2008年3月16日


熊野御幸記の最終ルート
大日越え



熊野詣とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、の三山 ( 熊野三山 ) に詣でる事で、有名なルートとして、後鳥羽上皇の熊野御幸に陪従した『藤原定家』の日記・熊野御幸記があります。

熊野御幸記のルートは
京都・城南宮→淀川(船)→大阪天満(八軒家)→紀伊路→中辺路→熊野本宮大社→熊野川(船)→*
*→熊野速玉大社→大門坂→熊野那智大社→大雲取越→小雲取越→
大日越え→熊野本宮大社

上皇(貴族)一行は
熊野三山に詣でた後、大雲・小雲・大日を越えて本宮大社に御礼報告の後に、帰途につきました。

今回のコースはその御幸記の最終…
湯の峰温泉を経て熊野本宮に至る道…・大日越えを歩きます。


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大阪茶屋町7:30発  阪和道= 渡瀬湯の峰温泉湯の峰王子大日越え
大斎原(熊野本宮旧社地)熊野本宮大社渡瀬温泉入浴帰途=大阪

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那智大社より「大雲取り」を越え・「小口」の村に入り、「小雲取り」で請川に出た上皇一行は、請川から湯の峰に向かう事になりますが、この間の道は特定されておりませんので、我々は渡瀬のわたらせ温泉から湯の峰に向かいます。
渡瀬から湯の峰までは2`足らずの平坦道です。


湯の峰は2007年12月22日の「赤木越え」のゴール地で二度目です。
湯の峰温泉
小栗判官の詳細はココ

 湯の峰温泉・つぼ湯の横を少し登った小高い所に「湯峰王子」があります。
同じ場所に高浜虚子の歌碑もあります。


               
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 湯峰王子から少し下へ戻り
 さて、ココからが藤原定家が謂うところの
崔嵬嶮岨・急坂が鼻欠地蔵まで続きます。
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 湯の峰から急坂を登りきった所に鼻欠地蔵が・・・酷な登りはココまで・・・
その昔、本宮大社の修理に来ていた大工の棟梁に弁当を持ってきていた弟子が、本宮大社修理の無事を祈願し、お地蔵さんに弁当を少しずつお供えをしていました。ところが、お弁当の少しずつ減っていることを怪しんだ棟梁が待ち伏せをして、かんなで弟子の鼻を削ってしまいましたが、棟梁は悪い事をしたと思い弟子を抱き上げてみると鼻は無事で…代わりにお地蔵さんの鼻が欠けていたそうです。今は顔全体が欠けてしまつて確認は出来ません。
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 月見ケ丘神社
 右端写真の石柱みたいなのが月見ケ丘神社です。木造の祠は大日山のお堂とか・・・
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 月ケ丘神社からは一気に下ります。


 降りきると熊野本宮大社の旧社地・大斎原は目の前、
 鳥居をくぐり石橋を渡って熊野川の中洲の旧社地へ向かいます。


大斎原
 熊野本宮大社がもともとあった場所が大斎原(おおゆのはら)です。
 明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲にありました。その、かつての本宮大社は、およそ1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿が 立ち並び、幾棟もの摂末社もあり、楼門がそびえ、神楽殿や能舞台、文庫、宝蔵、社務所、神馬舎などもあり、現在の8倍もの規模を誇っていたそうです。
本宮大社前のバス停からですと500mほどの距離の旧社地近くに近年、日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が建てられました。


 この大斎原というかつての旧社地を語る上で欠かせない、重要なのが音無川です。三越峠付近が源流となっている
 音無川は、現在の熊野参詣道よりも南側を流れて、大斎原の近くで熊野川へ合流します。
 大斎原にあった旧社地は、この音無川と熊野川とにはさまれた三角州の地に築かれ、この音無川にかけられて本宮
 の社地へと入る橋を「
たかはし」「ささやきはし」と呼んでいたことが伝えられています。
 音無川の水で本宮参拝前の最後の禊斎を行なうことが、中世の熊野参詣記にしばしば書かれており、その後で本宮
 の社殿へと向かうことが「
濡れ藁沓(わらぐつ)の入堂」と呼ばれていた、と言います。
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 熊野本宮大社
 熊野三山(本宮・速玉・那智)の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。

 34回と最多の熊野御幸を行った後白河上皇(1127〜1189)は本宮へは34回訪れていますが、新宮の速玉大社と
 那智大社へは15回という説もあります。速玉と那智を略して本宮だけを詣でて熊野御幸を済ますこともしばしば
 あったことからも、本宮が熊野三山の中心であったことが窺がわれます。

 鳥居の前の幟に描かれている黒い鳥は、
八咫烏(やたがらす)・・・

 
古事記によれば、八咫烏は後に初代天皇となる神武天皇が東征の途上、熊野と吉野の山中を行軍した際に天から
 道案内をさせるために遣わされた大きなカラスであるとされている。通常、3本の足を持つカラスとして描かれており、
 現在では日本サッカー協会のシンボルマークとして採用されています。

 
日本書紀には、やはり神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が登場します。金鵄は、ナガスネヒコとの戦いで
 神武天皇を助けたとさ、八咫烏と金鵄は、しばしば同一視ないし混同されているようです。


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本日の総仕上げは「わたらせ温泉」、今日一日の汗を露天風呂で流してから帰途に・・・