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 死んだら花火と一緒に夜空に散る。それが夢だ。
 「墓も葬式も要らない。燃やして残った骨を星(火薬)に混ぜて尺玉にして打ち上げてほしい。星が微笑む漆黒の大空に、一瞬間だけ輝いて、何もなかったかのように消えてなくなりたい。その輝きが、好きだった人たちの記憶に残るだけでいい・・・」
新潟県小千谷市片貝。9月の声を聞くと、水田地帯の中にある集落が、にわかに躍動し始める。村中が「1年はこの日のためにある」とでも言わんばかりに熱狂する片貝祭り花火大会。正式には「浅原神社秋季大祭」。世界一の四尺玉、日本一の三尺玉、大スターマイン、大柳花尺玉三段打ち・・・・、9月9,10の2日間で2万発が夜空に咲く。

 けれど、片貝の花火の神髄は、その規模でも数でもない。花火一つ一つにこ込められた人々の「思い」だ。
 「新潟で毎年すごい花火が上がる。会社や自治体の大スポンサーじゃなくて、村の一人一人が自分の花火を上げるんだ」
 伝え聞いて、片貝祭りに通い始めて5年。今年も、東京と京都の仲間20人で出掛けた。3年目の90年、「包包ネットワーク、京都こだわり会」という名前の我がグループは、尺玉2発でネルソン・マンデラの釈放と南アフリカの夜明けの気配を祝った。尺玉といっても体積にして隅田川で上がる最大の花火の8倍の大きさ。4年目は空の芸術「大柳花」尺二段打ちを上げた。年に一度、片貝に集い、人の金ではない、自分たちの思いを込めた花火を打ち上げる、この喜び!!
 「片貝人」の人生は花火に始まって花火に終わる。子供が生まれると親は我が子の、祖父母は孫の誕生を祝い、神社に花火を奉納する。その子が本家の跡取りならば、親戚中で祝う。小学校入学、中学校、高校合格、親は子の成長を花火で感謝する。そして20歳。厄年、還暦、古希、自ら花火を打ち上げ、人生の節目を知る。村を出た人々は、祭りでより大きな花火を上げることで、故郷に錦を飾る。そして、死。妻が夫が、子が孫が供養の祈りを、空に捧げる。
 小千谷の人はいう。
 「片貝には嫁に行かすな嫁取るな」
 ことあるごとに打ち上げ花火じゃ、身上がもたない。それほど花火には金が掛かる。しかし、片貝の花火はすたれるどころか、華美に大きくなる一方だ。

 人生の節目に

 片貝花火の歴史は400年と聞いた。ずっと以前は各家が家で花火を作って神社に持ち寄り奉納したという。今もその伝統は生き、片貝の村で花火の打ち上げ技術を持つ人が100人余。祭りには、そうした人々が発射台に陣取る。
 隣の長岡と世界一を競う三尺、四尺の玉が登場し、人口9000人の集落に2日で10万人を越える人々を集める今のお祭りに形を変えたのは、30年前から。成人、厄年、還暦などの節目には小学校の同級会で、大スターマインを打ち上げるのが恒例となった。それぞれのクラス会が負担する費用は1000万円を越えることもざらだという。
 さて、今年の我らが花火。念願の「銀尺玉三発同時打上」。番付表の文字が眩しい。今年春、仲間の父さんが亡くなった。今年の花火はその供養でもある。打ち上げ時間、10日午後9時37分。会場に「父、徳之助追善供養」のアナウンスが響き渡る。
 「上がれ、上がれ」。
 花火が美しく空に舞い、立派な供養になるように、打ち上げ前、願いを込めて叫ぶ。点火。3本の火柱が、天空に向かって飛び出す。眩しい銀の花が三つ、空に咲く。ドーン。腹で聞く爆発の音。銀山特有の一瞬の銀世界。残り火はない。
 「万歳、万歳、万歳」
 自分の花火が無事に開いたことがなによりも嬉しい。自分の花火が他のどの花火よりも美しく、素晴らしい。何の疑いもなく、そう思い込んでいることが幸せだ。
祭りが終わった空には月。毎年の祭りの後、静かになった夜空を見て思う。私もこの空に散りたい。



世界一正四尺玉 日本一正三尺玉の
片貝花火 浅原神社奉納煙火

毎日グラフ掲載 1991年