澤熊講師と歩く  2008年3月4日
大辺路・富田坂

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大阪茶屋町7:30発 阪神高速・阪和道=紀ノ川SA=田辺IC=白浜とれとれ市場(昼食)
白浜町・草堂寺一里松跡七曲がり峠の茶屋跡安居辻松峠祝の滝?
三ケ川梵字塔炭焼き小屋跡三ケ川バス停(ゴール) 田辺IC=阪和道=大阪

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古来、上皇や貴族達が行った熊野詣のメインルートは、京から淀川を下り、
大阪天満の八軒家に上陸し.紀伊路を経て…田辺からは山中に入り(中辺路)
熊野三山へ向かうというものでしたが・・・
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近世に入り、庶民の間で熊野詣が流行ると、少し遠回りしてでも景色の良い
海岸沿いのルートで行こうと田辺から中辺路と別れて富田坂→仏坂→長井坂
と続く道が重宝されるようにもなりました。

今日はその田辺からの最初の難所
「富田坂を越え」に挑戦です。
(予定は・・・9`・4時間) 

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バスを降りて、数分の場所にある『草堂寺』・・・
ココが本日の
『富田坂越え』のスタート地点です。
草堂寺は、江戸期の画家、長沢芦雪(1754〜99円山応挙の高弟)
ゆかりの寺で、江戸中期の画家
長沢芦雪円山応挙に師事し、
天明6年(1786年)に紀南地方に来訪しました。
その際、串本の無量寺、西向の成就寺、富田の草堂寺の3ヶ寺に
180面を超す障壁画を制作しました。
ここ草堂寺には障壁画71面、屏風5隻「龍と仙人図」・「黄安仙図」等
の水墨画9点が納められています。




スタートから約1`、一里松跡と要害山城跡・付近はまだそれほどの坂も無く・・・
チョッと油断気味・・・

             【一里松跡】・【要害山城跡】等の案内板は、それぞれをクリックで拡大



七曲がり登り口
ココから峠茶屋跡を経て安居辻松峠までは約3.5`の登りが続くらしい。
わざわざ〔
七曲がり〕と名付けたからには、1.5`の坂道は相当厳しい道かと・・・
カメラを仕舞って、wストックを手に・・・・・・大仰すぎるかナ





七曲がり坂の途中・・・展望が開け、白浜空港が望めます。
江戸時代の紀州藩の国学者『長沢伴雄』は、
阿波・淡路まで見えると…眺めの良さを短歌に残しています。
 
♪、あまつ日は 日高のおきに かげろひて 富田の御坂 ゆふ風ぞふく

写真はありませんが・・・な〜るほど、チョッと厳しい坂です。



峠の茶屋跡
坂を登りきった後なだらかな場所にでます。寛文8年(1668)に
茶屋跡の記録が残っていて、
大正8年(1919)までの約250年間営業されていました。




『ココは竜首展望』の立て札がありましたが・・・何処が?



安居辻松峠
此の辻は白浜町富田と日置川町安居の境にあり、
当時はココにも大きな一里塚があつたらしいです。
ここからゴールの三ケ川までは急坂が続きます。




鹿児島から飛んできて積もったという火山灰の層「姶良火山灰層」
今から2万2000年前に 鹿児島で火山の大爆発が くりかえされ、
南九州全体に火山灰が積もり、シラス台地がつくられました。
吹き上げられた大量の火山灰は、偏西風に乗って約500`離れた日置川安居の
三ケ川や本宮・中辺路に降り積もり姶良火山灰層ができました。
ココではその火山灰の地層をみることができます。



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三ヶ川梵字塔
地名の 「三ヶ川」とは、
3日に一度水が流れるというくらい水が少なかった川から、三ヶ川とついているそうです



庚申塔
梵字塔から10分ぐらい下ると庚申跡があります。ココには庚申堂が有ったらしいですが
今は旧集落にあったものを、この一ヶ所に集められているようです。




炭焼き小屋跡が見えてくるとゴールの三ケ川バス停は間近。
ココにはトイレが無い為、近くの道の駅までまっしぐら ・ ・ ・