志水一夫『トンデモ・ノストラダムス解剖学』へのツッコミ

 

【はじめに】

 

 当サイトでは五島勉氏の大ベストセラー『ノストラダムスの大予言』シリーズのおかしなところに突っ込みを入れまくっている(こちらを参照)。いわゆるトンデモさんの著作に誤りが多いのは、もはや言うまでもないことであろう。しかし、だからといって、それを批判していた懐疑的なスタンスの著書にある情報が、信頼性が高いものばかりとは限らない。

 

 そこで、ここでは懐疑派側の文献として、志水一夫氏の『トンデモ・ノストラダムス解剖学』(データハウス、1998年)を主にとりあげることとしたい。この文献は御本人が自サイトで「急拵え」と認めておられたものであるが、今でもインターネット上では有益な情報源としてしばしば言及されているのを目にする。トンデモさんの批判や検証はあっても「トンデモさん批判」に対する実証的な検証はそれほど多くないので、当時の日本におけるノストラダムス現象を考える上で一定の意味はあるだろう。

 

 なお、私はアンチ「と学会」でもなければアンチ志水一夫でもない。その上で、予め次の5点についてはご理解いただきたい。

1)志水氏の上掲書には、以下で具体的に挙げるとおり、問題点がいくつもある。しかしそれでも、全体としてみた上で、日本人信奉者の書いたあまたの著書に比べれば、まだしも有益なものである。この点は、(特に上掲書を読まないまま、以下をご覧になる方におかれては)誤解なさらないようにご留意いただきたい。また、言うまでもないことだが、信奉者を批判する志水氏の主張におかしなところがあったからといって、信奉者の側が正しいことにはならないし、上掲書にデタラメな部分があったからといって、志水氏の著作が軒並みおかしいということには当然ならない(例えば、信州大助教授の菊池聡氏は、志水氏の『大予言の嘘』を「古典的名著」と評したが、同書の先駆性や情報量を勘案するならば、その評価はなんら過大なものではないと思う。もちろんツッコミどころは色々あるし、以下でも少し扱うが)。

 

2)志水氏の上掲書が出たあと、岩波書店から二冊のノストラダムス研究書が刊行され、日本でも海外の研究動向がいささかなりとも認識されるようになった。当然、志水氏のその後の認識には変化があったものと思われるが、結局、それを公表なさることがないまま20097月にご逝去された。結果として、まとまった形でのノストラダムス論は上掲書が最後なので、それを中心として検証する次第である。

 

3)志水氏の場合、無自覚に情報の欠落を想像で補っていたのではないかと疑いたくなる箇所はあるものの、意図的なインチキは行っていなかったようなので、できるかぎり志水氏が参照しえた文献(つまり1998年までに出されていた文献)を根拠としてツッコミをいれていく。例外的にそれ以降の文献に依拠して批判する場合もあるが、その点はいわば「後出しジャンケン」のようなものであり、志水氏の調査不足や誤りとするにあたらないものなので、差し引いてお読みいただきたい。

 

4)うろ覚えで恐縮だが、この本については、刊行当時、新戦法氏がご自身のサイト「ノストラダムスサロン」内で書評を公開なさっていたと記憶している。当時、私はパソコンの扱いに不慣れだったこともあって、不覚にもページの保存もプリントアウトもしていなかった。ゆえに、以下で扱う内容には重複があるかもしれないし、また、それにもかかわらず新戦法氏の論旨には一切言及をしない、という大変失礼な構成になってしまっている恐れがある。この点はご了承を戴きたい(特に新戦法氏には御海容を乞う次第である)。

 

5)志水氏は生前「実は筆者は、むしろ批判される方が好きなのである。それも、手厳しく正鵠を得たものであればあるほど良い」(『宜保愛子イジメを斬る!!』p.201)とおっしゃっていたので、そのお言葉に甘えさせていただいた次第である。ご本人からの御反論は永遠に叶わないこととなってしまったが、どなたからのものであれ、当方の誤り等の指摘があれば誠実に対応させていただくつもりである。

 

 文中、参考文献は著者名などで略記している(参考文献一覧は最後にある)。志水氏の著書からの引用で文献名を記載していないものは『トンデモ・ノストラダムス解剖学』からの引用である。また、文中では同書を『〜解剖学』と略記している。太字にするなどの強調は注記がない限り、引用者が行ったものである。

 なお、古版本については煩雑になるので、簡略な版名や書誌番号(Bのついている数字)しか掲げていない。書誌番号は当サイトの『予言集書誌』に対応しているので、詳細な情報はそちらを参照していただきたい。

 

 

【本論】

 

ノストラダムスへの姿勢

 

 まず、志水氏のノストラダムスへの姿勢についてとりあげよう。氏は、ノストラダムスへの接し方について、過去に答えたインタビューを引用しつつ、こう述べている(引用文中の強調は私による。以下同じ)。

 

1)ノストラダムスについて、どう思いますか?

 聖書や占星術や古代ギリシャ=ローマのものなど、ヨーロッパのさまざまな予言の伝統を引き継いだ興味深い人だと思います。そういう伝統にほとんどなじみがない日本人には、ちょっと歯が立たない存在のではないでしょうか。

 

 そう言っておいてこんな本を書いていると言うのは、いささか矛盾を感じないでもないが、なあに、こっちだって、所詮は鳥無き里のコウモリで、ただちょっとばかりこちらの方が正直だという程度のことに過ぎないことは判っているつもりである。

 だから専らこちらとしては、海外の研究や常識について述べ、また日本のトンデモ解釈を批判することだけに止めているわけである。(p.129

 

 また、同書執筆動機については次のようにも述べている。

 

 筆者(志水)にはギリシャ語やラテン語や、フランス古語の知識はほとんど皆無だし、大学での本来の専門は日本古代史で、世界史の知識も決して豊かだとは言えない。

 だから、海外、それも主に英語圏の研究をご紹介することはできても、自らノストラダムスの予言詩を"解読"するなどということはとうてい分の過ぎたことである。

 にもかかわらず、このような本まで書いて一言させていただいたのは、あまりにも日本で出ているノストラダムス本が夜郎自大で、傍若無人なデタラメに満ちているのにあきれたからに他ならない。

 こうして本書の脱稿を間近にしてみると、いかに日本では海外のノストラダムス研究が正しく伝えられてこなかったかを実感させられるのである。(p.160

 

 多少なりとも海外の研究動向を伝えようという志水氏の姿勢には大いに共感できる。私がこのサイトを立ち上げたのもそうした動機が一因であるし、この文章を書いているのも同様である。しかし、志水氏の研究動向紹介には、1980年代以降に特に急激な進展を見せたフランス語圏の動向紹介がほとんどない。この点は、ご自身で「主に英語圏の研究」と断っている通りなのだが、だったら読めない言語に何故「フランス語」を加えないのだろうか。わざわざ「フランス古語」などという細分化させた表現を使っているのは、余り「正直」な人の物言いには思えない。

 勿論こんなことは重箱の隅をつついているに過ぎないが、こういう物言いは海外の研究動向に対するミスリードに繋がりうる。事情を知らない人間ならば、志水氏が当然フランス語圏の研究動向も踏まえた上で「しょうもないものばかり」発言(後述)をしたと受け止めかねないからだ。

 そして、より深刻なのは、英語圏の研究すらろくに紹介できていない場面が散見されるということである。順に見ていこう。

 

 

予言詩集の本当の題名は?

 

 志水氏は「序にかえて」として、『諸世紀』が誤訳であることを改めて指摘した上で、五島勉氏が『諸世紀』という訳題について述べた珍釈明を批判している。その際、こんなことを述べている。

 

なお、この予言詩集は、もともと刊行された時の題名を、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』Les Propheties de M. Michael Nostradamus と言ったが、おそらくは単に『予言集』Les Propheties と言っただけでは他にもいろいろな人々の予言集があって紛らわしいというところから(中略)、前記のような理由で『百詩篇集』Les Centuries とか『真実なる百詩篇集』Les Vrayes Centuries いう一種の愛称で呼ばれるようになり、さらには予兆集や6行詩といった100編ずつにはなっていない彼のものとされる他の予言詩類とも合わせて『真実なる百詩篇集およびミシェル・ノストラダムス師の予言集』Les Vrayes Centuries et Les[sic.] Propheties de M. Michael Nostradamus といった題名でも刊行されるようになったものである(この点、筆者が以前書いたものの中には多少ニュアンスの異なるものがあるので、この場で訂正させていただく)。(pp.19-20

 

 わざわざ「この場で訂正させていただく」とまで断っているのだから、当然それなりの調査を踏まえての発言だろうと、誰しも思うのではないだろうか。だが、これはほとんどデタラメなのである。

順に指摘していこう。

 

>もともと刊行された時の題名を、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』Les Propheties de M. Michael Nostradamus と言ったが、

細かい指摘になるが、原題は Les Propheties de M. Michel Nostradamus が正しい。正式なラテン語綴りに近づけようとしたのだろうが、『予言集』古版本の表題で "Michel" "Michael" と綴っているものはない(cf. Chomarat[1989], Benazra[1990])。

 

>前記のような理由で『百詩篇集』Les Centuries とか『真実なる百詩篇集』Les Vrayes Centuries という一種の愛称で呼ばれるようになり、

Les Centuries という通称が16世紀終わり頃に登場したのは事実である。しかし、"Les Vrayes Centuries" は通称ではなく、1649年ルーアン版『予言集』の正式名称である。そして、それ以前に通称として用いられていた形跡は確認できない。たしかに、20世紀になると Les Vrayes Centuries 自体が一部論者の文献で通称のように扱われるようになっているが、これはルーアン版をもとにしたもののはずで、時系列的におかしい。

 

>予兆集や6行詩といった100編ずつにはなっていない彼のものとされる他の予言詩類

六行詩は信奉者でさえニセモノ扱いする者がいる代物だが、逆に予兆詩の真筆性を疑う論者などいない。『百詩篇集』はまるごと贋作だと主張するジャック・アルブロンですら、予兆詩には疑問をさしはさんでいないのである。にもかかわらず、このようにひとまとめにしてしまうのは、原文の正統性に対するミスリーディングになるおそれがあるだろう。

 

>他の予言詩類とも合わせて『真実なる百詩篇集およびミシェル・ノストラダムス師の予言集』Les Vrayes Centuries et Les Propheties de M. Michael Nostradamus といった題名でも刊行されるようになったものである

 まず、こちらも原題がおかしい。正式には "Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamus" である。このメインタイトルを持つ古版本は10種類以上あるが、"et Les Propheties" としている版も "Maistre" "M." と略記している版も "Michel" "Michael" としている版も存在しない(現存していない1669年リヨン版の書誌ですらそうなのである – cf. B81bis)。

 そして、志水氏の書きようだと、あたかも "Les Vrayes Centuries" という通称が出てから、しばらくして題名が変更されたかのように読めるが、"Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamus" という題名が初めて登場したのは、1649年ルーアン版が出た翌年のことである1650年ライデン版)。

 さらに、志水氏の主張だと、1649年ルーアン版と1650年ライデン版でタイトルが変わったのは、予兆集や六行詩が加えられたためだったことになる。ところが、この二つの版の内容はほぼ同じなのである(厳密には後者の第七巻が2篇多い。cf. B64 & B68)。

どちらにも予兆詩や六行詩は含まれており、1649年ルーアン版の刊行者たちは『真実の百詩篇集』というタイトルの本に、予兆詩や六行詩まで放り込むことに何の疑問も感じていなかったことは明らかである。ついでに言うなら、予兆詩や六行詩の初出である1605年版のメインタイトルは、単なる『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』である。このように、古版本は基本的に内容とタイトルに大した関連性がない*

*それを最悪の形で表しているのは17世紀後半のジャン・ウルセルの版である。ここでは、"Les Vrayes Centuries" というタイトルが、予兆詩と六行詩だけを指す言葉として使われている(cf. B93)。これは極端な例であるにせよ、タイトルの厳密さに余り注意が払われていなかったことがよく分かる。

 

 「訂正」するというのなら、もう少しきちんとした書誌的事実を踏まえていただきたかったところである。確かに、1998年当時には英語圏ではこの辺の事情が詳しく分かる文献はなかったと思われる(エドガー・レオニの大著の予言集書誌情報は、1643年版までで止まっていて、1649年ルーアン版などの情報はない)。

 しかし、予兆詩や六行詩が最初に併録された『予言集』が1605年版であったことや、正式な原題くらいは、レオニの本や日本語文献でも十分に確認することが出来た情報だったのである。

 

 志水氏の書誌認識は、他にも問題がある。

 

 それに、『百詩篇集』(いわゆる『諸世紀』)の「全巻」が出版されたのはノストラダムスが死んでから2年後の1568年のことであって、そのときにはアンリ二世はとっくにこの世にはいなかったのである。(略)ただし、確かに(「あとがき」ではなく)第7章と第8章の間に入れられた「アンリ二世王への書簡」(略)の日付は1558627日となっており、もちろん刊本ではない形のものが宮廷に届けられていた可能性もないとは言い切れないが、いずれにしろ15586月に「全巻が出版された」とか、アンリ二世王が「自分に関係のあることが書いてあるなどとは、夢にも気づかなかった」というのが、五島氏の本にしか出てこない話であることには変わりがない。(pp.38-39

 

 現存する最古の完全版が1568年版(リヨン、ブノワ・リゴー)である、ということに間違いはない。しかし、1558年版が存在した可能性自体を否定するのは、ナンセンスとしか言いようがない。この点は、別稿「1558年版『予言集』について」にまとめてあるのでそちらをご参照いただきたい。

 ひとまずここでは、刊本としての1558年完全版が出されていたと指摘している例として、Clébert[1981]p.28 と、Alfred Cartier, Bibliographie des De Tournes,2 Vols., 1937/ 1970を挙げておく。後者はノストラダムスの専門書ではなく、リヨンの出版業者ジャン・ド・トゥルヌが手がけた作品について、書誌学者のアルフレッド・カルチエがまとめた古典的な書誌研究であるが、この中の1558年の欄にはノストラダムスの10巻本の予言集が(所蔵先としてのリヨン市立図書館とともに)挙げられているのである*

*現在では、これは誤認であったとみなされている(Chomarat[2000]p.79, Guinard[2006])。ただし、志水氏が『〜解剖学』を執筆していた時点では、明確に否定する見解は公刊されていなかった(cf. Benazra[1990]pp.37-38 etc.

 

 また、竹下節子氏も次のように述べている。

 

そして一五五八年、初版から三年後には新しい予言を加えた新版を出し、巻頭にアンリ二世への長い手紙を付け加えた。(略)(もっともこの版のオリジナルは現在発見されていない。ノストラダムスの死後二年経った一五六八年版が確認されているのみである。)(竹下[1998]p.112

 

 「五島氏の本にしか出てこない話」ではないのは明らかであろう(後に引用するとおり、志水氏は竹下氏のこの本を読んでいる)。

 竹下氏に関連して、名前の話を採り上げておこう。志水氏は、竹下氏から誤りを指摘する手紙をもらったと述べて引用している(以下、引用中一段下がっているのは竹下氏の手紙からの引用部分)

 

 例えば、私はノストラダムスという名前はラテン名だと書いたが、そうではないそうである。女史のお手紙から引用させていただく(句読点の一部は引用者=志水)。

(略)

フランス語の正字法が確立されていない時代です。ですから「ミッシェル・ノストラダムス」というのは別に不思議ではなく、著書にも印刷された「正しい(?)ペンネーム」です。ただし〔de〕はつきません。

 この件については、東京大学の仏文学者、渡邊(渡辺)一夫名誉教授(19011975)が、次のように述べておられる(略)。

 (引用部略)

 竹下女史のお話とは微妙に異なる点があると思うが、いずれにしろ、「ミシェル・""・ノストラダムス」がおかしいということに変わりはない。(pp.237-238

 

 上記引用では略したが、渡辺氏の著書からの引用部分では、「ノートルダム」という姓の起源が、祖父がイタリア移民だったことにちなむとか、町の通りの名にちなむといった説が述べられている。さて、ここで問題になっているのは、志水氏が『大予言の嘘』で以下のように述べていた点についてである。

 

(略)彼は本名をミシェル・ドゥ・ノートルダムといい、(ミカエル・)ノストラダムスはそのラテン名である。(略)だから、ミッシェル・ド・ノストラダムスでは、文字通り木に竹を接いだようなものである。(『改訂版・大予言の嘘』p.184

 

 志水氏と竹下氏では、「ド」がつかない理由が全く異なることがお分かりいただけるだろうか。竹下氏の場合、「ド」がつかないのは、正書法が確立されていない(=綴りにルーズさが見られる)時代であることと、実際の著書で「ミシェル・ノストラダムス」と印刷されていたことによるとしている。この指摘に誤りは全くない。

 これに対し、志水氏の場合、語法上の問題として、ラテン式の「ノストラダムス」に、フランス式の「ミシェル・ド」を乗せるのは、「木に竹を接いだようなもの」であっておかしい、といっていたのである。これは完全に誤りである。ノストラダムスのニセモノであるノストラダムス二世は、実際に「ミシェル・ド・ノストラダムス」と名乗っていたからである(当サイト「偽ノストラダムス」の書誌参照)。

 実際に使っていた者がいる渾名について、語法上ありえないと否定するのはナンセンスである。つまり、「ミシェル・ド・ノストラダムス」が不適切なのは、あくまでも本人の著書には印刷されていなかったからであって*、それ以上でもそれ以下でもない。

1557年向けの暦書に引用された出版許可状の文面では、"Michel de Nostradamus"となっている(Halbronn[2002]でフォトコピーを見ることが出来る)。ただし、タイトルページ等でそのような表記は一例もないし、1557年向けの占筮に引用された出版許可状(これは上記のものと同一のものである)では"Michel de Nostredame"と綴られているので、暦書のほうは単なる写し間違いとも考えられる。

 

 旧説が二つも並べられている渡辺氏の1950年当時の文章を引用することで、あたかもノストラダムスの姓については様々な情報が錯綜しているかのように見せてうやむやにしてしまう論法には、いささか首を傾げざるを得ない(渡辺氏が挙げている二説は、古文書の分析によって50年以上前に否定されている。実際には、ノートルダム姓は父方の祖母が用いた異称が元になったものである – cf. Leroy[1941], Lhez[1968])。

 

 ちなみに、『〜解剖学』のこの記述のすぐ後では、外国人名の表記の話が続く。非常に細かい点ではあるのだが、いささか首を傾げざるをえない箇所がいくつかある。

 

 また、作家の黒沼健先生(本名=左右田道雄。190285)は、初期の著作『謎と怪奇物語』(新潮社、1957)では「ノストラダミュス」と表記していたが、後の著書ではすべて「ノストラダムス」に統一されている。(pp.239-240

 

 だが、私の手元にある『謎と怪奇物語』(1957年初版、1971年第13刷)では、「ノストラデムス」で統一されている。初版で志水氏の言うとおり「ノストラダミュス」になっていたのか、氏の記憶違いなのかはよく分からない。

 次にガランシエールについて。

 

 もっともこの名前〔引用者注:ガランシエール〕はフランス語系のもののようであり(だから私もフランス人だと思い込んでしまったのだが)、当の英訳本の表紙には「−de−」とある上に、かつて英国の公用語がフランス語であったことを考えると、ひょっとすると本人は「テオフィルス・ドゥ・ギャランシエール」とフランス語風に発音していた可能性も大きい。(pp.240-241

 

 志水氏はガランシエールを「フランス人だと思い込んでしまった」=実際はイギリス人(?)と位置付けていたようだが、ガランシエールはフランス生まれでのちにイギリスに移住した人物である(このことは19世紀以降の複数の人名事典の類で確認が出来る)。フランス人としても別に問題はないだろう。なお、Théophilus のフランス式発音は「テオフィリュス」の方がふさわしい。

 

 ついでなので、『大予言の嘘』の方の誤りということで、これも採り上げておこう。

 

しかし、詩が百篇ずつ集まっているからサンテュリなのであって、詩にしろ何にしろ百集まった形をとったものではないこの(引用者注=大川隆法著『ノストラダムスの新予言』の)第2章に「新諸世紀」(略)などと名付けてしまうのは、フランス語を知らぬもののすることであろう。(『改訂版・大予言の嘘』p.181

 

 実際には、"Centurie (s)"は、100集まっていない予言にも使われる。ノストラダムスを模倣したアントワーヌ・クレスパン、アンベール・ド・ビイイ、ノエル・レオン・モルガールといった16世紀後半から17世紀前半の占星術師たちは、散文や一篇の四行詩を指して、"Centurie"と呼んだのである。彼らも「フランス語を知らぬもの」なのだろうか(この用法は、Trésor de la langue française. Dictionnaire de la langue du XIXe et du XXe siècle (1789-1960), 1971-1994 といった現代の辞書類にも載っている)。

 ただし、これはノストラダムス予言集に触発された誤用であって、ノストラダムス本人は用いていない(少なくとも確認できない)ということは、念のため申し添えておく。

 

 

志水氏の「新発見」

 

 さて、志水氏が『〜解剖学』で新発見と強調しているのは、ノストラダムスが若い女性の逢引を見抜いたというエピソードが、ヒポクラテスと出会ったときのデモクリトスのエピソードを焼き直したものに過ぎなかったことを明らかにした、という点である。志水氏は、この発見についてこう述べる。

 

 帯の惹句に「新事実」とあるのを見てちょっと大袈裟なのではないかと思われる方もあろうが、これまでほとんど注目されてこなかった側面を捉えることだけはある程度できたのではないかと自負している。とりわけ、ノストラダムスの伝記エピソードの中に古代ギリシアの哲学者のエピソードが混じり込んでいるという話は、海外の研究者も未だに誰一人として気付いていないらしく、筆者の新発見だと思われる。(p.229

 

 実際には、エドガール・ルロワの著書でディオゲネス・ラエルティオスの書名まで挙げて指摘されている(Leroy [1993] p.76, n.3)。それを踏まえて、ピーター・ラメジャラーもごく簡単に指摘している(Lemesurier[1999], ラメジャラー[1998b]。原書初版は1997年)。もっとも、海外の文献を残さず網羅するなど到底できることではないし、ルロワの指摘は脚注の中で行われているせいもあり、私(sumaru)も長いこと見落としていた。だから、志水氏が不十分なチェックで新発見だと考えたのも、それ自体は仕方のないことかもしれない。しかし、さすがに次のような発言はいただけない。

 

志水● ノストラダムスなんて、一時、フランス語と英語で出てる本、新宿の紀伊国屋で目録見て全部買ったんですよ。

唐沢● うん。

志水● でも、今度の本『トンデモ・ノストラダムス解剖学』を書くときだって使わなかったですね。必要な部分が出てこないし、同じ内容なんです。それこそしょうもないもんばかりですからね。

(略)

志水● あと、方針としては、たとえばノストラダムスの本を書くときには、できるだけ題名に"ノストラダムス"って付かない資料を使いたいっていうのもあった。

(略)

志水● (略)あと、これは世界的にも新発見らしいんですけど、『ギリシャ哲学者列伝』〔引用者注:原文ママ。岩波文庫版の話をしているので、『ギリシア〜』が正しい〕という本にもノストラダムス関連が。

唐沢● ほう。

志水● デモクリトスの伝記が、後のノストラダムスの伝記にパクられているという。これは海外の人はまだ気が付いていない

唐沢● ほう。じゃあ、ノストラダムス研究、ようやく一九九九年を期してということですか

志水● それも、本当に偶然ですよね。哲学の入門書を見てたら思いがけなく発見して、その話が載ってる岩波文庫の下巻が出るのを待ってた。

(唐沢俊一・志水一夫『トンデモ創世記2000』イーハトーヴ出版、1999年。この節の見出しは「こんなところにもノストラダムス」。これは唐沢氏の発言に基づく節名)

 

 様々な話題を縦横無尽に扱う対談ということでテンションがかなりあがっていたはずだという点を差し引いても、夜郎自大が過ぎるのではないだろうか。別に志水氏の「偶然」を待つまでもなく、既に信奉者的な著作とは全く異なるレベルの研究は(特にフランス語圏では)いくつも出ていたのだし、それらに言及することなしに自身の「新発見」だけを強調するのは、「正直」とはいえないだろう。しかも、「世界的に新発見らしい」と断定を避けている表現が、直後で「まだ気がついていない」という断定にすりかわってしまうのもどうなのだろうか。

ちなみに、上記対談はのちの文庫版(扶桑社文庫、2002年)では、唐沢氏の発言が「ほう。じゃあ、ノストラダムス研究、ようやく一九九九年を期してまとめに入ってきたということですか」(『トンデモ創世記2000』文庫版p.162)と修正されている。どちらがオリジナルかは不明だが、文庫版のほうだとその発言を受けた志水氏の問題発言ぶりが一層際立ってしまう効果をもたらしている。一体、この元ネタ1つのどのあたりがノストラダムス研究の「まとめ」につながるというのだろうか。

 そもそも、この元ネタはノストラダムスその人の伝記において、そんなに重要なものなのだろうか。例えば、西洋古典学を専攻としていたブランダムールなどは出典自体知っていただろうし、ルロワの研究書にも目を通していたのだから、当然気付いていただろうと思われるが、彼の著書で展開されたノストラダムスの伝記には、このエピソードへの言及自体がない(Brind'Amour[1993])。何故ならば、彼はノストラダムスの伝記的事実について、従来誰も知らなかったような史料まで引っ張り出してきて、丁寧に実証することに重点を置いていたからである。彼のスタンスでは、史実性に乏しい「逢引き」や「白豚と黒豚」のエピソードなどは、そもそも触れる価値自体がない

実証性と四行詩の同時代的読解に重点を置くルイ・シュロッセの伝記でも、やはりエピソード自体が無視されている(Schlosser[1986])。ラメジャラーの言及にしても、「同じような話は人もあろうにヒポクラテスについても語られている」(ラメジャラー[1998bp.76)と軽く触れるにとどまっており、ルロワの指摘が別段特筆するほどの「新発見」であるなどとは認識していなかったことが窺える。

 志水氏自身が上記で触れた帯の惹句には「新発見・新発掘の資料が語る予言者の実像と予言の真相」とある。しかし、ジェイムズ・レイヴァーのような信奉者にさえ史実性に乏しいと認識されているエピソード(cf. Laver[1952]pp.32-33 & p.54, レイヴァー[1999]p.52 & p.85)の元ネタを明らかにしたところで、ノストラダムスその人の実像を明らかにする上では大して役に立たない。また、志水氏は確かにこの元ネタを広く知らせることに寄与したが、後述するようにこのエピソードの初出の特定にはなんら寄与しておらず、むしろ明らかに誤った出典を示してしまっている。

 

 なお、誤解のないように付け加えておくが、志水氏がエピソードの元ネタを紹介したこと自体は、決して無価値ではない。ノストラダムス伝説の形成過程の一事例としては有益なものであり、ブランダムールやシュロッセとは重点の置きどころが異なっているだけである。しかし、だからこそ、「新発見」と特筆大書するだけでなく、研究史上の位置付けなどについてももう少しきちんとした説明が欲しかったところである。

 

 また、「予言者の実像」を明らかにする上で次のような記述をしているのはいただけない。

 

彼が宮廷に招かれたのは1556だとされており、(p.34

 

 しかし、実際には、155625日付の書簡でイタリアの占星術師リュク・ゴーリック(ルク・ガウリク 1476-1558)が、(略/―国王が死ぬかもしれない―)と伝えてきていたので、(略)、1555年に刊行されたノストラダムスの『百詩篇集』初版の中に王の詩を予言していたと見られる詩(略)があるのを知った王妃が、前記のように初めてノストラダムスをパリに招いたというのが、伝えられている事実である(ただし、後に述べるようにこの話自体もよく調べてみるとかなり怪しいのだが)。(pp.37-38

 

 「五島氏へのツッコミ・生涯編2」でも書いたが、実際には、ノストラダムスの最初の謁見は15558のことである。そこでの指摘に補足しておくと、ブランダムールはさらに、「宮廷に赴く途上のノストラダムスが、15557月にリヨンを通過したという同時代人の記録(リヨンの商人が書いた年代記)がある」「1557年向けの暦書に収録された1556113日付のアンリ二世宛の献辞は、既に謁見したことを前提に書かれている」ことを補強材料として挙げていた(Brind'Amour[1993]p.23)。

 謁見が1555年となれば、15562月のガウリコの書簡はノストラダムスの謁見理由とは無関係である*。ノストラダムスの実像を明らかにするというのであれば、こういう点をこそ書くべきではないのだろうか。

*なお、かつてガウリコの警告を1552年としている文献もあった(ex. Boulanger[1943]pp.112-113)。私が数年前にウィキペディアの「ノストラダムス」の記事でガウリコの話を併記してしまったのは、この旧説を念頭に置いていたためであり、明らかに不適切な記述であった(かなり前に修正済み)。人の批判をしておいて自分のミスに頬かむりというのも何なので、ここに書いておく。

 なお、細かい点だが、「ルク・ガウリク」というのはどこの国の読み方なのだろうか。この人はイタリア式にはルーカ・ガウリコ(Luca Gaurico)、フランス式にはリュック・ゴーリック(Luc Gauric)、ラテン語式にはルカス・ガウリクス(Lucas Gauricus)というのだが…(お疑いの方で手っ取り早く確認したい方は、フランス国立図書館のオンライン目録等をご覧あれ)。

 

 さて、志水氏は上記引用部で「後に述べるようにこの話自体もよく調べてみるとかなり怪しいのだが」と書いている通り、アンリ二世絡みは後でも触れている。その書き出しは次の通りである。

 

 こうなってくると、例の有名な"アンリ二世王殺害予言"に対しても、疑惑の目を向けないわけには行かなくなってくる。

 ノストラダムスが有名になったのは、例の『百詩篇集』の中で、時のフランス王、アンリII世が悲劇的な死を迎えることを予言していたのが話題になったからだというのである。

 そして事実、フランス王アンリ二世が事故でなくなった際に、彼が『百詩篇集』の中でそのことを予言していたと話題になったという話は、ノストラダムスの伝記以外の同時代資料では、ほとんど裏付けられないのである。(p.91

 

 アンリ二世の死を予言したという詩が、ノストラダムスの死後かなり経って採り上げられるようになった、というのは事実である。しかし、そもそも、ノストラダムスが有名になった理由は、アンリ二世の死とは全く関係がない。志水氏の書きようだと、あたかもノストラダムスが生前有名だったこと自体を否定するかのごとくだが、完全に事実に反する。

 ノストラダムスが生前から高い評価を受けていたことは、同時代のプロヴァン(Provins)の主任司祭クロード・アトンの証言などに基づいてブランダムールが指摘するとおりであり(Brind'Amour[1993]p.25)、生前の評判は主として暦書によって形成されたものだったのである。それゆえ、同時代人の批判ももっぱら暦書に投げかけられることとなった(cf. Millet[1987])。『予言集』を基準にして彼の生前の名声を考えること自体が、同時代的な視点に反している。

 「ノストラダムスの実像」を明らかにするというのであれば、通俗的な誤解を増幅するような記述は控えていただきたかったところである。

 

 

研究史の整理の仕方(1

 

 さて、唐沢氏との対談の発言に戻り、そのもう一つの問題点を採り上げよう。それは、ノストラダムスを主題とする文献には「必要な部分が出てこない」という部分である。こうした主張は、そうした文献からかなりの程度の情報を摂取して初めて言えることではないだろうか。しかし、志水氏は、英語圏のスタンダードな研究書であり、他でもなく志水氏自身が「必読書」と述べているところのエドガー・レオニの著書からさえ、十分に情報を摂取しているとはいいがたいのである。

 

 志水氏は「黒豚と白豚」のエピソードについて、こう述べている。

 

トゥシャールによると、ピエール・ジョゼフ・ドメイツいう人の『ノストラダムスの生涯』(1711)という本に出ている話だそうである。(p.81

 

この話〔引用者注:前出の逢い引きの話〕は、前記"黒豚と白豚"の話と同様、ピエール・ジョゼフ・ドメイツいう人の『ノストラダムスの生涯』(1711)という本で紹介されているのが初出らしい。(p.84

 

 しかし、「黒豚と白豚」の初出は1656年の注釈書*であり、レオニの本では、そこから該当部が丁寧に引用されている(Leoni[1982]pp.20-21)。引用が長め(23行)のせいもあり、きちんと読んでいれば当然気づいたはずであろう。また、初出が1656年であることは、おなじ「と学会」メンバーの皆神龍太郎氏も指摘することになるが(ランディ[1999p.60)、お二方揃って「ピエール・ジョゼフ・ド・メイツ」としているのは何とかならなかったのだろうか。正しくはピエール・ジョゼフ・ド・エーツPierre-Joseph de Haitze)であり、「メイツ」は単にトゥシャールの本の誤植に過ぎない(トゥシャール[1998]p.107には「エイツ」という表記も出ている)。

この正しい表記はレオニの本にも書いてあるので(Leoni[1982]p.65 & p.93)、きちんと読んでいれば表記のゆれにはすぐに気付いたであろうし、他の著書と比較をすれば、どちらがミスプリントかは一目瞭然だったはずである。

1656年の注釈書の著者は、従来エチエンヌ・ジョベールとする説が有力視されていたが、近年はむしろジャン・ジフル・ド・レシャクとする説を採るものも現れている。

 

 ちなみに、「逢い引きを見抜いた話」はエーツの本には出てこないし、トゥシャールもそんなことは言っていない。一体志水氏が何を根拠にエーツが初出だと思い込んだのか、私にはよく分からない。

 

 少々細かい点になるが、レオニの著書を読み飛ばしているらしい例をもうひとつ挙げておこう。「ヴァレンヌ」がでてくる詩について、志水氏はこう述べる。

 

 右の『ダカーポ』誌による訳文では「女王」の言葉があるが〔引用者注:詩の1行目の訳が「夜、女王達の森からやってくるだろう」になっていることを指している〕、他の訳では、必ずしもそうはならない。例えば、米国の研究家、ヘンリー・C・ロバーツによる英訳では、次のようになっている。

 

夜 ラインの森を通ってやってきて

二つの部分 ボルトルト ヘルン そして白い石

黒い修道士はバレンヌ〔ヴァレンヌ〕内で灰色に

首長を選び 大あらし 火事 洪水が走るように

                                                       ―― 『百詩篇集』IX-20 (大乗和子訳)

 

 こうなると、この予言詩から前もって読み取れることは、せいぜい「“ヴァレンヌ”という固有名詞(地名とは限らない)が将来何らかの重要な意味を持ってくる」という以上のものではないということになってくる。

 それだけでも大したものだ、と思うかも知れない。

 だが、米国の歴史学者、エドガー・レオニが調べてみたところ、何とパリ周辺だけで、この「ヴァレンヌ」という地名は26ヶ所もあったというのである。(pp.112-113

 

 「パリ周辺だけ」の箇所の原文は "there are twenty-six towns by that name in France" (フランスには26箇所)である(Leoni [1961/1982] p.720)。そして、40行に渡るこの詩の解説(ルペルチエの著書からの引用を含む)で、パリという単語はただ一箇所、20行上 "from Paris to Varennes" という形で出てくるのみである。レオニの著書はかなり大部なものであり、正直言って私自身、眼光紙背に徹したなど言うには程遠い。しかしながら、言及するときに該当箇所の確認を取るくらいはすべきだったのではないだろうか(レオニの著書の百詩篇解説は番号順に並んでいるので、探すのにも大した時間はかからない)。

しかも、ここでの「パリ周辺だけ」という誤読は、「ヴァレンヌ」という地名が多いということを指摘する志水氏の立場にとって、いささか都合のよい誤読である。果たしてこれは意図的なものだったのだろうか。私としてはさすがにそれはなかったと思いたいのだが、改めてここでの論理展開を見直してみると、かなり恣意的な印象操作が込められていることに気づく。

 ロバーツの英訳に「女王」と出てこないというが、そこでなぜ大乗氏の訳を引っ張ってくるのだろうか。ロバーツの英訳の1行目はこうである。

 

(原文)De nuict viendra par la forest de Reines

英訳By night shall come through the forest of Reines, (Roberts [1949] p.284)

 

 フランス語の Reines(女王たち)はそのまま残されていることが分かる。大乗氏の訳には問題が多く、それを「ロバーツの英訳」として紹介するのは適切ではない。志水氏はロバーツの原書を1973年には入手していたと主張しており(p.242)、その程度のことを知らなかったとは思えない。

 そもそも懐疑主義者レオニに言及しておきながら、なぜその英訳を紹介しようとしないのか。その英訳1行目はこうである。

 

By night will come through the forest ofReines(Leoni [1961/1982] p.387)

 

 見ての通り、ロバーツの英訳とほぼ同じである。つまり、「女王」は、ロバーツにもレオニにも出てくるのである(ただし、レオニの場合、23行目が信奉者寄りの意訳になっており、この詩に限れば皮肉にもロバーツの英訳の方がましという点をお断りしておく)。

 現代フランス語と現代英語について通り一遍の知識があれば、容易に見抜ける程度の問題を多く含む大乗氏の和訳を引き合いに出しつつ、人によってこんなに訳が違ってしまって、詩から有意義な情報をほとんど読み取れないという方向に話を持っていくのは、いささかアンフェアではないだろうか。

 こういう論法を海外文献を全く読まない日本の三流解釈者あたりがやっているのなら、まだ分からないこともない。しかし、志水氏はレオニとロバーツの原書を持っていると公言し、冒頭でも見たように、海外の研究動向に疎い国内事情に苦言を呈しておられたのである。そういう方がなぜこのような論法を使うのか、と戸惑いを禁じえない。

 

 

研究史の整理の仕方(2

 

 さて、レオニの本をそうは言っても、信奉者側の著作をある程度読み込んでいたのなら、上記の「(どれも)同じ内容」「しょうもないもんばかり」発言は、釈明のしようもある。その発言は信奉者側の著作だけを念頭に置いたものであったといえば済むからだ。もちろん、その場合でも、実証的な立場の研究を軽んじていたことは誉められた話ではないし、読者の誤解を招きやすい表現だという点も問題ではある。しかし、より深刻な問題は、志水氏が信奉者の側の見解さえも満足に整理できていない可能性がある点である。

 

 例示しよう。志水氏は、ノストラダムスの予言に登場する年号についてこう述べている。

 

(前略)これ〔引用者注:百詩篇第六巻2番の詩に「580年」「703年」というノストラダムスの生誕前の年号が出てくること〕はつまり、「私の予言詩に出てくる年号は、西暦そのままではありませんよ」というノストラダムスのメッセージだと考えられるのである。

 そして事実、1607年(VI-54)、1609年(X-91)、1700年(I-49)、1720年(III-77。これも1700年と読むとする説もある)といった、他の予言詩に出てくる年号の年には、予言にあるような事件が見当たらないので、欧米の研究者の間では、これらの年号は何らかの暗号だと見なして解釈するのが常識のようになっているのである。(p.136; 丸カッコ内の注記も志水氏のもの)

 

 「常識」というが、そんなことは全くない。順に説明しよう。まず、「580年(厳密には580年きっかりではなく幅を持たせた書き方になっている)」と「703年」だが、これは単に「1000」(mil)を省略しただけで、普通に「1580年ごろ」「1703」と捉えることがむしろ常識となっている。スチュワート・ロッブ、エリカ・チータムといった信奉者もそうだし(Robb[1961]pp.47-48, Cheetham[1990]p.325)、クレベールのような懐疑的な立場の論者もそうだった(Clébert[1981]p.237)。

そして、ノストラダムスはルーサの著書(1550年)を参考にしたことが確実視されているが、その中で1585年と1703年の天体の合について述べられていることがブランダムールによって指摘されると(Brind'Amour[1993])、まともな研究者はこの見解を踏襲するようになった(cf. Petey-Girard [2003], Lemesurier[2003] ; この二者は志水氏の著書より後だが、ブランダムールの指摘自体は志水氏の著書より前である)。もちろん、ヘンリー・ロバーツやジョセフ・サビノのように暗号だとみなす論者がいたのも事実だが、多数派を形成しているとはいいがたい。

 その他の年代の詩、1609年、1700年、1727年(志水氏は1720年と書いているが、高木彬光氏のような例外を除けば、III-77の年号は1727年か1700年と読むのが普通である。もちろん1720年と読むことも可能だが)なども、信奉者たちですら普通は加算を行わないでそのまま捉え、単なる失敗作と見るか、史実を歪曲したり捏造したりして的中例と見るのが普通である(cf. Laver[1952], Hutin[1981], Cheetham[1990])。

もちろん懐疑派や実証的な立場の論者が加算を行わないことなどは言うまでもない(cf. Brind'Amour[1993], Chomarat[1998])。レオニもこれらの詩を紹介するときには、そのままの年代で捉えて外れていることを示した上で、最後に申し訳程度にロバーツの加算法にも言及しているに過ぎない(Leoni[1982])。

 

 ただ、第六巻54番の「1607年」だけはいささか事情が異なる。これは、「典礼式の1607年」という奇妙な書き方がなされているため、何らかの数字を足すべきではないかという主張が信奉者たちの間には確かに見られるのだ*とはいえ、この加算をほかの年代にも適用すべきだと主張していたのはロバーツやかつてのラメジャラーなど、非常に限られた者に過ぎなかった。また、特に原則なしに都合のよいときだけ加算を適用するものもいたが(Fontbrune[1982], Hogue[1997])、他方でチータムのように加算説自体に懐疑的だった信奉者すらいたのである。

 ちなみにブランダムールは、「典礼式の1607年」とは「キリスト紀元の1607年」を言い換えただけであるとして、普通に1607年のこととしていた(Brind'Amour[1993]p.258)。

そこで加算すべき数字は人によってまちまちである。ロバーツは325年を足しているし(ロバーツ[1975])、ボズウェルは355374年を足すべきとしている(Boswell[1941]p.325)。ラメジャラーはかつて392年を足すべきだとしていた(ラメジャラー[1998b];ただしLemesurier[2003]では事実上放棄する事となる)。

 

 このように、年号を軒並み暗号だとすることは、信奉者、懐疑派のどちらの立場であろうとも常識になっているとは到底言いがたい。信奉者の著書にあまり見るべきものがないという点については同意するが、志水氏がご自身の見解に都合のよいように彼らの見解を歪曲してしまったのでは、信奉者たちの我田引水的解釈と大差がないのではなかろうか。

 

 また、志水氏はジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの解釈について、こうまとめている。

 

 また加治木氏は、「フォンブリュヌ君は『フランス語だけで読め』と言った」と書いておられるが(105頁)、ドゥ・フォンブリュヌはそのようなことは言っていない。むしろ逆である。その証拠に、彼の代表的著作の抄訳(高田勇訳『新釈ノストラダムス』講談社、1982)を見ただけでも、彼がフランス語だけでなく、ギリシア語やラテン語などの知識を駆使しているのが見て取れるのである。いや、それどころか彼の解釈の大きな独自性の1は、そういったノストラダムスが通じていたであろう外国語に関する知識が大いに生かされていることにあったのだから、どこかの間抜けな日本人ならいざ知らず、ドゥ・フォンブリュヌがそのようなことを言うわけがないのである。(p.184。傍点は下線で代用)

 

 加治木氏の認識の誤りはその通りである。もっとも、予言詩の大部分はフランス語で書かれているので、単なる揚げ足取りにも見える。では、その揚げ足取りをしている志水氏の側がすべて正しいかと言うと、残念ながらそんなことはないのである。

 海外文献をあまり見ない方がこの部分を読んだなら、おそらく、ギリシャ語やラテン語の知識を駆使して解釈した人物は、フォンブリュヌ* の前後にはほとんどいなかったと思ってしまうのではないだろうか。だが、それは大きく誤っている。

 現代の実証的な論者にも高く評価されているアナトール・ル・ペルチエ(1867年)の用語解説以来、チャールズ・ウォード(1891年/1940年)、マックス・ド・フォンブリュヌ(1938年)、シャルル・レノー=プランス(1940年)、エドガー・レオニ(1961年/1982年)、エリカ・チータム(1973年、1989年)、リベルテ・ルヴェール(1979年)、ジャン=ポール・クレベール(1981年)など、詳細な語注を施した論者は何人も現れている(チータムのものは日本語版では省かれている)。日本語訳されたものでも、ベルクールやイオネスクの著作などはそれに当たるだろう(以上の論者の語注が全て正しいかどうかは別問題である。そもそもフォンブリュヌの語注自体に問題が多い)。

 また、海外の場合、ル・ペルチエやレオニの業績をそれと明記せずにパクる者が少なからずおり、結果としてそういう論者の訳は、明記されておらずともラテン語やギリシャ語の知識が反映されたものになっていたりする。

 つまり、フォンブリュヌの語注は海外では「大きな独自性」といえるほどのものではないし、フランス語・英語文献をあらかた買い集めていたという志水氏がその程度を知らなかったとも思えない。

 志水氏が「どこかの間抜けな日本人」の問題点を際立たせようとするあまりなのか、事実と異なる研究動向を宣伝するかのような行為に走られてしまわれた点は残念と言うほかない。

*志水氏はフォンブリュヌの本名を「ジャン・ドゥ・ビジャール」(p.37)、「ジャン・ドゥ・ビジャールもしくは M. Pigeard de Gurbert」(p.167)とばらけた書き方をしている(前者は『新釈ノストラダムス』からの、後者はRandi [1990] からの引用であろう)。しかし、厳密にはどちらも不十分なようである。フォンブリュヌが父マックスの著書を自費出版した際には、父の本名を「マックス・ピジャール・ド・ギュルベール(Max PIGEARD de GURBERT)」としており、「ド・フォンブリュヌ」という名は「ピジャール・ド・ギュルベール家の断絶した分家の名を筆名に使った」と説明している(Fontbrune[1975]p.I)。ゆえに、フォンブリュヌ本人の本名は「ジャン・シャルル・ピジャール・ド・ギュルベール」であろうと考えられる。なお、志水氏の最後の単著となった『トンデモ超常レポート傑作選』では、「ジャン・ドゥ・ヴィシャール」という明らかにうろ覚えに基づくと思われる表記になっていた。

 

 

研究史の整理の仕方(3

 

 おなじく研究史の整理の仕方について触れておこう。志水氏はキリスト教とノストラダムスの関連についてこう述べる。

 

 そしてノストラダムスの場合、『百詩篇集』の中には、多くのキリスト教的シンボルが見られるのである。

 例えば日本の解釈者たちがしばしば日本のことだと主張している「太陽」だが、これはキリストのシンボルとしてよく知られているものである。お疑いなら、お手元の大きな英和辞典で「sun」を引いてみていただきたい。

 また、例の「恐怖の大王」というのも、モーツァルトなどの「レクトエム」〔原文ママ〕に登場するラテン語の「レックス・トレメンディ」〔原文ママ〕のフランス語訳で、キリストのことなのである(中略)。

 ただ、欧米の研究者たちにとっては、それはあまりにも当たり前のことなので、改めて述べたりはしていないというだけのことなのだ。

 余程の物好きでない限り、「パリ」にいちいち「フランスの首都」などと注釈をつけるようなことはしないものである。

 最近、五島勉氏が『ノストラダムスと大予言最終解答編』〔原文ママ〕(祥伝社、1998)で、ようやくこの説について述べているが、欧米の研究者たちは、まずそれを承知の上で、さらに他の解釈を模索しているのだ。(pp.131-132

 

 

 最初に細かい点を1つ。五島氏がキリスト説を唱えたのは『大予言・最終解答編』が最初ではない。『大予言II』(1979年)では「一部のフランス文学者」の説としてキリスト説を挙げていたし(同書pp.194-195; ただし否定している)、『大予言・残された希望編』(1992年)では、その仏文学者が「慶大の松原先生」であったとした上でキリスト説を(今度は肯定的に)採り上げている(pp.68-76)。つまり「キリスト説」は五島氏も知らなかったわけではなく、百も承知の上で、ネタ切れになるまで(?)無視していたに過ぎない。

 

 それはともかく、より問題なのは、キリストのシンボルとして用いられることがあるからといって、それが安直に「太陽」が出てくる詩すべてに適用できるわけではない、ということである。この辺りが志水氏の記述ではどうも明瞭に認識されていない憾みがあり(というか、『大予言の嘘』ではあたかも全ての詩に適用できるかのようにすら読める書き方であった)、そして、それは「恐怖の大王」の説明でより顕著となる。

 モーツァルトの『レクイエム』に登場する「レックス・トレメンダエ」(Rex Tremendae)が「恐怖の大王」と訳しうること自体は事実である。しかし、それを安直にこの詩にも結びつけてよいかといえば、そうとはいえない。恐怖の大王は un grand Roy d’effrayeur 不定冠詞付きで書かれており、語法上も不自然な印象をぬぐえない。

 実際、当サイトの「1072番解釈集」を見ていただけば分かるとおり、海外では志水氏が言うほど自明と受け止められていたとも思えない。

 エドガー・レオニは、アングーモワの大王をフランソワ1世を輩出したアングレーム・ヴァロワ家に結びつけた上で「恐怖の大王」についてこう述べている。

 

そうはいっても、フランソワ(1世)もアンリ(2世)も恐怖の大王というには物足りなく思えるし、この地方(アングーモワ地方)の歴史上、他の適格者もいない。(中略)(しかし、チンギス・ハーンならば)恐怖の大王というに相応しい。(Leoni[1982]p.750

 

 フランソワ1世らを不適格であるとして他の候補者を探す中で、キリストへの言及は一切ない

 また、明示されてはいないもののキリストを念頭に置いているらしいブライラーは、この詩についてこう述べる。

 

19世紀と20世紀(の注釈者たち)は、この詩の中に空での戦争と黄禍論を読み取った。しかしながら、ノストラダムスの時代には、至福千年説、紀元2000年、反キリスト、ハルマゲドンなどの一表現として理解されたのである。(LeVert[1979]p.247

 

 「恐怖の大王」=キリスト、という認識が現代西洋人の「当たり前」ならば、こんな風にノストラダムスの時代の認識(この指摘の当否は後述する)であると前置きしたりはしないはずであろう。

 キリスト説に言及しているセルジュ・ユタンはこう述べる。

 

ある四行詩〔第1072番〕は、我々に、アンテクリストが権力を握るために空から――飛行機で?ロケットで?――降りてくるとき、彼は絶頂に上り詰めつつあると告げているようである。

〔引用者注:1072番の引用略〕

 しかしながら、ポール・ド・サンチレール(Paul de Saint-Hilaire)のアルバン・ミシェル社からの近刊『ノストラダムスの百詩篇集』の解釈を示しておこう。それによれば、この詩で言われているのはアンテクリストではなく、キリストの再臨であるという。彼が言うには、16世紀フランス語では、effrayerは「鎮める」とも訳しえたのだという。Serges Hutin, Les Prophéties de Nostradamus, Paris ; Pierre Belfond, 1981, pp.86-87

 

 ここからは、セルジュ・ユタンはアンテクリスト(反キリスト)説を「当たり前」と受け止め、キリスト説を斬新な説と見ていたらしいことが窺える。

 もちろん、空から来るという「恐怖の大王」の正体について、西洋人がなんとなく真っ先に思い浮かべるものの一つとして「キリスト」があるのは事実であろう。しかし、文脈や語法上の検討などを踏まえた上で、それを適切な解釈として捉えるかどうかはまた別問題のはずである。志水氏は、海外の著書にキリスト説がないのは「当たり前」だから触れていないだけと述べるが、文脈や語法上不適切だから扱わない、といった論者だっていたのではないだろうか。「キリスト説」が海外の研究者にとっても当たり前と断言するのであれば、書かれてもいないことについて何故そう判断したのかを明示する必要がある(上記のブライラーやユタンの記述のように反論になりうるものが現にあるのだから、なおさらである)。

 

 そもそも、海外で当たり前というのは、志水氏の思い込みだったのではないか、と疑いたくなる要素もあるのだ。志水氏は「レックス・トレメンダエ」について触れた最初の文章ではこう述べていた。

 

 では、「恐怖の大王」とは何なのか?

 宇宙人だの核戦争だの光化学スモッグだのと、様々な説が出されているようだが、実はキリスト教圏の人々にとっては、この言葉の意味は自明のことなのである。

 (略)

 というわけで、この「レックス・トレメンデェ」〔原文ママ〕こそは、正に「恐怖の大王」そのものなのである。このラテン語の決まり文句をフランス語に訳したのが、ノストラダムスの詩の中の「恐怖の大王」というわけだ。このことは、翻訳によっては「レックス・トレメンデェ」が「恐るべき大王よ」などと訳されているものがあることにも明白である。

 (略)

 ではなぜ、そのことについて海外の本ではあまり触れられていないのだろうか?

 それは、彼らにとってあまりに当たり前だからである。

 我々は普通、「徳川家康」という言葉にいちいち「江戸幕府の初代将軍」などと注釈を付けたりすることはない。読者の多くが知っているであろうことが自明だからである。

 しかし、それが海外向けの本だった場合には、そのようなことも必要になってこよう。

 これと同様に、欧米の人々にとっては、あまりにも当たり前のことなので、わざわざ言い立てられることがなかったのだと思われるのである。

 (小見出し略)

 前掲の拙著『大予言の嘘』でも述べたが、ドイツのノストラダムス研究家、クルト・アルガイヤー(1929−)によると、中世のフランス語で「恐怖の大王」という言葉には「日食」という意味もあったという。

 そして事実、一九九九年八月十一日(ノストラダムスの時代の旧暦だと七月になるという)には日食があるという!(頭脳組合・編『ノストラダまス予言書新解釈』1997年、pp.222-223

 

 ここでは、当たり前だったから触れられていないという認識が、志水氏の推論として書かれている。となれば、当初は推論だったものがいつの間にか事実であるかのように記憶違いをされてしまっていたのではないか、という可能性も出てくるだろう。

 ちなみに志水氏の「徳川家康」の喩えは少々不適切だろう。「恐怖の大王」(「恐ろしい大王」)は、固有名詞でも何でもなく明確な個人名である家康に対置できるものではないからだ。それを使ってやや極端に喩えるなら、志水氏の言いようは、家康を「タヌキ」呼ばわりしても日本人は何も不思議と思わないから、古文書に出てくる「タヌキ」は全部家康のことと解釈していい、といっているようなものではないだろうか。

 

 さて、上に引用した文章ではもうひとつ気になることがある。

 「太陽」はキリストの喩えで、そのキリストをあらわす「決まり文句」が「恐怖の大王」だったが、同時にそれは「日食」の意味もあった、というのは、明らかに論理展開がおかしいだろう。言うまでもなく、日食は古くから凶兆とされることがあり、ノストラダムスの予言でもしばしば凶兆として扱われているからだ。

そのおかしさに気づいたからなのか、『〜解剖学』では日食説に一言も触れられていない

 

 この日食説はアルガイヤーが言い出したものではなく、クリスティアン・ヴェルナー(1926年)が提唱し、エミール・リュイール(1947年)やアレクサンダー・チェントゥリオ(1977年)に引き継がれてきた説である。しかし、これは、当時のフランス語の語法を調査して追認した者が一人もいない微妙な説である。そもそも、提唱者のヴェルナーはこれが当時の慣用表現であるとは述べていなかったWöllner [1926], p.59)。ゆえに、本当に「恐怖の大王」に日食の意味があるのかは分からない。

 

 こういう由来の怪しさは1990年代には十分知られていたとは言いがたいため、当時それを受け入れていても仕方のない部分はあったのだろうとは思う。志水氏は『大予言の嘘』(1991年)では日食説しか採り上げておらず、『トンデモ本の逆襲』(洋泉社、1996年)の「トンデモ用語の基礎知識」でも同様であった(余談だが、この「トンデモ用語の基礎知識」には「シャルル二世」というけったいな誤植がある。これは宝島社文庫版でも洋泉社文庫版でも直されていない)。

ところが、上掲『ノストラダまス』(1997年)で突如として上に見たように矛盾しているとしか思えない形でキリスト説も併記し、『〜解剖学』(1998年)では日食説に触れずにキリスト説しか扱っていない。

 このことからすると、志水氏が「レックス・トレメンダエ」について知ったのは19961997年のことではないかと思われる。そして、「当たり前」発言は(知った直後の?)『ノストラダまス』で急に登場しているのだから、やはりろくに調査もしないまま「なぜモーツァルトのような有名人の作品にあることが話題にならなかったのか。それは、『当たり前』だったからに違いない」と思い込んだ可能性が想定できるのである。

 

 いずれにしても、あんなに御執心だった(?)日食説を『〜解剖学』ではあっさりカットして、御自分が発見した「レックス・トレメンダエ」一本に絞る辺り、志水氏にとって採り上げるに値する仮説とそうでない仮説の境目は何なのか、と考えずにはいられない。

 

 ちなみに、「後出しじゃんけん」的な批判になるが、懐疑派や実証的な立場の見解では、「アングーモワの大王を蘇らせる恐怖の大王」とは、「フランソワ1世の再来を思わせる強大な王が1999年に現れる」という意味だったのではないか、といった指摘がなされている(高田[2000]、山本[2000p.258)。そして、この見解は面白いことに、四行まとめてこの詩を最初に解釈したバルタザール・ギノーのものと同じ構図なのである(Guynaud[1712]pp.360-361; 彼の場合は「ルイ14世の再来を思わせる強大な王が1999年に現れて近隣諸国に恐怖を与える」というものであった)。現代人に比べればノストラダムスに近い時代を生きていた信奉者の見解と、現代の実証的な見解が一致するというのは、要するに当時の文脈に沿った場合、こうした読み方のほうが「当たり前」だったからではないかという気さえするのだが如何だろうか(別にこの読み方で確定といっているわけではない、念のため)。

 また、キリスト説に近い見解としては、当時流布していた「天使的な牧者たち」と結びつける説もある(Lemesurier[2003])。「天使的な牧者たち」とは、『教皇図』『ヨハン・リヒテンベルガーの占筮』『ミラビリス・リベル』などの中世からルネサンス期にかけての予言文書で広まっていたモチーフで、終末に現れるとされた教皇の一類型である。こちらならば、「天から来る」「(不定冠詞のついた)恐怖の大王」に、キリストよりもよくあてはまる

 いずれも「後出しじゃんけん」的な批判にはなるが、キリスト説が当然の大前提、などと言っていては出てこない見解であろう。当たり前の話は書かれない、という志水氏の指摘自体は傾聴に値する。しかし、そのときの「当たり前」の基準は、16世紀当時のフランスに置くべきではないだろうか。

 

 

ランディと志水氏

 

 さて、志水氏は当時未邦訳だったランディの著書の知見も若干紹介している。そして、熱気球の発明者モンゴルフィエ兄弟を "mont Gaulfier" (フランス語での発音は「モン・ゴルフィエ」)という形で明確に予言していたとされる百詩篇第五巻57番について、その本来の原文は「モン・ゴルシエ」"mont Gaulsier" であり、当時の異体字の s ſ )は f と見まちがえやすかったと説明している。ここまではランディの説明の整理であり、余りおかしなところはない。見過ごせないのは、そこにサラッと付け加えられた志水氏の独自調査の部分である。

 

そして、筆者の調べたところでは、彼の生前に出た版およびそれ以後でも一応信頼できる古い版では、全てこの箇所はf でなくs になっている。(p.117-118

 

 全てというが、何をどの程度お調べになったのだろうか。私の手許にある古版本のコピー、およびインターネット上で公開されているコピーを元にした調査結果を以下に示そう。

 

Gaulsier 】デュ・ローヌ版(1557)、1557年海賊版、ブノワ・リゴー版(1568)、ロフェ未亡人版(1588)、ロジェ版(1589)、1605年版、シュヴィヨ版A1611)、シュヴィヨ版B1611頃)、アムステルダム版(1668)、ガランシエール版(1672)、

 

Gaulfier 】メニエ版(1589)、ピエール・リゴー版(1610頃)、デュ・リュオー版(1628頃)、偽1566年版(1716頃)

 

Gausier 】ディディエ版(1627)、バラン版(1665

 

Gaufier 】ポワイエ版(1600頃)、ユグタン版(1644)、レファン版(1650)、ピエール・リゴー(2世?)版(1650頃)、アンドレ版(1644-1665頃)、ヴィレ版(1697

 

 一見して明らかな通り、随分と原文がばらけているのだが、どういう根拠で全てと仰ったのだろうか。

 ここで強い疑問を感じるのは、志水氏にとって信頼できる古版本と信頼できない古版本の境目は一体どこにあったのかということである。特定の版の中の特定の原文の信頼性を評価することは比較的容易に出来るが、版全体の信頼性を評価するのは容易なことではないからだ。

 志水氏の論理に従えば、上に挙げた各版のうち、Gaulsier になっている版のみが「信頼できる」ことになってしまう。しかし、例えばロフェ未亡人版はパリで出された非正規版の流れを汲んでいるとされる粗雑な版だが、それでも信頼できる版といえるのだろうか。1605年版は、ダニエル・ルソ(Daniel Ruzo)のように1649年頃に捏造された偽年代版とする者もいる(cf.B38, 私は支持していないが)。この仮説が正しい場合、信頼できる版といえるのだろうか(というか、そもそも1605年版は誤植が多いとブナズラに指摘されており、実際そのとおりなのだが)。

 また、私が参照したシュヴィヨ版Bは特異な副題を持つ方の版(B40)で、これは「1609年」を「1620年」に書き換えたり、第二序文を途中大幅に省いたりしている困った代物なのだが、これも信頼できる版なのだろうか。さらに、1668年アムステルダム版は1555年初版の特色をかなり保持している反面、1656年の注釈書が改悪した原文も無批判に取り込んでいるのだが、これも信頼できる版なのだろうか。

 逆に、17世紀初頭のピエール・リゴー版は信頼できない版と言い切ってよいのだろうか。デュ・リュオー版と1605年版が非常に似通った版である(同一人物が出版したという説すらある)ことはよく知られているが、1605年版は信頼できてもデュ・リュオー版は信頼できないのだろうか…。

 

 いささかくどく問いかけてしまったが、この場合、ランディが現存最古の完全版である1568年版のフォトコピーを紹介した上で、現地調査までしてその原文が適切なものであることを示しているのだから、それを紹介するだけで十分だったはずである。

 調査範囲の示されていない古版本の調査などは鵜呑みにするわけにはいかないし、ましてや「一応信頼できる古い版」などという根拠不明の基準まで持ち出されたのでは、このあたりの事情に疎い読者をミスリードしてしまう危険性が高い一方、残念ながら研究史上になんら寄与するものとはいえないだろう。

 

ノストラダムスの四行詩のルーツは「シビュラの書」か?

 

 さらに志水氏は『解剖学』でこんなことを述べている。

 

定型詩による予言は、『シビュラの書』がルーツ

 そもそも、少なくとも日本で刊行されたものに関して言えば、ノストラダムスの予言がなぜ予言詩という形をとっているのかについて述べたものが、見当たらないのである。

 これは、『シビュラの書』(シビュレーの書)が6行詩による予言集になっていることに関係がある

『シビュラの書』というのは、イタリア南西部の古代ギリシャの都市、クーマイの巫女の記したという予言集で、古代ローマ人は地震・疫病時に、この書により神の怒りを解く方法を見つけたといわれるものである。

 しかし実際には中世にまとめられた偽書のようである。(p.130。斜字体は小見出し)

 

 この記述にはいくつもの問題点がある。まず、『シビュラの書』そのものについてだが、志水氏の簡潔な記述だと、あたかも『シビュラの書』自体が、虚偽の来歴とともに中世に現れたかのようだが、そうではない。『シビュラの書』は古代ギリシャ・ローマ世界で知られていたもので、ローマ・カピトリウムの丘のユピテル神殿に奉納されていたものだが、伝説的挿話を持つオリジナルは火災で失われた。現在伝わり、旧約偽典、新約外典に一部が含まれる『シビュラの託宣』は、その伝説的来歴にかこつけて紀元前2世紀頃から中世半ばまで偽作されたもので、本来の『シビュラの書』とは何のつながりもない。志水氏の説明では、この『シビュラの託宣』と『シビュラの書』が混同されてしまっている。

 

 また、志水氏の書きようだと、あたかもノストラダムスと『シビュラの書』の関連性を述べたノストラダムス本は、日本では全く出されていなかったかのようだが、それも事実ではない。エリザベート・ベルクールの訳書にこうある。

 

 これ〔引用者注:『エジプト秘儀論』のこと〕を読んですぐに、ノストラダムスは『巫女の神託集』を読みふけったのだろう。いくつかの四行詩が『キャピトリアムの神託集』にその起源をもとめられることからすると、これはたしかだ。

 この神託全集は、ローマのキャピトリアム神殿に保存されていた。ノストラダムスはギリシア語の原本を読んだろうし、あの有名なギリシア語=ラテン語対訳版も持っていた。(ベルクール著・長島良三訳『裏切られたノストラダムス』リヨン社、1982 pp.78,80

 

 長さがまちまちなこの十巻の神託書には、四千以上の神託がのせられている。現在や未来のことを、六行詩の形式でつづっているのである。これがのちにノストラダムスのスタイルとなった。(同p.82

 

 志水氏がこれを下敷きにして書いていることはほとんど疑う余地がない。なぜなら、実際の『シビュラの書』は六行詩ではないからだ。上に引用したベルクールの言葉を原書から引用しておこう。

 

Plus de quatre mille héxamètres, répartis en dix livres de longueurs inégales, fournissent des oracles concernant le présent et l’avenir, présentent le style qui sera plus tard celui de Nostradamus. (Bellecour, Nostradamus trahi, R.Laffont, 1981, p.35)

 

 原文と訳文を見比べると、さすが『メグレ警部』シリーズの翻訳などで知られる長島氏の訳はこなれたものだと感心させられるが、「六行詩」は誤訳であることがわかる。原文にははっきり「六歩格」(héxamètre)と書かれている*六行詩と六歩格はまったく別の概念である。六歩格とは、1行の中でのリズムの刻み方を言うのであって、全部で何行あるかとは関係がない。逆に、六行詩は、1行内の韻律がどうあれ、六行でユニットが成立していなければならない。実際、ベルクールの邦訳書に載せられている『シビュラの書』1544年版の写真を見れば、全然六行で区切られておらず、六行詩などと呼べないことはすぐに気づく。実際、私(sumaru)はベルクールの原書を見るまでもなく、これが誤訳である可能性に気づいていた**

héxamètre は手元の仏和辞典では全て hexamètre と綴られている。ベルクールの綴りが誤植なのか、現地で許容される揺れなのかはよく分からない。

**根拠を挙げないと嘘臭くなるので、新戦法氏に昔いただいたコメントを根拠として挙げさせていただく。当時、原書を持っていなかった私は、この指摘のおかげで自分の抱いていた疑念の正しさを確認することができたのである。

 

 こうした誤訳をそのまま引き継いでいることは、とりもなおさず志水氏の出典がベルクールの邦訳書であった可能性が高いことを示している。同時に、『シビュラの書』そのものについての追加調査などを行わないまま、ベルクールの見解を引き写してしまっていたらしいこともうかがえる。これを「日本で刊行されたもの」では全く触れられていない話として紹介するのは問題があるだろう。

 

 さて、では本質的な議論に入ろう。果たして、志水氏が言うとおり、ノストラダムスが詩で予言したのは『シビュラの書』と関係がある(=それを意識した)からなのだろうか。この点はいくつかに切り分けて考える必要がある。

 まず、純粋に詩法上の問題として考えた場合はどうか。その場合、『シビュラの書』が元になっているとするのはナンセンスだろう。

六歩格は古代ギリシャ語・ラテン語詩の用語で、わずかな例外を除けばフランス語で詩を書いたノストラダムスにそのまま当てはめられるわけがないからだ。実際、ギリシャ語とラテン語の対訳である『シビュラの書』と、ノストラダムスの予言詩に様式上の共通点を見出すのは難しいように思う。

白水社の『仏和大辞典』では、誤用とした上で héxamètre がアレクサンドラン(112音綴)の意味で使われうることも示されている。しかし、ノストラダムスの百詩篇は110音綴でアレクサンドランではないため、その意味でも関連性が薄い。晩年の予兆詩では確かにアレクサンドランが採用されているが、それをもって予言詩全体が『シビュラの書』の様式に影響されたと結論付けるわけにはいかないだろう。

 ベルクールは様式(style)の話をしているのだから、以上の議論をもって彼女の指摘が不適切であることは明らかだろうし、それを引き写した志水氏の見解も同様に不適切であろうということはいえるだろう。

 

 ただし、せっかくなので次に内容的な問題についても検討しておこう。『シビュラの書』の内容に、百詩篇が影響された可能性があるのかどうか。

 これについては絶対無いと言い切れるわけではないし、実際、パリ大学のピエール・ベアールのように「古代の予言の文体を、シビュラの言語を回復させようと試みた」(高田勇・伊藤進『ノストラダムス予言集』岩波書店、1999年、pp.345)とする者もいる。しかし、『予言集』と『シビュラの書』に直接的な関連性を想定する論者は余りいない。『シビュラの書』は特定の文献だが、「シビュラ」はそこから転じて古代の預言をする巫女一般をさす言葉としても使われる。デルポイの例を引くまでもなく、古代の巫女の預言は総じて曖昧なものであった。ベアールが言う「シビュラの言語」はそうしたものを指すのであって、直接に『シビュラの書』を指しているわけではない点には注意が必要である。

 また、ブランダムールの『愛星家ノストラダムス』(1993年)には同時代文献を含む膨大な参考文献が70ページ以上にわたり掲げられているが、そこに『シビュラの書』はない。1996年の校定版でも同様である。ブランダムールが『シビュラの書』を見落としていたとか、知らなかったという可能性があるかというと、それは次の理由からありえない。ブランダムールは古代ローマに関する著書や論文を複数執筆している専門家なので、古代ローマで有名だった『シビュラの書』を知らなかったとは到底考えられないからである。

 以上、内容的にも(全く影響がないとは言い切れないにせよ)特筆すべき優先度が与えられるほどの密接さは到底見出すことができない。

 

 また、ベルクールや志水氏のように『シビュラの書』と関係があったと根拠もなしに書くだけでは、当時の予言者のうち詩で予言したのがノストラダムス一人(高田勇・伊藤進『ノストラダムス予言集』岩波書店、1999年、pp.343-344 Petey-Girard [2003] p.17)という事実についても何ひとつ説明したことにならない。同じように予言をしたチュレル、ルーサ、レオヴィッツ、ガウリコらが詩で予言しなかったのは一体なぜなのか。

 ノストラダムスよりも先に(四行詩ではない)韻文で書かれた予言があったというだけで、安直にルーツだの関係があるだのと決め付けられては、ノストラダムスもたまったものではないだろう。「と学会」は安直なルーツを想定する日ユ同祖論のようなトンデモ学説を笑いものにしてきたが、これでは人のことを言えないだろう。

 

 ちなみにその伝でいくと、ノストラダムスがホラポロの『ヒエログリュピカ』を韻文訳したのは、一体何がルーツなのだろうか(笑)。『ヒエログリュピカ』研究で博士号をとったブリュノンらが指摘するように、『ヒエログリュピカ』の翻訳は15世紀以来数多く出されたが、あれを韻文訳したのはノストラダムスただ一人であって*、ルーツもへったくれもないはずだが。

Robert Aulotte, "D'Égypte en France par l'Italie : Horapollon au XVIe siècle" , Mélanges à la mémoire de Franco Simone, Tome 1,  Genève ; Slatkine, 1980, pp. 555-572 ; Claude-Françoise Brunon, "Lecture d'une lecture : Nostradamus et Horapollon", La littérature de la Renaissance, Genève ; Slatkine, 1984, pp.115-132

 

 個人的には、ノストラダムスは予言をするとかしないとかということとは別に、詩作そのものに強い関心を持っていたのではないかという気がする。その当否は措くとしても、専門の文学者たちの研究でも、当時の他の詩人たちとの関連などが様々に議論されているので、志水氏の見解はいささか的外れに思える(念のため付言すると、文学的に考察している文献の中でも、ブランダムールの著書、シェファードの論文、バルマスの著書などは、『解剖学』よりも前に刊行されている)。志水氏の著書よりも後の登場になるが、仏文学者である高田勇氏と伊藤進氏の見解を引いておこう。

 

 四行詩というのは、ソネットを構成する四行詩から派生したのではなく、中世からすでに使われていて、一六世紀ではメラン・ド・サン=ジュレ(1491-1558)もクレマン・マロ(1496-1544)も使い、その簡潔さが諷刺や格言の強烈な表現にふさわしいために、格言詩人たちが自らの倫理観の表現のために好んだものである。まず同じ書店マセ・ボノムから1552年に出たギヨーム・ド・ラ・ペリエール(1499-1565)の『四界の考察』が十音綴交錯韻の四つのサンチュリから成っているのに注目しよう。ノストラダムスがこれを知らなかったはずはなく、彼が構成上はこれに従ったことをブランダムールは主張している。もちろん、両者は主題も文体も着想も異なっている。(高田・伊藤、前掲書 pp.331-332。引用に際して、一部の年号の漢数字は算用数字に置き換えた)

 

 見ての通り、専門的には『シビュラの書』などよりも直接的に触発されたらしい文献の存在が指摘されているのである。

 

 

「最近」の研究成果の扱い方

 

 最後に、志水氏は結論近くでこう述べている。

 

 ところで、さらに最近の研究で、『百詩篇集』には、とうてい予言だとは思えないような詩が少なからず含まれていることが判ってきた。

 例えば、第三章で言及したフランスの言語学者で神話学者のジョルジュ・デュメジル(18981986)は、V-6 の詩を問題にしている(これも『ダ・カーポ』誌1990321日号を参照させていただいた)。

 ()

 また、フランスのゴードン・ルロワ博士という研究者は、ノストラダムスの予言詩の中に、彼の住んでいた場所の情景描写でしかないものが多く含まれていることを指摘している(竹下節子『ノストラダムスの生涯』朝日新聞社、1998。鏡リュウジ&松村潔『1999をぶっとばせ!』アスペクト、1997)。

 こうなってくると、実は問題の『百詩篇集』は、予言書ではなく、予言書を装った冗談文書だったのではないかとまで思えてくる。

 また、やはり最近の研究によると、彼の作ったホロスコープ(略)を分析したところ、案外適当な作りで狂いがあったことが判明している。

 これでは、「聖書と天文学によって」予言詩を書いたという彼の話も、はなはだ怪しいものになってくる。

 どうやら、少なくとも、筆者(志水)が『大予言の嘘』で述べた、未知の計算法によって得られた星の位置に聖書の予言を当てはめたものではないかという解釈は、とんだ買いかぶりだったようなのである。(pp.132-135

 

 ゴードン・ルロワって誰ですか、という下らない突っ込みはさておくとして(正しくはエドガール・ルロワ Edgar Leroy)。

 「最近の研究」に挟まれているため、あたかもルロワの指摘まで「最近」のものであるかのように読めてしまうが、そのような事は全くない。レオニの本では、ルロワの1942の論文を紹介した際、彼の研究のポイントを次のようにまとめていた。

 

1)ノストラダムスのユダヤ系先祖は何ら高名な存在ではなかった。

2)ノストラダムスの予言集は、酩酊的昏睡の中で、個人的・歴史的追憶を元に作成されたものである。

Leoni[1982]p.100, より詳しくは p.72

 

 レオニのこうした紹介をきちんと読んでいれば、ルロワの研究の概略はとっくに掴めていたはずである。これと関連して、少々気になる記述がある。一度話が逸れるけれども御辛抱いただきたい。

 志水氏は五島氏の著書で引用されている六行詩の採用基準が、あたかも日本語文献に安直に頼っただけであるかのように印象付けようとしてなのか、こう述べている。

 

なお、同書(および同氏の『ノストラダムスの大予言』シリーズすべて)の中で引用されている6行詩は、訳文こそ異なるものの、第1番の詩を除いてすべて一度は高田勇氏によって前記のドゥ・フォンブリュヌの『新釈ノストラダムス』の一部として日本語に訳出されたものばかりである。ドゥ・フォンブリュヌの原著(続編も含む)では、全部で58篇ある内の約半分に当たる30篇が解釈されているにもかかわらずである。これはいったい、何を意味するものであろうか?読者の皆さんがご自分でとくとお考えいただきたい。(p.56

 

 しかし、六行詩を全篇見渡せば分かるとおり(全訳は姉妹サイトの「この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言」参照)、六行詩には1600年代の年号の入っている詩や、マイナーすぎる地名のちりばめられた詩がかなりあるため、未来予測に流用できる抽象的な詩は比較的限られている。そして、フォンブリュヌの日本語訳は「未来解釈」の部分を中心にした抄訳である。このため、フォンブリュヌの邦訳版と五島氏の扱う詩に共通する偏りが生じたとしても、一概におかしなこととは言い切れないのである(ちなみに六行詩の英仏対訳はレオニの本にも載っているので、志水氏がきちんと読んでいたのなら、以上のような事情は当然知っていたはずである)。その点に触れないのは、必要以上に五島氏を貶めすぎではないだろうか。五島氏がデタラメやハッタリを多用していることには私も全面的に同意するが、だからといって根拠もなしに悪印象を持たせようとするのはどうかと思う。

 

 ルロワに話を戻すと、志水氏は『大予言の嘘』(1991年)ではルロワの名前を一度も出していなかったのに、日本語で紹介された後になって、遅ればせに紹介しているのだから、上記の五島氏に向けられていた疑惑は、むしろ志水氏の紹介姿勢にも(紹介姿勢にこそ)、あてはまるのではないだろうか。

 

 さて、ノストラダムスの占星術に計算間違いが多い、ということはブランダムールなども指摘するとおりである。だが、それを以って予言に天文学(占星術)を用いたという話自体が怪しくなる、などと言ってのけるのは理解ができない。占星術を用いたがその計算を間違ったということが、16世紀の占星術師の行動としてそんなにありえないことなのだろうか。

 そもそも、ノストラダムスの予言を16世紀の歴史的文脈に位置づけた上で、文学的な評価を行うという視点は、英語圏でもすでに出されていた(cf. LeVert[1979]. 仏語圏では言わずもがなである)。こうした視点を顧慮することなく、御自分で勝手な仮説を立てておいて、それが間違っていそうだとなると「買いかぶりだった」などと切って捨てるのは、あまりにも先行研究をコケにした物言いではなかろうか。挙句、「予言書を装った冗談文書」発言に至っては、本気で「海外の研究や常識」を正しく伝えようという意志があったのだろうか、とすら思えてしまう。

 志水氏は、ノストラダムスが『アンリ2世への手紙』の中で「聖書と天文学によって」予言をしたと書いている、とたびたび述べていた。しかし、これも大乗氏の訳などによって得た不正確な知識であるとしか思えない。詳しくは当サイトの「アンリ2世への手紙・対訳」(23節、89節)を参照していただきたいが、ノストラダムスが「聖書と占星術」を併記しているのは、アダムやノアなどの聖書年代を算定するくだりであって、自分の予言の方法論を述べた箇所ではない。誤った文脈理解に基づいて立てた仮説が間違っていたとしても何も不思議なことではないが、それが間違いだったとなるや「冗談文書」呼ばわりされたのでは、ノストラダムスもたまったものではないだろう。

 

 前後するが、デュメジルについては『大予言の嘘』(データハウス、1991年、改訂版1997年)では、こう述べていた。

 

 また、日本ではほとんど知られていないが、明らかに当時のその他のオカルト知識等を援用している盗用に近いような部分があることも、フランスの著名な言語学者で神話学者のジョルジュ・デュメジル(1898− )等によって指摘されている。

 しかし基本は、前記のアンリ二世王にあてた書簡に述べられているように、やはり「聖書と天文学」によっていると考えざるを得ない(後略)。(『改訂版・大予言の嘘』p.169

 

 このように、もともと『大予言の嘘』では、デュメジルの仮説は「聖書と天文学」の前で一蹴されていたのである。それが、『〜解剖学』では「聖書と天文学」の否定要因になってしまったのは何故だろうか。『〜解剖学』の方でも、デュメジルの見解は1990年の雑誌からの孫引きなのだから、新しい情報を得たわけではなかったはずである。

 それなのにこうもコロッと変わってしまうのでは、「海外の研究や常識」をかなり恣意的に取り込んでいたのではないかと思えてしまう。

 

 そもそも志水氏はノストラダムスの予言には聖書的なモチーフが多数登場しているというが、これはどうなのだろうか。実証的な研究はノストラダムスの「百詩篇」について、基になったと思われる文献を次々と明らかにしている。しかし、その出典は、古代や中世の歴史書や年代記、同時代の予言書や神秘思想関連書などであって、聖書との直接的な関連を指摘されている詩篇などはむしろ少数派である(cf. Brind'Amour[1996])。

 また、『予言集』第一序文(いわゆる「セザールへの手紙」)には、福音書中の「豚に真珠」をはじめとする聖書からの引用句が含まれているが、これらのほとんどはジロラモ・サヴォナローラの『天啓大要』からの孫引きなのである(当サイトの第一序文対訳も参照のこと)。

 ノストラダムスがクリスチャンである以上、聖書を無視してはいけないのは事実であろうが、あまりそこに拘ると、かえってノストラダムスの世界観を見誤ってしまうのではないだろうか。

 

 

ノストラダムスへの愛?

 

 「海外の研究や常識」の受け止め方に関連して、先ほどでていた「こんなところにもノストラダムス」についても改めて一言。1980年代以降急速に発展している実証的な研究は、従来省みられていなかった一見無関係と思える文書の中から、重要な証言を次々と発掘している。まさに、専門家たちによって、「こんなところにもノストラダムス」の実例が研究書に盛り込まれているのである。本気で海外の動向を紹介しようと思うのであれば、まずは、そうしたまともな「ノストラダムス本」に当たるのが先決であろう。見るべきものがない、と一方的に切り捨てて、自分の発見だけを強調するのは、先行研究に対する誠意に欠ける。

 

 志水氏は、五島氏の記述にはノストラダムスに対する「愛」が感じられないという(pp.59-61)。その志水氏は、『〜解剖学』の執筆状況が次のようなものであったと語っている。

 

志水● 引用したりすると、本を探さなくてはいけない。今度のノストラダムス本でも、九九年に間に合わないので、「今もらってるゲラから起こして編集してしまうぞ」と編集さんに言われまして、これは私、テキメンに効きましたよ。で、「わかりました」ってことで、あわてて作業に移った。調べなきゃいけない部分はカットして、調べなくてもいい話をどんどん書いていった。それはそれなりに面白くなりましたけどね。(前掲『トンデモ創世記2000pp.159-160

 

 プロの物書きは私などとは違って、紙幅や〆切りと向き合って執筆しなければならないということは分かるし、志水氏の執筆姿勢は仕方のない部分もあったろうと考える。しかし、「調べなくてもいい話をどんどん書」くということが、「愛」のある文章といえるのだろうか。

 ちなみに、『〜解剖学』の前半はほとんど『大予言の嘘』の使いまわしだが、そこに新たに付け加えられた「調べなくてもいい話」には、以下のようなものがある(斜字体の部分が新規改稿部分)。

 

 五島氏が大して珍しくもないもないような本をいかにも稀少なものであるかのように言ったり、事実に反することをまるで見てきたかのように書いたりするのは今に始まったことではないが(中略)、この場合は恐らく、湾岸危機による文字通りの"緊急出版"で、改めて新たな資料を入手する余裕がなかったものであろう。

 しかし、いやしくもノストラダムスの専門家面をするのであれば、せめてその程度の資料収集はしておくべきではないですかね。

 こんな人が日本で"最高権威"などといわれてマスコミで持て囃されている現状は、ただもうお寒いとしか言いようがないではないか。筆者も不肖日本人のはしくれとして、ひたすら恥じ入るのみである。pp.58-59。なお、中略部分には新規に参考文献が一件追記されている)

 

 斜字体の部分は『大予言の嘘』では単にこうなっていた。

 

ノストラダムスに関しては、日本で"最高権威"と言われているような人でさえ、この程度のものなのである。(改訂版p.150

 

 わざわざ『〜解剖学』用にキツイ物言いが上乗せされているのがわかる(ついでに言うと、前記「愛がない」発言も『〜解剖学』で新規に加筆されたものである)。

 くり返すが、志水氏が〆切りに合わせるために資料面での充実を犠牲にした面があったことは、ある程度仕方のないことだったろうと考える。しかし、それを棚に上げて他人への批判をエスカレートさせるというのは、加筆の方向性として首をひねらざるをえない。五島氏の受け止められ方について「日本人のはしくれとして」恥じたりなどする前に、まずは一人の物書きとして(以下略)、といったことをお考えいただくべきではなかったのだろうか。

 

 志水氏は20097月に55歳で惜しくも逝去された。偏った見方一辺倒だった日本のノストラダムス理解に一石を投じた志水氏の存在は、非常に大きなものであったと今でも思う。それだけに、ご本人も認める「急拵え」な作品に関して、修正された御見解などを提示なさる可能性がわずかでもあることに期待を残していたのだが、その可能性も残念ながら潰えてしまった。

 懐疑派を自認するような立場で今後ノストラダムスについて物を書く方(ウィキペディアでの関連記事を編集する方も含む)がもしも出るのなら、この件での志水氏の業績については、ぜひとも“批判的に”継承していただきたいものである。別に直接的に批判しろとは言わないし、ウィキペディア上でそれをやったら独自研究で基本方針違反になってしまうが、少なくとも参考文献として利用する際には慎重であってほしい。間違っても礼賛一辺倒になることで、「懐疑論者」が看板倒れに終わらないようにと願いたいものである。

 

 

 

20061011           公開

20061014日        細かな誤植や文章の訂正

20061021日        増補・加筆。一応完成(のつもり)

2007112日          スタイルの修正と「おまけ」へのリンク追加

2008117日          リンクの修正や文章の微修正

2009119             本編とおまけを統合して大幅な加筆・修正・削除

20091110           若干の加筆

20091111           シビュラ関連などを改稿

2010510             ごくささいな修正と加筆

201151               『シビュラの託宣』と『ティブルティナ・シビュラ』の混同を訂正。

2013223             逢い引きを見抜いた話と『シビュラの書』に関する説明の訂正。

 

ノストラダムス雑記帳・トップページ

 

 

【参考文献・引用文献】

 

Robert Benazra [1990], Répertoire chronologique nostradamique(1545-1989), Guy Tredaniel

Rolf Boswell [1941], Nostradamus Speaks, Thomas Y. Crowell Co.

Jacques Boulenger [1943], Nostradamus et Ses Prophéties, Editions Colbert

Pierre Brind'Amour [1993], Nostradamus Astrophile, Klincksieck

Pierre Brind'Amour [1996], Nostradamus : Les Première Centuries, ou, Prophéties (édition Macé Bonhomme de 1555), Droz

François Buget [1860-1863], "Etudes sur les Propheties de Nostradamus" ou "Etudes sur Nostradamus", Bulletin du Bibliophile et du Bibliothécaire, 1860 (pp.1699- 1721), 1861 (pp.68-94, 241-268, 383-412, 657-691), 1862 (pp.761-785), 1863 (pp.449-473, 513-530, 571-588)

Dr.N.A.Centurio [1977], Nostradamus Prophetische Weltgeschichte, Turm-Verlag

Erika Cheetham [1990], The Final prophecies of Nostradamus (reissue ed.), Warnerbooks

Michel Chomarat [1989], Bibliographie Nostradamus XVIe-XVIIe-XVIIIe siècles, Valentin Koerner

Michel Chomarat [1998], "De quelques dates clairement exprimées par Michel Nostradamus dans sonProphéties", Prophètes et Prophéties au XVIe siècle, PENS

Michel Chomarat [2000], "Un chaînon manquant dans l'oeuvre de Nostradamus: l'édition de 1558 des Prophéties", Nostradamus Traducteur traduit, Hazard

Jean-Paul Clébert [1981], Nostradamus mode d'emploi, la clé des prophéties, Jean-Claude Lattès

Jean Dupèbe [1984], Nostradamus: Lettres inédites, Droz

Jean-Charles de Fontbrune [1982], Nostradamus: Historien et Prophète, Rocher(Pocket)

Dr. Max de Fontbrune [1975], Les Prophéties de Maistre Michel Nostradamus expliquées et commentées (12e édition), Jean Charles de Fontbrune (à compte d'auteur)

Patrice Guinard [2006], Corpus Nostradamus (http://cura.free.fr/602A-index.html)

Balthazar Guynaud [1712], La Concordance des Prophéties de Nostradamus, avec l'histoire depuis Henri II jusqu'à Louis le Grand, Paris

Pierre-Joseph de Haitze [1711/1712], La vie de Michel Nostradamus, Paris

Jacques Halbronn [2002], Documents inexploités sur le phénomène nostradamique, RAMKAT

John Hogue [1997], Nostradamus: The Complete Prophecies, Element

Serges Hutin [1982], Les Prophéties de Nostradamus,Pierre Belfond

James Laver [1952], Nostradamus or Future foretold, Penguin Books

Peter Lemesurier [1999], The Nostradamus Encyclopedia: The definitive reference guide to the work and world of Nostradamus, St. Martin's Press

Peter Lemesurier [2003], Nostradamus : The illustrated Prophecies, O-Books

Edgar Leoni [1982], Nostradamus and His Prophecies, Bell Publishing

Edgar Leroy [1941], "Les origines de Nostradamus", Mémoires de l'Institut historique de Provence, tome XVIII- No.1, 1941

Edgar Leroy [1993], Nostradamus: ses origines, sa vie, son oeuvre, Jeanne Laffitte (réimpr. de 1972)

Eugène Lhez [1968, "L'ascendance paternelle de Michel de Nostredame", Provence Historique, T.18

Liberté LeVert (i.e. Everette Bleiler)[1979], The Prophecies and Enigmas of Nostradamus, Firebell Books

Olivier Millet [1987], "Feux croisés sur Nostradamus au XVIe Siècle", Divination et controverse religieuse en France au XVIe siècle, PENS

Bruno Petey-Gyrard [2003], (Nostradamus) Les Prophéties, Flammarion

James Randi [1990], The Mask of Nostradamus. A Biography of the World's Most Famous Prophet, Charles Scribner's sons

Stewart Robb [1961], The Prophecies on World events by Nostradamus, Liveright

Louis Schlosser [1986], La vie de Nostradamus, Pierre Belfond

高田勇[2000]「ノストラダムス物語の生成」(『ノストラダムスとルネサンス』岩波書店、所収)

Hayato TAKUBO [2006] 「欧米における予言集第1072番の解釈史−20世紀−」(サイト「ノストラダムス研究室」内)

竹下節子[1998]『ノストラダムスの生涯』朝日新聞社

山本弘[2000]『トンデモ大予言の後始末』洋泉社

クルト・アルガイヤー[1985]『1987年悪魔のシナリオ・ノストラダムス大予言の新しい解釈』光文社

ヴライク・イオネスク[1991]『ノストラダムスメッセージ』角川書店

ミシェル・クロード・トゥシャール[1998]『時の旅人ノストラダムス』ボーダーライン文庫

ピーター・ラメジャラー[1998a]『ノストラダムス百科全書』東洋書林

ピーター・ラメジャラー[1998b]『ノストラダムス予言全書』東洋書林

ジェイムズ・ランディ[1999]『ノストラダムスの大誤解』太田出版

ジェームズ・レイヴァー[1999]『預言者ノストラダムス』小学館文庫

ヘンリー・C・ロバーツ[1975]『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』たま出版

 

 

ノストラダムス雑記帳・トップページ