岩嶺山 石峯寺 (がんれいざん しゃくぶじ)


神戸市北区淡河町神影・真言宗

写真をクリックすると、大きなサイズで見ることができます。


石峯寺・正面


本堂


薬師堂


三重塔


ご宝印


散華

 まず、当寺のあらましを首藤一著『関西古寺巡礼』(創元社)から紹介しましょう。
 岩嶺山石峯寺は、白雉2年(651)孝徳天皇の勅願所として法道仙人が開創、延命地蔵尊をおまつりしたのがはじまりと伝えられている。 のち天平19年(747)行基が薬師堂を造営、弘仁14年(823)には三重塔が建立された。 以来寺運は栄えて鎌倉時代(1185〜1332)には、たくさんの寺領を持ち、堂塔伽藍70、塔頭は現在残っている十輪院、竹林院、極楽院のほかに23院あり、康安元年(正平16年−1361)にはこのお寺で法華経を刊行して、全国に配布したという記録が残っている。 このころが石峯寺の全盛期といえるであろう。
 戦国時代に兵火にかかり、寺運は大分おとろえたが、徳川時代にはいって幕府から70石の寺領を受けるようになり、安泰の日がつづいたのであった。 明治維新以後は、急激な変革の波をかぶって、塔頭も3院だけになって現在に至っている。

 さて、孝徳天皇は、645年、中大兄皇子と中臣鎌子(後の鎌足)が謀って蘇我入鹿を殺した「飛鳥板蓋宮のクーデター」で退位した皇極女帝の後を受けて即位した天皇です。 政治上の実権を鎌子と中大兄皇子に握られていた天皇は、むしろ仏教の興隆のほうに力を注いだようです。 正史には記載のない法道仙人との関係は、この時期に創建された寺院の寺伝に見ることができます。
 小林茂著『西国33ヵ所巡拝』(ナンバー出版)の「第二十五番御嶽山清水寺」の項には、こんな記述があります。
 当寺(清水寺)の開基、法道仙人は印度の帰化僧で、今から1800年程前、景行天皇の頃中国、朝鮮を経て御嶽山(海抜500m余)に登り、鎮護国家豊作を祈願されました。
 その後推古天皇35年(627)勅願により根本中堂を建立、仙人一刀三礼の秘仏十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置されました。 もともとこの地は水に乏しかったので、仙人が水神に祈ったところ霊泉が湧出し、お寺の名前もこれにちなんで清水寺と名づけられました。

 推古35年は、崩御の1年前です。
 さらに、「第二十六番法華山一乗寺」の項には、
 インドの帰化僧、法道仙人は、清水寺を開かれたあと播州の山中に八葉の蓮華の形をした霊峰を見つけましたが、この山が法華山です。  仙人はこの地にとどまり、”飛鉢の法”によって大いに衆生を救済しました。
 大化5年(649)孝徳天皇が病気になられると、左大臣阿倍倉内が法道仙人を宮中に招いて、病気平癒の加持祈祷を依頼しますと、仙人の17日間の加持により、病気がなおりました。 そこで同年勅願により、本堂を建立し白雉元年(650)に落慶しました。 そのとき天皇は法華山に行幸され、一乗寺の勅額を授け、本堂に聖観音を安置しました。

 と、あります。大化5年は中大兄皇子が讒言を信じて右大臣蘇我倉山田石川麻呂を粛清してしまった年ですが、『日本書紀』に天皇の病気の記事はありません。 白雉元年にも行幸の記事はありません。
 孝徳天皇と法道仙人のコンビは、一乗寺よりも前に、大化2年(646)、摩耶山天上寺を建立しています。
 寺伝には正史に記述のないさまざまな出来事が伝えられていて、興味深いですね。

 ところで、最初の『関西古寺巡礼』の引用の中に「戦国時代に兵火にかかり」とあるのは、お寺の人によると秀吉の三木城攻めだそうです。 この「三木城攻め」はこのあたりのいたるところに大きな爪あとを残しています。

 ここまで書いて、石峯寺のコメントはこんなもんかな・・・と思ったとたん、石峯寺そのものが、ホームページを開いていることを発見しました。 なんと開創の縁起が今まで僕が見たものより詳しいのです。
 しかも、このページで書いたことの再考を迫るような内容です。
 では、その内容を紹介しましょう。
大化5年(650年)各地を行脚していた法道仙人は、播磨国より左大臣阿部倉内に召還されて宮中に入り、病の床に就いていた 第36世 孝徳天皇の為に十七日間、病魔退散の祈祷を為し無事体調を回復させた。 後、白雉2年に天皇勅願寺の建立を命ぜられ、その地を探していた。 法道仙人がこの淡河に来た時、奇妙な形の岩が数多く点在する山中から突然大きな龍が現れた。 龍は、琵琶湖に住む諸臈羅龍王(しょかつらりゅうおう)の乙姫が祭祀している閻浮檀金(えんぶだんきん)の延命地蔵菩薩を法道仙人に託し、その場に息絶えた。 そして仙人は、この身の丈2寸ほどの延命地蔵菩薩をご本尊胎内仏として、岩嶺山石峯寺を開基した。
 こんなのもありました。JA兵庫六甲のホームページです。
 その昔、天竺から法道仙人が龍や鬼神に囲まれ、紫雲に乗り日本に飛来した。 淡河の上空を飛んでいると、霊地を思わせる山があった。 仙人が「奇妙な山の形・・・素晴らしい。」と思った時、その山が振動し、雲がわき、大蛇が現れ、脇から光が照りつけだした。 よく見ると、光の核は二寸ばかりの延命地蔵様でした。 仙人が「いかなるお地蔵様ですか。」と聞くと、大蛇は「龍王の乙姫様が信仰されていた仏様です。 人を慈しまれた乙姫様が、この仏様を人の世に伝え、その教えを広めなさいとおしゃった。 そこで仙人、そなたの徳を耳にし、これを授けようと来たのです。」と言った。 そこで仙人は、このお地蔵様をまつるため、石峯寺を開いた。
 この不思議な話を聞かれた孝徳天皇は石峯寺を勅願寺とされた。 仙人は後に自ら大きな延命地蔵を刻み、大蛇に授かった小さな像を中に納め金堂に安置した。
 ・・・今から1300年以上前のことと伝えられています。

 JAの話の出典が何なのか分からないのですが、仙人が空を飛んでいるのは、より伝奇化していると言えるでしょう。
 さて、これから考察というところですが、今日はここまで。(2003.11.4)