ホーム > ストーブの部屋 > 徒然メニュー3 > ハインリッヒの法則
労働安全衛生の世界で有名な法則に、「ハインリッヒの法則」というのがあります。 ハインリッヒ氏はアメリカの保険会社の人で、労災事故の統計を分析して、 「大きな被害をもたらした事故1件に対して、同じような原因の絡む中小の規模の事故が 29件あり、傷害には至らず事故にはならなかった“あわや”という事態が300件ある」 と結論付けたのです。今から約40年前(現在2005年)のことです。
この法則は今も生きていて、「小さな事故や水面下の危険体験(労働安全の世界では “ヒヤリハット”と言います)を早く見つけて、その要素に対策をとれば大きな 事故を未然に防げるだろう」という思想で広く受け入れられています。 これを図にすると次のような三角形を描くことができます。

三角形ではちょっとピンと来ないので、グラフにしてみました。

この思想は非常に正しく、労災事故だけでなく、ほぼあらゆる分野に応用することが出来ます。 例えば「1件の顧客からの苦情の裏には無数の声にならない不満があって、 その苦情が多数集まると、会社の存続にかかわるような内容になる」といった具合に 使われます。 ただし、1:29:300という比率がそのまま適用できるかどうかは別の問題です。
例えば六本木ヒルズの森タワーで起きた回転ドアでの死亡事故では、過去32件の事故が起きていた そうですから、起こるべくして起きた事故と言うことができます。
さて、この法則を薪ストーブの世界に無理やりこじつけると、 300回火の粉が床に飛んだり、薪のとげを刺したり、アチっと思ったりすると、 いずれ床を焦がしたり、手を切ったり、火傷をするということを意味します。 そして29回床を焦がしたり、手を切ったり、火傷をすると、 火事になったり、指を落としたり、場合によっては死んだりすると言うことを意味します。 これはとても正しいと私は思います。
それでは火事も出さず怪我もしないで済むためには、普段から気をつけて 火の粉を飛ばさないようにし、手袋などの保護具を適切に使い、熱いところを知って 安易に触らないようにすればよいということになります。
私の息子が5歳のときのある日、以前はそれほど薪ストーブに近づかなかった 息子が、何を思ったのかストーブを指先でチョンチョンと触り始めました。 熱さを確かめているようです。私は黙って見ていました。 「室内煙突はだいぶ熱い」、「ストーブトップはちょっと熱い」、 「ストーブ側面はだいぶ熱い」とやって、最後にガラスをチョンと。 「ものすごく熱い!」と言うことを身をもって学んだようです。 手をすごい勢いで引っ込めています。 黙って見ていましたが、「指を見せてごらん。熱かっただろう?危ないよね。 火傷をしたらすぐ冷やすんだよ。」と言い、応急手当をしてやりました。 指先は軽い火傷(第一度熱傷:赤くなる程度)をしています。 これはとても貴重な学習体験になったとともに、人間は間違いをするということを 示唆しています。「To error is human」という言葉があり「誤りを犯すのは人の常」 などと訳されます。熱いとわかっていても触ってしまうのが人間なのです。
しかしローテクの極みである薪ストーブは、私たちにいろいろなことを教えてくれます。 安全についてもまた然りで、スイッチポンではわからない危険性を知らせてくれます。 その危険性を見る感受性も育ちます。
熱いときは気をつけていますが、焚き付けのときは油断するのか、炉入り口の上の部分に 触れて、手に煤をつけてしまいます。おまけによせばいいのに、素手です。こうして 事故に近づいて行くことがわかっていながら「ついやってしまう」のです。

ところでこの法則の原点となった労働災害について、40年前(1960年代)からは ハイテク化も進み様変わりしていますので、これは完全に私の個人的直感ですが確率が ずいぶん変化しているように思います。なんの調査もない個人的直感ですが、 1:2:10ぐらいになっているように感じます。つまり今までは軽微な事故が積み重なって 大事故がついに起きるという構図だったのが、軽微な事故がちょっと重なっただけで 大事故につながるように変化したように思えてなりません。
先に述べたように、たいていのことはスイッチポンでできる便利な世の中になりました。 しかし、そこに潜んでいる危険性は隠されたままで、なかなか姿を見せてはくれないように なっています。安全対策も講じられているので、使う人が知らないうちに間違った操作(エラー) を犯しても、装置の中で修正されるようになっています。もちろんこれで事故は減っている はずなのですが、想定されたエラーの範囲を超えると途端に事故になってしまいます。 ヒヤリハットを自動排除して大事故を防止しているはずが、わずかな小事故が大事故に 直結するような構図です。三角形であらわすとこんな感じです。

グラフにしてみましたが、「300回の事故以前が1回の大事故につながる」と 「10回の事故以前が1回の大事故につながる」グラフを並べると、拡大表示しないと 最近の傾向がわからないほど違いがあります。

使う側も危険への感受性を磨くチャンスを与えられていませんから、「この位は 安全」とか「ここからは危ない」と言った心得がありません。つまり、実際に事故が起きるまで 危ないとは思わなかったというプロセスをたどる例がたくさんあります。昨今報じられている 医療事故なども、この傾向があります。
自動車に乗るとき、私の家族は例え後席であってもシートベルトを締め、子供たちは 進んでチャイルドシートに座ります。これは「ぶつかるかもしれない」と思って安全装置を 使っているからですが、なかには「法律で決まっているから」とか、 「(ベルトをしないと)捕まるから」などの動機で仕方なくシートベルトをしている人が たくさんいます。これらの人は安全装置を想定されている方法で使用しているとは限りません。
安全は国や企業が保証してくれるものではありません。自分で危険性を予見し、結果を 予想し、それに対処しなくてはなりません。その能力をほとんど他人に転嫁しているのが 現代社会です。例えば賞味期限がそうです。賞味期限前だから大丈夫といった盲信になっています。

これらを思う時、我が家に薪ストーブがあって本当によかったと思います。 子供たちに私たちに、自然のリサイクルから生命の循環も、安全性についてまで教えてくれる すばらしい教材です。(2005/5/3up)
回転ドアを例に出しましたが、よくマスコミなどでは「国の安全基準がない」 などと安易で的外れな批判が多くあります。しかし安全は国に定めてもらうものではありません。 仮に国の基準を作ったら、基準はあらゆる場面で“安全”な、画一的な基準になることは 明らかで、無駄が多いものとなります。回転ドアはビルにとって非常に効率的かつ省エネに なる優れたものです。しかし重く早い速度で動く回転体なので、相応の危険があるだけです。 そこに危険性(リスク)があることを知って運転すること、そしてそれを皆に知らせることです。 単なる禁欲的な安全論議は、事故の直後は通用するでしょうが、時が経つと忘れてしまい 元の木阿弥になるものです。亡くなった子供には心から冥福を祈りますが、すべての責任が 森ビルにあるような、あるいは国の基準がないことにあるような論調には到底賛成できません。
このコラムは実は、薪ストーブの話題がなくなる、夏頃にアップしようかと 温めていた内容なのですが、2005年4月25日午前9時18分頃に起きた、 兵庫県尼崎の鉄道事故を受けて急遽アップロードすることにしました。 鉄道事故で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りするとともに、怪我をされた 方の一日も早い快復をお祈りします。