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■このHPの趣旨 ブータンに来て二週間が過ぎようとしている。家族、友人、日本から離れて暮らすことの大変さがじわじわわかってきた。この二年間が自分にとっていい経験になることもわかってきた。たぶん、考え方もどんどん変わっていくだろうし、よい方向にも悪い方向にも流れることがあるだろう。職業柄、他人に評価を受けることは少ない。このページを見ていて、感じたことがあったら、是非知らせてほしい。自分を見つめなおし、二年間をよりすばらしいものにしたい。

■風の谷から

風の谷とは、任地ウォンデイフォダンのことである。ウォンデイではなくウィンデイだ、という人がいるほど、風が毎日吹く。この町で二年間を過ごす。

■人付き合い

外国人との人付き合いは難しいと思う。言葉が十分通じない、共有できる価値観が少ない。それでも、無理やり付き合ってると、単純に、これって友情だよな、と思うことがある。彼らに言わせれば、‘We are simple‘。日本人との付き合い方もSimpleにできればすばらしい。

■ブータン人

ブータンにはネパール人、インド人、ブータン人が住んでいる。といっても二世、三世であり、国籍はほとんどがブータンだ。様々なルーツをもっているためか、個性あふれる面々である。

■戦争

ブータンで戦争が起こる。にわかに信じられないが、現実のようだ。ブータン国内には、インドからの独立を望む多くのゲリラが潜伏をしている。彼らゲリラの標的はインド政府のため、ブータン国内においては、破壊活動は行っていない。そのため、ブータン政府もいままで放置してきたのだが、最近インド政府からの圧力が強まってきた。ゲリラをインドへ追い返せ、さもないとインド軍がブータン国内に攻め込むぞ、と。 
 これは侵略だと思う。第二次世界大戦前のように宣戦布告をして戦争を行うのは、昔の話のようだ。現代の侵略は政治的に法律的に、非難できない形で進められる。道徳的に許せないことでも、それは正義であるのだ。米国のアフガン攻撃とほぼ同じようなことがここブータンでも行われつつある。しかも、世論に注目されずに。
 インド軍は、インドブータン国境を固めている。ゲリラが国境に向かって逃げるだろうか?インド軍は彼らをインド国内に戻すつもりは無い。ゲリラも、ブータン軍も選択の余地は無い。ゲリラは、ブータンに銃を向けるしかない。ブータン軍はインド軍に助けを求めるしかない。借りを作ったブータンにはインドが自由に出入りするようになる。過去に同じようにして消えた国がある。シッキム王国である。ブータンのすぐ西に位置し、今はインドの一つの州となっている。ブータンをシッキムにしてはいけない。
 日本政府は、世界の警察(!)、米国は、EUは、ASEANは、なぜ、なんのアクションも起こさないのか?二国間の問題を二国間で解決する時代ではないはずだ。国際社会はなにをしているのか。この事実を知っている先進諸国はだんまりのままなのか。それはインドの行っていることは正義である、ということか。ならば、世界はいつでも戦火に包まれる危険を備えているということか。大国が小国を攻めることは、正義なのか。
 何も出来ない無力な自分と世界に腹が立つ。

■仕事
(03/11/15)

 最近、仕事に行き詰っていた。ブータンの人々の心をなかなかつかむことが出来ない。彼らの文化、習慣を理解することが出来ない。本当に彼らの生活に根ざした協力活動が出来ない。彼らに私を好きになってもらうことが出来ない。ここに来る以前、私は国際開発学のような開発のための学問を少しかじって来た。しかし、今となっては、開発学なぞ何の役にも立たないものと理解している。机上の理論は所詮机上の理論。学問は学問のためにある。本当に大切なのは、人間と人間の付き合いをいかに冷静に考えることが出来るかである。そこに理屈は無い。彼らの表情を見、話すことを深く考え、感じとり、自分が何をするべきか判断する。当たり前のことだが、それが出来る人間は少ないと思う。
 ブータンの人は人から物を教わることや、人を尊敬することが苦手な様子である。日本での当たり前の人付き合いは通用しなかった。中学生にバカにされ、それを叱っても、彼らには理解できない。なぜあの日本人は仲良くなることを拒否するのだろうか・・・?と彼らは首を捻る。同僚は、技術の指導中にタバコをすいガムを噛む。叱ってもへらへら笑っている。自分さえ良ければよい。自分が一番だ。この国が一番だ。自分に出来ないことは何も無い。ブータンには共有するという概念がある。よく日本向けの旅行雑誌に「結い」と紹介されているが、それは日本の結いとは程遠い。責任感はまるで無い、村八分は伴わない結いである。ただ、責任感がない分人当たりは良い。すぐに人を助ける。ただ深入りはしない。自由な結いである。
 日本人には理解出来ないがそれが彼らの普通。ならば理解するしかない。彼らに合わせる必要が無いが、彼らを理解し、彼らに理解されるような作戦をたてなければいけない。私は今、ニコニコしている。彼らの言うことは、軽く聞き流している。自分勝手なこともする。そこはブータンスタイルだ。こと仕事に関しては、日本風にやる。きっちり計画を立てるし、手を出してきたブータン人にはしつこく教える。文句を言われたら、またニコニコする。私は国際協力のひよっこなので、頭で考えながらじゃないと行動できないが、そうするようになってからは仕事が楽しくなった。彼らのことを尊敬することも出来るようになってきた。
 いつか、彼らが私の仕事を見て、教えてくれと私に近づいてきたとき、私の国際協力は成功するような気がする。そしていつか、彼らが感謝や尊敬の気持ちを覚えてくれるととてもうれしい。

■仕事2
(04/2/18)

 この上に書いてあることを久しぶりに読み返して激しく恥ずかしくなった。こんなめんどくさいことを考えていたのか、オレハ。最近は良くも悪くもあまり考えていない。何故考えなくなったか。きっと、戦争や会社の人事異動や日常生活や人付き合いや毎日の食事やその辺に落ちてる牛糞なんかが、少しずつ私の鳥並の脳に影響を与えたからだろう。理由なんて無いのだ。私は今ここにいて、仕事をしている。それにも大きな意味は無いような気がする。国際協力。日本政府からの派遣。技術移転。親善大使。税金を使っている。などなど、プレッシャーのかかる事はたくさんある。だけれど、それがナンなのだ。順番や理屈をつけることはとても大事だけれど、それそのものには意味は無い。誰かが満足するだけである。本当に意味があることは、ここにいて生活していることではないのだろうか。とりあえず、それで十分なのではないだろうか。。。。。。
 これは、開き直りなのであろう。きっと。自分自身、経験も知識もない。人格もすばらしくない。至って普通の人間である。きっと。そんな人間が海外で一人で何が出来る?私は出来ると思ってここへやってきたのだ。そして、少し前まで、本気でやろうとしていたのだ。きっと。今は、足元が見える気がするのだ。きっと。
 遠くばかりを見てはいけない。足元ばかりを見てもいけない。目を瞑るのはもっといけない。チョット先と、つま先辺りを見ていればよい。
 それで、何も考えない馬鹿と考えすぎる馬鹿を繰り返せばよいのだ。
 きっと。

■戦争その後
(04/2/26)



 ブータンで巻き起こった紛争はすぐに終結した。結果から言えば、「ブータン軍痛みに耐えてよくがんばった」といったところか。この戦争での死者や被害は報告されていない。ただ、ブータン軍は戦争開始直後から凱旋パレードのようなことをやったりしていたので大きな被害は無かったものと思われる。なかには、友人が帰ってこない、とか、故郷の橋が壊された、とか言う話も聞くが何百人も亡くなったなどということは無いようである。インドの謀略説もあったが、ブータン軍はそれをも跳ね返す活躍を見せたようだ。
 私はこの戦争が終わってただむなしいと感じた。一つはそれに対する一般日本人と一般ブータン人の対応である。ブータン人は、自分には関係ないと言い、日本人は根も葉もない噂に惑わされる。それは仕方の無いことだけれど、一方で死んでゆく人がいるのである。鳥インフルエンザで数人が死ぬと何百万と言う鳥を平気で殺せるのに、戦争が起こっても遠い国、場所の話で終わってしまうのでる。なんだか、自分の存在がむなしいと感じた。
 もう一つは、この戦争の意義である。何でこんな事になったのかすら知ることが出来ない。見方同士が戦争しているようなそんなイメージすら抱いてしまう。たとえるなら目玉焼きには醤油派かソース派かで日本人同士が戦争してるような、そんなものだ(ん?)。東の田舎で聞いた話。ゲリラの中にはブータン人と結婚している人もいる。その夫婦は今どうなっているのだろうか。むなしい。
 戦争は望ましくないことは誰でも知っている。私は広島の生まれで、国旗は偽りのもの、国歌は歌わないもの、トマトといえばまちんと、はだしといえばゲン、ももいろ御飯、夾竹桃、防空頭巾のかぶり方、防空頭巾が無い場合の逃げ方、防空壕では遊んではいけません、核にあった時は水を飲んではいけません、ケロイド段階の違いの見分け方、「ふーるーさーとの町焼かれ・・ああ、ゆるすまじ原爆をー・・・・♪」という心に傷を負わんばかりの教育を受けてきた生粋のヒロシマ県人であるので、戦争の恐ろしさは知っている心算であった。しかし、そんなもの、単なる知識であり、実際に戦争が起こったときには何も出来ない。プロレスマニアがプロレスラーには勝てないのと一緒である(ん?)。やはり経験こそ人間の心の奥深くを作り上げるものなのではないだろうか。住んでる国で戦争が起こった経験。戦地に赴いた経験。戦争で人を殺した経験。殺されかけた経験。そういったものがある人こそそれぞれの戦争観を抱くことが出来るのであろう。
 まあ、ようするに爺さん婆さんを大事にしなきゃね、と言うことである。吾等若人も年金をしっかり払おう、と言うことである。年金制度は大事にね☆と言うことである。

■仕事3
(04/3/25)


 仕事が楽しくなり充実感を得られるようになった次に待っているもの・・・。それは誰かに認めてもらいたいと言う欲であり、結果を出したいというエゴであった。私は何も出来ない自分を理解し、少しでも前へ進めるなら満足しようと考え足元を見つめた。きっと協力隊員としてはそれでよいのだと思う。しかし、私が働いているのは半官半民の営利企業であり、上司に認められないことには仕事に障害が着いてまわる。
 私が少しずつ進めやっと形になった仕事も上司の心無い一言で無駄になった。同僚は私の気持ちも理解してくれているし、上司に対して憤りを表していた。それも一つの結果だと満足することはとても難しかった。仕事への充実感だけでは満足できない気持ちはどう処理すればいいのだろうか。結果を出したい。褒めてもらいたい。役に立ちたい。
 悩んでいるときはどうしても消極的になるものである。私の味方してくれている同僚達。今は、彼らのことをとても好きだが、彼らですら日本人とは違う労働観念を持っていて、私が完全に彼らを信頼することは難しいことを思い出してしまう。そんなこととっくに忘れかけていたのに・・・。日本と比べることを止め、階段を登れたと思ったのに、今度は日本と比べることの出来る事がそこにあった。
 今いるところから更に階段を登ることは出来るのだろうか・・・。