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(1)
1月のある日、俺は一人で、雪の降る山道を、車で走っていた。
久しぶりの家族旅行は、当初ハワイに行く予定だったが、アメリカの戦争好きのお陰でハワイがダメになった。長男が来年結婚する、家族で旅行なんていう機会も少なくなるだろう。そこで、昔、よく使わせてもらったペンションを貸切にしてもらい、久しぶりにスキーを楽しむことにした。スキー場は空いていた、それに帽子にゴーグルをしてしまえば、周りは誰も俺に気づかない。気兼ねなく楽しむことができるのだ。本当なら、あと2日は休暇を楽しむはずだったのだが、事務所から電話があり、急遽、俺だけひと足先に東京に帰ることになった。新しくマネージャーになったばかりの坂上が言うには、
「この間、録音した曲のことで、緊急事態が発生したんです」
俺が、何事かと聞いても、
「電話では、言えません。すぐ戻ってきてもらえませんか、桑田さん」
と言うのだ。しかたなく、ひとり車で東京へ向かっている。
もし、大したことじゃなかったら、ただじゃおかないぞ、坂上め!
しばらく、走っていると、雪は一層激しくなってきた。スタットレスを履いているが、充分注意しないと、雪道の運転はあまり慣れていないのだ。
その時、ゴゴゴゴゴッーと、腹の底から響くようないやな音がした。俺は車を止めた、その途端、地面が大きく揺れた。
「地震だ!」
相当大きそうだ。パニックにならないように、こんな時はどうすればいいか、頭の中で、あらゆるテレビや本で得た情報をかき集めようとしていた。とにかく車から出ようと、外を見ると、上からガラガラと大小の石が落ちてきた。
「まずい、崖崩れだ」
逃げようと思い、ドアを開けた瞬間。自分の体が宙に浮いたのがわかった。まるで地面がなくなってしまったように(実際、なくなったのだが…)足元の道路が崩れたのだ。
「うわっー」
と、声をあげた、あとは記憶がない。
目を覚ますと、雪が顔の上に、冷たく降っていた。
『生きてた…』
とりあえず今は、とそう思った。たまらなく寒いが、腹だけが妙に熱い…怪我をしているのだろうか。
このまま死ぬのか?目を閉じると、目の前に“桑田佳祐行方不明”と新聞の見出しが浮かんできた。
『ここにいるよ…』
俺は、声にならない声を出した。 そして、意識がとだえた。
どのくらいの時間が経ったのか、俺は人の声で目をさました。
『助かった…』
そう思ったが、気がつかないのか、一向にこちらにくる様子がない。助けを呼ぼうとしたが、うめき声にしかならなかった。人の声はだんだんと遠ざかっていく、
『待って、気がついてくれ、ここにいるんだ』
しかし、無情にも人の気配はなくなり、俺だけがとり残された。
『もう、だめかも…』
気力が萎えていくのを感じた。目をつぶると、妻と子供たちの顔が浮かんだ、
『一緒に帰ればよかった。坂上の言うことなんて無視して、一緒に帰れば』
今は、あまり寒さを感じない。ただ、腹が燃えるように、熱かった。
夢なのか、現実なのか、その辺の記憶はぼんやりしている。
遠くで聞こえる、たくさんの人の声。
「桑田さん、大丈夫ですか、桑田さん」
誰かが、呼んでいる。坂上か? 答えなければ・・・ザワザワという風の音、いや、波の音なのか。
一人の女性が、俺の顔を覗き込んでいる。泣いているようなその女性の顔は、妻にも思えた。
ああ、由ちゃんだ。やっぱり夢だったのか。あの事故も全部…
『ひどい夢を見たよ、崖崩れが起こってさ…』
俺は、妻に話かけている。
『熱いなあ、今日は…』
『今日は雪よ、こんなに寒いじゃない、どうしたの?』
『熱いんだよ、腹が熱くて、熱くて』
『佳ちゃん、お腹から血が出てる…』
俺の腹から、血が噴出してる。
「うわーっ!」
俺が叫ぶと、2,3人の男が、俺の身体を抑えつけた。
「我慢しろ!もう少しだ!」
やめてくれ、何してるんだ!信じられない痛みが全身をつらぬく、俺は意識を失った。
次に気がついたのも、痛みからだった。目の前に見知らぬ女性の顔があった。
「よかった。気がつきました?」
誰? ここはどこだ? 病院? 違うどこかの家のようだ。
「事故にあわれたんですよ。覚えてます?」
俺はうなづいた。彼女は白衣を着ていない、看護婦ではないのか。
「もう、大丈夫。安心してください」
女性はニッコリと笑った。歳は40才くらいだろうか、彼女は名前を“マヤ”と言った。
「傷、痛みます?」
俺がうなずくと、
「じゃあ、痛み止めを打ちましょうね」
マヤはそう言って、慣れた手つきで、俺に注射をした。
「崖くずれがあったのよ」
俺は、またうなずいた。
「崖から転落したとき、車から投げ出されたんですね。落ちたところが雪の上で、しかも、岩もよけてくれたみたいで、多少、お腹の辺りに破片が突き刺さっていたけど、内臓は大丈夫ですって。あとは骨折があるけど、あの崖から落ちて、それだけなんて、奇跡のようなものですよ」
俺はふと、なぜ病院じゃないんだろと思った。普通は病院に入れるだろう、崖から転落して、生きているのが不思議なくらいなんだから。
俺の考えていることがわかったのか、
「ここの村には病院がないんです。隣りのシティまでいかないと…でも大雪でヘリも飛べないし、道路が寸断されて、車もだめだし…」
マヤは俺の顔をじっと見つめて言った。
「でもお医者さんが、たまたま、こっちに来ていたから良かった。桑田さんは、運がいいんですね」
俺のことを知っている…。考えれば当たり前だ、テレビや雑誌をみたことあれば、気づいてしまうはずだ。
家族に連絡は、してくれただろうか、警察に通報すれば、連絡先はすぐわかるはずだ、早く妻の顔が見たかった。しかし、マヤはそのことに関してはなにも言わず、
「傷が痛みだしたら、このヒモひっぱって呼んでください。ナースコールのかわりです。鈴が鳴るようにしてみたんですよ」
なんだか、嬉しそうにそう言った。
「のど渇いていませんか?」
俺は首を振った。
「そうですか、じゃあ、あとでまた、来てみますね」
そう言うと、電気を消し、部屋を出て行った。電気を消されて、今が夜だということがわかった。
枕もとの、小さなスタンドの明かりが、これが現実であると、俺に実感させた。痛み止めが効いてきたのか、だんだんと、眠くなってきた。俺は、不安な気持ちを抱えながら、眠りに落ちていった。
政府の“首都集中政策”は20年以上も前から極秘に進められていたらしい。
政府はいくつもの県を合併、日本を、北海道、東北、北陸、関東、関西、山陽、九州、に分け、7つの“都市=シティ”を作り、完全な地方分権制度を導入した。首都の機能は東京と大阪に分け、災害が起こっても首都機能がストップしないようにした。それが5年前のことだ。
それから、各シティの競争が始まった。人が集まらないと、税金が集まらない。シティには集合住宅が立ち並び、学校も作った、そして企業に対する誘致合戦。政府の狙い通りになった、政府は人口をシティに集中させ、資源の効率化を図ろうと思っていたのだ。
シティの集合住宅に暮す人は税金が軽減され、充分な医療を受けることができるが、シティ以外の場所の人々には、いくつもの制限が課せられる。一日の電気の使用量、車の使用時間、土地の3分1以上に緑を植えること。何よりも高い税金と医療費の高さが、シティ以外で暮らす人たちを苦しめた。温暖化防止のため、自然を残すため、というのが政府の言い分だった。人々はどこかのシティに住むしかなかった。と言っても、シティの生活は快適なものだ。俺も東京シティに住んでいるが、不自由に思うことは一つもない。俺が住んでいるのは、立ち入り制限のある、有名人ばかりが住んでいる地域だ。警備も万全で、犯罪に巻き込まれる心配もない。このシステムになって、犯罪率も低下しているらしい。
しかし、どんなにシティが安全でも、田舎で昔ながらの生活をする者もいる。その場所のほとんどが「自然ふれあい地域」に指定されていて、シティの人々が休暇を過ごす場所になっている。そうすることで、政府の許可を得ることができるのだ。俺が行ったスキー場もその一つだった。
でも、ここの村はどうも観光地という感じがしない。もしかすると、もぐりの村なのではないか。政府の許可を受けずに、自給自足に近い生活をしている村がある、と聞いたことがある。ここに来てから、何日もたつのに、家族はいまだに俺のもとに現われない。もぐりの村だとすれば、警察に届けられないのもうなづける。傷の痛みと、家族に逢えない、周りの状況がわからないことで俺の不安は日に日に大きくなっていた。
俺が運ばれてきたこの家は、天井や壁の雰囲気からすると、ログハウス風の家なんだろう。周りにたくさんの木があるようで、寝ているとザワザワと音がし、朝には鳥のさえずり、夜は梟のような声まで聞こえる。6畳ほどのこの部屋には、壁に俺が寝ているベッドの隣にライティングデスク、向こうには本棚が置いてあり、本棚の上の木製の時計がカチカチと時を刻んでいる。そして、時々、人が話す声が聞こえる。もしかして、ここでなにか店でもやっているのかもしれない。
あの日から、マヤは毎日、俺の面倒をみてくれていた。傷のガーゼをとりかえ、痛み止めを打ち、身体を拭き、食事をさせ、水を飲ませ、そして、下の世話まで。俺はベッドから動けないのだから仕方がないが、見ず知らずの女性に下の世話を受けるのは、情けない気持ちになる。それだけではない、なにより、声が出なったことが、精神的に堪えていた。医者は、事故のショックで一時的に出ないだけと言うのだか、もしこのまま、一生声が出なかったら、歌うことができなかったら、と思うと、ますます不安な気持ちになるのだ。
そんなある日、マヤが画用紙とペンを持ってきた。
「これで、意思の疎通をしましょう」
と言った。その頃には、腕はなんとか動かせるようになっていた。
「字、書けるかな?」
俺はペンを取り、画用紙に書いてみた。
“かぞくにれんらく”
ひどい字だが、読めなくはない。
「家族に連絡して欲しいってこと?」
俺はうなずいた。
「もうしてありますよ。でも雪が溶けないと、道路も復興しないし、今は来れないんですよ。奥様もとても心配なさっていましたよ」
“でんわ”
と俺は書いた。
「電話?家に電話したいの?声が出ないのに…」
マヤは少し困った顔をして、
「電話がいま不通なんです。この前の大雪でね、こんなことは珍しいんですけど」
携帯があるだろ、携帯が、と俺は思った。
「ここは携帯の電波も届かないし…」
マヤは俺の考えを見破るように、そう答えた。多分、俺は疑りの目をしていたのだろう。
「一応、チャレンジしてみますか?」
携帯電話を持ってくると、俺が書いた番号を押した。が、やはり、通じなかった。
気が済んだでしょ、というようにマヤは俺を見て
「春まで、仕方ないんですよ」
と言った。俺は彼女の言葉に、すべて納得したわけではなかった。でも、今の俺の状況ではどうすることもできない。俺が事故を起こしてから、いったい何日が経ったのだろうか。
“何月何日?”
「今日はえーと、2月2日。あ、明日節分だわ、豆まきしなきゃ」
無邪気にマヤはそう言った。
2月2日とすると、家族と別れて20日も経っているのか。早く東京に帰りたい、家族に会いたい、そう思っても今の俺には、どうすることもできなかった。
俺は、マヤという女を完全に信じたわけではなかったが、マヤは本当に献身的に俺の世話をしてくれる。そんなに悪い子じゃないんじゃないか?マヤの言うことは本当なのかもしれない、そうだとしたら、俺はなんて疑り深い男なんだろ。俺は画用紙を使って、マヤと色々なことを話すようになった。
“歳はいくつなの”
「いくつに見えます?」
なんで女って、必ずこう聞き返すんだろ?
“35”
こういう時は、若めに言うのがルールだ。
「フフフ…じゃあ、そういうことにしておこう」
マヤはそう言った。
“独身なの?”
「結婚してるわ」
“ご主人は?”
この質問をしたとき、マヤの顔色が変わった。あれ、まずいこと聞いたのか?
「今、いないの…仕事で東京シティに行ってて…」
そう言うと、ちょっとごめんなさい、と、マヤは部屋を出て行った。
俺の想像だが、もしかして、ダンナは失踪してしまったとか、女と逃げてしまったとか、多分、そんなところなのだろう。可哀相な事を聞いてしまったのかな。
しばらくするとマヤはコーヒーを持って部屋に戻ってきた。
「飲む?」
俺はうなづいた。コーヒーを飲むなんて、何日ぶりだろ。
「ああ、おいしい」
マヤは大げさにそう言った。
「お店のものだし、今は貴重品だから、飲むの我慢してたけど、やっぱりおいしいわ」
“お店って?”
「うちね、カフェやってたのよ、村で一件だけのね」
“やっぱり、お店やってると思ってた”
「なんで?」
“よく、人の声が聞こえるから、お客さんの声かなって思ってた”
「えっ、聞こえてた?」
また彼女の顔色が変った、なんか聞かれちゃマズイことでもあるのか?
“内容はわからなかったけど”
俺がそう答えると、ホッしたようすの彼女は、
「店の名前なんだと思う?」
またそれか、めんどくさい、と思ったけど、一応、興味あるふりをしなければ、
“ヒントくれ”
「サザンの歌の題名、英語表記、パチンコ屋みたいで、私は反対しました」
そんなのじゃわからないって!
“降参、なに?”
「笑わないでよ、あのね、PARADAISE」
プッ、と思わず吹いてしまった。
「やっぱり笑った!」
“ごめん、ごめん”
俺は、手を合わせた。
その時、外でゴゴゴゴゴッーっと音がした。腹の底に響いてくるようなこの音は、そうだあの時、車の中で聞いた音と同じだ。また地震がくるのか? 恐怖がこみ上げてきた。
マヤはあわてて立ち上がると、なぜかカーテンを閉めた。マヤの顔が青ざめていた。しばらくすると、音が止み、俺もマヤもホッとして、顔を見合わせた。今度は地震ではなかったようだ。どこかで崖くずれが起こったのか、もしかすると、雪崩かなにかかもしれない。
「また雪崩かな、昨日も大雪だったから…」
マヤは少し震えた声でそう言った。
次の日の朝は、久しぶりに晴れ上がっていた。マヤは部屋に来ると、
「今日はいい天気ですよー」
と、窓を開けた。冷たい外気が部屋の中に入ってきた。
「寒くないですか?」
マヤは、俺の身体を起こすと、セーターを着せた。多分、ダンナのものだろう。
俺が大丈夫だとうなずくと、マヤは洗濯してきます、と部屋から出て行った。
窓のむこうには、森林が広がり、その先に雪の積もった山々が見える。綺麗だな、と思った。こんな気持ちになるのは、久しぶりだ。
俺はいまだに、この状況を受け入れることができないでいる。家族のことを思い出し、あの山は、スキーに行った山かもしれない。と思うと、涙がこみあげてきた。なんで、こんなことになってしまったのか…、いや、命が助かっただけでも、ありがたいんだ、春になれば東京に帰れる。俺は、そう自分に言い聞かせた。
しばらくすると、マヤが外で洗濯物を干し始めた。ひとつひとつ、洗濯物を丁寧にパンパンと伸ばしながら干している。窓の外の彼女を見ながら、結構かわいいな、と思っていた。若い頃はモテただろうな。そんな俺の視線を感じてか、マヤはこっちを見てニッコリ笑った。ちょっと、ドキッとした。
洗濯を干し終わると、マヤは窓辺に近づいて、
「そろそろお腹すいたでしょ?朝食にしましょうね」
と言った。
「パンとおかゆとどっちがいいですか?」
“パン”
俺が画用紙を見せると、マヤはなにがおかしいのか、笑い出した。
“なにがおかしいの?”
と聞くと、
「スペイン坂スタジオみたいだなって」
ああ本当だ、と思って俺も笑った。スペイン坂のときは、よくこうやって画用紙でファンと会話してた…
あれ待てよ…なんで、彼女はそんなことまで知ってるんだろ? もしかして、スペイン坂に来たことあるのかな?とすると、そこまでファンだったってこと? そう言えば、口癖のように
「桑田さんだって気づいた時は、本当に驚いちゃった」
と言っている。俺は朝食を持ってきたマヤに、
“スペイン坂のことよく知ってるね”
と聞いてみた。
「だって、東京にいた頃は必ず行ってたもの」
とマヤは言った。
“サザンのファンなの?”
「うん、そう」
俺は、朝食を食べ始めた。パンとオムレツだった。
「実はね私、デビュー当時から、桑田さんのファンなんですよ」
そうだったのか、
「だから、倒れてる人が桑田さんだって気づいた時は、本当にびっくりしたのよ。似ているだけかと思ったけど…お財布の中の免許証を見て、やっぱり本物だって。だから、村の人達に頼んで、うちへ連れてきてもらったの。診療所はいっぱいだったし、ベッドもいっぱいだったし。私ね結婚する前は、看護婦だったのよ」
俺はうつむきながら、食事を食べ続けた。マヤは俺の顔を見て、
「もしかして、怒ってますか? 言わなかったから」
俺は首を振った。
「私ね、桑田さんの歌が大好きで、いつも元気をもらってたの。だからこれは、恩返しのつもりなんです」
ニコッと笑い、そう言った。
その時、俺は、頭の中であることが浮かんでいた。
『スティーブン・キング”の“ミザリー”』。
スティーブン・キングの「ミザリー」を知っているだろうか。
ある作家が事故を起こす、その作家をファンの女(元看護婦)が監禁する、そして無理矢理作品を書かせるのだ。俺の状況にそっくりじゃないか、そのうち、マヤは「私のために歌を作って」なんて言い出すんじゃないか? でも待てよ…俺はマヤだけじゃなく、医者やこの村の村長という男にも会っている。やはり俺の考え過ぎなのか? どちらにしても、用心するに越したことはない、何か目的があるかもしれないのだから。そう考えていると、いても立ってもいられなくなった。 俺は、ここから逃げようと決心し、ベッドから起き上がった。ずっと歩いてない足は、まるで自分のものではないように重く、力が入らない、立ち上がろうとすると『ドスン』と床に落ちてしまった。その音を聞きつけて、マヤが部屋にやってきた。
「どうしたんですか?!」
不様に床に転がっている俺は、うなることしかできなかった。
「何か欲しい物があれば、呼んでください。その為にベルをつけたんだから」
マヤは俺の両手を自分の肩に乗せると、一緒に立ち上がり、ベットに座らせた。そして、動かない足を持ち上げ回転させると、俺をベットに寝かせた。
「折角、骨がくっつきかけてるのに、無理しちゃだめですよ」
コルセットの変わりに添え木をつけた足をなでて、マヤは部屋を出て行った。
「今はまだ無理だ、体が治るまでは、今のままいるしかないのだ」
俺は部屋の天井を見上げながらそう思った。
次の日から俺は、少しずつだがリハビリを始めた。動かなければ筋力はますます衰える一方だ、
マヤに2リットルのペットボトルの水を枕元に置いてもらい、それを使って腕の筋肉を鍛えはじめた。「とにかく何かをしなければ」俺はあせっていた。
ただ寝てるだけの生活は、時間の感覚もなくなってくる。昼間にウトウトして、夜中に目が冴えてしまう。そうすると、色々なことが頭に浮かんでくる。
「あの新曲は、もう発売したのかな」
「皆、心配しているだろうな」
「長男の結婚はどうなっただろう」
早く家へ帰りたい! そして、涙が溢れて止まらなくなってくるのだ。
そんな日の朝は、マヤの顔を見るとイライラして、当たり散らしてしまう。と言っても喋れないのだから、行動で表わすしかない、時には食事の膳をひっくり返したこともある。そんな時、マヤはオロオロしながら
「ごめんなさい」
と泣きそうになりながら部屋を出て行く。俺はそれを見ると少し気持ちがスーッとするのだ。我ながら、悪趣味だとは思うが…。
そんなある日、事件が起こった。その日も俺は朝から機嫌が悪く、それに気がついたマヤは、俺の顔色を伺いながら、ビクビクしていて、それを見ていると、余計にイライラしてしまう。それをわかっているのか、マヤはその日、あまり部屋に寄り付かなかった。
夕方、大きな音で目が覚めた、いつの間にか眠っていたようだ。あたりは薄暗くなり始めていた。
「なんの音だろう?」
すぐに、この家のドアが勢いよく閉まった音だと気づいた。よほど思いっきり閉めたらしく、弾みで俺の部屋のドアが少し開いていた。開いたドアの隙間から争うような声が聞こえている、誰かがケンカでもしているのか?俺は体をずらし、ドアの隙間から隣のリビング(だと思う)を覗いた。
マヤの姿が見える、それからもう一人は誰だろう。隙間からでは姿が見えない。
「まだ帰らないわよ!」
マヤが怒ったように、そう言った。
「騙されねえぞ、奥にいるハズだ!」
男の声だ。
「奥にいるのは、先生から頼まれた病人よ、夫じゃないわ」
どうやらこの男は、俺をマヤの旦那と思ってるらしかった。
「調べさせてもらう!」
男がマヤを押しのけこっちへ来たとき、ドアの隙間から顔が見えた。不精髭を生やした、40歳くらいの大男だった。
「やめて!違うって言っているでしょ!」
マヤがその男を止めようとした時、はずみで男が椅子につまづきテーブルに倒れかかった。
「このっ!」
カッとした、男はマヤの顔を殴った、マヤが床に倒れたのが見えた。マヤが悲鳴をあげた。男の怒声が響いた。
まずい何とかしなければと、俺はベッドをガタガタと音を立てるように揺らした。しかし、何の効果もない。ドアの外では、男の怒声とマヤの悲鳴ともつかない声が聞こえている。このままでは取り返しのつかないことになるかもしれない。近くに誰かいないのか、と思ったとき。窓の外を通る人影が見えた。おーい!来てくれ!助けてくれ!と俺は必死で壁を叩いたが、気がつかないようだった。俺は、壁によりかかり、立ち上がると窓を開けた。
「うおおおおおおーい!」
搾り出すような声が、腹の底の方から俺の口を伝って出てきた。声が出た・・・
「助けてくれー!誰か!」
久しぶりに出す声は、甲高く俺の声じゃないみたいだった。
外を歩いていた人は村長で、俺の只ならぬ気配を感じたのか、家の方へ走ってきた。
ドアが開ける音が聞こえ、
「何してる!」
パン!と乾いた音がしたと思ったら、男の逃げるらしき足音が聞こえた。男は何か叫んで行ったが、なんと言ったかは聞き取れなかった。
「奥さん、大丈夫ですか」
と村長の声が聞こえたが、マヤはそれには答えず、俺の部屋に飛び込んできた。マヤの顔は殴られて腫れあがり、唇からは血が出ていた。
「声出た…ね」
マヤはそう言って、俺に抱きついた。
「おまえ、ひどい顔だぞ」
俺がマヤに言った、最初の言葉だった。
その事件があってから、俺とマヤの距離は少しばかり縮まったようだ。 マヤを100%信じたわけではないのだが、あの時のマヤの行動は、心から俺のことを想ってくれていると思わせるのに十分なものだった。俺はだんだんとマヤを好きになっているようだった。ここに来てから1ヶ月半が経っていた。
ある日、マヤが俺の部屋に駆け込んできた、
「どうした?」
マヤはエヘヘヘと笑い、
「これなーんだ」
と後ろ手に隠していた手紙を出した。
見慣れた懐かしい文字、妻からの手紙だった。
俺は、ひったくるようにマヤからそれを受け取ると、封を開けた。
『佳ちゃん、どうしていますか?藤田さんから連絡をもらい驚きました。』
藤田さん?、あ、マヤの苗字か・・・
『怪我はどうですか?命に関わることはないと書いてあったので、ホッとしましたが、会うまではやはり心配です』
マヤは気をきかしたのか、部屋をそっと出て行った。
『こっちは変わりなくやっています。祐宜の結婚は、お父さんが帰ってきてから、改めて日取りを決めることになりましたので、ご心配なく。早く体を治してくださいね。春になって雪が溶けたらすぐに迎えに行きます。それまで頑張ってください。由子 追伸.新曲は4月以降の発売に延期されました、プロモーションとか色々あるから、それまでには元気にならなきゃね』
俺は泣いていた。ホッとしたのか、寂しいからなのか、よく分からないが涙が止まらなかった。
やっぱりマヤは嘘をついてなかったんだ、ちゃんとこうやって、家族に連絡をしてくれているじゃないか。俺はそう思って、ふと消印を確認すると、10日も前のものだった。俺はマヤを呼んで、なんで10日前の消印なのかを聞いた。
「今の状況じゃ、仕方ないでしょ。私が原さんに手紙を書いたのだって、一ヶ月も前のことなのよ。10日前のだって、手元に着いただけでもいい方よ」
「そんなに雪の被害がひどいの?」
俺がそう聞くと、マヤは驚いたように、
「そうなのよ。今年は寒波がすごいから」
そういう、マヤの言葉に不自然さを感じた。やはり何かが変だ。
ここに来てから2ヶ月、俺のリハビリは進み、何かにつかまれば歩くことができるようになった。ギプスが取れるのも時間の問題だろう。俺は妻に手紙を書いたが、返事はまだ来てなかった。
俺は依然として、何かこの村や周りの人々に不自然なものを感じていたが、それが何かはよくわからなかった。村は平和だった、時々、大きな音が村中に鳴り響き、マヤはその音に怯えていたようだが、そのこと以外は穏やかに時間が経っていった。この分だと、家族が迎えにくるのももうすぐかもしれないな。そんなことを思っている矢先、大雪が降った。3月に大雪なんて、なごり雪というには、ひどすぎる雪だった。
「これも環境破壊の影響なのかしらね」
マヤはそういいながら、雪かきに追われていた。俺は、窓から見える雪を恨めしそうににらみつけるしかなかった。がっかりした、雪が溶けたら、雪が溶けたら、とずっと待ち焦がれていたのに、いったいいつになったら、ここから出られるんだよ。俺は目に見えて元気がなくなっていった。リハビリもサボりがちだった。そんな俺を見かねたのか、ある日マヤが俺の部屋にやってきて、
「これ、あげる」
とブルースハープを持ってきた。
「どうしたのこれ?」
ホーナーのCのブルースハープ、
「それ、“夜遊び”で昔もらったのよ」
“やさしい夜遊び”俺がやっていたラジオ番組だ。
「へえ、そうなんだ」
「まだ誰も吹いてないから、桑田さんにあげる」
「いいの?」
「うん」
俺はブルースハーブを鳴らした。Cの和音、音が愛しく思えた。考えてみると、俺が音楽からこんなに離れたのは初めてだったんだ。
「ねえ、なにか吹いて」
“ふるさと”“赤とんぼ”“ムーンリバー”ジョン・レノンの“イマジン”、思いつく曲を一気に鳴らした。マヤを見ると泣いていた。涙をふきながら
「感動しちゃった」
と言った。マヤは、ふと窓の方を見ると、俺に向かって
「外、見て」
と窓を開けた。窓の外にはいつの間にか人が集まってきていた。
「皆にも、聴かせてあげていい?」
マヤの問いかけに、俺はうなずいた。なにか喋ると俺も泣いてしまいそうだった。
それをきっかけに、俺の元にはギターがやってきた。ヤマハの3万円くらいの安いギターのようだったが、誰かが持ってきてくれたのだ。そのお陰で俺は少しだけ元気を取り戻すことができた。俺がギターを弾き始めると、窓の外に人が集まり始め、マヤが寒いだろうからと、家の中へ入れ。遠くて聴こえにくいだろうからと、俺がリビングでギターを弾くようになり。そうするとどんどん人が集まってきて、リビングでは入りきらないと、店の中で弾くようになり、いつのまにかコーヒーショップ『PAEADAISE』は、ライブハウスのようになってしまっていた。俺はマヤに世話になっている恩返しのつもりだったが、マヤは客が来ても、コーヒーも酒売らず、お金を取ってはいないようだった。商売が下手だと思ったが、そういうマヤに好感を持っていた。
俺は、またリハビリを積極的にやるようになった。人前に不様な格好は見せられない、そんな気持ちになってきたのだ。お陰で、食事の時はベッドを離れ、リビングで食べられるようになっていた。
ライブのようなものをやり始めて、俺のもとには若い女性が遊びにくるようになった。22歳の真紀ちゃんと23歳の紗江ちゃんだ。マヤは彼女たちと顔見知りのようだったが、あまり歓迎はしていないように見えた。彼女たちは、「ずっとファンだったんです」と言ったが、サザンの歌はあまり知らないようだった。若い女の子と話すのは、嬉しいのでそんなことはどっちでもいいのだが。彼女たちは、自分たちで好きなことを喋って、飽きると帰って行った。
彼女たちが帰ったあとは、マヤは不機嫌だった。
その日の夕食の時、マヤは無口だった。
「面白いよな、若い子っていうのは」
俺は話題を間違えたのに気がつかなかった。
「そう?」
「物怖じしないっていうか、まるで10年も友達かと思うように話すもんな」
「単に敬語を知らないだけじゃないの」
「・・・・」
マヤは、何か怒ってるみたいだ。
「どうかした?」
俺はマヤに聞いてみた。
「別に・・・」
しばらく沈黙が続いた。
「だけど、やっぱ疲れるよな。若い子とは話が合わないし」
俺はそう言ってみた、ホローになっただろうか?
「嬉しそうな顔にみえたけど」
マヤはそう言ったが、態度は和らいでいた。
「そりゃ、若い女の子を見るのは嬉しいよ、男だからさ。でも長くは一緒にいられないかな、俺の場合」
「そうなの?」
とマヤはあきらかに嬉しそうだった。マヤは立ち上がると、
「今日、村長さんがおいしいお茶を持ってきてくれたの、飲むでしょ」
と台所に行った。これでしばらくは、機嫌がいいかな。
案の定、次に真紀ちゃんと紗江ちゃんが来ても、マヤはあまり不機嫌にはならなかった。それどころかコーヒーまで煎れて持ってきた。真紀ちゃんと紗江ちゃんは、
「わぁ、すごーい本物のコーヒーだー!」
と大喜びしていた、いくらなんでも喜び過ぎだろ。
コーヒーを飲みながら、俺は
「二人は彼氏はいないの?」
と聞いた。
「今はいないね」
紗江ちゃんが言った
「て言うか、今いなくて良かったよね」
二人は顔を見合わせてうなずいた。意味がよくわからない。
「なんで良かったの?」
「だって、悲しすぎるでしょ」
と、紗江ちゃん、
「私は耐えらんない」
と真紀ちゃん。
「なに、どういうこと?」
俺が聞こうとすると、部屋に入ってきたマヤが、
「真紀ちゃん、紗江ちゃん、ちょっと手伝ってもらえる?」
と二人を部屋から連れ出した。
その時、俺はこの村の不自然さに気づいた。ライブの時の村人達を思い浮かべた、若い男がいないのだ。この村にいるのは、女性と子供と、男を見たのはあの髭の男と村長と医者と、あとは年寄り・・・どういうこと?
しばらくすると、真紀ちゃんと紗江ちゃんが、用ができたと帰って行った。俺はさっきの続きを聞くこともできなかった。夕食の時間、今日は、マヤも俺も無口だった。
俺は怯えていた、いったい世の中に何が起こっているのか、知りたいような、知りたくないような。でもやっぱり知らなければならないだろう。
俺はマヤに
「本当のことを教えてくれ、世の中で何が起こっているんだ?」
と聞いたが、その都度マヤは
「本当のこと?なにそれ、桑田さん考え過ぎですよ」
とか、
「心配性だとは思ってたけど、これほどとはね」
とか、適当なことを言ってごまかすのだ。
ある日、マヤが外出した時のこと、俺は起き出し、家の中に何かヒントになるものがないか探してみた。
リビングにはテレビもないラジオもない、新聞も雑誌もどこにもなかった。
「くそっ、全部隠したな」
俺はムキになって探し続けた。店の方にも何もない、後はマヤの部屋だけだ。
マヤの部屋に初めて入った、ダブルベットがあり、棚には旦那さんらしい人とツーショットの写真が置いてある。本棚には単行本や文庫本、古典の本がたくさん入っている、ここから俺に本を持ってきてくれてたんだな、と思った。雑誌も数冊あったが、手がかりになるようなものはなかった。あとはライティングデスクだ、ライティングデスクの扉を開けると、そこに鍵のかかった、木の箱があった。
「これだ」
しかし鍵がない、鍵はどこだ、鍵は!
もしかしたら、マヤが持ち歩いているのかもしれない。くそ、ここまでこぎつけたのに・・・。俺はガックリとして椅子に座りこんだ。ふと、ベッドを見ると、ベッドの下に何か黒い箱のようなものがある。
「もしかして、これは・・・」
出してみると、ラジオだった。
俺は震える手でラジオを点けた。
“プチ”
ラジオのジージーという音が鳴り響く、チャンネルを回したがなかなか周波数が合わない。もう一回、慎重にチャンネルを合わせてみる。
“・・・だい・・・かい・・・家の・・・”
途切れ途切れだが、何か聴こえる。
“日本政府はただいまシティ全域に、戒厳令を発令しております、国民の皆さん、午後5時以降は絶対に家の中から出ないで下さい。くり返します、日本政府はただいま・・・”
戒厳令?なんで、どういうことだ? 俺はラジオを窓辺に持っていった、他の情報はやっていないのか。するとかすかにニュースらしい声がする。
俺は息を飲み、耳をラジオに近づけた。
“・・・・・との戦闘は勢いを増し、このままでは日本軍の数が不足するのは時間の問題、政府は40歳以上65未満の徴兵を35歳にくり下げるかを検討している・・・”
戦闘だって?日本が戦争をしているということか?
俺は愕然となって、そこに崩れこんでしまった。そんな、うそだろ・・・。
いつの間にか、マヤが帰ってきていたみたいだ、気がつくと俺の後ろに立っていた。
「桑田さん・・・」
「どうして、どうして言ってくれなかったんだ!こんな大変なことが起きているのに、俺はぜんぜん今まで知らないで、家族のそばにもいてあげられないで!」
俺は泣いた。声をあげ泣いていた。見るとマヤも俺と一緒に泣いていた。
マヤは俺に話してくれた。
「桑田さんが事故にあったあの日、北チャイコクが攻めてきたの。以前から日本にスパイを送り込んで、色々と準備をしていたみたいで、シティの重要拠点はことごとく攻撃されたわ。桑田さんが巻き込まれた、あの崖崩れもミサイルが外れて山に当たったせいだと思う。桑田さん、マネージャーに呼び出されたって言ってたけど、多分それ、徴兵命令が出たんだと思う。私の夫も、他の理由でシティまで呼出され、そのまま、徴兵されて行ったから・・・」
「なんでそんなこと・・・」
「そりゃ、今の日本で戦争に行こうなんて人、居やしないでしょ」
「じゃあ、俺の息子達も・・・?」
「大丈夫よ、今のところ40歳以上65歳未満が徴兵の対象だから」
「そんなに限定されてるのか」
「そう、その辺が一番人口が多いし、若い人は少ないから、戦争で減らすわけにはいかないんだって」
「それで、俺をここに隠したのか?」
「私、桑田さんを戦争なんかに行かせたくなかったの」
「あの手紙は?」
「あれは本物よ、奥さんに手紙を出して書いてもらったの、東京では桑田さんは死んだことになってる」
「なんで、早く俺に言ってくれなかったんだ」
「それは・・・あなたが知ったら、無理にでも家族のもとに帰ろうとすると思ったから」
「・・・」
「少しの間でいいから、私の側にいて欲しかったの」
マヤの目に涙が浮かんでいた。
俺は何も言うことができなかった。
マヤはあれから部屋に閉じこもりっきりだ。
俺はここに来てからの3ヶ月間のことを考えていた。
俺を助けてくれたマヤ、少ないであろう食料をわけてくれ、いつも笑顔で元気づけてくれた。俺が八つ当たりしても、決して嫌な顔はしなった。俺はマヤがいなかったら、本当に死んでいただろう。
俺はマヤを時に憎みながらも、愛しく思っていたのではないか。そんなことを考えていると、マヤのところに行かないではいられなかった。
俺はマヤの部屋のドアを開けた。