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浄土寺は聖武天皇の頃(724〜749)僧行基が開創した古いお寺ですが、すっかり衰微していたのを、鎌倉時代の建久5年(1194)になって、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が今の浄土堂をはじめ初堂を建てて再興しました。 上に写真を掲載した本堂(薬師堂)は、残念ながら、室町時代に焼失し、再建されたものですが、下に掲載した浄土堂(阿弥陀堂)は創建当寺のままで、重源が宋から伝えた「天竺様」の貴重な文化遺産です。 |
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浄土堂の中には、重源が仏師快慶に作らせた阿弥陀三尊像があります。
本尊の阿弥陀如来が530cm、観音・勢至の両菩薩は370cmの高さです。
背後が西で、午後の陽が差し込むと、堂内がまばゆく光り輝き、来迎の様を現出する仕掛けになっています。 ところで、この阿弥陀三尊像、ひとつ不思議なことがあります。阿弥陀様の上げている手、下ろしている手の左右が普通と反対です。 脇侍の観音・勢至の位置も反対です。 「鏡に映して見る」とか考えたのですが、どうもそんなことは考えられないので、悩んでいました。 そこで、ふと思い出したことがあります。 この阿弥陀三尊像は、重源が宋から持ち帰った仏画を元に彫られた、と堂内に流れていたテープで説明されていました。 ひとつの仮説は、その仏画が版画ではなかったか、ということです。 版画は、しばしば左右逆に摺られています。 それをそのまま作ったので左右が逆になった。 あまりにも単純な仮説のようにも思いますが、案外、当っているかも。 |
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補記:2005年10月31日 ごめんなさい。「脇侍の観音・勢至の位置も反対です。」と書いたのは、誤りでした。この配置(向かって右が観音様)であっています。 それと、阿弥陀様の着ている衣は、「偏担右肩(へんだんうけん)」という一枚の布を体に巻きつけた衣なのですが、この着付けは左右非対称で、この阿弥陀様の着方は正しい着方です。 ですから、全てが鏡に映したように左右逆になっているのではありません。阿弥陀様のポーズだけが、逆なのです。 したがって、「版画を見て作ったから左右逆」という可能性は消えました。 ぼくは、先日、これと同じように、左手を上に右手を下にしている阿弥陀様を見ました。 京都国立博物館で開催されている「最澄と天台の国宝」展に出品されていた、京都・ニ尊院の阿弥陀様です。 ニ尊院の阿弥陀様は、お釈迦様と左右に1対でできています。 お釈迦様は、普通に右手を胸の前に上げ、左手は下げているポーズ、そして、阿弥陀様は逆のポーズです。 並べると、両尊とも中心のほうの手を上げていて、ニ尊がシンメトリーを形作る構成になっています。 その図版を掲げておきます。 |
展覧会の図録から、この仏像の説明を引用します。
この阿弥陀如来の印相の記述は、ほとんど浄土寺の阿弥陀様にも当てはまります。 筆者の淺湫(あさぬま)先生は、なぜこのような印相になったのかについては語っていませんが、図版を見れば明らかなように、「それぞれの仏様の伝統的な印相よりも二尊としての統一感を重視した」結果であると思われます。 二尊の手は、どちらも中心に近い方の手を胸の前に上げ、端の方の手を垂下させています。 それによって、シンメトリー、すなわち三角形の安定した構図を形作っています。 さらに両端の垂下した手はどちらも掌をあらわし、二尊が、心を通わせているように見えます。 阿弥陀如来の上げている手と下ろしている手の左右が逆であること、下ろした手の指が伸ばされていること、どちらも「二尊としての調和」のための改変だと思われるのです。 これを踏まえて、浄土寺のことを考えてみましょう。 お気づきですか、ここは「もうひとつの二尊院」であること。 浄土寺の本堂は東にある「薬師堂」です。 浄土寺は「東方薬師・南方釈迦・西方阿弥陀・北方弥勒」の「四方四仏」の中から「東方薬師・西方阿弥陀」の二尊を選んで、東と西にお堂を建てるという設計で作られています。 室町時代に焼けた創建当時の薬師堂には、今の阿弥陀堂の阿弥陀三尊像と同じスケールの薬師三尊像があったのではないでしょうか。 そう考えるのが、自然だと思います。 そして、その薬師如来像は胸の前に上げた右手に薬壷を持ち、左手は垂下して5指を伸ばす与願の印相をしていたのでしょう。 境内の真ん中に鏡を置いて写したような、薬師と阿弥陀の対応関係です。 垂下した二尊の掌は広い境内を挟んで、向かい合っています。 やはり二尊が心を通わせていることの造形的な表現です。 こう考えると、阿弥陀如来が左手の掌を上に向けておられるのも、納得できます。 薬師如来が薬壷を持つ手の形に近い形にしてあるのです。 薬師堂の裏は、少し岡のようになっていて、石仏の88ヶ所巡りが作られています。 しかし、その岡の高さは、午前中の光を遮るほどではありません。 往時、午前中は、薬師堂の裏の蔀戸から光が差し込んで、薬師如来の浄土が現出されていたのでしょう。 そして、午後には阿弥陀浄土が・・・。 Q.E.D. |
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