先日、テレビを見ていたら、天地真理が出演していました。
今に始まったことではありませんが、その「醜さ」は、おぞましいほどのものでした。
身体は、ぶくぶくに膨れていて、それも、幸せぶとりというのではない、醜くむごい太り方で、歯は、やにの為か、茶色に変色し、磨り減っていました。
番組の企画は、20歳の頃いかに美しく輝き人気があった天地真理のあまりの変貌振りを笑う、というような、意地の悪い、天地真理の姿以上に醜いものでしたが、当の天地真理は、ほかの出演者らに化け物扱いされ笑われていることを、さして気にするようでもなく、あっけらかんと、醜く太った元アイドルを演じているのです。
最初は、見ていて、天地真理が(元ファンとしては)痛々しいと思ったのですが、途中から、どうも違ってきました。
醜く哀れなのは、天地真理を笑っている、ほかの出演者なのではないか、と感じるようになったのです。
天地真理を笑っている、またはその変貌振りに眉をひそめている、おもに女性タレントは、天地真理と同世代か、それよりも少し年長の人々です。彼女らは、テレビ画面で見る限り、美しく着飾っている。(天地真理は、それはテレビの演出に違いありませんが、衣裳も、醜い体型を強調するような、みすぼらしいものでした。)スタイルも保たれているし、遠目には、天地真理よりは、ずっと「きれい」だ。天地真理に性的な魅力を感じる人は、ちょっと、常人には計り知れないマニアでしょうが、ほかのタレントなら、充分に性的な魅力を感じる人もいるでしょう。
でも、彼女たちは美しくはないのです。
太り過ぎないように、毎日節制し、美顔や美肌にも、神経をすり減らしているのだろう、何より、「老い」という抗うことのできない自然に、日々恐れをなして生きているに違いない、そういう、彼女らの背後にある生の否定が、透けて見えてしまうのです。
一方の、天地真理は、突き抜けていました。
今の夢は、娘に幸せな結婚をしてもらって、かわいい孫を抱きながら、水色の恋を歌って聞かせることだ、と、あっけらかんと、言ってのけるのです。
極めつけは、演出としては趣味の悪い、彼女のライブステージでした。恋する夏の日を歌うのですが、これが、そこらへんのおばちゃんがカラオケで歌っているよりも、もっと、下手なんです。もう、抱腹絶倒するしかない。やめてよー、と、つい、画面に向かって叫びたくなる。
でも、なんか、いいんです。すがすがしくはないのだけれど、不思議な感じです。
たぶん、それは、現代社会に対する、ひとつのアンチテーゼなのだからだ思いました。
もちろん、タレントとしてやっていることだから、彼女の本当の姿がどうなのかは、わかりません。仕事と割り切って、醜さをことさら強調して演じているのかもしれない。
それでも、出演者の中で、ただ一人、別の方向を見て生きている、別の価値観をもって生きている、つまり、衰えていく美とか若さにすがりつくことなく、加齢とともにおきる現象に抗うことなく、それを受け入れて生きている、という描かれた姿は、なかなかのものです。突き抜けた、すがすがしさ、というようなものがありました。
人様に、テレビを通してその映像を見せるようなものではないけれど、そのあり方は、けっして悪いものではない、と思ったのです。(彼女が本当に幸せかどうかは知りません)
ぼくには、天地真理が、
「女を捨てて、幸せになろう」
と、言っているように、聞こえたのです。
ま、男としては、女を捨てている人がそんなに好きではないけれども…。

                                      2003年9月5日

天地真理
 ―女を捨てて、幸せになれ―
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