「あの日の運命のこと」

ミープ・ヒース
訳 吉田寿美 日時=78年6月10日 場所=東京・朝日講堂


アンネについて


 皆さまはアンネ・フランクについてはその日記によって、もうよくご存知のことと思います。あんな賢い子が、
二年五ヶ月にもわたって外の世界からまったく遮断され、しかもそれぞれの悩みで頭がいっぱいの大人たちに囲まれ、
その大人たちにみずからの心を割って話をすることができなかった、両親にさえもそうすることができなかった、
ということは、大変考えさせられることです。
その父ものちに「アンネの抱いていた深い思い、心の内部は、
父親の私にとってもまた開かれることのない本でした」と回想しているのです。
 さて、日常生活を通しての私の知っていたアンネは、いつもフレンドリーで、微笑んでいる少女でした。
隠れ家の生活の間、私たちの事務所の仕事をいつでも喜んで手伝ってくれました。
彼女が口にする意見や表情はとても鋭く、またもっともなことだったので、
私たち大人はしばしばショックを受けたものです。
 アンネは絶えず好奇心にみちていて、外の世界で起こっていることを、何でも聞きたがりました。
私の日課は、毎朝、事務所に出るとまず隠れ家に上がっていき、買い物の注文を聞き、特別に必要なものをたずね、
同時に、外の世界のニュースを伝えることでした。私が入っていくと、隠れ家の人々は誰一人として声も出さず、
私が話し出すのをじっと待っているのでした。
 しかしアンネだけは違っていました。
「こんにちはミープ。今日はどんなニュースがあるの!」
と快活に口を出すのです。これはアンネの母にそのつど、ばつの悪い思いをさせるのでした。
というのは、ファン・ダーン夫妻がアンネとマルゴットは余りにも自由な育てられ方をしてきた、始終苦情を言うからでした。
父のフランク氏はこうした問題をときどき私たちに漏らしましたが、誰かに打ち明けずにはおられなかったのでしょう、
そして彼は、私がそうした事を誰にも漏らさないことを知っていたのです。
 私が毎朝、隠れ家に留まることができる時間は、せいぜい20分ぐらいでした。
下の倉庫で働いている人たちが私に用があって、いつ事務所に上がってくるかも知れませんし、電話も鳴ります。
そのとき私が事務所にいないと、おかしなことになりますから。
 隠れ家の人たちの注文リストを受け取り、他の用事をひとわたり聞くと、
私は大急ぎで事務所の先の角の八百屋さんへ走ります。そこで買えるだけの野菜を買い込みます。
八百屋さんは私がどうしてそんなにたくさんの野菜が必要なのか、一言も聞きませんでしたが、
理由は確かに分かっていたのでしょう、私のために、本当にたくさんの野菜をとっておいてくれました。
私の手に負えない思い馬鈴薯は、倉庫の人たちの昼食時の不在のときに、事務所まで運んでもらったりしました。
 これらの野菜を、私は事務所の台所に大急ぎで運び込み、戸棚の中に隠します。
夕方になり事務所の人たちが帰ると、ペーターが降りてきて、重い馬鈴薯を上に運び上げます。
私が仕事のあい間をぬって運び上げることもありました。
 昼食のときは、エリーが上がっていき、隠れ家の人たちと一緒に食事をひっそりとすることもあります。
私の主人もその仲間の一人で、おしゃべりをしたり、最近のニュースを伝えたりしました。
隠れ家の人たちは、恐怖と緊張の連続のなかに身を置いていました。
彼らは何をするにも、足を一歩踏み出すのにさえ、それがもたらすかも知れない危険を、
常に考えていなければならなかったのです。
 アンネが日記のなかで書いているように、倉庫と事務所には再三、泥棒が入り、その時は本当に危険な思いをしました。
コープハイスさんが建物全体の鍵を保管していましたが、ある朝出動してみると、表のドアがこじ開けられ、
こわされているものが発見されました。隠れ家の人たちは泥棒だと分かっていても、手も足も出なかったのです。
 最後に泥棒が入ったとき、不運なことに、コープハイスさんは胃潰瘍で休んでいました。
そこで私は夫とともに事務所に出向き、ドアを応急修理したのですが、翌日がちょうど振替休日に当たっていたため、
隠れ家の人たちは一日二晩、惨憺たる状態に陥ったのでした。
休み明けの朝、隠れ家の人たちがどんな惨めな状態にあったか、私はあの光景を忘れることができません。
彼らはそれぞれ肩を寄せ合って、床にぐったりと横たわっていました。
事務所の方の建物には、泥棒が入ったあと、まだ誰かがいるかも知れず、それはあるいは警官かも知れず、
彼らは一晩中、立ち上がることも、洗面所に行くこともできなかったのでした。



日記について


アンネは1942年6月20日の日記にこう書いています。
「わたしのようなものが日記をつけるなんて、おかしいと思います。というのは、これまで日記をつけたことがなかった、
というだけでなく、わたし自身にしても、十三歳の女学生の告白なんかに興味をいだくなどとは考えられないからです」
 実際は何と違った方向をたどることになったでしょう。彼女の生命はドイツの強制収容所で悲劇的な終りを遂げました。
しかし彼女の残した日記は、決して衰えることのない関心を。全世界の人々に呼び起こすことになったのです。
 アンネの探求心や観察力の鋭さ、辛いことや楽しいことを生き生きと表現する力、隠れ家の人たちの
人物描写の上手さなどから、皆さんは私と同じように、アンネにはものを書く才能があったと考えられるでしょう。
彼女は若さのもつすべての情熱を注ぎ込んで、日記の友キティにあらゆる出来事を打ち明けたのに違いありません。
 あのような異常な環境にあって、生命力にあふれ、聡明で、感受性豊かな一少女が、
確かに普通よりは早いテンポで一人の女性へ、子供から若い大人へと成長を遂げたのでした。
しかしアンネの顔にはどこか子供らしい翳が残されていました。
皆さまはきっと、隠れ家の下で働いていたエリーと私とが、アンネが日記をつけていたことを知っていたかどうかと、
思われることでしょう。『ええ、知っていました』
私はいちど、いつもとは違う時間にフランク家の部屋に入っていったことがあります。アンネはちょうど日記を
付けているところでした。アンネは私を見ると、いつもと違って、よそよそしい顔つきをしましたので、
私はあわてて部屋を出てきた、というようなことがありました。
 さてここで、『アンネの日記』を発見したいきさつをお話しましょう。悲惨な出来事の起こった、あの1944年8月4日の午後、
私の夫とエリーは再び事務所に戻り、退社時刻になるのを待って、三人で隠れ家にあがることにしました。
ゲシュタポ(ドイツ国家秘密警察)は表のドアをロックしていきましたが、封印はしていませんでした。
私はスペア・キーをもっていました。二人の倉庫係のうち、年をとった人には事情を話し、若い人には帰ってもらいました。
なかに入ると私たちは急いで表のドアに鍵をし、それから階段を昇って、おののきながら隠れ家に入っていきました。
 私たち三人をこうさせたものが何であったか、的確に説明することはできません。
好奇心だったでしょうか。決してそうではありません。
それは多分、私たちがあんなにも愛していた人たちが本当に行ってしまったのだということを、
この目で見ておかなければと思ったからであり、また何か大切なもので置き去られているものがあれば、
それを取っておきたかったからだと思います。
 私たちは大急ぎで、それぞれの部屋を通りぬけました。
そして直ぐに、めぼしいものは全てゲシュタポに持ち去られているのを知りました。
残っている物、それは本や書類や写真などでしたが、全て床に散乱していました。
 そのなかに私たちは、アンネの最初の日記帳ーーー1942年6月12日の誕生日に贈られたあの日記帳ーーー
とその後の日記をつづったノートブックとたくさんの紙片が混じり合っているのを見つけました。
私たちはそこに長くはいられなかったので、洗面所の壁に掛けたままになっていたアンネの化粧用ケープと
靴カバーをとると、すぐに下に降りたのでした。
 私は倉庫係に、あとで隠れ家から残った家具が運び去られるときに立ち会うよう、
そして書類などは全部私に渡すよう、言い付けました。倉庫係は言われた通りにし、
私は渡されたノートブックや紙片を全部、事務所の自分の机にしまい込みました。目を通すことはしませんでした。
 1945年5月末、オットー・フランク氏が強制収容所から戻ったとき、
わたしはこれらの書物を直ぐには手渡ししませんでした。
これらはアンネのものでしたし、アンネはどこかで生きながらえていて戻ってくる可能性もまだあったからです。
アンネの死が確実なものとなったとき、私は今は娘の遺品となったこれらの書物を、その父親の手に戻したのでした。
 アンネの日記を繰り返し繰り返し読むにつけ、私たちはこの若き女性が隠れ家生活にあって、自分自身を、
そして一緒にいた人々を描き尽くした、その驚嘆すべき感受性と真実を見る目に感動させられます。
 1944年2月23日、アンネは日記にこう記しました。
「この日光、この雲のない青空があり、生きてこれをながめることのできる限り、わたしは不幸ではない」
 ものを書くことによって、アンネは閉ざされた外の世界に向かって窓を開き続け、青空を見つめていたのでした。

                                                                                                       「アンネの日記」展  1978年より引用


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