清洲城
![]() ![]() |
上の写真は復元された清洲城 である、三層四階建の模城である。 織田信長公は弘治元年に守護代 織田信友を自害させ、那古野城か ら清洲城へ移った。 永禄三年に桶狭間に出陣する際 に敦盛を舞って出陣したのが、この 清洲城である、この時に建てられて いたのが下の写真であるが、 現在地より五条川を挟み 反対の地にあった。 |
| 上の写真は若き日の織田信長公の銅像 である。今にも馬に跨って出陣しそうな勇 猛な表情でつくられている。 下の写真は濃姫(帰蝶)であるが、信長公 とはちがい信長公の出陣を見守る武将の嫁 の顔と、その裏には主人の無事を祈る女の 顔がみられる。 このニ体の銅像は清洲公園の中に立てら れているのであるが、五条川を境に分けら れている。 信長公ファンとしては、同じ所にニ体を並 べて頂きたいものである。 |
![]() ![]() |