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50歳からのダンス挑戦 3級戦成績 1・10武蔵野市L3次・S2次 1・16戸田市L1次・S1次

2005年1月22日 (土) 寒い1週間
日曜日の成績の悪さが尾を引いて、そのうえこの一週間は北関東の空っ風の吹きすさぶなかを東奔西走したので、気分まで冷え切って、少しも盛り上がらに週末を迎える。

我々シニアースタッフが、自分の担当する支店を巡回して支援する試みがスタートしたのだ。毎日が不慣れな職場だから、年の功で、図々しくはやっているが、気は遣う。疲れる。

レッスンも女房のルンバを中心にしてお茶を濁す。「いつも彼方が中心で、自分は何も教わっていない」とのたまうので、いい機会だから、すべて女房中心でやってみた。以外に新鮮であったし、こちらも随分踊り易くなった。小生のレッスンはいくらやっても限界に近いのだから「この方法も一考に価するな」と思う。

小生が2級に早くなりたい、早く盛装で競技会に参加したいと考えているのは。今から2年前、5級戦で1年間も昇級できずに苦しんでいた時、公民館のDPで、20年近くの経験のあるベテランの年配者の2人の会話が自然に耳に入ってきた。
「競技会も3級までは少し齧れば誰でもいけるんだよね」とのこと。苦しんでいた時だっただけに、「何にも分かっていない」と心のなかで叫んでいた。
けっして、この2人は小生のことを言っていた訳ではない。一般論を言っていただけなのだ。

しかし、小生もこの話しの3級までようやく来て、2級への昇級で苦しむ様は、この2人の会話にぴったりで、それが悔しい。
昨年の初めはこのことを意識しながらも、軽くクリアーすべく、敢えて意識をしないようにしていたが、いまはこれを乗りきることに躍起になっている。

今日も1週間の疲れを癒すべく遅起きしたが、気分転換したくなり、2時間ばかり件の公民館DPで汗を流してきた。汗とともにストレスも洗い流され、新たにダンスする意欲も蘇ってきた。

決意も新たにして「公民館親父の一言」を凌駕したい。明日も早朝のラテンの練習会に行く決意。いくら寒くても早起きして。

2005年1月16日 (日) 埼玉南ダンススポーツ大会
身も心も凍てついて帰ってきた。
朝から底冷し雨も降り続くなかを参戦してきたが、一年前に逆戻りしたような惨敗。
ラテンもスタンダードも一次落ち。前から地元とは相性が悪かったが、何にも変わっていなかった。

ラテンは38組でチャチャ・ルンバ。1次1・1で敗退。ミスも特になかったが、この結果。戦前に「埼玉は東京に比べ少数精鋭かな」とふと感じたことは確か。1級戦から始まったがいつもは感じないのに。「随分レベルが高いな」と感じた。出番がくるに従い寒さとこの気持ちが相俟って、気持ちが萎縮していたかもしれない。

午後からはスタンダードでワルツ・タンコ゛。体を良く温めてスタートしたが、こちらも踊りながら午前中の気持ちが尾を引いて弱気の虫が頭を擡げる。踊り終えても、伸び伸び踊れた思いもなく、結果は1・2で敗退。

全然しっくりしないままに一日が終わる。悔しさも感じないままに終わったようなもの。「力がないから負ける」のだからこれを真摯に受け入れるしかない。
2月は家族旅行、田舎での甥の結婚式で競技会への参戦は無理なので、じっくりレッスンに励みたい。「ダンスは本当に難しい」と痛感した、暗い、長い、苦しい一日だった。

2005年1月10日 (月) 武蔵野市ダンススポーツ大会
満を持して出場した初戦も惨敗。体調も良し、会場は抜群、普段通りなのに勝てないなんて、実力の不足に落ちこむ。
スタンダードは2次敗退。2次を終えて「これから最後まで乗りきるぞ」と決意を新たにしていたら、敗退の報。戦闘態勢に入る前に勝負がついてしまった。

午前のラテンは十分なレッスンも受けていないので、準備体操みたいなものだが、いざ始まればメラメラと闘志が湧いてきて、勝ちに走る。74組でチャチャ・ルンバ。1次は5・4で難なく通過。2次のチャチャでトラブル。「リズムが早くなっている」との女房の抗議の動きで途中からメチャクチャになる。事前に4&1の部分をしっかり「たん、たん、たん」と踏むことを確認したが、それが早くなっているとの言い分。口喧嘩して採点を待つ。3・4で辛うじて通過。死に体から行きかえったので、3次は「たん、たん、たん」をしっかり踏むが結果は1・2で完敗。

午後からスタンダード。このところは、これに集中してレッスンを続けてきたので、期待してスタートする。ワルツ・タンコ゛で80組。
1次は5・3で通過。タンコ゛で3回くらいぶつかったがこれが悪かった位に思い
満足して終える。「準決勝くらいまでは行きたい」とひとり思う。
2次戦もワルツタンコ゛とも練習どおりに踊りきる。強いて言えば女房が「タンコ゛はもう少し大人しくやろうよ」に応えたきらいはあるが。2・1で思いも掛けない敗退。

終わった直後はショックで放心状態。帰宅して、いまようやく平常な状態に戻ったところ。
「これだけ難しいものなのだ」と言うことで、自分を納得させたところ。明日もレッスンがあるし、今度の日曜日には地元での競技会も控えている。落ちこんでばかりもいられないのだ。

こんな訳で前途は暗澹たる本年の競技会もスタートした。

2005年1月9日 (日) 今年の幕開け
正月は女房と2人だけだったので、のんびりと過ごす。
年が明けてから、息子夫婦、孫、娘、親戚、甥、姪が日変わりで現れ、あっと言うまに過ぎる。

それでも1月に2回の競技会を控えており、スタンダードについては大きな期待を持っているので4日からはレッスンもスタートした。
この3ヶ月間、左のホールドは組まなかったが、新年から本番態勢で組んで踊る。
途端に距離がでないし、ホールド折れる悪い癖もそのままで落ちこむ。

タンコ゛もワルツも「もっと左に居ることが大事」を膚で知る。合わせて「顔が内に向くと体も右にはいるので、回転の後には特に顔も体も左にストレッチしている」ことが課題。

意識はしてなくても足踏みが続くのは、限界が近ずいている証しなんだろうが、いま1歩は前進したい。半歩でもいい。
そんな訳で、今年のダンスも幕が切られた。「ダンスが続けられることに感謝しつつ」

2004年12月31日 (金) 大晦日
今年もあと何時間かで終わろうとしている。
27日から休暇に入り、最後のレッスンも終えたので、あとは久々に大掃除を手伝う。いつも不自由している夏物・冬物の衣類の整理から、永年の酷使で疲れきった背広を捨てたり、部屋の模様替えまでして、年末のイベントを楽しむ。最後に風呂場まで磨いて、そのまま一風呂あびて気分もすっきりっしてお終いにする。

ダンスのこの1年間は、振り返ると忸怩たる思い。ドレスをめざして快調にスタートしたのは3月末。そのあと11戦して準決勝への進出は皆無の苦戦続き。良くて最終予選までだった。
ラテンは完全に停滞。スタンダードは少しずつ進歩している感じ。
スタンダードについては、レッスンもかなり積み重なったので、満を持して年初の
競技会を待っているところ。

定年になり、5ヶ月の自由も満喫したし、その自由も有り余ると楽しいより苦しいことも分かったので、貴重な体験をした1年だった。
あとはこのダンスがいつまでも続いていけることが、心身ともに健全な証しでもあるので、いつまでもこのチャレンジ精神を持ち続けてたい。

2004年12月22日 (水) ようやく師走らしく
競技会が終わった11月の後半から、人並みに遊んだら体も財布も疲れきった。
ボーナスのでない暮れを始めて迎えるので、ひもじさが募る。

レッスンは今のコーチャーがようやくラテンのレッスンも解禁してくれたので、急いで教わる。
ルンバ・チャチャを4回に渡り指導を受けたが、大きな違いがあるのは2点。
ひとつは「4&1で送り足を十分にみせろ」だったのが、「1で送り足は寄せろ。寄せないから軸足が次ぎの送り足となる時に折れるし、頭も上下に揺れる」とのこと。
二つ目は「肩の線は水平にして前進・後退」だったのが、「進む方の胸から前進・後退する方の胸から後退」とのこと。

ラテンは今年1年間は「泣かず飛ばずで進歩なし」だったのだから、「何故の」疑問は脇に置いておいて全面的にすがりつくのみ。そのうちに体が理解したら、頭も分かってくるだろう。

ラテンもスタンダードも共通するのは、「途切れのない動き」
ワルツやタンコ゛の&カウントでの体の始動や今回のラテンの足寄せはその典型的なもので、この点は7年目にしてようやく理解しはじめたのだから、ダンスの奥行きは深い。
これができるようになると、「ぶつきれ」から「柔らかなダンス」に変身できて、様変わりの勝ちぬけるダンスになるように夢見ているのだが、初夢までとって置こう。

2004年12月11日 (土) 練習からの逃避
良い天気だし、夕刻のOFF会まで何もないので、ラテンの練習会に参加して帰ってきたところ。常に体を動かしていないと機敏に動けないことを痛感する。

今週は気が進まずに練習をすべてつぶしてしまう。それでもレッスンはチャチャとワルツを2日にわたり受けた。
チャチャはフリーアームが目から鱗。「1で手を振るから棒のようになるので、3から振り始め2の直前に終わるくらいにゆっくりと振れ」とのこと。
ワルツについては、「足はしっかりしているので、足のことは考えずに距離をだせ」とのことで、思いきって踊る。これも左ホールドはしないでの試み。最後には4割くらいの距離のアップが図れた感じ。
「若い競争相手には動きで圧倒するしかない」とのコーチャーの言葉に強く頷き、たっぷり汗を流す。次回はタンコ゛でも同様の距離アップを図ることになりそう。

師走と言っても暖かく、慌しさがまだ少ないので気分的に楽だ。
今年の後半は完全に進歩が止まったような状態だったが、「蓄えられているんだ」と考えたい。
年初は11日から競技はスタートするので、ここから大願成就を果たすべく頑張りたい。大事なターニングポイントの年になることが今から予感でき戦々恐々。

2004年12月4日 (土) 過去の思い出と未知への憧れ
現実は冷徹なものであることを痛感する。

運わるくか良くか、副業がどさっと来てしまい、その締めきりが日曜日なので、それを抱えて新幹線に飛び乗り京都に向う。
新幹線のなかでもせっせと仕事をこなし、ホテルでも寸暇を惜しんで精をだす。
締めきり直前の日曜日には京都駅の斬新なレストラン街でわき目も振らずにこなして、漸く仕上げる。

こんな日程だった為か、15年ぶりのプライベートな京都も、過去の懐かしい甘美な思い出とは程遠く心が騒がない。
永観堂の紅葉も一瞬は感動したが、桜の時のような華やぎは感じない。在住当時も紅葉見物に出掛けた記憶がないのも頷ける感じ。気分直しに四条通りの「志津や」のカルネを食したが、これも昔とは違う。

OFF会も未知の関西人との初対面を期待して大いに楽しみで出掛けたが、広い会場で懇親を深める機会も少なく終える。

終いには疲れ切って女房とも喧嘩して途中の真如堂で別れて別行動で半日を過ごす。
日曜日の遅い新幹線で帰宅するので、夕刻から新装された京都駅をぶらぶらしたら気分も晴れた。天国に昇って行くような構造は保守的ながらも斬新的な京都人の心情を見事に現しており、感嘆することしきりであった。

旅行後の今週は疲れた1週間だったが、レッスンには出掛けた。5ヶ月ぶりにルンバのレッスンを受けたが、「軸足が次ぎの送り足で折れている」との致命的な一言を受ける。「これでは勝てないな」「練習で悪い癖を固めていたようなものだ」と落ちこむ。

家に帰りついてから、食べ残しのカルネを食べてみたら、なんと「うまい」昔の味がした。余裕なく行動しても何も楽しめないことを思い知る。

2004年11月24日 (水)   老いの準備
息子が勤務する会社も世間の例に洩れずに社宅が廃止され、都内からこちらに転居してきた。
孫も2人目が乳飲み子であり、何かと応援することも多くなってきたし、そのうち望まなくてもこちらも応援してもらうこともでてくるだろうから、「近くにこいよ」と言うことで車で15分ほどのところに越してきた。

小生の仕事も1ヶ月半の研修を終え、現場の支店に勤務するようになって4日目。
仕事の勘も戻り、こちらも何とか役には立てそうな目処もついてきたので、一安心している。

レッスンも昨夕にたっぷりやったが、今夜の練習は転居の残務のお手伝いで流れた。しかたのないことであるが、これからはこんな野暮用が増えることは間違いない。

昨夜のレッスンでの収穫はワルツのナチュラルターンでライズしたらロアで途切れることなくスピンターンに入れば、「ぶつきれ」にならないとのこと。
但し頭が完全に左に振れていないと円滑な回転に繋がっていかない。

週末は久々に京都旅行に出掛ける。紅葉なんて6年半の京都勤務でも楽しむ余裕がなかった。この短い紅葉の時期を遅ればせながら15年ぶりに楽しんできたい。
当時は高校生だった息子も2児の親父になっているのだから、時の経つのは本当に早い。

2004年11月14日 (日)    間髪を入れずに練習、練習
競技は最終戦も終えたので、精神的にはほっとしたところだが、登り調子のスタンダードを年内にはものにすべくレッスンに集中した。
苦手なタンコ゛が少しは進歩したと思いはじめたら、ワルツが馬鹿に難しく感じだしてきた。
スエイーがあるから難しいのは当然ながら、「ぶつきれ}になるのが大いに気になる。どうも膝が伸びきってしまい、「ポン」と登ってしまうことが原因のようである。膝が伸びきらないように心掛けて踊るが慣れないと「こんなことでいいのか」と馴染めずに心もとない。

さらに時として「へっぴり腰」にもなるので、今日のレッスンではワルツもタンコ゛も右のホールドだけで踊ることをやってみた。
お互いに体が触れていないとリードも伝わらないし、左にストレッチした姿勢を維持しないと踊れないので、思いも掛けない成果に驚く。
「一体左のホールドはなんだったのだろう」慣れてくると左が無い方が柔らかな
スムーズな踊りになるから不思議である。きっと左のホールドがあらゆるところで悪さをするようである。これからはそっと構えておくだけにしておこうと思う。

いまはもっと、もっと、飽きるほどスタンダードに集中してみようと思っている。そうすればまた何か新たなものが発見できて真理に近ずけそうな感じがする。

2004年11月8日 (月)   江戸川区スポーツダンス競技大会
今年の最終戦を悔いなく戦ってきた。コーチャーの貴重な一言の「思いきり踊る」を胸に秘めて、一曲を息も絶え絶えになるほどの手抜きなしで、1次から最終予選までやってみた。
女房もそのことには触れてないが、踊れば感じるのか、いつもよりは力がこもっていた感じ。

結果はラテン2次、スタンダード3次(最終)で終わったが、力をだしきっての結果なので、如何ともしがたい、更なる練習あるのみである。

両部門とも80組でラテンはチャチャ・ルンバ、スタンダードはワルツ・タンコ゛。
ラテンは1次3・3、2次2・2で敗退。スタンダードは1次3・4、2次3・3、3次1・1で敗退。

タンコ゛がこのところの強化で、得点できるようになってきたことは隔世の感がある。
スタンダードはコーチャーを信じてついていければ大丈夫であることを確信できたので、毎回、毎回おなじように注意されるところを乗り越えなければならない。
ラテンについてはかっての仲間の後輩が別人のような踊りに変わっており驚き。基本、基本のレッスンに耐えきれずに逃避した小生だが、そこを乗り越えた姿がそこにはあった。所詮は基本を身につける。そこに行きつくことを感じる。
また教えを乞うことも考えたい。

この半年、成績は低迷したが蓄えを実感しつつある。敗れながらも明日へ繋がる意欲が沸いてきているので、明日からのレッスンもワルツ・タンコ゛を更に深めていくつもり。
来春には「ラテン、スタンダードともランクアップを果たす」そんな言葉もでるような
手応えと1年間を無事に戦い終えたことに感謝しつつ帰路についた。

2004年10月31日 (日) 久々の気持ち良いレッスン
雨もやんだので4ヶ月ぶりになる朝からのラテン練習会に参加する。

長い間休んだので敷居が高かったが、旧知の仲間の顔も見れて厚かましく定位置の最前線で練習させてもらった。ラテンはレッスンにも練習会にもこのところ参加してないのだから成績が伸び悩んでいるのは当然ながら、原点に戻って基本のウオーク中心の練習に満足感を感じながら、快い汗を流してきた。地道な基本が完全に出来なければはじまらないことを改めて痛感して、楽しくアフターまでして帰ってきた。みんな伸び悩んでいて、少しでも進歩したいとの話しが中心だった。

夕刻から女房とスタンダードのレッスンに向う。こちらも女房の風邪で2週間ぶりで、少し上向きかけていた調子が崩れていないか懸念していたが、思ったよりも
動けて、及第点を貰う。
ただし今日は大事のことを言われた。「基本が十分できてきているので、もっと思いきった大きな動きが欲しい」「クローズドプロムナードやチェイスの前進で女の動きを待つことなくどんどん大きく動いてください」「そうしないと基本がしっかりしてなくても動きが鋭い若手に見劣りする」「要は今の状態では、ちまちました正しい踊りより多少の難がでてももっと魅力のある踊りが必要だ」「そのリード役は位置的に女性では出来ないので、男がどんどん動けば女は動いていきますよ」とのこと。
前にも別の表現で別のコーチャーからもこんなことを言われているが、今日はその言葉がぴたーと心の襞に感じたので、手応えを自分自身でも感じてきたところのような気がする。

そんなで、今日一日は良いレッスン日だった。時にはこんな日があったっていいだろう。

2004年10月28日 (木)    マンネリの心地よさ
世間のマンネリを非難していながら、マンネリの心地よさに浸っている。

失業生活とともに5ヶ月も続けた変化ある不規則な生活も40年にわたり浸透したマンネリズムには勝てなかった。変化ある生活は心身ともに疲れる、疲れる。

早朝の6時の朝飯もそれなりに食べれるし、夕刻は倒れるように帰宅して貪り食う夕食の美味さを実感する幸せは結構いいものである。

ダンスも新たな仕事を覚えることを優先したので、練習もレッスンも半減しているがその分、ダンスへの渇望感が蘇り、 新鮮な気持ちも取り戻しつつある。
サラリーマン生活への復帰で生活のリズムが取り戻せたことと、ダンスに相応しい季節のよさにの到来が相俟ってはいるのだろうが。

来週が本年の最終戦で不本意な年になってしまったが、飽きるほどレッスンも練習もやったのだから蓄積にはなっていると信じたい。

仕事に復帰してたった1ヶ月しか経っていないのに、バスの座席、駅のホーム、電車の車両、喫茶店の席、みんな毎日、毎日おなじことを繰り返している。

人間は以外にマンネリが好きなのかもしれない。

2004年10月16日 (土) ダンススポーツフェステイバルin東京2004
季節はよく、昨夜の睡眠も十分にとれ、朝食も十分にとれ、会場も翌日の三笠宮杯のメインアリーナだから申し分ない。
こんな好条件のもとでチャレンジしたが、ラテンもスタンダードも1回戦で門前払い。
1000組を午後4時間までに終わらせるのだから、1曲は1分半くらいであっと言う間に終わり、今日は4曲6分くらいの体験で終わった。
会場が素晴らしく晴れがましさだけは、良き思い出にはなった。

C級の競技を久々に観戦したが、テミ・makura組の決勝進出とその素晴らしい踊りに感嘆するばかり、羨ましい限りである。

ラテンは93組でチャチャ・ルンバ。2・2で1次敗退。スタンダードは104組ワルツ・タンコ゛。2・1でこれも1次敗退。1次で半数を落とすので、そこに見事に嵌ってしまった。
今回は「自分の今の力が評価されるのが競技会」と考えて臨んだので、実力以上の力みもなく、「まだまだ、まだまだ」との思いが強い。

仕事への復帰で生活のリズムもようやく回復しており、寸暇のなかでの練習にも張り合いが出てきた。新たな仕事も単純ながらなんとかこなせそう。若い人達に混じり少しでも役に立っていることが、このところの「世間からのとり残され」が払拭された感じ。無聊をかこつ生活にはもう戻りたくない。

失業生活もうまいこと5ヶ月弱で終止符を打ち、150日の失業給付も13日分を返上して正式に就業の届けを出してきた。もうハローワークには生涯世話にはならないことにしたいものだ。

2004年10月9日 (土)  
優雅な失業生活も終止符を打ち,仕事に復帰して1週間が経過した。
優雅すぎる生活も5ヶ月も経つと持て余してしまい、今は40年間培われた
リズムのある生活に戻り心身ともにほっとしているところ。

早朝の6時に起床するのはやっぱり辛いが、そのあとの朝食のうまさや
人との交わりで感じる充実感は何物にも変えがたい気持ち。
そんななかダンスのレッスンも欠かさずに受けてきたが、タンゴについてはやれどもやれども同じことの指摘ができず、限界を感じつつ女房と揉めることも多かった。

まずは仕事の復帰を優先して過ごしてきたので、ダンスへの傾斜を少し減らして過ごしてきた1週間だったが、時間が有り余るなかでの練習より、幾分忙しいなかでの練習の方が小生らには向いているような気がしている。

新たなステージのスタートなので、早く仕事をしっかりさせて、そのなかでダンスが少しでも進歩する様に励んで行きたい。