トップ  NOW and THEN!わたなべゆたか のホームページへようこそ!
はじめに 映画 月記 エッセイ 小説 モノマネ リンク 岸田秀DVD特設ページ
bar bar bar bar bar bar bar bar
岸田秀最終講義DVD本
これまでの随筆のリスト
−ショッピング−
■このエッセイでも取り上げた「昭和の三傑」がAmazon.co.jpにて好評発売中。
−ショッピング−
■渡辺豊が撮影編集を担当した岸田秀最終講義のDVDがAmazon.co.jpにて好評発売中です。
憲法改正論議 ■2005年12月01日執筆
■ここ最近の憲法改正に関する論議について
  ■ 第9条の効用
  憲法改正の論議が活発になりつつある。自民党は新憲法の草案を提示し、民主党も「創憲」を掲げ、現憲法改正について否定的ではない。

  制定から60年近く経って改正が皆無なのは日本国憲法くらいだし、第9条と自衛隊のギャップも目立ってきている。なによりGHQから押し付けられたという、そもそもの出発点が問題である。
  大方の人たちもそのあたりを鑑み、改正を論議しているのであろう。あとは内容を煮詰めるだけで、もはや改正は必至という雰囲気すら感じる。未だに護憲を唱えている共産党と社民党は時代遅れと言わざるを得ない。

  と、思っていた時期も僕にはある。

  しかし最近になって、どうやら憲法は改正しないほうが得策なのではないかと、そんなふうに思うようになってきた。

  よくよく考えてみると、確かに、戦後の日本は第9条によって戦争に引き込まれることは一度もなく、国交戦における戦死者はゼロである。もしここで、例えば集団的自衛権を認める方向で9条を改正し、他国民族との戦争に巻き込まれるようになったら、自衛隊員の戦死のニュースが日常的になってしまうのかもしれない。

  ほとんどその自覚はないが、なにげに我々日本人は憲法第9条の恩恵を多大に受けているのではないか。自国民の戦死者はゼロ、他国民へ与えた被害もゼロという状況は、これだけ日々戦争のニュースが流れる今日においては、かなり稀である。

  ■ 「押し付け」という成立過程 TOPへ
  しかも、逆にGHQから押し付けられたという格好が実に好都合である。

  勝手に自分たちで戦争放棄の憲法をつくり、それによって言い逃れをしているのであれば、そりゃズルいよと他国からも責められようが、なにも日本人は好き好んで戦争を放棄しているわけではない。あのアメリカがそうしなさいと言ってきたからそうしているだけである。本来であれば多国籍軍の作戦に参加してバンバン銃をぶっ放し、武力で国際貢献したいところなのである。貢献しようにもあのアメリカが戦争するなと言ってきたもんだから、しぶしぶ人道支援で我慢しているのだ。誰があのアメリカに逆らえようか。

  この幸運な状況を手放す手はない。

  最近では、戦争放棄を押し付けてきたアメリカ本人が、今度はまったく逆のこと、つまり交戦権を行使できるようにと、具体的には集団的自衛権を行使できるようにと働きかけている。冷戦が終結して今度はテロという新たな脅威が出現しはじめるなど、大きく国際情勢が変わってきたことを受けてのことだと思うが、そんなことでこの好状況を逃してはあまりにももったいない。国益のためなら多少のエゴは当然であり、何度もくどいようだが、そもそもそう仕向けたのはアメリカ本人なのだから、もっとこの「押し付け」という成立過程を戦略的に生かすべきである。

  ■ 一億総茶番 TOPへ
  ひとつ気になるのは、日本の安全保障はアメリカ抜きではありえないということである。

  戦争放棄を押し付けられたことをいいことに一切の戦争に荷担せず、それによってアメリカに愛想を尽かされた場合、日本はアメリカという抑止力を失って、非常に無防備な状態になってしまう。核を持たない日本は自力による防衛がまず不可能だから、アメリカの後ろ盾は絶対に必要である。

  戦争を放棄しつづけ、なおかつアメリカによる安全保障はしっかり獲得しておく、そんな都合のいい方法は得られないものか。

  ひとつだけある。「一億総茶番」である。

  それにおいて、現在にわかに高まっている改憲論議は非常に好都合である。改憲するか否かの論争から脱却し、改憲することを前提に内容に踏み込んで論議していることも好ましい。
  そうやって政府や各党で議論し尽くし、各種法律もきちんと整える。そして、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で発議まで持ち込んでしまう。つまり、日本政府は本気で憲法を改正するつもりなんですよ、ということをアメリカに印象付けさせる。

  そして、最後の国民投票で否決する。

  アメリカに対する日本政府の言い訳としては、日本国民のアメリカ信仰、アメリカ崇拝を利用する。
  日本政府は改憲の努力をしたんだト、9条も改正できて戦争に参加できるはずだったんだト、しかし未だに日本国民はアメリカ様から賜った憲法をことのほか大事に思っており、新憲法制定はもちろんのこと、改憲すら失礼に当たるト、そう国民は思い込んでいるのだと説明する。

  事実、日本人は少なからず(脅迫的に)アメリカを崇拝しており、なおかつ、これまた幸いなことに、その信仰を植え付けてきたのは黒舟以来のアメリカ本人なのであって、アメリカ自身もその状況を当たり前のことと思ってきたのだから、この状況も使わない手はない。

  政府レベルではアメリカに改憲の努力を見せており、一方の国民レベルにおいてはアメリカ崇拝を示しているので、いずれもアメリカに対してなんら無礼にならない。また、アメリカの自業自得という要素もあるので、やや小気味がいい。あとは内閣が引責総辞職し、うやむやにして終わりである。現行憲法はそのまま維持され、現在と同じような曖昧微妙な状態を続けられるであろう。

  余談ながら言っておくと、僕は護憲絶対主義者ではない。必要があれば改憲しても構わないと思っている。単に今はその時機ではないと思うだけである。かつて世界の覇者であったイギリスが、今は欧州の一国に成り下がってしまったように、いずれアメリカも弱体化し、番犬の役割を終えるときが来よう。そのときまでずるずると今の関係を続けていればいい。

  ■ タヌキ親父 TOPへ
  最後に本の紹介。

  堤尭著『昭和の三傑 憲法九条は「救国のトリック」だった』(集英社インターナショナル)という本が面白い。

  これまで述べてきたように、日本国憲法、特に第9条について、GHQから押し付けられたという偶然の成立過程をもっと生かすべきだと僕は思っているわけだが、この本によると、それは偶然でもなんでもなく、むしろ昭和の先人たちが意図的に仕掛けたトリックだったというのである。まさに、戦争放棄をアメリカから押し付けられた格好にすれば、それを盾に戦渦に巻き込まれることはそうあるまいとする、先人の意図的な働きがあったというのだ。

  偶発的な「押し付け」と思いきや、実は意図的に仕向けられたタヌキ親父たちの知恵だったというわけで、非常に面白い説であった。一読の価値あり。

  多神教的な日本が一神教のアメリカにかなうはずなく、仮に一神教を模して一神教ような国をつくったところで、それは太平洋戦争を見ても明らかであるように、根っからの一神教国家に勝てるわけなく、こてんぱに打ちのめされるのが関の山である。今後はその一神教国家アメリカとどう折り合いを付けて行くかが課題であると最近の岸田秀の著書でも述べられている。

  僕が考えるに日本は、先述のようなタヌキ親父の振る舞いで各種難所を切り抜けられるのではないかと思っている。いや、それしか手はないのではないかとすら感じている。
  あえて自らGHQに日本の戦争放棄を提起し、感動すら覚えつつマッカーサーはそれを草案に組み込んで、気付いてみれば日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも荷担せずに切り抜けてきたように、古来からのタヌキ親父振りを最大限発揮して、心の奥底でしめしめとほくそ笑んでいればいいのではあるまいか。

  今回の改憲論議でも遺憾なくタヌキ親父振りを発揮し、壮大な茶番劇を繰り広げて修羅場を切り抜けられればと思う次第である。

TOPへ

ポスト ご意見・ご感想など、お気軽にお寄せください。
ご意見・ご感想フォーム
NOW and THEN!「エッセイ」の訪問者数(since:2005/04/01)
copyright(c) YutakaWatanabe 2005 All rights reserved