長谷寺



2004年7月4日


長谷寺・本堂

 首藤一『西国・新西国札所めぐり』から縁起を引用しておきます。

 現在本堂があるところは東の岡だが、谷をへだてた西の岡に道明上人が天武天皇の病気平癒を祈って小堂を建て、銅板法華説相図を安置して供養したのであった。 いま本長谷寺のあるところである。 やがて播州矢田郷出身の徳道上人がこの地に来て道明上人に師事し、修行にはげんだのであった。 そして徳道上人は楠の巨木を手に入れ、藤原房前の助力を得て稽文会、稽首勲父子に十一面観音像を制作してもらったのである。 このとき西の岡と東の岡は合体してひとつとなり、東の岡に本堂を建てて観音さんを本尊として安置、長谷寺が誕生したのである。 天平5年(733)のことで、開基は徳道上人となっている。 惜しいことにその後何回も火災に見舞われ、このときの観音さんは失われた。

 左に掲げたのが、道明上人が朱鳥元年(686)に西の岡に安置した「銅板法華説相図」です。 『法華経』のなかの「見宝塔品」のストーリーを表わしたもので、白鳳時代の重要な美術資料でもあります。 今に伝わり、国宝になっています。
 右が現在の本尊です。室町時代の天文7年(1538)、東大寺仏生院実清良覚の作と伝えられています。 右手に錫杖と念珠、左手に蓮華を挿した水瓶を持ち、方形の石の上に立つ姿は、開基の時の本尊を踏襲していると思われます。 「錫杖」は地蔵菩薩の持ち物なので、「観音・地蔵の御徳を併せ持つ」と説明されています。
 ところで、このご本尊の脇侍は観音様から見て左が難陀竜王、右が雨宝童子です。 本堂には、難陀竜王の前に「春日大神」、雨宝童子の前には「天照大神」の額がかかっています。 それぞれ、藤原家・天皇家の祖神で、その本地仏が難陀竜王・雨宝童子であると説明されています。
 しかし、僕は「水」を司る観音様として祀ったことによる脇侍の選択ではないかと考えています。 もともと観音様が水瓶を手にしているのは、西アジアの水の女神「アナヒーター」との習合だと言われています。 お寺の下を流れる川、初瀬川は大和川の源流、いわば奈良盆地の水源です。 難陀竜王も雨宝童子も雨乞いの修法に登場する仏様のようです。
 この説、いかがでしょうか。


十一面観世音菩薩御影大画軸(難陀竜王・雨宝童子の姿がよく分ります)


長谷寺のシンボル、登廊


五重塔


二本(ふたもと)の杉

 源氏物語に基づく能の「玉鬘」ゆかりの杉です。 そのうち漫画化して紹介します。


定家の塚と俊成の碑

 左の五輪等が藤原定家の塚、右がその父である俊成の碑です。 この二人の札を貼りたいところですが、百人一首にはこの地を詠んだ歌がありますので、そちらを貼り付けます。



なあ、初瀬の山おろしよ、どうしてそんなに激しく吹くんだい?
あの人から吹いてくる冷たい風のようじゃないか。
私は、そんなことを祈ったんじゃない。
つれないあの人が少しでも私になびくようにと、祈ったんだ。



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