2005年1月11日,英国の民放テレビ局Channel Fourのニュースの枠内で,特集として,「Fallujah: The Real Fall」という15分足らずのフィルムが流されました。このフィルムは,英国の新聞,ガーディアンのフィルム製作部門が製作したものですが,2004年11月の総攻撃から2ヶ月という節目にニュース番組で特集として流されたようです。

レポーターは,イラク人医師・ジャーナリストのアリ・ファディルさん。このページでは,Channel Fourのウェブサイトに掲示されていたスクリプトを,パソコンの画面をデジカメで撮影した画像を添えて,日本語にしておきます。

なお,ガーディアンのサイトには,このフィルムについての記事(アリ・ファディルさん執筆)があります。取材の様子などが詳しく綴られています。(リアルタイムの取材日記です。)
City of ghosts
Tuesday January 11, 2005
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1387460,00.html
→上記ガーディアン記事の紙面の写真をロンドンから送ってもらいました。このページの下部をごらんください。

また,参考記事として,ガーディアンのウェブサイトには下記のページもあります。
http://www.guardian.co.uk/guardianfilms/fallujah/0,15693,1387082,00.html

映像はhttp://www.journeyman.tv/?lid=18059#18048から視聴できます。(RealPlayerのクリップ。DVDとVHSの販売もしているようですが,購入に際してはPALかNTSCかの確認をするのがよいのではないかと思います。)


Fallujah: The Real Fall

Published: 11-Jan-2005
By: Guardian Films & Channel 4 News
http://www.channel4.com/news/2005/01/week_2/11_iraq.html

ファルージャ奪還攻撃からちょうど2ヶ月。米軍は空からの爆撃,戦車からの砲撃,地上部隊を用いて大規模な攻撃を行なった。

だが,実際に何がファルージャ内部で起きたのか。米軍は本当に反乱者を除去したのか。ファルージャに住んでいた人たちはどうなったのか。

Guardian Filmsが製作したChannel 4 Newsの特集レポートで,バグダードの医師がファルージャに赴いてそれらをその目で確かめた。

アリ・ファディル医師(Dr Ali Fadhil)は,まずはハバニヤに向かい,それからファルージャに入った。ハバニヤは,米軍の攻撃が開始されたときに,ファルージャ住民35000人ほどが逃れていった街である。ファルージャはほとんどが破壊しつくされていた。

米軍が攻撃を開始したのは11月8日。「幻の怒り作戦(Operation Phantom Fury)」と名づけられたこの攻撃の目的は,1月の選挙に先立ってファルージャから反乱戦士たちを取り除くこと。

米軍は,1200名の反乱者を殺害したと言っている。だがイラク人一般市民の死者数について,公式の数字は,ない。

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アリ・ファディル医師のレポート トランスクリプト
Transcript of Dr Ali Fadhil's report:

ファルージャ市はこの2ヶ月に渡って封鎖されている。ナヒーダは,アメリカ人がファルージャを占領して以来初めてファルージャに戻る住民のひとりである。

彼女は何が残されていたかを私に見せたいと言っていた。

「見てください! 家具やら服やら,辺り一面に撒き散らかされてるでしょ! あの人たち,戸棚をめちゃくちゃに壊してしまったのよ。それから,化粧台の鏡に何やら悪い言葉を書いていった。」 - Nahida Kham

彼女は英語がわからない。だから私がこの言葉がどんな意味なのかを説明した。

鏡に書かれていた言葉:
‘FUCK IRAQ AND EVERY IRAQI IN IT!’
 イラク クソ喰らえ イラク人も クソ喰らえ

「わかってました。わかってましたよ,この言葉が侮辱の言葉だってことはね。」 - Nahida Kham

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★ビデオではここで映像が切り替わって……
1)米軍のエンベッドの映像がいくつか連続で流されます(攻撃中のもの)。ナレーションがあります(「幻の怒り作戦」について)。

2)モスクの美しいドーム(損傷している)が写されて,音楽が流れます(けっこうダンサブルな感じです)。
その音楽の歌詞が(アラビア語なので聞き取れませんが)……

「ファルージャの英雄たちを,神よ迎え入れたまえ! 彼らはアメリカ人に頭を垂れなかった! 神よ,ファルージャの英雄たちを讃えたまえ!」 ? イスラミストのウェブサイトにアップされている歌

この歌を知らぬファルージャ市民はいない。戦争の後に書かれた曲で,アメリカ人への憎しみに満ち満ちている。現在,ファルージャに居住することは不可能だ。水はない。電気もない。下水もない。まるで幽霊の街。

ファルージャに住んでいた35万人のほとんどが,現在は避難民キャンプに暮らしている。私はファルージャの中に入りたかったのだが――封鎖されているのだ。


というわけで,ファルージャ周辺の村や避難民キャンプでファルージャ住民を探すことにした。まずはハバニヤに向かった。ファルージャの西35キロのところにある街だ。

ここはかつては観光客向けのリゾート地だった。サダムの息子のウダイは,休暇のためにここに来ていたものだ。
人々は木を切り倒し,暖をとるために火を起こしている。アブ・ラーベ(Abu Rabe:Rabeの父親)はここに暮らすようになって2ヶ月になる。

「この国は石油の国じゃなかったでしたっけね? なのにこのありさまですよ。あたしなんか,このランプ【映像では,アブ・ラーベの手の中に,理科の実験に使うアルコールランプくらいの大きさのランプ】にケロセンを入れるのに,1滴1滴計ってるんですよ。ここには暖房がないもんで,木を切っては火をおこさにゃならんのです。」 - Abu Rabee

人々は凍えている。この3ヶ月,食料の支援はまったく受け取っていない――1月30日の選挙も,彼らは投票できない。

「投票なんかしませんって。するわけないでしょう! まずはあたしらを自宅に帰らせなさい,話はそれからです。」 - Abu Rabee

テントのひとつで,私はハミード・アラウィ(Hameed Allawy)と会った。私は彼に,投票の書類は受け取ったかと尋ねた。

「いいえ,受け取ってませんよ。どうせ欲しくもないですがね。このキャンプにいるファルージャ市民は誰も,投票の紙なんか持ってません。」 - Hameed Allawy:

突然,私たちが撮影していることを快く思っていない人たちがいると言われた。危険な感じがしたので,ここから出なければならなかった。

★映像ではここで,カメラを下に向けたままでレポーターたちがキャンプを駆け抜ける光景が映っています。


その足で,サクラウヤー(Saqlawyah)に行った。ファルージャのすぐ北に位置する集落だ。金曜の礼拝で,話は選挙のことばかりだった。

「配給の食糧を渡すときに選挙の投票用紙も渡すのが当然である。なぜ政府はここにいる人々に投票用紙を渡さないのか?」――説法

ジャマル・アル=ミヒミディ師(Sheikh Jamal al-Mihimidy)は有力者である。多くのファルージャ避難民が彼の説法を聞きにくる。師は11月の攻撃のことを語ると非常に感情的になる。

「私はこの目で見たのです。聖クルアーンがモスクの床に,あれら豚と猿の息子たちによって放り投げられるのを。アメリカ人は聖クルアーンを踏みました。非常につらい思いをしました。」

私はこの師と話をしたかった。11月にアメリカ人は師にファルージャから遺体を出すよう要請していたのだ。そこで何を見たのか,私は知りたかった。

「アメリカ人は遺体のある家にバツ印をつけていました。その印のある場所で,私たちは殉教者を見つけました。私見ではありますが,あれらのご遺体は一般市民でしたよ――テロリストではありませんでした。自宅を守るために残った男たちでした。というのは,ご遺体は常に2人か3人とか4人といったかたちで見つかりましたので……ラマダーンでしたので,人々はイフタール(日没後,断食明けの食事)のために集まるのが通常なのです。」

「玄関のドアのすぐ奥にご遺体がありましたよ。アメリカ人にドアを開けたところで即座に射殺されたかのように私には見えました。そうやって見つけたのです。」 - Sheikh Al Mihimdi

ジャマル師は私を市のはずれにある墓地に連れて行った。そしてどこに遺体を埋葬したかを示した。

師は,彼らの誰一人といて武器は所持していなかったと言う。また,90歳の老人が台所で射殺されているのを見つけたとも言う。

墓石には名前はなかった。数字だけだった。墓を数えたら76だった。米軍は1200人を殺害したと主張している。ならば,それらの人々が反乱勢力だったとして,彼らの墓はどこにあるのか?

私はファルージャに入りたかったが,それをするためには新たに導入された「ファルージャIDカード」を手に入れなければならない。

ファルージャに戻りたい者はみな,このIDを米軍から入手しなければならないことになっている。ほとんどのイラク人にとってはあまりにおかしなことと思える措置だ。自分の街に入るのにIDが必要なのは,イラク全土でファルージャだけだ。

「このカードは管理のための措置です。」 - Major Paul Hackett (米軍の担当者らしい)

しかし,このIDカードのために列を作っている男たちは,どうもこれはアメリカ人がまた俺たちを罰しているように思えるんですよね,と私に言った。

「これもまた,ファルージャの市民を辱めようってことです。わざわざ意図的に私らを辱めようとこういうことをしてるんだと思いますね。」

ファルージャ市民は自分たちの街のことを大変誇りに思ってきた人たちだ。ここでは名誉とか威厳といった考えが非常に重要である。家に帰るためだけに,米兵によって指紋を取られるということは,はずかしいのだ。だからこの男たちは顔を覆っているのである。

「カードは記念品として取っておいていただいても……」- Major Paul Hackett

ついに私たちはファルージャに入った。最初に気づいたのは壁に書かれたグラフィティだった――「ムジャヒディーン万歳」と書いてある。

信じられない。市全体が破壊されている。非常なショックだった。ここまでの破壊だとは,心の準備ができていなかった。

米軍の攻撃の直前に,私はここに来ていたのだ。これが同じ街とは信じがたい。目を疑う。どこもかしこも破壊されている。ファルージャはかつてイラクで数少ない近代的な街のひとつだったのに,今は何もなくなっている。私が見かけた人は,かつて暮らしていた場所を片付けているファルージャ市民だけだった。アブ・サラー(Abu Salah)のような人たちだ。彼の家はこんな姿になってしまった。





「このマットレス! 息子の結婚のために用意したものだ。ここが息子の部屋なのか。ああ,これ! うちの台所だ……この砂糖の袋は,ちょうどここ,台所に置いておいたものだ……。」

「アラウィがわしらにも投票をと言うのなら,まずはアラウィをここに来させて,わしらの生活している状況を見させてからだ。」- Abu Salah

瓦礫の下に遺体があることがにおいでわかった。私はファルージャの旧市街へ行った。2004年3月に4人の米国人請け負い業者が残虐にリンチされた場所だ。

アメリカ人は誰もそこには立ち入らせない。安全ではないからだと言う。恐ろしい場所だ。しかしファルージャ住民たちは私をどこかに連れて行きたいのだとがんばるのだ。彼らは私に見せたがっていた――本当に悲惨なものを。

遺体は4体だった。腐敗しつつあった。この人たちは寝ているところを撃たれたように見える。イラクでは友人同士がこのように一緒に寝ることはよくあることだ。

銃撃戦の痕跡はなかった。銃弾の穴もなかった。

武器は見当たらなかった。この人たちが反乱勢力であるとはっきりと示すしるしは,何もない……この人たちは一般市民だという話だ。

その近くの別の家には,また一体の遺体があった。しかしここでは,この人が反乱勢力だったという間違いのないしるしがあった。この人の車の屋根に,RPG発射装置が載っていた。ドアのところには,ブービートラップ(仕掛け爆弾)があった。


どちらの場合も,遺体は腹を空かせた犬に食われていた。市内ではたくさんの犬の死体を見る。狂犬病の大発生が深刻だ。

「狂犬病の症例がたくさん報告されています――51件あります。」- Dr. Adnan Chaichan 。

# ビデオではここにYou know, we have no toxins, or vaccines, in our hospital. So most of the patients die.という医師の言葉がある。

チャイナン医師(Dr. Chaichan)と職場を共にする医師たちは,ファルージャ総合病院に寝起きしている。街はからっぽだから患者はいない。医師たちの仕事は,腐敗が始まった遺体を処置して埋葬の場所に運んでいくことだけだ。

ファルージャのメインの墓地に行くと,まだ死者の埋葬をしていた。戦闘が始まって2ヶ月経つが,何人のファルージャ市民が死んだのかはまだわからない。

しかし米兵の死傷者数は私たちも知っている。51人が死亡,400人以上が負傷した。この墓地の新しい墓は65。

墓地の外に看板が出ている。そこには,アメリカ人に対して戦った殉教者のみがここに埋葬されると書かれている。この命令は,ファルージャのムジャヒディーン・カウンシルから出されている。

シリアの戦士の墓に気づいた。墓には,6月にバグダードでの作戦で死亡したとある。この人は,埋葬のためにファルージャに連れてこられたのだ。

私がファルージャにいた間に,何人かのファルージャ住民が,内々にということで,反乱勢力については腹が立ちますと話してくれた。彼らの街が破壊されたのは,アメリカ人と反乱勢力のせいなのだ,と。

サルマン夫妻(Mr and Mrs Salman)はファルージャに戻ってきたばかりである。息子のアハメド(Ahmed)を探している。そして夫妻はまっすぐに墓地に足を運ぶのだ。

Q: ここで息子さんが見つかるとお考えですか?
A: ええ――インシャラー(「何事もなければ」という意味)。

最初は,彼らは息子の墓を見つけることができなかった。

「墓石に書いてあるのがチョークだから文字が消えてしまうんですよね。最後に埋葬したのはチュニジアの人でした。息子さんはその人の隣です。」 - Man (この部分,ビデオではアラビア語です)

アハメドは18歳だった。まだ学校に通っていた。母親は,息子を戦士にしたいとはまったく考えていなかった。

母親が泣く。「アハメド,かわいいアハメド。あの連中と一緒に行くんじゃないとお母さん言ったじゃないの。騙そうとしてるんだよって。ああ,アハメド。」

父親が言う。「おまえ,いいかげんにしておきなさい!」

母親が言う。「あれもこれも,イヤド・アラウィのせいだわ。あの男ののどを掻き切ってやりたい!」

父親が言う。「うるさい,黙れ!」

霊園の係員が言う。「いいえ,しゃべらせなさい。それが真実なんですから!」

母親が嘆く。「ずたずたに……あの男を八つ裂きにしてやりたい……それでも気が済まない……」

「アラウィとサダムのせいよ!」

父親が手を上げる。「いいかげんにしないか!」

アハメドは死んだ。しかしほかのムジャヒディーン戦士たちはどうなったのか? アメリカ人は本当に戦士たちを一掃したのか?

2週間にわたって,私は反乱勢力のリーダーと接触しようと試みて村や集落を回った。情報源によると,まだ生きているという。そしてついに,彼と会うことができた。

彼はアブ・シャイバ(Abu Shaiba)と呼ばれている。いわゆる「アーミー・オブ・ムハンマド(Army of Mohammad)」の司令官だ。この組織は,ファルージャ南部のアル=シュアダ地区に拠点を置いている。

「上層部からの指令で,戦士たちはファルージャから撤退した。我々は撤退はしたが,それは我々が米国人との戦いに敗れたからではない。再編するという戦術的決定である。我々は絶対に勝つ――インシャラー。勝利を収めるのは我々である――ファルージャでも他のどこでも。」- Abu Shaiba

インタビューの間中,彼はあれこれとばかばかしいことを口にしたが,これは本当のようだった。どうして私がムジャヒディーン戦士の墓をあまりたくさん見なかったのかの説明になっているのだ。

そんなにも多くの反乱勢力が脱出したのだとすれば,米軍は一体ファルージャで何を成し遂げたというのだろうか。



暴力は,ただ単に,イラク各地に拡大した。30万を超える人々が家を失い,アメリカ人を激しく憎悪している。「モスクの都市」【ファルージャの異称】は,「瓦礫の都市」になってしまった。

これがいかにしてイラクの新しいデモクラシーを強化するのか,見て取ることは難しい。選挙まであと2週間――しかし私が会ったファルージャ市民のほとんどが,票を投じる機会すら与えられることはないのである。




最後に子どもたちの映像がありましたが,カメラの電池が切れてしまったのと,私の電池も切れてしまっていたので(=気力の問題),撮影することができませんでした。


映像はhttp://www.journeyman.tv/?lid=18059#18048から視聴できます。(RealPlayerのクリップ。DVDとVHSの販売もしているようですが,購入に際してはPALかNTSCかの確認をするのがよいのではないかと思います。)


Tuesday January 11, 2005のガーディアンG2紙面:City of ghosts
(記事はhttp://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1387460,00.htmlで読めます。)






日本語訳&ページ制作:いけだよしこ@nofrills
翻訳日:2005年1月13日(日本時間)

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