「禁用閃光灯、禁用三角架」との掲示があるので、フラッシュと三脚の使用が禁じられているだけで、写真は自由に撮って良さそうだ。坑内は明るくはないが、ISOを800にして、50mmF1.8レンズを使うとぶれずに撮れた。
 一号坑にはガラスケースに入れられた傭を間近に見ることができる。ひときわ立派な将軍傭は、身長2m、体重250kgの堂々たるもので、顔や指先まで細かいディテールが丁寧に作られているのが分かる。
 兵馬俑には作者の名前が彫られている。これまでに87人の名前が確認されており、名前から中央宮廷の制陶場から来た人や、民間の私営制陶場から連れてこられた人がいたことが分かるそうだ。87人の技術者がそれぞれ弟子や見習いを使っていたことを考えると、およそ1000人の職人が兵馬俑の制作に携わっていたことになる。

【第一号坑】

 8台の戦車を率いる大歩兵軍団。
 5mに掘られた地下坑道に、武装した兵馬俑が38列、6,000体が整列している。

【ひとりひとり顔が違う】

 6000体もの兵馬俑のひとりひとりの顔や髪型、着ている服のシワのより方など全て異なる。それぞれ実際のモデルがいたのだろうか。

【第三号坑】

 第三号坑は一番小さい。戦時外交を司る68体の儀仗兵の傭集団である。

 最後に環幕映画院という建物に入る。ここは映画館で、売店もある。その一画に人が集まっているところがあり、じいさんが写真集にせっせとサインを書いていた。兵馬俑を発見したじいさんのひとりだろうか。秦始皇陵の売店にも別のじいさんがいた。
 映画館は、随時入場可能で、椅子が無く立ってみるようになっている。360度の円形のスクリーンには、ちょうどたくさんの職人が兵馬俑を作っているところや、項羽の軍隊が兵馬俑坑の中に押し入り、傭を破壊したり焼いているところが写されていた。

 兵馬俑坑では1時間半ほど見学したが、まだゆっくり見ても良いほどである。チャーター軽バンとの約束の時間があるので、外に出た。博物館の敷地の外では土産物屋が待ちかまえており、小箱に入った兵馬俑の詰め合わせを売ろうと寄ってくる。中国の観光地のお土産は、実売価格の10倍はふっかけてくるのが相場であるが、その詰め合わせは10RMBだという。なんだ安いなと思いつつ、10RMBを払ってその箱をもらおうとした。するとその男は、別の小箱を開けて、こっちはどうかと言いだした。そちらは金色の兵馬俑であった。それは要らないので、さっきのをよこせと言ったら、何もくれずにその場を去ろうとした。その男をつかまえて、金は払ったのだから早くよこせと言うと、今度は5体の詰め合わせの1体が10RMBだと言い出した。それからしばらく押し問答が続いた。周りの土産物屋も寄ってきて、なんだかしゃべっているがよく分からない。どちらに味方しているのだろうか。結局、更に10RMBを払って5体の兵馬俑を獲得した。合計で300円ほどになったが日本の感覚では激安である。まあ事件もあったが良い買い物であったと満足した。しかしその二日後、西安駅前通りを歩いていると、土産物屋の店頭にその兵馬俑の詰め合わせ小箱が山積みになっており、衝撃の値札が付いていた。それはなんと、5RMBであった。

【参考文献】
鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』
秦始皇陵兵馬俑博物館ホームページ−http://www.bmy.com.cn/

Camera:SONY DSC-U30,CANON EOS 10D

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