| ■ 08月08日(月) 「確かな野党が必要です」 |
|
郵政民営化法案について、勉強不足ゆえその是非はまったく分からないのだけれど、読売新聞の社説を読んでみると、どうやらこれはなんとしてでも可決しなければならない案件らしい。やはり330兆円もの巨額の資金を「官」が温存することはよくなく、今回の法案は可決されるべきだという。
反対意見も知りたいと思って朝日新聞を見てみると、なんとこれも(奇跡的に)ほぼ同意見。それならばと思って毎日新聞を見てみると、(ここまでくると本当に奇跡的に)大筋同意見。やはり郵政はなんとかしなければならないらしく、そしてなんとかしようとはじめて乗り出したのが小泉首相で、法案について問題はなくはないのだけれど、それでもここで一歩前進させなければならないらしい。
結果として法案は否決され、衆議院は解散となった。マスコミ各社の論調からいくと、次の選挙では、自民分裂、民主単独政権誕生といったニュアンスが強いのだが、これは、小泉長期政権に特に大きな動きがないために出てきた、マスコミ各社の希望的観測、煽動に思える。
自民党が下野して民主党が政権をとるなんて、とてもじゃないけどイメージできない。僕にとっての民主党は、(あくまで現段階においてだけれど)自民党に危機感を持ってもらわなければならないときに投票する、ただそれだけの政党である。政権奪取を唱えながらも野党に甘んじている感がどうしても拭えない。「確かな野党が必要です」と、野党であることを前面に押し出してしまった日本共産党のほうがよっぽど好感を覚える(このスローガンはかなりの名文句だ)。
なにげに自民党は圧勝するのではないか。多くの人々は、よく分からないながらも構造改革は必要だと思っているのだけれど、小泉首相もいれば抵抗勢力もいるという自民党にどうして投票できようかと、釈然としないままでいるのではないかと思われる。
そして今回の選挙では、いわゆる造反組は公認されないらしく、とりあえずは小泉改革推進派たちの候補者ばかりになるらしい。そうして自民党に投じやすい環境がつくられたならば、特定団体の組織票だとか公明党の支持母体の動きだとか、そういった政治的な裏事情はまったく分からないけれど、それら以外に僕と同じような「よくわからない」層が半数以上もいるわけで、その人たちがどっと投票する可能性があると思われるのだ。
そもそも、今回の「造反組」は本心からこの法案に反対だったのだろうか。否決されたのにあの苦笑いはなんなのか。実のところ、今回の否決はその人たちにとって望んだ結果ではなかったのではないか。
これについてはやや想像がつく。例えば、職場でも学校でも、なんらかのグループで遊びにいくことになったとする。本当であればその人たちだけで行きたいのだけれど、そこにはもうひとり、日ごろ友好的ではないAさんがいる。毎日一緒に活動している手前、Aさんを誘わないわけにはいかない。しかし、Aさんが来れば気を使って楽しめないことは明らかである。そこで彼らは大きな賭けに出たわけである。Aさんを誘うは誘う。しかし、察したAさんは誘いを断るだろうという、Aさんへの義理を果たしつつ、当日は内輪だけで楽しめるという計算だ。
「ねぇねぇ、明日Aさんも来なよ!」
「でも明日は用事があるから…」
「(よし! でもまだ足りんな)なんでなんで? たまにはいいじゃん!」
「でも…」
「(もういいだろう)本当? なんだか残念だなぁ」
「…」
「…」
「じゃ、たまには行こうかな」
「(ガーン!!)本当!? みんなよろこぶよ!(やっちまった…)」
このときの苦笑いなのである。地元の選挙民の手前、反対はする。ただし、本当に否決されて党を追われたり、衆院議員からにらまれたりはしたくない。そこで、義理は果たしつつも法案は僅差で可決され、それによって責任はそれほど問われないという、そんな一挙両得なところを狙っていたのではないか。亀井さんの表情だって、よっぽど衆院での可決のときのほうが晴れやかであった。
いずれにしても衆議院は解散となった。それが意図的なのかは不明だが、国民に助けを求める格好の今回の小泉首相の解散は戦略的にうまかったと思う。人間は自分の存在価値を認められると気持ちがいいものである。それが自民党の得票に結びつくかは分からないけれど、さらに国民に呼びかけ、さらに分かりやすい選挙にすれば、少なくても投票率は上がるのではないか。
ひとつ分からない点を挙げるならば、それは、衆議院のメンバーは変わったとしても参議院の顔ぶれは一切変わらないということである。衆院選の結果次第で参院の考えも変わるはずとのことだが、それはあくまで希望的憶測なわけで、極端な話、自民党が全議席獲得し、民意は限りなく小泉支持という結果になったとしても、参院で可決される保証はまったくないのだ。さすがに「良識の府」を発揮してくれるのだろうか。二院制の問題を浮き彫りにした解散でもある。
前の日記にも書いたけれど、選挙というものは、素人集団の投票ながら意外とそれなりの結果を出すものである。どこに投票するにせよ、ぜひとも参加したいものである。
|
| ■ 08月15日(月) 「余裕のコマネチ」 |
TOPへ |
|
|
参議院での採決前までは、なんやかんやで郵政関連法案は通るのだろうト、一般庶民には分かりかねる裏取引とかで結局は可決されるようになっているのだろうト、そんなふうに思っていた。
また、新聞各紙や好きな評論家たちが法案賛成を唱えているから、というレベルではあるけれど、僕も郵政改革は必要なんだと思っていた。
しかし、前々日あたりから法案成立の雲行きは怪しくなり、否決の可能性が出てきた。するとどうしたことか、僕の賛成の感情は一人歩きしはじめ、採決直前には祈りにも似た気持ちが生じ、その日は仕事が休みということもあって、一日中テレビに釘付けになった。僕は無類の選挙好きだが、今回ばかりはいつもと違って、否決されて解散総選挙になるよりも、無事法案が成立することを本気で望んだ。
そして法案は否決、その日に衆議院は解散となった。
しかしながら、あの小泉首相の会見である。既得権益を省みず、国民のためにと思って進めてきた法案が否決されたト、こうなったらあとは国民の助けだけであるト、それでもNOであれば潔く退陣しようト、そう訴えたのである。小泉首相は国民に救いを求めたのである。当然主観的には僕に救いを求めたことになっている。
こうなりゃあもう自民党しかない、非力な一票だけど投じさせていただこうじゃないかと、そんな気持ちにもなる。それまでは本当に、総選挙になれば自民は分裂、岡田政権誕生の見出しがスポーツ各誌によく踊っていたのである。そうなったらマズいと思い、希望を含めて前回の日記も書いた。
そしていざフタを開けてみると、どうやら同じようなことは国民も自民党も考えていたようで、内閣支持率はアップし、自民党も「刺客」を擁立して分かりやすいほど分かりやすい図式を打ち出してきた。マスコミも自民党(とその反対派)ばかりをクローズアップして、自民勝利の機運が生じてきている。
こうなってくると、手のひらを返すようでナンだが、無性に逆のことを言いたくなってくる。自民が勝って郵政法案を成立させて他の改革も推し進めていただくことには今でも期待はしているけれど、あえて自民の敗北予想要因を挙げてみる。
このまま自民党が順調に事を進めると、あの小泉首相は絶対に図に乗る。図に乗ると絶対に機運は逃げていく。下記に述べる中学時分に目の当たりにした僕の経験がいい例。
僕は卓球部に所属していて、その日は県大会の予選だった。部長だったM君は順調に勝ち進み、最後はみんなで彼の応援にまわった。その試合も彼は順調に得点していき、勝利の機運は彼にあった。
しかし、後半のある時点から、彼は、図に乗りはじめてしまったのである。得点のたびに部員たちに向かって「余裕のコマネチ」をやりはじめてしまったのだ。部員たちは盛り上がったが、同時にイヤな予感もしていた。
そして予感は的中。あれよあれよと彼は失点していき、ついには同点。「余裕のコマネチ」をやめても相手の勢いは衰えず、ついには敗北したのであった。「余裕のコマネチ」から「焦りの真顔」への露骨な移行は今でも忘れられない。
選挙民に選択の余地を与えるという意味において、いわゆる刺客を送り込むまでは構わないと思う。しかしながら、図に乗ってそれ以上の強硬手段に出るのは絶対に禁物である。
日本人には心のどこかに「和」を求める気持ちが少なからずあり、石原慎太郎や安部晋三を押さえて小泉純一郎が総理にふさわしい人物に選ばれるのも、ほかの二人が小泉と比べて強硬的であるからであって、そのへんを国民は分かっているのである。一国の総理が強硬的ではマズいのである。ここで小泉までがより強硬的な路線に走れば、最後の頼みの綱である国民までにもそっぽを向かれてしまう可能性がある。ぎりぎりまで、せいぜい「刺客」のサプライズぐらいに留めておくべきである。よく反対派が「総理はもっと謙虚に」とコメントしており、これまでは敗者のたわ言に聞こえていたが、場合によっては現実的な忠告になってくる場合もある。こういう解散だから国民の許容範囲を読み取るのは難しいけれど、反対派に対して多少寛大なところを見せるのも、さらなる支持率アップのひとつの手かもしれない。どうもあのときの「イヤな予感」がしてならない。
ところで民主党はいったいなにをやっているのか。郵政民営化の賛成反対の構図に飲み込まれてあまりにも存在感がない。
ここでひとつ提案をしたいのだが、今回の選挙が郵政が争点になってしまったことは確かであり、今からこれを壊すのは難しい。あとは、小泉首相のつくり上げた「賛成vs反対」の図式をぶち壊すほかない。このままでは小泉首相の手のひらの上で戦うことになる。
どうすればいいか? 郵政法案に賛成するのである。今さら中途半端な改革案を出すのではなくて、もう全面的に賛成してしまうのである。一気に図式は崩れ、極度に分かりにくい選挙になる。いっそのこと共産も社民も賛成してしまえばいい。郵政は完全に争点から外される。あの図式から脱却するにはこれしかない。マスコミも注目して存在感も断然増すであろう。イチかバチかである。たぶんバチだけど。
いずれにしても、少なくても「自民党に危機感を持ってもらわなければならないときの一票」の可能性は生じてきていると思う。あとはそれを「真に政権獲得を願う一票」に変えていくようがんばってほしいものである。「確かな野党」を決め込んだ共産党にもがんばってほしい(これで政権を取っちゃったらどうするんだろう?)。あと社民もがんばってね。最後になって恐縮だけど「その他」もね。
なんやかんやで「無類の選挙好き」のほうが優勢になってきちゃったな。
|
| ■ 08月31日(水) 「ひとり百票の精神」 |
TOPへ |
|
|
昨日、衆院選が公示された。自分の選挙区の立候補者も具体的に分かった。政党の内訳は、民主、共産、自民、無所属(より1人ずつ)であった。
これまで述べてきたとおり、郵政の民営化は必要なんだと(なんとなく)僕は思っており、投票に際しても自民党にすべしと決め込んでいたのだが、ここにきて問題が発生した。すなわち、自民党の候補者がまったく知らない人物なのである。
名前も知らないし顔にも見覚えがない。県議会議員出身でもないし市議会議員出身でもない。いわんや国会議員出身でもない。ホームページを探しても見つからない。新聞に小さく載っている「新人・元会社員」との情報しか分からないのだ。
いっぽう民主党の候補は、全国的に知名度のある人で、代表質問などで政府に詰め寄る姿をテレビでよく見掛けるし、街頭演説などでナマの姿もよく見ている。それなりのホームページも用意されている。
誰でもはじめは新人であり、知名度もなければ肩書きもないのは仕方ないけれども、それならそれでホームページくらいは持ってほしいものである。郵政賛成の自民公認候補ではあるけれど、多少はその人柄を知った上で投じたいものである。郵政反対の立場であるこそすれ、民主候補は活発に議員活動をしていたという歴然とした事実があり、テレビを通してなんとなく人柄も分かっている。個人を抜きにして自民公認という理由だけで本当にその候補に投じていいものかと、ちょっとばかり迷ってしまう。
まぁ現在の選挙制度は小選挙区と比例代表の並立制であり、今回の場合でいけば、小選挙区で民主候補、比例代表で自民という、先ほどのジレンマをすっきり解決させた投じ方もできなくはない。
そう考えてみると、こういった配分投票をもっと活用した選挙制度があってもいいのではないかと思えてくる。
熱烈な支持者以外は、たいてい僕と同じようにどこに投じるかで迷い、一党に絞りきれないでいる場合がほとんどのはずだ。自民にも民主にも一理ある、共産や社民などの歯止め役もある程度は必要だろうなどと、きっと個人個人でさまざまな思惑があるはずである。
それをたった1票に集約させるのはいささか乱暴に思える。正確には小選挙区と比例代表で2票あるわけだが、それでも少なすぎる。ある個人の心境において、自民を支持する気持ちが70%、民主へのそれが30%あるとしても、それぞれに1票ずつ投じれば結果として各政党50%ずつ支持したことになってしまい、四捨五入して自民に2票を投じれば100%自民を支持したことになってしまう。
現行の選挙制度で毎回不安になるのは、例えば、自民党政権が妥当と思っていても、今回は自民に多少の危機感を持ってもらおうと、そういう意味において民主党に投票する場合である。
可能性の問題になってくるが、ここで同じように考える人が大多数を占めてしまった場合、「本来は自民党政権が妥当だけれど」という大多数の裏の意向が吹っ飛び、自民が下野して民主が政権を取ることになるのだ。ここで仮にひとり10票持っているとすれば、例えば自民に6票、民主に4票というように、「自民党政権を望むけど危機感は持ってもらいたい」という、その人の意思に限りなく似た形で票を投じることができる。
ひとり100票持っていればもっと細かく反映できる。票が100倍になって集計がとんでもないことになりそうだが、電子投票が普及すればなんら問題ではない。
また、二大政党化が進んで小政党が埋没していく中、個人がこれだけの票を持っていればそれらの小政党に分配される票も出てくるはずで、大政党に有利といわれる現行制度が改められる可能性もある。もっとも小選挙区では1人しか当選できないので残りは死票となってしまうが、それでも納得して投票できるし、先述の逆転の結果の可能性も小さくなる。
不思議なことに、例えひとり1票でも、それが大多数集まるとあたかも一個人の意思のような結果になると前回の参院選のときに書いた。
例えば、自民に危機感を持ってもらいたいという風潮のときには、ひとり1票(個人の多様な意思をひとつの党に無理矢理集約させた1票)しか持たされていないとしても、なぜかそれらが大多数集まると、自民55%、民主45%というように、あたかも「自民に危機感を持ってもらいたい」という一個人の意思であるかのような結果が出るのである。
事実民主党は、そのときの参院選でかなり躍進はしたのだけれど、それは真に民主党政権を願っての得票ではなく、自民党に危機感を持ってもらうための得票だったと自己分析している(このへんの自己欺瞞のない分析はさすがである)。
これはこれで僕の持論ではあるのだけれど、それはただ単に結果に後付けしているだけとの指摘もあり、現在においては先ほどのひとり100票がいいんじゃないかと思っている。
■ 追 伸 ■
この日記は外出先で書いたのだが、なんとその帰りに、先ほどの自民党候補の街頭演説に出くわした。この偶然にはびっくりした。数時間前に「人柄を知った上で投票」なんて書いた手前、聞いていくことにした。
間が悪く演説はすでに終盤に差し掛かっていたのだが、それでも人柄のようなものは感じることができたような気がする。あくまで僕の主観だけれど、以下感じたことを書いてみる。
やはり政治の世界にはじめて足を踏み入れる新人さんのようで、ぎこちなさを感じる。知名度もないらしく、あれだけ人通りがあるのに聴衆は僕だけで(その僕も待ち合わせを装っていたので、見た目には聴衆ゼロに思えた)、水がザルを抜けるかのごとく、みんな早足で目の前をどんどん通り抜けていく。演説後、候補はその人々を捕まえて握手を求めるのだが、ほとんどが無視で、たまに握手できてもそれは反射的に手が出てしまったという感じである。選挙のベテラン、今回の参謀らしきおっさんも近くにいなくはないんだけれど、なにかの打ち合わせに入っていて候補を盛り立てる様子が微塵もない。今にも泣き出しそうに見えなくもなく、なんだかとても気の毒に思えた。はじめてスタッフを募い、自分が中心となって動いていかなければならないのに、いざスタートしてみると思いのほか自分に求心力がないことが発覚して愕然とし、それでもスタートした以上動かしていかねばならず、今にも泣き出しそうな自主制作映画の監督を連想させられる。僕はどれだけそういう思いをしてきたことか。
そういう人が国会議員にふさわしいのかは分からないけれど、歳が近いこともあり、なんとなく応援したい気持ちにはなった。
最後に、該当候補のホームページが存在しているのか確認しなければと思い、女性スタッフのもとにチラシをもらいに行く(かなり感謝された)。
どうやらホームページは存在するようである。URLが載っていました。開設されたばかりなのか、ヤフーでヒットしなかっただけのようです。
ところで、ヤフーで上位に検出される条件ってなに? アクセス数? 最近知ったのだけれど、「確かな野党が必要です」ってキーワードで検索すると、共産党公式ページの次あたりにこのページが表示されてしまうらしい。たいしたアクセス数じゃないのにどうしてであろうか。できればもっと目立たないように下位に表示してほしい。共産党のみなさんも応援してます(/^o^)/
|
| ■ 09月16日(金) 「やっぱり選挙が好き」 |
TOPへ |
|
|
結果として自民党の圧勝となった。勝因はやはり先月の日記のとおりであろう。多くの人々は、なんとなく改革は必要だと思っているのだけれど、自民には抵抗勢力という矛盾が存在し、自信を持って投票できないでいたところ、今回はそれが見事に「純」化され、地滑りのように自民党に流れ込んだのであろう。
こうなったからには、小泉首相には格段の手腕を発揮してもらい、郵政改革はもちろんのこと、年金改革や税制改革など、これまでできなかった様々な改革を一気に押し進めてもらいたいものである。
選挙中は「刺客」のサプライズ人事以上のことはやらなかったし、大勝後も総裁任期の厳守を明言しているし、今のところ目立った「余裕のコマネチ」は見受けられない。図に乗って機運を逃さないよう、このまま慎重に、かつ大胆に改革を進めていってほしいものである。
民主党は、惨敗はしてしまったけれども、それはそれとして、共産党のキャッチフレーズじゃないけれど、確かな野党としてこれまで以上に自民党を監視してもらいたい。相手は絶対安定多数だけれども、こういった状態だからこそ、しっかり批判し続けてほしいものである。
今後はおそらく憲法改正の動きが加速するであろう。憲法は戦略的に改正しないほうが得策だと僕は思っており、共産党と社民党は護憲の立場からしっかり自民党を監視してもらいたい。憲法については別の日の日記で書きたいと思っている。
続いて、僕個人に関する投票までの日々について。
先月の日記で書いた自民党の新人候補は、その後連日のように同じ駅で活動しており、僕に関してはのべ3回も握手させられた。自民党公認という理由だけで見ず知らずの候補に投票していいものかとその日記でも書いたが、こうして毎日のように見掛けていると、いつしか親近感が沸いてきて、投票への抵抗感がなくなってくるから不思議だ。ミニ集会だとか街頭演説とか、それらの選挙活動にどれだけ意味があるのかとこれまでは疑問に思っていたのだが、こういう効果を狙ってのことだったのか。
一方、民主党の有名候補については、握手どころか一回も見掛けることがなく、疎外に似た感情が起きはじめていた。しかし、彼が有名であることは確かであり(岡田代表が辞任を表明した現在、後継候補にも名前が上がっている)、投票の価値はあるにはある。
そんなこんなで、今回はけっこう悩んだ。前回書いたように、小選挙区と比例区に分けて投じることも考えた。自民か民主か、はたまた共産、無所属か。
あえてその結果は書かないけれど、それでも開票のほうは非常に面白い結果となった。すなわち、自民が128,890票、民主が129,834票と、その差944票、惜敗率99.2%と、大接戦になったのだ。
開票結果があたかも個人の心境に見えることがあると前回書いたが、今回はその好例といえよう。あくまで僕個人に限った話だけれど、まさに自民か民主か、身近な新人か無愛想なベテランか、フィフティ・フィフティで迷っていたところ、開票結果についても見事にフィフティ・フィフティとなり、その結果にちょっとした驚きを覚えた次第である。
結果として民主候補が勝ち、自民候補は比例で復活した。民主が勝った県内唯一の選挙区である(選挙区バレバレだな)。いずれの候補もがんばってほしいものである。
最後に、小泉首相も見た。選挙期間最終日、なぜか首相は千葉市を中心に遊説しており、偶然僕も千葉市内にいたので、聞いていくことにした。
1時間前に着いてしまい、しばらくパチってから戻ると、今度は尋常でない人だかりができている。まるで通勤電車のごとくギュウギュウ状態であり、すさまじい熱気を発している。聞くところによると、1万数千人が集まっているとのこと。あきらめようとも思ったのだが、せっかくのチャンスであり、元来のミーハー精神も相まって、その群集に割って入ることにした。日は暮れはじめていたものの、熱気と湿気と臭気で今にも倒れそうな状態で、それでも僕はまだ長身なほうだからいいけれど、母親に抱かれて群集に埋もれている幼児なんかは、そのうち死ぬんじゃないかと思った。
それで思い出したのだけれど、先日両親がパチンコに行っている間に自宅が火事になり、子供2人が焼死した事件があった。その子供のひとりが真鈴(マリン)ちゃんとの名前で、おそらくあの人気パチンコ機のキャラクターから名付けられたのだと思うんだけど、親よりそんな名前を付けられ、挙句にパチンコの犠牲になったのだとすれば、僕もかなりのパチンコ好きだけれど、果てしなく気持ちが沈んでしまう。
閑話休題。
30分遅れて総理は到着。それまで帰る人はほとんどおらず、総理が選挙カーの上に現れたときには大きな歓声があがる。おそらく渋滞で遅れたんだろうけど、定刻どおりで現れるよりも、遅れて聴衆の不安がマックスになったときのほうが、その喜びや衝撃はより効果的なのだと思った。意図的か?
多くの人々はとかく正面を向いて演説しがちで、事実、該当の候補もそれまで正面を向いて喋っていたのだが、聴衆は360度選挙カーを取り囲んでいるわけで、これだと、正面以外の人々は、いわば面白くない。人間は自分の存在に気を掛けてくれないことが一番腹立たしく、つまらないわけで、電車内での女の化粧が腹立たしいのは、それが本来プライベートな空間でしなければならない行為であり、それを公共の場で堂々と繰り広げるということは、その公共の場をあたかもプライベートな空間と見なしているからであり、つまりは、プライベートゆえに周囲の人間は存在しないものと見なしての行為となるからである。化粧それ自体は、周囲にとって痛くも痒くもない行為なのだ。
一方、さすがは小泉首相。もう360度に渡るすべての聴衆に気を使い、「なにやってるんだ」と言わんばかりに候補者にも促し、近い人から遠くの人まで、とにかく手を振る。予期していなかった「裏っ側の人」や「遠くの人」は大喜びである。やや「選挙馴れ」を感じさせないでもなかったが、それでもこういう気遣いは大切であろう。
政治はマツリゴトとはよく言ったもので、たいへんエキサイティングな日々であった。
|
|
|