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★ 関連年表 ★
応永年間 1394

1427
     剣神社神官の子に「常昌」という人物が、時の越前の守護
     斯波氏に才能を見出され、家臣として取り立てられ、
     尾張の国に派遣される。
     苗字は故郷の地名をとって織田氏と名乗った。
 天文 3年   1534    5月 織田信長、織田信秀の3男(嫡子)として尾張那古野城で誕生。
     幼名・吉法師。 
 天文 5年  1536   1月 豊臣秀吉、尾張中村に誕生(諸説あり)。幼名・日吉丸。
天文10年 1541   9月 信秀、伊勢豊受大神宮仮御殿造営の費用を献じ、
     三河守を与えられる。
 天文11年  1542   8月 信秀、今川義元を三河小豆沢で破る。
天文15年 1546      吉法師、古渡城で元服して名を三郎信長に改める。 
天文16年 1547      三河の吉良大浜に初陣し、今川と戦う。
  8月 松平広忠、嫡子竹千代(徳川家康)を人質として今川義元に送るが、
     戸田康光に襲われ、織田信秀の元に送られる。
天文17年 1548      斎藤道三の娘(帰蝶、濃姫)が信長に嫁ぐ。
  3月 今川義元が三河小豆沢で織田信秀を破る。(第二次小豆沢合戦)
天文18年 1549  11月 安祥寺城の織田信広、今川義元に捕らえられ、
     松平竹千代(家康)と人質交換される。
     熱田八か村制札を下し、藤原信長と署名する。
     筒井順慶が大和郡山城に入る。
 天文20年  1551   3月 信秀が病没して、信長が家督を継ぐ。
     秀吉、武家奉公を志し、尾張中村を出て、遠江久能城主松下之網
     に仕える。
 天文22年 1553   4月 信長が斎藤道三と尾張の正徳寺(聖徳寺)で会見する。
     信長の傅役、平手政秀が信長を諌めて自刃する。
 天文23年  1554   8月 木下藤吉郎(秀吉)、信長の草鞋取りになる。
 弘治元年  1555   4月 信長が清洲城の守護代織田信友を自害させ、
     那古野城から清洲城に入る。
 弘治 2年  1556   4月 美濃の斎藤道三が、長良川で子の義龍に討たれる。
  5月 林美作守、信長殺害を計画するが未遂に終る。
  8月 弟信行の擁立を図った林道勝・柴田勝家らを小田井川で破る。
 弘治 3年  1557   1月 徳川家康が元信から元康に改名。今川義元の命で関口義広の娘
     (築山殿)と結婚する。
 11月 信長が、弟・信行を清洲城に誘い出し殺す。長男・信忠が、誕生。
 永禄 2年  1559   2月 上洛し、将軍足利義輝に拝謁する。
  3月 岩倉城を攻めて織田信安を追放する。
 永禄 3年  1560   5月 信長、桶狭間に向かい出陣、途中熱田神宮にて必勝祈願をした後
     今川義元を田楽狭間に奇襲し、討ち取る。(桶狭間の戦い) 
 永禄 4年  1561      松平元康(家康)と和睦する。
  6月 美濃に侵略し、斎藤龍興と対峙する。
  8月 木下藤吉郎、信長家臣の娘・おねと結婚。
 永禄 5年  1562   1月 三河岡崎の松平元康と、清洲で軍事同盟をかわす。
  3月 美濃の斎藤龍興を攻める。
 永禄 6年  1563      居城を清洲城より小牧城に移す。
  3月 信長の娘、徳姫と松平元康の嫡子竹千代(元康)が結婚する。
 永禄 7年  1564      籐吉朗に命じて美濃の土豪たちを懐柔させる。
     尾張統一を完成させる。
 永禄 8年  1565   5月 足利義輝、三好義継・松永久秀らに殺される。
 11月 養女を武田勝頼に嫁がせる。
 永禄 9年  1566   8月 足利義秋(義昭)、越前の朝倉義景を頼る。
  9月 藤吉郎に墨俣城を築かせ、斎藤龍興の兵破る。
     「天下布武」の印を使用しだす。
 永禄10年  1567      滝川一益に命じて北伊勢を攻略させる。
  8月 斎藤龍興を滅ぼし、美濃の稲葉山へ移り、稲葉山を岐阜と改名する。
  9月 妹のお市を浅井長政と結婚させる。
 10月 加納寺内に楽市令を下す。
 永禄11年  1568   7月 足利義昭を岐阜に迎える。
  9月 三好三人衆の一人、石成友通が守備していた勝竜寺城を落とし、
     細川藤考に下す。
     兵6万をひきいて入京する。
 10月 足利義昭、征夷大将軍になる
 永禄12年  1569   1月 三好三人衆を阿波に追う。
  3月 撰銭令を出す。
  4月 フロイスと初めて会見し、布教を許す。
  8月 兵8万をひきいて伊勢の北畠氏を攻略する。
 元亀元年  1570   1月 義昭に5か条の掟書をつきつける。
  4月 朝倉義景討伐のため京を発つ。
     浅井長政の挙兵を知り、木下秀吉を金ヶ崎城に留めて京都に戻る。
     「金ヶ崎の退き口」
     二条古城3ヶ月で完成
  6月 信長・家康連合軍、近江姉川で浅井・朝倉連合軍破る。(姉川合戦
  9月 本願寺光佐(顕如)敵対、石山合戦始る。
 11月 伊勢長島の一向一揆、尾張小木江城を攻め、信長の弟信興を殺す。
 12月 天皇の調停により、義景と和睦する。
 元亀 2年  1571   3月 東福寺で京の町衆を集め茶会開く。
  5月 伊勢長島の一向一揆討伐の兵を出す。
  8月 浅井長政の小谷城を攻める。
  9月 比叡山延暦寺の堂塔を焼く。
 元亀 3年  1572   1月 本願寺顕如、武田信玄に信長の背後に付くように依頼する。
  3月 近江に攻め入る。
  5月 本願寺を軸に信長大包囲網がしかれ、信長生涯最大のピンチ
     を迎える。陰で糸を引くのは足利義昭。
  6月 清玉上人に東大寺大仏殿再興のために全国に勧進させる。
  7月 ふたたび、近江に攻め入る。
  9月 将軍足利義昭に対し失政を諌める異見17か条の条書を送るつける。
 11月 越後の上杉謙信と結ぶ。
 12月 武田信玄、家康・信長軍を遠江三方原にて破る。
 天正元年  1573      信長軍、義昭の糾合した一向宗徒を破る。
  4月 義昭に和平を呼びかけるが拒否され、義明の二条城を囲む。
     武田信玄死去。
  7月 義昭を山城槇島城に攻める。義昭、河内の若江城に追放される。
     (室町幕府は滅亡)
  8月 刀根坂にて朝倉義景を討つ。
     近江小谷城に攻め、浅井長政を自刃させる。
  9月 信長を狙撃した杉谷善住坊、処刑。
 11月 京都妙覚寺に松井友閑・今井宗久らを招いて茶会を開く。
 12月 松永久秀、信長に降り大和多聞山城を明渡す。
 天正 2年  1574   1月 越前の一向一揆を鎮圧のため、秀吉らを敦賀へ派遣する。
  3月 勅許をえて、東大寺正倉院の名香木「蘭奢待」を切り取る。
     狩野永徳筆「洛中洛外図」を上杉謙信に贈る。
  7月 伊勢長島の一向一揆討伐に出陣。
  9月 伊勢長島の一向一揆滅ぶ。一向宗徒2万人を焼殺。
 天正 3年  1575   5月 信長・家康連合軍、長篠城救援に向かい、設楽原で武田軍を撃破。
  7月 近江瀬田橋を修理する。
  8月 越前府中に入り、一向一揆を壊滅させる。
 10月 本願寺顕如、松井友閑らを介して信長に和睦を求め、信長応じる。
 天正 4年  1576   2月 丹羽長秀に命じて安土城に着手。居館が完成し移る。(安土築城記
  7月 毛利輝元、織田水軍300艇を木津川の河口で撃破し、石山本願寺に
     兵糧を運び入れる。
 天正 5年  1577   2月 紀伊の雑賀と根来の討伐を開始する。
  6月 安土に楽市令を発布する。
 10月 織田信忠、大和信貴山城を攻め、松永久秀を自刃させる。
     羽柴秀吉を播磨へ出陣させる。
 11月 信長、右大臣に任官する。
 天正 6年  1578   3月 羽柴秀吉、三木城を攻撃。
  4月 信長、右大臣・左大臣を辞任する。
  6月 九鬼嘉隆、鉄船6艇を建造し、和泉の海上で雑賀党の水軍破る。
  8月 京都・近江国中の相撲取りを召し寄せて安土城で閲覧する。
 10月 荒木村重、信長に謀反し、本願寺顕如と同盟する。
     小寺官兵衛(黒田孝高(如水))は村重を翻意に失敗、
     信長は官兵衛を疑いその子松寿丸(黒田長政)を殺せと命ずるが
     竹中半兵衛は殺した事にし松寿丸を岩手菩提山城に匿う。
     反旗を翻した村重を有岡城の戦いの際に春日大社社殿焼失。
 11月 織田軍、毛利水軍を摂津木津川口に破る。
 天正 7年  1579   5月 安土城の天主閣が完成する。
      金勝山浄厳院にて安土宗論が起こる。
  8月 徳川家康、信長の命にて、正室の築山殿を殺害する。
  9月 家康に命じてその子信康を自刃させる。
 10月 明智光秀から丹波平定の報告を受ける。
 11月 織田信忠ら、摂津の有岡(伊丹)城を陥れる。
 12月 石清水八幡宮の樋修理を命じる。
 天正 8年  1580   1月 羽柴秀吉、播磨国三木城を陥落させ、別所長治を自刃させる。
  3月 朝廷の斡旋により本願寺と和睦する。
  8月 佐久間信盛父子を高野山に追放する。
 11月 柴田勝家、加賀の一向一揆を鎮圧し、首級を信長に差し出す。
 天正 9年  1581   2月 皇居東門外で馬揃えを行い、正親町天皇のご覧に入れる。
  4月 安土にセミナリヨが開設される。
      竹生島へ参詣に出掛ける。(桑実寺 侍女惨殺事件)
  8月 紀伊の金剛峰寺が伊丹城を落ちた荒木村重を匿ったため、
     見せしめに高野聖数百人を殺す。
  9月 信長、伊賀国を平定する。
 10月 羽柴秀吉、鳥取城を陥落させ、吉川径家を自刃させる。

     武井夕庵、梅ノ川の湧水で茶を点て信長に出す。
 天正10年  1582   3月       武田勝頼、織田・徳川軍に攻められ、甲斐国田野で自刃す
            る。
  5月       羽柴秀吉、清水宗治の籠城する備中高松城を囲み、
            信長に援軍を要請する。
            信長、明智光秀に中国出陣を命ずる。
  6月01日    信長、本能寺で茶会を催す。
  6月02日未明 信長、明智光秀の軍勢に急襲され、本能寺で自刃。
            信忠は二条城で自刃。
  6月04日    秀吉、信長の死を隠し毛利氏と和睦。
  6月13日    羽柴秀吉、光秀を山崎に破る(山崎の戦い)。
  6月27日    秀吉、清洲会議にて信忠の嫡男・三法師を織田家の跡嗣と
            する。
 10月       信長の葬儀が京都大徳寺で開かれ、信長公の霊を慰めるた
           め
           船岡山に寺を建てる準備を進めた。(後の建勲神社


国宝指定城

 慶長11年  1582        京極高次が築いた大津城を移築し彦根城が完成した。

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